sky 』

 

 その少女を呼んだ客は親子連れだった。

 食べ残しが転がっているテーブルを慣れた手つきで拭いていたウエイトレスの少女は、ただいま参りまーす、と大きな…しかし澄んだ可愛らしい声で返事をする。

 そして、汚れた布巾をそのテーブルに置き、客に見えないように小さく手を払うと、パタパタと小走りで親子のもとへと駆けていった。

 母親の手には伝票が握られている。

 会計なのだろう。

「お会計、失礼いたします」

 少女がレジカウンタに入ると、母親が少女に伝票を差し出す。

 それを笑顔で受け取ると、少女は伝票に書かれている内容を流れるようにレジに打ち込んだ。

 まるで軽快にステップを踏んでいるかのような、テンポ良く、かつ無駄のない入力を終えて少女は顔を上げる。

「お待たせいたしました。お会計は1470円になります」

 実際のところ大して待たせてはいないのだが、テンプレートに則り金額を読み上げた。

 ミートソーススパゲティと野菜サラダ、アイスコーヒー、オレンジジュース、お子様ランチ。それにチョコレートパフェ。

 これだけの量を注文してこの金額なのだから、この店は本当にお財布に優しいなぁ…とレジを打つたびに少女は思う。

 もっとも、だからこそ今ここで接客出来る要員が店長と少女しか居ないわけなのだが。

 本当はもうひとり接客要員のアルバイトがいるが、今日は来ていない。

 一月ほど前から「今日は休む」と宣言していたので、今頃はどこかを遊び歩いているのかもしれない。

 母親は伝票を見てあらかじめ用意していたと思われる1470円ぴったりの代金をレジカウンタの上の受け皿に載せる。

 少女は金額を丁寧に確認してレジスターに入れ、ありがとうございました、と嫌味なくぺこりとお辞儀をした。

 子供の手を引いて店を出る母親を見送り、最後にもう一度「ありがとうございました」と親子の背中に笑いかけ……そして、少女は目の前の壁に掛けられている時計を見上げた。

 午後の2時10分。お手軽な値段の昼食を求めて来店した客も次第に減る時間帯。

 店内には空いているテーブルが目立つようになってきた。

 お昼時を過ぎれば、あとしばらくは遅い昼食を求める客が時折来店する程度。

 基本的には勤務時間内でありながらもちょっとした休憩のようなひとときを過ごす事になる。

 もちろん、少女も例外ではない。

 レジカウンタの影で制服の皺を伸ばすと、少女は静かに息を吐いた。

 お昼時の混雑で張り詰めていた気持ちがゆっくりと解けていくのが分かる。

 今までは気付く事すらも出来なかった、店内に僅かに残る料理の匂い。

「……そういえば、私もお昼まだだったなぁ」

 少女は眉をハの字にして小さく呟く。

 きゅるるる。

 そして間髪いれず、少女のお腹が切なげな鳴き声を漏らした。

 少女は慌てて両手でお腹を押さえると、頬を真っ赤に染めて店内をきょろきょろと見回す。

 目に付くのは空いたテーブルばかり。

 奥に一つだけ、若いスーツの男性が席についているテーブルがあったが、当の男性は何かを書いているのか、食い入るようにテーブルを見つめたまま右手を忙しなく動かしていた。

 この時間帯にはいつも同じ場所に座って書き物をしている、ある意味常連ともいえる男性なのだが、幸い少女のお腹の虫の鳴き声は男性の耳に入っていなかったようだ。

 あるいは、耳に入っていても気にしていないだけなのかも知れないが。

 少女はお腹をぎゅっと押さえたまま、ほっと息を漏らした。

 ウエイトレスは食事時が一番の稼ぎ時であり、故に昼食や夕食は一般的な時間帯には食べられない事が多い。

 自分のお腹が空いている時に他人の食事を眺めてなければいけないというのはもはや拷問でしかないのだが、いざ食事時になると忙しさのあまり空腹も忘れてしまうのはある意味幸運と言えるかも知れない。

