7th 』

 

 

 電車のドアが開き、車内は本来の季節を取り戻した。

 冷房で無理矢理冷やされた車内の空気が我先にとドアから飛び出し、かわりに熱を帯びた外気が次々に電車に乗り込んでくる。

 このような場所に居なければさえ常に私に纏わりついて離れない熱気ではあるが、徐々に冷房に慣れはじめていたこの体には少々辛い。

 車内に僅か残る冷気が恋しくて、このままここで涼みたいという悪魔のささやきが脳裏をよぎる。

 だが悪魔が私を誘惑するその前に、下車せんと乗降口に迫る人の波にのまれ、私は電車から搾り出された。

 睨みつけるような視線をこちらに向けつつ、いかにも“上司にこき使われてストレス溜まってます”な顔つきをしたサラリーマンが私の横をすり抜け、早足でホームを歩いてゆく。

 乗降口の前に居座っているのはさすがに迷惑だったか。

 私は電車から離れるように歩を進める。

 私は電車から離れるように歩を進める。

 先程出て行った冷気がこの辺をうろついていても良いものだが、あれほど私の身体に馴染んでいた空気は薄情にも私を置いてどこかへ行ってしまったらしい。

 次に会った時は人との関わりを大切にするよう言い聞かせなければ。

「……………」

 頭に浮かんだくだらない思考に苦笑する。

 どこかネジが外れた思考を脳から追い出すように嘆息してみるが、それは蒸すような空気に侵され、不快な風を外界へ送るに過ぎなかった。

 9月。

 夏も終わりだというこの時期に、太陽はこれでもかとばかりに未練がましく光を投げ込んでいる。

 まるで在庫が余った夏物の服を破格で売りさばくような大盤振る舞いだ。

 ………迷惑な事この上ない。

 ホームを守るかのように長く伸びる屋根のおかげで太陽の光を直接浴びる事はないものの、真夏の太陽と風がもたらす熱風は屋根などものともせずに私の身体へと纏わりついている。

 ただその場に立っているだけで、不快な汗が肌を滑っていった。

 私はポケットからハンカチを取り出し、額にあてる。

 ハンカチはみるみるうちに湿り気を帯びていく。

 ちょっとでも絞れば溜まった汗が滴り落ちそうだ。

 

 ――暑い。

 今さら言うまでもないが、暑い。

 

 私はすっかりびしょびしょになってしまったハンカチを折りたたみ、ポケットの中に入れる。

 

 ――が。

 

「………?」

 ポケットに入れた手に違和感を感じ、その正体を引き抜く。

 私の手にあるのは小刻みに震え続けている携帯電話。

 電車に乗ってからマナーモードに設定したまま解除するのを忘れていた事を思い出した。

 私は折りたたまれた携帯電話を開き、そのディスプレイを見る。

 無機的に並ぶ、11桁の数字。

 

 私は溜め息を一つ吐き、

 

 ――ピッ

 

 電話を切った。

 

 

 

「何で電話に出なかったの?」

怒ったような声が彼の第一声だった。

「どうせすぐ着くところだったから。電話代もったいないでしょ」

素っ気無く言う私に彼が溜め息をついた。

「リアリストだな。相変わらず」

「これは性分ですから」

フフンと笑う私に、彼はもはや何も言うまいとした表情で肩をすくめる。

「それじゃあ、行こうか」

「あ、待って」

歩き出す彼を引き止め、鞄からジュースを取り出す。

「待たせたお詫び」

突き出された缶をおもむろに受け取ると、満面の笑みをみせた。

「可愛いなあ」

「は?」

言葉の真意がわからなくとも、顔は上気する。我ながら分かりやすいリアクションだ。

「遅刻したのを何とも思ってないように見せかけて、こんな気遣いするくらいまで内心気にしてるんだろ? いやあ、可愛いなぁ」

「・・・・・・・!」

何とも言えずに私は先に歩き出した。照れた顔を見せたくなかったからもあるけど。

 

