「C」
窓の外。4月の黄色い陽光の下、桜の花びらが舞っている。
風に乗って踊り、輪を描いて回る桃色の妖精を引き立てるかのように、蝶がヒラヒラと飛んでいた。
次々に咲き始めた花壇の花を眺めながら、どの花の蜜を吸おうか迷っているのだろうか。
1匹の蝶が花壇にある赤い花に降りる。
蝶は花に止まったまま翅をゆっくりと開いたり閉じたり…その様子は、まるで蝶が蜜の味を満喫しているかのようにも見えた。
桃色の桜、黄色や白色の蝶、赤色や橙色の花、緑色の草。
窓の外にあるのは、誰が何と言おうと暖かな春の情景だった。
そんな情景を見て、今の私が思う事はただひとつ。
――眠い。
暖かな4月の陽光も窓の外で踊る桜の花びらも咲き誇る花々も萌える草の緑も、私にとっては自分を心地よい眠りに誘う催眠術でしかなかった。
「ふわぁ…ぁふ」
情けないくらいの大きな欠伸が出てしまう。
そこ、はしたないと言うなかれ。
始業式が終わり、明日から再び学校生活が始まるのだ。
今のうちにこうやって鋭気を養っておかなければ、こうやって学校に来る事すら止めてしまうかも知れない。
……さすがにそれは冗談だけど。
「ふぁ……」
あらら、油断していたらまた欠伸が…。
2度目の欠伸はさすがに恥ずかしいので、一応は手で口を隠しておく。
やれやれ…どうやら今日の睡魔は一段と強力らしい。
私の精神はことごとく睡魔に侵食されていき、自我は既に3%も残っていない。
自我が必死に睡魔を押し返そうとしているのが分かる。
だが、それは無駄だ。
何故なら、私の体が素直に睡魔を受け入れているから。
人類が抗う事の出来ない睡魔をもたらす暖かな陽光が、容赦なく私を照らし続けるこの窓際の席が半分悪い。
残り半分は眠気を助長するような暖色のみで彩られる窓の外の情景が悪い。
うん、私は悪くない。悪くない。
……よし、自己正当化完了。
「ふわあぁ……」
と同時に、またまた口から漏れる欠伸。
むむ。これは、休憩時間である今の間に眠っておいた方が良さそうだ。
ホームルームまで眠っていてはシャレにならない。
まあ…始業式当日のホームルームなんて、一緒に渡されるプリントを見れば事足りるような連絡事項しか言わないだろうけど。
私は時計に目を向ける。
ホームルームが始まるまではあと5分。
…………。
……5分でどうやって眠れってのよ。
私は誰へともなく毒づく。
どこぞの漫画にある時間の流れが遅くなる修業部屋じゃあるまいし、5分で十分な睡眠時間などとれるわけが無い。
逆にそんな短い睡眠時間じゃ、かえって眠くなってしまうこと請け合いだ。
……仕方がないか。
「う〜ん…っ」
私は欠伸を噛み殺しながら両手を頭の上で組み、大きく伸びをした。
肩の骨がパキパキッと小気味良い音を立てる。
眠る時間がないと分かれば、今のうちに出来るだけ睡魔を吹き飛ばすしかない。
睡魔ちゃん、短い付き合いだったね。
勝負とは常に非情なのだ。
何の勝負かは知らないけど。
私は頭の上で組んだ両手を離し、そのまま肩を交互にぐるぐると回す。
「うわ、女の子がそんなはしたない事をしちゃダメだよー」
私の後ろから、間延びした女の子の声が聞こえた。
私は上げた腕を下ろす。
「女の子が…っていうのは決めつけだよ。私は女の子らしい“おしとやかさ”っていうのは性に合わないの」
そして、振り向きざまに一言。
後ろに誰が居るかは分かっている。
「…そうかなー。理沙ちゃん、可愛いのにー…」
そこには、私が予想した通りの子が眉をハの字にして首を傾げていた。
肩まで伸ばしたふわふわの柔らかそうな髪の毛と、それを引き立てるように髪につけられた小さな赤いリボン。
物静かそうな小さな口と、おだやかさと優しさを兼ね備えたような僅かに垂れた目。
フリフリのドレスなど着せたなら、お人形として売られていてもおかしくないその外見は、彼女が“可愛い”と言った私なんかよりも数倍可愛らしい。
「……おだてたって何もでないわよ? それよりゆーりん、何か用なの?」