 もっとも、それは忙しい時間帯だけ。

 食事時が過ぎれば、少女の中で無意識のうちに押さえ込んできた腹の虫がゆっくりと活動を再開するのだ。

 そう、今のように。

「今ならお客さんも少ないだろうし、休憩を入れようかな…」

 店長は客が引き始めたところを見計らい、少女よりも少しだけ早く休憩室に入った。

 そろそろ、交代しても良い頃だろう。

 お腹の虫に、そして自分自身に栄養を与えなければ。

 少女は奥の席に座っている男性を見る。

 相変わらず書き物に集中しているようで、少女を呼びつける様子は無さそうだ。

 迅速に引継ぎをすれば、問題なく休憩に入る事が出来るだろう。

 少女はそう思い、休憩室に向かおうとしたその時。

 

 からーん、からーん。

 

 店の入口に付けられたベルが鳴り響く。

 先程の男性が外に出たとはさすがに考えられないので、おそらくは遅い昼食を摂りに来た客か。

 ううっ、こんな時に…っ。

 内心毒づきながらも、少女は全ての感情を笑顔の奥に隠して振り向いた。

「いらっしゃいませーっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「た、助けてください!」

「ふぇっ!?」

 振り向いた瞬間、制服姿の女子に抱きつかれた。

 彼女は涙目で、呼吸も荒く、制服も所々が破けており、何かから必死に逃げてきたという感じだった。

 ウエイトレスの少女は、女子の着ている制服が、店の近くにある公立中学校のものであることに気付く。

 その学校の生徒は、よくここを利用してくれるお得意様なので、印象深く残っているのだ。

「くわっ、くわわー!」

 奇妙だったのは、彼女が小脇に抱きかかえていた一羽の鳥だった。

 今までに聞いたことの無い鳴き声で鳴き、見たことの無い鮮やかなスカイブルーの羽を持つ、小鴨ほどの大きさの鳥。

 足に水掻きが付いていることから、鴨かそれに近い種類なのだと予想する。

「ねぇ、ねぇ店員さんっ!」

 女子の言葉に、遠くへ行っていた意識が引き戻された。

「あっ、はいはい?」

「はいはい、じゃなくてっ! 助けてください! とにかくかくまって!」

 既に涙は目尻から溢れ、頬を伝っていた。

 これはただ事じゃない。

 女子が誰かに追われているということがは、先ほどからの彼女の言動から予測できる。

 追われる理由が一体何なのかは判らないが、とにかくなんとかしなければ。

「な、泣かないで! とにかく奥へ行きましょう、ね?」

 ウエイトレスの少女が女子の腕を取る。

 とりあえず人目の付かない奥のロッカールームに連れて行って、話を聞こう。

 そう考えていた。

 

 ブルゥゥン! ブルルルルルゥゥゥン!

 

 耳を劈く爆音が響く。

 驚いて店の外を見てみると、車が三十台ほど停められる駐車場が、奇抜に改造された二輪車と四輪自動車の集団に埋め尽くされていた。

 その数、二輪四輪合わせて、四十台以上といったところだろう。

 どの車両も派手な装飾、派手なカラーリングをしており、搭乗者と思われる若者達は、皆物騒にも鉄パイプやバットなどを所持していた。

 顔半分を布で覆って顔を隠しているものや、サングラスをかけているもの、頭が赤青黄の信号色に染まっているものなど、個性豊かな面々である。

 集団はエンジンを唸らせ轟音を撒き散らし、威嚇してくる。

 既に集団の何人かは車両から降りて、それぞれが持っている凶器を振り回していた。

 

 ブルルゥン……。

 