彼は酷く歌が好きだった。人目も気にせず、いつも何らかの歌を口ずさんでいた。

―――それでも人に迷惑をかけるようなことはしてないから。

いつかに彼が言ってた科白。確かに、人に迷惑をかけるような場所では唄うことはなかった。それくらいの分別はできる、らしい。

そこに私は一言突っ込んでやる。

「アンタのヘタクソな唄が隣歩いてる私に迷惑かけてるわよ」

その素敵な歌声は、半音上がったり下がったりし、常に人々の視線を集めていた。

辺りの忍び笑いを聞いて彼が苦笑する。

「そぉ だぁーりん だぁーりん すてェンド バイ みぃ〜」

それでも懲りずに専ら何処の国の言葉かわからないイントネーションで洋楽を唄っていた。

 

それでも、初対面の人は無愛想な印象を受けやすい。(私もそのうちの一人)

人と人の間の置き方が上手く、嫌われる事無く、深く接する事無く。

皆といる時間より、むしろ独りの時間を楽しんでいるようだった。

私なんて同じ中学校で二年生から同じクラス、されど会話回数―――0。

それでも大して気に留めてなかったから、彼が硬派であろうと、軟派であろうと、どうでも良かった。

つまり、そのとき私と彼は数学的に表すと平行な関係にあったと思う。永遠に接触する事の無い位置関係。(まあ同じクラスと言う点ではかなり近い平行線だったと思うけど。)

けれど、それは数学理論のお話。これは人間性理論だったんだ。

私が発見したこと。それは、「人間性理論における二つの平行な線は何かしらの他の線とぶつかり、方向を変え、接触してしまう事もある」ということ。

 

私が一回目の方向転換をするに至ったのは、遥か遠い存在からの干渉だった。

深夜のあるバンドのライブ放送。

格好良く楽器を操り、ありとあらゆる感情表現を駆使して私の耳に飛び込んでくる『何か』は、体を震えさせ、鳥肌を立たせた。

もともと音楽は好きだった。(好きと言っても、ヒットしたり気に入った曲を借りてきてMDに放り込むだけ。よほどの曲でないとCDを買うことはない)

けれど、この感覚は違う。「好き」という感覚の一つにある、独占欲が噴き出した感じ?

自分の物にしたい。この沢山のファンの魅了された目を味わいたい。拍手喝采を受けたときの感動を味わいたい。放出される音楽を聴くのではなく、自らが音楽を放出したい。

私は、熱も冷めぬままギターを購入し、一つの方向転換を遂げた。

 

 

『ギター募集! 性別、年齢は問いません。多少の実力とやる気とギターを持って来てください』  

 

「これだ!」

数ヶ月後、私はすっかり行きつけになってしまった楽器店の前で叫んだ。正確には楽器店の前の張り紙の前だけど。

多少の実力って言うのはどんなくらいだろうか知らないけど、結構練習したつもり。

もちろんやる気はある。

早速一緒に書いてあったメールアドレスに熱を込めた文章を送り込んだ。

偶然見つけた張り紙に私の人生線は再びそれた。そしてとうとう彼と線がぶつかる時が来る。

 

数日後、私は例の楽器店の二階スタジオに呼び出された。加入の資格があるかの面接らしい。

朝からギターを磨いて、調律(チューニング)をし、新品のピックを数枚ケースに入れた。

楽器店の脇にある階段を高まる鼓動の音を感じながらテンポよく登った。

「し、失礼しまぁす!」

上擦った声を上げてしまい一人赤面していると、ドアがひとりでに開いた。驚いて面を上げると訝しげな表情をした17、8歳くらいの

茶髪の男性が開いたドアの内側のノブに手をかけてこちらを見ている。

「どないしたんや? 失礼しますゆうたのに入ってけぇーへんやん」

「あ、す、すいません」

気が動転していたので、訳も分からずにとりあえず頭を下げた。

その拍子にドアの角に背負ったギターをぶつけてしまい慌てて中を見てみたが、幸い傷は見当たらず、思わず安堵の溜め息を漏らした。

「なんや、面白いやっちゃな。まあ入ってか」

大きくドアを開き、中へ入るように促されゆっくり進んでいく。通路脇には古びた大きなスピーカーやらドラムやら色んな楽器が置いてあって、

ここまできてやっと自分がやろうとしている事に実感が湧き、漠然とした緊張が現時的な重みのある緊張に成り代わり、私を襲う。

大丈夫かな?多少の実力って、私、持ち合わせているのかなあ・・・?