目の前のお人形…もとい、“ゆーりん”こと野原由利(のはらゆり)に、私は尋ねる。
「あれー…? 私が用事があるって、何で分かったのー?」
ゆーりんは十分に噛んだガムをビローンと引き伸ばしたような声で不思議そうに問い返した。
別に用事があると分かって言ったわけじゃないんだけど。
話しかけてきたからどうしたのかなー、程度で。
「まあ、女の勘ってヤツかな」
答えようがないので適当に答えておく。
「そうなんだー、女の勘ってすごいねー」
やけに感心しているゆーりん。
いつも思うけど、ゆーりんってちょっとだけ浮世離れしてると言うか…ワンテンポ遅れているような、そんな感じがする。
「…それでさ、用事ってなに?」
私は脱線しかけた話を再び線路に乗せた。
このままゆーりんを放っておくと、用事とやらを聞く前にホームルームが始まってしまいそうだ。
「あ、そうだよー」
ゆーりんはポンと両手を合わせる。
「すっかり忘れてたよー」
……話しかけた理由を忘れないでよ。
「あのね、理沙ちゃんを呼んでる人が廊下に居るんだよー」
ゆーりんが廊下を指差す。
私からは誰の姿も見えなかった。
「その人って、今そこに居るの?」
「今居るんだよー」
私は再び時計に目を向ける。
ホームルームまでは僅か3分だ。
「今って…残り3分しかないよ…?」
「でも、呼んでるんだよー…」
ゆーりんの顔が僅かに曇る。
そんな顔をされたって、時間が無いんだよー。
…いけない、ゆーりんの言葉がうつっちゃった。
「…その人、何の用事か言ってた?」
私は気を取り直して訊いてみる。
「…うーん、分からないよー。ただ“七海理沙さんを呼んで欲しい”って…」
首をかしげながら、ゆーりん。
ちなみに七海理沙(ななみりさ)とは正真正銘の私の名前である。
少なくとも、私に用事があるような人は全く思い浮かばないんだけど…。
「…まあ、そこに居るんならさっさと行って確かめてみましょうか」
悩んでいても仕方がない。
私は自分の中でこう結論を出して立ち上がった。
私はガラガラとドアを開け、教室の外へ出る。
するとそこには、何かどっかの研究員みたいな、黒いシャツの上に白衣を着た女の人が立っていた。
服の上からでも分かる、モデル並のスレンダーなボディライン。
膝上5cmほどの藍色をしたタイトスカートからのぞく、白い脚。
すっきり後ろに束ねられたロングの黒髪と縁なし眼鏡が、整った顔立ちに知性的な彩りを添えている。
なんか、こう…
“綺麗な人”っていうのかな? そんな感じ。
とりあえず、『知らない人には付いていってはいけない』と小さい頃から教えられていたので。
「私に何の用ですか? 私、忙しいんですけ…」
私が言いかけた瞬間だった。
「来て貰います」
いきなり手を掴まれ、連行されていく。
ちょっと待て、アンタ誰? とか思ってるうちに、どんどん引っ張られる。
前置きなしで「来て貰います」っていわれても…。
これってもしや、新手の誘拐?
「大丈夫、学校とご両親には許可を取ってあるから」
女の人は私を連行したまま言った。
いや、そういう以前の問題。
当事者である私には、なにも連絡がなかったし、なにも聞かされていない。
「あの……」
この後ホームルームがあるんだけど。
そして、明日から新しい学校生活が…
「今世界に…地球に危機が迫っているの。そして、あなたにはそれを救う力がある」
ちょっと、勝手に話を進めるな。
そんでもって、『地球が危機』ってなんですか? アニメや漫画じゃあるまいし。
それに、私に世界の危機を救うような力はないっての。
今を生きるのに精一杯なのさ。
地球規模の危機を私一人でどうしろというのか。
自分のお小遣いの危機すら救えないのに。
「いきなりそんなこと言われたって…」
「あなたなら、『クリス・シャリオン』を動かすことが出来る」
いや、動く動かないとかの問題じゃなくて。
アナタ、私ノ言テルコト聴イテマスカー?
「何も心配しなくていいのよ。あなたなら出来るから」
とっても心配です!
第一あなたは何者ですか?
