sky

 

その少女を呼んだ客は親子連れだった。

食べ残しが転がっているテーブルを慣れた手つきで拭いていたウエイトレスの少女は、ただいま参りまーす、と大きな…しかし澄んだ可愛らしい声で返事をする。

そして、汚れた布巾をそのテーブルに置き、客に見えないように小さく手を払うと、パタパタと小走りで親子のもとへと駆けていった。

母親の手には伝票が握られている。

会計なのだろう。

 

「お会計、失礼いたします」

 

少女がレジカウンタに入ると、母親が少女に伝票を差し出す。

それを笑顔で受け取ると、少女は伝票に書かれている内容を流れるようにレジに打ち込んだ。

まるで軽快にステップを踏んでいるかのような、テンポ良く、かつ無駄のない入力を終えて少女は顔を上げる。

 

「お待たせいたしました。お会計は1470円になります」

 

実際のところ大して待たせてはいないのだが、テンプレートに則り金額を読み上げた。

ミートソーススパゲティと野菜サラダ、アイスコーヒー、オレンジジュース、お子様ランチ。それにチョコレートパフェ。

これだけの量を注文してこの金額なのだから、この店は本当にお財布に優しいなぁ…とレジを打つたびに少女は思う。

もっとも、だからこそ今ここで接客出来る要員が店長と少女しか居ないわけなのだが。

本当はもうひとり接客要員のアルバイトがいるが、今日は来ていない。

一月ほど前から「今日は休む」と宣言していたので、今頃はどこかを遊び歩いているのかもしれない。

母親は伝票を見てあらかじめ用意していたと思われる1470円ぴったりの代金をレジカウンタの上の受け皿に載せる。

少女は金額を丁寧に確認してレジスターに入れ、ありがとうございました、と嫌味なくぺこりとお辞儀をした。

子供の手を引いて店を出る母親を見送り、最後にもう一度「ありがとうございました」と親子の背中に笑いかけ……そして、少女は目の前の壁に掛けられている時計を見上げた。

午後の210分。お手軽な値段の昼食を求めて来店した客も次第に減る時間帯。

店内には空いているテーブルが目立つようになってきた。

お昼時を過ぎれば、あとしばらくは遅い昼食を求める客が時折来店する程度。

基本的には勤務時間内でありながらもちょっとした休憩のようなひとときを過ごす事になる。

もちろん、少女も例外ではない。

レジカウンタの影で制服の皺を伸ばすと、少女は静かに息を吐いた。

お昼時の混雑で張り詰めていた気持ちがゆっくりと解けていくのが分かる。

今までは気付く事すらも出来なかった、店内に僅かに残る料理の匂い。

 

「……そういえば、私もお昼まだだったなぁ」

 

少女は眉をハの字にして小さく呟く。

 

きゅるるる。

 

そして間髪いれず、少女のお腹が切なげな鳴き声を漏らした。

少女は慌てて両手でお腹を押さえると、頬を真っ赤に染めて店内をきょろきょろと見回す。

目に付くのは空いたテーブルばかり。

奥に一つだけ、若いスーツの男性が席についているテーブルがあったが、当の男性は何かを書いているのか、食い入るようにテーブルを見つめたまま右手を忙しなく動かしていた。

この時間帯にはいつも同じ場所に座って書き物をしている、ある意味常連ともいえる男性なのだが、幸い少女のお腹の虫の鳴き声は男性の耳に入っていなかったようだ。

あるいは、耳に入っていても気にしていないだけなのかも知れないが。

少女はお腹をぎゅっと押さえたまま、ほっと息を漏らした。

ウエイトレスは食事時が一番の稼ぎ時であり、故に昼食や夕食は一般的な時間帯には食べられない事が多い。

自分のお腹が空いている時に他人の食事を眺めてなければいけないというのはもはや拷問でしかないのだが、いざ食事時になると忙しさのあまり空腹も忘れてしまうのはある意味幸運と言えるかも知れない。

もっとも、それは忙しい時間帯だけ。

食事時が過ぎれば、少女の中で無意識のうちに押さえ込んできた腹の虫がゆっくりと活動を再開するのだ。

そう、今のように。

 

「今ならお客さんも少ないだろうし、休憩を入れようかな…」

 

店長は客が引き始めたところを見計らい、少女よりも少しだけ早く休憩室に入った。

そろそろ、交代しても良い頃だろう。

お腹の虫に、そして自分自身に栄養を与えなければ。

少女は奥の席に座っている男性を見る。

相変わらず書き物に集中しているようで、少女を呼びつける様子は無さそうだ。

迅速に引継ぎをすれば、問題なく休憩に入る事が出来るだろう。

少女はそう思い、休憩室に向かおうとしたその時。

 

からーん、からーん。

 

店の入口に付けられたベルが鳴り響く。

先程の男性が外に出たとはさすがに考えられないので、おそらくは遅い昼食を摂りに来た客か。

ううっ、こんな時に…っ。

内心毒づきながらも、少女は全ての感情を笑顔の奥に隠して振り向いた。

 

「いらっしゃいませーっ」

 

 

 

107日(日) PM 215

 

入り口に立つ影は一つ。

少年だ。歳は少女と同じ十代後半か。

服装はジーンズやジャケットなどのラフなもので、左手には学生用の鞄がある。

容姿は整っているが、黒髪の奥にある目にはどこか鋭さが消えない。

彼は少女に頷きを返し、

 

「ご苦労さん、如月」

「・・・・・」

 

素の顔で黙る少女に、少年は不思議そうに、

 

「どうした、朕は客ぞよ? 思う存分もてなせ」

「なんだ、尼津君か」

「・・・あの、一応客なんスけど」

 

互いに見せるのは、客と店員以上の、見知った知人に対する態度だ。

ウエイトレス―――如月 香奈美(きさらぎ かなみ)は顔を動かして店内を再度確認。

客は他に入る様子もなく、奥の席の男性も動く様子はない。

店長が出てくる気配もないし、雑談など多少の自由は許してくれる人だ。

少しなら大丈夫かな、と思い香奈美は少年に言葉を返す。

 

「それでお席は? 灰皿いる?」

「高校生、それもクラスメイトにタバコをすすめるな。いつもの所で」

 

承知しました、と応えて香奈美は少年を店の奥へ促し接客の準備に移る。

少年が向かうのは入り口から見て左奥、窓際の四人テーブルだ。

彼は手前の椅子ではなく奥側のソファに座る。仲間と訪れる際の定位置は、ひとりでも変わらないらしい。

香奈美はおしぼりと、水の入ったコップをテーブルに静かに置くとマニュアルの口調で、

 

「お客様、ご注文はいかがなさいますか?」

「コ・・・」

「ブレンドコーヒーですね。かしこまりました」

 

既に手元の伝票にその旨を記している香奈美に、少年は目を細める。

 

「この店は店員が注文を決めるのか? それとも読心術標準装備?」

「尼津君、コーヒーしか頼まないじゃない。でも、今日は誰かと待ち合わせ?」

 

少年は水を一口飲んでから、首を横に振る。

 

「いや、咲弥の制服姿見ながら中間の勉強でも・・・そういえば、咲弥は休憩中か? 着替え中なら挨拶に・・・」

 

え、という声が香奈美の口から漏れ、

 

「さーちゃん、今日はお休みよ?」

 

瞬間、少年のコップを持った右手が不自然な位置で止まる。

そして当然のような声で、

 

「俺、コーヒー飲んだら帰るわ」

「・・・試験勉強は?」

「まだ三日ある」

 

香奈美は苦笑して、コーヒーを淹れるためテーブルから離れる。

一瞬見えた窓の向こう側、快晴の空を見て、

 

「さーちゃん、どこに行ってるのかしらね」

 

 

 

PM 220

 