 

しかしその緊張も、突き当りを曲がった視界に広がるズラリと並んだドラムセットを見た次には吹き飛ばされていた。

「あ〜〜〜〜!!」

私が叫び声をあげているのと対照的に、相手は押し黙って静かに微笑んだ。 

「ん? なんや、2人とも知り合いか?」

案内してくれた関西弁の男性が後ろから意外そうに問い掛ける。

「同じクラスなんです」

私がしどろもどろになっているのを見かねて、彼が代弁した。

「村上さんがギターをやってるなんて知らなかったよ」

そういうと、ドラムのスネア(当時は知らなかったが、後で教えてもらった)にスティックを置く。

トン、と乾いた音が鳴った。

「ん、ギター志望の人か」

ベースをぶら下げ、ドラムのすぐ左で丸椅子に座っているコワモテの金髪の男性は、外見とは見当違いな優しそうな声を上げた。

「は、はい・・・」

それでも外見の怖さは払拭できずに、私は少したじろいだ。

「それじゃあっと・・・はい、これ」

丸椅子の側に置いてあった、やはりイカツイ様相の鞄から楽譜を取り出して私に差し出した。

「これが弾けたら合格」

先程まで吹き飛んでいた緊張が舞い戻ってくるのを感じた。中を恐る恐る開いてみると、今の自分のレベルでギリギリ弾けそうな位の絶妙な

難易度だった。肩から降ろした鞄を開け、ギターを取り出す。出された椅子に腰掛けると、ギターとスピーカーを結ぶコードを渡された。

コードを差込み、電源を入れる。

少し慣らした後、さあ本番と言うときにはもう頭は真っ白になって来ていて、視界に映る譜面を頭にインプットすることも困難だった。耳はスピーカーからの僅かなノイズ音と、私の心音だけを感じていた。

ノイズ音が消えた。その代わりに歪んだ音が取りとめも無く溢れ出す。リズムは守られていたが、

音がまばらに切れていて、ロックを描いたような音のはずが頼りの無いフォークソングみたいになっていた。世話しなく動く私の左手を、彼らがどのように見ていたかは知らない。

私は、譜面とギターを見比べて、何とか音楽らしく聞こえるテンポを保った。

そして最後のフレーズ、とうとう決定的なミスをしてしまった。完全に詰まってしまったのである。リズム無きただの音の羅列。

血の気が引いた。

弾き終わった私に緊張は絶望と言う言葉に変化して馴れ馴れしく擦り寄ってきた。無論、それを弾き返す気力は無かった。

「・・・・・・・・・・」

顔も上げられなかった。多少の実力さえないのかという言葉が投げかけられるような気がして。今すぐ逃げたい気持ちになった。

恥ずかしい。同級生の前で不合格と言われてトボトボ帰るの?

「おおー、なかなか。人前で初見の楽譜をここまで弾けるやん」

関西弁の男性は、関心したように私の顔を覗き込んだ。やめて、見ないで。自分の実力も弁えずに醜態さらしてる私を。

「でも・・・私・・・完全に弾けませんでした・・・」

「だからどないした言うねん」

それから、三人は何か合図をし―――――

「せーのぉっ」

「「「合格ッ!!!」」」

ハイ?

しばらくあっ気に取られて呆けていたが、よくよく考えるとおかしい。何故弾けなかったのに合格? 訳が分からない。

「わ、私・・・弾けなかったのに・・・?」

「あれ?弾けなかったら不合格だなんて言ったっけ?」

バリバリの金髪の一端をねじって、ベースの男性がいたずらっぽく笑った。

「あきらめんしゃい、合格ったら合格や」

両手を腰に当てて同じようにニヤッと笑うは、関西弁の男性。

「ようこそ、“グングニル”へ」

彼がドラムの中心で微笑んでいる。

私は安堵感と嬉しさで思わず・・・

涙を零してすすりを上げた。

 

 

 

 

 

―――そういえばさ

一通り歌を終えた彼が笑いかけた。

「希衣ってさ、よく泣くよな。今日も泣いちゃう?」

ビシッ!

いた!

