「あの……タクトさん、少しよろしいでしょうか?」
解散後、ブリッジに残っていたちとせは、タクトに話しかけてきた。
「なんだいちとせ?」
「私はこれから格納庫へ向かうのですが……」
「格納庫って、ちとせまさか……」
「はい……一刻も早く、紋章機を動かせるようになりたいんです。ですからタクトさんに調整のお付き合いを願いたいのですが……」
真剣な表情で言うちとせ。
その表情を見てタクトは頷き、
「わかった。オレでよければ付き合うよ」
と微笑んだ。
「ありがとうございます!では早速お願いできますか?」
「わかった。それじゃレスター後は頼んだよ」
そう言い残し、タクトとちとせはブリッジを後にして、格納庫へ向かった。
*
「クレータ班長、シャープシューターの出力はどうなってる?」
格納庫にて、ちとせとの紋章機調整に入ってから1時間、タクトはクレータに話しかけた。
「ダメです、シャープシューターのエンジンどころか、H.A.L.Oリンク率がまったく上がりません……」
クレータは困惑げに話した。
タクトは無表情で今まで調整を行なった、ちとせとシャープシューターのH.A.L.Oリンク率のデータを見ていたが、
「動かないどころか、反応すらしてないなんて……」
と思わず顔を顰めた。
本来、紋章機のパイロットというのは、いかに操作できるかというのではなく、いかに紋章機に適しているかが焦点となる。
簡単に言えば乗り手が紋章機を選ぶのではなく、紋章機が乗り手を選ぶのである。
ちとせは紋章機に適している数少ない人材であるために、パイロットに選ばれたのであって、士官学校で優秀な成績を残したからだけではない。
これは、他のエンジェル隊にも言えることであった。
タクトがデータを確認している時、
ちとせはシルバーメタリックにダークブルーで塗装された大型戦闘機である、6番目の紋章機シャープシューターから降りてきたようだ。
「タクトさん……」
「ご苦労様、ちとせ。調子はどうだい?」
「悪くはないと思うのですが……」
その顔には焦燥と困惑が入り混じっていた。
ちとせは紋章機に乗っていたときと同じ操作方法や、出力調整のやり方などは一切忘れておらず、むしろエンジェル隊の中でも精錬された動きであった。
それなのに、動かない………
H.A.L.Oがリンクしなければ、クロノ・ストリング・エンジンも動かない。
すでに1時間が経過していたが、シャープシューターが動く気配は無い。そのことが原因でちとせは無意識の内に、自分自身にプレッシャーを与えていた。
「そんなに気を落とすことは無いよ、ちとせ。君はまだ病み上がりみたいなものなんだから」
そんなちとせに、優しく声を掛けるタクト。
「でも、いくら病み上がりだからといって、こんなことがありえるのでしょうか?」
ちとせはまだ納得がいかない様子だ。
「記憶障害っていうのは、記憶喪失とは違って今までのことを忘れたワケじゃないんだ。そのうちまた乗れるようになるよ」
「ですが……」
このままでは埒があかないと思ったタクトは、クレータに声を掛けた。
「クレータ班長、ちょっと休憩に入るよ。協力してくれてありがとう」
「いえ、これも私たちの仕事ですから」
「ありがとう、じゃあちとせ、行こうか」
「えっ!?ちょ、ちょっとタクトさん!?まだ……」
有無を言わさずにちとせの手を取り、タクトは格納庫から出ていった。
*
タクトはちとせをホールに連れてきた。
ホールには、休憩用のベンチや色々な自販機がある。休憩を取るにはうってつけの場所であると思ったタクトはちとせをベンチに座らせ、適当に自販機から飲み物を購入した。
「ちとせ、お茶でよかったかな?」
「はい、すいません……」
ちとせは恐縮しながら、タクトから缶のお茶を受け取った。
一緒にベンチに座り、しばらく沈黙していたが、先にタクトが口を開いた。
「ちとせ、落ち着いたかい?」
