7th 』

 

 

 電車のドアが開き車内は本来の季節を取り戻した。

 冷房で無理矢理冷やされた車内の空気が我先にとドアから飛び出し、かわりに熱を帯びた外気が次々に電車に乗り込んでくる。

 このような場所に居なければさえ常に私に纏わりついて離れない熱気ではあるが、徐々に冷房に慣れはじめていたこの体には少々辛い。

 車内に僅か残る冷気が恋しくて、このままここで涼みたいという悪魔のささやきが脳裏をよぎる。

 だが悪魔が私を誘惑するその前に、下車せんと乗降口に迫る人の波にのまれ、私は電車から搾り出された。

 睨みつけるような視線をこちらに向けつつ、いかにも“上司にこき使われてストレス溜まってます”な顔つきをしたサラリーマンが私の横をすり抜け、早足でホームを歩いてゆく。

 乗降口の前に居座っているのはさすがに迷惑だったか。

 私は電車から離れるように歩を進める。

 先程出て行った冷気がこの辺をうろついていても良いものだが、あれほど私の身体に馴染んでいた空気は薄情にも私を置いてどこかへ行ってしまったらしい。

 次に会った時は人との関わりを大切にするよう言い聞かせなければ。

「……………」

 頭に浮かんだくだらない思考に苦笑する。

 どこかネジが外れた思考を脳から追い出すように嘆息してみるが、それは蒸すような空気に侵され、不快な風を外界へ送るに過ぎなかった。

 9月。

 夏も終わりだというこの時期に、太陽はこれでもかとばかりに未練がましく光を投げ込んでいる。

 まるで在庫が余った夏物の服を破格で売りさばくような大盤振る舞いだ。

 ………迷惑な事この上ない。

 ホームを守るかのように長く伸びる屋根のおかげで太陽の光を直接浴びる事はないものの、真夏の太陽と風がもたらす熱風は屋根などものともせずに私の身体へと纏わりついている。

 ただその場に立っているだけで、不快な汗が肌を滑っていった。

 私はポケットからハンカチを取り出し、額にあてる。

 ハンカチはみるみるうちに湿り気を帯びていく。

 ちょっとでも絞れば溜まった汗が滴り落ちそうだ。

 

 ――暑い。

 今さら言うまでもないが、暑い。

 

 私はすっかりびしょびしょになってしまったハンカチを折りたたみ、ポケットの中に入れる。

 

 ――が。

 

「………?」

 ポケットに入れた手に違和感を感じ、その正体を引き抜く。

 私の手にあるのは小刻みに震え続けている携帯電話。

 電車に乗ってからマナーモードに設定したまま解除するのを忘れていた事を思い出した。

 私は折りたたまれた携帯電話を開き、そのディスプレイを見る。

 無機的に並ぶ、11桁の数字。

 

 私は溜め息を一つ吐き、

 

 ――ピッ

 

 電話を切った。

 

 …彼女か。

 もう一度溜め息を吐き出す。その時、不意に立ちくらみが私を襲う。

 次の瞬間には目の前が真っ暗になり、上下感覚が無くなった。

 数秒後だろうか、闇がはれる。

 …暑さでどうかなったか?

 目の前は薄暗い。ふと見上げれば月がある。

 まさに、夜だ。

 だが、それだけでは無かった。ふと思えば月明かりにしてはやけに明るく感じる。

 空に、幾本もの光の線が入っていた。

 それに視界がぼやけて上手く周りが見えない。

 ただ、2つ人影があるのはわかった。

 …誰だろうか。

 少し暗い予想が湧く。

 2人が口を開く。

 

「――――」

「――――」

 

 聞こえない。

 

 再び目の前が真っ暗になる。

 次に視界がはっきりしたときには、駅のホームにいた。

 電話がきっかけとなったか、思わぬものがフラッシュバックしたように思える。

 …またか。また『あの光景』だ。

 2つの人影には心当たりがある。だが…

 …とりあえず別のことでも考えよう。

 しかしこの暑さではなかなかいい考えは浮かばない。

 駅で突っ立って考え事、という相当怪し気な光景ではあったがやがて1つの考えが浮かんだ。

 あぁ、これでいこう。

 …そもそもなんで高校生のうちから通勤ラッシュに巻き込まれなきゃならないんだ?

 …何度目だろうか、これは。2度ネタは止めたほうがいいと思うが…、ダメだな。他に浮かばない。

 自分の選択が原因であることは理解はしていた。

 電車での通学が大変なことも承知の上のつもりだったが、通勤ラッシュは完全に計算外だったと言って良い。

 再び溜め息が出そうになる。

 右手に硬いものを感じたことに気付くと同時にやっと思考の渦から抜け、溜め息を吐いたあとの顔と共に視線が下へと向かう。

 右手が震えていた。

 中に携帯電話を持った手が、小刻みに震えている。

 着信などの震えではない。

 携帯電話をずっと、強く握りしめていた。

「…………」

 うんざりしたような目線を向けてから、機械的な動作で携帯電話を折り畳み、ポケットへしまった。

 そして、歩くのを再開する。

 そのはずだった。

 携帯電話を持つ右手はポケットへ半分入った状態で止まっていた。

 いつの間にか出口へと向かっていたはずの歩みも止まり、無人に近い状態となった駅のホーム。

 そこで一人、立ち尽くしていた。

 脳裏にふと言葉が浮かぶ。

 

 …本当にそれでいいのか?逃げ続けていいのか?

 

 いいんだ、そう…それしか…

 

 …本当に?

 

 ああするしかなかったんだ。

 そうだ。

 

 …逃げ続けていいのか?

