7th 』

 

 

 電車のドアが開き、車内は本来の季節を取り戻した。

 冷房で無理矢理冷やされた車内の空気が我先にとドアから飛び出し、かわりに熱を帯びた外気が次々に電車に乗り込んでくる。

 このような場所に居なければさえ常に私に纏わりついて離れない熱気ではあるが、徐々に冷房に慣れはじめていたこの体には少々辛い。

 車内に僅か残る冷気が恋しくて、このままここで涼みたいという悪魔のささやきが脳裏をよぎる。

 だが悪魔が私を誘惑するその前に、下車せんと乗降口に迫る人の波にのまれ、私は電車から搾り出された。

 睨みつけるような視線をこちらに向けつつ、いかにも“上司にこき使われてストレス溜まってます”な顔つきをしたサラリーマンが私の横をすり抜け、早足でホームを歩いてゆく。

 乗降口の前に居座っているのはさすがに迷惑だったか。

 私は電車から離れるように歩を進める。

 先程出て行った冷気がこの辺をうろついていても良いものだが、あれほど私の身体に馴染んでいた空気は薄情にも私を置いてどこかへ行ってしまったらしい。

 次に会った時は人との関わりを大切にするよう言い聞かせなければ。

「……………」

 頭に浮かんだくだらない思考に苦笑する。

 どこかネジが外れた思考を脳から追い出すように嘆息してみるが、それは蒸すような空気に侵され、不快な風を外界へ送るに過ぎなかった。

 九月。

 夏も終わりだというこの時期に、太陽はこれでもかとばかりに未練がましく光を投げ込んでいる。

 まるで在庫が余った夏物の服を破格で売りさばくような大盤振る舞いだ。

 ………迷惑な事この上ない。

 ホームを守るかのように長く伸びる屋根のおかげで太陽の光を直接浴びる事はないものの、真夏の太陽と風がもたらす熱風は屋根などものともせずに私の身体へと纏わりついている。

 ただその場に立っているだけで、不快な汗が肌を滑っていった。

 私はポケットからハンカチを取り出し、額にあてる。

 ハンカチはみるみるうちに湿り気を帯びていく。

 ちょっとでも絞れば溜まった汗が滴り落ちそうだ。

 

 ――暑い。

 今さら言うまでもないが、暑い。

 

 私はすっかりびしょびしょになってしまったハンカチを折りたたみ、ポケットの中に入れる。

 

 ――が。

 

「………?」

 ポケットに入れた手に違和感を覚えて、その正体を引き抜く。

 私の手にあるのは小刻みに震え続けている携帯電話。

 電車に乗ってからマナーモードに設定したまま解除するのを忘れていた事を思い出した。

 私は折りたたまれた携帯電話を開き、そのディスプレイを見る。

 無機的に並ぶ、十一桁の数字。

 

 私は溜め息を一つ吐き、

 

 ――ピッ

 

 電話を切った。

 

 ――電波が悪いな……

 

 画面に表示されている電波の本数は僅か一本。それもすぐに無くなりそうなほどの心許無さで、満足のいく通話可能状態ではなかった。電話を掛けてきた相手には悪いが、後でかけさせてもらおう。

 そう心の中で詫びながら、携帯電話をしまいこんで思ったことは。

 

「暑い……」

 額に滲む、じっとりとした汗。

 今更ながらに、グレーのスーツを着てきたことを後悔した。

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

「――切りやがった……」

「どうかしましたか、先輩?」

「いや……なんでもない」

「それなら良いですけど、あまり店内で携帯を使わないほうがいいですよ。一応マナーなんですから……」

 ポニーテールの少女は周りを見回しながら、携帯電話を操作している、対面の席の緋色の髪をした若者に、声を潜めて忠告する。周囲で携帯電話を使っているものは居らず、ただ談笑や軽食を取っている者が殆どであったために気まずげな表情であった。

 事実、一般ではファミレスと略称されるこの店内の彼方此方には、ピースメーカーなどの誤作動防止ための対策として、携帯電話使用の自粛を求める貼り紙が張られていた。

「ん……ああ。そうだな」

 その中で、携帯電話で通話しようとしている自分が浮いていることが分かったのか、若者はばつ悪げな表情で頷く。

 しかし、未だ諦めがつかないのか、ちらちらと携帯電話の画面を覗き込んでいる様子に、ポニーテールの少女は訝しげに首を傾げる。

「何か大事な用でもあったんですか? 例えば、いますぐにでも電話をしなきゃいけないこととか……」

「まあ、急用といえば急用なんだが……別段急ぐ必要も無いと言うか……」

「恋人ですか?」

「馬鹿言うな。ただの知り合いだよ」

 馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに若者は無愛想に肩を竦めるが、ようやく携帯電話をポケットにしまい込むと、ポニーテールの少女が微かに微笑んだ。

 

 太陽の位置が頂点に達しようという時間帯。

 残暑の厳しい陽射しが照り付ける外の熱気は、冷房が効いた店内では暑さを伝えることは無く、外の熱気で茹った身体の冷却手段として、心地良い涼しさを求めて来店する客で入り浸っていた。昼時の休憩時間を利用しているのか、平日にも拘らず、百人は収容出来そうな広さの店内は、会社員の客で殆どの席が埋め尽くされている都内某所のとあるファミリーレストランは、昼時の憩いの場と言う雰囲気に相応しい光景とも言えよう。

 その中でも、一際周囲の客の視線を集める一組の席があった。

 

 その席は入り口近くの窓際にあり、その四人掛け(ボックス)の禁煙席には2人が向かい合うように座っており、買い物でもしていたのか二人の傍らのスペースには紙袋が置かれていた。

 年の頃は双方とも高校生くらいであり、平日の昼時だというのに私服を着ているのは、視線を集める要因の一つでもあるだろう。。

 一人は胸元に英語のワッペンが入ったピンクのサマーセーターと綿のパンツルックに、長い黒髪をポニーテールに結い上げた少女。クリクリとした大きめの眼と髪を縛った青いリボンが特徴の何処にでも居るような、しかし道を歩いて居れば何人かが振り向きそうな、可愛らしい顔立ちの娘である。

 

 しかし、注目を集めているのは彼女よりも、むしろ同席している緋色の若者のほうに視線が向いてしまっているのが、このファミレスに居る客の総意を表していた。

 

 その若者をたった一言で表現すれば、『凛々しい』と言い表せるほど、類稀なる美貌を持った容貌をしていた。

 新雪の如きシミ一つ無い白い肌。きりりと引き締まった線の細い輪郭。乱れなく、すうっと、通った鼻筋。紅を引いたような光沢のある小さめな唇。そして茫洋とした掴み所の無い光を放つ切れ長の瞳。もはや神が精魂を込めて造形美を表現し尽くしたような、道行く誰もが振り返りそうな、眩いばかりの美貌がそこにあった。

 それほど稀有な美貌を兼ね揃えていながら、黒のTシャツとデニムジャケットを適当に着込み、洗いざらしのようなジーンズに脚を通している出で立ちは、服装に対する無頓着さが現れているように思えた。さらに、緋色の髪を短く切り揃えた髪型、透き通るような高めの声、華奢な体格、そして口調は、少年とも少女とも判断が付き辛い。

 

 そんな中性的な容貌をした若者――仙道御影(せんどう・みかげ)は、時折、一身に集まる視線を受けながらも、気にするそぶりを見せず、無愛想ながら対面の少女と談話を交わしていた。

 

「しかし、お前も変わってるよな」

 先程、ウェイトレスが運んできたチョコレートパフェをつつきながら、御影は思い立ったように、不意にぽつりと呟いた。前傾姿勢で食べているおかげで、真上がホイップクリームに覆われているパフェの壁が、対面の相手を見えなくしている。