「あ、あの…」
でも、言葉にしようとしても、言葉にならない。
私の頭は混乱していて、心と体か分かれているみたい。
そのまま、研究員に手を掴まれ、廊下を引きずられていった。
『・・・・・・』
こら、そこの男子生徒の集団。そんな目で私を見るな。
見てるなら、私を助けなさいよ。この軟弱者め。
いつからこの国にはサムライがいなくなった!
女の子の危機を救ってくれる男は、この学校にはいないのだろうか。
『おい、あいつの丸見えだぜ。水玉模様だ』
『ホントだ。でも、七海だからな。見てもしょうがないだろ』
『そうだな。目の保養にもなりゃしない』
『新学期でいきなりこれかよ……南無三』
男子集団から、凄くむかつくコトを言われたような気がした。
くそぉ〜、貴様達の顔しっかりと目に焼き付けたからな。
後で憶えとけよ!
「…で、早速出て貰うから、覚悟してね。大丈夫、死にはしないから」
やばい、アイツ等のお陰で、どういう覚悟をすべきかを聞き漏らした。
って、死にはしないからってどういう意味?
そんな風な場面があるってことなの?
「あなた誰なんですか? てか、何で私が…」
「説明は後でするから」
それは困る、私は早急な説明を求めたい。
だけどその前に、手を離して貰いたいんだけど。
捕まれて、ずっと引っ張られていた手が痛い。
片手両脚をバタバタさせて、どうにか離れようと試みた。
しかし、あの女は相当鍛えているみたいで、まったく動じない。
あんな細い腕の、どこからこんな力が出ているのだろうか?
とても不思議だ。
「誰か助けてぇー!」
それでも助けを乞いながら、引っ張られている手をどうにか外そうとする。
そんなことやってたら、向こう側の廊下から、うちのクラスの担任の林(独身・36才)がやって来た。
最近、同棲していた彼女に逃げられたらしい。
真夜中、自宅付近の公園で、一人ブランコに乗り、その彼女の名前を言いながら泣いていたらしい。
冬休み中にゆーりんから聞いた話だけど。
「せ、先生…助けてぇ〜」
私は、今まで担任には見せたことのない表情で助けを求めた。
「お、七海じゃないか」
昨日も泣いていたのだろうか、目が真っ赤になっている。
一体何日間泣いていたのだろうか?
「頑張ってこいよ〜。先生、応援してるからな〜」
担任の林は、にこやかに手を振りながら、引きずられていく私を見送った。
おい、この状態を不審に思わないのか。
お前のクラスの生徒が、今まさに連れ去られようとしてるんだぞ。
「巨大ロボのパイロットなんて、まさに漢のロマン……って、七海は女子だけどな」
ロマンに浸ってないで助けてよ先生。
てか、学校の人たちを見る限り、世界に危機が迫ってるようには思えないんだけど。
みんな普通に友達と話したり、ボーっとしたりで。
「すでに機体はここに運んであるから、後はあなたが乗るだけよ」
ちょっと、勝手にどんどん話を進めないでよ。
私は巨大ロボットに乗せられちゃうの?
どうして担任にまで連絡入れていたくせに、私には一言もないわけ?
「とにかくアイツが来る前に乗ってくれないと…」
嗚呼…いつもの日常よ、あの頃とはサヨナラだね。
現実とは常に非現実的なのだ。
何が現実かは知らないけど。
諦めが何となくついてきた。
こんなことになるんだったら、朝ご飯残してくるんじゃなかったなぁー。
こんなことになるんだったら、バイト代派手に使って遊ぶんだった。
こんなことになるんだったら、もっと親孝行しとけば良かった。
こんなことになるんだったら、あの日カラオケに梅干し持って行けば、喉が枯れずに済んだのに。
こんなことになるんだったら、ケチケチせずにアニメは標準録画にしとくんだった。
こんなことになるんだったら…こんなことなら…。
ありとあらゆる後悔とやり残したことが、私の頭を駆け巡る(一部どうでもいいのが混じってるけど)。
「父さん母さん。先立つ不幸をお許し下さい……」
私の精神が向こう側に行きかけた時だった。
―ドドドドッ
私と女の人、それに周りに立っていた人たち、その場にバランスを崩して倒れる。
そして視界がふっと暗くなった。
「な、なになに!? なんだって言うの!?」
「しまった。もう来てしまったのね……」
私は慌てて窓の外、校庭に目をやる。
そこには。
……………ポットだ。
いや、だから、押すとお湯が出てくるヤツ。
こう言った方がいいかな、「魔法瓶」って。
まるで高層ビルみたいに巨大なポットが、校庭にいたんだって。
『ははははは、はーはっは!!……おえっぷ』
そしてその上には、酔って吐きそうになってる、グルグル眼鏡で、黒マントを羽織った男(だろう、多分)がいた。
少々かん高い声をだして、下品に笑っている。
奴はメガホンを取り出し、それを使って叫ぶように言った。
『おえ…ぐえっぷ……う゛ぅ〜〜気持ち悪……ゴホン。さぁ〜〜〜〜てえ〜〜〜見つけちゃったよぉ〜今日ぉぉぉぉぉこそ、今日こそ破壊してやるぞ! 水晶騎士!!』
どうやら下品なやつは、ポット酔いをしているような雰囲気である。
え? 「ポット酔い」ってなんだ?
