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その少女を呼んだ客は親子連れだった。
食べ残しが転がっているテーブルを慣れた手つきで拭いていたウエイトレスの少女は、ただいま参りまーす、と大きな…しかし澄んだ可愛らしい声で返事をする。
そして、汚れた布巾をそのテーブルに置き、客に見えないように小さく手を払うと、パタパタと小走りで親子のもとへと駆けていった。
母親の手には伝票が握られている、会計なのだろう。

「お会計、失礼いたします」

少女がレジカウンタに入ると、母親が少女に伝票を差し出す。
それを笑顔で受け取ると、少女は伝票に書かれている内容を流れるようにレジに打ち込んだ。
まるで軽快にステップを踏んでいるかのような、テンポ良く、かつ無駄のない入力を終えて少女は顔を上げる。

「お待たせいたしました。お会計は1470円になります」

実際のところ大して待たせてはいないのだが、テンプレートに則り金額を読み上げた。
ミートソーススパゲティと野菜サラダ、アイスコーヒー、オレンジジュース、お子様ランチ。それにチョコレートパフェ、これだけの量を注文してこの金額なのだから、この店は本当にお財布に優しいなぁ…とレジを打つたびに少女は思う。
もっとも、だからこそ今ここで接客出来る要員が店長と少女しか居ないわけなのだが。
本当はもうひとり接客要員のアルバイトがいるが、今日は来ていない。
一月ほど前から「今日は休む」と宣言していたので、今頃はどこかを遊び歩いているのかもしれない。

母親は伝票を見てあらかじめ用意していたと思われる1470円ぴったりの代金をレジカウンタの上の受け皿に載せる。
少女は金額を丁寧に確認してレジスターに入れ、ありがとうございました、と嫌味なくぺこりとお辞儀をした。
子供の手を引いて店を出る母親を見送り、最後にもう一度「ありがとうございました」と親子の背中に笑いかけ……そして、少女は目の前の壁に掛けられている時計を見上げた。

午後の210分。お手軽な値段の昼食を求めて来店した客も次第に減る時間帯。
店内には空いているテーブルが目立つようになってきた。
お昼時を過ぎれば、あとしばらくは遅い昼食を求める客が時折来店する程度。
基本的には勤務時間内でありながらもちょっとした休憩のようなひとときを過ごす事になる。
もちろん、少女も例外ではない。
レジカウンタの影で制服の皺を伸ばすと、少女は静かに息を吐いた、お昼時の混雑で張り詰めていた気持ちがゆっくりと解けていくのが分かる。
今までは気付く事すらも出来なかった、店内に僅かに残る料理の匂い。

「……そういえば、私もお昼まだだったなぁ」

少女は眉をハの字にして小さく呟く。

きゅるるる。

そして間髪いれず、少女のお腹が切なげな鳴き声を漏らした。
少女は慌てて両手でお腹を押さえると、頬を真っ赤に染めて店内をきょろきょろと見回す。
目に付くのは空いたテーブルばかり。
奥に一つだけ、若いスーツの男性が席についているテーブルがあったが、当の男性は何かを書いているのか、食い入るようにテーブルを見つめたまま右手を忙しなく動かしていた。
この時間帯にはいつも同じ場所に座って書き物をしている、ある意味常連ともいえる男性なのだが、幸い少女のお腹の虫の鳴き声は男性の耳に入っていなかったようだ。
あるいは、耳に入っていても気にしていないだけなのかも知れないが。
少女はお腹をぎゅっと押さえたまま、ほっと息を漏らした。
ウエイトレスは食事時が一番の稼ぎ時であり、故に昼食や夕食は一般的な時間帯には食べられない事が多い。

自分のお腹が空いている時に他人の食事を眺めてなければいけないというのはもはや拷問でしかないのだが、いざ食事時になると忙しさのあまり空腹も忘れてしまうのはある意味幸運と言えるかも知れない。
もっとも、それは忙しい時間帯だけ。
食事時が過ぎれば、少女の中で無意識のうちに押さえ込んできた腹の虫がゆっくりと活動を再開するのだ。
そう、今のように。