「何がですか?」

 ポニーテールの少女――高林睦子(たかばやし・むつこ)は、本日三つ目となるチョコレートパフェを無愛想にありついている御影を微笑ましそうに見ながら、聞き返す。

「俺を買い物につき合わせるなんてさ。一緒に居ても面白くもなんとも無いだろうに」

「そんなことないですよ。今日は先輩に付き合っていただいて助かりました」

 『先輩』という呼称を用いるところを見ると、どうやら睦子は御影より学年が下のようだ。睦子は満面の笑みを浮かべてお辞儀をする。

「そうか? まあ、お前が楽しければどうでもいいんだが……」

「はい。楽しかったです」

 素直にお礼を言われるとは思って居なかったのか、御影は少し目を見開いた様子で睦子を見つめる。口端についた生クリームを紙ナプキンで拭いている手を動かしたままだった。無愛想な雰囲気を醸し出している御影がそのような仕草をしているのは、ギャップを感じさせるが微笑ましさまでをも感じさせる。

「楽しかったって言われてもなぁ……俺はただ一緒に居ただけなんだが」

「何言ってるんですか。先輩だって私が買い物してる時に、一緒になって選んでくれたじゃないですか。それも熱心に」

 うっ、と言葉を詰まらす御影。確かに睦子ほどではないが、御影の傍らにも一つ紙袋が置かれている。それが購入した商品らしい。

「あんなに夢中になって買い物してる先輩は初めて見ました。学校の中じゃいつもクールですもんね♪」

 ウキウキと言った擬音がぴったりくるほどの言動で、睦子はオレンジジュースのストローに口をつける。その様子はデートを満喫している少女のそれに近かった。

「少しだけじゃないか。別にお前みたいに、目を光らせて服を見た覚えは無い」

「嘘ばっかり。ミリタリーグッズだけは、興奮した様子で選んでいた先輩が言っても説得力が無いですよ」

 睦子に指摘された御影は照れを隠すようにパフェをかき込む。調子を狂わされているのだろう、その無愛想に苦虫を噛み潰すような表情が垣間見えた。

 

 事実、御影は目の前の後輩の無邪気さに、普段のクールさが発揮出来ないほどの心境に陥っていたが、それは半分ほど的を射ているに過ぎなかった。

 

 近隣地区の付属学校の高等部に所属している御影たちは、本日は午前授業のために学校が早く終わり、知り合いである睦子に買い物に誘われて現在に至っていた。

 一見、何の接点も内容に思える二人であるが、睦子が入学式当日に起きたトラブルを成り行きのまま解決したのが御影であり、そこから二人の交流が現在まで続いている。

 

「先輩、部活はどうしたんですか?」

「ん? 別に行かなくてもいいだろ。俺は別に正式な部員でもないんだからな」

「でも、空手部の人たち、先輩に出て欲しいって言ってましたよ? もうすぐ大会だから助っ人に来て欲しいって……」

「知るか。あまり目立つようなことはしたくないからな……それに大会に出ること自体面倒なんだよ」

「そうですね。そうじゃなきゃ、今日みたいにお出かけなんか出来ませんし」

 2人の雰囲気といい、御影に対する睦子の受け答え方からいい、傍から見ればデートに見えるが、少なくとも御影本人はそう思っていない。ただ、付き合わされた成り行きの『ついで』に、自分の買い物も済ませた。そう御影は考えている。

 買い物自体は予想以上に楽しかったし、表には出さないが少しだけ睦子にも感謝している。

 そう。

 途中から入った連絡がなければ、もっと満喫出来たのかもしれない。

 

「――それにしても、凄いですねぇ……」

 いつの間に思考に陥っていたのか、不意に飛び込んできた後輩の呟きに、御影は我に返る。

「ん? 何がだ?」

「あれ……」

 一体何の事を言っているのかと尋ねた時、睦子は視線とともに人差し指を隣の窓の方角に向けた。その様子に釣られるようにして、御影も窓の方へと振り向くと。

「ああ……なるほどな」

「でしょう? ホントに凄いですよねぇ……」

 その言葉通り、御影は納得しながらも眉根を顰めて頷き返した。

 

 本来ならば、清潔感漂う窓に映っているのは、外にあるファミレス周辺の情景だけのはずなのだが、今日に限って外は宙を飛び回る小さな黒い点々――羽蟻が、外周辺を埋め尽くしていた。

 現に御影達が見ている窓の周囲にも数十匹の羽蟻が這いずっており、ここに来た時も店内を飛び回っている数匹の羽虫を確認出来た。

「テレビで言ったとおりだなぁ……」

 そんな見るからに爽快な気分を台無しにするかのような光景には、実は理由があった。

 

 九月初めという暦でありながら、残暑の名残を感じさせる本日、御影達が住んでいる都内周辺に羽蟻が大量発生する旨のニュースがテレビや新聞を通じて、今朝方報道されていた。 

 季節の変わり目に大量発生する虫の代表として晩秋に見られる雪虫が挙げられるが、初秋に羽蟻が大量発生するケースは極稀であろう。過去、アメリカの農村地帯で羽蟻が大量発生したことはあるが、日本で、しかも未だ残暑が覆い尽くしている今日と言う日に大量発生するのは異常事態とも言われていると、今朝方見た某テレビ局のニュース番組でアナウンサーが言っていたのを思い出した。

 ただ、通常の蟻とは違って、羽蟻の生息可能地帯は自然の少ない都会では減少していることから、今日一日に限って今まで起こすことの出来なかった、別の生息可能地帯へと大量移動するのであろうとも報道していた。

 

「別に害は無いとは言え、鬱陶し過ぎるのも間違い無いな……」

「ですよねぇ……折角のデートが台無しになっちゃってますよ」

「それも少し間違ってる」

 睦子の浮かれている発言の端を聞き咎めながら、御影は漠然と大量の羽蟻に害は無いだろうと、この時は思っていた。

 店内が僅かな休息のひとときの雰囲気に包まれていたその時。

 ――ん?

 何か遠くからブレーキ音のような音が談話していた、御影の耳に入ってきた。

 

 

 

 

 

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「暑いな……」

 もう何度目かも分からない呟きを口にすると、上下をグレーのスーツで固めたサラリーマン風の男――南雲章光(なぐも・あきみつ)は、会社員風の容貌には似つかわしくない精悍な顔立ちを顰めながら、周辺を見回した。

「ここが指定された場所、なのか?」

 一字一句噛み締めるように南雲が佇んでいる場所は、雑居ビルが林立するビジネス街の一角に面した、人通りが盛んな大通り公園の入り口前だった。南雲は指定された場所に向かうために駅を後にしたのだが、戸惑うようにそこに留まっている。

 雲一つ無い快晴な天気の昼時ともなれば、OLやサラリーマンの姿が彼方此方で見受けられるのも不思議ではない。ただ、ベンチや噴水の前で談笑をしながら昼食を取っている光景があまりにも平凡過ぎて、困惑を生じさせるのに充分な要素を兼ねそろえていたのである。

 ただ、気候の関係から彼方此方に大量発生している羽蟻の群れが無ければ、心安らげられる格好の場所であることは間違い無い。

 ――本当にここなのか? 任務を遂行する場所は……

 今まで任務をこなしてきた場所は、寂れた繁華街の裏路地や廃ビルなどが多かったために、南雲はしっくりと来なかった。

 

 ――やはりおかしい……普通過ぎる。

 

