C」


 窓の外。4月の黄色い陽光の下、桜の花びらが舞っている。
 風に乗って踊り、輪を描いて回る桃色の妖精を引き立てるかのように、蝶がヒラヒラと飛んでいた。
 次々に咲き始めた花壇の花を眺めながら、どの花の蜜を吸おうか迷っているのだろうか。
 1匹の蝶が花壇にある赤い花に降りる。
 蝶は花に止まったまま翅をゆっくりと開いたり閉じたり…その様子は、まるで蝶が蜜の味を満喫しているかのようにも見えた。

 桃色の桜、黄色や白色の蝶、赤色や橙色の花、緑色の草。
 窓の外にあるのは、誰が何と言おうと暖かな春の情景だった。
 そんな情景を見て、今の私が思う事はただひとつ。

 ――眠い。

 暖かな4月の陽光も窓の外で踊る桜の花びらも咲き誇る花々も萌える草の緑も、私にとっては自分を心地よい眠りに誘う催眠術でしかなかった。
「ふわぁ…ぁふ」
 情けないくらいの大きな欠伸が出てしまう。
 そこ、はしたないと言うなかれ。
 始業式が終わり、明日から再び学校生活が始まるのだ。
 今のうちにこうやって鋭気を養っておかなければ、こうやって学校に来る事すら止めてしまうかも知れない。
 ……さすがにそれは冗談だけど。
「ふぁ……」
 あらら、油断していたらまた欠伸が…。
 2度目の欠伸はさすがに恥ずかしいので、一応は手で口を隠しておく。
 やれやれ…どうやら今日の睡魔は一段と強力らしい。
 私の精神はことごとく睡魔に侵食されていき、自我は既に3%も残っていない。
 自我が必死に睡魔を押し返そうとしているのが分かる。
 だが、それは無駄だ。
 何故なら、私の体が素直に睡魔を受け入れているから。
 人類が抗う事の出来ない睡魔をもたらす暖かな陽光が、容赦なく私を照らし続けるこの窓際の席が半分悪い。
 残り半分は眠気を助長するような暖色のみで彩られる窓の外の情景が悪い。
 うん、私は悪くない。悪くない。
 ……よし、自己正当化完了。
「ふわあぁ……」
 と同時に、またまた口から漏れる欠伸。
 むむ。これは、休憩時間である今の間に眠っておいた方が良さそうだ。
 ホームルームまで眠っていてはシャレにならない。
 まあ…始業式当日のホームルームなんて、一緒に渡されるプリントを見れば事足りるような連絡事項しか言わないだろうけど。
 私は時計に目を向ける。
 ホームルームが始まるまではあと5分。

 …………。

 ……5分でどうやって眠れってのよ。

 私は誰へともなく毒づく。
 どこぞの漫画にある時間の流れが遅くなる修業部屋じゃあるまいし、5分で十分な睡眠時間などとれるわけが無い。
 逆にそんな短い睡眠時間じゃ、かえって眠くなってしまうこと請け合いだ。
 ……仕方がないか。
「う〜ん…っ」
 私は欠伸を噛み殺しながら両手を頭の上で組み、大きく伸びをした。
 肩の骨がパキパキッと小気味良い音を立てる。
 眠る時間がないと分かれば、今のうちに出来るだけ睡魔を吹き飛ばすしかない。
 睡魔ちゃん、短い付き合いだったね。
 勝負とは常に非情なのだ。
 何の勝負かは知らないけど。
 私は頭の上で組んだ両手を離し、そのまま肩を交互にぐるぐると回す。
「うわ、女の子がそんなはしたない事をしちゃダメだよー」
 私の後ろから、間延びした女の子の声が聞こえた。
 私は上げた腕を下ろす。
「女の子が…っていうのは決めつけだよ。私は女の子らしい“おしとやかさ”っていうのは性に合わないの」
 そして、振り向きざまに一言。
 後ろに誰が居るかは分かっている。
「…そうかなー。理沙ちゃん、可愛いのにー…」
 そこには、私が予想した通りの子が眉をハの字にして首を傾げていた。
 肩まで伸ばしたふわふわの柔らかそうな髪の毛と、それを引き立てるように髪につけられた小さな赤いリボン。
 物静かそうな小さな口と、おだやかさと優しさを兼ね備えたような僅かに垂れた目。
 フリフリのドレスなど着せたなら、お人形として売られていてもおかしくないその外見は、彼女が“可愛い”と言った私なんかよりも数倍可愛らしい。
「……おだてたって何もでないわよ? それよりゆーりん、何か用なの?」
 目の前のお人形…もとい、“ゆーりん”こと野原由利(のはらゆり)に、私は尋ねる。
「あれー…? 私が用事があるって、何で分かったのー?」
 ゆーりんは十分に噛んだガムをビローンと引き伸ばしたような声で不思議そうに問い返した。
 別に用事があると分かって言ったわけじゃないんだけど。
 話しかけてきたからどうしたのかなー、程度で。
「まあ、女の勘ってヤツかな」
 答えようがないので適当に答えておく。
「そうなんだー、女の勘ってすごいねー」
 やけに感心しているゆーりん。
 いつも思うけど、ゆーりんってちょっとだけ浮世離れしてると言うか…ワンテンポ遅れているような、そんな感じがする。
「…それでさ、用事ってなに?」
 私は脱線しかけた話を再び線路に乗せた。
 このままゆーりんを放っておくと、用事とやらを聞く前にホームルームが始まってしまいそうだ。
「あ、そうだよー」
 ゆーりんはポンと両手を合わせる。
「すっかり忘れてたよー」
 ……話しかけた理由を忘れないでよ。
「あのね、理沙ちゃんを呼んでる人が廊下に居るんだよー」
 ゆーりんが廊下を指差す。
 私からは誰の姿も見えなかった。
「その人って、今そこに居るの?」
「今居るんだよー」
 私は再び時計に目を向ける。
 ホームルームまでは僅か3分だ。
「今って…残り3分しかないよ…?」
「でも、呼んでるんだよー…」
 ゆーりんの顔が僅かに曇る。
 そんな顔をされたって、時間が無いんだよー。
 …いけない、ゆーりんの言葉がうつっちゃった。
「…その人、何の用事か言ってた?」
 私は気を取り直して訊いてみる。
「…うーん、分からないよー。ただ“七海理沙さんを呼んで欲しい”って…」
 首をかしげながら、ゆーりん。
 ちなみに七海理沙(ななみりさ)とは正真正銘の私の名前である。
 少なくとも、私に用事があるような人は全く思い浮かばないんだけど…。
「…まあ、そこに居るんならさっさと行って確かめてみましょうか」
 悩んでいても仕方がない。
 私は自分の中でこう結論を出して立ち上がった。