船酔いみたいなヤツ、それがポットに変わっただけ。
さっき私が作った新しい言葉。
巨大なポットで飛行してみれば、あなたも体験できると思うよ。
……無理か。
「もう、猶予は無いわね…!」
女の人は臍をかむ。
そして、私の目を見つめ、肩に手を置いた。
「お願い。クリス・シャリオンに乗って! そして戦って!」
懇願してきた。
なんだか、絶対乗りなさいと言っているような瞳。
でも、私はそんなのお構いなしに答える。
「ムリムリムリムリぜぇ〜〜〜ったいムリ!」
マッハ4の速度で首を横に振った。
ついでに質問もしてみる。
「ってか、誰あの……人?」
奴が人間かどうかは定かでないが、とりあえず見た目はホモ・サピエンス(♂)っぽいので、人間と仮定しよう。
ちょっと身体と頭の比率が6:4とおかしいが、それは考えない方向で。
……だって、そう考えておかないと頭が変になっちゃう。
「彼はマッド・サイエンティスト=マニック(34)、彼の野望は、美少女ハーレムを作ること世界を混沌の渦へと堕とすこと。」
おいおい、今一瞬もの凄い単語が聞こえたような気がするぞ。
てか、ずいぶんと詳しいな。
名前だけじゃなくて、年齢やその目的まで知っているなんて。
それだけ分かっているのに、事前に策は立てられなかったの?
「あれが私たちの敵よ…」
どうでもいいけど、その「たち」というのには私がすでにカウントされてるの? ひょっとして。
「そしてマニックが作り出すマシン兵器『カオスメカ』に唯一対抗できるのが、今体育館の地下で完成させたクリス・シャリオンだけ…」
“カオスメカ”って言うよりかは、“家電製品”って感じだけど
それに、勝手に学校の体育館で、何造ってんだ。
それこそ学校の許可は取ったのか?
「しかしクリス・シャリオンには、パイロットが適合者でないと、その能力が100%発揮できないと言うネックがあったの」
なんか、お約束の展開。
「その適合者とやらが、私ってこと?」
一応、確認はしてみる。
「そういうことね」
……やっぱり。
何となくそうじゃないかって思った。
ん? 始めからそう言っていたって?
私の頭で、そう理解できたのはさっきがはじめてなんだけど。
だって、立て続けにいろんなコトが起きていたんだもの。
「今までは、パートのおばさんに日給840¥で戦ってもらっていたのだけれど…」
おい、パートのおばさんがいきなり出てきたぞ。
しかも時給じゃなくて、日給かい!
おばさん、もうちょっと考えて仕事してください。
「で、そのおばさんが、『原チャリだけだと物足りないのでゲス!』って言って、教習所に大型バイクの免許とりにいっちゃったのよね」
女の人があきれ顔で言った。
どうやら、このおばさんは原チャリで通っていたらしい。
「原チャリか…」
原チャリくらいなら、私だって(無免許で)乗ったことがある。
去年、ゆーりんと一緒に、夕日の浮かぶ海岸沿い。
夏の終わりの切なさの中、潮風を切って走ったっけ。
あのときは二人とも同じヒトに恋していたんだよね……。
いろいろあったけれど、とっても楽しかった。
ちょっぴりほろ苦かった、ひと夏のおもひで。
「はぁ……」
私は思わずため息を漏らした。
今あの人はどうしてるんだろうか。
一生懸命に頑張る姿がカッコよくて、どこか儚げなあの人。
「今何してるんだろ……」
何だか今、無性に逢いたい気持ちがこみ上げてきた。
どうか、こんな私の女々しさを許してほしい…
そんなふうに、私がもの思いに耽っている間、女の人はどんどんと話を進めていたみたいだった。
「あなたのDNAデータに対して、クリス・シャリオンの……」
―ドドドドッ!! スガァーン!!