 駅を出てから、しばし、ビジネス街を見回ったのは良いが、何の変哲も無い状況が続いていることに南雲の胸の内は徐々に焦燥感が湧き上がる。

 何処へ行っても腕時計に仕込まれたレーダーにも感知せず、『クリーチャー』が出現する気配すら起きない。見渡しても、林立する雑居ビル郡と街路樹に埋め尽くされている公園の光景だけ。ギラギラと残暑を表現する陽射しの熱気を吸い取った、街路樹からの涼気が汗ばんだ肌を撫で上げるのみ。

 茫然と公園の入り口で立ちすくんでいた南雲であったが、不意に顔を顰めながら耳元を手で払う仕草をする。

「ああっ、鬱陶しいな……」

 耳元を通過する羽蟻らしき虫の羽音が、南雲の神経を逆撫でする。今日みたいな暑い日に所構わず多数飛び回っているのを見ると、蒸し暑さと相まって不快感を増幅させてしてしまう。こうして佇んでいるだけでも、視界を羽蟻の群れが埋め尽くそうとするかのように飛び回っている。

 

「……あっ」

 羽蟻の多さに手を振り払うなど悪戦苦闘していた南雲であったが、ふと思い立ったようにブレザーの内ポケットから携帯電話を取り出した。

 

 ――もしかすると……

 

 南雲は、ホームに居る時に掛かってきた電話の事を思い出した。すぐ掛けなおそうと思っていたのだが、街中を探索しているうちに忘れていたようだ。

 もしかすると、先程の連絡は任務に関することなのかもしれない。そう考えた南雲は電話を開くと、通信履歴を辿り、素早い動作で操作した。

 一回、二回……。無機質なダイヤル音が鳴り響くと。

『もしもし?』

 無愛想な、それでいて透き通った声が受話器越しに耳に入った。

「御影か? 今何処にいる?」

『アキミツか? お前何でさっき電話切ったんだ?』

「ああ、電波状況が悪くてな……。まあ、それよりも、一体何の用だったんだ?」

 南雲は御影と呼んだ電話の相手に向かって、気になっていたことを切り出してみた。

 電話の相手は調子を変えず、ただ淡々と声を発する。

『ああ、それなんだがな――』

 だが、その内容は最後まで伝えられることは無かった。

 

 キキィーーーー!!  ガシャーーーンッ!!!!

 

「ぐぅっ!? な、何だ!?」

 耳をつんさぐような、不快な衝撃音が受話器の向こうから聞こえだし、そのただ事ならぬ音に南雲は携帯電話を持ったまま狼狽してしまう。

「おい、御影……御影! 一体何があった!?」

 周囲の目も気にしないように南雲は応答を求めるようにして、電話の相手に向かって叫び続ける。

 しかし、返ってくるのは、通話を終えた証である「ツー、ツー……」という、甲高い無機質な音だけだった。

「……まさか」

 不吉な悪寒が奔る南雲の視線の先には、一つのテナントビルがあった。

 

 

 

 

 

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 もうもうと立ち込める煙と舞い散る塵灰が視界を塞ぐ。周囲から聞こえるうめき声は被害にあった客からのものだろうか。

「ってェ……何だよいきなり!?」

「ゲホッ、ゲホッ! ……す、凄い埃……」

「いてて! 目に入った! 何だよ、これ!?」

 それでも大体の客は無事だったようで、飛び交う戸惑いからの怒号と悲鳴はまだまだ元気を感じ取ることが出来る。

「……何があったんだ」

 店内の照明は消えてしまったようだ。無理も無い。

 どこからか、陽射しと思われる一点の光を感じると、まだ被害を受けていない場所があるのが分かった。

 煙と塵灰に遮られていた視界が、段々と晴れていき、周囲の全貌を明らかにする。御影は地面に伏せている状態から、ゆっくりと顔を上げた。

「ああ!」

 誰の叫び声だろうか。もしかすると、その叫びは、ここに居るもの全ての反応を代返したのかもしれない。そう思ってしまうほど、周辺は滅茶苦茶なものであった。

「………………」

 御影は回復した視力で見回すと、先刻まではファミリーレストランだった周辺は、西側の奥行き以外元の原形を留めては居らず、テーブルやカウンター、窓ガラスや照明、壁が破損したコンクリートの残骸が地面に散らばっており、それらが埃や塵灰といった細かな物質となって宙を舞い視界を覆っていたようだ。

 しかし、何故こんな状態になったのか、混乱している頭をフル活動させて記憶を辿ろうとした。だが、それもすぐ原因が発覚し、思考が途中でカットされることになる。

「な、何よ、これ……!?」

 最も被害状態が激しい入り口方面から絶句するような声が耳に入り、御影は何事かと振り返った。

 すると入り口方面から厨房まで、まるでテナントビルの一階部分を貫通しているのではないかと思うほど、東側が『能嶋輸送』と書かれたトラックのコンテナに埋め尽くされていた。

 ―――なるほど……

 東側を破壊した元凶であるトラックは、突如憩いの場をかき乱すようにして、猛スピードで突っ込んできたことを思い出した。どこから走ってきたのかは知らないが、向かい側にある雑居ビルに面した道路から、神経を逆撫でするような甲高いカーブ音が聞こえてきたのは覚えている。

 破壊状況からすると、多分狙って方向転換し、そのまま凄まじい勢いで自動ドアを突き破り、コンクリートとガラスの破片を撒き散らしながら、厨房まで暴走したものと思われた。コンクリートの壁を貫くように埋まっている、運転席を見れば一目瞭然である。あれでは運転手は出て来られないどころか、生死の状態すら定かではない。

 こんな状況下にも拘らず、自分は冷静な分析をしているものだと、内心驚いていると。

「――ったく、冗談じゃねェぞ! 誰だ、トラックなんか突っ込ませた奴はよォ!?」

 憤りも新たに、まだ若いと思われる男の罵声が、どこからか発せられた。

「オイ、運転手出てこい! 何を考えて運転してるんだ!?」

「こんなにしてバッカじゃないの!? 頭おかしいんじゃない!?」

 そのまま連鎖したかのように次々と不満と怒りの声が発せられる。何人かは声だけでは気が済まないのか、コンテナを叩いたり、蹴ったりする者も居た。

「ぅ……ん」

 ふと傍らからうめき声が聞こえる。声の方向に視線を向けると、御影の下になるようにして睦子が倒れていた。

 そう言えば、トラックが衝突してくる前に、驚愕で硬直している睦子を庇うように、咄嗟の判断で地面に伏せていたのだった。

「高林、高林……」

 睦子の元へ移動し、呼びかけるが目を覚ます気配は無い。

「高林! オイ、しっかりしろ!」

「うん……っ、ぅ……」

 睦子の頭を持ち上げ、叫ぶようにして呼びかける。

 時折、頬を軽く叩いてみるが目を覚まさない。どうやら完全に気絶しているようだ。

「ちっ……こんな時に」

 御影はじれったさに舌打ちをしたが、このような状況下で気絶している場合かと激昂しても、それは酷というものだ。そんなことよりも怪我が無いかどうかを確認することのほうが先だと思い、慌てて睦子の状態を確かめる。

 ――怪我は、無いか……

 気絶しているとはいえ、頭にも目立った外傷が無いのが分かり、内心胸を撫で下ろす御影。

 

 だが、その時――

 

 ぎりりっと、得体の知れない音が……

 

「ギャアアアアアアアアアア!!!!」

「きゃあああああああああああ!!!!」

「うわわわぁ! な、何だよ、あれぇ!?」

 東側から断末魔に類似した絶叫が聞こえ、御影が振り返るのと同時に。

 

 ―――あれは……

 

 目を見開く。

 コンテナの、それも扉ではない部分が、不自然なほどの強力な力でこじ開けられた痕跡を発見し、そこから何かが顔を覗かせている。

 

 その隙間から這い出るようにして、それが、当然のように。

 呆気に取られる周りの目を尻目に降り立った。

 

「ぎゃ―――」

 『それ』の近くに居た一人の客が倒れると、瞬きも許さない時間で他の客も次々と崩れ落ちた。

 

 客によって遮られていた壁が無くなると、そこには。

 

「――クリーチャー!」

 

 全ての絶叫が止むと同時に、御影が動いたのは、ほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

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 視線の先に見える十階建てのテナントビルから、煙が出ているのを確認しながら、南雲章光は先を急ぐ。

「やはりあれは、気のせいではなかったのか……」

 テナントビルに向かう人々の流れから、向こうで何かあったのだろうと思うのは当然かもしれないが、南雲は別の事柄も気になっていた。

 あれは電話からの音だと思っていたが、あの急激にカーブを曲がったような音は向こうからの音だったのだ。

 ――もしかすると……御影はあの近くに居るのか?