「今ならお客さんも少ないだろうし、休憩を入れようかな…」

店長は客が引き始めたところを見計らい、少女よりも少しだけ早く休憩室に入った。
そろそろ、交代しても良い頃だろう。
お腹の虫に、そして自分自身に栄養を与えなければ。
少女は奥の席に座っている男性を見る。
相変わらず書き物に集中しているようで、少女を呼びつける様子は無さそうだ。
迅速に引継ぎをすれば、問題なく休憩に入る事が出来るだろう。
少女はそう思い、休憩室に向かおうとしたその時。

からーん、からーん。

店の入口に付けられたベルが鳴り響く。
先程の男性が外に出たとはさすがに考えられないので、おそらくは遅い昼食を摂りに来た客か。
ううっ、こんな時に…っ。
内心毒づきながらも、少女は全ての感情を笑顔の奥に隠して振り向いた。

「いらっしゃいませーっ」
















「さっそくで悪いんだけど、空腹の苛立ちを笑顔で必死に隠してる店員さん、雑誌ってどこに置いてるのかな?」

見たところお客は今時の高校生といった感じのカジュアルな服装に軽く化粧もしている。
そして店員に対してタメ口尋ねる。
客という立場からすれば店員にタメ口をきいても全く問題はない。
しかし、店員という立場からすれば問題があってもなくてもいきなりのタメ口は多少なりともムカつくものである。

少女もまた、そんな考えを頭の中で考えつつお客への対応をこなすことに努める。



「雑誌でしたら、そちらの奥のテーブルの窓際にございますよ」

客の少女の言葉に『そんなに暇ならちょっとくらい手伝ってくれても……』とでも言いたげな不機嫌そうな表情で少女は形式的にお客の質問に答える。
どうやら、この中途半端な時間に来店してきたこの少女こそ1月前から「今日は休む」と宣言していたもう一人の接客要員のようだ。

「よりにもよってこんな時間帯に来なくても……私まだ何も食べれてないんだから」

客商売ということもあって、ここからは奥の男性客に聞こえないように小声で話している。

「あはは、そりゃ災難ですなぁ!」

今いち迫力に欠けた声で凄む少女だが、来店した少女には全く反省の色が見られない。

「にしてもなんでこんな中途半端な時期に休み取ったの?お母さん達はあなたが彼氏とでも遊んでるじゃないかって話にまでなってるんだから………」

「私に彼氏?あっはっは、マジありえねぇ!」

あまりに受ける印象が違うためにわかには信じ難いが、実はこの二人姉妹である。
序文でレジ打ちをしていた大人しそうな少女が姉の植村正美(うえむら まさみ)、正美の空腹ぶりをからかって楽しんでいる少女が妹の植村麻美(うえむら あさみ)。
二人とも下手をすれば中学1年生に間違われるほど小柄で背丈も近いのだが、年齢は正美が20歳、麻美が15歳と意外に離れている。

「お父さんなんて『子供さえ作らなければ何しても別にいい』とか言い出してるんだよ……」

「…どんな公認よそれ?」

「うん…私もそれは思った」

「……さて……」

目を閉じると共に一息深呼吸をすると、正美の表情がプライベートから営業モードへと変わっていく。

「それでは空いている席にお座りください、メニューが決まりましたらお気軽に声をおかけくださいませ」

「…相変わらず真面目だねぇ、正姉は……はいはい、注文決まったら呼ぶね」











40分後、それまでに正美は妹や男性客の料理を運んだりしていたのだが、流石にこの時間帯になっても何も食べられない状態で食べ物を見たり嗅いだりしてしまった日には空腹を通り越して気持ち悪くなっても仕方がない。

「お…お会計は960円になります…」

「大丈夫、正姉?なんかあぶら汗出てるんだけど……」

「うん、さっきからお腹鳴らなくなってきてるから……」

正美の表情は誰の目からも無理をしているようにしか見えない、実際は一食ぬいているだけなのだが、おそらくは「空腹で目の前に食べ物があるのに食べられない」という精神的なものなのだろう。

「いやぁ、にしてもやっぱりここは美味しいね!」

「嫌味?それ嫌味なの?」

麻美としてはそのつもりはなかった、ただ正美からすればすでに3時になろうとしているにも関わらず未だ間食すらできない状況で味の感想など言われても耳にタコでしかなかった。
しかし、あくまで麻美は悪気が合あった訳ではないのでそんなことをむくれて言われても言いがかりもいいとこだ。