「はあ……」
煮え切らないちとせの返事に構わずタクトは続けて話した。
「人には時と場合によって、出来ることや出来ないこともあるさ。そんなに気落ちすることはないよ」
「ですがこのままでは私は足手まといになってしまいます。今まではどんなに調子が悪くても、紋章機を動かすことぐらいは出来たのに……」
俯くちとせ。だがすぐに顔を上げると、
「タクトさんも気付いているのではないのですか?今回の件はこのままでは終わらないと」
「………………」
沈黙するタクト。
ちとせに言われるまでもなく、今回の件は不可解な事だらけで、不吉な予感がしていた。タクトは先ほどクロノ・ドライブに入ってから、この不安が常に付きまとっていたのだった。
再び沈黙が続き、自販機の機械的な音が耳朶を打つ。
白に統一されたホールの壁と天井、そして照明。
明るい場所から発せられる2人の暗い雰囲気を象徴するように、照明がじじっという気まずげな音を鳴らした―――
永遠に続くと思われた沈黙を先に破ったちとせは、ぽつりと切り出した。
「……先ほど先輩方が紋章機に乗って戦闘に追われている間、私は必死で紋章機を動かそうとしました。しかし、どんなに動かそうとしてもシャープシューターは反応しなかったんです……
以前の私はどうやって動かしていたのか、どうやったら起動してくれるのか……そんなことを考えながら乗っていましたが、まったく動いてはくれませんでした……」
何も言わずにお茶を飲むタクトに、ちとせは俯きながら続けた。
「ブリッジにいた時、先輩方が苦戦しているのを見ていると、私のせいで皆さんが苦戦している……私が早く行かなければ……そう思い続けていました」
ちとせはタクトに苦悩の内を晒しながら、エンジェル隊に入隊したときのことを思い出していた。
入隊時、思い描いていた『皇国の英雄』タクト・マイヤーズとエンジェル隊を見て、現実とのギャップに戸惑っていたが、決して馴染めないものではなかった。
しかも、有事の際、類稀な能力を発揮し、味方を盛り上げていくタクトたちを見ていると自分は役不足ではないかと悩んだこともあった。
先輩方の足を引っ張りたくない………皮肉にもそういった思いが今までのちとせを支えていたのだった。そのために人一倍仕事や訓練に勤しむことができた。
だが、それもここまで。紋章機に乗れなくなったのなら自分はここにはいられない……
実力を認めてもらっていたからこそ、今までここにいられた……
そういう思いが今のちとせを苛んでいた……
「このまま紋章機を動かすことが出来なくなれば、私はもはやエンジェル隊には必要ありません!だってもう戦えなくなった私がここにいても、何の役にも」
「ちとせ」
タクトはちとせの言葉を遮ると、真剣な表情で言った。
「君は本当にそう思っているのかい?」
「………………」
「エンジェル隊やオレたちが君を必要としないと、本気でそう思ったのかい?」
口を噤むちとせであるが、タクト構わずに続けた。
「ちとせ。君は何でエンジェル隊に入ったんだい?」
「そ、それは、私が新型の紋章機のパイロットに選ばれて……」
「それで仕方なく入ったの?」
「ち、違います!」
「そうだろう。もっと他の理由があったはずだ。
ちとせ、オレたちと出会った時になんて言ってたか覚えているかい?」
タクトの質問に、自信を持って答えるちとせ。
「もちろん覚えています。
私は皇国の危機を救ったタクトさんやエンジェル隊の方々に憧れて、入隊を決意したんです。皆さんと一緒に仕事ができることを夢見て……」
「そういう願望があったよね。
ちとせは最初の頃は馴染めなかったけど、エンジェル隊のみんなはちとせを邪険に扱うようなことはしたかい?」
「い、いいえ、とても良くしてくれました」
「一度でも必要ないって言われたことでもあったのかい?」
「そ、そんな!?先輩方はそんな方々では!」