 そうだとするのならば、少し位置と時間はずれるが、向こうに『クリーチャー』が出現したのかもしれない。

 腕時計の蓋を開け、レーダーを見てみるが数値部分は反応していない。しかし、信号は青から黄色に変わっているのは、出現前の何らかの予兆を知らせる証拠である。

 金属ベルトの腕時計の裏には、『クリーチャー』の出現を知らせるレーダーが付いている。

デジタル表示される数値は『クリーチャー』の数と規模、それと出現場所との距離を示すものである。

 下部分に小さく表示されている青、黄色、赤といった道路信号機に似た信号は『クリーチャー』の出現状況を表すものだった。青なら出現していない。黄色なら出現前。赤ならば出現しているといった形式。

 現在、信号は黄色となっているために、あまり猶予はない。

 ――私が行くまで、何も起きないでくれ……

 脳裏を取り巻く不吉を振り払うように。先を急ぐ歩みは自然と駆け足になる。

 そうこうしている内に、見えてきた視線の奥の先。テナントビルの一階部分には人だかりが出来ていた。辿り着くと、野次馬は店内を覗き込むようにして。

 

「――なっ!?」

 

 息を呑む。

 “そこ”には、誰一人として立ち上がって居る者は居らず、ただ気を失ったように寝そべっていた。

 否、誰一人として無事なものは居なかったといっても良いのかもしれない。

 それどころか地面の各所には死骸と思われる大量の羽蟻らしき虫の数々が、まるで撒き散らした蹉跌の如く地面を黒い斑点で埋め尽くしていた。

 

 そして、これは幻覚なのだろうか。

 

「……なんだ、これは……」

 

 南雲の周囲に、僅かに浮遊している『蒼』色は、常人が見れば決して異常が無いとは思えない、何か不吉と生理的嫌悪を感じさせるものに映っていた……

 

 ―――ビーーーッ! ビーーーーッ!

 

 南雲の手元。

 腕時計から、『クリーチャー』出現の知らせとなる電子音が鳴り響く。

 

「……御影!」

 

 視界の端が動く物体を捉えると、南雲は四の五を考える間も無く動き出した。

 

 

 

 

 

 

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 現在から、およそ三十数年前。

 宗教観の違いと発展途上国の土地における環境資源分配といった各国の利益などの対立が原因となり、某先進国と発展途上国が対立し、中東を舞台にした戦争が勃発した。

 あらゆる技術の先端を開発し続けている先進国と、政治経済も科学技術も安定するのが精一杯の途上国の戦争では、名目だけで戦争にはならず、物量と技術の遥か上を行く先進国の圧勝に終わった。

 

 しかし、それは同時に、静かなる爆弾の火蓋となる悲劇への幕開けであった。

 

 某先進国は陸海空に渡って途上国を圧倒していたが、一方で戦地に住んでいた市民に対する恐怖への植え付けのため、虐殺まがいの軍事行動を取ったことが近年、ある団体の調査によって発覚するに至る。

 その時に用いられた兵器の中で、劣化ウラニウムとスコポラミンなど、猛毒性までをも大量に含んだ対地上用新型爆弾が、先進国軍の戦闘機に多数爆撃に使用された。

 だが、問題はその爆弾の爆発による被害よりも、爆発後に生じた『変異性融合核放射能』、後に悪形を模った生命体を創造する”よこしまなもの”という忌み名を込めて、『ベリアル』と呼称される放射能そのものにあった。

 その放射能の特徴として、強調して挙げられる部分は通常の核爆弾の千倍を超える感染力と耐久性である。発症率は極稀の確立であるが、半径十万メートル以内に居る者には確実に感染すると言われる高確率度と、どんな対策を取っても完全に消滅・弱体化させ難い耐久力は、『ベリアル』の絶滅を予想以上に困難化させた。

 そして、あらゆる要素が混合して世界中に自然散布するようになり、放射能を浴びた者達にある変化をきたすことになる。

 その変化とは、放射能を浴びた者は、素肌が爛れ、髪が抜け落ち、体中の骨がボロボロになり、脳を含める神経系統、五臓六腑に至るまで異常が生じ、後に死亡にまで発展するという原子力型放射能特有の症状が戦地地元民に表れるようになった。

 さらに妊婦が浴びれば、生まれてくる胎児に異常が生じ、頭が三つ、手と足が逆に付く、顔にあるはずの口が胴体にあるなどの奇形児が確認された時は、とてもではないが正視するに堪えない光景であったのはいうまでも無い。

 

 しかし、これらは全て予測できる範囲の事例に過ぎず、さらに度を越えた症例も存在する。

 

 某国では、感染したらしき市民が、何の脈略も無く突如異常変異を引き起こし、まるで人間と虫が融合したような形で襲い掛かるという事件は、周りに居た人々を戦慄と恐怖の渦に巻き込んだ。

 

 このような事件は戦争前であれば前例の無いことではあったが、後になって人間と虫だけではなく、人間と動物、虫と動物など種別を問わず、色々な融合種類の異常変異体が発見・報告されており、世界各国で同じような症例が発生し、その数は年々増え続けている。

 

 何故、このような現象が起きるのか。現時点では、詳しい原因は未だ解明されていない。ただ一つ、ある国の政府研究機関の調査報告書によって、比較的信憑性の高い学説が各国政府機関に公表された。

 それは”確立は測定できないが、放射能が散布した土地に生息している虫と人間ないし動物、それぞれが密接した領域に居た場合、何らかの形で化学変化が生じ、融合する可能性が高い”と言うものである。

 

 各国の首脳陣はこの事態を重く見るようになったが、何らかの余地があるとはいえ突然発症するこの『変異病』に対する具体的な対策は無く、今となっては元凶である放射能を世界中から無くすことは不可能に近い。

 さらに言えば、不確定要素の名を公にすれば、人々の混乱を招くという危惧から国は警報も出せず、地球上に住む一般市民は何も知らないまま、対策遅れを取った放射能の餌食となり、いつかは突然変異を起こすようになるのである。

 

 そして、突然変異を引き起こし、人々に危害を与える異常生物のことを、後に各国首脳は『Creature(生物)』という名前に畏怖の響きを込めて『Xreature(異常変異融合生命体)』(クリーチャー)と、秘密裏に総称することとなる。

 

 

 

 

 

 そして、そのクリーチャーと言われる異常変異生命体の一つは今、日本の都内某所にあるファミリーレストランに突如出現していた。

 

 

 

 

 

 

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 悲鳴が止んだ瞬間、西側に非難するようにして素早く移動した時に、それは起こった。

 

「くっ……!」

 後方から煽られるようにして突風が肌を突き刺す。飛び込むようにして西側に移動した御影は、素早く体勢を整えて振り返る。

 店内の西側は無事だが、東側で襲われた客は一人残らずして倒れている。あの一瞬で、あれだけの数の客を昏倒させるとは、今回のクリーチャーはスピード型なのかもしれない。

 そう考えた御影は身構えながらクリーチャーの正体を確かめようとした瞬間。

 

 ガッシャーーーン!!  バリーーンッ!!! 