「すみません、お会計よろしいですか?」

「え…っ、も…申し訳ございません!お会計、失礼いたします…………………お待たせいたしました。お会計は380円になります」

突然現れて声をかけてきたのは奥のスーツ姿の男性客だった。
突然ならまだいいが実は長い間待たせていたのではないか、そんな考えが頭に過ぎりつつも正美は慌てて会計を済ませようとする。

500円からお願いします………それと、お嬢さん」

男性客は500円玉を取り出し、正美がレジ打ちをしている合間に麻美の方へと話しかける。

「はい?(うわ、『お嬢さん』だって!今時マジでそんな言い方する人初めて見たよ。っていうか寒っ、っていうかキモっ!!)」

「ハンカチ、落としてましたよ」

「へ?」

男性客は呆ける麻美に対し、微笑みながらハンカチを手渡す。

「お待たせしました、120円のお返しでございます、お確かめくださいませ」

そうこうしている内に会計も終わり、からーん、からーんという音とともに男性客は去っていった。







「やばっ………」

ぽつりと麻美がつぶやく。

「やばいのは私だよ……やっと休憩できる〜〜……」

そんな麻美を尻目に正美は本当にそろそろ限界といった感じだった。












「…………惚れた…………」











「えええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

麻美のつぶやきに正美は自分の空腹など忘れて過剰なまでに反応を示した。
しかし、当然空腹が満たされている訳ではないので

きゅるるる。

「うぅ……」

自分の叫び声にも腹の虫は反応してしまう。

「何よ、そこまで驚くこと?私だってもう15だし、むしろ遅いくらいだと思うけど」

「だって…『ハンカチ拾われて一目惚れ』なんて……いくらなんでもベタを超越してるとしか思えないよ…」

「仕方ないじゃん、ときめいちゃったんだから…………そう、例えるなら『荒野で死肉を見つけたハイエナ』のような心境………キャっ、私ってば乙女チック♪」

赤く染めた頬を両手で抱えた古さを思わせるポーズだが、言ってることの内容は常人には解りかねるものだった。

「止めた方が良いよその表現…PTAとかから教育上良くないとか苦情がきそうだよ……」

「そんなことより!正姉にはこの非常事態が理解できてんの!?」

ビシっと正美の鼻先まで指を伸ばし、勝ち誇ったかのように語りだす。

「現実において恋をするのとは訳が違うんだよ!?小説とか漫画の中で恋するってことは『恋する乙女』、早い話がヒロインの座を獲得するってことだよ!やばいよこれ!『告げられない想いを胸に秘めた少女』だよ!!持ってけドロボーだよ、人気爆発だよ!!!」



やたらと熱く訳の分からない事を語る麻美だったが聞き手であるはずの正美はその場にはいなかった。
普段であれば正美が人の話を途中で蔑ろにすることなどない、しかし空腹と疲労という要素が天秤に掛けられればこれ以上妹の妄言にはついていけなかった。





「はぁ〜〜…普通の昼食も今はすごくおいしいなぁ」

そして、およそ300といういわゆる『おやつの時間』にようやく食べれる昼食に正美はこれ以上ない至福の時を感じていた。
ちなみに正美の食べているのはカルボナーラ・パスタ、チーズとクリームの組み合わせがパスタに良く馴染んでいて食欲も進むというものだ。
それこそがカルボナーラのカロリーは高いと言われている所以なのだが、とはいってもやはり『おいしい物はおいしい』という理屈の方が勝ってしまい『空腹時+カロリーの高い物』という最悪の組み合わせになっている。
一応正美もそれを自覚しているため、軽くサラダセットも加えて栄養には気を使っている。

「「聞いてよ、正美ちゃん!」」

そんな昼食もようやく終わろうとしていた時に若い男女の声が綺麗にハモって聞こえてくる。
普通こういう職場では苗字で呼ばれそうなものだが正美と麻美、二人の『植村さん』がいるので各人客のいない時は名前で呼ばれている。
二人はこの店の正式に勤めている新米だ、正美はそんな二人にまたですか?と苦笑しながら曖昧に話しを聞く事にする。

