C」


 窓の外。4月の黄色い陽光の下、桜の花びらが舞っている。
 風に乗って踊り、輪を描いて回る桃色の妖精を引き立てるかのように、蝶がヒラヒラと飛んでいた。
 次々に咲き始めた花壇の花を眺めながら、どの花の蜜を吸おうか迷っているのだろうか。
 1匹の蝶が花壇にある赤い花に降りる。
 蝶は花に止まったまま翅をゆっくりと開いたり閉じたり…その様子は、まるで蝶が蜜の味を満喫しているかのようにも見えた。

 桃色の桜、黄色や白色の蝶、赤色や橙色の花、緑色の草。
 窓の外にあるのは、誰が何と言おうと暖かな春の情景だった。
 そんな情景を見て、今の私が思う事はただひとつ。

 ――眠い。

 暖かな4月の陽光も窓の外で踊る桜の花びらも咲き誇る花々も萌える草の緑も、私にとっては自分を心地よい眠りに誘う催眠術でしかなかった。
「ふわぁ…ぁふ」
 情けないくらいの大きな欠伸が出てしまう。
 そこ、はしたないと言うなかれ。
 始業式が終わり、明日から再び学校生活が始まるのだ。
 今のうちにこうやって鋭気を養っておかなければ、こうやって学校に来る事すら止めてしまうかも知れない。
 ……さすがにそれは冗談だけど。
「ふぁ……」
 あらら、油断していたらまた欠伸が…。
 2度目の欠伸はさすがに恥ずかしいので、一応は手で口を隠しておく。
 やれやれ…どうやら今日の睡魔は一段と強力らしい。
 私の精神はことごとく睡魔に侵食されていき、自我は既に3%も残っていない。
 自我が必死に睡魔を押し返そうとしているのが分かる。
 だが、それは無駄だ。
 何故なら、私の体が素直に睡魔を受け入れているから。
 人類が抗う事の出来ない睡魔をもたらす暖かな陽光で、容赦なく照らし続けるこの窓際の席が半分悪い。
 残り半分は眠気を助長するような暖色のみで彩られる窓の外の情景が悪い。
 うん、私は悪くない。悪くない。
 ……よし、自己正当化完了。
「ふわあぁ……」
 と同時に、またまた口から漏れる欠伸。
 むむ。これは、休憩時間である今の間に眠っておいた方が良さそうだ。
 ホームルームまで眠っていてはシャレにならない。
 まあ…始業式当日のホームルームなんて、一緒に渡されるプリントを見れば事足りるような連絡事項しか言わないだろうけど。
 私は時計に目を向ける。
 ホームルームが始まるまではあと5分。