 

「っ――」

 何かが後ろで破壊された音。

 破壊された東側から、何かの破片が飛来し、御影の頬を掠める。頬に熱いものが伝うのを感じながら、御影は抱えながらの状態で動き続けた。

 広い視界を確保するために、西側に移動した御影は、常人からは考えられない素早い速度で、迫り来る衝撃をかわしていた。

 しかし、それでも防戦一方の状況は変わらずに居る。

 

 ヒュンッ、と目の前を黒い影が通過した瞬間、御影は身を捩った体勢を利用して、クリーチャーの影の一部分に向かって後ろ回し蹴りを放つ。

 

 ガッ!

 

 浅い。当たり具合からして、急所はおろか踵が掠った程度としか感触が無い。

 

 ガシャーーーンッ!! ガランッ、ガランッ……

 

 無事だったテーブルとイスがまとめて倒され、破壊される。宙を飛び回っていたクリーチャーが降り立った拍子に、蹴倒されたのだろう。先程の音からすると、窓ガラスも割られたのではないだろうか。

 

 ふしゅうぅぅぅ……

 

 ようやく体勢を整えた時、御影の目の前に、異様なシルエットの混合生物が着地していた。

 

 一言で言えば、それは蜻蛉のような四対の羽が生えた体長二メートルほどの『蟻』。通常の蟻の何倍もの硬さを持っていると思われる甲殻は黒光りしており、六本の足は上下左右、不規則に蠢いている。

 先程からの『ふしゅうぅぅ……』とかいう音は、呼吸なのか、その巨大な蟻は上半分が規則正しく膨らんだりして動いている。

 

 恐らくトラックの運転手は、この日に大量発生していた羽蟻とあまりにも奇跡的な確立で、不本意にも融合してしまったのかもしれない。

 

 本来ならば、蟻だけでなく、大体の虫は腹這いになって地を進む生物である。

 

 ふしゅうぅぅぅぅ……

 

 しかし、その『蟻』は、地面に昏倒させた周囲の人々をよそに、今、御影の目の前に威嚇するようにして、下の二本足で直立していた。

 それは多分、突如その身に異常をきたした運転手の、直立歩行をする人間だった頃の名残であり、事故を起こしたのは脳にまで変異が生じてしまったせいだろう。

 普通の人間であれば、ほんの僅か見ただけで、前身に鳥肌が立つほどの恐怖と嫌悪感を持つだけでなく、発狂するまで精神に異常をきたしても可笑しくは無い。

 しかし、クリーチャーの正体を睨み付けるように直視していても、御影に怯む様子は無い。

「はぁ、はぁ……くそっ!」

 けれど、不愉快そうに口唇を噛み締めるのには理由があった。

 

 御影は先刻、組織から受けとった報告の内容が当たっていたことに、怒りを感じていた。何も後輩と出かけている時に、クリーチャーが出現することは無いだろうと憤ったが、相対している今となってはどうしようもない。

 そもそもクリーチャーの正体と出現を予測するのは不可能であり、突然の出現の対策方法として、大気に潜む放射能の量とその量が比較的多い場所に人員を配置して、その時を待つしかないのだ。

 後処理の工作員だけ寄越しても戦力にはならないだろう。

 

 せめて、南雲章光が来てくれれば、比較的短時間で済むはずだ。

 

 だがそれでも、御影は未だ余裕が持てない。何故なら、まだ理由があるからだ。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 目の前のクリーチャーがいくら素早いと言っても、対応できない速さではない。それ以上に御影には苦戦しない自信もある。しかし、それはあくまでも、普段の御影であればの話であった。

「……ぅっ…………」

 他の客が一瞬の間に襲撃を受けていた最中、せめて近くの者でもと言う判断から、御影の懐に抱えられている少女、高林睦子。先程から気絶している彼女を引っ張るようにして、西側から離脱したものの、まさか戦闘のハンディになるとは予想だにしていなかった。

 

 ――やはり、俺も浮かれていたんだろうな……

 

 そんな自分の不甲斐無さの隙をつかれた形で、今こんな状況になっている。

 睦子を恨む気など毛頭無い。電話を切られたことに対する恨みなど、もうとっくに消えている。

 

 ――ならばせめて、応援が来るまで高林を守るしかない……

 

 闘い難いのであれば、逃げることだけに専念すれば良い。

「はぁ、はぁ、ぜい、ぜい……」

 そこまで考えた時、異変に気付いた。

「ぜい、はぁ、ぜい、はぁ……!」

 クリーチャーと相対してから、そんなに時間は経過していないはず。

 

 それなのに、この息切れの激しさは、一体どういうことなのか?

 

 ――息苦しい……なんだ、この身体の重さは?

 

 今までクリーチャーと対峙してきた時は、これ以上に動き回ったことがあったが、こんな少し動いただけで息切れをすることなど無かった。

 まるで運動不足のような感じに、御影は焦燥感を抱く。

 

「ぜぃ、ぜぃ、ぜぃ――」

 肺が苦しい。空気が冷たい。喉が突き刺さるように痛みが奔る。過呼吸のあまり目の前が翳み、脳が働きすぎるように落ち着かない。視界が蒼く染まっている。

 そう、満月の秋夜に見られる生い茂った雑草の如く、蒼い――

 

「――っ! ぜぃ、ぜぃ――」

 辺りを見回す。西側のテーブルは白い。

 

 肩で息をしながら、御影はある異変に気付いた。

 

 ――ありえない。周囲の空気が蒼く見えるなんてありえない。これは……

 

 ふしゅうぅぅぅ……

 

「はっ!?」

 答えは目の前にあった。

 

 世の中に出現するクリーチャーの大半は、習性などを応用した能力が存在することを、御影は今までの経験から認識していた。

 蟻は獲物を食らい易くするために、唾液で溶かして柔らかくする。

 目の前のクリーチャーも仕組みは異なっているが、状況は同じなのかもしれない。

 先程から動きを止めたまま襲撃してこないのは、周囲の者たちと御影たちを獲物と思っているのだろう。

 

 ――そういう、こと、だったのか……

 

 あの音と胸囲の動きは、クリーチャーの口元から排出される、水蒸気のような蒼い霧状のものだった。あの蒼い霧には、身体の運動機能を低下する毒でも仕込んでいるのだろう。

 

 ふしゅうぅぅぅ……

 

 それが最後の排出だったのか、クリーチャーは音を止めると、まだ息のある最後の獲物をしとめるかのように動き出した。

 

 カサカサカサ……

 

「こんな時にだけ蟻の動きかよ……」

 先程までは飛び回っていたのに、今は地を這う蟻そのものの動きだ。

 それでも、その動きは素早く、御影は回避しようとしたが動けなかった。

 

 首筋を伝う汗が冷たい。

 片膝を地面に付くほどの疲労困憊の状態が恨めしく感じる。

 

 ――冗談じゃない……

 

 家族と同じ運命を辿るのは真っ平だ。

 瞳に意志の光が灯った御影は、胸元にある『切り札』を握った。

 

 その時。

 

 ドォンッ!! ドォンッ!!!

