手術は滞りなく行われ、無事成功した。
ちとせは3日間入院したものの、特に変わったこともなく、3日目の朝にエルシオールに戻ってきた。
レスターは病院に残ることになった。
この戦いが終わったら、必ず迎えに行く――――そんな約束を交わして。
「ちとせーっ!」
廊下を歩いていると、背後から名を呼ばれた。
ちとせは足を止め、振り返る。
廊下の向こうから、2人の先輩が手を振りながら駆けて来る姿が見えた。
「ミルフィー先輩、ランファ先輩」
2人が到着するのを待って、ちとせは丁寧に会釈する。
「退院おめでとーっ、ちとせ!」
「ありがとうございます。ご心配をおかけしました」
満面の笑みを浮かべて祝いの言葉を投げかけてくるミルフィーユに一礼。
その隣でランファが申し訳なさそうに言う。
「ちとせゴメンねー、アタシお見舞いに行けなくて。カンフーファイターのHALO(ヘイロウ)が何でかおかしくて、ずっとカンヅメ
だったの」
ちとせは笑顔でランファに振り返った。
「いえ、お気になさらないで下さい、フォルテ先輩からお聞きしていました。もうそちらの異常はなくなったのですか?」
「ええ、おかげさんでもうバッチリ――――」
ランファは拳を握って、小さくガッツポーズでも取って見せようとする。
そして、『それ』に気がついた。
「……あ……」
ちとせの顔を見つめ、呆けた声を上げる。
「どうかしましたか?」
ちとせが尋ねる。
「え……ううん」
我に返った彼女は、柔らかく微笑んでゆっくりと首を横に振った。
「ああっ……!」
どうやらミルフィーユも気がついたらしい。
小さな歓声を上げ、目を輝かせてちとせの顔を覗き込んだ。
「今になって、初めて気付いた」
ランファは穏やかに言った。
「副司令って、青い目してたのね」
ちとせの右目。
そこには青い瞳が、静かな光をたたえていた。
初対面の人間には異様な印象を与えてしまうであろう、左右色違いの瞳。
だが。
「ええ。とっても綺麗だと思いませんか?」
自慢げに。誇らしげに。満面の笑みでちとせは言った。
そしてミルフィーユも、ランファも。
「うんっ! とっても素適!」
「よく似合うわよ、ちとせ」
心からの笑顔でうなずいた。
戦線復帰を果たしたちとせ。
その後の戦いでは、撃墜王ミルフィーユ桜葉のような目覚しい活躍こそ無いものの。
2隻撃沈、3隻撃沈と堅実な戦果を挙げ続け、エンジェル隊の確固たる戦力として認知されるようになっていた。
決して華美でなく、淡い芳香しか放たぬものの。時が来れば命の限りに咲き誇る、桜の花そのままの戦い振りであった。
そんな彼女が一躍、その名を銀河中に轟かせることになる。
それは皮肉にも、皇国軍が歴史的大敗北を喫した戦いでの事だった。
――――その戦いは、7日間、第8次にわたる未曾有の大乱戦となった。
エルシオールは第2次会戦より戦線突入。第3次、第5次、第7次、第8次会戦に参戦した。第7機動艦隊の旗艦となり、よく奮戦
したと伝えられている。
戦いは一進一退を繰り返していた。
だが、第5次会戦において、全軍を指揮していた名将・デニム提督の乗る方面総旗艦がクロノドライブ先でステルス性機雷を探知で
きず、爆沈した。
戦局は一変した。臨時提督の座につき指揮権を握った男は、現場を知らぬ作戦畑上がりで、予想外の事態に対する臨機応変というも
のがどうしても出来ない男だった。
第6次、第7次会戦、皇国軍は大敗北を喫することになる。
「英雄タクト・マイヤーズを提督に。エルシオールを総旗艦に」
生き残った者達の間でそんな声が上がり、有志達が極秘でその旨を告げる嘆願書を本星のルフト将軍に提出したのは、当然の流れで
あった。
最前線の逼迫した状況を悟ったルフト将軍はすぐに議会を召集し、他の将官たちを差し置いて、大佐の方面軍提督という異例の人事
を無理やりに承認させた。
臨時提督はこの動きを察知した。彼はタクトに嫉妬した。
英雄タクト・マイヤーズ。忌々しい奴め。いっそ奴など居なくなってしまえば――――。
こうして彼は、とんでもない愚行を犯すこととなる。
議会決議とタクトへの人事発令通知が届くより先に、第8次会戦がその戦端を開いた。
「待ってください、なぜ全軍転進なのですか!? 何をお考えなのです、私の艦隊だけで食い止めろなど無茶ですっ!!」
タクトは通信に向かって叫んだ。