・・・どこ行ったかなんて、俺が知りてえよ。

尼津 恭介(あまつ きょうすけ)は頼んだコーヒーが来るまでの時間潰しに窓の外を見ていた。

この蓮川(はすかわ)市は、それなりに開発された地区だ。

故に駅前のこの店の窓から見える空の半分は、林立したビルに削り取られている。

恭介は左で頬杖をつき右手で水の入ったコップを持った状態で、その光景を評する。

 

「空が狭いな」

「さーちゃんと同じこと言うね」

 

視線を戻せば、香奈美がカップを載せた盆と共に戻っていた。

彼女はマニュアルに従った口調で、

 

「お待たせいたしました。こちら、ブレンドコーヒーになります」

 

コーヒーカップを置いて頭を下げることで、背中まで伸びた彼女の髪が小さく揺れる。

見えるのは恭介とは違う、長く尖った耳―――魔族の記号(コード)だが、

 

「ん、サンキュ」

 

恭介の興味は、すぐに手元のコーヒーに向かう。

 

 

 

PM 223

 

香奈美は、先ほど店を出た母子の名残である食器を片付けながら恭介と、

 

「・・・だから、さーちゃんが休むって言ったのは随分前かな。キミ聞いてなかったんだ」

「まあ、咲弥にもプライベートがあろう」

「余裕ねえ」

「ふ・・・信頼しているのさ」

「男だったりして」

 

直後、香奈美はガラスの割れるような音を聞いた。

否。振り向けば、恭介の右手にあったはずのコップが卓上で転がっている。

口をつける淵が欠けた以上、食器としての存在意義はもう果たせないだろう。

・・・予想以上の反応ね。

香奈美の目に映る恭介はこちらを見て、おろおろと、

 

「ば・・・ばば馬鹿言っちゃいけないよ、如月君!?

そりゃ咲弥は美人だし可愛いし顔がロリってるのに脱ぐとすごいが・・・うおおお」

「はいはい。動揺と妄想は止めて、注目」

 

香奈美は壊れたコップをテーブルに立て、

 

「この前、さーちゃんにセクハラしようとしたお客さん半殺しにして、次、お店に迷惑かけたら出入り禁止って言われたよね?」

「・・・あの後の咲弥は怖かった」

「さーちゃんに知られたくなかったら・・・ね?」

 

香奈美の手に促され、恭介はコップを見る。

破片は細かく、多い。全てを繋げても跡は消えないだろう。

だが、その現実はこれから覆される。

起点は、コップにかざした恭介の右手だ。

 

―――調律(チューニング)

 

香奈美は見た。

コップの輪郭がぼやけた次の瞬間、傷のないコップがテーブルの上にある現実を。

確かにあった破片は何処にもなく、コップには一筋のヒビすらない。

 

「これで勘弁してくれ」

 

恭介はそれだけを告げ、コップを香奈美に差し出す。

香奈美はコップを注視するが、やはり不自然な部分はない。

 

「さすが楽団所属の奏者(プレイヤー)。速い速い」

「・・・あんま、それ言うなって」

 

恭介は話題を変えたいのか、思い出したように、

 

「・・・今度の水木金で中間試験か。早いな」

「それから一週間の準備で来週の週末には学園祭。通称、死の半月(デス・ハーフマンス)ね。

そういえば、うちのクラス何やるか決まったの? 一昨日、出店のジャンル決めるところで私帰っちゃって」

「ん・・・確か、企画書のコピーが・・・」

 

恭介は鞄から出した紙片を差し出す。

角が纏まっていない雑な折り方のB5の紙を香奈美は広げ、眉をひそめる。

 

「・・・三階建て屋台『三つ巴』?」

「話がまとまらないから、全種やることにした。規定に高さの制限がないのを突いた全高12メートルで、上から天界、人間界、魔界の料理だ」

「・・・絶好調で頭、狂ってるね」

「異種族は祭り好きが多いからな。特に戦闘種族の奴ら、文字通り血が騒ぐらしくて始末が・・・」

 

恭介の言葉が突然止まる。

香奈美の、どうしたの、という視線を受けたまま彼は、

 

「・・・なんか、忘れてる気がする」

「十月のイベントはそれくらいだと思うけど?」

「学校とかじゃなくて、もっと個人的な・・・」

 

呟きながらコーヒーを一口飲み、恭介は目を開く。

あ、と呟いた後、

 

「・・・しまった」

「何かあったの?」

 

恭介が苦い表情なのは、コーヒーのせいだけではないだろう。

 

「咲弥の行き先・・・さっきの正解だ」

「え・・・男っていうの?」

 

恭介は頷いて、吐息。

 

「・・・あいつ、親父さんの墓参りに行ったんだと思う」

 

 

 

PM 225

 

蓮川市から二時間かけて辿り着く盆地。

山の一角に幾つもの石製の直方体が空に向かって伸びている場所がある。

墓地だ。

墓石の一つに少女、真崎 咲弥(まさき さくや)は手を合わせていた。

白のワンピースに青い上着を羽織り、肩まで伸びた髪は赤みがかっている。

彼女は赤紫色の瞳で、真崎家と刻まれた墓石を見て、

 

「おとーさん、来たよ」

 

季節は秋。風は冷たさと温かさが同居して心地よい。

咲弥は、うん、と背伸びするように両腕を上に伸ばし、それと一緒に動くものがある。

翼だ。

彼女の背から、一対の翼が斜め上に向けて伸びる。

色は純潔の象徴の白でも、堕天を示す黒でもなく、太陽の光を思わせる金だ。

天使と異種族の混血である半天使(ハーフ・エンジェル)を意味する、有彩色の翼が風に揺れる。

 

 

 

PM 230

 

香奈美は皿を片付け終わったテーブルを布巾で拭きながら、

 

「さーちゃんの、お父さん・・・」

「命日はまだだけど、これから忙しくなるから前倒しにしたんだろ」

「お父さんは人間で・・・天使なのは、お母さんの方だよね?」

 

恭介は頷く。

 

「写真で見ただけだが、六枚翼の熾天使(セラフィム)だったと思う」

「今は天界にいるんだよね。病気の療養で・・・十年以上」

 

声を落とす香奈美に対して、恭介はコーヒーを一口飲んで、仕方ない、とだけ告げる。

 

「純粋な天使が生きるには、こっちは天界の韻子(サウンド)が少なすぎる。崩界(ほうかい)で天界が半分壊れきらなかった結果だ」

「魔界は完全に人間界と混ざってるから、私みたいに魔族は平気な環境なんだけどね」

「治る病気らしいけど、ずっと連絡が取れないらしくてな。明日戻ってくるかもしれないし、あるいは・・・」

 

恭介は言葉を止め、吐息。

 

「でも意外だね。さーちゃんマニアのキミが忘れるなんて」

 

香奈美の口調に嫌味はない。本当に意外だったのだろう。

 

「せめてフェチと言え。

俺、中学の三年間、楽団の訓練施設にいて、親父さんが亡くなった時期は蓮川にいなかったんだ。 最近も忙しかったしなあ・・・ま、最低なのは変わらないか」

「たぶん、気を使って言わなかったんでしょ。さーちゃんらしいね」

 

香奈美は、あのさ、と告げ、

 

「ふたりって小学生くらいからの知り合いだよね? さーちゃんとの出会いとか聞いてみたいな」

「・・・稲荷神社って分かるか?」

「知ってるよ。家、毎年初詣に行ってるから」

「俺、ガキの頃に両親なくして婆ちゃんに引き取られてこの町に来たんだが・・・・あそこで友達と野球やってたら空から悲鳴が聞こえた気がして、見上げてみたら・・・」

「・・・みたら?」

「白いパンツと共に咲弥が降ってきた」

「前半無視してあげるから、補足説明お願い」

「俺の真上を通過した時に飛んできたボールに驚いて、風の韻子をコントロールできなくなったらしい。俺は咲弥の垂直落下蹴りが頭に直撃した結果、昏倒してな。

涙目で謝りながら俺を介抱する咲弥はまさに天使だったな」

 

コンマ五秒で惚れた、と補足する恭介に対し、香奈美は遠い目で、

 

「さーちゃんも気の毒に。よりによって・・・」

「失敬な、人を当たり屋のように。人工呼吸プリーズとか言ったら、錯乱してたのか、やってくれたが」

「キミ、乙女の純潔を何だと・・・」

「子供の頃の話だから睨むなって」

 

恭介は最後の一口を飲みきったカップをテーブルに戻し、

 

「・・・で、俺からも一つ聞きたいんだが」

「さーちゃんのスリーサイズとかなら有料よ?」

「そんなもん自力で確に・・・じゃなくて、ちと真面目になれ」

 

彼は真剣な表情を向ける。

それに呼応するように、香奈美も表情を改めた。

 

「咲弥が・・・どうして空を飛ぶのを止めたか知っているか?