 

 何処からかの銃声がクリーチャーの動きを止める。よく見ると、クリーチャーの前足部分に命中したような硝煙が立ち込めていた。

 

「御影! 無事か!?」

 玄関側から聞こえるのは、よく知っている男の雷鳴のような低い声。まだかろうじて若いはずなのに、その精悍すぎる顔立ちは実年齢よりも老けて見える同僚の顔が脳裏に浮かんだ。

 ゆっくりと顔を上げた先には、アイツのシルエットが見えた。

 

「遅いんだよ、アキミツ――」

 笑みが浮かんだ顔で、そのグレーのスーツ姿の男の名を呼んだ。

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

 銃声の名残を反響させたまま、周囲の空気が震えているのが分かった。

 ここに来た時すぐに、同僚が襲われているのを見た時、考えるよりも先に銃を撃った。

 トカレフを構えた時と引き金を引いた時の記憶すら、覚えていないほどの動作で。

「御影! 無事か!?」

 同僚に襲い掛かっていた大きなシルエットが動きを止めたとき、銃をそれに向かって構えたまま、南雲章光は声を張り上げるようにして呼んだ。

 

「遅いんだよ、アキミツ……」

 

 一般社会にクリーチャーの存在が明らかになっていない今、その存在を外部に漏れないようにするのは、『7th』の掟である。そのために極力一般市民の目に触れないように、そして被害が出ないようにするために、極秘裏に行動に移すのが、南雲達が所属する『7th』の役目なのだ。

 砂時計の砂を戻すことが出来るのならば、今度は電話に出よう。そうすれば、こんなミスは犯さない自信がある。

 そう思えるほどの光景が、南雲の目の前にあった。

「なんだ、これは?」

 ファミリーレストラン店内の片側がトラックによって破壊された、テナントビルの一階部分の中に辿り着いた南雲の周囲には、昏倒している人々が倒れている。気のせいか空気が蒼いような気がした。

 

 ――いや、これは……

 

 破損状態が著しいとはいえ、太陽光が入る玄関近くから見れば、外との違いが明確になる。

 

 店内の空気は蒼い。

 

「この空気は毒だ。あまり吸い続けると動きが鈍くなるぞ」

 解説をしてきた、向こうの離れた場所に佇む人影の姿を見れば一目瞭然。

「毒だと!? じゃあ、この倒れているのは……」

「ああ、これのせいだ」

 息苦しそうに言う緋色――今は蒼と混じっているように見えるが――の若者、仙道御影は、両膝を地面に付きながら何かを抱えた状態で、顎で指し示した。

 そこには、大部分が蟻の形をしたクリーチャーが、地面を這いずった状態で、御影の近くに止まっていた。

「やはりクリーチャーか……ん?」

 その様子を視認した時、南雲の脳裏にある疑問が浮かぶ。

「どうした?」

「鈍るのは本当だとしても、何故お前は動けるんだ?」

 それは南雲にとって、尤もな疑問だったのだが。

「『第7能力者(アビリター)』だからさ。まあ、流石に息苦しさが限界に来てるがな」

「ああ、なるほど」

 さも当然とばかりの御影の答えに、南雲は顎に手を当てながら合点が言ったように何度も頷いた。

 

 キシャアァァァァ!!!

 

 その時不意に、怪鳥の鳴き声のような耳障りな音が反響した。

「な、なんだ!?」

 それがクリーチャーからのものだということに気付くまで、さほど時間は要さなかった。

 蟻の顔部分にある二対の触角が、鳴き声に共感するようにして震えている。

「へぇ……あれが本来の鳴き声か」

「……っ!? 御影……」

 いつの間にか自分の傍らに佇んでいる御影を見て、驚愕する南雲。だが、身を屈めて息切れをしているところを見ると、相当力を振り絞ってここに辿り着いたのだろう。

 瞬発力と持久力が高い御影にしては珍しい光景でもあるが。

「アキミツ」

「なんだ?」

「こいつを頼む。頭を打ったのか気絶してるんだ」

「ん? あっ――」

 そう言えば向こうでも何か抱えていたのは見えたが、近くでよく見ると御影の懐に抱えられているのは、ポニーテールの髪形をした小柄な少女のようだ。確かに気絶はしているようだが、胸元は規則正しく動いているのをみると、呼吸器官は無事のようだ。

「お前はどうするんだ? まさかその状態で『あれ』と……」

 ……戦う気じゃないだろうな。

 一旦銃を懐にしまうと、御影から少女を受け取りながら南雲は言葉を詰まらす。たとえ愚問であろうとも、聞かずには居られない疑問でもあったのだが、御影の額に滲んでいる汗の量が、尋常ではない身体の状態を訴えている姿に、南雲は最後を濁してしまったのだ。

「……一分だけ待ってくれ。外の空気を吸ってくる」

「えっ?」

 だが、その返答は意外なものだった。

「一分だけでいいんだ。その時までにはコンディションを元に戻しておくよ」

「な、ま――」

 南雲の返答を待たずして、御影は一目散に店内から抜け出した。だが、離れ間際、彼を見据える御影の瞳が強く輝いたような気がした。

「一分だけだと……」

 少女を抱えている両手が塞がっている状態で、どうやって時間稼ぎしろと。

 しかし、御影に任された以上、この場は切り抜けなければなるまい。

 

 ――そうだな……

 

 先程、御影の何か信じるような瞳を思い出しながら、片手で少女を抱え上げ、もう片方の手で銃を取り出し、構える。

 あえて、形だけの不敵な笑みを作ると、巨大な蟻に向かって宣戦を布告する。

 

「短時間だけだが付き合ってやる、化け物」

 

 キシャアァァァァァァ!!!

 

 振り返ったクリーチャーの目に、銃弾の風穴が穿った。

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 外の空気は生温くとも、今の自分には旨く感じられる。

 手元を見てみると、肌が蒼く染まっている。どうやらあれは水蒸気と類似したもののようだ。

「はぁ……」

 べったりとした気持ちの悪い汗が顔中に纏わり付いているのを感じる。恐らく身体中にも汗でべったりだろう。それだからこそ今の店内とは違って、暑くても外の空気が気持ちよく感じられるのだが、あまり猶予は無い。

――やるか……

 新鮮な空気をありったけ吸い込み、身体中の毒を全て吐き出す。先程のような息切れみたいに、短い呼吸を繰り返せば、それは短時間では難しい。

 運動機能を回復させるために、一分より早く、全て完了させよう。

「すぅぅぅぅ……はぁぁぁぁ……」

 まだまだ息苦しさが残っているのか、心臓の鼓動が激しく脈を打っている。

 だが、これでは遅い。限界まで酸素を吸い込む。

「すぅぅぅぅ……」

 顔の上まで両腕を交差させ、ゆっくりとした動作で下ろすと同時に。

 静かなる咆哮の如く、長々と息を吐き出す。

 

 ”息吹”。

 中国拳法を起源とし、空手や日本拳法等にも取り入れられている呼吸法。肺と腹筋を使い、肩部分を弛緩させながら、長々と呼吸をする。

 一回、二回……と、幼少の頃から学んできた中国拳法の一つの型を忠実に応用する。

 汗が引いてきている。鼓動は落ち着き、身体中が軽い。毒が抜けきったようだ。流石に『第七能力者』は回復力が早い。

「よし……!」

 所要時間およそ五十二秒で完了。

 素早く踵を返すと、瓦礫の隙間を縫うようにして玄関口を潜り、元の場所に戻る。

 

 ドンッ! ドンッ! ドンッ!!

 

 向こうからは、銃声の花火が派手に打ち鳴らされていた。

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

 ドガンッ!

 

「くっ!」

 クリーチャーの突き伸ばされた前足がフローリングを施した地面を貫く。その足が自分に当たる前に、バックステップで回避していた南雲は低姿勢のまま、片手で銃を構える。

 

 ドンッ!

