ちとせはギュッと唇を噛み、目を細めた。
超長距離の彼方にある目標。針の穴よりも小さくしか見えない敵艦の艦橋に全神経を集中する。
コクピット内の機器の音が遠のく。視界が色を失う。五感の全てが、目標の視認以外の情報を知覚しなくなる。
弓を放つ瞬間と同じ、この極限の集中。
(いける――――!)
一発必中の確信をもって、ちとせはトリガーを引いた。
大出力のビームが発射される。光の帯は、真っ直ぐ敵艦めがけて伸びて行き――――わずか数センチ、艦橋から右にそれて後方へ
と消えて行った。
「……外した……?」
集中の糸が切れる。騒々しい機器音が耳に戻って来る。
その中で、ちとせは呆然と呟いた。
「ドンマイちとせ! 後は任せて! 行っくよー、ランファ!」
「あんたこそ合わせなさいよミルフィー!」
すかさず2人の先輩の声が割って入る。
1人は先日軍に復帰したばかりの、かつてのエンジェル隊のエース、ミルフィーユ・桜葉。
そしてもう1人はそのミルフィーユと学生時代からコンビを組む、現役のエンジェル隊のエース、蘭花・フランボワーズ。
新旧2人のエースパイロットが、左右から目標に襲いかかった。それぞれに直撃弾を与え、クロスして離脱する。
見事な連携だ。左右から痛打を受け、たまらず敵艦は動きを止める。
「へっへー、悪いな2人とも。ゴチになるよ!」
そこへ隊長機、フォルテ・シュトーレンのハッピートリガーが自慢の大火力を発揮する。敵艦はひとたまりもなく、真ん中から
真っ二つに折れて大破した。
「おっし。フォルテさんまた撃墜数を1つ追加、っと」
「あーっ!? フォルテさんズルいですっ! 今のは私とランファが!」
「そーですよ! 美味し過ぎじゃないですか、大人げ無いですよっ!」
「へへへ、悪いね2人とも。私も結果を出しとかないと、故郷で腹を空かせている弟や妹たちに仕送りが」
「そりゃアタシのセリフですっ!」
ぎゃーぎゃー騒ぐ3人に、落ち着いた声が割って入る。
「はいはい、みなさんそれくらいにして下さいな。任務終了したことですし、帰りますわよ」
事実上の現場指揮官、ミント・ブラマンシュである。
「はーい。そうだよね、お腹空いちゃったし早く帰ろう」
「そうね、シャワーも浴びたいし」
「タクトに給料アップ交渉しないとなぁ」
エルシオールに進路を取る4機。
「…………」
ちとせは唇を噛み締め、うなだれていた。
「……ちとせさん……」
そんな彼女に呼びかける声。エンジェル隊最年少の先輩――――ヴァニラ・H(アッシュ)。
「帰りましょう」
「…………」
ちとせはすぐに返事ができなかった。
ひどく落ち込んでいた。理由は2つある。
そんな彼女を気遣うように、ヴァニラは言う。
「気にすることはありません……私も、1隻も墜とせませんでしたから……」
そう、それが理由の1つ。今日のちとせは、ただ1隻の戦果も挙げることが出来なかったのだ。
そしてもう1つの理由は――――。
「帰りましょう」
「はい……」
辛うじて返事をし、帰途につく。
もう1つの理由は、エルシオールに戻ってから自分を待っているであろう、彼からの罵詈雑言を思って憂鬱になっているのだった。
「やあやあやあ、みんなお疲れ様。素晴らしかったよ、俺の出る幕、無かったなぁ」
6人を迎えたのは、この上なく能天気な笑顔の司令官、タクト・マイヤーズと。
「………………」
この上なく不機嫌そうな副司令、レスター・クールダラスだった。
「まあこれくらいでしたら、タクトさんのお手を煩わせるまでもないということですわ」
「タクトぉ、私の戦い振り、見ててくれたかい? それで相談なんだけどさぁ」
「フォルテさんずるいですってばぁ!」