 突然、爆音が止む。

 先ほどまで騒々しかったエンジンの唸りも、荒れ狂う者達の叫びも止んだ。

 時が止まったかのように、音という音は消え去った。

 不気味な静寂が、辺りを包む。

 ざざざっと、集団が二つに別れ、中央に道が開いた。

 黒と赤のツートンカラーの乗用車が、その中を威風堂々と進む。

 どうやら、リーダーのご登場らしい。

「……あ、あぁ……!」

 その車を目にした途端、女子は恐怖に震え、床にへたり込んでしまった。

 相当恐ろしい目に合わされたのだろう。

 彼女の腕に抱かれている鳥も「くわわー!」と、車を激しく威嚇している。

 ウエイトレスの少女は、怯える彼女を背に隠し、車を睨み付けた。

 ドアが開き、一人の男が下りてくる。

 森林迷彩色のズボンとジャケットを着こなし、額には目元まで伸びる痛々しい傷を隠す黒いバンダナを巻いていた。

 不愉快なほど満面の笑みで、どかどかと泥が付いたブーツで店に足を踏み入れる。

「な、何よあん……っぁあ!」

 少女の言葉が終わる前に、男は彼女の鳩尾に膝蹴りを入れていた。

 深く食い込む膝の腕に、少女の口から唾液が吐き散らされる。

 男はそれが自分のズボンに付着したのを見るや、舌打ちして顔を不愉快に歪ませた。

「チッ……汚ぇなァ! なにしてくれちゃってンのぉ!?」

「きゃっ!」

 髪の毛を鷲掴みされ、無理やり身体を起こされる。

「邪魔しないで頂戴よォ? 俺はちょーっとそこのクソ女に用があるだけなんだから、なっっ!」

「あうっ! かはっ……」

 まるでゴミを扱うかのように、少女を乱暴に投げ捨てた。

「邪魔は居なくなった……さっきは隙を付かれて逃げられたが、もう逃がさねェぜ!」

 男が女子の腕を掴む。

「いやぁ、離してぇ!」

 激しく抵抗する女子だが、所詮は少女の力。

 到底、成人している男の強力には敵わなかった。

「ん、なろっ! テメェ、俺が今まで可愛がってた恩を忘れたのかァ? おい、答えろよ、マキ」

 男は女子―――マキの制服をつかんで、自分の目前まで引き寄せる。

「わ、私はもう嫌なの! あんた達なんかと一緒に居るのはっ……もう!」

「あぁ? オイオイ、今更抜けたいなんて寂しいこと言うじゃないのォ。さぁ、おら、来い! 族の全員で可愛がってやるからよぉ!」

「いやああああぁぁぁ!」

 男が強引にマキを連れて行こうと腕を引く。

 腕を掴む手に力が入れられ、ギリギリと捻り切られるような痛みがマキの脳に電撃的に伝わった。

 マキはその痛みと、非力で何もできない自分に悔しがり、涙を流した。

「くわわー!」

「なっ!?」

 マキの傍にいた鴨っぽい鳥が、男の顔面目掛けて飛び掛った。

 脚に付いた決して鋭くは無い爪で、男の顔を何度も引っ掻き回す。

 勇敢にも、自分の身体の何倍もある人間に立ち向かう。

「このっ!? お前の餌代も俺が出してやってたんだぞ! 離れろっ!」

「くわーっ!?」

 健闘虚しく、鳥は男の腕に振り払われ、床に叩きつけられた。

 苦しそうに悶え、立ち上がることすらままらなかった。

「くっそ……俺の顔をよくも……!」

 男の顔には、鳥の爪で引っ掛かれてできた幾多の小さい傷があった。

 血が滲む傷を撫でて、血が出ていることに気付いた男は、床に倒れ伏す鳥を踏みつけようと、右足を高く上げた。

「や、やめてぇ!」

「遅いぜクソ女ぁ〜!」

「いやああああああああああ!」

 男の右足が、鳥を踏みつけようと一気に下ろされる。

 その足が鳥の頭部を踏み潰―――――すことはなかった。

 マキを捕まえていた手は急に開き、マキはバランスを保てずに床にしりもちをついた。

「ぎやあああああああぁぁぁ! イテェエェェェェェ!?」

 血飛沫を撒き散らして、顔面を両手で押さえながら転げまわる男。

 その傍らには、たった今落下したばかりの、血のついた金属製の灰皿が、カランカラン、と硬い音を立てていた。

「ぢ、畜生お゛お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛! だ、誰だァ、んだラぁ!?」