 

 もう、考える余地なんてない。

「それしかないんだよ!」

 やけに響いた声、私にしては珍しく感情をむき出しにした声。

 私自身が驚く程だったが…動くきっかけにはなった。

 今度こそ携帯電話をポケットへとしまいながら足早にホームを立ち去る。

 

 −−もう、会えないんだ。会うわけには−−

 

 

/

 

 

 太陽が少し昇り、昼食休みと思われる時間になったころ通勤ラッシュで列車内にすし詰めにされた人間と思われる一人、つい最近どこかで見たようなサラリーマン風の男性が会計をすませ、店を出た。

 その証拠、というにはずいぶんといい加減だが彼の服装はだいぶ乱れている。きちっと整えたと見える襟元はひっくり返ったも同然の状態だ。

 クール…なんだったろうか、ネクタイは胸元に存在していない。

 そんなことに思考を巡らせつつ、改めて昼とは思えない此所の暗さに目をやる。

 この店は郊外の四階建ての建物の四階、その割に、最上階にあるとは思えないほど光は入って来ない。

 都心にありがちな『日当たりバッチリのはずが高層建造物のせいで影になっちゃいましたエリア』が何故か郊外で実行された面白い例だ。

 …笑えないな。

 などとツッコミつつ、私は店を見渡した。

 この店は決して広いわけでもなく、せいぜい普通の部屋の2倍くらいの広さだろうか。

 テーブルなども多々あり、歩ける場所はかなり少ない。

 そんなこともあってか暗い店内はニス塗りされて焦げ茶色に近い床に椅子、テーブル、カウンターが所狭しと並んでいて、暗めの配色がさらに暗さを呼ぶと言う連鎖に陥っている。

 木製の壁にはマスターの写真だろうか。数枚貼ってあり、木と木のすき間として縦の線がある。

 天井では換気扇が緩やかに回り、それとマスター以外に動くものがないのが店をより殺風景に見せている。

 

 時間が止まったような場所。

 

 これが、私がこの場所を好きになった理由かもしれない。

 そんなようなところが、この店、『Courage』だ。

 ふと周囲を見渡すともう店内にはマスターと私だけになっていた。

 改めてマスターを見る。珍しくずいぶんと軽装だ。

 店を管理しているとは思えない私服、白のシャツに黒のジャケット。

 右腕には何やらアルファベットが4文字ほど刻まれた小さな腕輪が付いていた。

 ちなみに、余談だが冗談とギャグが大好きな人だ。

 そんな人のもとによく行っているからか、私は割と『ツッコミが厳しい』部類、らしい。

 ……私としてはそんな自覚はないのだが。

 何気なく向けていた視線に気付いたのだろうか。今まで皿を洗っていたマスターの顔が不意にこちらを向く。

 ……いや、反対を向いていたのに視線に気付くわけが…。

 こちらの疑問を知ってか知らずか、マスターはこっちをはかるかのような視線を向けてくる。

 何だろう。

 視線は緩やかに私を上から下まで見ていく。

 何故だろう。

 マスターのそんな視線を受けてか、体が微かに強張った気がした。

 視線が私の身体をちょうど上下に眺め終わった時、マスターがずいぶんと高い拍子の抜ける声で

「お前さんもずいぶんここに入り浸るようになってきたなぁ?」

 それはイコール学校行ってません宣言にも他ならないわけだが。

「ここの空気は…合うんですよ」

 その言葉にマスターの視線は少し周囲を見渡し、それからどこか遠いところを見るように動いた。

「そろそろ初めて来てから…確か1週間後の水曜日で1年ってとこか。お前さんが初めて来たときのこと…今でも少しも薄れない記憶だな…」

 微かに胸の奥が重くなった気がする。

「最初は自分の名前すらわからなくなるぐらいパニック状態だったからな…」

 その辺りは微妙に思い出したくない…気がする。

 するとマスターは微笑みながら一言。

「今、自分の名前言えるか?」

 椅子から落ちた。

 狭い店の中に私が椅子から落ちたときの鈍い音が響く。

「…マスター…冗談きついですよ…」

 床に打った部分をかばいながら再び椅子へと座る。

 見れば、マスターは爆笑、という表現が似合う笑い方をしていた。

「はっはっは…いや…まさか椅子から落ちるとは…」

 つい「笑うなァ!」とツッコミたくなるが抑える。

 だが…実際にあの時は名前を言えなかったらしいので仕方ない。

 あまりその瞬間は記憶に無い。

 その割に、思い出したくない。

 ……覚えていないことを思い出したくないとは…。

「まぁ…今は言えるだろうな、しっかり麻生和馬(あそう かずま)ってな」

 マスターは笑いから不意に表情を変えた。

「今は…どうなんだ?」

 私はひざに乗っている手に力を込めて抑えた。

 そうすることで店から飛び出したくなる衝動を辛うじて抑えられたからだ。

「今も…です。『あの光景』を初めて見た一年前から…だんだん間隔が短くなって…少しずつ画像が鮮明に…」

 私はそこで溜め息をつく。

「それに…今日もありました。」

 マスターは目線を外して一息つき、聞いてきた。

「そうか…。あの子はどうした?」

 私にとって最も聞きたくない質問でもあった。

 なるべく感情を殺して言う。

「通院…してるみたいです」

「…最近…会いに行ってるか?」

「…いいえ。…もう…会えませんよ」

 そう言ったにもかかわらずマスターはその後もやけに詳しく質問をしてきた。

 普通に生活するのに支障は無いのか、連絡は取れるのか、など。

 一応メールで知っていたので答えられる範囲で答えた。

ちなみに…返していない。

…マスター、何故いきなりこんなことを?

