あれは、いつのことだったろう?
確か、タクトと桜葉少尉の鬼ごっこで、エルシオール中が大騒ぎになった時だ。
休憩中に、ブラマンシュ少尉にメロンソーダを買ってやった。

「副司令……ハンプティダンプティって、ご存知ですか……?」
「?」
「……いえ、つまらない事を言いました。忘れてください」

あの時の、ブラマンシュ少尉の悲しそうな顔。
ハンプティダンプティとは、いったい何だ?
そんなことを思い出した、とある日の午後。

―――― この日の俺は、ボンヤリしていたのだ。

 

 

 

 

GA男塾


第16話 『塾長、ぼける』

 

 

 

 


中央ホールの、自販機の前に立っていた。
いろいろ考えたが、やはりメロンソーダを買ってみることにしたのである。
ボタンを押し、落ちてきた缶を手に取ってみる。

「ふむ」

メロンソーダ。
考えてみれば、ずいぶんと貧相な飲み物だ。
なにせメロンとソーダの味しかしないのだから。
もっと柔軟な発想で、新たなメロンソーダが開発されても良いのではないか?

「例えば、そう、飲めばピーチの味がするとか……」

そうすれば、メロンソーダはメロン味などと愚かにも思い込んでいる庶民も、啓蒙されることだろう。
退屈している倦怠期のカップル供も、目を覚ますに違いない。

『ワァオ、これはメロンソーダの革命だわ。そうよ、私達も新しい事を始めなくちゃ』
『だったら、これから白いドレスを着て教会に行くってのはどうだい? 2人で新しい生活を始めようじゃないか』
『ああ素敵。愛してるわダニエル』
『僕もだよ、ジェニファー』

30本セットで1万ギャラ、私達これで結婚しました、なんて事もあるかも知れない。

「名案だな」

我ながら、非の打ち所が無い名案だ。
ピーチ味のメロンソーダ。
歴史に名前が残ってしまうかも知れんぞ。
皇室ご用達のソムリエになり、シヴァ皇子にグラスを献上している自分の姿が目に浮かぶ。


脳内でそんな野望の翼を広げながら。
俺は一口飲んでみた。

「ふむ」

ちょっと甘すぎるな。俺の好みではない。

……ふと思った。
甘い飲み物というものは、この世にいくらでもある。
しかし、辛い飲み物というものは聞いた事がない。
不公平ではないか。
ひとくち飲めば血がたぎり、迸る灼熱に全身を灼かれる――――
そんな、情熱的な飲み物は無いのだろうか?
フランボワーズ少尉のような辛党には、感涙ものの逸品に違いない。

「これよ。アタシはこれを待っていたのよ!」

一口飲んで、あまりの辛さに喉がカラカラ。
カラカラだから、もう一口。
もっとカラカラになるから、さらにもう一口……。

なんと。
死ぬまで辛いドリンクを飲み続けるフランボワーズ少尉の図。
さながらメビウスの輪のような、無限ループの完成である。おお神よ。

「愚かな……」

人間というのは、何と救いようのない生き物なのだろう。
こんな愚かな生き物は、いっそ滅びてしまえばいいのだ。
俺が人類の未来に絶望しかかっていると。

「あれ、副司令」

中央ホールに、件のフランボワーズ少尉が姿を現した。

「何してるんですか?」
「君には失望したぞ、フランボワーズ少尉」

俺は遺憾の意をこめて言ってやる。

「は?」
「いや……やっぱりいい。言っても詮無いことだ」

しょせん、他人に俺の壮大な苦悩は分かるまい。
話をごまかす代わりに、俺は彼女に向かってメロンソーダを差し出した。

「飲むか?」

彼女はジト目で俺を睨んでくる。

「それ、副司令の飲みかけじゃないんですか?」
「ああ。一口飲んでみたが、甘すぎてな。全部飲めん」
「だからって人に渡さないで下さい。なんでアタシが、副司令と間接キスしなきゃいけないんですか」
「細かい事を気にするんだな」
「副司令が無神経なだけです。飲みかけ渡されて喜ぶのは、ミルフィーくらいのものですよ」