頭にチョップを入れてやる。

「またしょーもないことを・・・」

彼は突発的に思いもよらないことを話題にしたりする。最初はよく驚かされてた。

・・・既に慣れっこだけど。

「・・・ホラ、もうすぐ着くよ。見えてきた」

彼が正面を指差した。

 

 

 

 

「そんなに嬉しかったのか?」

ようやく落ち着いてきた私に、彼はドラム越しに穏やかな口調で語りかけた。

「だって―――」

私には趣味が無かった。ただ平凡に無味乾燥な日々を送るだけだった。別段それでも構わないかなって考えてた。それがあの日から変わったの。

目標を持った人間と持ってない人間の違いも分かりだした。さっきまでそっちにいた私は、今では考えられないくらい小さく見える。

―人は生きる意味を探して旅をする―

なんて名言があったような無かったような・・・とにかく、それを私は見つけたの。遠いところに。

そしてそれを求めて進む事が出来た。この喜びは・・・・・・ダメだ、引っ込んだのにまたこみ上げてくる物があって、涙が零れそうになる。

「ほいほい、泣いてばっかおらんと自己紹介、自己紹介」

関西弁の男性が手を叩いて促す。

「は、ハイ! 村上 希衣(むらかみ けい)、15歳です!」

「ほぉう。ええ名前やのお・・・希望を衣・・・服のように纏う人っちゅう事か」

「はい、そうです」

まさにそのとおり。ずっとまえに親に聞かされた自分の名前の由来と同じ。

「ん、俺はボーカル兼、ギターの大島 和史(おおしま かずし)18歳や。よろしゅうに」

「は、はい」

うーん、最後は京都弁だったような・・・とにかく大島さんが関西出身な事は確かなようだ。

「えーっと、俺はベース担当の西脇 修司(にしわき しゅうじ)17歳。和史とは同学年だ。よろしく」

やはりイカツイ外見と正反対な随分温和な喋り方。 私はやはり、よ、よろしくお願いしますと少し引け腰な返事をした。

「苗字くらいは知ってると思うけど」

何故かバツが悪そうに彼は立ち上がった。

「ドラム担当、佐伯 耕二(さえき こうじ)。改めてよろしく」

「うん、よろしく」

同年齢なので親近感を感じたのか、違和感を感じずに返事が出来た。

「よっしゃ、これで新生『グングニル』誕生やな」

大島さんはそういった後、私に1枚の紙を渡した。

 

―『グングニル』の活動目標―

大意はこのチームの名前、「百発百中の槍」であるグングニルのように、人の感情に一発一発突き入れていくような音楽を創ること。

具体的な当面の目標は、8月の大会で優勝! 

―規律―

・仲間内での立場は対等。年齢の差なんていう先入観は捨ててよし。

・絶対全員が納得のいく曲を作ること。時間は惜しまない。

 

 

「これが具体的なチームの方針や」

単純明快なものだった。けれどその方が頭の悪い私にはちょうど良かったし、好感の持てる内容だった。

「それと、楽譜。これは7月一杯には完成させたいねん。結構時間はあると思うからじっくり練習してな」

10ページ程の本になった楽譜を渡される。タイトルは『一陣』。

「これ、ひょっとしてオリジナルの曲ですか?」

意外そうに言う私に、大島さんが笑った。

「当たり前や無いか。俺が作詞して、基盤のコードをつけて、メンバーがパート別に曲を作ってそれを合致させて作るんや」

すごい。思わずそう思ってしまう。少なくとも、同じ年齢でドラムのパートを作ってしまう佐伯君には尊敬の念を抱かされた。

「それとな・・・別に俺達に敬語使う必要ないんやぞ?」

堅苦しいのは好きじゃないから、と西脇さんが付け加えた。

でも、年上の人にそういう言葉は・・・ちょっと抵抗がある。

私が渋っていると、大島さんがうーんと唸りながら、頭をボリボリ掻いた。

「まあ意見だけはハッキリ言うてな。年上やからって抑えるのはタブーや」

「了解しました」

私が元気よく頷く。

「お、そろそろ部屋を出ないと」

西脇さんが時計を見ながら呼びかける。私が入室してから、およそ2時間は経っていた。

そんなに長い間居たつもりは無いんだけど・・・

「では、今日はこの辺でお開きにしましょうか」

佐伯君がスネアを外し始める。普段はそれとスティックだけを持って行って、その他は貸してもらうらしい。

私もつられるようにギターをケースにしまい、背中に担ぐ。

 