質問1つ1つに答える度に、私の心は重くなっていく。

マスターならわかっているはずだ。

だが、7回目の質問でついに心の限界へと達した。

…もう…ダメだ…。

「すいません、そろそろ…帰ります」

 その言葉にマスターはわずかに表情を曇らせたが

「ああ、悪かった、聞き過ぎたな…気をつけて帰れよ」

 軽く会釈をして、後はもう駆け出す。

 4階分の階段を一気に駆け降りていく。

 途中で青いフードを被った人にぶつかったが、「すいません」とだけ言い、駆け続けた。

 

 

/

 

 

 季節がわからなくなるような陽射しの中、私は走り続けた。

 しかし、残暑厳しい暑さの中、そう長くは走れない。

 ついによろけ、座り込んでしまう。

 …もう…動けないな…。

 ここまで来て自分の日頃の運動不足に気付く。

 …意外と長い距離を走った…というのも…あるか。

 走った距離はわからない、というのは秘密である。

 ついによろけ、座り込んでしまう。

 こうしてみると自分の息遣いがよく聞こえる。

 …これからどうしたものか。

 正直な話、無意識で駆けてきたためにどこへ来たのかあまりわかっていない。

「無意識で来てしまった場所…か」

 そこはあまり大きくはない丘のふもとだった。

 周囲には少し紅葉の雰囲気を出している木々もあったが、あまり秋の季節を感じさせるものは無く、あまり勢いで来るような場所とは思えない。

 …ただの偶然と考えることもできる。でも私の心がこの場所に惹かれ、導いたとも…思える。

 私の妄そ…いや、思考が動き出したということはそろそろ…動けるか。

 ゆっくりと立ち上がる。

 周りはマスターの店辺りの周辺よりも都会を感じさせなかった。

 …都会の喧噪から…逃げたかったのだろうか。

 そう思うとつい足から力が抜け、丘へと倒れ込んでしまう。

 目蓋が少しずつ落ちていく。

 何やらこっちへと走ってくる人影が見えた。

 しかしその人影を誰かと特定する間もなく、私は眠りへと落ちていった。

 

 

/

 

 

 目の前は、真っ暗だった。

 にもかかわらず意識だけははっきりとしている。

 自分の身体だけはっきりと見えた。

 闇に、真っ暗な闇に、自分の身体が包まれている。

 右手を握ってみる。

 何も感じなかった。

 …感覚が…無い?

 声を出してみるが、聞こえず、何も匂わず。

 少しためらったあと、周囲を見渡す。誰も見ていないことを信じて右手の人指し指を口へと近付ける。

 そしてもう一度周囲を確認したあとに指をなめてみるが、

 …何も…感じない。

 自分は指を本当になめたのだろうか?

 そんな疑問すら生まれてしまう程だった。

 ただ、事実は1つだった。

 視覚以外の五感は無い。

 その事実を受け入れたと同時に、闇が少しずつ退いていく。

 それは、『あの光景』だった。

 

 空には月が。

 周囲にはよくわからないが幾本もの光の線が。

 …?

 ただ、今まで見た光景とは少し違った。

 …視界が…少しだが…鮮明になった?

 今までも少しずつ鮮明にはなっていた。

 しかし今回は…

 ……わかりやすい。

 空に浮かぶ月は、その模様が見える程だった。

 2つの人影が立つ場所は、丘のように見えた。

 2つの人影の間には、小さな切り株があった。

 その2つの人影の内、小さな方は少女だった。

 その2つの人影の内、大きな方は少年だった。

 人影の、顔までもがはっきり見えてしまった。

 大きな人影の正体は紛れも無く、自分だった。

 小さな人影の正体は…

 

 不意に視界がぶれる。

 …何だ!?

 再び映像へ闇が入る。

 数秒後、闇が退いた。

 そこはもう、自分が寝転んだ丘のふもとだった。

 ……今回も、終わったか…。

 今まではただ、心を締め付けていた『あの光景』も、今回は色々とわかったこともあった。

 …『あの光景』も丘。

 たった今、私が寝転んでいた場所も丘、か。

 一瞬同じ場所なのだろうかと思い至る。

 だが次の瞬間には自分でそれを否定していた。

 …それはあり得ない。

 あれは…あの過去は…。

 あれから少しずつ鮮明になっていく『あの光景』

 そこで溜め息が出る。

「…考え事、終わった?」

 不意にかけられた声に私はつい飛び起きていた。

 寝転がった格好から勢いよく上半身を起こす。

 すると、その眼前には少女の顔があった。

 間近に。

 鼻と鼻がぶつかりそうな距離。

 足を伸ばして座っていた私の目の前にはしゃがんでいる彼女。

 お互い何も言わず、数秒の硬直。

 そして、

「…ぅ…うわっ!」

「…ぇ…」

 私は上半身を起こしたままの体勢で器用に手足を使って後ずさった。

 上手く声が出ない。

「…な…な…何で?」

 それと同時に彼女も飛び退る。顔が真っ赤だ。

「…ぁ…なな…何でも」

 上手く伝わっていないようだ。

 それにこっちも相当慌てていた。

 一年ぶりに会った『彼女』。

「何で…友季がこんなところに?」

 彼女は土屋 友季(つちやゆうき)。

 赤が混ざった顔の横では肩ほどまでの髪が風に小さくなびいている。

 可愛らしい、と部類されるのだろう。

 ……確か…人気者だったな。

 男子にも女子にも、という辺りがなんとも。

 そんなときにもおろおろしていた友季は

「あの…その…あれ!」

 と言って、1つの建物を指差す。

 病院だった。

 あぁ、そうだ。

 彼女は通院生活を送っているのだった。

 ……ついうっかり…。

 頬をかきながら見ると彼女はうつむいていた。

「だ…だって…メールも電話も出てくれないし…一年ぶりの再会だって言うのに…久しぶりー。とかも言ってくれ…ぃ…」

 そう言って友季は悲しんだような動作をした。

 ちなみに後半は尻すぼみで聞こえていない。

 と、言うよりいきなり一人で盛り上がってしまっているように見えた。

 私は一時、再会の喜びに浸ったが、やがて1つの事を思い出した。

 

 −−もう…友季とは…会えないよ−−

 

「…ごめん」

 そう言って私は立ち上がり、再び駆け出す。

 目的も無く。

 ただ、

 ただ、彼女から離れなければと。

 一度だけ丘を振り返ると、友季は一人で立ち尽くしていた。

 そしてこちらを見ていた。

 足の動きが一瞬、遅くなった。

 脳裏に再びあの言葉が蘇る。

 

 …本当にそれでいいのか?逃げ続けていいのか?