 

 

 

 

 

私は暖かな日差しと春の景色から離れ、私を呼んでいる誰かさんのいる廊下へと向かった。

まったく、ホームルーム三分前に用事に来るなんて、用事があるならもっと早く来ればいいのに。

扉を通って廊下を見渡す。

廊下にはあまり人はいなかった。仲間と夢中になって話している男子、今頃になってやってきた遅刻ギリギリの人たち、誰も私を待っているようには見えなかった。

「理沙………ちゃん?」

聞きなれない、澄んだ声が後ろから聞こえた。

振り返るとそこにはやっぱり見慣れない、そしてきれいな女の子がいた。

肩ぐらいまで伸びていて、まっすぐでとても綺麗な黒髪。それをポニーテールにして、私たちと同じ制服を着ている。

私は見覚えがなかったけど、彼女の瞳は私に対して好意を持っているような光を持っていた。

「えっと…………どなたでしたっけ?」

思わず出た言葉だった。記憶力はずば抜けて良いわけじゃないけど、間違いなく彼女に会ったことはなかった。

向こうは何も言わず、ただこっちを見ている。

ありゃりゃ?会話が止まっちゃったよ。

私こういう雰囲気好きじゃないんだよね。

ショックで呆然としているのかな?いけない、こういう場合は私から話し始めないと。

私は気まずい雰囲気から逃れるため、もう一度彼女に話しかけた。

「え〜と………そうだ。あの、それで話って………」

言葉を続けることはできなかった。

その代わり、体に少しの衝撃と優しく包み込まれているような感触、そして黒髪の柔らかな感触を感じ取った。

そう、私は突然抱擁されてしまったのです。

最初は呆然としていたが、段々と状況を理解してきた私は

「ちょ、ちょっと、あんたいきなり何すんのよ!」

思わず大声が出てしまった。

周りにいた人たちが一斉にこちらを見る。一瞬時が止まる。しかしすぐに時が動き出し、周りの人たちが行動を始める。

一方私を抱きかかえている彼女はというと。背中に回している両手を離し、顔をこちらに向けている。

「久しぶりだね」

そして話しかけてきた。どうやら叫んだ事にあまり効果はなかったようだ。

久しぶりとか言われても、本当に誰だかわからないよ。

「すいませんけど、人違いじゃありませんか? 私全然判らないんですけど」

私は一生懸命今の私の状況を伝えようとしているが、向こうはというと

「本当に久しぶりだよね。もう十年ぐらい経つっけ?十年経つと見違えるもんだよねー。もうこんなに大きくなっちゃってさぁ。最初誰だかわかんなかったよ。それでさぁ………」

こっちの事など気にせず、興奮気味にまくしたてる。

ああっもう! どうして人の話を聞いてくれないの、この人?

「あのっ、ちょっと? ねぇ。もう……いい加減にして!!」

本日二回目の大きな声を上げる。

彼女はマシンガントークをやめ、きょとんとしながら私を見ている。今回は効果があったようだ。

「本当にわからないのよ、あなたが誰だか。悪いけど人違いなんじゃないの?」

本心からの言葉だった。

それを聞いた彼女はそんなにショックを受けていないようである。

普通友達にそういうこと言われたらショックだと思うけど。私がもしゆーりんにそういう風に言われたらショックだろうな。

彼女はそのまま固まっていたが、すぐに私に微笑む。

「じゃあ、これを見てもわからないって言える? 二人で半分にしたじゃない」

そう言いながら、彼女は首に提げているネックレスを取り出し私の目の前に出す。

「!?」

何の変哲の無い細い金色の鎖に下がっていたそれは、私を驚かせるには十分だった。思わず私は首にかかっているネックレスに触り、その所在を確かめる。そしてゆっくりとそれを取り出した。

細い銀色の鎖、それに繋がっている黄色く光る水晶。曇り一つないその黄色は光を受けるとさらにその輝きを増し、神秘的な光を放つ。何の加工もされていないその形は唯一無二のものであるはずだった。しかし…。

目の前の彼女が持つ物、それは私の持つ水晶と非常に酷似していた。いや、同じといっても過言でもない物だった。

もちろんこの水晶はそこらのアクセサリーショップで売っている物とは訳が違う。私が偶然山で見つけて持ってきた物だ。

自然界のものには全く同じものは無い。しかし彼女は、私のと全く同じものを持っていた。

呆然としながら私は、私の水晶と彼女のを見比べる。一方彼女は自信満々のような笑顔を向ける

「どお? 私の事思い出してくれた? この双子の水晶に見覚えない?」

見ることに夢中になっていたので、彼女の言葉は付近で話している人たちのざわめき程度にしか感じなかった。しかし『双子』という言葉だけは私の耳に入った。

「双子ってどういう意味よ? あなたこの水晶について何か知ってるの? あなたいったい……」

 

キ〜〜ン コ〜〜ン カ〜〜ン コ〜〜ン♪

 

待ってましたとばかりの突然のチャイム。

ええっ? もう時間なの?