「そーですよ! 百歩譲っても、アタシたち3人の手柄ですっ!」
楽しげに話す彼女らとは打って変わって。
「烏丸少尉」
レスターが苛立ちを隠そうともしない顔で、ちとせの前に立つ。
「……はい」
しおらしく返事をするちとせ。
「第1ミーティングルームが空いている。来い」
「……はい」
言ったきり踵を返してずんずん歩いて行くレスター。ちとせはその後ろを、トボトボと付いて行った。
思わずシンとして、2人を見送るタクト達。
「ちとせ、かわいそう……がんばってるのに……」
「毎度毎度だもんねぇ。あ〜あ〜、あんな寂しそうな背中しちゃって」
「ドナドナが聞こえてきそうですわね」
ひそひそ声で話し合う3人娘。
「まぁ、副司令もそれだけちとせに期待してるって事なんだろうけど」
「レスターって、良くも悪くも男女平等主義だからなぁ。加減ってものが」
フォルテとタクトも、そんな呟きを洩らしていた。
「外したな」
「……はい」
「また、外したな」
「……はい」
「何か言い訳はあるか?」
「……ありません」
第1ミーティングルーム。
腕を組んで仁王立ちのレスターを前に、ちとせは椅子に座ってひたすら小さくなっていた。
最近、戦闘が1つ終了する度にこれだった。
頭上から、これでもかと叩きつけられる叱責の雨あられ。
曰く。
「超長距離からの射撃こそがシャープシューター最大の武器だというのに、外してどうするんだ! バカかお前はっ!」
曰く。
「当たらない鉄砲など、原始時代の石器にも劣る。原始人なみの攻撃すら出来ないのか!」
曰く。
「撃墜数ゼロ? 戦場にノコノコ何をしに出て行ったんだ。やる気ないならとっととやめてしまえ。家に帰って、見合いでも
やっていろっ!」
――――云々。
海兵隊の新兵なみの罵られ様である。普通の少女だったらとても耐え切れず、とっくに泣いて部屋を飛び出して行っているだろう。
だが、ちとせは心得た少女だった。
握り締めた拳をきちんと膝の上に置き、レスターの言葉にいちいち肯く。心を閉ざして聞き流すのではなく、
ひとつひとつ心に受け止めながら、ひたすらに耐える。
説教は30分以上続き。
「いいか、当てろ。結果を出せ。敢えて言うぞ、結果の出ない努力など、無駄以外の何物でもないのだ」
「……はい」
いつもと同じセリフが出る。これが終わりの合図のようなものだった。
「行って良し」
「はい……失礼します」
ようやく開放されて、ちとせは部屋を出た。
「ふう」
ついつい溜め息が出る。耐え切れるからといって、平気でいられるわけではない。
悪いのは自分でも、やっぱり罵られれば傷つく。自分の体が、ズッシリ重たくなったような気がした。
「おつかれさま、ちとせ」
不意に横から声をかけられた。
振り向くと、ミルフィーユが気遣わしげな笑顔で立っていた。
「大変だね、いつも」
「いえ」
ちとせは曖昧に目をそらす。
「ミスをしたのですから、仕方がありません。悪いのは私ですから」
「ミスだったら私もたくさんしたんだけどなぁ。副司令も、ちとせばっかりあーんなに怒らなくたっていいのに」
「それでも先輩方は、ご自分の責務をきちんと果たしておいででした。私は、本当に何のお役にも立てていませんでしたから……」
先輩に同情されるのは、ありがたくも悔しいものだった。
役立たずであった自己嫌悪も相まって、どうにもやり切れない気分になる。
「うーん、真面目だねえ、ちとせは」
ミルフィーユは困ったように笑い、それからちとせの後ろに回り込んで背中を押す。
「まあいいや。今、みんなでおやつ食べてるの。ちとせもおいでよ」
「え? あの先輩、私はまだやる事が」
「どうせ勉強か弓のお稽古でしょ? 後でも出来るじゃない」