今話したように、俺が楽団に行く前の咲弥は空を飛んでいたんだ。好きだったと言ってもいい」

 

香奈美は考え込む様子を見せたが、ごめん、と応え、

 

「理由はわからないけど、時期ははっきり分かるよ。二年前の今頃」

「ってことは、親父さんが死ん・・・」

 

恭介の言葉の途中で、三つの動きが起きた。

一つは店の入り口からの鐘の音、来客だ。

もう一つは休憩室からの扉の音、店長だ。

最後は恭介のズボンのポケットにある携帯の振動だ。

 

「仕事戻るね」

「ああ」

 

両者、切り替えは早い。

ごめんね、と言って香奈美は去り、恭介も携帯電話を取り出して液晶画面を見る。

 

「楽団から・・・?」

 

いぶかしむ表情で、恭介は通話ボタンを押し、

 

「こちら奏者、尼津・・・・」

 

電話を始めてすぐに、恭介の表情が変わる。

読み取れる感情は、決して喜びなどではなく、

 

「・・・妙な不協和音(ディスコード)が?」

 

 

 

PM 3:30

 

墓石の前に立つ咲弥は上を見ていた。

雲の少ない秋晴れの空を見て、

 

「死んだ人は天国に行くっていうけど・・・天界なんだよね、おかーさんは」

 

天国と天界って違うんだよね、と咲弥は漠然と思いながら、

 

「そろそろ帰るね、おとーさん」

 

名残惜しいが長居は出来ない。

蓮川に戻る頃には日が暮れるだろうし、数日後には中間試験も控えている。

 

「今度は、きょーくんも連れてくるからね。おとーさん。嫌っちゃやだよ?」

 

それだけを告げ、少女は墓石に背を向ける。

背の翼は移動に使わない。彼女は地に付けた足でその場から去ろうとして、そこで気づいた。

ある方向から吹く風に違和感がある。風の韻子が変わって・・・否、乱れているのだ。

 

「これって・・・・蓮川の方?」

 

 

 

107日(日) 深夜

 

蓮川駅前。

ビルが並ぶ中、一際高い40階建てのビルがある。

多くの企業がテナントに入っているこの場所は巽(たつみ)ビルと呼ばれ、娯楽や経済の中心でもある。

塔と呼んでも差し支えない建造物の屋上は、一面コンクリートの床。

そこに男はいた。

彼の服装は黒で統一され、極めつけは季節的にはまだ早い黒のロングコート。

表情は無い。長い黒髪を後ろで束ね、その目にも感情は無い。

日没から集まった雲で星は見えないが、男は気にする素振りを見せない。

彼は足下―――灰色の床一面に描かれた黒の模様だけを見ながら、

 

「譜面(スコア)はほぼ完成。この音量(ボリューム)と速度(テンポ)なら・・・」

 

告げた。

 

「崩界(ほうかい)を起こすには十分だ」

 

 

 

1020日(金) 正午

 

聖蓮(せいれん)学園高等部。

学園の中は、どこも騒然としている。二日後に控えた学園祭の準備だ。

学生たちは皆、資材を組み立て、買出しに走り、時に騒いでいる。

その構成は人間だけではなく、雑多な種族がいる。

尖った耳や猫に近い瞳をした魔族、獣の耳と尻尾のある獣人、角が生えた鬼。

人と変わらぬ姿をしていても、身体能力に優れた竜人や、獣化することで完全な獣の姿になる者もいる。

 

屋上に座って、パンをかじりながら周囲の作業を見る者がいる。

 

「一週間前は、学校中が葬式みたいだったのにな」

 

紺色のブレザーとチェックのズボン、高等部の制服に身を包む尼津 恭介だ。

彼の所属する2年D組も、試験期間は世界の終わりのような空気だったが、今は祭り特有のハイな状態が伝染病のように蔓延している。

 

「・・・ま、そうじゃなきゃ間に合わないか」

 

作業は順調で、屋台も既に八割完成している。

残る問題を強いて挙げるなら、女子の当日の服装だ。

今日も会議が始まって数秒で議題は漢のロマンとは何かに突入し、貴重な午前中の準備時間が潰れた。

そのことを嘆く彼の隣では、金の翼持つ少女、真崎 咲弥が首をかしげて、

 

「でも、きょーくんは参加しなかったね?」

「俺、咲弥が着るならどんな服でも歓迎だし。むしろ何も着なくてもいいが」

「あはは・・・・」

 

苦笑と嬉しさが半々といった表情で笑う彼女の制服には、他の女子と違う点がある。

紺色のブレザーの上着は、背に穴がある。母から受け継いだ天使の記号(コード)、翼を外に出すためだ。

翼は薄く、柔らかい。折りたためば通常の服も着られるが、その圧迫感を咲弥を含めて半天使は嫌う。

咲弥は箸で弁当箱からタコ型のウインナーをつまみながら、

 

「きょーくんは今年も、当日は楽団の仕事?」

「この時期はテロがポンポン起こるからなあ・・・」

 

崩界により、天界や魔界と混ざり合う前、この世界には純粋な人間だけが住んでいた。

異種族の活動は長い歴史からすれば最近で、彼らを排斥しようとする動きも未だにある。

一定レベルの異種族共存を果たしている蓮川市はモデル都市のような扱いを受け、学園祭の時期は各国からのVIPや魔族の貴族階級が見学に来る。

故に『面倒事』も多く、それらを解決する楽団の仕事も多い。

その一員である恭介も、学園祭の準備や当日の分担からは外れるように便宜が図られている。

 

「そっか・・・うん、がんばってね」

 

微笑で告げる咲弥に、恭介はその裏にあるものを考える。

そして、

 

「後夜祭のフォークダンスには行けるように頼んである」

「ぁ・・・うん!」

 

正解だったらしく、咲弥は先ほどとは違う笑みで頷いた。

子供のような笑みを見て、意地でも時間取ろうと恭介は思う。

 

「で、月曜の代休は・・・」

 

恭介の言葉は、携帯の振動音に上塗りされた。

コンクリートの上に置いた携帯は嫌な規則音を立て、液晶には『楽団』と表示。

 

「・・・・・・・」

「電話だよ、きょーくん?」

 

世界が自分の敵に回っている。

そんな気がしながら、恭介は電話に出る。

 

「はい、こ・・・」

『まずいことになった。すぐに来たまえ』

 

挨拶すらする間もなく、電話が切れた。

 

 

 

1020日(金) 夕方

 

狭い空間だ。

5メートル四方の部屋には、高級な木造机と備え付けの黒い椅子が一つずつ。

机の上にあるのは一台のノートパソコンだけだ。

椅子に座るのは白いスーツの男性だ。髪は白髪で、年齢が一目では判断しがたい。

彼と椅子の背もたれの間からは翼が見える。色は紫だ。

右手には赤紫の液体の入ったワイングラスがあり、彼はそれを一度揺らし、机の前に立つ恭介に、

 

「まあ、かけたまえ」

 

恭介は、室内を見渡した後『一応』上司である男、三嶋(みしま)に尋ねる。

 