「…だからあなたは、パイロットとして最良の人材なの」
えぇい、外野がうるさい。
人がおもひでに浸って現実逃避していたというのに!
『ロボットもののお約束、設定の説明をするのも良いがなぁ、こちとら3時間ぶっ通しのフライトで、フラストレーションと時差ボケが溜まってイライラしとんのじゃい!!』
奴が手前勝手な不満をぶちまける。
一体どこから此処へ来たというのだろうか。
てか、そんなお約束なんてあったっけ?
大体そんなのは、ナレーターが語るだけだと思うが。
まぁ、私は女のひとの説明なんて一切聞いてなかったけど。
「ちょっと、私の話聞いてたの?」
私は聞いてましたよと言って、さらっと流す。
この人クリスなんとかの話をずっとしてたのか…?
人のことお構いなしって感じね。
こっちも同じような感じなんだけど。
「うわー…大きなポットだぁー」
そのとき、どこから聞き覚えのある女の子の声が聞こえた。
「すごーい、お〜いこっちこっちー」
その声はゆーりんのものだった。
なかなか切れない納豆の糸のように間延びした声。
教室の窓を開き、巨大なポットに向けて、手をおおきく振っている。
そんなことをしている場合じゃないぞ、ゆーりん。
『お、あそこに居る嬢ちゃん可愛いな』
ヤツはゆーりんに気付いてしまったようだ。
キラリと眼鏡が光る。
「カルキ沸騰ちゅうーですかー? あーそれともー、おみずー入れないとーダメーなんですかー?」
何を言っているんだ、ゆーりん。
変な質問なんかしてないで、はやく逃げなさいよ。
『ホナ、もらっていこか』
ヤツは質問なんか聞いちゃいないし。
『テェーイクアウトォ・アーーームッ!』
ヤツが何か叫ぶと、巨大ポットから割り箸をつなぎ合わせたような腕が生える。
そして、それがバリバリと校舎の壁を貫通し、ゆーりんの体をひっ掴んだ。
彼女の華奢な体が宙を舞う。
「わー、お持ち帰りーされちゃうー。たぁーすぅーけぇーてぇー」
ゆーりん自身は必死に叫んでいるつもりなのだろう。
しかし彼女の間延びした声と、どことなく笑っているような表情が災いし、危機感を覚えるのに5秒くらいかかってしまった。
『おい、アレ。野原の丸見えだぜ。純白だぁ〜』
『おお、ホントだ。いや〜いいもんやなぁ。七海とは雲泥の差だ』
『目の保養には十分すぎるぞい』
『もう今年の運は使い果たした……今の俺は幸せ者だぜぇ!』
『我が人生に一片の悔いなぁ〜し!』
さっきの男子集団が、ゆーりんのを見上げている。
ええい喜ぶな、写真取るな、そこの丸坊主のヤツ拝むな!
どうでもいいけど、一人増えてない?
でもさ、何で私だとダメで、ゆーりんのはありがたいわけ?
お前等、絶対後でツブすからな! グスン。
「このままでいいの?」
女の人の言葉が、泣きそうになった私をハっとさせる。
「大事なお友達がテイクアウトされちゃうわよ? あのテの奴は、3次元の女の子に何をしでかすか分かったものじゃないわ」
た、確かに。ゆーりんってそれこそ『お人形のように』可愛いから…
それに、マニックとか言うヤツは、見た目からしてヤバイ。
これはゆーりんの友達として、どうにかするしかない。
「あいつに……」
女の人は下唇を噛み、拳を握りしめる
どうやらあいつのせいで、相当辛い目に遭ってきたらしい。
「そうよ、そいつのせいで私の娘は……」
美人で若く見えるのに、子供がいたのか。
どうやらこの人の娘は、マニックにお世話になったことがあるらしい。
どんなことをされたのか……想像したくない。
「本当なら、私自身がクリス・シャリオンに搭乗して、カオスメカを全て破壊し、あいつをスマキにしてコンクリート詰めにして東京湾にポイっとしちゃいたいわ。けど…」
けど、それが出来るのが私しかいないと。
「もしここであなたが逃げたら、世の美少女は全て奴の手に渡ってしまうの。迷っているヒマは無いわ、決断を!」
女の人の眼鏡が光る。
私の肩に置いた手に力を込め、強い眼差しで訴えてきた。
「でも…」
「お願い乗って! そして戦って! てゆーかあなたに拒否権は無―――し!!!」
私の眉間に、女の人の人差し指が突きつけられる。
触れていないのに、触れられているような感覚がした。
「え〜 そんなぁー!?」
ひょっとしてこれは夢?