気付くと二人の周りには誰もいなく、廊下の向こうから先生たちが歩いてくるのが確認できる。

「もう時間だね。話はまた今度ということで。それじゃあわたし、教室戻るね」

先生たちを見つめているわたしの後頭部に声をかけると、彼女は自分の教室に戻ろうとした。

「ちょっと待ちなさいよ!」

振り向きざまそう言い放ち、彼女を追おうとしたが

「こらっ、七海! どこに行くつもりだ。さっさと教室に戻らんか!」

先生の怒声に止められ、渋々私は追跡を諦めた。一方彼女は脇目も振らず教室に入っていった。

「2−Bか…」

彼女の入った教室を確認する。

彼女が一体何者なのか、なぜ彼女が私のと同じ水晶を持っていたのか。今はまだわからないけど、いずれはわかるよね

私はふと手に持っている水晶へ目を向ける。

光を受けた黄色の水晶は、いつもと変わらず神秘的な輝きを放つ。何年も持っているが表面に傷一つない。

私は首に鎖を通し水晶を制服の中に入れる。

誰もいない廊下を見渡し、私は自分の教室2−Dの扉を潜った。騒がしい教室をぬけ自分の席に座る。

担任が話を始める。

『新学期おめでとう』という声が聞こえたがそれ以降は覚えていない。私の頭の中にあったことは、彼女のこと、彼女が持っていた水晶、そして彼女に抱きつかれた時の感触、それだけだった。

いずれも謎だらけの事ばかりで、私には一体何がなんだかわからなかった。

窓に映る四月の暖かな景色を見つめ、私はまた睡魔さんとの決闘に臨み始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それでその後クマ先生、何て言ったと思う?」

机に広げた弁当もそこそこに、話を続ける。

「うんうん、それでそれでー?」

真剣にその話を聞き入るゆーりん。

ゆーりん、クマ先生の話なら耳にタコができるぐらい聞いてなかったっけ?

「そしたらあの人『そんな奴らは熊の出る山に置いてきぼりにしてやる』って言うんだよ? 絶対仲間の熊に襲わせるんだよ。わたし笑い出しちゃいそうになっちゃって………」

うちの学校の名物教師『クマ先生』について話している彼女―山神美咲(やまがみみさき)は今学期からうちの学校に転校してきた。

そして私に飛びつき、あの水晶を持っている子だ。

彼女は生粋の抱きつき魔らしく、授業が始まって最初のお弁当の時間、ゆーりんと二人で食べようとすると『私もま〜ぜてっ』と私の背後に抱きついてきた。

私とゆーりんが許可すると、彼女は目を丸くしてゆーりんにも飛びついてきた。ゆーりんも最初はびっくりしていたけど、まんざらでもないようで逆に抱き返していた。

それから普段は三人で食事をするようになり、私たち三人は普通に友達として付き合っている。

時の流れは速いものでもう四月の下旬。

桜の花弁を満開にしていた樹々も青々とした葉をつけ、その時とはまた違う美しさを纏っている。

あと一週間ほど気だるい授業を受ければ、みんなが待ちに待ったゴールデンウィークが始まる。そのせいか私の教室の雰囲気も緊張感が抜け、授業中も休みのことで気も漫ろだった。

