「私、時計見て確認したの。そしたら2時よ2時! 午前2時にまだ煌々と明かりがついてたのよ。ゾッとしたわ。あんな生活続けて
たら、ちとせ壊れちゃうわよ」
「今日もまた、たくさん宿題出されてるの見たよ。今夜も徹夜なのかなゥゥゥかわいそう」
ミルフィーユとランファはコンビニで偶然会い、連れ立って部屋へ戻っている所だった。
何となくちとせの事が話題となり、2人であれこれ情報交換していた。
「なんとか助けてあげられないのかな」
「助けるったってねえ。あんた士官学校で習った戦略論とかエネルギー力学のこと、まだ覚えてる?」
「そんなの試験が終わったらすぐ忘れちゃったよ」
「私だってそうよ。覚えた時ですら教本の丸暗記で、理論なんて分かってなかったってのに」
「あはははー、私も私も」
「笑い事じゃないでしょ。そんな役立たず2人が集まって、何か手伝えると思う?」
「う〜ん」
情けない先輩もいたものである。
自分達の不甲斐なさに少し気落ちして、思わず2人同時に溜め息を洩らした時だった。
「あれ……通行止め?」
前方に目を向けたミルフィーユが、行く手に障害物を見つけて立ち止まった。廊下の真ん中になぜか工事現場の黄黒のハードルが
置かれ、『通行止め』の張り紙がしてある。
この先は、ミーティングルーム等が固まっている。
「あ〜、そういや何か会議があるって言ってたわね」
思い出したようにランファが言う。
「会議?」
「朝、タクトが言ってたじゃない。中央のお偉と、何とかかんとかで通信会議があるって」
「あ、思い出した。タクトさん、すごく嫌そうな顔してたっけ」
今朝の朝礼でのタクトを思い出し、ミルフィーユが愉しげに笑う。
その時だ。
「ふざけるなっ!!」
ガシャーン
突然、怒鳴り声とけたたましい物音が聞こえてきた。
第1ミーティングルーム。元来、会議室というものは壁もドアも防音構造になっているはずだが、それを打ち破るほどの大音声であ
った。驚いている2人の目の前でドアが開く。
靴音も荒々しく、部屋から出てきたのはレスターであった。
「おい待てよレスター!」
彼を追って、タクトも廊下に飛び出してくる。
あっけにとられているミルフィーユとランファに気付いた風も無く、2人は廊下で言い合いを始めた。
「落ち着けって。お前の気持ちはよく分かる」
「俺は冷静だ、この上無くな。よーく分かったさ、あんな奴らといくら話しても無駄だという事がな! 無知で無学でおまけに愚鈍
ときた!」
「だからって椅子まで蹴り倒して出て行くか、普通? あんな奴らでも一応、中央のお偉だぞ? 明日の会議にまで響いてくるぞ、
分かってるだろ!?」
「明日? 明日の会議? そんなもの必要あるか! もうあんな奴らの言う事など聞く必要は無い! お前も無視しろタクト、誰が
何と言おうと、あのプランに変更は無い!」
「レスター、お前少し休め! どこが冷静なんだ、お前が熱くなって俺がなだめてるなんて、いつもとまるっきり逆じゃないかっ!」
「それがどうした! お前、まさかあんな奴らの言う事を聞く気じゃないだろうな? 前線から星系2つも離れた安全な場所から来
る命令など! 現場指揮官は俺たちだ!」
驚くべき光景だった。これほど頭に血が上っているレスターも。タクトとレスター、親友の評判高く、事実信頼し合っている2人が
言い争っているのも。
尋常ならざる雰囲気に怯え、ミルフィーユはランファの後ろに隠れようとする。
「ちょっ、ミルフィー」
「な、なんか怖い……」
目の前の2人は、今にもつかみ合いを始めそうだった。
「もういい! お前疲れてるんだよレスター。3日やる、いいから休んで頭を冷やせ! 艦長命令だ!」
「休めだと!? よくもそんな悠長なことが言えたものだな、時間はいくらあっても足りないんだぞっ! ……いや待て、休暇はも
らっておこうか。これでこちらの作業に専念できるというものだ!」
「何だと!? お前本当にどうかしてるぞ!」
タクトが激昂してさらに激しい口調で言い募るが、レスターは聞く耳を持たなかった。
「タクト、もうこれ以上話しても無駄だ。休暇はもらうぞ、後は任せた」
一方的に宣言すると、クルリと踵を返して歩き始める。
「くっ……バカ野郎!勝手にしろ!」
タクトは歩き去って行くその背中に吐き捨てると、自分も反対方向に踵を返した。
――――つまり、ミルフィーユらの方を向いて。