「こんのバカね、また食器の数間違えて店内混乱させて……しかもそれ誤魔化すために同じ料理だからって別のお客様に同じ食器使ってんのよ、どう思う?」

「いやいや、俺なんかまだ可愛い方なんだよ……このババァはよりにもよって領収書に使ったレシート失くしちゃってんだよ、ありえないでしょ?」

「はぁ、誰がババァって?このジジィっ!」

「バーカ!」 「お前がバーカ!」 「「バーカ、バーカ、バーカ、バーカ!」」


そんな様子を正美は曖昧に苦笑しながら見続けるしかなかった、二人の出勤日が重なった日にはこのパターンがお決まりになっている。そして、その度に正美が聞き手役にさせられていた。
正直言ってしまえばまるで小学生低学年並みのケンカだ、これで二人とも麻美どころか自分よりも年上だというのだから、正美は『人間って精神年齢で決まるんだなぁ』とつくづく思ってしまう。
ある意味微笑ましい光景で『仲がいいですね』というと決まってどちらかが『はぁ!?こいつと!?』と言い返してくる始末。
いっそつき合えばいいのに、とも思うのだがお互いにちゃんと別につき合っている人間がいるようだ。



それから更に2時間、バイトを終えた正美は着替えを済ますと店から出ようとしたのだが、そこには麻美が缶ジュースを飲みながら正美を待っていた。

「遅い〜〜、正姉!」

正美としては待ち合わせなどした覚えはないのに、この言い分だとまるで自分が待ち合わせに遅れて妹を待たせたみたいだ。

「どうしたの?」

「確認しとく、正姉はあの人のことなんとも思ってないんだよね?」

ここで麻美の言うあの人とはいうまでもなく麻美がなんともベタな人目惚れの仕方をした男性客のことだ。それにしても何というか、ついこの間まで『友達とブランド物さえあれば男なんてどうでもいいや』なんて言ってた娘がこうまで豹変するのは何とも滑稽だった。
それを差し引いてもあの男性客に対して『うっざいな〜、注文する気がないなら書き物なんて家でやりゃいいのに……それにファミレスでスーツってどうなのよ?』なんてぼやいてたのはどこの誰だっただろう。

「うん、その辺は全然心配いらないから…」

「ようし!じゃあさっそく、明日どうやって告ろうかな〜〜?」

「え!?『告げられない想いを胸に秘めた少女』じゃなかったの!?惚れた次の日からもう告白!?」

「そうと決まれば早速帰って作戦立ってなきゃ!よっしゃ――――――――――――――!!」

何やら麻美は勝手に自己完結をしたかと思えば人目もはばからない叫び声と共に自宅へと走っていった。
なんだろう……さながら今までピーマンが食べられなかったのに騙されたと思って食べてみたら意外と普通に食べれて、その日以来親にピーマンを必死でせがむ子供のようだ……

「あの娘、一度タガがはずれると何しでかすか分からないからなぁ……フォローしなきゃ…」

夕日をバックに妙に生々しい哀愁を背に背負いながら正美は寂しく帰路を辿っていく。














翌日

「お待たせいたしました、お客様のご注文『エビフライ定職』に『アイスクリーム』でよろしいでしょうか?」

「………早いなぁ…………」

麻美は正美に負けず劣らずのテンポの良い動作でお客のテーブルへ料理を運んでいる。
その動作は性格の違いを思わせないほどに姉妹揃って無駄のない動作や流れるようなテンポがそっくりだった。
唯一の違い、それは正美はこのバイトを始めて半年 それに比べて麻美はまだ2ヶ月しか経験がないという点だった。正美は時に思うらしい『私達の関係って空みたい』と…………
空は明るくなり『朝』が来る、後に徐々に暗くなっていき『夜』になる、決して『夜』が『朝』より先に来ることはなく……それはまるで自分と麻美が何かを同時に始めたなら先に覚えるのはいつも決まって麻美、後になって覚えるのが自分という関係に酷似している……たまに正美はそう考えていた。
自分にできることは全て麻美にもできる、麻美にできないことは自分にもできない、そういう現実を正美は過去に嫌になるほど思い知らされてきた。
もちろん正美も普段からそんな考えを持つほど根暗ではない。
元々この考えは幼い頃に空と麻美の才を見ながらふと思いついたものだ、年月が経つ毎にお互いの趣味も分かれて何か同じ事を同時に始めること自体なくなっていた。
ただ、それでもたまに目にする麻美の才が正美にそんな幼い頃の考えを蘇らせることがあった。
それ故か正美は昔からどうしても空があまり好きになれなかった、正美自信は麻美を妬んでいる訳でもない、ただ幼い頃に考えがちな『なんで私だけが…』という考えが不運にも現在トラウマという形で正美に巣食っているだけなのだ。