例外なく、私とゆーりんもゴールデンウィークのことで頭が一杯。

でも美咲ちゃんはというと

「わたしはゴールデンウィーク始まってほしくないな」

そう言いながら顔を曇らせる。

理解できなかった。大抵の中学生なら喜ぶはずのゴールデンウィークを彼女は嫌がっている。

彼女は明るい顔しか今までしていなかったけど、このとき初めて暗い顔を見たような気がした。その顔はまるで、今生の別れをするような心痛な面持ちだった。

「どうしてー? いっぱいお休みがあって、好きなこといっぱいやれるのにー」

ゆーりんが彼女に顔を向けて理由を聞く。垂れ目が彼女の目を射抜き、理由を求める。

「えっと………それはね……。ゆーりんと理沙ちゃんにしばらく会えなくなるからだよ」

一瞬困惑した顔を見せる美咲ちゃんだったけど、すぐに笑いながら答える

「何言ってるのー。数日間だけだよー? ずっと離れ離れになる訳でもないのにー」

「うん……そうだよね。もう、わたし何言ってるんだろう」

頭の後ろをかきながらはにかんでいたけど、その笑顔は少し硬いような気がした。

その話題をもう終わりにしたかったのか、急に彼女は私のほうを向く。私は彼女が何を言うのか見当が付いていた

「それはそうとさー、理沙ちゃんいい加減私の事思い出したりしてない?」

ハア〜、また今日も始まった。

美咲ちゃんと一緒に食べるようになって、この言葉はもう挨拶代わりのようなものになってきている。

私は「思い出してない」と言いながら弁当の中身をあらためる。

「う〜〜ん、やっぱりダメか。自然な会話の後に、出し抜けに聞いてもやっぱり思い出してくれないか。あ〜〜〜!!」

頭を抱えて少々オーバ−リアクションな感じで頭を掻く。

私は嘘をついてそういうこと言ってるんじゃないんだから。それにその手に引っかかる人いないと思うよ。

「ゆーりん、ダメだったよ〜。思い出してくれないよ〜」

「おかしいなー。これなら思い出してくれると思ったのにー」

ゆーりん、お前もか……。

というより、ゆーりんが考えたのね。ちょっと納得。

二人は私に背を向け、話し込み始めた。大方作戦会議といったところだろう。

ゆーりんが何かを思いついたようで、耳打ちをする。

パッと明るい表情になると顔を上下に振る美咲ちゃん。どうやら作戦が決まったようだった

おもむろにゆーりんが話を始めた。

「そういえば、美咲ちゃんは理沙ちゃんとどんな事をして遊んでたの?」

自然なふうを装っているけど、不自然感丸出しなゆーりん。

なるほど、そう来たか。

「そうだね〜、何して遊んでたっけな〜」

両手を組んで考え込む美咲ちゃん。

要するに、過去のことを話せば、共通する出来事を思い出して彼女自身のことを思い出すってことだよね。

この作戦の成否は彼女の話す記憶と私の記憶が合致することにかかってくる。

私は彼女の言うことに耳を傾け、同時に子ども時代の記憶を呼び覚ましていた。

「実を言うとね、わたしと理沙ちゃんて一回しか会ってないし、一回しか遊んでないんだ。……ただ、わたしはすごく印象に残っているの。だから、理沙ちゃんも覚えているかなって……」

美咲ちゃんは遠い目をしながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。虚空を見上げる彼女の目には、きっとそのときの思い出が映っているのだろう。

彼女が見せる表情は優しいとは違う。たとえるなら母親が子どもに向けるような笑顔。

周りにあったほかの人の話し声や雑音がフッと消えていく。彼女の話し方がそうさせるのか、わたしの集中力がそうさせるのかわからないけど、彼女の話がとても聞きやすかったのは確かだった。

「それで、二人は何して遊んでたのー?」

ゆーりんが先を促す。彼女も真剣に聞き耳を立てていた。

「遊んだというより、森の中を歩いてたんだ。近くにある山でね…」

あの水晶は6歳のときに手に入れた。彼女と遊んだ時に水晶を手に入れたってこと? でも………

そんな事ありえない、そのとき私は一人だったってハッキリと言える。だってそのとき私は……

考えているうちに、彼女の饒舌は止まらず、山の中でしたことを語り尽くしていた。

「それでその水晶を手に入れた後、いろいろお話してたんだけど、気付いたら理沙ちゃん寝ちゃってたんだ。それでわたしは理沙ちゃんに膝枕してあげたの。あの時の寝顔、可愛かったな〜」

そんなことあったっけ?

私は自分の心に尋ねる。記憶の海を渡る私の心は、結局それを見つけることが出来なかった。

「それで美咲ちゃんは眠ったままで、私たちは朝までそのままで……」

 

えっ……。

 

「ちょっと待った〜〜〜〜!!!」

思考回路が停止しかけた頭が、口に大きく叫ばせる。

どうやら相当大きく叫んだようで、クラス内の人全員がこっちを見ている。

私はそんな事お構いなしだ。

「何言ってんのよ!! 私とあなたが、何!!?? 適当な嘘つかないでよ!!」

興奮気味の私が出す言葉にオロオロするばかりのゆーりん。一方美咲ちゃんはというと。

「嘘じゃないって本当だよ。確かにわたしと理沙ちゃんは………」

「アァ〜〜〜!! それ以上言うんじゃない!!」

周りの人が聞いている。こんなこと聞かれた日にゃ、わたしの立場ってものは〜〜〜!!

完全にパニックを起こしているはずの私の頭は周りの状況をいやに認知していた。

しかし私の頭の大半は彼女の突拍子の無い発言に対する怒りで占められていた。

「どうしてそんな嘘をつくの? そんなの誰が聞いてもわかる嘘じゃん」

「そんな事言われても…。だって……」

弁解しようとするが、私はそれを遮った。

「だってもかっても無い! ついでに言えば、あんたの話で私の記憶に当てはまるものは無かった!」

私の口撃は止まらない。まるで決壊したダムから流れる水のように止むことは無かった。その光景を呆然と見つめるゆーりんと美咲ちゃん。

「だいたい10年近く昔のことなんて覚えてないよ。それに今仲良くやれてるんだから別にいいじゃない! 別にそのときのことを憶えてなくても私たち友達なんだから。何でそんな嘘ついたの? どうして思い出さないといけないの!? 私にあなたの思い出なんて関係ない!!」

言ってやった。今まで溜まった疑問が口から飛び出して、胸の中がカラッポになった気がした。

少し満足気に渦中の彼女を見る。

 

あっ………。しまった…………。

 

カラッポになったはずの私の胸の内に、ドロドロとした重いものが流れ込んで私の胸を再び満たした。

美咲ちゃんは泣いていなかった。笑ってもいなかった。ただ呆然としているように見えた。

彼女の瞳は私の瞳を見据えている。いや、見ているように見えて、何も見えていないのだろう。

彼女の目を見るのが辛かった。けど離すことも出来ない。

だって、私が悪いんだから。

無言の時が流れる。時計の針が、いやに重かった。

 

「そう……だよね」

 

声が聞こえた。

か細い声だったけど、確かに聞こえた。

私はいつの間にか俯いていた頭を上げ、声の主を確かめる。誰だかわかっていたけど。

 

彼女は笑っていた。

 

何も無かったかのように

 

一点の曇りも無く

 

私はそれが、さっきより何倍も辛かった。

そんな風に笑わないでよ。そんな悲しい笑顔で笑わないで!!