「あ」
ようやく2人の存在に気が付いたらしい。まずい所を見られた、という様に顔をしかめて目を逸らせた。
「見てたのか……」
「タクトさん」
ミルフィーユがためらいがちに一旦言葉を切り、恐る恐る続けた。
「何か、あったんですか?」
タクトは首を振りながら、2人のもとまで歩いて来た。
「どうもこうも無い。あいつのおかげで話し合いはメチャクチャだよ」
「何があったの? 何で副司令、あんなに怒ってるのよ?」
タクトはしばしの逡巡を見せた。どう説明したものか――――だいぶ迷った挙句、ようやく口を開く。
「あいつ、新しい戦略を提案したんだよ」
「新しい戦略? どんな?」
「詳しい事は言えないけど、あいつは最近、ずっとそれに没頭していたんだ。今日の会議に間に合わせるために何日も徹夜して資料
を作り上げて。だけど今プレゼンをやったら、簡単に却下されたんだよ」
ミルフィーユが首を傾げる。
「プレゼンって何ですか?」
「プレゼンテーション。つまりレスターが、今度新しい戦略を考えました、こういう戦略です、どうですかって上層部相手に説明会
をやったんだよ。だけど、ほとんど即断で却下だった。新しい戦略など、試している余裕は無いって事で。そしたらあいつ、いきな
り立ち上がったと思ったら、椅子を蹴り倒して出て行っちゃって……」
「え、じゃあ会議、どうなっちゃったんですか?」
「向こうもカンカンで、その場で中断。会議は今日から3日間の予定だったのに、明日再開できるかどうかも怪しいよ」
疲れたように溜め息をつくタクト。
「新しい戦略ねえ……」
ランファは何事か思案をめぐらせているようだったが――――不意に真顔になって、タクトに詰め寄った。
「タクト」
「な、何?ランファ」
言い知れぬ迫力に押され、思わずたじろぐタクト。
「副司令はここ最近、ずっとその新しい戦略ってやつを作ってたわけね?寝る間も惜しんで、一生懸命」
「ああ……そうみたいだけど」
「それって、ちとせ絡みの戦略じゃないかしら」
「え?」
「ランファ?」
タクトは少し驚いた顔をし、ミルフィーユは不思議そうに親友を見つめる。
「どうなの?」
「そりゃ、ちとせだってエンジェル隊の一員なんだから、当然組み込まれてるけど……」
「それがどうかしたの?」
「大事な事なのよ。ところで私よく知らないんだけど、もしその新しい作戦が採用されたとしたら、その発案者はどんなご褒美が
もらえるの?」
タクトはますます驚いた顔をし、ミルフィーユはますますわけが分からない顔をした。
「う〜ん……採用されたからってご褒美が出るわけじゃないよ。その作戦を実際に使ってみて、成功したなら、その時はそりゃあ」
「そりゃあ、どうなるの?」
「そうだなぁ、やっぱり報奨金がもらえたり、特別昇任の内示が来たりするんだろうなぁ」
その答えに、ランファはスッと目を細める。その顔には心なしか、怒りの表情が浮かんできていた。
「……後々の出世にも、さぞかし有利なんでしょうね」
「よっぽどすごい作戦だったら、一気に幕僚まで行ったりしてね。作戦部に配属変えなんて事もあるかもなぁ。うーん、そうなっ
たら楽だよなぁ、戦場に出て怖い思いしなくたって、机の上で作戦立ててりゃいいんだから」
「えーっ、タクトさんがいなくなったら嫌です。みんなもきっと、ガッカリしますよ」
「もちろん俺はどこにも行かないさ。自分でもエルシオールの司令官が、一番性に合ってる気がするしね」
呑気に笑い合うタクトとミルフィーユに反して、ランファだけがますます険しい表情となっていた。
「……ミルフィー、みんなの所に行くわよ。私1人で結論を出すのも危険だし」
「え? 何の事?」
無邪気にタクトとじゃれていたミルフィーユは、キョトンと首を傾げる。
「いいから。ほら行くわよ」
「わ、わ、引っ張らないで。荷物どうするの?」
「そんなのあとあと!」
ランファは強引にミルフィーユを引きずって行く。
「タクトさーん、また後でー。おやつ持って行きますからー」
そう言って手を振るミルフィーユを、タクトは笑顔で見送った。
2人の姿が曲がり角の向こうに消える。
「…………」
天井を仰ぎ、ふう、と溜め息をもらす。そして今一度、通路の反対側を振り返って呟いた。
「こんなものでいいか? レスター……」
ティールームに、ちとせを除くエンジェル隊メンバーが揃っていた。ちとせは例によって、レスターからの宿題に忙殺されている。