そうなのか? 今度試してみるか。
頭の中で実験の算段を立てていると、フランボワーズ少尉は俺の顔を心配気に覗き込んできた。

「ホントに、どうしたんですか? 何だかボーッとしてますよ?」
「ボーッとか。ふむ、そうかも知れん。少し、分からない事があってな」
「何です?」

とにかく1人で考えていても始まらん。ダメ元で訊いてみるとするか。
俺はそう考え、彼女に向き直った。

「ハンプティダンプティというものを知っているか?」
「ハンプティダンプティ? って、童話のですか?」
「知っているのか!?」

まさか、いきなり手がかりが掴めるとは思っていなかった。
驚いて尋ねると、彼女は当然、と言うように肩をすくめる。

「ええ。童話に出てくるタマゴのキャラクターですよ。不思議の国の……いや、鏡の国の方だったかな。とにかくその童話に出てくる、すごい皮肉屋でヒネクレ者のタマゴです」
「詳しく知りたい。その本を持っているか?」
「どうだったかな〜。本棚漁れば、出てくるとは思いますけど。けど、そんなこと調べてどうするんですか?」
「後で話す。頼む、その本を借してくれ」

フランボワーズ少尉は訳が分からない、と不満気だったが。
すぐにコクリとうなずいてくれた。

「いいですよ。じゃあ探してきますから、ここで待ってて下さい」
「すまん」
「いいですよ、お安い御用です」

笑顔を残して、部屋へ戻って行った。何だかんだ言って、いい娘だと思う。
ドリンクで亡くすには惜しい人材だ。

「ところで、コレをどうするか」

飲みかけのメロンソーダを掲げ、その処理法を考える。
捨てるのも何だ。さて……。
その時だった。

「……副司令。こんにちは……」

今度はアッシュ少尉が現れた。
ふむ、ちょうど良い。

「アッシュ少尉、これを飲め」

缶を差し出す。

「……はい……」

アッシュ少尉は簡単にうなずいた。
缶を受け取り、コクリと一口。
なんだ、桜葉少尉でなくとも飲むじゃないか。これでフランボワーズ少尉の説は破れたわけだ。
やはり他人の話を鵜呑みにしてはいけないのだ、うむ。

「……ところで副司令。なぜ……この缶は開いていたのですか?」
「俺が飲んだからだ。大丈夫だ、一口しか飲んでいない」
「………………」


かああぁ……


にわかにアッシュ少尉の顔が赤くなった。

「……そういう事は……早く言って下さい……」
「? 中身はほとんど減っていないはずだが?」
「内容量の問題ではありません……」

では何だと言うのだろう?

「回し飲みくらい、普通するだろう? 俺も学生時代は、タクトとよくコーラを回していたぞ」


かあああああああぁぁぁぁ……


アッシュ少尉の顔が、余計に赤くなる。

「……男の人同士で……大変なことに……」
「?」

何が大変なのだろう? さっぱり分からない。
まあとにかく。

「ところでアッシュ少尉。君はハンプティダンプティというものを知っているか?」
「……ハンプティダンプティ……あの、詩に出てくる……?」

またもや脈アリだった。
ひょっとして俺が知らないだけで、有名な物なのか?

「詩なのか? フランボワーズ少尉は童話だと言っていたが」
「私が知っているのは……詩です……」
「ふむ。詳しく知りたい、その詩を覚えているか?」
「覚えてはいませんが……確か、部屋に本が……」
「借してくれないか? 手がかりがほしいのだ」
「……分かりました。では……少々お待ち下さい……」

アッシュ少尉もまた、パタパタと部屋へ戻って行った。

「いきなり2つも手がかりが掴めるとはな」

感慨深くため息をつく。
とにかく彼女達を待つとしよう。そこから何かが掴めるはずだ。
その時、男が通りかかった。

「おやクールダラス副司令。休憩ですか」

どこかで見た顔だと思っていたら。
いつぞやの、『ヴァニラちゃん親衛隊』とやらの会長だった。
俺は缶を差し出す。

「ご苦労。どうだ、一杯」
「はっはっは、ご冗談を。男同士で間接キスする趣味はありませんよ」
「確かに一口目は俺だったがな。しかし二口目は」
「いつかの仕返しですか? もう、勘弁して下さいよ〜」

男は、笑いながら去っていった。
どいつもこいつも、細かい事を気にするんだな。
結局、俺は自分で一気飲みして、メロンソーダを処理するのだった。
……甘すぎて気分が悪くなった。







「やっほ、お待たせ副司令」
「……お待たせしました……」

ほどなくして、2人は一緒に戻ってきた。

「フランボワーズ少尉、君の説は破れたぞ」

俺は自信満々で言ってやる。

「何の事です?」
「他人の飲みかけを飲むのは、桜葉少尉だけだと言っていたではないか。実際にやってみたが、そんなことはなかったぞ」
「試したんですか? いったい誰に」
「そこにいるアッシュ少尉だ」
「ヴァニラに!?」