彼女の笑顔が私の胸の内を掻き乱す。胸がちりちりと痛む。

「そうなんだよね。確かに今友達になれてるんだから、それでいいんだよね。何言ってたんだろ、わたし。今まで本当にごめんね、理沙ちゃん」

ハッキリとした口調で話しかけてくる美咲ちゃん。それはまるで、自分自身に言い聞かせるような口調だった。

返す言葉が無かった。あったのに言えなかった。

言っても、手遅れだとわかっていたから。

「そういえばわたし、やらなくちゃいけないことがあったんだ」

明らかな嘘。ここを離れがたいが為の嘘。

立ち上がりながら、あまり箸の進んでない弁当を片付ける美咲ちゃん。

謝りたい。一言『ごめん』って。今しかないんだから。でも……。

何に謝ればいいのだろう。

さっき言ったこと? それとも彼女のことを覚えていないこと?

『それじゃあね』という声が遠くから聞こえる。わたしの思考が停止し、口が開く。

「…………あ、…………」

まとまらない考えを巡らしても、言葉は見つからなかった。

そして彼女は教室から消えていった。

沈黙が続く。普通に話せる雰囲気ではなかった。

「理沙ちゃん、さっきのことだけど…」

ゆーりんが沈黙を破る。

言わなくてもわかるよ、ゆーりん。言い過ぎだってんでしょ?

「わかってるよ……」

素っ気無く答える。これ以上何も言いたくなかった。

「わかってないよ」

優しく、ハッキリとした否定だった。

彼女に、少し浮世離れしているいつもの雰囲気は無かった。優しげな目に強固な意志があった。

「美咲ちゃんが本当に嘘ついてるって理恵ちゃん本当に思ってるの?」

答えたくない。

それが私の答え。

「あのこと話していた時の表情見た?」

見ている。

嘘をついてる表情じゃなかった。とても幸せそうに、優しく微笑んでいた。

「私は、美咲ちゃんが嘘をついてるとは思わない。でも、今の理沙ちゃんも嘘をついてるとは思わないよ」

ゆーりんは言葉を続ける。私は何も答えない。

「だからもう一度、子どもの頃の思い出を細かく思い出してみない? もしかしたら何かあるかもしれないよー?」

そう締めくくり、微笑む。

いつもの口調に戻ったことと、さっきの微笑で雰囲気が少しだけ明るくなったことが唯一の救いだった。

私は少しホッとしながら、ゆーりんの言葉を反芻していた。

そうなのだろうか、でも私もそうであってほしいと思う。

さっきは嘘だと言ってしまったけど。今の私は………

「よしっ!」

決意を固めた私は彼女を見る。

「思い出してみるよ。思い出して見せる! 他ならぬゆーりんともう一人の親友の為だもんね」

決意を表明する私にゆーりんはパアッと明るい笑顔を見せてくれた。

「よかったー。じゃあ私、誰にも邪魔されないように見張ってるからねー。誰かが用事で来たら『理沙ちゃんは今瞑想中です』って言うのー」

瞑想中って……。まあいっか。

力説するゆーりんをよそに、目をつぶる。

そして私の記憶の中で最悪の部類に入るあの夜の風景に私を誘った。

 

 

 

 

 

 

 

 

五月とはいえ朝の空気はまだ寒い。ここが都会ではなく田舎だからそうなのかもしれない。

フェンスを抜け、重機のたたずむ通りを抜ける。

周りにならぶシャベルカーやブルトーザーに一瞥し、目の前にある山を見つめる。

あ〜あ、本当に潰されちゃうんだ、ここ……

青々とした葉をつけた木々が生い茂るこの山。長い年月を費やしてここまで育ったのだろうと容易に見て取れる。

温暖化を阻止する為に自然を大事にしようと言ってるくせに、山はどんどん崩していくんだもんなー。言ってることとやってること、全く逆だよね。

意味も無くどこかの誰かに毒づく。そんな事考えたことのない私でさえそう考えるほど、この山は自然に満ちていた。

歩を進め、山のふもとに立つ。日の光は当っているがまだ薄暗く、とても不気味だ。

こんなところに私は一晩過ごしたって訳か。弱冠6歳で。

いまさらになってだが、あのときの記憶がさらに怖いものになってきた。よく絶えたなっと自分で自分を褒める。

って、そんな事してる場合じゃない。急がないと家族が総出でやってくる。さっさとしないと。

そう思いながら一歩歩みを前に出し、山の中に足を踏み込む。

私は工事を明後日に控えている、祖父の家の近くの山の中に入っている。

今はゴールデンウィーク真っ只中、工事現場には誰もいない。

私はただ、山を登る。

なぜって? 『そこに山があるからだ』なんて言えればかっこいいかもしれないけど違う。

私は人のいるはずのないこの森で人を探してる。

ここは笑うところじゃないからね。ちゃんとした理由があるんだから。

いないと思うけど、もしかしたら、ここにいるかもしれない。すべてを説明できる人が。

あの時起こったすべてのことを………

 