「・・・この部屋、他に椅子ないんだが」

「正座に決まっているだろう? 空気椅子でも構わんが?」

「・・・・・」

 

無言の恭介の右手に、韻子が集まるのを三嶋は感知。

 

「冗談だ」

「いいから、手早く、何がどう、まずいのか説明しろ」

「彼女とイチャつくのを邪魔されたとはいえ、少し落ち着きたまえ」

 

三嶋はワイングラスを揺らし、まず、と告げる。

 

「この世界の成り立ちは知っているかね?」

「界暦零年・・・当時の言い方なら西暦1999年か。

異相世界だった人間界、魔界、天界が同時に壊れ、世界の構築因子―――韻子(サウンド)が粉々に砕けた崩界(ほうかい)

その際に魔界は完全消滅。残った人間界に全ての韻子が混ざり、天界も半分が同様の現象になった。

世界を失った魔族たちが移住し、それまでの物理法則や常識が一気に崩れた結果、世界中で伝説とされていた生き物が活動するようになった。これが再構築」

 

恭介の一気説明に、三嶋はワイングラスを揺らしながら頷く。

 

「ほう・・・よく覚えていたね。

それ以来、我々のように韻子を演奏(プレイ)することで世界の因果律を操作できる奏者(プレイヤー)が現れた。

奏者は未だ韻子の乱れが収まらぬ世界で、時には乱れた不協和音を調律し、時には世界という楽譜を書き直すことで現実の壁を越えることができる」

「そんな歴史の講釈より、本題に入れ」

「ところが今回、この定義こそが重要でな」

 

続けるぞ、という三嶋の言葉が響く。

 

「崩界以来、人間界と魔界の生物は暮らしているが、純血の天使たちは大部分が門の向こう―――天界の名残にいる。

天界の韻子が崩界時に乱れ雑音(ノイズ)化してしまったこちらでは生き辛く、こちらで生きられるのは、私のような魔族との混血や、人間との混血である半天使(ハーフ・エンジェル)だけだ」

 

ここまではいいかね、という確認に、恭介はひとりの少女を思い、頷く。

そして、三嶋はワイングラスを机に置き、言った。

 

「もう一度、その崩界が起ころうとしている。人為的にだ」

「・・・・・」

「予想時刻は50時間後。二日後の午後6時だ」

「ちょ、ちょっと待て!」

「本題に入れと言うから、応じたのに・・・我侭な部下を持ったものだ」

 

いいかね、という言葉を置いて、三嶋はノートパソコンの画面を恭介に向ける。

そこには、ビルや住宅、見覚えのある学校が立体図で表示されている。

 

「蓮川市と・・・なんだ、この上空の白い点」

「天界の門だ。門といっても、実際には空間の歪みだが。

星の自転・公転周期と、門独自の動きによって、門は二日後に蓮川市の直上を通ると計測されている。そして・・・」

 

恭介は見る。

白い点が蓮川市の真上に来ると、

 

「下がっていく・・・門が、堕ちているのか?」

 

点は、はじめはゆっくりと高度を下げる。

しかし、次第に落下速度を上げた点が一定の高度に達したところで、

 

「―――――」

 

画面全体が一瞬で光に覆われた。

それが何を意味するのか、恭介は想像する。

 

「・・・・・」

「かつての崩界は、三世界が緩やかに砕けたので、人間界の核韻子が他の世界の韻子を取り込んで修復する余裕があった。

しかし今回は、天界の半分を構築するだけの韻子が地上に一点直撃しようとしているのだ」

 

無言の恭介に、三嶋は説明を続ける。

 

「プロセスはこうだ。

地上側に、韻子によって描かれた陣・・・譜面(スコア)を創り、そこに目掛けて門を落下させる。天界と引き合う条件を描いているのだろう。

「最近感知されたっていう不協和音(ディスコード)も・・・」

「無関係ではあるまいよ。突然強力な力場が生じた結果、周囲の韻子が乱れ、様々な韻子を雑音、さらに不協和音へと変えている」

「譜面は描くのに時間がかかる。なんで今まで気づかなかった?」

「見たまえ」

 

画面が、楕円に囲まれたビルの透過図を映す。

 

「分かるかね? 全体を防音譜面で覆っているのが。地下の地脈から大量の韻子を抽出し、それを建物の循環機能を通じて屋上へと送っている。

人の多い建物は常に多種多様な韻子が流れるし、譜面の外からでは一部の者が違和感を覚える程度だろう」

「・・・蓮川を選んだ理由は?」

「門が通る軌道の中で、多くの種族が住む街だったことだろうな。

さらに学園祭によって街全体で激しく多くの韻子が動く時期。これ以上の好条件はあるまい」

 

三嶋はモニターの電源を切り、

 

「最大の問題は、聖蓮祭によって一般の人員が割けないことだ。

そもそも、半分とはいえ世界を引き寄せるような者を相手にする以上、長の私と楽団で最高技能を持つ君でどうにかするしかあるまい。

私は今から逆波長の消音譜面(ミュートスコア)を創るつもりだが、君も単独で動いてくれたまえ」

「・・・・譜面を描いた奴は分かっているのか?」

「調べはついている。名は結城 静磨(ゆうき しずま)

楽団には属していないが、ブラックリストに記載されている裏の人間だな。彼には一つの過去があってな」

 

一泊置いて三嶋は告げた。

 

「恋人を失っている・・・半天使(ハーフ・エンジェル)の女性を」

 

 

 

1021日(土) 朝方

 

日の昇る前の学園を恭介は歩いている。

廊下は準備で燃え尽きた屍や外に出す予定のオブジェで占拠され、避けるだけでも気を使う。

・・・今日から学園祭か。

しかし、自分は祭りの場より騒がしい場所に赴く。

 

2D組の教室にも、二桁を超える者たちが寝ていた。

椅子や机は撤去され、あるのは散らばった資材や工具だ。

窓側の後ろ、自分の机の位置で恭介は目的の少女を見つけた。

壁に寄りかかり、身に毛布をかけられた咲弥だ。

恭介は彼女の傍で身を低くして、彼女の髪に触れる。起きる気配がないのは幸いか不幸か。

恭介はしばらく無言で、やがて決心したように、

 

「悪い、ダンスも踊れそうにない」

 

だけど、と恭介は続ける。

 

「必ず戻るから・・・だから・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1022日(日) PM 500 

 

巽ビルの屋上で、男は日が暮れる空を見上げていた。

床に描かれた紋章―――譜面(スコア)は黒い光を放ち、天界の門が堕ちる崩界時刻まで一時間といったところか。

だが、男の顔に達成感はない。

男―――結城 静磨は、一つの言葉を告げようとした。それは名前だ。

しかし、

 

「――――」

 

結城は言葉を止め、屋上の出入り口に立つ者を睨む。

白いフライトジャケットを着て、背には長さ1メートルほどの黒いケースを背負う少年。

対奏者戦闘体勢の尼津 恭介がそこにいる。

恭介は結城の視線を正面から受け止め、

 

「結城 静磨だな?」

「やはり・・・楽団の邪魔が入ったか」

「分かっているなら、これ以上の能書きはいらねえよな? この譜面・・・破壊させてもらう」

 

意思を込めたこちらに視線を返した。

 

「この世界に滅びの曲は響かせねえ!」

 

 

 

PM 501

 

先手は恭介。

彼は上着の両のポケットに両手を入れ、プラスチックの欠片を取り出す。弦楽器用のピックだ。

―――響歌(レインフォース)

恭介はピックを両の親指と人差し指の間に設置。加速(テンポアップ)で密度を高めた韻子で創る旋律(メロディ)を乗せ、

・・・穿て!