「提督!? 応答願います! いま艦隊を退かれては、エルシオールは前線で孤立してしまいますっ! 至急増援を……提督っ!?」
『貴艦の奮闘を期す。タクト・マイヤーズ大佐』
だが叫びも空しく、たったその一言だけを残して通信は切られた。
タクトは呆然と立ちすくんだ。
「だ、第19、第20艦隊、クロノドライブ。第22機動部隊も……」
オペレーターのアルモが悲痛な声で状況を伝える。
スクリーンには、タクトの第7機動艦隊を残して次々と戦線離脱して行く味方部隊の様子が映し出されていた。
彼らは知らないのだ。エルシオールがまだ最前線にいて、戦闘中であるなど知らされていないのだ。
「こ、こんな……」
タクトは震える拳を握り締める。
戦いが始まった直後から続いた、『不可解な』通信障害。あのとき気付くべきだったのだ。
「これが最前線で血を流し、戦い続けた者に対する仕打ちかーーーーっ!!!」
絶叫。
だが無情にも、その叫びの余韻が消えるのと同時に、最後の味方艦がクロノドライブに入って消えた。
「た、タクトさん、もう限界です! 修理に戻らせてくださいっ!」
「こちらハッピートリガー。エネルギーが20%を切っちまった、早く補給の指示を!」
今こうしている間にも戦っているエンジェル隊から、悲鳴のような通信が入る。
出撃から、すでに1時間が経過していた。
「あ、ああ。ラッキースター、ハッピートリガー……ハーベスターもだ! 補給に戻れ! 格納庫、すぐに補給の準備を!」
タクトは慌てて指示を出し、正面に向き直る。
そして眼前に広がる光景に、顔を青ざめさせた。
正面からまるで壁のように、敵の大艦隊が押し寄せていた。対してこちらは紋章機が6機と軽巡洋艦が1隻、後は駆逐艦が3隻ばかり
生き残っているだけだ。
自分たちもクロノドライブして逃げようにも、今からではエネルギーの充填が間に合わない。第一、逃げるなど論外だ。今日の戦いに
敗れれば、敵をトランスバール本星への有効侵攻圏内へ入れてしまうことになる。
打つ手が無い。
自分たちだけで、1000隻以上からなるあの大艦隊を打ち破る以外に。
後方から射撃していたシャープシューターの横を、ラッキースターが通り過ぎて行った。
「ゴメンちとせ、ゴメンね……! 修理が終わったらすぐに来るからね……!」
すれ違いざま、ミルフィーユはそう言い残して行った。
泣いていた。
エンジェル隊もまた、タクトと臨時提督との会話で大体の事情を悟っていた。
1機でも多くの戦力が欲しいこの時に、修理に戻らなければならない自分の不甲斐なさに。
ミルフィーユは泣いていた。
「先輩……」
ちとせはしばし、その背中を見送る。
「エルシオールと白き月のエンジェル隊が殿(しんがり)を務めなければならないなんて……皇国軍も先が見えたという感じですわねっ!」
ミントの悪態が聞こえる。
「それでも、アタシ達がやるしか無いんでしょっ!」
ランファがやけくそのように叫んでいる。
ジリジリと押されていた。
戦力が違いすぎた。
敵艦隊が前進する分だけ、エンジェル隊は確実に退がっていた。
「………………」
ちとせは正面に向き直る。迫り来る大艦隊を見つめ、唇を噛み締める。
そして、エルシオールに通信を入れた。
「タクトさん、データを転送して下さい。……敵の旗艦は、どこですか?」
―――――――――――――――ゥゥゥ……
その瞬間。
目の前で起こった出来事を、いったい何人の人間が理解できたのであろうか。
事実だけを述べるのは簡単である。
シャープシューターが射撃した。
敵の旗艦が轟沈した。
これだけだ。
だが、到底信じられる事ではなかった。この目で見ても、なお。
敵旗艦の頭脳、ブリッジを吹き飛ばしたピンポイント射撃。
その射程距離、約1万――――。
後退する味方から押し出されるように、いつの間にかシャープシューターが最前線に出ていた。
大艦隊に臆することなく、敢然と立ち塞がる。
通信の全回線に向け。全方位に向け。
銀河中に向けて、ちとせの声が響き渡った。
「ムーンエンジェル隊6番手、烏丸ちとせ! 皇国の殿(しんがり)をお勤め致します。何人たりとも、この場を通る事まかりなり
ません。我が弓を恐れぬ者から前へ出なさいっ!」
小動物に噛み付かれ怒り狂った獣のように、大艦隊が突撃を開始した。
巨大な壁が迫ってくるような圧迫感。
だがシャープシューターは、意に介した風も無く、更に射撃を放つ。