 …………。

 ……5分でどうやって眠れってのよ。

 私は誰へともなく毒づく。
 どこぞの漫画にある時間の流れが遅くなる修業部屋じゃあるまいし、5分で十分な睡眠時間などとれるわけが無い。
 逆にそんな短い睡眠時間じゃ、かえって眠くなってしまうこと請け合いだ。
 ……仕方がないか。
「う〜ん…っ」
 私は欠伸を噛み殺しながら両手を頭の上で組み、大きく伸びをした。
 肩の骨がパキパキッと小気味良い音を立てる。
 眠る時間がないと分かれば、今のうちに出来るだけ睡魔を吹き飛ばすしかない。
 睡魔ちゃん、短い付き合いだったね。
 勝負とは常に非情なのだ。
 何の勝負かは知らないけど。
 私は頭の上で組んだ両手を離し、そのまま肩を交互にぐるぐると回す。
「うわ、女の子がそんな事をしちゃダメだよー」
 私の後ろから、間延びした女の子の声が聞こえた。
 私は上げた腕を下ろす。
「女の子が…っていうのは決めつけだよ。私は女の子らしい“おしとやかさ”っていうのは性に合わないの」
 そして、振り向きざまに一言。
 後ろに誰が居るかは分かっている。
「…そうかなー。理沙ちゃん、可愛いのにー…」
 そこには、私が予想した通りの子が眉をハの字にして首を傾げていた。
 肩まで伸ばしたふわふわの柔らかそうな髪の毛と、それを引き立てるように髪につけられた小さな赤いリボン。
 物静かそうな小さな口と、おだやかさと優しさを兼ね備えたような僅かに垂れた目。
 フリフリのドレスなど着せたなら、お人形として売られていてもおかしくないその外見は、彼女が“可愛い”と言った私なんかよりも数倍可愛らしい。
「……おだてたって何もでないわよ? それよりゆーりん、何か用なの?」
 目の前のお人形…もとい、野原由利(のはらゆり)こと“ゆーりん”に、私は尋ねる。
「あれー…? 私が用事があるって、何で分かったのー?」
 ゆーりんは十分に噛んだガムをビローンと引き伸ばしたような声で不思議そうに問い返した。
 別に用事があると分かって言ったわけじゃないんだけど。
 話しかけてきたからどうしたのかなー、程度で。
「まあ、女の勘ってヤツかな」
 答えようがないので適当に答えておく。
「そうなんだー、女の勘ってすごいねー」
 やけに感心しているゆーりん。
 いつも思うけど、ゆーりんってちょっとだけ浮世離れしてると言うか…ワンテンポ遅れているような、そんな感じがする。
「…それでさ、用事ってなに?」
 私は脱線しかけた話を再び線路に乗せた。
 このままゆーりんを放っておくと、用事とやらを聞く前にホームルームが始まってしまいそうだ。
「あ、そうだよー」
 ゆーりんはポンと両手を合わせる。
「すっかり忘れてたよー」
 ……話しかけた理由を忘れないでよ。
「あのね、理沙ちゃんを呼んでる人が廊下に居るんだよー」
 ゆーりんが廊下を指差す。
 私からは誰の姿も見えなかった。
「その人って、今そこに居るの?」
「今だよー」
 私は再び時計に目を向ける。
 ホームルームまでは僅か3分だ。
「今って…残り3分しかないよ…?」
「でも、呼んでるんだよー…」
 ゆーりんの顔が僅かに曇る。
 そんな顔をされたって、時間が無いんだよー。
 …いけない、ゆーりんの言葉がうつっちゃった。
「…その人、何の用事か言ってた?」
 私は気を取り直して訊いてみる。
「…うーん、分からないよー。ただ“七海理沙さんを呼んで欲しい”って…」
 首をかしげながら、ゆーりん。
 ちなみに七海理沙(ななみりさ)とは正真正銘の私の名前である。
 少なくとも、私に用事があるような人は全く思い浮かばないんだけど…。
「…まあ、そこに居るんならさっさと行って確かめてみましょうか」
 悩んでいても仕方がない。
 私は自分の中でこう結論を出して立ち上がった。

 

 

 

 

 ホームルームの直前とあって、廊下には人気がまったく無かった。

 がやがやとうるさい教室とは逆に、廊下は静かで物音ひとつ無い。

 静か過ぎて、逆に不気味なくらいだ。

 その静か過ぎる廊下に、その人物は立っていた。

 くりくりとしている眼をぱっちりと開き、腰まである黒髪を後ろで縛っている。

 その髪はそよ風に靡いて、さらさらと舞っていた。

 その人物は、私を確認するとすぐに駆け寄ってきた。

「あ、お姉ちゃん!!」

「凛、いったいどうしたの?」

 廊下で私を待っていたのは、私の2つ下の妹、七海凛(ななみりん)だった。

 ゆーりんと同じくらい可愛い私の妹は、両手で鞄を抱えて顔をうつむかせていた。

「……どうしたの? 黙ってたら何も……」

「お姉ちゃん、あのね……実はね……」

「にゃぁ〜!」

 ………にゃ〜?

 ……聞き間違えるはずが無い、これは……“猫”の鳴き声だ。

 私は凛から鞄を強引に奪い、中身を確認した。

「にゃ〜」

「凛……この猫……」

「ごっ、ごめんなさいお姉ちゃん!」

 私が鞄の中を見て驚愕すると同時に、凛が頭を下げて謝った。

 鞄の中にいたのは、額に傷がある黒猫だった。

「なっ……なっ……なんでコイツを連れてきたぁ〜〜〜〜!!!」

「ご、ごめんなさ〜〜〜い!!」

 私の咆哮と凛の悲鳴は、静寂を一瞬に総崩れにした。

 外では強風が吹き荒れ、今から起こる大事件を予言しているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

STORY.1『出会い』

 