攻撃の意思と共に、右の親指を弾くことでピックを結城の方向へ飛ばす。

一秒にも満たぬ時間で、恭介は全ての手順を完遂した。

次の瞬間、

 

「――――」

 

結城の立っていた床1メートル四方が弾け飛んだ。

恭介が込めた高密度の旋律に、コンクリートの韻子が押し流された結果だ。

結城はその上、3メートル以上の跳躍を果たしていた。

恭介は即座に左手に設置したピックを結城に照準。

狙いは胴体。避けられたとしても、恭介は右手に再充填したピックで連撃できる。

恭介は左の親指を弾き、青の軌跡を描いた凶器が空を翔ける。

照準に誤差はない。

 

「・・・・ふん!」

 

しかし誤算があった。

結城が左の拳を振るったことだ。

ピックは結城の左拳に当たり、

 

「――――」

 

結城の左拳が砕けた。予想外の動きだ。

確かに、胴に受けるよりは損傷は最小限で済む。しかし彼は最短経路で拳を出した。

・・・傷を負うことに迷いがねえ。

恭介の思考は一瞬、しかしその硬直は致命的だ。攻撃の流れが切れる。

 

「次は・・・・こちらの番か?」

 

恭介は、着地した結城の右腕の周囲に歪みを見た。

歪みは一つの色を伴う。夜の闇より濃い黒。

高速で広がったそれは、一つの形になる。

獣だ。形状は犬や狼に似ているが、その身は3メートル近く身の淵は陽炎の様に揺れている。

韻子を動物や武器に模して固める演奏技術を恭介は呼ぶ。

 

「擬音化(イミテイト)か」

 

声に結城は応えない。

代わりに、彼の前に立つ獣が身を低く縮める。攻撃の準備だ。

獣の唸りはガラスを引っかく音など、不快と思う音を混ぜた不協和音(ディスコード)だ。

生じた不快感を恭介は吐息一つで沈め、身を低くする。

 

「―――――」

 

獣が跳んだ。

高さ5メートルの跳躍と共に、獣は恭介との距離20メートルを一気に詰める。

既に恭介の両の手には、迎撃の力がある。

・・・穿て!

二つ同時に弾いたピックは交差の軌跡を描きながら獣の両の前足に当たり、

 

「―――――」

 

破壊。両の前足から先を砕いた。

前足を突き抜けた二枚のピックはさらに後足を破砕し、そこで消滅。

負荷に、ピックが耐え切れなかった結果だ。

獣は四肢を潰され、それでも恭介に向かって空中を進む。獣の頭が恭介にたどり着き、口の奥の鋭い牙が外気にさらされた。

だが恭介は、もう一手先の行動に出る。

 

「―――!」

 

牙が閉じる前にアッパー気味に左の拳を口にねじ込む。行為は結城と同じだが、恭介は己の腕を見捨てない。

 

「―――調律(チューニング)!」

 

喰われたのは獣の頭部の方だった。

凝縮された闇が再び膨張し、獣は風に吹かれた砂の様に消えていく。残るのは振り抜かれた恭介の左腕だ。

 

「瞬時にして不協和音の乱れを直し、秩序ある旋律に変えたか・・・いい腕だ」

 

恭介は声の方向、結城に視線を戻し、

 

「!」

 

結城の胸元に、一つの黒い球を見る。彼の体格と比較してソフトボール程度の大きさと判断。

恭介は、げ、と呟き、

 

「加速した不協和音の塊か!」

 

結城は答えない。

彼は代わりに、攻撃の動作で応えた。左手の動きに従い、黒球が恭介に飛ぶ。

・・・こっちが本命か!

直撃すれば、恭介の身体を構築している韻子の旋律は乱され、破壊される。

判断は一瞬だ。

・・・対遠距離攻撃用意!

恭介は一息で背負った長細いケースに右手を突っ込む。

ケースから取り出した物を見て、結城の顔が歪む。初めての動揺の表情だ。

 

「金属バットだと!?」

 

今度は恭介が答えず、低めに腰を落としスイングの構えをとる。

構えは左打席。走塁は必要ないので、打撃のみに集中。

 

―――響歌。

 

バットの構成韻子の核、『打つ』という概念に己の韻子を混ぜ合わせ強化し、あらゆる物理制約を解除する。

直進する黒球の不協和音とフルスイングしたバットの旋律が衝突し、

 

「ピッチャー返し!」

 

恭介は言葉を果たした。一際強い衝撃の後に黒球は結城の方へ跳ね返り、

 

「!」

 

直撃。

周囲5メートルの空間が破壊され、大量の破壊韻子と煙が巻き上がる。

間違えば、自分を襲った結末だ。

 

「アウトをくれてやったんだ。感謝しな」

 

擬音化と不協和音の加速。

二つの上位演奏技術を同時に出来るほどの優れた技量を持つ者なら、

・・・終わりじゃない。

恭介の予想は正しかった。

だが、煙が晴れて見えた彼の姿は、恭介の予想を超える。

 

「な・・・」

 

無傷。

攻撃は直撃した。傷を負うのは必然の結果だったはずだ。

それだけではなく、

・・・左手が治っている?

生体を構成する旋律は複雑だ。優れた奏者でも修復には時間を費やす。

ならば、と結城が行った手段を恭介は叫ぶ。

 

「・・・再生(リピート)か!」

 

残された韻子を使って、かつての状態を再現する演奏の裏技法だ。

何度も繰り返せば物は自壊し、生物は身に雑音を抱え生存に不具合を起こす。

最初に感じた違和感、結城が左腕を躊躇いなく犠牲にしたのは、

 

「その身体は・・・・」

「作り物の義体だ。おかげで即座に再生して動ける」

「ふん・・・・自壊するまで壊せばいいだけだ」

 

左手にバット、右手にピックを構える恭介に対し、結城は構えない。

彼は静かに問うだけだ。

 

「・・・なぜお前は戦う?」

「守りたいものがある。それじゃ足りないか?」

 

確かな思いだ。

その答えに、結城の表情に変化が起きた。

苦笑とも微笑とも判断のつかない笑み。結城は、その表情のまま、

 

「ならば・・・それを失ったらどうする?」

 

結城は続ける。

 

「そして・・・残された者はどうすればいい?」

 

結城の音量(ボリューム)が急激に増大する。

 

「失われた・・・彼らはどうすればいい?」

 

さらに結城は加速(テンポアップ)

 

「おいおい、格闘漫画じゃあるまいし」

「俺は小説派だ。だが、実力を隠していたというのはよくある展開だろう?」

 

結城の周囲にバレーボールほどの黒球が出現した。数は十個以上。

 

「なかなか楽しめた。礼を言う」

 

恭介はバットを構えなおし、

 

「勝手に終わらせんじゃねえ!」

 

直後、巽ビル屋上が、幾重もの爆発に包まれる。

 

 

 

PM 515

 

学園祭は終わろうとしていた。

既にほとんどのクラスが解散して、残っているのは後夜祭だけだ。

グラウンドでのファイヤーストームと、それを囲んだフォークダンス。

衣装のメイド服を着た真崎 咲弥はひとり、学園の屋上でその光景を見下ろす。

 

「・・・・やっぱり、来てくれないか」

 

分かっていた。

一日目の朝、寝ていた自分に彼はメモを残して去っていった。

そこには、フォークダンスに行けない旨と謝罪が記されていた。

咲弥は屋上の手摺に手を置き、

 

「怖い」

 

震える。

 

「恐いよ・・・・」

 

幼い日、

 

「おかーさんは、すぐに戻るって言ったけど・・・まだ帰ってこない」

 

二年前、

 

「おとーさんは大丈夫だって言ってたのに・・・死んで・・・・きょーくんは・・・」

「だから、空を飛ぶのを止めちゃったの?」

 

屋上の出入り口から聞こえた少女の声を咲弥は知っている。

中等部からの親友で、同じアルバイトで働き、大切な人。今日はチャイナ服を着ている、

 

「・・・カナちゃん」

「大切な人にいつも置いていかれて、空を飛ぶと自分からもっと離れちゃう気がして・・・彼からも遠ざかる気がして、止めちゃったの?」

 

咲弥は無言。力のない目で香奈美を見て、頷く。

だが、次に香奈美が告げたのは全く別の内容だった。

 

「待たなくていいじゃない」

 

香奈美は笑う。そして、

 

「近くにいたいなら、たまには、さーちゃんから行っちゃいなよ。きっと彼、出迎えてくれるから」

 

 

 

PM 520

 

咲弥の身は手摺の外にあり、彼女は屋上の外枠を歩く。

散歩のような、緩やかな速度だ。

息を吐きながら、咲弥は少しずつ速度を上げる。

歩みから、走りへ。飛翔のための助走だ。本来は必要ない手順を咲弥は敢えて行う。

 

足場の終わりが近づく。落ちれば死ねる高さだ。

だが、咲弥は足を止めない。止めるべきは、

・・・・わたしの、脅えだから!