 

 もう、振り返らなかった。

 身体は。

 ずっと、後ろを見ていた。

 心は。

 

 

/

 

 

 その日の夜、私はなかなか寝つけなかった。

 何故、あんなに驚いてしまったのだろう。

 『あの光景』とやはり関係あるのだろうか。

 覚えている限りの『あの光景』を思い出す。

 空には月があり、幾本もの光の線。

 そして、丘のようなところにいた、私と友季。

 友季は、紛れも無く、『あの光景』の小さな人影だった。

 『あの光景』を見た直後に張本人にいきなり出会えばいくら私でも驚くわけだ。

 と、私は一人で合点する。

 友季と最後に話したのは…というか、会ったのは約一年ぶりだった。

 一年前のあの日から、会っていない。

 確か夢には深層心理、すなわち無意識での考えが影響しているという話があったか。

 私は、過去の夢を見た。

 『あの光景』を初めて見た、あの日。

 2人で初めて出かけた、あの日の出来事を−−

 

 

 

 

 

/

 

 

 一年前の9月、私は友季と共に出かけた。

 雲も無く、良く晴れていた日の、夜だ。

 都会でも少し郊外ならば星がよく見える。

 私は最初、半信半疑だったのだろう。

 都会は都会なのだから星なんて見えないだろうという「はずれ」の気持ちと。

 友季の言う事なら当たっているのだろうと思っている「あたり」の気持ちと。

 その2つの気持ちが私を半信半疑という、やる気があまり出ない状態へとさせていた。

 そんな状態の私の心理を、友季の

「見れるといいね」

 の一言が完全に「当たり」の方向へと傾けた。

 それほどまでに、友季が好きだった。

 …しかし、言わなかったな。

 友季は私の気持ちは何も知らない。

 伝えなかったから。

 伝えようと思ったときには…私はもう…逃げていた。

 

 

 

/

 

 

 

 高校に入って一年目の秋のこと。

 去年だ。

 私と友季は長い付き合いだ。

 一応、恋愛の「付き合う」ではない。

 ちなみに2人で出かけたことも無い。

 出かけるとなると何かと「3人以上」というおまけがついていた。

 だが、お互い学校ではあまり話さなかった。

 違うクラスだったというのもあり、また性格というのもあった。

 友季はかなりの恥ずかしがり屋で別のクラスの男子に話をしに行くなどできる性格では無かったからだ。

 普段は教室に居て、たまに教室の外に出る程度。

 ちなみに友季は男子人気もあるようで、声をかけられることも多いとかどうとか。

 しかし消極的らしい。

 はたまた、私もそんなに積極的では無く、いつも教室でのんびりしていた。

 名前も…『和馬』で『和む』というわけだ。

 と、一人うんうんとうなずく。

 …いや…別に積極的じゃないのを名前のせいにしているわけでは…。

 高校生ともなればストレスも溜まるわけで、のんびりとした私の周りには同じくのんびりとした連中が集まっていた。

 私と友季の距離。

 近いようで遠い。

 教室は隣だったが、やけに遠い距離。

 何故か選択教科も全て違う教科を取っていたこともあり、さらに距離は広がっていたように思える。

 だが、その日、教室でのんびり外を眺めていた私の隣に、友季が来た。

 最初は誰かと思ってしまったほどだった。

 しかし、私の隣にいたのは紛れも無く友季だった。

 何の話だろうか。

 そう思い、私は彼女の言葉を待つ。

 

 10秒後。

 

 友季は何も言わない。と、いうより、言おうとして、私の隣で頬を赤く染め、凍り付いていた。

 ここまで来たはよかったが、言葉が出てきていないようだ。

 …別の場所へ後で呼ぶべきか。

 …ここは…相当…

 相当、目立っていた。

 内気で普段は教室の外に出ない男子に人気の女子生徒が。わざわざ別の教室の男子に会いに行き、はずかしさで凍り付いた。

 これは…目立つ。

 嫌でも。

 というよりすでに限界まで目立っていた。

 私の周りにいつもはいるのんびり連中も距離をおいて、事を見守っている。

 が、まだ友季は凍り付いていた。

 

 

 30秒後。

 

 

 友季のフリーズ現象はまだ解けない。

 つい、あくまで『つい』だが。

 …放っておくと解けないだろうな…。

 なんて思ってしまう。

 …別の場所で後で話すか。

 最初からそうすれば良かった、とはあえて思わない。

 しかし他の連中に聞かせてまた集まられると困る。

 そして、解決法を実行に移す。

 友季の耳もとに口を近付け、

「後で家に行くから」

 と、耳もとで囁く。

 一瞬友季はびくっとしたものの、機械的にこくこくと頷いた。

 …完璧だ。

 これなら他の連中には聞かれまい、と思った。

 だが、その行為に問題があったらしい。

 皆がこそこそと話し出す。

 周りの皆の表情からは「うわー」などの言葉が読み取れる。

 …何か問題があっただろうか?