 それは、今日の早朝……学校に来る前の出来事だった。

 私は、朝から体がだるく、気分も体調も最悪だった。

 徹夜してアニメを見ていたのが悪かったのか、眠気も最高潮に達しようとしている。

 まるで酔っ払った中年のように、右にフラフラ、左にフラフラと危なっかしい足取りだ。

 自分でも危ないと解るぐらいだ、他人が見たらもっと危なく見えるんだろう。

「お姉ちゃん、しっかりしてよ」

「そう言われてもねぇ……ふわぁ〜〜……」

 ヤバイ……もう限界かも……。

「早寝早起き、早起きは三文の徳って言うよ」

「凛……そんな言葉どこで覚えたの……」

 そんなことを話しながら、私と凛は学校へ続く道を歩いていた。

 すると、目の前にたくさんの人だかりが見えた。

 そこは大通りにある十字路で、私も凛も毎日そこを通過している。

 何があったのか、野次馬のおばさんに声をかけた。

「どうしたんですか? 何かあったんですか?」

「車同士の接触事故みたいよ。この道は使えないから、ほかの道を通ったほうがいいわ」

「そうですか、ありがとうございます」

 野次馬の人達で事故の現場は見えなかったが、かなり酷い事故らしい。

 私と凛は、普段は使わない秘密の裏道を通ることにした。

 

 

 

 

 その裏道は、遅刻常習犯が使う抜け道だった。

 住宅街と公園の境目にある細い道で、もちろん舗装などはされていない。

 背の高い雑草が青々と生い茂り、まるで南米のジャングルのような、そんな感じである。

 人はこれを“獣道”などと言うが、本当に獣が通っていそうな道である。

「うきゃぁ!?」

 凛がなんとも可愛らしい悲鳴を上げた。

 どうやら、草に付いていた虫に驚いたようだ。

 私は凛のために、少しでも草を掻き分け通りやすくする。

 

 ………にゃ〜……。

 

 そのとき、かすかに“何か”の鳴き声が聞こえた。

 弱々しく鳴くその声は、おそらく動物の声だろう。

 凛はそれに気付いたのか、その方向へ向かって歩く。

 私はさらに耳を澄ませ、その声を聞く。

 

 にゃ〜……にゃ〜……。

 

「お姉ちゃん!! こっち、早く来て!!」

「凛!?」

 凛が大声で私を呼んだ。

 えらく慌てていて、とても動揺ている。

 これは尋常ではないと思い、私もそこに駆けつける。

「お姉ちゃん! この子、酷い怪我なの!!」

 凛のすぐそばには、まだ幼さが残る黒猫が倒れていた。

 その子の額にはまるで抉り取られたような生々しい傷があった。

「お姉ちゃん!! ねぇ、どうしよう!?」

「ちょっと落ち着いて。見た目酷く見えるけど、傷は浅い。何か布みたいなのある?」

 凛ははっとして、自分のポケットからハンカチを取り出した。

 私はソレを受け取り、猫の傷口を縛った。

「よしっ、これで大丈夫よ」





 黒猫はハンカチが気になって、そのあたりをずっと見ていた。

 でも元気は出たようで、ちゃんと自分の足で立っていた。

「お前―、今度から気をつけるんだぞ? そのハンカチは譲ってやるから、じゃあね!」

 私は黒猫にそう語りかけ、その場を立ち去った。

 凛は、名残惜しそうに猫の頭をなでていた。

「凛、早くしなさい!! 学校に遅れちゃうでしょー!!」

「あっ、はーい、すぐに行くよ!!」

 私が読んでからもずっと、凛は猫を見つめていた。

 しばらくすると、凛は走って私に追いついてきた。

 私は安心して、凛とともに学校へ向かった。

 

 今思えば、私はあの時に気付いておくべきだったんだ。

 

 凛の黒猫を見つめる瞳を、もっと良く見ておけば、あんなことにはならなかったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

STORY.2『C(シー)』

 