 滝のように血が流れる鼻を押さえながら、男は灰皿が飛翔してきた方向を睨み付ける。

 そこには、野球のピッチャーよろしく、手の中にもう一個の灰皿を持って投球の構えを見せていたスーツの若い男性がいた。

 男がそれに気付いた瞬間、二発目の灰皿が男の額に命中し、彼は意識を吹っ飛ばされて床に崩れた。

「弱っちぃのー。族の総長なら、もっとタフやねぇといけんのじゃが……最近の奴は腑抜けじゃのぉ」

 気絶した男を見下ろし特徴のある言葉をしゃべる男性は、倒れていた鳥を抱きかかえ、腰が引けていたマキに手を差し出す。

「大丈夫か? さあ、こっちへ」

 マキは、後ろを振り返りそうになる自分を堪えた。

 今、あの男の顔を見てはいけない。

 決心したはずの心が折れてしまいそうで怖い。

 マキは、振り返ることなく、差し出された男性の手を力強く握った。

「そこのウエイトレスさん、君も店の奥へ! 早くしないと雑魚連中が攻めてくるぞ!」

 ウエイトレスの少女は、床を這うようにして男性の下へ駆け寄った。

 直後、店の窓ガラスがすさまじい音とともに砕け散った。

 外で中の様子を静かに見守っていた族の若者達が、リーダーの男がやられたのを見て手に持っていた武器を投げてきたのだ。

 大量のバットや鉄パイプが、絨毯爆撃のように連続で店内に投げ込まれる。

「ひゃっはー! 凶器乱舞とはまさにこのことじゃのー!」

「漢字が違いますぅ〜! きゃああぁぁぁ!」

 でたらめに飛んでくる凶器の雨を掻い潜りながら、スーツの男性はマキとウエイトレスの少女の腕をしっかりと掴み、奥へと駆け込む。

 更衣室のドアを蹴り放ち、中へと滑り込むように入った。

「か、神崎君!? 大丈夫かね?」

「て、店長!? 居ないと思ったら、こんなところに!」

 更衣室の奥に身を隠していた店長を見つけ、ウエイトレスの少女――――神崎ミユキは彼に詰め寄る。

「私が殴られたり蹴られたりしていたときに、店長はこんなところで隠れて……!」

「ご、誤解だよ神崎君! 私は警察に連絡をしようと……あだっ!」

 ミユキのチョップが店長の脳天に炸裂。

 彼は頭を抱えてうずくまった。

『あ、兄貴ぃ!? 畜生、あのクソ女を捜せぇ!』

 怒号が更衣室に響いてくる。

 族の若者達が店内に侵入してきたのだ。

「ど、ど、ど、どうしようー!? 殺される、殺されるー!」

「店長、車はどこに?」

「えっ、ああ、いつものように裏口のすぐ傍に止めてあるよ」

「それで逃げましょう!」

「そりゃーええ考えじゃ。急がんと雑魚が雪崩れ込んでくるけんのー!」

 四人は互いに顔を見合わせ頷くと、更衣室を出るためにドアに視線を向けた。

 摺りガラスの向こうに、人影が見えた。

 万事休す、と思いきや、スーツの男性が駆け出してドアに向かって右足を突き出した。

 蹴られた衝撃でドアを固定する金具は崩壊し、ドアはそのままの勢いで前に進み、向こう側に居た金髪の若者を共倒れと言わんばかりに押し倒す。

「さあ、早く! 裏口はどっちや、右か、左か!?」

「右です! その廊下をまっすぐ! 走りますよー!」

 四人は走り出した。

 マキは胸に抱いた鳥を落とさぬよう、強く抱きしめる。

 戦闘を走るスーツの男性が裏口のドアを開け放ち、残る三人も続いて外へ飛び出した。

 裏口のすぐ横に、店長所有の青い乗用車が停められていた。

「時間が無い! 運転はわしが引き受けるけぇのー!」

「はい、キー!」

 店長が投げた鍵を片手で受け取り、全員が乗車したのを確認して、男性はエンジンを掛けた。

 アクセルを思いっきり踏み込んで、車を急発進させる。

 店の裏には車の出入り口が無いため、仕方なく暴走族の集団がいる正面で入り口から脱出することになった。

 正面に回ると、幸いにも集団のすぐ横に車一台分のスペースが空いていたため、スーツの男性はそこへ車を突っ込ませる。

 暴走族の若者達は、突然現れた乗用車に驚いた。

 猛スピードで彼らの脇をすり抜けていく乗用車を、彼らは見つめ続けることしかできなかった。

「あの車には逃げたクソ女と店員が乗ってやがる! 追え、追えー!」