彼女は足と違う部位に意思を込めた。

背に生えた、一対の金色の翼が後ろに大きく動く。羽ばたきの動作だ。

翼は周囲の大気の韻子を急速に収束する。

咲弥はそれらを心の中で一度抱きしめ、加速して背中の羽に送り返す。

翼で、韻子を織り交ぜた旋律(メロディ)を奏でる。

 

あとは繰り返しだ。

走り、加速、翼、加速、走り、加速。

足場の最後の一歩を跳んで、

 

「――――」

 

咲弥は飛ぶ。

会いたい人の居場所は知らないが、アテはある。

数日前から感じていた、違和感ある風の発生源。

不協和音の根源―――巽ビルに彼はいる。そう確信できた。

 

 

 

PM 525

 

屋上に残された香奈美は、巽ビルに向かって一筋に伸びる、金色の光の軌跡を見ていた。

綺麗だな、と素直に思う。

香奈美は手摺につかまったまま、あーあ、と呟き、

 

「損な性分よねー」

 

口調とは裏腹に声は重い。香奈美は、でも、と続け、

 

「仕方ないよね。私が好きになっちゃったのは、さーちゃんのことが大好きな・・・」

 

続きは、近くのスピーカーからの声にかき消された。

 

『間もなく、後夜祭を始めます。フォークダンスの参加者は――』

 

祭は、まだ終わらない。

 

 

 

PM 530

 

恭介は高速で舞っていた。

BGMは黒球が床を破壊する音で、演奏者は黒い戦闘用のコートを羽織った男、結城だ。

恭介も逃げるだけではない。

コンマ1秒単位の隙を見て、ピックを発射しているが牽制に過ぎない。

 

「予想時刻まであと30分」

 

・・・そろそろ、かな?

恭介の場合の『そろそろ』は、無論天界の墜落ではない。

 

そして、疑問に答えるように戦場に変化が起きた。

床に描かれた黒の線が、白の点となって浮き上がっていく。それは、天に向かう粉雪の様だ。

陣を描くのに用いた韻子が分解していくのだ。

結城の顔に変化が起こる。見えるのは焦りの表情。

 

「まさか・・・・」

「間に合ったか!」

 

恭介に応える声は天から降ってきた。

 

『ご苦労だった、尼津』

 

 

 

PM 531

 

スピーカー越しの声と共に、恭介は一つの物体が自分たちの頭上に現れるのを見る。

赤い塗装のヘリを見て、恭介は呟く。

 

「うわ、目立ちたがり」

 

ヘリの搭乗口に立つ男がいる。魔王の血族と智天使(ケルビム)の間に生まれた半天使(ハーフ・エンジェル)―――三嶋だ。

三嶋は、片手に持ったメガホンでこちらに声を響かせる。

 

『結城 静磨よ、譜面は消音(ミュート)させてもらった。既に天界は下降を止めている』

「紫の翼を持つ者・・・・楽団の長か。発見から、この短時間で無効化するとはな・・・」

『その少年を派遣したのも私だ。遠慮なく賞賛したまえ』

「殺すぞ、アンタ」

 

恭介の声を無視して、三嶋の声は続く。

 

『この世界を崩界させた、その先が貴様の狙いだったのだな』

 

恭介の目に映る結城は無言だ。続きを言ってみろと促している。

 

『本番は・・・その後の再構築だ。

崩界によって、世界は乱れ、奏者(プレイヤー)は世界の因果律を操作できる。だが、未だできぬものがある』

 

それが何か、恭介は知っている。

 

「生命の韻子か」

 

奏者をもって、なお覆せない絶対的な因果のひとつ。

 

『生命の韻子は半分残っている天界にいる・・・・主神だけが持つ。故に、完全に死した者の蘇生は不可能。

貴様は崩界で、砕けた天界からそれを抽出し―――恋人を生き返らせる気だったのだな?』

 

わずかな沈黙の後、結城は問うてきた。

天上の三嶋にではなく、目の前の恭介に。

 

「くだらない願い・・・か?」

 

恭介は首を振る。横に。

 

「生きる者全てが一度は考えることだろ。大切なものを取り戻したいって」

 

だけど、と恭介は言う。

 

「アンタは間違ってると思う」

 

だから、と恭介は告げる。

 

「ベストってわけにはいかないハリボテの世界だけど、壊させない。それが、咲弥に出会えた俺の答えだ」

「咲弥・・・貴様の守りたいもの、か?」

「ああ。両親を失った俺が、今のアンタと同じ存在にならないようにしてくれた・・・半天使だ」

 

結城の表情が変わる。

何かを懐かしむような表情の後、彼は再び恭介に視線を向け笑った。

 

「いい答えだ。ならば俺も・・・」

 

恭介は、感じる。

分解されていく譜面の韻子が、

 

「・・・っ! おい、まさか・・・」

 

結城に集っていくのを。

 

「自分の韻子を擬音化の材料にする気か!?」

 

奏者の中で禁忌とされている行い。

だが、問いは正解だった。

これまでと違い、結城本人が黒い闇に包まれていく。

 

『尼津、こちらに来い!』

 

珍しく真剣な三嶋の声が聞こえ、ヘリから屋上に梯子が垂らされたが、恭介は無視。

恭介は結城に叫ぶ。

 

「止めろ! 元に戻れなくなるぞ!」

 

人が己の目では身体の全てを見ることが出来ないように、自分の韻子を理解するのは他者の韻子よりも遥かに困難だ。

故に自分の韻子を操作することは、軽い傷の治療などでも細心の注意を払う必要がある。

しかし、結城は自らの韻子全てを費やそうとしている。

 

「どのみち俺はもう助からん。何度も再生を繰り返した反動でな・・・

ならば貴様の言葉が、理想論でも、妥協案でもないと俺に示し―――」

 

結城 静磨の言葉ごと、不協和音の闇が分解。

彼を力ある獣の材料とするために。

屋上中に闇が満ち、全てを取り込もうとしている光景を恭介は見て、

 

「ああ、示してやるさ!」

 

彼は背後の梯子へ向かった。

 

 

 

PM 540

 

咲弥は感じる。

向かう先、巽ビルから感じる不協和音を。

怖さや不快感より、強いものを咲弥は感じる。

 

「・・・悲しい」

 

 

 

PM 545

 

空を飛ぶヘリの搭乗口で恭介は三嶋と共に、固まった闇を見た。

最も目立つのは翼だ。

天使の翼とは違い、肉質な太い翼の本体は、

 

「・・・示し甲斐、ありすぎだろ」

 

全長30メートルの黒い竜だ。

隣にいる三嶋が告げる。

 

「非常に不安定な状態だな。

おそらく、本来の譜面の消滅する時刻に竜も自己崩壊し、地上に不協和音が響き渡る・・・世界が汚染されるぞ」

6時までに調律しないとやべえか。念のために聞くが・・・三嶋、アンタは・・・」

「消音譜面で力を使い果たした。しばらく演奏は無理だ」

「了解、役立たず・・・と」

 