 朝の出来事の後、私はとりあえず凛に黒猫のことを任せて、自分のクラスに戻った。

 ゆーりんに「どうだったー?」と聞かれてドキッとしたが、適当な理由をつけて流した。

 授業が始まっても、あの黒猫のことが頭から離れなかった。

 そんなことを考えている内に、時間が刻々と過ぎて、気付いてみればもう下校時間となっていた。

 鞄の中に教科書を入れ、下駄箱に向かう。

 帰りの時間とあって、下駄箱は先輩や後輩、そして同級生で溢れていた。

 この大勢の生徒達の中に、2種類の人間がいた。

 放課後なのに元気に騒ぐ奴、疲労困憊でぐったりしている奴。

 今の私は、誰がどう見ても後者の人間だった。

「だっる〜……」

「だいじょ〜ぶ? 今日は部活が休みでよかったねー」

 今日は顧問の先生が外出中とかで、部活は無いと通達があった。

 こんなテンション最悪で体調もよろしくない日に部活があったら、私は確実に死んでいただろう。

 さっさと家に帰って、今日という日をすぐにでも忘れたい。

 嗚呼、どうか、もう何事も起きませんように……。

「お姉ちゃ〜ん!! 野原せんぱ〜い!!」

「あっ、凛ちゃーん!!」

 廊下の向こうから、凛が走ってくる。

 『廊下を走るな』という学校の伝統的校則なんてまるで無視だ。

「一緒に帰りましょ! 先輩ッ!!」

「そうしよー!! 理沙ちゃんも、文句ないよねー?」

「う……うん」

 私がゆーりんの眼力に勝てるわけも無く、結局3人で帰ることになった。

 

 

 

 

 町を夕日の暖かい光が包み込む。

 紅く染まる建物は、どこか神秘的で心も和む。

 最近は部活が遅くまであるので、こんな時間に帰れるのは久しぶりだった。

 隣に目を向けてみれば、ゆーりんと凛が楽しそうに話をしている。

 そして、凛の抱いている鞄の中から、あの黒猫がひょっこり顔を覗かせていた。

 ……っといけない、この子にはもう名前があるんだった。

 凛が英語の授業中に思いついたらしいその名前は、この子にぴったりだった。

「かわいいー!! 『シー』はなんでこんなにかわいいのー?」

 ゆーりんが、黒猫の名前を呼びながら、その頭を優しく撫でる。

 『シー』という名前は、凛が付けたらしい。

 肩に残る傷跡が、アルファベットの『C』に見えるから付けたと、凛がさっき言っていた。

 さすが私の妹、ネーミングセンスはバツグンだ。

「お姉ちゃん、シーを家で飼っちゃダメかな?」

「私は別に構わないけど、母さんと父さんが許可してくれるのかが問題よね」

「大丈夫っ!! だってお父さんとお母さん、2人とも動物好きだもん!!」

 今にもVサインしそうな勢いでキッパリと断言した凛。

 呆れた私は、言葉をかける。

「あのねぇ……そういう問題じゃ……」

「シー、私が絶対に何とかしてあげるからね!!」

 凛は私の話も聞かず、シーの頭を撫でる。

 シーも気持ちよさそうで、自分から頭を差し出している。

「“信ずるものは救われる”だよー!」

「その通りです!! ゆーりん先輩っ!!」

「うにゃ〜!」

 なぜかすっかり意気投合の2人、と1匹。

 足取り軽く歩くその後ろを、テンションダウンの私が歩く。

 はぁ〜……本当に大丈夫なのだろうか……。

「ちょっと、置いて行くな〜!!」

 

 

ブォォォン……ブォン……

 

 

「ん?」

 音に気付き後ろを振り向くと、黒くて大きな車があった。

 私との距離は6メートルくらい離れていてで、斜め右後ろの位置にいた。

 横幅が広く、車高も高いしタイヤも大きいので、たぶん4WDだろう。

「お姉ちゃん! 早く早くぅ〜!!」

「あっ、待ちなさい!!」

 凛に呼ばれた私は、慌てて後を追った。

 黒い車が、私達の後を追うようにして動き出したことにも気付かずに…。

 そして、中にいた人物の口元が、微笑んでいるとも知らずに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

STORY.3「カーチェイス」

 

「お姉ちゃ〜ん!! 早くしないと置いてっちゃうぞ〜!!」

「にゃ〜〜!!」

「はいはい……まったく、元気だけはあるんだから……」

 私の視線の先で、凛とシーが元気良く歩いている。

 シーは初めてこういうところに来たらしく、目に見えるものすべてに興味を示していた。

「あの日からもう1週間かぁ……時間ってすぐに去っていくもんだねぇ……」

 口に出して、改めて実感する。

 私達家族に、シーという新しい家族が出来てから、もうそんなに時間が経った。

 幸い、お父さんもお母さんもシーを飼うことに反対せず、そのことを了承してくれた。

 そのときの凛の喜びっぷりは、今でも心に残っている。

「なんだかんだ言って……私も実はけっこう喜んでたりしたんだよなぁ……」

 目の前ではしゃぎまわる1人と1匹を見つめながら、言葉が自然と漏れてしまった。

 最近、妹がとても明るくなったような気がする。

 もちろん、前も明るくて元気いっぱいで、評判もそこそこよかった。

 この幸せな光景を、いつまでも見ていたい……。

 いつしか、そう思うようになっていた。

 

 

キキィ――――――――――――――――――ッ!!