敵艦のブリッジに、動力部に、閃光が突き刺さる。瞬く間に10隻以上の艦が大破、行動不能となる。
敵との距離が徐々に詰まる。ついに敵の艦砲射撃の射程距離に入る。
怒涛の一斉射撃。
シャープシューターのクロノストリングが唸りを上げた。敵の砲撃、ミサイルを紙一重の見切りでかわし、あるいはシールドを展開
して弾く。
「ちとせ、無茶するな!」
タクトは思わず指示するが、
「大丈夫です」
ちとせの声は、湖水の表面のように落ち着いていた。
これが、明鏡止水の境地です――――彼女の決め台詞が聞こえてくるようだった。
あまつさえ射撃を返し、突出していた駆逐艦6隻をたたく。
だが、敵の数が多すぎる。
「ちとせダメだ、退くんだ! このままじゃやられちまうよ!」
フォルテも叫ぶ。
だが、ちとせはかぶりを振って、命令を拒否した。
「いいえ、退きません……! この竜眼にかけて、一歩も退きませんっ!!」
シャープシューターが、まばゆいばかりの光に包まれた。
その光は機体の両側に収束し、純白の翼が出現する。
目が覚めるような、雄々しきそのはためき。
さらに一閃。奥から迫ってきていた大型戦艦の首をはねる。
「……何て……!」
タクトは胸が打ち震えるのを感じた。
竜眼。
ちとせは確かにそう言った。
己の右手を見つめる。
(後は……任せたぞ)
その手をギュッと握り締める。
そうだな、レスター。
こんな所で諦めてたまるか。
お前から渡された、このバトン。
今こそ、約束を果たそう。
タクトは敢然と顔を上げた。
「エンジェル隊全機に告ぐ! こちらはタクト・マイヤーズ、これより君達を完全に掌握する! 今から出す俺の指示には即刻、忠実
に従ってくれ、質問も拒否も認めない! 勝つために! みんなで生き残るためにっ!!」
月が、輝いていた。
白き月とは違う、名も知れぬ惑星の周りを回る本物の月。
その光を浴びて、6対の翼が舞っていた。
「ハイパーキャノンッ!!!」
「行っけええええ、アンカークローッ!!!」
決して、勝てる戦ではない。
圧倒的な戦力差に呑まれ、その中であがいているだけだ。
「お行きなさい……フライヤー達ッ!!!」
「これで終わりだ、ストライクバーストッ!!!」
しかし、負けもしていない。
自分達はまだ、生きている。
「エルシオール全速前進! そうだ、構うな前進だっ! 主砲発射! 撃て! 撃ちまくれっ!!!」
まだ、行ける。
まだ……戦える!
「ちとせ、ポイント2035へ転進しろ! 今データを転送する、この奥の別働隊の旗艦を潰せッ!」
「了解……っ!」
タクトは思い出していた。
以前レスターが古臭い資料を持ち出して、熱心に語った事を。
遥か昔、まだ人類が1つの惑星に住み、小さな国家同士で争っていた頃。
海に艦隊を浮かべて、海戦という戦闘を行っていた。
とある国の、名将と呼ばれた提督が、こんな言葉を残していた。
『もしも、この世に真の意味で百発百中の砲がただの1門でもあったなら。その艦は、世界の海を統べるであろう』
そのページを指しながら、レスターは言っていた。
『もし、ちとせが本物になったなら。皇国軍に革命が起こるぞ』
シャープシューターが指示された地点に到着する。
すぐさま転進。ちとせの青い瞳が目標を捕らえる。
「神罰覿面――――フェイタルアローッ!!!」
それはまさしく光芒一閃。
吸い込まれるように伸びてゆき、敵艦のエンジンを正確に貫通する。
司令塔を失った別働隊が、一瞬浮き足立つ。
そこが最初で最後のチャンスだとばかりに、4機の紋章機が殺到する。
敵が多すぎるため、誰も気付かない事実。
今のエンジェル隊は、艦隊1個を、ものの5分とかけずに全滅させているのだ。
タクトは親友の言葉を大げさだと笑ったものだった。
だが、今なら分かる。それは比喩でも誇張でもない、厳然たる事実であったと。
敵も馬鹿ではない。
いま、真っ先に潰さなければならないのは誰なのか。
近くにいた敵艦隊の砲門が、一斉にシャープシューターに向けられる。
「……っ!」
1個艦隊全艦に狙われた弾幕射撃。必死に回避するが、よけきれない。
装甲が削られ、一瞬にしてシャープシューターはボロボロになる。
すぐさま反撃に移ろうとするが、たちまち2次弾幕に晒されて、それどころではなくなる。
「……ご無理をなさらずに。修理を行います……」