翼持つ黒の竜は、翼を動かし浮き上がり、顔をこちらに向けたままヘリに近づき、口を開ける。

口から発生した、ヘリごと飲み込める大きさの黒球の威力を恭介は知っている。

 

「・・・行くか」

 

残りの力は少ない。

仮に自分の身を擬音化して対抗しても、あの竜の100分の1の戦力にもならないだろう。

左手のバット、右手のピックがせめてもの抵抗か。

横にいた三嶋が、

 

「尼津、来るぞ」

「ああ、やるだけやって・・・・」

「ふむ、なかなか積極的な娘だな」

「は、なに言っ・・・でぇ!?」

 

直後、

 

『―――』

 

竜の鼻先を金の閃光が通過し、黒球が消えた。

一瞬、しかし恭介は確かに見た。空を飛ぶメイド服の少女を。

人ではない。それを示すのは彼女の背に生えた、太陽の色をした一対の翼だ。

少女は一度こちらを見た後、急速に上昇。

竜も興味を持ったのか彼女を追い、残されたヘリの中で恭介は、

 

「あの・・・馬鹿!」

 

言葉も動揺も無視して、笑っていた。

 

 

 

PM 546

 

咲弥は巽ビルの屋上から、さらに200メートルほど高い上空を水平に飛行。

背中の翼は旋律を奏で、身体を思うままに運んでくれる。

速度は竜の方が上だが、咲弥は身の小ささと小回りをアドバンテージにする。

時に急旋回して竜の爪を回避し、時に、

 

「――」

 

周囲の膨大な音量(ボリューム)の旋律を竜に叩きつける。

巨大な竜が吹き飛ぶ。が、ただ吹き飛ぶだけだ

加速(テンポアップ)してはいない一撃だ。威力はあるが、恐怖を与える鋭い一撃ではない。

理由は、彼女がこの戦場を理解していないからだ。

到着まであと少しのところで、

 

「巽ビルの屋上からヘリが飛んで、そこにきょーくんがいて、そしたら竜が出て、竜がきょーくんに近づいて、それで、それで・・・」

 

とりあえず恭介を助けて竜と戦っているが、よく考えるとすごい状況だ。

だが、考え込む間に竜は口に黒球を充填していた。その大きさは既に咲弥の身体を飲み込める。

 

「あ・・・」

 

黒球が放たれる。

・・・かわせない。

だが、そんな彼女の真上を通過する物がある。赤塗りのヘリだ。

 

 

 

同時刻

 

ヘリの搭乗口で、

 

「三嶋・・・俺が死んだら部屋のベッドの下にあるドリームゾーンたちを燃やしてくれ」

「・・・つまり、死ぬ気は欠片もないということか」

「当然!」

 

恭介が動く。

 

 

 

PM 547

 

咲弥は、ヘリから何か落ちるのを見た。

白の点だったそれは徐々に大きくなり、咲弥は、それが何か知る。

 

「うわあっ。きょーくん、無茶しすぎ!」

 

恭介が生身のままダイブしてきた。地上500メートルを超えている高度からだ。

彼の両手には金属バットがあり、

―――響歌。

 

「かけふーーーーーー!!!」

 

謎の掛け声と共に黒球にバットをぶち当てた。

一瞬で結果は出る。

黒球は跳ね返され、バットは粉々に消滅した。

跳ね返された黒球が直撃した竜と、その衝撃を浴びた恭介は正反対に真横に吹っ飛んだ。

この乱れた気流で動けるのは、咲弥のみ。

 

 

 

PM 548

 

翼を持たぬ恭介が落ちていく。

咲弥は思う。

・・・迎えに行こう。

彼は翼持たぬ身でありながら、自分を救いに跳んだ。

自分も待つだけでは駄目だ。

自分から行こう。そうすれば彼は来るだけではなく、

 

「きょーくんは、必ず一緒に行ってくれるから!」

 

咲弥は翼を操作し急速に下降。落下する恭介と相対速度を合わせて、

 

 

 

PM 549

 

「・・・っ!」

 

後ろから抱きとめた。

咲弥は恭介の両脇に腕を通し、彼の身体を固定。

顔が見えぬ恭介は、呆れた声で、

 

「・・・なんで、こんな時に来るかな。お前」

「こんな時だから来たんだよ」

 

 

 

PM 5:50

 

ふたりは、上空の大気が動くのを知る。

黒球のダメージが修復された竜が動くのだ。

竜は上空の雲めがけて上昇していく。

恭介はそれを見て、強気な声で、

 

「ついて来いってか・・・上等だ。咲弥、俺たち・・・も・・・」

 

言葉が不自然に止まる恭介に咲弥は首をかしげる。

 

「きょーくん、どうかしたの?」

「なんてこった・・・こんな大切なことを俺は・・・!」

 

恭介の声は真剣だ。

恭介は首だけでこちらに振り向く。その真剣な顔に、咲弥も顔を引き締める。

 

「咲弥」

「な、なに?」

「胸、大きくなったろ」

 

無言で固まる咲弥に対し、恭介は背を咲弥の胸に寄せてくる。

何かを確かめているようによじった後、首だけで頷き、

 

「この触感は82・・・83・・・いや、それ以上! お前、隠れ巨乳か! しかもロリ――」

「いやあ―――!」

 

咲弥が恭介を地上に突き落とし、自分の行動に気づいたのは5秒後だった。

 

 

 

PM 551

 

竜は上昇する。

核となった人物の韻子はあるが、それは既に別の存在だ。

竜は己の存在意義を思う。

滅び。

竜の中、かつて『彼』だった韻子は待つ。

自分を否定してくれる、絶望を砕く者を。

 

 

 

PM 552

 

恭介は咲弥に抱きかかえられながら上昇している。

向かうのは、雲の上側にいる竜だ。

移動時間で、これまでの経緯を恭介は咲弥に説明する。

 

「つーわけで、崩界は止めたんだが・・・アレ、どうにかしないとな」

「うん・・・でも、あんな巨大な竜、倒せるかな」

 

巨大な雲を抜けた先に竜が待っている。

 

「手はあるっちゃある」

「あるの!?」

 

演奏とは、操れる韻子の量である音量と、加速や調律などの操作技術に左右される。

最高位の熾天使の血を引き強大な音量を操れる咲弥と、楽団の中でもコントロールに長けた恭介が揃っている今ならば、

 

「・・・協奏状態で、ふたりで擬音化(イミテイト)すればなんとかなるかな、と」

「きょ・・・協奏!?」

「擬音化しても、お互いの韻子を完全に再構築さえできれば、元に戻れるしな」

 

互いの韻子を一時的に共有することで、思考や意思を理解する究極演奏技術―――協奏。

それは、技術以上の意味を持つ。

 

「別に、その、事務的にやるわけじゃないというかだな・・・」

 

その意味を、恭介は自分なりにアレンジして伝える。

・・・男の方から言わなきゃな。

 

「ぶっちゃけ・・・・死ぬまで一緒にいてくれるか?」

 

しかし、問いに咲弥は首を横に振る。

 

「足りないよ」

 

咲弥は笑みを見せる。

微笑ではなく、感情をあらわにした笑顔で、

 

「死んでも・・・・何度生まれ変わったって、わたしはきょーくんの傍にいる。

離れても追いかけちゃうから、覚悟してね?」

 

恭介は思う。

・・・・女には勝てない、と。

 

 

 

PM 553

 

上空の、三嶋の乗ったヘリが大きく見えてきた。

搭乗口に立つ彼はメガホン越しに、

 

『イチャついている場合かね? エロ小僧』

「エロを舐めんな! わしゃ、エロで世界を救ったらあ!」

『いい決心だ。ならばこれを―――』

 

すれ違う際に搭乗口から放り投げられたのは、掌に乗るサイズのふたつのケース。

咲弥の代わりに、恭介は両の手で一つずつキャッチ。

56センチの立方体の箱に、何が入っているのかはすぐに想像できた。

 