 

 

「きゃあぁ!!」

「うひゃぁ!!」

「にゃぁ!!」

 突然、脇道から黒い大きな車が飛び出してきた。

 大きな巨体が、私たち目掛けて突っ込んでくる。

 私はとっさに凛の手を掴み、車から逃げるように走り出した。

 黒い車はその場でドリフトし、私達の後を追ってくる。

 私は、これでもかというくらい全速力で走る。

 凛も、私の手をしっかりと掴んで離さない。

 その様子を振り返りざまに見た私は、心の中でこう決意した。

 

 “何の因果で追われなきゃいけないのか知らないけど、この子達だけは絶対守る!!”

 

 足が痛かろうが汗が噴出そうが、私は全速力で走った。

 

 

 

 

ブオオォォォォォォォォン!!

 

 

 私が必死に走っても、やはり車のほうが断然速い。

 私達との距離は徐々に縮まっていく。

「車と人間じゃ勝負にならないよ〜〜!! 追いつかれる〜〜!!」

「きゃあああぁ!!」

 私達が叫びながら交差点を渡ろうとしたとき、目の前に黄色い車が現われた。

 黄色い車飛び出してきた私達に驚いて、急ブレーキをかけてその場に停止した。

 私は凛の手を引いて、その車のドアを強引に開け、その中に飛び込んだ。

「なっ……勝手に乗り込むな!!」

「助けてください!! 変な車に追われているんです!!」

「えぇっ……」

 お兄さんがバックミラーを確認しようとした……そのとき。

 

 

ガッシャアァァン!!

 

 

「うわぁっ!!」

「「きゃああぁ!!」」

 激しい衝撃が車内を襲った。

 黒い車が、私達の乗っている車にぶつかってきたのだ。

 運転手のお兄さんは、急いでアクセルを踏み込み車を急発進させる。

 スピードを上げていくが、黒い車も必死に追ってくる。

「くそっ、何なんだあの車ァ!!」

「私にも解りませぇん!!」

 叫んでいても、この状況がどうなるというわけでもないが、私は叫び続けていた。

 後部座席の凛は、シーを腕に抱えてうずくまっていた。

 その腕の中で、シーは小さくなって怯えていた。

「お嬢さん達、本当に追われている理由がわかんないのかよっ!?」

「「はい、残念ながら!!」」

 

 

ガンッ!!ガゴォン!!

 

 

 黒い車はしつこく私達を追ってきて、何度も体当たりを繰り返す。

 そのたびに車内は大きく揺れ、そのたびに体が何度も浮く。

 かろうじて外を覗けば、いつの間にか国道に出ていたことが確認できた。

 何台もの車の間をすり抜け、交差点もノーブレーキで突っ走る。

「クッソォ〜〜!!  さすがは《ハマーH1》、世界最強の4WDのは伊達じゃねぇ!!」

 お兄さんが口走った『ハマーH1』とは、どうやら私達を追ってくるあの黒い車のことらしい。

「あの車って、そんなにすごいんですか?」

「ああ、元々はアメリカ陸軍の機動車両だ。あれはその民間用ってわけ!!」

「じゃあ、勝ち目無いんですか?」

「まさか!! こっちの車も伊達じゃないぜ!!」

「え?」

 そう言うと、お兄さんは服の袖をまくり上げ、シートベルトをきつめに締めなおす。

 そして、ハンドルを強く握って、私達にこう言った。

「お嬢さん達、その猫をしっかり抱いてシートベルトしてな!!」

「「え?」」

「本気で行くぜ!! 口を閉じてないと舌を噛み切るぞ!!」

 私達は言われたとおり、シートベルトを着用した。

 シーは、凛がしっかりとその腕に抱いていた。

「行くぜぇ……《ランチア・デルタ》!! お前の最高の走りを見せてやれ!!」

 

 

キュラアアァァァァ!!

