烏丸ちとせは生真面目だった。
ヴァル・ファスクの巨大艦オ・ガウブとの戦いから半年。
「今回のことで目が覚めました。私は新隊員という立場に甘えています!」
……などと、相変わらずの思い込んだら一直線思考。その後の日々を、ひたすら勉強と訓練に費やしていた。
気を張り詰め過ぎて、いつか自滅してしまうのではないか――――周囲は心配した。

だが、そんな心配は最初の頃だけだった。
「副司令、質問です。戦略シュミレーションファイル442の状況なんですが、教範では『組織的戦力の要たる統制・調整
が困難となるため、戦果拡張は見合わせるべし』となっています。でも私は、紋章機の戦闘に限って言えばむしろここは追
撃を強行すべきだと思うのですが、どうでしょう?」
エンジェル隊の先輩達や他のクルー達にもよく質問はしていたが。彼女が教えを乞う相手は圧倒的に、エルシオール副司令
官、レスター・クールダラスである事が多かった。
単純に、彼が艦内であらゆる面において1番の有識者であることもある。
どうせ質問するのなら、いつでもまず間違いの無い回答を返してくれる相手に訊くのが良いに決まっているし、彼女に理由
を尋ねてもそう答えるだろう。
だが。
「副司令、シャープシューターの兵装のお話なのですが、3連レーザーファランクスの持続発射速度は私の体感するところ、
示された諸元より30秒は長いかと――――」
「副司令、このあいだ回収したロストテクノロジーなんですが。分析の結果、どうも超小型通信機のようです。“CoDoMo”
という表記の意味はいまだ不明ですが――――」
「副司令、糊がなければごはん粒でも、貼り付けは可能かと――――」
ことあるごとにレスターの後ろをついて回るちとせの姿がそこにあった。
ミント評して曰く、『鴨(カモ)の親子』状態。
本人は必死に否定するだろうが、はたから見ればそうとしか見えない。
レスターの方もまた、彼女を憎からず思っていたのは間違いない。お気楽者の集まりであるエルシオールの中では、否応な
しに浮いてしまう堅物同士。奇妙な仲間意識でも芽生えたのかも知れない。
しかし一方、圧倒的な親密ぶりの割に、甘い空気がほとんど感じられないのがこの2人の特徴だった。
穏やかに、笑顔で言葉を交わす。仲が良いのは間違いない。だが会話の内容はあくまで実直なものに終始していたのが、そ
の理由だろう。
烏丸ちとせとレスター・クールダラス。
2人は本当に、言葉通りに「仲が良い」だけだった。


そんな2人だったが。
いつしかレスターは折に触れ、こんな問いを投げかけるようになった。
「ちとせ。エンジェル隊は好きか?」
決まってちとせは大きくうなずいて答えた。
「はい、大好きです。この仕事に就けた事、先輩方にめぐり逢えた事は、私の人生で一番の幸運です」


初めてこのやりとりが交わされた時、続いてレスターはこう尋ねた。
「もっと違った人生があったのではないかと、考えた事は無いか?」
「どうしてそんな事をお聞きになるんですか?」
「タクトを始め、あの面子だから忘れそうになるかも知れんが、エンジェル隊はあくまで軍隊だ。戦争屋だ。今までは無人
艦ばかりを相手にしてこれたが、いつかその手を人の血で汚さなければならなくなる日が来るかも知れん。……ちとせ。今
なら、まだ間に合うんだぞ」
ちとせは少し考え、そしてレスターに向かっていたずらな目で微笑んだ。
「私に、エンジェル隊をやめろとおっしゃりたいんですか?」
「可能性の話をしているだけだ」
「侮辱された気分です。私にその覚悟が無いとでもおっしゃりたいんですか?」
「いや……そうじゃないが」
ちとせは静かに首を横に振る。
「別の人生なんて考えられません。私はここに居たいです。たとえこの手を汚す時が来ようと、命を落とす事になろうと……
それでも、他のどこにも行きたくありません。私は皇国を守りたいです。エンジェル隊は皇国の最高主力です。こんなに誇ら
しい仕事は他にありません」
レスターはなおも尋ねる。
「何も、危険な最前線に立つ必要は無いのではないか? お前の能力をもっと生かせる場所が他にあるかも知れないじゃない
か。在学中、情報部からスカウトがあったのだろう? 例えばそこでも別な出会いがあっただろうし、皇国を守るという使命
はそこでも――――」
「安全な場所で、自分の手を汚さずに、ですか?」
ちとせはきっぱりと言った。
「もちろん情報部のお仕事も大事です。情報なくして戦争に勝つことは不可能なのですから。でも私は、それを望みません。
自分が何をしているのか、常に自分の目で確かめていたいんです。紋章機に乗って、敵を照準して、撃つ。自機がミサイルを
発射し、敵艦が大破する。……ああ、私が今、あの艦を破壊してしまったんだという事実を、1つ1つ心に刻みながら生きて
行きたいんです」
一片の迷いも無い答えだった。
レスターはうなずく。ちとせの言葉をかみしめるように、ゆっくりと、大きくうなずく。
「そうか」
「はい」
それ以降、レスターがちとせに対して転職をほのめかすような事は無かった。
ただ、ときどき確認するように、尋ねるだけだった。