突然の声に、ちとせは驚いた。慌てて横を見る。
いつの間に接近してきたのか。
ハーベスタ―が、すぐ隣を並んで飛んでいた。
ナノマシンが散布され、シャープシューターの損傷を修復する。
そして離れるのかと思いきや。
変わらずにまるで影のように、寄り添って離れない。
「ヴァニラ先輩?」
「……タクトさんの指示です……ちとせさんは、攻撃を続けて下さい……」
さらに敵の一斉射撃。
ハーベスターがシールドを展開する。他の紋章機に比べて1回り巨大なシールドを。
「……損傷率、6%……問題ありません。ちとせさん、こちらも反撃を……」
「は、はい!」
シャープシューターの射撃。たちまち艦隊の1角が崩れる。
「ヴァニラ先輩、離れて下さい! 私と一緒にいたら敵に狙われます!」
「……だからこそ、です……タクトさんから命令を受けました……あなたを守れと」
「タクトさんが!? でもっ!」
「ちとせさんは、攻撃に集中して下さい……その代わり、あなたは私が守ります……」
天頂方向から、さらに1個艦隊が迫ってきた。
頭上からまともに射撃を浴びせかけられる。
「痛ッ!」
激しい衝撃に、ちとせは思わず身を固くする。
だが衝撃が過ぎ去ってみれば、シャープシューターはまったくの無傷だった。
「! ヴァニラ先輩!」
通信に呼びかける。
「……死んではいけません……」
一瞬のノイズの後、映し出されるヴァニラの顔。
衝撃でどこかにぶつけたのか。
額から真っ赤な血が一筋、流れ落ちていた。
「たとえ私が死のうとも……あなたが死んではいけません……」
「ヴァニラ先輩!」
ちとせに向かって、ヴァニラは静かに首を振る。
「私も、あなたと同じだから……」
「え?」
うっすらと。本当にうっすらと。
「私も……サムライを好きになってしまった女です……」
だが確かに、ヴァニラの顔には微笑みがあった。
月の光を浴びて。
タクトの号令が響き渡る。
6対の翼が舞い踊る。
そして青き眼の輝きと共に、シャープシューターの射撃が冴えわたる。
100以上の艦隊の、100以上の旗艦を、ことごとく一撃のもとに討ち果たして行く。
一発必中。一撃必殺。
奇跡のようなその射撃。
遠けき者は、音に聞け。近くは寄りて、目にも見よ。
彼の者こそは、烏丸ちとせ。
独眼竜を魅了せし、皇国一の弓取りなり――――。
竜の咆哮が聞こえた気がした。
天使たちのこの姿を、誰よりも待ち望んでいながら。
この場にたどり着けなかった男。
だが、彼がすべてを賭してあみ出した、一世一代の大戦略は。
ここに確かに実現していた。
やがて、終わりの時が訪れる。
激しい戦闘の中で、台風の目のように突然訪れた、ひとときの空白の時間。
彼方から新たに迫り来る敵艦隊は、300隻はいるだろうか。
その光景を前にして、ミルフィーユは微笑んでいた。
「……あたし達、がんばったよね?」
憔悴しきった顔で、それでも微笑みながら。
通信の向こうの仲間たちに語りかける。
「……まあ、やれと言われれば、もうひと暴れくらいして見せるけどね」
ここでもランファの意地っ張りは変わらない。
「へっ……今日のところは、これくらいでカンベンしてやるか」
「まるでギャグ担当の悪役みたいな捨て台詞ですわね……」
フォルテの負け惜しみに、ミントが苦笑する。
すでに5体満足な機体は無い。エネルギーも底をついた。
補給に戻ったところで、エルシオールも然り。
刀折れ、矢尽き。奇跡のように与えられた今のうちに、退却するより道は無かった。
「タクトさん、今のうちにハーベスタ―の回収に来て下さい! ヴァニラ先輩が……!」
「……私は、大丈夫……」
「先輩、動かないで!」
ちとせとヴァニラのやりとりを聞きながら。
タクトは息をついた。
「アルモ、クロノドライブの準備は?」
「いつでも行けます。もっとも、エネルギー残量から計算して、ドライブアウトした途端に航行不能になるでしょうけど」
「上出来さ」
そして静かに、最後の命令を下す。
「エンジェル隊、全機帰還だ。ハーベスタ―とシャープシューターを回収した後、クロノドライブ。本艦はこれより現戦線を放棄
……離脱する」
戦闘開始から、実に2時間半が経過していた。
最後の1艦、エルシオール敗走。
ここに、皇国軍の敗北が決定した――――。
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