 

 

 お兄さんは思いっきりアクセルを踏み込んだ。

 そのときの加速のG(重力)の負担が体にかかり、まるで押さえつけられたように動けなくなった。

 眼を開けているのがやっとな状態で、外を見る余裕すらない。

「おらおらおらおらぁあぁぁ!!!」

 お兄さんは、先ほどとは性格が180度変わっていた。

 まるで、小さなネズミが大きな虎にでもなったかのような変貌っぷりである。

 今更ながら、私はこの車に乗ったことを後悔した。

 

 ああ……神様、どうか私達を無事に家に帰してください……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

STORY.4「エレメンタル・ファンシー・クロケット」

 

 終わることの無い地獄。

 私達姉妹は、どうやらとんでもなく間違った判断をしてしまったようだ。

 とっさの出来事だったとはいえ、助けを求めて乗り込んだ車が、まさか…『走り屋』の車だったなんて…。

 

 

キュアアァァァァァ!!! ガコォン!!

 

 

 ものすごいスピードでこの車…『ランチア・デルタ』は走っているはずなのに、黒い車…『ハマーH1』はしつこく追ってくる。

 お兄さんの運転テクニックは相当なものだと思うけど、それに粘り強く食らい付く向こうの運転手もすごいと思う。

「チィ……このままじゃあラチがあかねぇな……」

 お兄さんが、曇った顔をしてこう言った。

 私は、ふと目線をその横にやる。

 ラジカセの下に、大きくて黒い機械の箱が置いてあった。

 無線機だ。

 うろ覚えだが、たしかこの車の上に大きなアンテナが立っていたような気がする。

 ああ、この無線用のアンテナだったんだ。

 

 …………アンテナ……?

 

 そういえば……後ろのハマーにも、アンテナがあったような……。

 

 私は後ろを向いて、そのことを確認しようと外を覗く。

 予想通り、後ろのハマーにもアンテナが立っていた。

 これは、何とかできるかもしれない。

「お兄さん、この無線の使い方教えて!!」

「なっ、なにぃ!?」

「この無線で、後ろの車に呼びかけてみる!! 何で私達を追うのか気になるし」

「オイオイ……そりゃあ無茶だぜ……。第一向こうが聞いてくれるかどうか……」

 確かに無茶な考えではあるが、何もしないよりやってみたほうがいいと思った。

 私は粘り強くお兄さんを説得し、やっとのことで許可を貰った。

「しょうがねぇな……ま、向こうの正体も気になるしな……。許すぜっ!!」

「ありがとうございます!!」

 お兄さんは、華麗なハンドルさばきを私に見せつつ、無線の使い方を細かく説明してくれた。

 回線を開き、チャンネルを全周波にする。

「これで、向こうも拾ってくれるはずだ」

「ありがとうございます。じゃあ……やります……」

 私は大きく息を吸うと、無線のマイクに向かってこう叫んだ。

「子猫より黒ハマーへ、聞こえたら応答してください。子猫より黒ハマーへ……」

 何回も何回も、同じ内容で呼びかける。

 相手の返事を待って、何度も何度もマイクに向かって繰り返す。

 妹の凛とシーが、不安げに私の顔を見ていた。

 

 

ピピッ、ピピッ!

 

 

 そのとき、無線の受信を知らせる音が鳴った。

 私は急いでマイクを取り、回線を開く。

『わざわざそっちから呼びかけてくるとは、驚いたぜ』

「あなた……ハマーのドライバーね」

『ご名答。餓鬼は頭が冴えてるねぇ……』

 その声は自信たっぷりで、余裕綽々といった感じだった。

「質問よ。なんで私達を追いかけてくるの? 何が目的なの?」

『別にお前らが目的じゃないさ。俺が欲しいのは、そこにいる黒猫だ』

「えっ!?」

 私は驚いて後ろを振り向いてしまった。

 シーは、凛の腕の中でまだ怯えていた。

「なんでシーを欲しがるの?