「ぐひょひょひょひょ…うひゃっひゃっひゃ…………」

「ねぇ、子供連れのお客もいるんだからもう少し控えめに笑おうよ……正直ちょっと引くんだけど……」

さて、それは別として麻美は先ほどまでの軽快な動作を忘れさせる様な不気味な笑いをお客に聞こえない裏方で発している。
正直ホラー映画なんかを見ている時にこんな笑い方をされると『ちょっと止めてよ!』とか言われそうだ。

「私あの後考えたのよ、彼書き物してるから他のお客が帰った後も結構遅めに残ってるでしょ?つまり堂々と店内で告れるチャンスがあるって訳よ!!」

正美はそんな麻美の狂言を耳にしながら『うわぁ、この娘本気だよ……』とか思っていた。







      数十分後
麻美にとって決意をした瞬間、仕事の時間などあっという間だった。

「うっひょっひょっひょ、思った通りだよ、彼一人だよ!スーツ姿で書き物してる姿がもう素敵過ぎ!!!」

「お願いだからその笑い方やめてよ、絶対今読者引いてるよ……」

つい最近まで男性客をうっとうしがっていた彼女が今や崇拝に近い想いを彼に抱いている、恋は盲目とはまさに今の彼女のためにある言葉だろう。

ガション         ガション

散々告白する気満々だった彼女もいざ男性客に歩み寄る時になると緊張感丸出しの、まるでロボットの様なぎこちない足取りになっている。

「あ…あのっ……お客様、お…お名前を教えて頂けないでしょうか!!?」

「えっ……?高杉透(たかすぎ とおる)といいますが……え??」

透の反応は至極当然なものだ、いきなりロボットのような動きをした店員の少女が何故か自分の名前を聞いてくる、一体何事かと思うのが普通だ。







「私…私…あなたのこと今まで『うわっ暗っ!』とか『何故にファミレスでスーツ!?』とか『注文する気あんの!?』とか『いい加減帰れよ…』とか思ってました………でも…昨日ハンカチ拾われて以来メチャクチャ一目惚れです!もう『王子さま!?』みたいな感じです!!どうか私と結婚してください!!!」








「(ストレ―――――――――――――トっ!いくらなんでも本音過ぎるよ!!わざわざ今までの感想まで言わなくても………っていうかワンテンポ早いよその告白!!普通『つきあってください』でしょ!?っていうかあなたまだ15歳だから!!結婚無理だから!!)」


影ながら見守っていた正美は声にこそ出さないものの麻美の非常識にも限度のある愛の告白(?)に心の中でツッコミの言葉を叫んでいた。
透は曖昧に笑うしかなかった、むしろ彼は人間ができている部類だろう。
これが普通の人間ならそそくさと何事もなかったことにしてその場を去りたいと思ってもそれは自然な反応なのだから。

「……すみません……僕、妻子持ちなんです……」

「(ごめん麻美……フォローの言葉が見つからない……)」























その後、正美たちは何事もなく今日一日の仕事を終えた。
麻美は平静を装ってはいたものの実は相当ショックを受けているのではないか、そう思うと正美は仕事中も心配でならなかった。ただ、アレだけの失態をさらしておきながらどうやってフォローの言葉をかけるかが最大の悩みの種でもあった。
麻美は今、着替えをしながら帰る準備をしている。

「あの〜……麻美?」

「え、何〜〜?」

にや〜〜〜っ

ゾクッ!