 

 

 

 

あの記憶の中の私は不安や恐怖で押し潰されかけていた。

周りを見渡してもそこにあるのは木と暗闇。どこまで進んでも一向に進んだ気がしない。

太陽という存在が消え、月の光がすべてを照らす夜。しかし森の中は光の届かない闇と化していた。

暗闇の恐怖、孤独感、迷子の自覚、そして何より親のいない心細さが私を押し潰していた。

そしてそれを紛らわせる為に私は泣くという行為をしていた。

子どもの泣き声が周辺を覆い霧散していく。その大きな声は、この森ではひときわ大きく聞こえる。

やがて泣き疲れた私は泣くことをやめた。森はいつもの静けさを取り戻す。

しゃくりあげながら私は呆然としている。

歩きつかれた私は座り込んで歩こうとしない。

膝を引き寄せ、体を小さくし、顔をうずめる。

そして少しづつまどろんでいく。

こんな状況なのによく眠れるものだ。

いつもならこのまま朝を迎え両親に助けられるのだが、今回はなぜか違った。

ガサッ

後ろから音がした。

記憶が変わることなどありえない。ということは、これは忘れていた記憶?

飛び上がるように立ち上がる私。そして恐る恐る後ろを振り向く。

そこにいたものは…………

ここで記憶が切れる。というよりゆーりんに『授業が始まるよー』と言われ起こされた。

このときばかりはゆーりんを少し怨んだ。

その後何度思い出そうとしてもその先には行けなかった。

眠って夢を見たんだ、と言う人もいるかもしれない。実際私もそのときは半信半疑だった。

でも一つ確信があった。後ろにいたのは間違いなく人だった。

なぜかはわからないけど。

そしてこの山に人を探しに来た理由はもう一つある。

 

 

 

事の発端はゴールデンウィーク中。

私の家はいつもこの休みの間に祖父母の家に泊まりに行く。

いつもなら何も考えずに一日を過ごすが、今回は違っていた。

後ろの人がわからないもどかしさを覚えながら、私は両親達の他愛ない会話を聞いていた。

所詮私にはどうでもいい話だった。そんな事よりも自分のことを考え込む。

どういう訳か、ふと話題がこの山のことになった。

否応なく私は考えを止め、その話を聞く。もしかしたら何かわかるかもしれなかったから。

ハッキリ言って、あまり意味のない話だった。

私があそこで迷子になったときの話とか、もうすぐ切り崩されてしまうとか。

切り崩されると聞いて、正直せいせいしていた。忌々しいあの記憶の舞台がなくなるのだから。

この山の名前を聞くときまでは………

『わしとしては悲しいんじゃがなあ。あの美咲山がなくなることは…』

さらりと言われ、なかなか反応できなかったけど。本当に驚いていた。

私はおじいちゃんに詰め寄り話を聞いた。

話によると、この山は昔からその名で呼ばれ、そこの神様を祭る為に祠もあるとのこと。

私が助かった時にはその祠で神様に何度も感謝していたらしい。

しかし都市開発だかなんだかでそこにマンションが建つことになり、ゴールデンウィーク後半から切り崩されることになったらしい。

こんな偶然があるのだろうか。あの時一緒にいたと言う人の名前とそこの山の名前が一緒なんて。

でもなぜか、これで点と点が繋がった、そんな風に思った。

後ろにいる記憶の中の誰かさん、美咲ちゃんの話、山の名前。その三つの玉が一つの仮定という糸で繋がる様な気がした。

もしそうなら………

私はことの真偽を確かめる為、その山に行きたいと言ったが却下された。

工事中でフェンスを張り巡らしてあるし、子どもの時のこともあるからダメだというのが理由らしい。

しかしそんな事で諦める私ではなかった。

 

 

 

どれぐらい歩いただろうか。

少し息が切れ、汗ばんだ身体がそれなりの時間を歩いたと伝える。

少し息をつきたい衝動に駆られるがそれを無視する。

私に時間が無いことはあきらかだ。昨日のことを知ってる人なら、間違いなく私がここにいるってわかるだろう。

ふと私は歩くことをやめた。休むのではなく、周りの景色を見たくなったのだ。

あの時と全く変わりがない。

豊かな木々が生い茂り、風の囁きが聞こえる。違うのは周りに闇はなく、葉の間から流れる朝の光に包まれてること。

あの時遭難してなかったら、私はこの山が好きになってたろうな。

ここに来て考えが変わった。忌々しい記憶の眠るこの山を好きになるほどこの雰囲気が好きになっていた。

佇み、この雰囲気を味わう。

これって結局休憩だよね。

ふと後ろから風が吹き、私の背中を押す。その風は強くそして優しい風だった。

 

……思い出してくれたのかな? ……それともただの偶然?