全員を前に、ランファは先ほど目撃した事、タクトから聞き出した事を全て話していた。
「つまり」
話を聞いた後、最初に口を開いたのはミントだった。
ティーカップをテーブルの上に置き、ランファに向き直る。
「ランファさんはこう思われているわけですね? 副司令はご自分の立身出世のために新しい戦略をお作りになり、その戦略の成
功のために、ちとせさんにあれほど激烈な訓練を強いている……と」
ランファはうなずいた。
「たぶんその作戦の中で、ちとせが大事な役目なのよ。だからいつも当てろ当てろって、ちとせばっかり責めるの。私はそう思っ
たんだけど、でも私って単純だからさ、1人で決めつけて突っ走っちゃう前にみんなの意見も聞いとこうと思って」
「へえ、あんたにしちゃ思慮深いことだね」
フォルテがいつもの調子でからかうように言うが、ランファは首を振るだけだった。
「フォルテさん。私は真面目に話しているんです」
真剣な目で睨まれ、フォルテも冗談交じりの表情を改める。
「……悪かったよ」
「どう思いますか? 私の推理」
「そうだねえ。とりあえず、それで全部つじつまが合うのは確かだね」
他の面々もうなずく。
「ですわね。部屋にこもっていたのはプレゼンの準備のため。ちとせさんに厳しいのはご自分のプランの成功のため」
「急いでいたのは今日に間に合わせるためだったってわけですね!」
ミルフィーユは早くも憤懣やるかたなし、という様子だ。
「ひどい、副司令。ちとせを自分の出世の道具にするなんて!」
「落ち着けって、ミルフィー。まだそうと決まったわけじゃない」
そんなミルフィーユを制して、フォルテは慎重論を提案した。
「どうしてですか、こんなにハッキリしてるじゃないですか!」
「ハッキリし過ぎてるのが気になるのさ。あの副司令が、そんなあからさまな真似を、本当にするかねぇ」
「私もそう思いますわ。それに戦略ということでしたら、ちとせさん1人を訓練しても仕方がありませんもの。私達全員を同じよ
うに訓練しないと」
ミントもフォルテと同意見のようだった。
この手の話で、エンジェル隊の中で強い発言権を持つのは主にこの2人である。その2人が同意見となると、残る面々は黙るしかな
くなってしまう。
「じゃあ、どういう事なんですか?」
ランファが憮然として言う。自分の推理が否定されたからではなく、真相が一向に見えてこない事に苛立っているのだ。
「私に訊かれたって分かるわけ無いだろ。とにかく副司令のやっている事が1つ明らかになったってだけだ」
「まだまだ様子見、というわけですね」
バンッ
テーブルを叩き、ミルフィーユが立ち上がる。
「じゃあ私達は何も出来ないんですか!私達は様子を見てるだけでいいかも知れませんけど、今こうしている間にもちとせは苦し
んでるんですよ!」
今度はフォルテとミントが黙り込むしかなかった。
沈黙。
重苦しい空気を打ち破ったのは、クロノクリスタルの呼び出し音だった。
ヴァニラのクロノクリスタルが鳴っていた。
「……はい」
ヴァニラは機械的な声で応答する。
「はい……はい……。了解、直ちに向かいます」
簡潔に通信を終え、椅子から立ち上がる。
「誰から?」
ランファの問いに対する答えは、少しタイミングがずれていた。
「……急患です」
1呼吸分だけずれた答えだった。彼女はそのまま、スタスタと出て行った。
「医務官でもないのに、大変ですわね、ヴァニラさんは」
その後ろ姿を見送りながら、ミントが誰にともなしに呟く。
ヴァニラが無愛想なのはいつもの事である。
誰も、彼女が一瞬見せた不自然さに気付く事なく、再びレスターの話題に戻っていった。
薄暗い部屋に、ライターの火が浮かび上がる。
煙草をくわえたレスターは大きく息を吸い、空中に紫煙を吐き出した。
「……喫煙は、あまりお勧めできません……」
彼の傍らに立つヴァニラは、抑揚の無い声でそう忠告した。
しわがれた声が、それに答える。
「……ああ、すまない。不快なら消すが」
「私の事はお構いなく。ここは副司令のお部屋なのですから。ただ……お体に障ります」
「そういう事なら、気遣い無用だ」
投げやりな口調でそう言って、レスターはもう1度、煙を吸い込む。
他の人間が彼のこの姿を見たら、どう思うであろうか。