フランボワーズ少尉は、慌ててアッシュ少尉を見下ろす。
アッシュ少尉は、またしても頬を赤くしてうつむいていた。

「ほ、ホントなの? ヴァニラ」
「はい……飲めとのご命令でしたので……」
「ああ、なんてこと。ヴァニラ、気をしっかり持つのよ」

フランボワーズ少尉はオロオロと、アッシュ少尉を気遣うようにその肩に手を置く。
俺は何を大げさな、とか思っていた。
やがて、フランボワーズ少尉が険しい目で俺をキッと睨んでくる。

「副司令、職権乱用です。これってセクハラですよ!」
「な、何ぃっ!?」

セクハラだと!? この俺がっ!?
なぜだ、なぜそうなる!?

「バカなっ!」
「バカなのはアンタですっ! その頭、いっぺんジャ○おじさんに取り替えてもらったらどうですか!」

それから、フランボワーズ少尉はセクハラの何たるかを切々と俺に説く。

――――
そうするうち、ボンヤリしていた俺の思考も、ようやくハッキリしてきた。
さっきから俺は、何を考えていたのだろう?
先程までの思考が、いったい自分の頭のどのへんから沸いてきたのか、さっぱり分からなかった。
俺は……バカなのか?
バカなのか? まるで、そう、うちの司令官のような。
金槌で頭を殴られたような衝撃だった。

「……タクトさんと副司令は……コーラを回し飲みしていると……」
「そ、それは。あのねヴァニラ、大人の世界って、とっても複雑でね?」

フランボワーズ少尉とアッシュ少尉の会話が、遠く聞こえる。

「男の人同士で、そんな……私はこれから先、いったい何を信じれば……」
「あああ、悩んじゃダメだってば! ちょっと副司令、トラウマになったらどうしてくれるんです!」

いや、タクトはあれで無闇に婦女子を泣かせたりはしない。
という事は――――俺は、タクト以下?

「死のう」

俺は腰のホルスターから銃を引き抜いた。
銃口をこめかみに当て、引き金に指をかける。

「こらこら、何してるんですか」

銃がヒョイと奪い取られる。
見上げると、フランボワーズ少尉が呆れた様子で俺を見ていた。

「死なせてくれ」
「ダメです。いきなり死のうとしないで下さいよ。まだボーッとしてるんじゃないですか?」

ボフ、と顔面に本を押しつけられる。

「ほら、ご注文の本。何か調べたい事があったんでしょ?」

俺はのろのろと、本を受け取った。
『鏡の国のアニス』。タイトルだけは俺も聞いた事がある。

「………………」

俺は傷心を抱え、中を開いて読んでみるのだった。







内容は、鏡の世界に迷い込んだ少女が、不思議な住人達に出会うというものだった。


『まあ、この僕をよく見ておくといいさ。何と言っても僕は、王様と話したことがあるのだからねえ。君は王様になんて会った事も無いだろう。でも、僕はそんな事を鼻にかけていないのさ。嘘だと思うかい? だったら証拠として、君と握手をしてあげよう』


ハンプティダンプティは、いた。
大きなタマゴに目鼻や口があり、手足が生えている。
傲慢な奴だった。
タマゴのくせに高い塀に登り、道行く人に偉そうに話しかけるのだ。


『そしてハンプティダンプティは前にかがみ、アニスに手を差し伸べます。座っている薄い壁から今にも落ちそうで、見ているアニスの方が、ハラハラしてしまいます』


この童話は、風刺がよく利いていると耳にしたことがある。
これは一体、何の風刺なのだろうか?
いや、そんなことはどうでもいい。
問題はなぜブラマンシュ少尉が、こんなタマゴの事を言い出したのかという事なのだ。


『ハンプティダンプティは耳から耳へ届くぐらい口をつりあげ、にんまりと笑いました。アニスは手を握り返しますが、心の中ではそれどころじゃありませんでした。(もし、もっと笑ったらどうなるのかしら。顔の裏で口の端がくっついちゃったら・・・。そしたら大変なことだわ。頭がポロッと落ちてしまうかも知れない・・・。)


読んではみたものの、皆目、見当がつかなかった。

「分からん。なぜだ? なぜブラマンシュ少尉は、こんなタマゴのことを……」
「ん? ミントが何ですって?」
「ブラマンシュ少尉がな、このタマゴの事を知っているか、と俺に尋ねた事があるんだ。俺が知らない事に、がっかりしていた。彼女が何を思ってこのタマゴの事を言い出したのか、それを知りたくてな」
「へぇ……」