心配して話しかけてみれば麻美は正美の心配をよそに背筋が寒くなるくらいの不気味な笑みで振り返ってきた。

「妻子持ちねぇ、うっひゃっひゃ…そんくらいの障害なきゃダメだよね〜やっぱ!」

不安だった、彼女がいるのとは訳が違う 妻もあれば子もある妻子持ちだ、どういう方向で攻めるにしても何かしらのトラブルが生まれるのは必至に違いない。

「ね…ねぇ、一体何をする気なの……?姉として妹の犯罪を見過ごすわけにはいかないし……」

「犯罪なんて人聞きの悪い!私だってちゃ〜んと考えてんだから!我に秘策あり!!」

任せといて、と不敵に笑う麻美に正美の不安はより一層募っていく。

「だ……だから何をするつもりなの!?」

「ふふん、良くぞ聞いてくれた!」

待ってましたと言わんばかりの満面の笑みだ、これが妻子持ちの男を狙うなどという物騒な話でさえなければさぞ微笑ましい光景だろう。

「うちの近所にさ、新婚夫婦の鈴木さん家に赤ちゃんがいるじゃん?その赤ちゃんちょっと拝借して彼の目の前で『パパでちゅよ〜』ってね!」

「『ね!』じゃないわよ……拝借って…その時点で誘拐行為じゃないの…」

「失礼な!ちゃんと鈴木さん家から承諾得てから実行するの!!」

「無理だって……仮に貸してくれたらくれたで私は鈴木さんの人間性を疑うよ……」








再び翌日


「じゃ―――――ん!借りてきちゃいました〜〜〜!!」

「…………鈴木さん……子供ってね…愛がなくちゃ生きていけないと思うの…………」

今はこの場にいない鈴木さん夫婦に正美の言葉は届くのであろうか……?
おそらく現状を理解すらできてないであろう赤ちゃんに対して最大級の哀れみを込めた視線を送る事だけが今の正美にできる精一杯のつぐないだった。





「だぁ……だぁ……」

「は〜い、よしよし良い子良い子〜〜」

またしても透以外のお客が出払った頃合を見計らって、さりげなく赤ちゃんをあやしながら透のもとへと近づいて行く。
しかし、見た目中学1年にすら見えなくもない女子高生の店員が店内で赤ちゃんをあやしているという時点でさりなくも何もあったものではないのだが。

「あ…あの〜………」

普通なら店員が知り合いか誰かの赤ちゃんを預かっているだけだと思い、さして気に留めることもないのであろうが、仮にも昨日いきなり告白を飛び越えてプロポーズをしてきた少女がほとんど誰もいない店内で赤ちゃん付きでこちらに近づいてくれば気にしない訳にもいかないと感じていた。
しょせん子供のやることだと吐き捨てる手もあるのだが、透という男はこういう所で妙にまじめだった。

「まだ注文はしてなかったと思うんですけど……なぜ赤ちゃんあやしながらこちらにくるんでしょうか?」

もっともな質問だ、仮に赤ちゃんに関してはここの店長か店員の子もしくは麻美の妹と考えれば接客マナー上やや問題はあるが、まだ自然な状況だ。
問題は赤ちゃんをここまで連れてくる必要性が一切ないということ。

「は〜い太郎(仮)く〜ん、あの人がパパですよ〜〜」

ピシッ!

気のせいだろうか、一瞬店内全体に凍りついたかのような音が響き渡った。



「あの、私これといって何かを求めてるんじゃないんですよ?ただこの子のためにもパパとしてこれから時々会いに来てくれさえすれば…………」

ポン

不意に誰かが麻美の肩に手をかける。
『チっ、いいところで』という心境と共に振り返ると正美が首を横に振りながら一言。

「……聞こえてない」

「へ?」



「俺はなんてことを……いやいや、これはきっと夢………ごめんよ美咲(おそらく奥さん)卓也(おそらく息子さん)………お父さんは、お父さんは………いっそ死んで詫びなくては………いやいやいや!二人の生活は俺が支えなくては……ってそれだけじゃないこの太郎(仮)くんやこの名も知らない娘のことも………いやしかし………考えてみろ!俺に生きる価値なんかあるのか???」



「かわいそう……誰かさんのせいでプレッシャーのあまり廃人寸前だよ?普通に考えたらありえないのにね?」

「わ、私のせいだっての!?」

「うんうん違うよ、誰かさんの」

そんな会話をしている間にも透の自殺らしき準備が着々と進んでいるように見えるのは気のせいだろうか?