「それは、そうですが……」
「決まり。ほらほら」
背中を押されるまま、ちとせは成す術なく連れ去られて行った。
「はい、ちとせはここ」
ミルフィーユに両肩を押され、席につかされる。
「……苺大福です。おいしいです……」
待ちかねたように、ヴァニラがすかさず和菓子を運んで来る。
「どうぞ、緑茶ですわ。かぶせ茶使用ですのよ」
反対側からはミントが、素早く湯呑みを和菓子に添える。
流れるような素晴らしい連携に、ちとせは目を白黒させるばかりだ。
「あの……恐縮です。先輩方にこんな」
言いかけると、目の前に座っているフォルテが笑って手をパタパタ振った。
「ああ、そんなの気にしなくていいんだよ。まずは食べなって、ミルフィーが腕によりをかけて作った大福だよ」
「えへへ、和菓子は久しぶりだから、ちょっと失敗しちゃってるかも知れないけど」
「そんなこと。いただきます」
ミルフィーユに一礼して、勧められるまま大福を口にする。同時に舌に広がる、餡子の上品な甘味と早摘み苺の酸味。
「おいしいです」
「そう? 良かったー」
嬉しそうに手をパチンと合わせるミルフィーユ。
「こちらはどうでしょう? 私も紅茶やハーブ以外のお茶を淹れるのは久々だったので、少々心許無いのですが」
ミントが横から見上げながら言ってくる。
「ありがとうございます、いただきます」
両手でそっと湯呑みを持ち、静かにすする。
「いかがですか?」
「はい、結構なお手前です、ミント先輩」
「ふふ、粗茶でございました、ですわ」
ニッコリするミント。
「さあさあ、3人とも自分の席に戻った戻った。あんまりベッタリひっつかれてると、ちとせがゆっくり出来ないだろ?」
フォルテの呼びかけで、めいめいが席につく。
楽しいお茶会の始まりだった。
ランファは「9千万ギャラ分の宝くじを買えば、1億ギャラ当たるのではないか」などと荒唐無稽な思い付きをやたらと興奮して
語り、ミントに呆れられる。
ミルフィーユは「こんにゃくって、こんにゃく芋っていうお芋が原料なんだよ。お芋をあんなフニャフニャなものに変えようなん
て、昔の人はよく思いついたよね」と先人たちの英知を熱く語り、ヴァニラが「お豆腐も、そうです……」と賛意を示す。
フォルテに「この世で一番おいしい卵料理は何か?」と訊かれてちとせが「おでんのタマゴです」と答え、『銀河おでん通・フォ
ルテさん特別賞』というわけの分からない栄誉を賜ることとなる。
限りなく非生産的で、それでいて充実したひととき。
ちとせがエンジェル隊に入隊して学んだ事の一つに、「休むことの重要性」がある。
それまでの自分は、休憩に意義があるとは思っていなかった。それは無駄な時間の過ごし方であり、常に何事にも勤勉に努め続け
る事こそが正しい事だと、信じて疑わなかった。
だが、どうやら自分は間違っていたらしい。
ここにいる先輩達を見ていると、素直にそう思う。
休むことは、努力することと同じくらい重要なこと。それが今の、ちとせの認識だった。
もちろん、休んでばかりでは人間として堕落してしまう。要はバランスなのだ。
難しい。馬鹿の一つ覚えみたいに勤勉で居続ける方がよっぽど楽だ。
でも難しいからこそ、それができている先輩達がこんなに素敵に見えるんだ。
よく学び、よく遊べ。簡単なようで、実はとても難しい事。
私も、いつか先輩達のように……。
さわっ
考え事をしていたちとせは、後ろから誰かに髪を触られて我に返った。
振り返ると、ミルフィーユがちとせの長い髪を一房つまんで、顔を寄せている。
「ミルフィー先輩?」
「ん〜……」
「あの、何を?」
ミルフィーユは、とろんとした目で言った。