 店の中から出てきた男の声で、集団は目を覚ます。

 まず改造バイクの集団が乗用車の後を追って公道へ出た。

 改造乗用車の集団は、店の奥から族のメンバーに肩車されて出てくるリーダーの男を待っていた。

「あんのヤロォォォォ! 絶対ぇ許さねぇー!」

 男は自分の愛車に乗り込み、生傷の痛みに耐えながら、ギアを入れた。

 エンジンが唸り、マフラーから黒い排気ガスが吐き出される。

「あいつらを逃がすな! 必ずぶっ殺す!」

 男の車を先頭に、改造自動車集団がバイクの後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マキら四人と一匹の乗る乗用車の後方に、早くも追いついてきたバイク集団が迫っていた。

 二人乗りをしている車両が大多数で、その数はおよそ三十台。

 後ろに座る若者達は、それぞれの武器を振り回し、威嚇してくる。

 彼らが武器を思う存分振るえるのは、乗用車を囲んだ時だ。

 運転するスーツの男性はそれを分かっていた。

 絶対追いつかれてはいけない。

 ギアを3から4に上げ、男性はさらにアクセルを踏み込んだ。

「警察署はどのへんじゃー?」

「この先の交差点を右に曲がれば、後は一直線です!」

 だが、バイク集団も負けてはいない。

 改造されたバイクは排気量が通常より大幅に高められており、二人乗りでもバランスを崩すことなく高速度を出すことができていた。

 見た目派手なだけの改造だと最初は思っていたが、どうやら彼らは外見だけではなく中身にも拘っていたらしい。

 後ろから、二人乗りではないバイクが迫ってきた。

 一見、武器を持っていなさそうな奴だったが、このバイクは意外な方法で攻撃を仕掛けてきた。

 バイクが乗用車の右横に来ると、運転していた若者が左足を上げてサイドガラスを蹴ってきたのだ。

 一歩間違えば転倒しかねないのだが、若者は余裕に満ちた笑みを浮かべ、何度も蹴りを放つ。

 それに対し、男性は指で前方を指差した。

 バイクの若者が、ゆっくりと前を向く。

「前見て運転しなきゃ危ねぇぞー、っと」

 次の瞬間、バイクは道端にあったゴミ袋の山に突っ込み、運転していた若者は吹っ飛んで地面に叩きつけられた。

 幸いにも頭は打っておらず、しかし全身を強打しているため戦線復帰は無理だろう。

 まずは一台、厄介な敵が減った。

「馬鹿が……族でも基本運転手は前見るじゃろうに、下手糞が」

「……? お兄さん、なんだか知っているような口調ですね。まるで“自分もそうだった”みたいな感じ」

「んなこたぁないよ。それより残りを……ん?」

 ふとバックミラーを見ると、あれだけ大勢いたバイクが忽然と姿を消していた。

 いつの間にかかなりの距離を引き離したのか……?

 いや、それにしても一台も確認できないのはおかしいぞ。

 男性が後ろに意識を集中していたとき、前を見ていたミユキが叫んだ。

「そこです! そこの交差点を左ぃ!」

 前に、十字の交差点があった。

 ここを右に曲がれば、警察署までは直線でもうすぐである。

 しかし、無情にも交差点の信号が赤になった。

 だが、止まっている余裕はない。

「突っ切るぞー!」

「きゃー、神様ぁー!」

 クラクションを激しく鳴らし、交差点に進入しようとしていたトラックや歩行者の動きを止める。

 歩行者は道路を渡る寸前で止まったが、トラックはブレーキが間に合わず交差点の中に入ってくる。

 男性はハンドルを巧みに操って、なんとか衝突を避け、交差点を無事左折することができた。

 後ろを確認してみると、バイク集団の姿はない。

 もうかなり引き離したはずである。

 警察署まであと少し、皆がほっと胸を撫で下ろした。

「くわわー! くわわー!」

 突然、鳥が激しく鳴き始めた。

「ど、どうしたのよ!?」

「この子、何かに怯えてる……」

「動物的な勘ってやつじゃろう。何か……っ!?」

 後ろを振り返ろうと視線を横に向けた男性が見たのは、左脇の小道から猛スピードで突っ込んできた、黒と赤のツートンカラーの車だった。

 ハンドルを切ったが、間に合わなかった。

「つかまれー!」

 