 その日、私は残りの時間を小突き回されて過ごした。

 

 …何か…問題があったのだろうか。

 どうやら私は、鈍かったらしい。

 

 

 その夜、私は友季の家へと行った。

 すると彼女はすぐに駆け出してきた。

「なに!?」

 …驚き過ぎだと思うのだが。

 昼に言ったはずなのでさっさと用件に入ることにする。

「今日の昼…何の用だった?」

 昼間のことを思い出したらしく友季はまた頬を赤く染める。

急に言葉に詰まり出してしまったようだ。

「…ぁ…あの…明日天気が良さそう…だから…」

 視線が宙を泳いでいる。

「…ほ…ぃ…ない…かな…」

 肝心な部分が聞こえない。

「友季…ちょっと良く聞こえなかったんだけど…」

 私が軽く促すと彼女はさらに頬を赤く染める。

「ぁの…明日、星、一緒に見に行け…な……ぃ…?」

 最後の方はもう声が消えそうだった。

 しかし、それよりも私は驚いていた。

 あの内気な友季が、私を誘った。

 星を見ようと。

 聞いたときには驚いたものだがすぐ喜びで彼女の目の前で飛び跳ね…かけて、辛うじて行動を停止できた。危ない。

「…ダメ…かな…?」

 友季が上目遣いで見てきた。

 もちろん意識して、ではないだろう。

 その辺りがなんとも…だ。

 友季のことだから正面から直視できないのだろうと思う。

 答えは、決まっていた。

「よし、行こう!」

 私は、その時人生で最も幸せだったのかもしれない。

 

 

/

 

 

 次の日の夜。

「今日は…見れるかなぁ…」

 空には雲1つなく、星が輝きを見せていた。

「星を見るなら…別にこの辺りでもいいよ?」

 と言う私の言葉は

「良い場所があるから…そこまで行こうよ」

 という友季の言葉によってそれ以降は黙殺された。

 夜、町の明かりも消えた頃に歩く2人。

 手と手はきわどいところで離れたままだ。

 やがて、半歩先を進む友季の足が止まった。

 そんな彼女に、私は聞く。

「この辺りなのかい?」

「…ぅ…ん。そう…だよ」

 どうしたのだろうか。

 やっぱり…恥ずかしいの…だろうか?

 そこは、小さな公園だった。

 木々が長い間隔を開けて並び、たいした広さのない公園。

 ブランコと滑り台がやけに寂しくたたずむ公園。

 そんな場所を、夜空の星と月明かりが照らし出していた。

「きれいな風景…」

 私はつい率直な感想を漏らす。

「そ…うだね…」

 さっきから何やら友季の調子がおかしい。

「どうかしたのかい?」

「何でもないよ…星、見よう…?」

 何かあったらすぐに言うように友季に言い、私たちは2つのブランコにそれぞれ座り空を眺める。

 頬を流れていく風は心地よく、街灯がほとんど無いこの辺りはまさに『自然の明かり』が私たちを包む。

 それから少しの間、私たちは空を見上げながら言葉を交わした。

 だが、間もなく彼女に異変が起きた。

 不意に何かが地面に当たる音。

 彼女の方を向くと、ブランコは無人だった。

 友季はいなかった。

 慌てて音がした地面の方に視線を向ける。

 そこには、友季が倒れていた。

 

 …!!

 

 一瞬、世界の時が凍り付いた。

 

 次の瞬間には私は友季に駆け寄る。

「友季!」

 しゃがんでうつぶせに倒れた友季をあお向けに起こす。

 彼女の呼吸は乱れ、苦しそうだ。

「どうして…どうしちゃったんだよ!」

 私は誰に向けたわけでもなく、言葉を放った。

 友季は小さな、消えそうな声で

「だ…大丈夫だよ…ちょっと…持病が…ね…」

「何が大丈夫だよ!何で言ってくれなかったんだよ!」

「だって…せっかく…ふた…」

 声はもう出ていなかったが、震える唇の動きで、言葉はわかった。

 

 

 ――せっかく2人で、一緒に出かけられたから――

 

 

 私の瞳から、何かがこぼれた。

 それは、感情そのものだった。

 それは、頬を流れ、やがて彼女の額の上へと落ちた。

 

 彼女の額に当たって散るのを見て、やっと私は我にかえった。

 どうする?

 どうすればいい?

 そうだ、どこかで見てもらわないと…!

「ちょっと待ってろ…」

 友季を背中におんぶの状態で乗せ、走り出す。

 だが、思うように速度が出ない。

 背中から荒れた息遣いが聞こえてくる。

 かすれた声で

「だ…大丈夫だよ…」

と、言ってはいるが身体に力は無い。

 

 どうして。

 どうして気付いてやれなかった?

 気付いて、別の日にすれば。

 途中で無理にでも引き止めれば。

 そうすれば友季は。

 素直で恥ずかしがり屋な友季は。

 

 こんなことにはならなかったんじゃないのか?

 

 私が…友季のことに…気付いてやれなかったから…。

 

 私は、走り続けた。

 

 背中の温もりを、失ってしまいたくなくて、

 

 私の罪悪感を、すこしでも感じたくなくて?

 

 結局はただ、1つだけだった。

 背中の温もりを、失いたくなかった。

 

 

「友季…」

 

 

 いつしか私は、風を切るように突き進んでいた。

 

 

 町の中心部へと辿り着き、ただ明かりがついている建物を探す。

 それしか、考えつかなかった。

 パニック状態になっていた。

 街灯の『人工の明かり』の中、友季を背中に乗せながら走る。

 4階建てぐらいの建物の最上階に明かりがついている。

 …そこだ!

 私は一瞬も考えず、ただその場所へと走った。

 入口からいきなり階段だったが構わず登る。

 4階分の階段、その一段一段を登るのがまるで永遠に時間が引き延ばされたかのようだった。

 どんなに急いでも、ゆっくり、ゆっくりとしか進まない。

 進んでいないようにすら見えた。

 永遠に思えた時間を経て、4階へと辿り着く。

 目線の少し下、そこにドアノブがあった。

 が、そのとき、何かが床を叩いた。

 私の動きも止まっていた。

 ふと気付けばドアノブが目線と同じ高さになっている。

 私は、膝を床につけて、止まっていた。

 足が、動かない。

 ……動け、動け、動け、動け!