それから約2週間、麻美の麻美による麻美のための効果0のアタックは健気(?)にも続いた。
透も別の店に行けばいいものを地理的な問題なのか律儀にも毎日通い続けた結果、今も麻美の被害者になっている。
時には本人の住所を調べ上げて直接乗り込むという相当洒落にならないような事もしてきた。
その光景を他の従業員も面白がって正美以外は止めようともしない、店長にこのことがバレないように従業員総出の無駄な連携プレイで隠蔽する始末。
ならば弁当でも買えばいいじゃないかというツッコミをしたい諸兄もいらっしゃるだろうか、そこはぐっと堪えてもらいたい。ツッコミどころの多い物語ほどそこに触れてしまっては話が進まないものなのだ。



…………だからかもしれない…………透の苛立ちに誰一人気づけないでいたのは…………





「とぉ〜るさんっ!」

麻美の行動パターンは相変わらずで今回も透一人が店内に残ったところを狙っていた。

「………………………………てくれ……」

「え?」

バンッ!

「いい加減にしてくれ!!」

テーブルを叩く大きな音と共に発せられる怒声に麻美も含め店内にいる者全てが驚愕の色を隠せなかった。

「僕も最初は君の気持ちを無下にする訳にはいかないと思っていた!だからいつか君が諦めてくれるまで待とうとしていたが………もう限界だ……僕は妻も子も本気で愛している!最初のうちは君の気持ちも嬉しかったがもう少し常識を持った行動をしてくれ!!迷惑だ!!!」

シ――――――――――ン………

透の怒声のあとに残るものは静寂だった。
他に客がいないとはいえ人格的にも叫んだりしなさそうな人物の突然の怒鳴り声に店内の者は唖然とするしかなかった。しかし、麻美だけは唖然としている理由が他の者とは違っていた。
言葉とは相手の口から発せられる音を聞き取り、瞬時にその音の意味を脳が知識という辞書の中から引き出し、脳がそれを認識することで相手の言葉を理解する。故に知識という辞書から相手の言葉の意味を引き出せない場合、相手の言語は理解不能となる。
麻美はもちろん透の放った言葉の意味を理解していた、あとは脳がそれを認識するだけなのだが、本能がそれを拒絶した。
心のどこかで「この言葉の意味を理解してはいけない」という声が流れていたのかもしれない。

そして正美はその静寂を真っ先に破ろうとした。

「待ってください!いくらなんでも………」

しかし、他でもない麻美がそれを止めた。

「あははっ……ごめん正姉、私ちょっと早退するわ。店長に言っといて」

そう言って麻美は反論を返す暇も与えず、店を走り去って行った。





「その………すみません、ついカッとなってしまって……」

「いえ、ご迷惑をかけたのはこちらですから謝る必要はありませんが…………それでも謝るのなら、相手は私じゃないですよね?」

後ろ向きに透へと発せられる正美の声には普段の澄んだ可愛らしい声からは想像もつかない冷たく、それでいて真摯なものが宿っていた。

「………………・・・…………………」

あまりに冷たく的を射た言葉にこれ以上透の口からは言葉がでなかった。

「すみません、私も早退します!」

唖然とした透はもはや蚊帳の外状態のまま、正美は去っていった麻美のあとを追っていく。







その後いろいろ思い当たる場所を探したのだが、麻美の姿は見えなかった。友人などにも当たってみたのだが一向に見つかる気配はない。仕方なく一旦家に帰ってみると時間帯的に仕事で両親は不在のはずにも関わらず、家の中からはテレビの音が聞こえてくる。

「ひょっとして………」

ガチャっ!