『へぇ、シーって名前なのか…』

「質問に答えて!!」

 気付けば、私は怒鳴っていた。

 今まで溜まりに溜まっていたストレスが、爆発限界である。

『……分かった、教えてやろう。実はそのシーは、ただの猫じゃない。

様々な動物の遺伝子を猫のDNAに移植して誕生した遺伝子キャットだ』

「遺伝子…キャット…」

『世界に立った一匹しかいない猫でねぇ、それをある組織が盗んで運んでいたわけ。

でも、輸送中にその車が事故ってそいつが逃げ出した。そして、今に至るって訳だ』

 私は、シーに出会った日のことを思い返していた。

 そういえばあの日、通学路で事故があって通れなくて裏道を使ったから、シーに出会ったんだ。

 そうか……事故を起こしたのは、シーを運んでいた車だったんだ。

 まったく関係ないと思っていた出来事が、一本の線で繋がった。

『さぁて、おしゃべりは終わりだ。力ずくでも、そいつを渡してもらうぜ!!』

 

 

ガッシャアアァン!!

 

 

「ああぁっ!!」

「きゃあぁ!!」

 黒いハマーが猛然と体当たりを仕掛けてきた。

 今までのよりも衝撃が強く、恐怖感が増した。

 凛は涙目で体を震わせて、それでもシーを腕の中で守っていた。

『ヒャッハッハッハ!!  終わりだァ!!』

 ハマーが一旦後ろへ下がって、加速をつけてこっちに突っ込んできた。

 さすがの運もここまでかと、諦めかけた。

 だが、お兄さんは諦めるどころか、顔に笑みを浮かべていた。

「残念だったなぁ……終わりなのはお前のほうだぜ」

『な、ナヌ!?』

「運転中は、ちゃんと前見て運転しろって、ね!!」

 

 

キィ--------------!!

 

 

 お兄さんは思いっきりブレーキを踏み込んだ。

 ランチアは減速し、その横を猛スピードでハマーが通り過ぎた。

 その進行方向には、大きな左急カーブが待ち受けていた。

『っ……ぎゃああぁァああアアァあああああ!!!』

 

 

キィイィ------------!! ………ドガッシャアアァァアアァァァァァン!!!!

 

 

 ハマーは急ブレーキをかけたが、スピードはそのまま、ガードレールを突き破って奥の廃屋へ突っ込んだ。

 黄色い砂煙が辺りに舞い上がり、視界が妨げられた。

「ハァ……ハァ……」

「り、凛……大、丈夫?」

「う、うん…生きてるよ」

「シーは?」

「大丈夫、怪我もしてない。みんな、無事だよ」

 私と凛はすぐさま車を降りて、目の前の光景を見た。

 砂煙が治まったその場所には、無残にもひしゃげたガードレールが散乱し、幾つか車のパーツっぽい物もその中に見て取れる。

「痛ぇ〜〜……もう二度とこんなことやらねぇぞ」

 数分遅れて車内から出てきたお兄さんが、頭を抑えながらそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

EPILOGUE.『事件後…・・・』

 

 あの事件の直後は、周りがもう大騒ぎだった。

 あの後すぐに警察の人がたくさん来て、私達はいろんなことを聞かれた。

 犯人についてだとか、なんで追われていたんだとか、とにかくいろいろ聞かれた。

 そうしているうちにお父さんとお母さんが現われて、私達を抱きしめた。

 私は、心配かけてごめんなさい、と両親に謝った。

 

 お兄さんは、事情聴取ということで警察の人と一緒に警察署へ行った。

 去り際に、私達に向かって親指を立てて笑った。

 私も、同じポーズで返した。

 お兄さんは、今でも走り屋をやめていないらしい。

 この前は赤いフェラーリに勝ったと、本人から手紙が届いた。

 

 シーは、幸いにも遺伝子キャットということがバレず、今でも家で暮らしている。

 肩の傷もすっかり完治し、今ではもう傷跡すら残っていない。

 最近では、居間で座ってテレビを見ている。

 釣り番組が、お気に入りらしい。

 

 

 

「お姉ちゃ〜ん!! 置いて行っちゃうぞ〜〜!!」

「コラッ、姉を置いていくな〜〜!!」

「にゃ〜!」

 今日も、私と凛の2人でシーの散歩をしている。

 そよ風が涼しく吹く歩道を、シーのぺースに合わせてゆっくりと歩く。

 目の前を歩く凛とシーを見つめながら、私は笑って付いていく。

 シーを抱き上げ、楽しそうにはしゃぐ凛の姿を見て、私はあることを思い出した。

 事件が解決したあの日、凛は私に言ったこと。

 それは……。

 

 

 

 

“今度は、お姉ちゃんが私達を守ってくれたみたいに、私がシーを守るんだ!!”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                       筆者  コードネーム「ビスマルク」

                                                 〜END〜