 それでも、動くことが出来なかった。

 私の駆ける音が消え、私と友季の息遣いだけしか音が無かった。

 ……動けよ、頼むよ、動いてくれ!

 すると友季が

「…ごめん…ね…私のせい…で…」

 ―――!

「なにそんなこと言ってるんだよ…」

 だって、と友季は言い、

「和馬くんにも…こんな辛い目に合わせて…私…」

 私からは友季は見えないが、鼻をすすりながら言っているということは…。

 ――友季は、泣いているのか?

「こんな辛い目に…合わせておいて…泣いちゃうんだよ…?」

 ――辛くなんてない!

 そう、言いたかった。

 しかし、もう私に声を出す気力は残っていなかった。

「――――」

 声にならず、口が動くだけ。

「こんなときに言うのも…だけどさ…こんなときしか言えないから…言うよ…?」

私はもううなずくしかなかった。

「――好きだよ」

「――――!」

 そう言って、友季の声は途絶えた。

 声が出るものなら、返事をしたかった。

 …私もだ、と。

 しかしそんな考えを邪魔する思考があった。

 そんなことを考えてる場合じゃない、友季を早く、と。

 ……わかったよ。

 いつの間にか、身体は動くようになっていた。

 ……これなら!

 軋む身体をむりやり立たせ、ここは何処なのかとも考えず、ドアを勢いよく開ける。

 次の瞬間には不思議な空間が目の前に展開していた。

 そこは、小さな店だった。

 広いわけではなく、せいぜい普通の部屋の2倍くらいの広さだろうか。

 テーブルなどで歩ける場所はかなり少ない。

 そんなこともあってか暗い店内はニス塗りされて焦げ茶色に近い床に椅子、テーブル、カウンターがところせましと並んでいる。

 中には一人の中年の男性がいた。

 いかにも『バーのマスター』的雰囲気だった。

 動く物がほとんど無い場所の中で動く男性はやけにこの空間に溶け込んでいた。

それら全体が一体となり、私は1つの感想を持つ。

 …まるで時間が…止まっているような…。

 一方、男性は私たちを見て驚いたようだがすぐに平静を取り戻してくれた。

 私としてはそれは非常に幸運だったのだが、すぐに男性の声が飛んでくる。

「こんな時間に一体どうしたんだ?」

 と、言ってからその男性は友季を見てから何やら合点したらしく、友季を軽く診るとすぐに電話をかけてくれた。

 ずいぶんと私に対して落ち着いた声で話す。

 が、やけに違和感も感じた。

「もう大丈夫、救急車がもうすぐ来るよ。しかし…君の名前は?」

 私はまだパニック状態がなおらず、おろおろするばかりだ。

 その様子を見た男性が

「…また…珍しいこともあるものだな…」

 と、小さくつぶやいた。

 

 

 友季は結局、一時的な発作だったらしく、すぐに良くなった。

 一応は定期的な通院のおまけつきで病院から帰ってきた。

 友季は元通り、と言ってもいい程だった。

 

 …でも、私は違った。

「私が…止めなかったから…気付いてやれなかったから…」

 

 だから…

 それだから…

「私が…友季に無理をさせてしまったんだ…」

 私が、無理をさせてしまった。

 この言葉は、やけに重く響いた。

 

 私の時間の流れが、止まった。

 

 

 

 私の心が、凍り付いた。

 

 

 

 ――好きだよ。

 

 

 

 そんなことを言ってくれた友季を傷つけたくなんて…ない。

 

 

 

 ……あぁ、そうだ。

 

 

 

「彼女に無理をさせてしまうのなら…」

 

 

 

 私は、友季から離れよう。

 

 

 

 いや、離れなければならない。

 

 

 

 彼女を傷つけないために。

 

 

 

 彼女に無理をさせないために。

 

 

 

 ――好きだよ。

 

 

 

 声が出せれば、あの時、返事をしていた。

 

 

 

 ――返事が出来なくて、よかったのかもしれないな。

 

 

 

 私の心は、一瞬で事実を認識した。

 

 

「もう、友季とは会えないんだ。会うわけには…」

 

 

 

 それと同時に目の前が真っ暗になる。

 闇が徐々に退き、完全に闇が退いても、目の前はよく見えなかった。

 視界が、ぼやけている。

 はっきり見えるものがないぐらいだ。

 ただ、人影らしきものが2つあった。

 空は、何やら光が多かった。

 ぼやけているが、これは…

 …『あの光景』!?

 そしてこれは、先程見た友季と出かけたときのものとは。

 ……違うのか?

 再び、闇が世界を包んだ。

 

 

 

/

 

 

 

 眠りから、覚めた。

 やけに重いまぶたをむりやり開けさせて、覚醒させる。

「一年前の…出来事?」

 今まで、私はこんなにはっきりこの出来事を思い出せなかった。

 正確に言うと、思い出したくなかった。

 それが、夢ではっきりと見えた。

 自分自身が覚えていないと思っていたことまでもが。

 …何故だろうか。

 それと同時に、過去の傷もはっきりと自覚した。

 ――友季との決別。

 『あの光景』も初めて見たのだった。

 だが、1つ気になることがあった。

「何故…今まで『あの光景』は私の過去だと、あの日だと思っていた…しかし…私の過去と『あの光景』では明らかに違う点が幾つかある…」

 いる人物は間違いなく私と友季のはずだ。

 しかしまず、場所が違った。

 過去では星を眺めたのは公園だった。

 ブランコに座って見ていたはずだ。

 それに…と思う。

 『あの光景』では2人は丘のような場所にいた。

 あのふもとで見たものでは、丘のような場所の切り株にいたはずだ。

 その2つの違いに気付いたとき、生まれるのは1つの推測でありながら…

「『あの光景』は…一年前の過去では…ない?」

 確信でもあったのかもしれない。

 