 

 放たれる銃弾の音。だが、肝心の銃弾はクリーチャーが居たはずの場所を空しく通過しただけだった。

 ブーン……という震動が耳に入ると、南雲は天井を見上げる。

「羽蟻が……化け物でも銃は恐いのか」

 忌々しげに吐き棄てる南雲の視線の先には、クリーチャーが四対の羽を休むことなく動かし宙を飛んでいる。どうやら先程の震動の音はあれだったようだ。

「ふぅ……流石に」

 空気が薄くなっていくような感覚に、南雲は息苦しさを感じ始めていた。額に汗が滲んでくる。

 

 ――あれが本来の動きなのか……

 

 高さ四メートルはありそうな天井を、縦横無尽に羽音を立てて飛び回るクリーチャーを見上げながら、南雲は眉根を顰めながら思った。

 

 ――グロテスクなものだ。まあ、クリーチャーの大半はあんな感じだが……

 

 最初に見た時の地を這うような動き方はせず、宙を飛びながら隙を窺った後、急激に落下しざま6本の足を使って、突く、振り下ろすなどの攻撃をしてくると言った行為を繰り返している。

 再び降下してきたクリーチャーの中央部分の両足が、南雲の身体を切り裂く如く横薙ぎに振るわれる。

 

 ブォンッ!

 

「むっ!」

 南雲は油断無く身体を捩って回避し続けているが、クリーチャーに決定打を与えることが出来ないだけでなく、徐々に問題が出てきた。

 

 一つ目は左手に抱えられている少女のこと。拳銃を使っているとはいえ、少女を抱えたままでは多少動きが鈍くなるのは避けられない。

 二つ目は攻撃範囲のこと。極力クリーチャーに狙いを定めているようにしているが、周囲には昏倒しているとはいえまだ生きている人間が居るのだ。流れ弾が当たってしまえば、ただ事では済まされない。

 三つ目はクリーチャーの特徴である。今までダメージらしいダメージといえば穿つことが出来た左目と、両前足の先だけである。他の部分にも命中はしたが、甲殻は予想以上の硬質さを秘めており、銃弾が跳ね返るようにしてその身体にダメージを与えることが出来ないのだ。

 

 ――能力の効果が現れたのは前足だけか……

 

 初めに来たとき、真っ先に銃弾を命中させた両の前足は、何か重い動きを見せている。

 それもそのはず、その状態は南雲が仕掛けた『第七の力』の効果であるからだ。

 

 南雲章光の『第七の力』は、「例外無く、触れた物の質量を徐々に重くする(グラビティ・アディッション)」といったものである。それは直接だけではなく、“何かを媒介にして”、間接的に質量を重くさせることも出来る。

 だが、それは外部からでは能力は伝わらず、あくまでも内部に浸透させなければ能力は発動しない。これは自身が医師を志していた時代に発覚した、南雲の能力の特徴と弱点であった。

 南雲が威力の高いトカレフを使っているのも、拳銃と銃弾を媒介にして能力を発動させるためである。事実、辛うじて亀裂を走らせることの出来た両前足と左目はその身体を重くさせているようで、クリーチャーの動きが徐々に鈍くなってきている。恐らく、毎分1キログラムの速さで浸透しているのだろう。

 

 しかし、それだけでは決定打にならず、時間稼ぎにしかならなかった。

 

 ドンッ!  ゴガンッ!  ガゴゴッ……

 

 銃撃と防御。天井に穴が穿ち、地面は抉れて行く。

 

 キシャアァァァァァァ!!

 

「くそっ……」

 

 周囲の空気に含まれた無臭なる毒が運動機能を蝕んでいるのだろう。

 雄叫びを上げるクリーチャーを睨み付ける南雲の表情に疲労の色が見え始める。

 今までもそうだったが、クリーチャー殲滅任務の時には、攻撃系と守護系能力者の二人一組になって行動するのが慣習である。守護系能力者の南雲では決定的な攻撃力は持っていないために膠着状態と化してしまう。

 

 ――後、一回……

 

 だが、それがどうしたのか。

 自分が行うのは時間稼ぎとこの少女を守ること。

 私は御影の頼まれたことを忠実に遂行するだけだ。

 

 そんな長い時間に感じられた、約1分間。

 

 キシャアァァァァァァ!!!

 

 急激な降下する化け物が前足を突き伸ばしてくる。そしてその足を南雲が佇んでいる場所に向かって。

 

 バキャア!!!

 

 寸前、クリーチャーは横から追突してきた細身のシルエットに、壁際まで吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

 どんな人間にも、生まれた頃から備え付けられている力が六つ存在すると言われる。

 細かな名称は大部分省略されているところが多いようだが、大まかに分類すれば、次の六項目になる。

 

 生命力、体力、気力、知力、筋力、感覚力。

 

 これらは人が誕生してすぐに自覚するものではないが、年を取るにつれ、それらの力の存在を知り、そして伸ばし、限界を知っていく。

 

 だが、ごく稀に、それら六つの力の他に、七つ目の力を備えている人間が存在する。

 その『第七の力』を、俗に超能力と定義するものは多いが、これは決して奇跡の産物という陳腐なものではなく、ある条件を満たされた者に備え付けられる半先天的な能力だった。

 

 そしてその半先天的な能力は南雲章光だけではなく……

 

「お前の相手は俺だ、デカブツ」

 

 先程、自らが跳躍蹴りを食らわし、壁際に衝突させた、蟻型クリーチャーを冷たい眼で見下ろしている、年端もいかないような若者――仙道御影にも備わっていた。

 

「遅いぞ。何処が一分なんだ?」

 元はファミリーレストランだった、廃墟のような空間内に響く恨めしげな声。

「それは済まないな。まあ、これでおあいこってところだろう」

 振り返ると、そこには地面に片膝を付くようにして少女を抱え込んでいる、グレーのスーツ――周囲の空気は蒼に染まっているが――を着た青年、南雲章光が、こちらを見ながら佇んでいた。

「悠長なことを……コンディションは整ったんだろうな?」

「ああ。多分、半刻ほどしないうちに、こいつを始末してやるよ」

 言い終わらないうちに、仰向けになって足全てを慌てるように蠢かせているクリーチャーを蹴っ飛ばす。

 

 キシャアァァァァァァ!!!

 

 自由の利かない体勢の状態で蹴られたせいか、些か激昂したように雄叫びを挙げる。相変わらず、癇に障る鳴き声だ。

 周囲に漂う毒を流出させるのが先決だと思ったが、まずは短時間で元凶を取り除く方が先だ。

 そう考えた御影は、蠢かせている1本の後ろ足に向かって後ろ回し蹴りを放った。

 

 バキンッ!!

 

 棍棒を叩き折ったような感触が御影の踵に伝わる。

 どさっ、と、傍らの地面に何か重い物が落ちる音が聞こえた。

 灰色の地面に蠢く細長く黒いそれは、元はクリーチャーの後ろ足だった成れの果て。

 

 キシャアァァァァァ!!

 

 まるで激痛を訴えるかの如く雄叫びを上げたクリーチャーは、仰向けの体勢から浮き上がるようにして、羽音を立てて宙を飛び回るといった、信じがたい動きを見せた。体勢は既に四対の羽のある部分を上にしている。

「ふん……」

 だが、御影はそれを見ても、嘲笑うかのように鼻を鳴らすだけで、別段焦ることはない。いくら飛び回るといっても天井は低め。

 跳躍出来ない高さではない。

 御影は逃げるようにして飛び回るクリーチャーを見据えながら、近くにあった壁を利用して。

 

 ダンッ!

 

 蹴りつけるように跳躍し、クリーチャーに切迫する。

 

キシャアァァァァァ!!!

 

 御影を撃墜するかの如く、クリーチャーの中央部分の右足が突き伸ばされた瞬間、がしッ、と、御影はその足に引っ張るようにして腕を絡めると。

 

「シィ――!!」

 

 ドゴッ!! ガンッ!! ズムッ……

 

 中央部分の足にぶら下がっている状態で胴体上部に猛虎という名称の掌底を入れ。中央部分左足に踵を振り下ろし。胴体と顔の付け根部分に貫き手と言った攻撃を、連瞬で放った。

 

 キシャアァァァァァァ!!!