「それじゃあ。俺たちはこっちだから」

階段を降りて分かれる道を、西脇さんと大島さんは左の方へ。私と佐伯君は右の方へ。

「お疲れ様です」

佐伯君が頭を下げる。

「あ、あの、これからよろしくお願いします。お疲れ様でした」

私がおずおずと頭を下げる。

「おう、お疲れさん」「お疲れ」

二人は快く返事をすると、町の都心部の方へ歩いていった。

「ねえ。・・・途中まで、一緒に帰ろうか」

佐伯君が言った。若干頬を赤くしているように見えなくも無い。

「うん」

私達は歩き出した。

 

「何でバンド始めようと思ったの?」

彼が唐突に質問してきた。

夕日は赤くなっていて、犬の散歩をしている人が目立つ。

「音楽が好きだから。それと、人前で音楽を演奏するのが楽しそうだから」

いい理由だね、と彼が言った。

「俺がはじめた理由もそんなところ。人前でドラムを叩いてると、気分が良いから」

商店街に建ち並ぶ店が、夕焼けに赤く染まっている。

「いつからドラムはやってるの?」

「小4の頃からだから・・・11歳かな」

計算をするときに、目を上に向ける人が多いらしい。彼も、例外ではなかった(もちろん私も)。

「早いね。私も、もっと早くギターに出会っていれば、今までを有意義に過ごしてこれたのに」

彼がかぶりを振った。

「そんなことないよ。ギターに出会うまでの日々を、ギターと出会うための積み重ねと思えば。それまでの日があったから、今君はギターを弾いてる」

思わぬ優しい言葉に私は少し動揺した。

「そういわれると・・・救われる気がする」

うん、彼がそう言って頷いた。

「そうであって欲しいな。恥ずかしい台詞を言った甲斐があったよ」

顔が赤く見えるのは夕日のせいじゃなかったんだ。

 

 

こうして私達の人生線は交わりながら進んでいった。なんていう感じだろう。友達が一気に増えた感じ?

いや、これは友達よりも強い絆の関係。仲間。同じ目的を共にする仲間。

 

それからも4回目のセッションの時、私はとうとう壁にぶち当たった。

「うーん、弱ったなあ・・・ここは弾けないと曲に味わいが出ないんや」

どうしても経験の浅い私にはできない事はある。しかし今の私の立場ではそんな事を理由に弾けませんとは言えない。

今更ながらに“グングニル”に所属することの重みを味わうことになる。

「・・・・・・」

私は愕然とした。だって、あれだけ練習したのに、一向に弾けそうな気配も無いのだから。

「とりあえず、今日は終わりにしよう。なに、次があるさ」

西脇さんの提案で、私達は帰路についた。沈黙を守る事しか出来ずに俯いて歩いている私の横を佐伯君が歩いている。

どうしよう。今は7月の中旬。こんな場所で躓いていられるほど猶予は無い。

佐伯君なんてもう完璧に叩きこなしている。彼が作ったのだから、当然か。

「すごいね、佐伯君は。私はお荷物になってるのに佐伯君はしっかりチームの柱になってる」

作曲をしてもらって時間をたっぷりもらってもできない私とは、比較にすらならないよね。

「もうじき、君もそういう風になるんだよ」

「そうかなあ・・・何か自信なくなってきちゃった」

街路樹の向こう、車が行き交っている。その向こうの歩道にはやはり犬の散歩をしている人が多い。

「そんなの、俺だって何度も挫折したさ。こんな難しい楽譜なんて俺に叩けるのかなあって」

私は押し黙って彼の話を聞いていた。

「でも現金でね。上手く出来たら何でこんな事出来なかったんだろ? って」

そしてね。そう言って彼が空を見上げる。Tシャツが風に吹かれて靡いた。

「ドラム叩いてて良かったって思えるんだ。実際的ドラムが得意だったのは、すごくラッキーだったしね」

どうして?

私の問いの後、暫くの沈黙、彼が苦笑する。

「ドラムって間違っても唄う事は無いでしょ? 俺、凄く歌が下手だから」

そうなの?