 

 

/

 

 

 

 今日も迷わず、マスターの所へと向かう。

 四階の入口には、少しずれ落ちている「Courage」の文字。

 店名だ。

 意味は知らない。

 まぁマスターのことだからせいぜいくだらない冗談か何かだろう。

 そしてまだ無人の店へと入る。

 そして、他愛の無い会話が始まる。

 いつものことだ。

 時間が止まったような空間。

 ここはいつも落ち着く、と毎度のことだが思う。

 そんなとき、マスターが不意に切り出す。

「今日…ちょっと店番頼んでいいか?」

 日頃お世話になっているのもあり、私は承諾した。

 特に大したことは出来ないが、店を任されたのは信頼の証だろうと密かに喜ぶ。

 ちなみにここは客もそんなに多くはなく、コーヒーなどだったのでなんとか対応できる。

 もとからここには何かを飲食に来る…というよりは心を落ちつけにくる人が多い。

 「世代交代かー?」とかからかわれたときはなかなかに焦る。

 

 そして客も少なくなってきた頃。

 店に青いフードをかぶった人が入ってきた。

 ……男性だろうか?いや、女性かもしれない。

 フードの人は、ゆっくりとカウンターの席に着く。

 特に注文もしなかったので私は特に構わずに店の掃除を始める。

 フードの人の隣もゆっくりとテーブルを拭いていく。

 そんなとき、店に入って来てから一言も話さなかった人は、ゆっくりとフードを取った。

 そこから現れた顔は、まぎれもなく

「…友季」

 あまり感情を込めずに言った。

 ただ、驚きは掃除の手が止まったことで表れている。

 しかし、それきりだった。

 私の上では小さい扇風機がただ、回っていた。

 彼女も不意に切り出す。

「もう…私…こんなの…嫌だよ…」

 私が友季から離れたことだろうか。

「…友季の…ためなんだよ…」

 私は唇を噛み締め、言った。

「なら…一緒に…いて欲しいの…」

 私の中で、思いが暴走する。

「もう…私は君に無理はさせないって決めた! だからもう…だから…」

 一瞬の暴走が一気に静まり、私の声がかき消えそうに響く。

 それを落ち着かせるように友季が立ち上がり、私の背中へと寄り添ってきた。

 彼女の温もりが伝わってくる。

 一年前にも感じた、温もりが。

「…無理なんて…してないよ」

 その一言が、私の耳に響く。

 私は、言い返せなかった。

「だから…一緒にいて欲しいの…」

 そう言って、抱き締めてきた。

 

「キミがいない方が…傷付いちゃうんだよ?私って…」

 

 ああ、そうだったんだ。

 無理をしていたのは、彼女ではなかった。

 最初から無理をしていたのは、私だったんだ。

 冷たいふりを装って。

 悲しいふりをして。

 彼女のためを思ったつもりでいて。

 それが結果として、逆に友季を傷つけていた。

 本当は、私が無理をしていただけなんだ。

 自分自身を、閉じ込めていただけなんだ。

 

 ――気付かせて、くれたのか――

 

 心の氷が、少し、溶けた。

 

 でも、私はあの出来事を忘れられないだろう。

 2度と友季にあんなことを…。

 あぁ、そうだ。

 大丈夫なことを示してみせればいい。

 

 

/

 

 

「流星雨を…見に行く?」

 友季はぱっとしない顔で聞いてきた。

 流星雨。

 一時間に数千から数万もの流星が現れることもあるという珍しい現象だ。

 一年前のあの日と同じとは…かなりタイミングがいいと言えば良い。

 まあこんなこともあるだろう。

「一年前の傷を…消えない傷だから…引き連れていこうと思ってさ」

 なら良い場所があるよ、と友季が言う。

 …また…か。

 私は微笑みながらそんなことを思う。

「いつ…見れるの?」

 面白い日だよ、と私は前置きして

「今度の水曜日、あの日からちょうど一年になる…そんな日に」

 

 

/

 

 

 私は、『あの光景』のことを友季に話した。

 当然、友季の名前は伏せたが。マスター以外に話したのは初めてのことだ。

 再び彼女と話し始めてから、心の氷は少しずつ溶け、温もりが戻ってきていた。

そんな私に、友季が言う。

「私…去年…そんなこと…あったよ。7回…でも…6回…かな」

 ――友季、にも?

「最初は何もわからなかったのに…だんだん…少しずつ…見えてきて…6回目はすごくきれいに見えたんだ」

 そんなことが…と私は思う。

「最初はすごく怖かったけど…だんだん…こうなればいいな、って…ね…」

 私と…同じ。

「キミも…今まで6回見たんだよね」

「そうだけど…友季の夢はどうだったんだい?」

 その質問には友季は答えなかった。

 代わりに1つのことを話しはじめる。

「ねえ…『七夜』って…知ってる?」

 聞いたことぐらいは、と私は言った。

 しかし、目的地へと友季が先導している途中、不意に空に光の線が現れた。

「始まっちゃったか…」

 と私は苦笑いで言う。

「もう付くから…それから見ようね」

 そう言って私たちは歩を進める。

「ここだよ、病院からの帰りはいつもここにいたんだ」

 周りの景色を見た途端、

 私は少しの間、動けなかった。

 

 

 ここは。

 

 

 この景色は。

 

 

 周囲には木々が低く立つ、小さな丘の上。

 

 

 丘の中心には切り株が。

 

 

 そして空には月が。

 

 