 

 下から掬い上げるような攻撃の数々。まさに一気呵成の動作と電光石火の早業。

 空中に居ながら、クリーチャーの足にぶら下がりながらの攻撃は、見た目以上に強烈だったようだ。

 

 肉体的にも。恐らく本能的にも。

 

 息も吐かせず、御影は、もがきながらも動きが鈍化したクリーチャーの背面に攀じ登ると。

 

「ふんっ!!」

 

 ブチィッ!!  ブチブチィ!!!

 

 躊躇うことなく四対の羽を、一まとめに抱えるようにして掴み上げ。動作の微弱な根元から、一気に引き千切った。

 

 ズダーーーンッ!!  ドンッ、ドンッ!!!

 

 羽を?ぎ取られたクリーチャーはもはや飛ぶことは叶わず、凄まじい重量を感じさせるような震動と重低音を響かせながら、地面を擦り上げて落下した。

 

 キシャアァァァァァァァ!!!

 

 着地した時腹這いの体勢になったのは良いが、残りの足も関節を極められたために四本の足が破損し、両前足は南雲の能力の影響からその重量を増し、身動きが取れない。飛ぼうとは思っても、羽を?ぎ取られたためにそれは出来ない。

 もはや、達磨同然の状態に怯えるような形で、泣き声のような雄叫びを上げるクリーチャーの傍らに、ゆっくりと近付く細身の人影。

「痛っ……いきなり落ちるな馬鹿」

 己の行動によって起きたこととはいえ、やり場の無い憤りに、背中を擦りながら御影は悪態を吐く。

 しかし、その視線はクリーチャーに向けられている。

「ま、さんざん手間は取らせてくれたが……」

 ゆっくりと持ち上がる左腕。

 しかし、その力を溜めているかの如く振り被っている拳は、何か煌々と輝く光に覆われていた。

 

 よくよく眼を凝らせば、硬い甲殻で覆われているはずの背面の幾つかから、煙が、否、湯気がしゅうしゅうと熔けるような音を立てて立ち昇っていた。

 

 その光景こそ、仙道御影が持つ『第七の力』、「触れた物を区別無く熔かす能力(オン・ザ・ディザーヴ)」そのものである。

 これは南雲の能力とは違い、“何かを媒介にして”能力を浸透させるような間接性は備えてはいない。

 だが、発動の速度、手だけではなく短時間で身体全体に高熱を発動させることが出来るこの能力は、御影を攻撃系能力者として区分されるようになったのは必然といえた。

 

「――これで終わりだ、デカブツ」

 その凛然とした容貌には似つかわしくない、冷酷な笑みが御影の顔に浮かぶ。

 

 キシャアァァァァァァァ!!!

 

 その表情に恐怖感を覚えたのか、クリーチャーは満足に動けないはずの身体を悶える様にして、全身を揺り動かす。脳神経全てを『変異病』に侵食されたのにも拘らず、恐怖感を覚えるのは人間だった頃の名残が、僅かだけ無事だったのかもしれない。

 だが、その光景を眺めていても、御影の表情は変わらない。

「まあ、お前には気の毒なことだとは思うが――」

 一瞬、一際赤く眩い光が熱を伴い周囲を灯す。

 

 

 

 

 

「――これが俺たち『7th』の役目なんでな」

 

 

 

 

 

 クリーチャーの顔部分に、赤き裁きの鉄槌が振り下ろされる。

 

 

 

 

 

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 公に知られていないクリーチャーをこれ以上増加させないためには、大事件に発展する前に、秘密裏に処理する必要性があるのは当然のことである。

 そのため各国政府の首脳は、クリーチャー殲滅組織なる隠密部隊を編成・設立するが、日本国も例外ではなく、政府公認である隠密組織が設立された。

 そのクリーチャー殲滅を目的とした隠密部隊で、『7th(セブンス)』という名称の日本国政府直属隠密組織がある。

 

 先の、三十数年前に勃発した戦争によって発生した『放射能』は、人体に『変異病』を引き起こす元凶となるのは極秘裏に記録されているが、実は必ずしも人体に直接影響を及ぼすものではないことが、ある調査によって発覚した。

 直接ではないと言っても身体内部に影響が及ぶことは避けられない。

 

 だが、その身体で生命を繁殖、つまり母体でも父体でも、『変異病』を患っていない身体から生まれた子供には、天文学的な確立で第七の力を備えられている場合があるのだった。

 

 第七の力を持った者は、外見的には普通の人間の姿と変わらない。だが、他の六つの力は、普通の人間が持ち得る限界の能力を平均的に上回り、クリーチャーと肉弾戦で戦える者も多い。ただ、その第7の能力がどのようなものなのかは、自分で発見するしか無いのである。

 

 各国首脳はこれを機に、自国から第七の力を持つものを集め、クリーチャー殲滅組織の中枢をその人間たちで編成することになる。

 日本国でもそれは同じことであり、事実組織内の中枢には大半と言っていいほど第七能力者で編成されている。

 そのような『第7能力者(アビリター)』で編成・設立された日本国のクリーチャー殲滅組織を、総称『7th』と名づけられることとなる。

 

 

 

 

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 悲鳴すら立てられずに頭部を潰され、その命の灯火を消した、蒼い液体に塗れた『残骸』を一瞥すると、御影は南雲たちが居る元へと踵を返して来た。

 

「終わったな……」

「ああ……あんな奴に手間取ったのは少々癪だがな」

 苦々しげな表情で零す御影だが、その雰囲気には達成感が漂っている。

「仕方が無いだろう。クリーチャー処理の舞台は無数にある。準備万端で向かい入れることは不可能だ」

「分かってるさ、そのくらい。だからこそ、こいつらも巻き込まれたんだ。何も知らずにな……」

 御影は皮肉げに口を歪めながら周囲を見回す。南雲も釣られるようにして見回した。

 

 蒼々とした大気は、元凶のクリーチャーが排出を止めたせいか、その濃さは段々と薄まっていた。

 しかし、クリーチャーに襲われたのか、それとも毒にやられたのか定かではないが、周囲で昏倒している人々は生きているとは言え、このままでは心に大きな傷を残すことになるだろう。

 

「だからこそ私達の存在が必要なんだろうな。それが使命なのか利用されているだけなのかは判らんが……」

 

 後悔を引きずっても何も良いことは起きない。

 たとえそれが破滅へと近道だとしても、自分に課せられた使命であるならば、それに従っていくだけだ。そう南雲は考えていた。

 

「まあ、後処理は応援に来る処理班に任せるさ。こいつらの今日の記憶も消されることになるだろうな」

「そうだな……」

 シニカルになった思考を脳の隅に追いやるように、御影は努めて明るさを含めた口調で言う。

 それに付き合う形で南雲は返した。

 

 ふと気が付くと、遠くからサイレンのような音が聞こえ、それに連なるようにして喧騒が増してくる。徐々に大きさを増す外からの喧騒を一身に感じ取りながら、この場を後にしようと腰を上げたその時。

 

「……ところで御影」

 南雲は思っていたことがあった。

「?」

 何だ? とでも言いたげな表情で見つめてくる御影と、抱えている少女を見比べる。

「この子はどういった子なんだ? 恋人か?」

 先程から湧き上がっていた疑問を、からかい混じりの響きを込めて向ける。

「馬鹿言うな」

 何故か、うんざりだというように、顔を顰めると。

 

「――俺に、同姓の恋人なんていう趣味は無い」

 

 彼女はそっぽを向いた。

 

 

 

 

 

 〜完〜