 

霞がかって少し聞きづらい声だった。でもわかる、誰の声だか。

だって、ずっと声が聞きたかったんだもん。

「それなりにはね。でも、全部は思い出してないよ」

そういいながら私は後ろを向いた。あの時とは違い、恐怖は微塵もない。

「でも確信はあったよ。ここにいるって」

目の前の少女を見る

「ねえ、美咲ちゃん?」

普段の彼女がそこにいた。





「確信を持ったのは、おじいちゃんの話を聞いてからでしょ? それまでは全くわかってなかったくせに」

ぴしゃりと言い切られる。でもその言葉に非難めいた感じはなかった。

あれ? でもなんで………

「何でそんな事知ってるのよ? あのときは確かに………。まさか………」

私の頭の中にある想像が思い浮かぶ。

顔色を読んだのか心を読んだのか知らないが美咲ちゃんはニンマリ笑う。

「理沙ちゃんがこっちに来てからずっと見てたよ」

やっぱり。

ガックリとうなだれる。

「言っておくけどそれ犯罪だからね。ストーカーでつかまっちゃうよ?」

「いいの! 人間の法律にわたしは縛られないの」

人間の法律、か。

言葉尻を見逃さない。

「ということは、美咲ちゃんは人じゃないってこと? じゃあ何なの?」

彼女はしまったというような顔をして口を塞ぐ。

ほらほらそんな表情をしてたらみんなにばれちゃうよ。私しかいないけど。

何とかしてごまかそうと必死に言葉を考える美咲ちゃん。そんな彼女に間髪いれずに言葉を続ける。

「でも何だっていいんだ、ストーカーでも神様でも」

キョトンとする彼女。そして感謝の意味のこもった笑顔を見せる。

久しぶりに見た、彼女の本当の笑顔だった気がする。

「仮に神様だったとしても、私は絶対に拝んだりしないだろうね。こんな神様」

「あ〜〜〜!! そんな事言うと本当にバチ当てちゃうよ〜〜?」

茶化すような私の言葉にのってくる美咲ちゃん。

二回目の失言だったけど。とりあえずそっとしてあげる事にした。

「じゃあ、神様の美咲ちゃんなら私がここに来た理由ぐらいわかるよね?」

三回目の失言を狙ったけど、何も答えない。ただ微笑みを返していた。

急に向こうを向いて歩き出す。

数歩歩いた所で振り返り、私を見る。ついて来いということらしい。

昇りかけてる太陽が少しずつ光の降る量を増やしていく。

私は美咲ちゃんに導かれながら道なき道を進む。

道なき道と言うと少し語弊があるかもしれない。さすがはこの山の主といったところだろうか、まるで庭でも歩くかのようにサクサクと進んでいく。彼女にとってこれは道なのだろう。

私はそれについていくので精一杯。ここが山の何処だかさっぱりわからなかった。

「着いたよ。あの洞窟だよ」

指をさした所を見ると、小さな洞窟があった。

見覚えのあるようなないような、なんだか不思議な感じだった

洞窟に近づきながら美咲ちゃんが話しを始めた。

「わたしってここをずっと守っていて、友達なんていなかったんだ。でもある時ね、この山で小さい子どもが迷子になったときがあったの。泣き止まないその子をわたしはここに連れて来たんだ」

唐突な話で初めは何がなんだかわからなかったけど、段々と理解できてきた。その子が誰なのかも。

わたしは黙って彼女の話を聞くことにした。

「近くに人がいる事に安心したのかその子、泣き止んでくれたんだ。でもそのあと大変だったなあ、突然はしゃぎ出しちゃうんだもん。下手したらどこかに行って、また迷子になっちゃうんじゃないかってハラハラしちゃったよ」

申し訳なさに少し胸がちくりとした。

「わたしはその子を大人しくさせるためにあるものを渡したの。その子とっても気に入ったみたいで眠っちゃうまで手離さなかったっけ。それがこの水晶。もとは二つで一つなんだけどね。わたしはこれを『双子の水晶』って呼んでたんだ」

彼女が取り出す水晶を見て、徐にもう一つのそれを出す。

瓜二つのそれは朝の光を浴びて輝く。

「眠ったその子に膝枕をして、朝になって、両親が探しに来た。警察の人もいたみたいだったね。わたしは彼女を起こさないように注意しながら膝枕をといた。夢の時間はもうおしまい、最後にわたしはその子に半分をあげたんだ。水晶の半分を。それを見れば何時でもその子のことを思い出せるように。それでおしまい。ちょっとした昔話だよ」

そう締めくくると彼女はわたしの目を見つめてきた。これがそのときの出来事だよと言わんばかりだった。

そうだったんだ。

なぜか信じることが出来た。この山の雰囲気と彼女の話し方がそうさせたのかも知れない。

「そしてわたしは最後にその子に会いたくなった。最後の思い出を彼女と作りたかった。でも彼女は覚えてなかった、何も」

少しだけ雰囲気が暗くなった。

今なら言えるだろうか。あの時彼女に言いたかった言葉。結局いえなかった言葉。言うなら今しかない。

「そろそろ時間だね。戻ろっか?」

さっきまでの雰囲気を払拭する為か、軽く笑いながら歩き始めた。

ここでも言い出せずじまいだった。すぐに言えなかった事を後悔していた。

でも時間って何だろう?

上りも大変だったけど、下りはもっと大変だった。途中躓いたり滑りそうになったり、とにかく危険だった。

そんな私を先行する美咲ちゃんは時々後ろを振り返り『大丈夫?』などと声を掛けてくれる。私は強がって『大丈夫だよ』と言いながら、四苦八苦していた。

今日の教訓決定。『山は登るより下るほうが大変』うん、今日はなかなかいい収穫だったかもしれない。

登山番組を見たときは画面に映る登りの場面だけではなく、下りのほうの大変さを考えながら見よう。

あれってさ、登ってるレポーターより、付いて行くカメラさんのほうが大変だよね。まあ、どうでもいいけど。

いつの間にか私たち二人は山の麓に着いていた。重機の並ぶ向こうから私を呼ぶ声がする。どうやら両親のようだ。

「とりあえず間に合ったね。よかった」

時間ってそういうことだったんだ。ちょっと驚いた。

「これでお別れだね。名残惜しいけど」

そう、これでもうお別れ。これから先、おそらく会うことはない。いや、間違いなく。

そう思うとなかなか前に進めない。

互いに何を言えば良いかわからず、気まずい沈黙が流れる。

すると突然

「その子は何も覚えてなかったけど、私はうれしかったよ」

えっ!?