 そして幾本もの光の線――流星雨が。

 

 

 

 確信を得た。

 

 

 

 今。

 

 

 私の目の前に。

 

 一年前から見るようになった。

 

 

 故に苦しみもした。

 

 

 あの景色が、

 

 

 『あの光景』が、展開していた。

 

 

 

 

 私は、ぼうぜんと立ち尽くした。

「どうしたの?」

 友季が心配そうな顔を向けてくる。

 私は彼女の心配を祓うように

「いや…夢で見た事あるような気がして…さ」

 だが、心の中では確信があった。

 そこへ友季が

「昔はこの流星雨の1つ1つ、彗星は凶兆として恐れられていたんだって。でも…」

「でも……?」

 いつの間にか、友季の顔は最早真っ赤といっても良い程だった。

「今は…私たちを…その…祝ってくれてる…みたいだな…って…」

 それを聞き、私は彼女の小さな手に自分自身の手をそっと、添えた。

 友季は微かに身じろぎしたものの、振りほどかず、身を寄せてきた。

 私は、そっと目を閉じ、彼女の温もりを感じていた。

 そして、友季が静かに切り出す。

「さっきの続きなんだけど…」

 目を開けば、友季が見上げている格好だった。

「七夜、7日の夜。七回目には願いが叶うっておまじないもあるみたいで…」

 夢は夢…なんだけどね、と友季は言う。

「でも…キミのも…七夜じゃないのかな…。7回目に…現実になる夢」

 ――そうなのかもしれない。

 少なくとも、と友季は前置きして、

「私は…そうだったよ…?」

その言葉に私は驚いた。

「私の見た夢、7回目で叶った夢は…キミと一緒に…星を見に行く夢だった…。それが本当に叶ったとき、すごく…嬉しかったよ…」

 私も伝えよう、と思った。

「友季…私の見た夢と、1つ伝えたいことが――」

 

 

 

 

 

その上空では、流星雨がいつまでも流れていた。

 

 

夢で6回、現実で1回の七夜。

 

 

7回目で叶う夢。

 

 

 

 

 

そういえば、と言って、

 

「――1年前の返事をしていなかったね」

 

私は、静かに、言った。

 

「――好きだよ、友季」

 

 

 

 

あの6回の白昼夢は、過去のフラッシュバックではなかった。

 

 

想い出の締め付けでも無かった。

 

 

紛れも無い、私の未来だった。

 

 

何故見るようになったかなんてわからない。

 

 

 

しかし、ただ1つ、確かなことがあった。

 

 

 

 

――7回目は、夢ではなかった――

 

 

 

 

 

 

 ――後日談というかなんというか。

 それから私と友季は事実上『恋人』ということになっていた。

 そしてマスターへ2人で会いに行ったところ。

「お〜…ついに姪にも相応しい彼氏が出来たか〜」

 その言葉に、主に私を中心として空気が凍り付く。

 マスターは笑顔からはっとした表情へ。

「ぁヤバッ…」

 …今、なんと?

 横では友季が「何言ってるの!」と言った顔つきで腕をぐるぐる回しながら大慌ての状態だった。

 …つまり、本当?

 マスターに聞いてもくだらない方向に話を逸らされそうなので友季に聞く。

「友季…本当?」

 おろおろしていた友季もやがて、

「――うん」

 マスターが「あちゃー」と言いながらうなだれる。

 ……バレたくないなら口走るなっ。

 と、心の中だけでつっこむ。

 しかしその後、マスターは

「長年のネタをばらすときが来たか…」

 と、言う。

 肩が喜びかなんだか知らないが震えていた。

そして不意打ちで

「はい、和馬。この店の名前」

 いきなり名指し+指差しの2連攻撃。

 私は慌てながらも

「…Courage…何か意味が?」

「もちろんだ」

 …一体…どんな意味が…?

 マスターの肩が勝利感(本人談)で震えている。

 そして少しずつ、言う。

「日本語に訳すとどうなる?」

「………」

 ……なんだったろうか。

 そして思い出す。

「…勇気…?」

 …しかし一体何のこ…。ん?

 ちょっと待て。

 私の思考が1つ、行動を止めた。

 そして迅速に結論を出す。

 ひょっとしてこれは…

「ゆうき…まさか…友季とかけたか!?」

「ピンポーン!」

 友季の顔がまた少し朱に染まる。

 見ればマスターは腕をこちらにまっすぐ伸ばし、親指だけを上に突き出していた。

「…………」

 一瞬後。

「ネタが古いッ!」

 すかさず私はツッコミを入れていた。

「ぐっ…しかしまだネタはあるぞ!」

 何やら意味のわからない方向に持っていかれてる気がするが一応聞く。

 マスターはアルファベットが刻まれた腕輪を見せてくれた。

 そこには文字が刻まれていた。

 ――どうせ『友季』とまたくだらない方法で…

 そこに刻まれた文字は「Yuki」。

 ――珍しく…素直に?

 「まぁ…肌身離さずつけてるものぐらいは…なぁ」

 一瞬感動した気もしたが再び私の思考がそれを止める。

 …ん?ちょっと待て。

 『友季』とアルファベットで入れたかったのか?

 1つ、またもつっこむことが…。

 心の中で溜め息をつく。

「マスター、1つ言うが…これ、『u』の上に『 ^ 』が足りなくないか?本来は要るはずだと思うが…これでは読みが『ゆき』になると思うが」

「なにぃ!?」

 マスターが身を乗り出して見て、一瞬考え、慌てて腕輪を私の手からかっさらい、隠す。

「え…英語は苦手なんだよっ!」

 今度は全員、「あちゃー」と言い、うなだれた。

 そして、皆、笑い出した。

 

 その笑顔は、止まることなく、自然に溢れ出した。

 

 

 

 

 

 

 

Fin