「ちとせって、いい匂いだよね〜」
「えっ?」
思いがけない言葉だった。なぜだか顔が赤くなってしまう。
「犬か、あんたは」
ランファが呆れて言うが、ミルフィーユはうっとりしたままだ。
「犬と言うより、マタタビを嗅いだ猫みたいですわね」
ミントが苦笑しながら言った。それから席を立ち、ちとせに近づく。
「あら、本当ですわ。ほのかに甘くて、それでいて清々しくて……」
「でしょお?」
マタタビを嗅いだ猫×2。
「ミ、ミント先輩まで」
困り果てるちとせ。フォルテが笑って助け舟を出す。
「ミント、あんまり悪ノリするんじゃないよ。ちとせが困ってるじゃないか」
「冗談ですわ。でも、いい香りがするのは本当ですわよ?」
「ちとせ、何か香水でも使ってるの?」
興味を示したランファが尋ねる。ちとせは顔を真っ赤にしたまま、首を横に振った。
「香水は使っていませんが……時々、部屋で香(こう)を焚くことはあります。その残り香だと思うんですけど」
「香?……って、リラクゼーショングッズで売ってるアレ?」
「もともと、お香は私の故郷で始まった嗜みなんです。昔、私の故郷ではお風呂に入るという習慣がありませんでした。貴族の
女性が体臭を消すために使ったのが始まりで……」
その説明に、ランファが顔を強張らせて身を引く。
「ちとせ……アンタまさか」
「ち、違います! 私は毎日、きちんとお風呂に入ってます!」
ちとせは慌てて否定した。またフォルテが笑う。
「昔の話だってさっき言ってただろう? で、その香が今はリラクゼーションで使われているわけだ」
「マッサージルームでも、使われています……」
ヴァニラの補足にフォルテはうなずく。
「そうそう。前から不思議な匂いだと思ってたけど、なるほどあれが香だったんだな」
その言葉にミントの耳がピンと立つ。
「フォルテさん、マッサージルームのお世話になってるんですの?」
「ああ、たまにね」
「おばさんくさ……いえ、何でもありませんわ」
「わざと言いかけてやめるなっ!」
ワーワーギャーギャー騒ぐ2人。
「ミントさん……みんないずれ行く道です……」
ヴァニラのフォローはフォローになっていない。
それはさておき、ランファは話を進める。
「で、香って言っても色々種類があるけど。ちとせは何使ってるの?」
「桜花香です」
「おうかこう?」
「桜の花の香りです」
「私、ミルフィーユ桜葉〜」
何が嬉しいのか、自慢げに名乗りを上げるミルフィーユ。
「桜花は、私の故郷を代表する花なんです。香りも気に入っているので、私はずっとこの香を使っています」
「ふーん。アタシのとこは牡丹だったかなぁ。でも牡丹の香なんて使おうとは思わないわねぇ。もっとアタシにふさわしい、
ゴージャスな香水があるわけだし」
「あれぇ? ランファ香水なんて使ってたっけ? だってこないだもバッグ買ったらお金が無くなったって……」
「う、うるさいわね! 次のお給料で買うのよ、次の!」
「まあ、人それぞれです。私はお金をかけなくても、小物屋で売ってる香で充分なので」
「ちとせの勝ち〜」
「何の勝負よっ!」
お茶会の時間は楽しく、賑やかに過ぎてゆく。
いつしかレスターに怒鳴られ、陰鬱になっていた気分も晴れていた。
むろん、先輩達が叱られた自分を励ますために、こんな場を設けてくれたのだということは分かっていた。恐縮もするが、
それ以上に嬉しかった。
やっぱりここは素敵だ。
この人達に出会えて、本当に良かった。
ちとせはこの幸運に感謝し、幸せをかみしめつつ湯呑みを口に運んだ。
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