『リングだけだ。後でちゃんと宝石を買ってあげたまえ』

「・・・準備よすぎねえ?」

 

 

 

PM 554

 

地上の、ある方向から、幾重もの旋律(メロディ)が流れてくるのを咲弥は感じる。

聖蓮学園からだ。

 

「フォークダンスの・・・ラストダンスかな?」

「どうせなら、俺たちも参加しようぜ」

「うん・・・ふたりで踊ろ」

 

恭介と咲弥は、互いの右薬指に『箱の中身』をはめる。

 

「始めるぞ」

「うん」

 

熾天使の母から受け継いだ咲弥の翼は、周囲数百キロメートルの風の韻子(サウンド)を一気に収束する。

咲弥は翼でバラバラの韻子を旋律(メロディ)へ昇華させ、恭介に送る。

恭介は、歌詞を旋律に乗せる。

用いるのは、互いの名と姓に込められた意味。

 

「『尼津』とは、天を意味する字の読みの一つ。

『Sakuya』・・・お前の名前には空を意味する言葉が含まれている。そして・・・」

 

そして、共にあるという約束。

 

「天(あまつ)と空(Sky)は一つとなる!」

 

瞬間、ふたりの韻子が分解され、収束された旋律と混ぜ合わされる。

万物流転を司る風・・・否、大気が大きく揺れ動く。

 

 

 

PM 555

 

竜は見た。

下の雲が全て消し飛んだのを。

その中心にいるのは、一羽の鳥だ。

黄金の羽毛を持ち、竜に劣らぬ大きさで飛ぶ存在。その呼び名を、竜は人であった頃の記憶を用いて知る。

 

風詞鳥(ふしちょう)

 

竜に並ぶ、最高位の擬音化を敵は用いてきた。

自分のような不協和音ではなく、この世界を凝縮して生まれた聖なる存在が、直下にいる。

そして、力の集合はこちらに向かって上昇してきた。

速い。

風詞鳥の周囲の韻子が急速に固まっていくのを竜は感知。黄金の弾丸・・・いや、砲弾だ。

それに応じるように、竜の口からも巨大な黒球が生まれる。

聖なる鳥を叩き落す邪悪なる竜を演ずるために。

 

 

直後、戦場が新たな局面に突入する合図が空に響いた。

 

 

 

PM 556

 

日没により闇に支配され始めた空を駆け巡る二つの色がある。

一つは夜の闇を集めた黒き竜。もう一つは沈んだ太陽を思わせる金色の鳥。

 

竜が大気を突き破って直線的に突撃すれば、鳥は風を味方に付けて空を縦横無尽に翔る。

竜が放つのは、大気を突き破る不協和音の塊。

風詞鳥は、大気の韻子を収束した黄金の軌跡を描く砲弾を撃つ。

両者の攻撃は、時にぶつかり合い、時に互いの身をかする。

 

音速を超えた両者は、交差を繰り返しながら、地上1000・・・3000・・・5000・・・10000メートルを突破し、さらに上昇。

もはや戦いではない。踊っているのだ。

BGMは、フォークダンス用のありふれた曲。

必要なのは、羽を動かし、一撃を与える意思だけで十分。

この空において、他には何もいらない。

 

 

 

PM 557

 

宇宙との境界が近づく高度で、金色の鳥はそれを見つけた。

遥か上方に、周囲の空を歪める巨大な白い球体がある。

天界に繋がる門だ。

一瞬、風詞鳥の中にある少女の韻子に震えが生じたが、すぐに少年の韻子に包まれて落ち着く。

が、その一瞬で、

 

『――――』

 

竜が鳥の真下にいた。攻撃を当てるための意識した減速だ。

既に竜の口には、黒球があり、

 

『       』

 

直後、黒球が風詞鳥に直撃した。

 

 

 

PM 558

 

金色の羽が散る。

風詞鳥が回転しながら堕ち、韻子が崩れていくのを竜は確認した。

 

 

しかし、

 

 

竜は違和感を覚えた。

それは風詞鳥の核である奏者の少年の記憶。

こんな簡単に倒せる相手だったかと、竜は疑問に思う。

意識を下の方へ向ければ、風詞鳥は少しずつ小さくなり、

 

『!』

 

一瞬の光の後、半天使の少女になった。

竜は知る。壊れたのではなく、別れたのだと。

風詞鳥は黒球が当たる直前に、少年と少女の韻子を再構築することでふたりに戻ったのだと。

下からこちらを見る少女は無傷だ。竜が破壊したのは、擬音化を解く際に余って放出した韻子だけだ。

 

同時に竜は一つの影を見る。

天上に存在する己より、さらに上に存在するもの。

再構築する際に、上空に飛ばされた少年だ。

 

 

 

PM 559

 

落下する恭介の広げた左の掌に膨大な韻子が集う。

擬音化を解いても、咲弥と協奏状態でいる効果は続いている。

天に愛された彼女の韻子を有するおかげで、今の自分は気温や気圧といった野暮な邪魔を無視できる。

彼は拳を作ることで強大な旋律を凝縮する。用いる演奏技能は、

 

「死んだ親父の教えだ・・・」

 

―――響歌(レインフォース)

強化するのは拳そのもので、恭介は叫びながら拳を竜に振りかぶり、

 

「馬鹿はぶん殴る!」

 

拳が直撃し、全長30メートルの竜が吹き飛び、そして、

 

「―――調律!」

 

日が沈んだ空を、金色の光が覆いつくした。

 

 

 

PM 600

 

聖蓮学園のグラウンド。

後夜祭のフォークダンスにて、今、最後の曲が終わった。

夜へシフトしていく空に、だが生徒たちは天上に、太陽に似た一つの光を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1023日(月) PM 210

 

「ありがとうございました」

 

香奈美は店から去る客を見送り、小さく吐息。

今日は月曜。平日だが、文化祭の代休を利用して、香奈美はバイトに入っている。

平日のためか、この時間でも客の入りは多い。

 

「さーちゃんはお休みか・・・ウエイトレスは、私ひとりだけど頑張らないとね」

 

鐘の音が響く。新たな客だ。

香奈美は入り口に向けて身を動かす。

開いた扉から見える空は快晴。

そのことに、香奈美は少しだけ心を軽やかにして、マニュアルの挨拶に上機嫌を上乗せする。

 

「いらっしゃいませーっ」

 

 

 

PM 215

 

そこは、田舎だった。

山に囲まれた田畑が景色の大部分を占め、民家が疎らに建てられている中、舗装されていない道を少年と少女は行く。

彼らが住む町から、電車で1時間、バスで30分、さらに20分だ。

季節は十月下旬。

風は冷たさを帯び、秋から冬への移り変わりを示している。

少年は景色が変わったのを知る。平坦な道から上り坂への変化だ。

彼は、真剣な顔でその先の山に向けて、

 

「・・・・お義父さん」

 

直後、少年の横で音がした。

振り向くと、少女が持っていた線香や花を地面にばら撒いている。

 

「なに、やってんだ」

「だ・・・だって・・・今・・・・」

「本気だぞ?」

「・・・ありがと」

 

山道を人である少年は歩き、金の翼持つ少女は低空を浮きながら進む。

少年は右手、少女は左手。天と地を繋ぐように手を重ねて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

HAPPY END・・・?

 

ふたりは目的の場所に辿り着く。

しかし、

 

「おい、あれって・・・・」

「あ・・・・」

 

墓の前には先客がいた。女性だ。

背を向けているので顔は見えないが、ふたりは彼女の背に六枚の白い翼を見た。

こちらに気がついたのか女性がこちらを向き、ふたりは女性の顔を見る。

少年は固まり、少女はすぐに笑みになった。

 

少女は、ずっと待っていた人に告げる。

そして、テンパった少年は、素直に思うことを叫んだ。

 

 

「・・・おかえりなさい、おかーさん!」

「む、娘さんをください、お義母さん!」

 

 

 

 

NO・・・Happy ReSTART