家の扉を開き、テレビの音が聞こえてくる部屋まで言ってみるとソファーに座り込んだ麻美がテレビをぼーっと見つめていた。

「よかった〜…心配したんだよ」

「あのね、私早退するって言ったよね?」

「あっ………」

麻美はソファーに座ったまま呆れたような視線を正美へと送る。
これだけの会話を見る限りではバイト先での出来事がまるでなかったかのようだ。

「「…………………………………」」

とりあえず正美は麻美の隣に座りテレビを見ることにした。その間まったく会話はなく、妙な空気だけが二人を包んでいた。

「……何か言いたいことあるでしょ?」

「え!?なな、なんでかな?」

もはや動揺と呼ぶことすらどうかと思わせるほどの見事な挙動不審ぶりだ、心なしか肩もビクッとしていたように見える。

「私の方チラ見し過ぎ、テレビなんて見てないじゃん」

「あは………あははは」

どっちが姉だか分かったものではない、透に引き続きこの女もまた果てしなく不器用だった。






「…………………今思えばムキになってたのかもね」

「……え?」

不意に麻美がぼそりと呟く。

「ほら、正姉って14でもう彼氏いたでしょ?」

「え!?まぁ…いたけどね……」

正美の反応が妙にぎこちない。というのもつき合ったはいいが結局3ヶ月で彼氏の浮気が発覚、問い詰めてみた結果翌日には音信不通というあまりよくない思い出があるのだ。
その後何人かとつき合ってはみたものの自然消滅(いつの間にか破局)だったり相手の金遣いが荒かったりと、ろくな結末を迎えていない。

「正姉はそんなに気にしてないだろうけど、結構くやしかったんだ………私15で彼氏の一人もいないし………………こんな事言ったらやっぱりムカつく?」

その時の麻美は普段の陽気など微塵も感じさせない不安げな表情をしていた。

「私今まで恐くて聞けなかっただけど……………………………正姉は私のこと恨んでる……かな?」

「そ…そんな事ないよ!どうして!?」

思ってもみなかった麻美の言葉に慌てて返答する。

「お母さんから聞かされたんだけどね、正姉私に劣等感もってるんだって?」

ガクッ

「…………………………え?」

正美の身体から全身の力が抜けていくのが分かった。
気づかれていた。なるほど、母なら納得だ。あの人は普段マイペースでどこかぼーっとしているように見えて妙に洞察力が優れている人だから。
それよりも麻美は自分の劣等感に気づいていた!?しかもそれで麻美は私が恨んでいるかもと不安に思ってた!?

「うっ…………」

「まっ、正姉!?」

突然涙をこぼしだした正美に麻美も動揺を隠せない。
情けなくなってきた、あまりに情けなくなってきた。自分は常日頃から麻美に劣等感抱いている訳ではないとはいえ、心のどこかで自分の不幸を嘆いていた節がある。
妹もまた自分に劣等感を抱いていたことにも気づけず、ただ勝手に悲劇のヒロインを気取っていた!?何が『私達の関係って空みたいだ』!!能力の差なんてどうでもいいくらい大事なものが目の前にあるっていうのに!!

ぎゅっ

気がついたときには正美は麻美に抱きついて号泣していた。

「私……私…麻美のこと大好きなはずなのに………これじゃ本当にただのバカだよ………ごめんね!ごめん……………………………本当に……!!」



















<正美の日記帳>


今でも思います。
あの時の出来事がなければ、あの時の出来事があればこそ今の私達がいる、あの出来事が私達を大きく変えた。








なんてことはなくて、結局今でもあの日から今でもそんなに変わらない毎日です。
あの日の翌日、私達は店長に散々叱られてしまいました。
当然といえば当然です、あのあと接客要員がいなくなったがために店長は一人で接客に務めた上に店長としての仕事もこなしてたそうですからなんとも悪い事をしてしまいました。
さて、あの日から何も変わらなかったかと言われればそうでもありません。


『ねぇねぇ正姉、あの人ちょっとカッコよくない?』

『いやいや、顔がどうこうよりまず今時リーゼントはないでしょ……』

『じゃあ、あの人は?チョイ悪みたいな』

『さっきから何を基準に選んでるの!?あれじゃ一歩間違えれば某サーカス団の○ロちゃんだよ!!』


と、このようにあの日以来すっかり男に目覚めてしまったようです。
ただし、センスに関しては今後指導が必要なようです。




そんな訳であの日のことはインパクトは強かったもののそんなに私達に強い影響は与えてないのです。










今日も『青空』がとてもキレイな一日ででした♪