「ちとせ。エンジェル隊は好きか?」




ある日のことだった。
「……馬鹿な……」
「…………………」
司令官室には悲壮な空気が流れていた。
部屋に居る3名は、一様に沈黙していた。
タクトは唇を噛み、手にした報告書をひたすら睨みつけていた。
レスターは腕を組んだまま、呆然と視線を宙にさまよわせていた。
ヴァニラは相変わらずの無表情で、その感情まではうかがえない。
この日、ヴァニラが持ってきた1枚の報告書。
ヴァニラが上層部に報告するより先んじて、こっそりと持ってきた報告書。
それが全ての始まりだった。
長い、長い沈黙があった。
「……片方だけだな……?」
その重い沈黙を破ったのは、レスターの問いかけだった。
彼は両手でヴァニラの肩を掴み、射るような目で言った。
「片方だけなんだな……? もう一方は大丈夫なんだな……?」
「レスター?」
尋ねるタクト。ヴァニラはコクリとうなずいた。
「……はい……」
「なら……手はある」
彼はタクトの手から、報告書を奪い取った。
ビリビリと裂き、細片にしてごみ箱の中へ叩き込む。
「冗談じゃない……冗談じゃないぞっ!」
怒声。
レスターは身を翻すと、靴音も荒く司令官室を出て行く。
タクトとヴァニラは、言葉も無くその背中を見送った。



「レスター、おまえ正気か!?」
数日後、再び司令官室に3人は集まっていた。
そこでレスターが持ち出した1つの提案。
タクトは本気で、親友の正気を疑った。
「当たり前だろう。むしろいつにも増して正気だぞ俺は」
ことも無げにレスターはうなずく。
「……私は、反対です……」
わずかに非難の混じった声で言うヴァニラ。
「ならば、他に手があるのか?」
「……今は、まだありません。でも……みんなで考えれば……」
「そうだぞレスター、早まるなよ。お前らしくもない」
タクトもヴァニラの援護に回る。レスターはフッと皮肉な笑みを浮かべた。
「みんなで考えれば……か。そうだな、もしかしたら別の手が見つかるかもな」
「そうさ、きっと見つかる。だから」
「だが見つからなかったら、どうする?」
「………………」
「けっきょく見つからなくて、全てが手遅れになってしまったらどうするんだ? 誰がその責任を取る? そもそも責任の取
りようがあるのか?」
口をつぐむタクトに、レスターは静かに告げる。
「タクト。指揮官が偶然を期待するようになったら、部隊はお終いだ。指揮官は偶然を前提にした大成功よりも、確実に達成
できる小成功をとるべきなんだ」
「…………」
「最高の方法ではない。だが、これが現状において最善の方法だ。タクト、ヴァニラ、約束してくれ。決して他言しない、決
して裏切らないと」
そう言うと、レスターは2人に向かって頭を下げた。
深々と、そのまま土下座までしかねないように。
「……分かった」
タクトはうなずいた。
ヴァニラが驚いて彼を見上げる。
「タクトさん……よろしいのですか?」
「いいわけないだろうっ!」
悲鳴のような即答に、ヴァニラは目を丸くする。
そして、必死に歯を食いしばったタクトの表情に気付く。
「……失言でした……」
その顔を見ただけで、すべて分かってしまった。引き下がるしか無かった。
「ありがとう」
微笑んで握手を求めてくるレスター。
タクトは一瞬その手を叩き落とそうとして――――結局、強く握り返す。
「畜生……」
呪詛にも似た呟き。
タクト・マイヤーズ。
人生屈指の、苦渋の決断であった。


そして――――。
舞台は、いま静かに幕を開ける。











月の光は煌々と

戦乙女が神楽舞

竜の見初めしその弓は

破魔矢つがへて鬼を討つ

焦がるる想ひ千歳にや

蒼き眼に契りたり

月の光は煌々と

竜と乙女の月神楽











月神楽

− つきかぐら −







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