名残惜しそうにしている私に話し掛ける美咲ちゃん。

「だって、そんなよくわからない私を友達として迎えてくれて、こんなとこまで会いに来てくれたんだもん。本当にありがとね。理沙ちゃん」

そう言いながら私のことをギュッと抱きしめる。いつも嫌がっていた私でも今回は嫌がらず、お返しとばかりに抱きしめ返す。

いつもなら暑苦しさしか感じなかったそれも、今なら優しさと幸せをかみ締めることが出来る。

「私こそごめんね。美咲ちゃん」

やっと言えた。やっとごめんって言えた。

私が彼女に言った事、覚えていなかった事、それすべてに対しての謝罪だった。

「あっ、そうだすっかり忘れるところだった」

パッと抱擁をといて身体をまさぐりだす。そしてその手にしたものを

「はいっ、これ持って」

私の手に握らせる。そっとそれを見る。

輪になった金色の鎖。そしてそれに繋がる双子の片割れ。

「ダメだよ。だってこれ………

一瞬で判断した私はガバッと前を見る。

そこにいたはずの彼女はいなかった。

まるで彼女が煙や風にでもなっていなくなったようだった。

どこからか霧がかった声がした気がする。

 

それを今の理沙ちゃんの一番の親友に渡してあげて。きっと喜ぶと思うから。

 

優しい声だった。私は無言で頷く。

わかった。一番の親友に渡すね。最後に………

 

ありがとう。そして、さようなら

 

私は森を出た。五月の太陽の光が私の頭を照らす。

フェンスの向こうで憤慨して待ってる二人がいる。キッと睨んで私を見逃そうとしない。

私はその後一時間こってり絞られることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山神美咲? うちのクラスにそんな名前の生徒はいないぞ。何か勘違いしてるんじゃないか?

なんとなくそんな気がしてたけど、やっぱり誰も覚えてないか。

ゴールデンウィークが終わり、気だるい授業が始まる。世間では五月病が発症するこの時期、私は彼女のいない学校に違和感を覚えていた。

一応彼女がいたクラスの担任に聞いてみたが案の定。

この世界から彼女の存在は消えていた。私の心の中以外は。

ふわああぁぁ……

うーー、やばい。少し眠くなってきた。

相変わらずこの席の催眠効果は抜群だった。ここに座ってれば五分ぐらいで寝れるかも知れない。

なんならここで商売でもするか。

この席でのお昼寝、30分300円。悪くないかもしれない。

うっ、段々視野が狭くなってきた。まっ、まぶたが閉じる!

首を左右に振り、誘惑を断ち切ろうとするがあまり効果がない。

しょうがない、アレでもやるか。

腕を組んで頭の上で伸ばす運動。これぞ眠気を吹き飛ばすリーサルウエポン。

そして、立ち上がり両手をぐるぐる回す。

このコンボに耐えられる睡魔はいまい。私の完全勝利だ。

いつもならこんなことをしてる間に………

「おはよう理沙ちゃん。さっきまで睡魔と闘ってたのかなー?」

やっぱり来た。

「まあね。こうでもしないと、睡魔に負けちゃうからね。それはそうとして、久しぶり、ゆーりん」

何一つ変わらないいつもの風景だった。彼女がいてもいなくてもこの世界は普通に回っている。そう実感した。

何気ないゴールデンウィークの土産話の中で、私はタイミングをうかがっていた。

「あのさっ、お土産ってわけじゃないんだけど。プレゼント! はいっ、どうぞ」

不自然感丸出しだったけどとりあえず受け取ってくれた。

あとはゆーりんがあれを………

あ〜〜〜〜〜!!

少し間延びした驚きの声が考えを中断させる。

「これって理沙ちゃんが持ってるやつだよねー? くれるのー? ありがとー」

「偶然もう一つ見つかってね。これで、二人でお揃いだよ」

「一生大事にするねー。本当にありがとー」

そう言いながら銀色の鎖に繋がる黄色の水晶を見つめるゆーりん。

その光景を微笑ましく思いながら、自然に手がもう一つの水晶を掴んだ。

ちょっと約束とは違うけどこれでいいよね?

金色の鎖で繋がるそれに話しかける。答えがないのは分かってる。でもそうしたかった。

こうした方が、忘れないかなって思ったんだけど。どうかな?

水晶を取り出す。いつもと変わらない輝きがそこにあった。

チャイムが鳴り、担任がやってきた。

担任の話をそこそこに太陽の光を水晶に通す。

明るい黄色に光が通り、机に黄色い光が映る。

 

 

忘れないよ。みんなが忘れても私は絶対忘れない。これを持ってる限り。いつでも思い出せると思うから。

だからそっちも覚えてて。ここに美咲ちゃんの親友が二人いるって。

いつかさびしくなったら、このクリスタルの光を頼りに遊びに来てよね。

いつでも大歓迎だよ。

三人なら何しても楽しいはずだよ。

 

 

 

 

FIN