 

 

 

 

 

 

 衝突した瞬間、激しい振動が車体を伝わって俺を襲う。

 痛みは無い、逆に興奮するぐらいだ。

 この付近を走り回っているおかげで、奴らの目的地を予測し、近道を通ってきて正解だったぜ。

 目の前の青い車は、追突されて左側が無残な形に変形している。

 いい気味だ。

 だが、このままで済むとは思ってないだろうな?

 俺の鼻を折った代償を、俺に屈辱を味わせてくれた礼を、俺を裏切った罰を、思う存分やらせてもらおうじゃないか。

 一気に、奴らの車が加速する。

 どうやら、警察署まで何とか逃げ切ろうという魂胆だろう。

 が、やらせはしない。

 バックミラーを見ると、後ろには仲間の車が三台ほど追いついていた。

 その更に後方から、バイクの仲間達が来るのが小さくではあるが確認できる。

「へへへ、フィナーレだぜマキ!」

 思わず口に出ていた。

 俺が街中で拾い、今まで世話してやった家出少女。

 その恩を忘れ、今あいつは俺から逃げようとしている。

 忌々しい、俺が動物嫌いなのを知ってか知らずか、あいつのペットである鳥野郎は俺に敵意を向けてきやがる。

 だが、それも今日で終わりだ。

 アクセルを踏み込み、ギアを上げる。

 3から4へ、4から5へ、5から6へ。

「あの女は俺の物だ! マキは、俺のもんだァァァァァァァ!」

 叫びながら、奴らの車の後部に、愛車を突進させた。

 

 

 

 

 

 

 