疲れ果てた声。憔悴しきった顔。糸の切れた操り人形のように力無い体。まるで生気というものが感じられない。崩折れるよう
にソファーに身をあずけ、煙が空中に霧散していく様を虚ろに眺めている。
ヴァニラは無言でナノマシンを発動させた。
青白い光がレスターの全身を包み、じわりと浸透して行く。心なしか、彼の表情が柔らぐ。彼はホッと息を吐き、言った。
「ありがとう……だいぶ楽になった。もうちょっと、やってもらえないか?」
ヴァニラは静かに首を横に振る。
「……何度も申し上げている通り、疲労を回復させるには食事と休養が必要です。これはあくまで、応急処置です……」
「その時間が無いから、君に頼んでいるんだ」
「副司令はもう5日間、不眠不休の状態が続いています。これ以上は……危険です」
「心配してくれるのはありがたいが、無用な事だ。俺は」
なおも言い募ろうとするレスター。それを遮ったのは、ヴァニラのいつにない厳しい口調だった。
「心配しているのではありません。これは、警告です」
少し驚いて彼女を見上げる。彼女はほんの少し、柳眉を吊り上げてこちらを見下ろしていた。普段の彼女からするに、それは
とても強烈な、拒絶の意思の顕れであった。
「……ナノマシンの癒しは、麻薬のようなものです。副司令の肉体は、とうに限界を超えています。このまま続ければ……死
にます。脅しではありません……」
「………………」
「ここで死ぬのは、副司令も本懐ではないはずです……」
レスターは無言で彼女を見上げていたが。
「君の機嫌を損ねるのは、あまり得策ではないな」
諦めたように苦笑を浮かべてそう呟いた。
「エンジェル隊の皆はどうしている?」
「……現状維持です。みなさんしばらくは様子を見るとおっしゃっていました」
ヴァニラはそして、つい先ほどティールームで行われた皆のやりとりを説明する。
「そうか」
説明を聞き、彼は深く息を吐いた。皮相な笑みを浮かべて、呟く。
「ふん……やはり、そう簡単には踊ってくれんか」
「………………」
ヴァニラはしばらく逡巡の沈黙を保ち、それから尋ねた。
「なぜ、このような手の込んだ事を……?」
「おかしいと思うか?」
「はい……。本当の事を話しても、良いのではないでしょうか……」
レスターは自嘲気味に笑った。
「だろうな。他人の目には、まして女の目には、さぞかし滑稽に見えるのだろうな」
言葉を探すように視線をさまよわせ――――結局、笑ったまま首を横に振る。
適当な言葉は見つからなかったという事だろうか。
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂……か」
「………………」
ヴァニラにはその言葉の意味は分からなかった。
彼が何を考えているのかも分からなかった。
ただ、彼が今やっている事をやめるつもりが無い事、それだけは理解できた。
「………………」
また、沈黙。
ヴァニラは急に、居心地の悪さのようなものを感じた。所在無げに、室内を見回す。
すると――――壁にかかる額縁が目に入った。白い紙に毛筆で書かれた線画が収められている。ヴァニラは引き付けられる
ように、それに見入った。
これはいったい何だろう? 絵画的ではあるが、絵にしては抽象的過ぎる。縦に長いその線画は、よく見ると3つの部分に
分かれているようだ。
レスターが、その様子に気付く。じっと見入っている彼女の視線を追い、彼女がその線画を眺めていることに気付くと、薄
く笑った。
「習字、というものだ」
「……しゅうじ……?」
振り返った彼女に、その線画が何なのか教えてやる。
「ちとせの故郷で古くから続く伝統芸術でな。俺も詳しい事は知らないが、文字の書き方で感性を表現するものらしい」
「……文字、なのですか? これは……」
「そうだ。もっとも、今となってはちとせの故郷ですら使われていない、死に絶えた文字らしいが」
ヴァニラはもう一度、その『習字』なる線画を見上げる。
「……何と書いてあるのですか? 意味は……」
レスターはゆっくりと首を横に振った。
「さあな」
本当に知らないのか、それとも知らない振りをしているのか。
後者だろう、とヴァニラは確信していた。なぜなら、意味の分からない文字を、わざわざ額縁に入れて部屋に飾るはずが
無いのだから――――。
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