 

試しに彼が唄いだしたけど、私は5秒で笑い出してしまった。

 

 

「やった、弾けた!」

何の問題も無く演奏できる。なるほど。佐伯君の言ってた事がよく分かる。

ギターやってて、良かった。この高揚感はなかなか味わえない。人前でかっこ良く弾いて見せたらどれだけ気持ちいいんだろう。

大会までの猛練習。何とか曲をモノにした私をみんな驚いていた。ただ一人を除いて。

 

 

 

いよいよ大会本番。

 

「いけるでぇ、コンディションも最高や!」

大島さんが叫ぶ。

「やれることはやった。いこう」

あくまで落ち着き払った西脇さん。けど分かる。西脇さんだけでないけど、皆が皆、心臓が爆発しそうなくらい緊張している。

私達はステージに立った。

司会者が何かを言っている。

何故だろう? こんなに緊張しているのに、心は踊り、昂ぶっている。

辺りが静まり返る。佐伯君がクリック(スティック同士をぶつけてカンカンとリズムをとる音)する。一つ一つが私の耳に飛び込んでくる。

ドン!

ドラムの音に合わせて私のギターがステレオを経由して凄まじい音を広げる。ホールなんかで演奏するのは初めてだから仕方ないけど、こんなに大きな音は初めて。

西脇さんは、切れ長の目でベースの迫力ある低音を弾き出す指を見ている。

大島さんもギターを弾く事によって一層曲に深みが出ている。

疾走感溢れる曲調に大島さんの声が乗り込んでいく。

私のギターは休む事無く弦を揺らしつづける。

 

サビに入ると、私のギターも激しさを増し、大島さんの大きな声が曲と一体化してホールに響き渡った。

サビの終わりにすかさず私のギターソロが入る。

大丈夫。間違えない。何度も練習したんだから。

 

最後の盛り上がり、私は汗も気にしないままギターを引き続けた。

ドラムが纏め取り、たたみかけるような激しい音を打ち鳴らす。

 

気が付くと、私達は曲を終えていた。

え、もう終わり? もっと弾いていたかった。

けれど、そんなもの悲しい気持ちも、拍手喝采の前では喜びにあっさり負けてしまい、引っ込んでしまった。

そして、私は気が付かないうちに涙を流していた。生まれてきて良かった。こんな充実感は生まれて初めて。

 

結果は1位。さらに上の大会に繋がっていたらしく、私達は進むどころかシード権までもらっていた。

結果発表で、私はまた泣いた。佐伯君も泣いていたらしいけど、私は気付かずにすすり泣いていた。

 

 

 

 

 

9月。

 

「大島さーん! 西脇さーん!」

私が叫ぶと、向こうも気付いて歩み寄ってくる。

「おう、お二人さん、カップルで仲良うご到着やな」

「そ、そんなことっ」

私が反論しようとすると、耕二が照れくさそうに笑った。

「ええ、そうですね」

うわっナニイッテンノ!

「あーあ、ごちそーさまだな」

西脇さんまで!

 

・・・たくぅ。確かに私達、9月の初旬から付き合ってるけど、やっぱり気恥ずかしい。

これも人間性理論かな。帰り道が同じでは無かったらこの関係は無かったもの。

いえ、まだ手も繋げないような関係ですけど!? 

「それじゃ、行きますか」

「はい」

 

ホールに向かう。

きっと大丈夫。

一人なら出来ないかもしれない。でもみんなならできる。

 

【君と出会えた それが素晴らしい 信じあえる それが嬉しい かけがえの無いそんな全てと これからも一緒に ずっと一緒に 

       上手い言葉見当たらないけど たった一つ忘れないでいて たいせつなひと 伝えたい事 きっと いつも 君を信じてる】

 

たった一つのきっかけで、私はこんな詩を向けられるような相手にめぐり合い、よき仲間に囲まれ、夢に向かっていけるようになった。

全く人間性理論は不思議だ。

これが私が人間性理論の性質の一つを見つけるまでのお話。

ホラ、私があの夜テレビをつけないと、こんな出会いはなかったんだよ?

あのテレビに映っていたバンド。彼らと出会って7度目の月。私は、彼らに確実に近づきつつある。

いずれ、何処かで、

 

追いつけるハズ。

 

私がギターを振り上げた。

私は生きてる。人々が沸きあがってる、大きなうねりの中に身を任せて。

私は生きてる。素敵な仲間に囲まれて。

私は生きてる。ギターをかき鳴らして。

私は生きてる。愛する人と共に。

 

私は、生きる意味を求めながら、生きてる。

 

人間性理論の中で、何度も歪曲しながら。