 再び車体が揺れる

 ツートンカラーは後部に容赦なく、連続して追突を繰り返していた。

「あいつ……本気だわ。殺される!」

「大丈夫、俺がなんとかしちゃるけぇ!」

 怯えるマキを励ます男性。

 だが、内心は彼も焦っていた。

 相手の車のほうが、スピードが速くしかも重い。

 これ以上追突され続ければ、いつかはバランスを崩し、一般車や建物に衝突しかねない。

 何か、何か打開策は……。

「きゃぁっ!」

「くわー!?」

 先ほどよりも強い衝撃が、今度は横から来る。

 右のカーブミラーに、間近に迫るツートンカラーが確認できる。

 このままでは、追い越されて無理やり止まらされる。

 ツートンカラーの後ろには、大勢の暴走族が集団で待ち受けている。

 止まったら、一巻の終わりだ。

「こうなりゃ、イチかバチかに掛けるしかねぇの! 後ろ、しっかり掴まっていてくれ!」

「は、はいっ!」

 ミユキは店長の手を握り、シートベルトで身体を固定する。

 店長はその手を力強く握り返し、シートベルトをきつく締めて祈るように目を閉じた。

「……くわー」

 心配そうに飼い主を見つめる鳥。

「大丈夫、必ず助かる……」

 マキは彼を抱きかかえ、優しく撫でた。

 彼は幸せそうに、安心しきった顔で、目を閉じる。

 マキの右手が、その上から覆いかぶさった。

「貴方は、私が守るわ」

「覚悟はいいか? いくぞー!」

 ギアを最大まで上げた男性は、アクセルを踏み潰さんばかりに力を入れて踏み込んだ。

 一気にスピードが増していく。

 ツートンカラーは、予想通り喰らい付いてきた。

 追い抜こうと考えているのだろう。

 右から抜かしにかかる。

「ぬおぉぉおりゃぁぁぁぁ!」

 思いっきり、ハンドルを右に切った。

 車を抜かしかけていたツートンカラーの左斜め後部に、すさまじいタックルをかます。

 それによって、ツートンカラーはバランスを崩し、大きくスリップした。

「とどめじゃー!」

 スリップしているツートンカラーの横腹に、止めの一撃を加える。

 今までの体当たり攻撃よりも強い衝撃が乗用車を揺さぶり、脳がかき回されるような感覚に襲われる。

 ジェットコースターにでも乗っているようなすさまじい重力と遠心力。

 弾け飛びそうになる車体を何とか持ち直そうと、男性は必死にハンドルとアクセル、ブレーキを操作してバランスを立て直す。 

 ふと横を見た彼は、アスファルトの上を転がってバラバラに解体されていくツートンカラーの運転手と、目が合った。

 スローモーションのようにゆっくりと流れる、周囲の映像。

 ボロボロになってゆく車の中で、男は血だらけの顔で悔しそうに、顔を歪ませていた。

『畜生ぉ!』

 男の声が、クリアに聞こえたような気がした。

 ゆっくりとした映像はそこで終わり、ツートンカラーは破片を周囲に撒き散らして、道路の真ん中で停止した。

 警察署へと急ぐ車のバックミラーには、暴走族の集団がツートンカラーに駆け寄る様子が、映っていた。

 自分達のリーダーを助けるつもりなのだろう。

 それを見て男性は、少しやりすぎたな、と呟いた。

「助かったぁ……」

 マユミは脱力し、割れて粉々になった窓から入る風を心地よく感じながら、外を見る。

 アクション映画のようなことが現実に起こり、本当に死ぬかと思った。

 そんな大変な一日だったのに、空は、いつも見るような清々しい天気だった。

 

 どこまでも青く、どこまでも広く、どこまでも壮大な空が、いつもと同じ表情で微笑みかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 警察署に付いたら、大騒ぎになっていました。

 私達が入っていくのと入れ違いに、何十台ものパトカーが出動していたのです。

 たぶん、あの車の所に行くのでしょう。

 運転手の人、怖かったけど、なぜか私は彼の無事を祈りました。

 なぜそのようなことを思ったのか、私には分かりません。

 署に入ると、数人の刑事さんが待っていました。

 スーツのお兄さんが事情を説明して、私達は取調室で聴取を受けました。

 私と店長、スーツのお兄さんは大丈夫でしたが、マキさんは一時期だけでも暴走族の仲間だったということで、聴取が長くなるそうです。

 でも、情状酌量の余地があると、刑事さんが言っていました。

 一安心です。

 ここに来て驚いたのは、刑事さんがスーツのお兄さんを知っていたことでした。

 なんでも、お兄さんは昔、暴走族の総長をやっていたそうです。

 だから、所々意味深な発言があったんですね。

「くわわー!」

「ごめんね。貴方のご主人様は、もう少しお話しなくちゃいけないの」

 私の腕の中には、預けられた<空ちゃん>がいます。

 事情聴取のためマキさんは数日間、この署内に居ないといけないらしいのです。

 だから、その間、私がこの子の世話をすることにしました。

 まだ慣れてくれないけど、明日ぐらいには、私のひざの上で寝ちゃったりするのかな。

 あ、<空ちゃん>って名前の由来は、この子の種類が元だそうです。

 《スカイブルーロシアンダック》。

 渡り鳥の一種で、ロシアに生息している鳥なんだそうです。

 まるで空のように美しい羽の色が、名を示しています。

「くわー、くわわー!」

「ん? どうしたの?」

 空ちゃんが見上げる窓の外に、飛行機雲が延々と続いていました。

「すごい……綺麗……」

「あ、神崎く〜ん!」

 廊下の向こうから、店長が駆け寄ってきます。

「今から、店に戻るよ。警察の方が、襲われたときの状況が聞きたいそうだ」

「あ、はい。わかりました」

 店長と一緒に、警察署を出る。

 刑事さんたちが用意してくれた車に乗り込んで、店へと戻ります。

 と、ここで刑事さんに聞かれました。

「ねぇ、その鳥、なんていう名前なんだい?」

 私は、笑顔でこう答えました。

 

 

 

 

「空ちゃん、って言うんです! ほら、今日の空みたいに青いでしょ!」

 

 

 

 

 

 

 

                                                                        ――――End――――