脳みそがすりこぎでグルグル掻き回されるような感覚が襲い、眩暈がしてきた。
ひょっとしてこれは夢?
私は春の陽気に当てられて、ホームルームまでの5分の間に、眠ってしまったんじゃないの?
そうでなきゃ、こんな非常識な事態が連続して起こるなんてあり得ないじゃない。
まさしく急転直下の青天霹靂。私が言葉を失っていると。
『はっはっは。良いではないか良いではないか』
『ああれ〜お代官さまお戯れを〜』
巨大ポットの上で、いつの間にか着物姿になっていたゆーりんが、マニックに帯を引っ張られてくるくる回っていた。
「さあ早く乗らないと! 悪人からいたいけなオナゴを救う、正義の戦士になるのよ!」
女の人が「ホラ、もう乗るしか手はないわ」とでも言いたげな期待の眼差しを向けてくる。なんだか鼻息が荒い。
……まあ、確かに。
友人として、女として、あんなヒョーロク玉にゆーりんをおもちゃにされるわけにはいかない。
ゆーりん自身は何だかノリノリっぽいが。
とりあえず、友達を助けるために。
「……わかりましたよ。乗れば良いんでしょう、乗れば」
どうせタチの悪い夢なら、さっさと奴を倒して、ゆーりんを救い出して、クリアしてやろうじゃない!
そしてホームルームまでに目覚めなきゃ!
「やってやろうじゃない!」
そうよ、メチャクチャ現実感があるようで、実際にはそんなのない夢なのよ。
絶対にそう!
そうに決まってるんだから!
「で、肝心の機体は何処にあるの? 体育館とは逆の方に来ちゃったけれど」
女の人は、白衣のポケットをごそごそと探った。
「えっと……ハイ、これ」
そして、私の手に、スプーンの化け物みたいなモノを持たせる。
そのデザインは、昭和50年代後半のロボットアニメのコントローラに見えなくもない。
シックなのかサイケなのか判断しにくい、とっても中途半端な色合い。
「これを空にかざして“クリスシャリオン・カムヒアー!”と叫べば、来てくれるわ」
なんか、何処かで聞いたことのある台詞だ。
てか、何故に叫ばなければ出てこないのだろう。
ロボットアニメの七不思議。
「まだ細かい調整は出来てないけど、あなたなら十分いけるはずよ」
調整なんかしなくて結構。
このノリならば、スーパーロボット系統だろうし。
どうせ夢に決まっているんだから、乗るのはこれ一回きりよ!
「まったく、新学期が始まるっていうのに、いきなり災難よね」
ここまできたなら、後はやるっきゃない。
『はっはっは。良いではないか良いではないか』
ポットの上でマニックが、飽きもせずに帯を引いている。
悪代官プレイに何かこだわりでもあるのだろうか。
いつの間にかゆーりんの着物も変わっていた。
『ああれ〜お代官さまお戯れを〜』
今度は逆回転しながら、なれた言い回しで悲鳴(?)をあげている。
私の目に、ゆーりんが楽しそうな表情で回っているように見えるのは……気のせいだ。
むしろそう思いたい。
そう思わせてください、お願いしますから。
『ふふふふ、うい奴よのぅ』
『わあぁー、かたじけのうございますぅー』
ゆーりん、待っててね。
すぐにそいつの魔の手から救い出してあげるから。
……なんか仲良くなっちゃってるっぽいけど。
私は半ばやけっぱちになって、その言葉を叫んだ。
大切な友を救う、そのために。
「クリスシャリオォォォン・カムヒアァァァ!」
温かい4月の風の中、この校舎の前から一人の少女の戦いが幕を開ける―
踊る桜の花びらも、咲き誇る花々も、萌える新緑の草たちも、淡くそよぐ風に身を委ね、ただ揺れるばかりだった。
おわり