フランボワーズ少尉も興味を持ったのか、俺の隣に座って本を覗き込んでくる。

「ん〜、分かんないですねぇ。アタシもこれ読んで、単にムカつく奴だと思っただけですし」
「そうだな。俺にも、ただのひねくれ者に見える」

2人して首をひねっていると。

「……かわいそうなタマゴです……」

ふと、アッシュ少尉が口を開いた。
俺とフランボワーズ少尉は同時に彼女を見やる。

「……ハンプティダンプティは……かわいそうなタマゴなんです……」

彼女は、自分が持ってきた本に目を落としていた。

「どういう事だ?」

俺は尋ねる。
答える代わりに、アッシュ少尉は詩の朗読を始めた。

 

『 ハンプティダンプティ転んで割れた 
  ケラケラケラ なんてもろいんだろう 
  ダンスの相手はできないね      』


話の中では何事も無かったが、詩の中では転んで割れたらしい。
俺はアッシュ少尉の声を聞きながら、心の中でうなずく。
それは割れるだろう、タマゴなのだから。


『 ハンプティダンプティ塀の上
  きれいな眺めにご満悦
  危ないよって言ったけど
  へそまがりのきかんぼう   』


そうだな。不愉快な奴だった。
タマゴのくせに高い所が好きで、しかも人の忠告に耳を貸さないのだからタチが悪い。
まあ、バカと煙は何とやら、と言うしな。


『 ハンプティダンプティ転んで割れた
  こわれたタマゴは元には戻らない  』


それはそうだ。戻るわけがない。
だから、高い所などやめておけば良かったものを。


『 カラスが来て啄ばんだ
  嗚呼、誰でもいい 愛してほしかった 』


……?
愛してほしかった?


『 もしも時を戻せたら 手をつないであげるのに
  さあ、そこから降りて
  私といっしょに踊りましょうと        』 


時を戻せたら、一緒に……。


『 ハンプティダンプティ さみしがり屋の意地っぱり
  温かい毛布で包んであげる

  ハンプティダンプティ いとしいタマゴ
  壊れないよう優しくしてあげる         』

 


「………………」

それは、詩に込められた哀愁のせいか。
それともアッシュ少尉の静かな声によるものか。
何ともやる瀬ない思いが、胸に去来した。

「なんか、寂しい詩」

フランボワーズ少尉も、どことなく毒気を抜かれた様子で感想を呟く。

「……副司令、まだお分かりになりませんか……?」

気がつくと、アッシュ少尉は無感情な目を細めて、俺をまっすぐに見つめていた。

「私には……分かる気がします。なぜミントさんが、ハンプティダンプティの事を言い出されたのか……」
「………………」

正直に言おう。
分からなかった。
一瞬、何かが心に閃いたような気はした。
だが、それが何なのか確かめる前に、霧散してしまったのだ。
今はもう、分からない。

「………………」

アッシュ少尉はまだ視線を外してくれない。
責めているのではないだろうが、ひどく後ろめたく、申し訳ない気分にさせられる。

「俺は……本当に馬鹿なのかも知れんな……」

もどかしい。
自分の頭の悪さにイライラする。
それが顔に出ていたのだろうか、フランボワーズ少尉がポンと俺の肩に手を置いてきた。

「副司令、頑張ってくださいよ」

こんな言葉しかかけてあげられなくて、ごめんなさい。
顔にそう書いてあった。
アッシュ少尉が本を閉じ、それをスッと俺に差し出してきた。

「……差し上げます……」
「いいのか?」
「……ミントさんの、ためですから……」

するとフランボワーズ少尉も、身振りで自分の本をあげると示してきた。
素直に受け取る。

「ありがとう」

自然と、お礼の言葉が出た。

「もう少し考えてみる。分かるまで、この詩を読み返してみる」
「……はい……」

アッシュ少尉がうなずく。
その無表情が、ほんの少しだけ笑みの形に変わったように見えたのは、俺の目の錯覚だったのだろうか。

「2人とも、ありがとう」

最後に2人に礼を言い、俺は部屋に戻ることにした。
フランボワーズ少尉は何も言わずに、ただ微笑んだ。
アッシュ少尉はペコリとお辞儀をするのだった。


こんなことで、ブラマンシュ少尉と話など出来るのだろうか?
だが、躊躇しているヒマは無い。
ダンスパーティーは、もう2週間後に迫っていた。

 


(第17話に続く)

 

 

ご注意:収録された童話と詩は、逆井が昔どこかで見て、うろ覚えだったものを補完したものです。
    補完は逆井の手によるものですが、あくまでも引用である事をお断りしておきます。