「そうだよ。オレだってみんながそんなやつじゃないってことぐらいわかるってるよ」
タクトは何が言いたいのか解らず、黙り込んでしまうちとせ。
「みんなちとせが必要だと思っているんだ。そうでなければ一緒に仕事なんてしようとは思わないし、心配なんてしないよ。それに……」
タクトは一度言葉を切ると、自信に溢れた表情で言った。
「みんなちとせのことが好きなんだ。
心配することなんてないよ、そうだろうみんな?」
「えっ!?」
タクトの言葉に、慌てて後ろを振り向くちとせ。
そこには何時からいたのか、ランファ、ミント、フォルテがそこにいた。
「み、皆さん……今の話、聞いていらしたんですか?」
「ついさっきまでだけどね〜」
髪をかき上げながらランファが答えると、ちとせは恥ずかしげに頬を染めた。
そんなちとせを見ながら、3人は口を開いた。
「ちとせさん、悩みというものは自分一人で抱え込むのはよくありませんわよ」
「ちとせ、アンタはもうただの後輩じゃないんだ。困ったことがあったんなら、ちょっとは頼りにしておくれよ。アタシたちの大切な仲間なんだから」
「無理されるより、みんなで苦労していくことが本当の仲間ってモンでしょ」
「ミント先輩、フォルテ先輩、ランファ先輩」
自分の先輩の言葉に感激したちとせは3人の先輩に大きく頭を下げながら、感謝の意を述べた。
「本当にありがとうございます、先輩方!私―――」
「これでわかったろ、ちとせ。
君はもう立派なエンジェル隊の一員なんだよ」
ちとせの背中に向けて言葉を放つタクト。
言葉が聞こえたのか、ちとせはタクトの方へと振り向く。
「オレの言ってることがまだ信じられない?」
「い、いえ、そんなことはありません!」
「そうか、それならよかった」
タクトは安心したように、表情を緩める。だが、ちとせの顔には自信が戻っていた。
「ありがとうございます、タクトさん」
「いや、いいんだよ、ちとせが元気になってくれれば。」
「申し訳ありません……私が未熟者なばかりに……」
「そんなことはないよ、オレだってちとせに迷惑掛けてばかりだし、おあいこってことで」
「そんな!?タクトさんは、何も迷惑などかけていません!私の方こそ―――」
「いや、オレが―――」
繰り返される状況。
タクトとちとせは双方譲らないまま言いあいを続けていたが、
「やれやれ、アタシらはここでお払い箱みたいだねぇ……」
「2人ともいつまで続ける気かしら……」
「私たちはお邪魔のようですわね。あとはお2人にお任せしましょう」
周りから聞こえてきた声に現実に戻った2人は、慌ててフォルテたちに視線を向けた。
「あ、ゴ、ゴメンみんな。決して無視してたわけじゃ」
「も、申し訳ありません、先輩方!」
「落ち着いてくださいな、お2人とも。ほら、深呼吸をなさって……」
ミントの言葉に触発されたのか、タクトとちとせは深呼吸を行なった。
しばらく深呼吸を行い、落ち着きを取り戻したタクトは、3人に疑問を投げかけた。
「そういえば、なぜ君たちがここにいるんだ?あの入り口から来ていたのは知ってたけど……」
「そろそろヴァニラがどうなったか気になってね」
「ミルフィーの姿が見えないけど?」
「あの子なら遅れていくって言ってたわ。何か用事があるみたいで」
「用事ですか?いったいなんでしょう?」
「きっとヴァニラさんに関することではないでしょうか?準備を済ましておきたいのでしょう。」
そういう理由があったことがわかり、タクトはホッとしながら呟いた。
「そういうことか。ミルフィーに何かあったのかと思ったよ……」
「?タクト、何か言った?」
「い、いやあ、なんでもないんだ。ただの独り言だよ」
動揺しながら答えるタクトに、ランファは訝しげな顔をしていたが、すぐに気を取り直して言った。
「タクトとちとせはどうするのよ?」
「そうだな、それじゃオレたちも行こうか、ちとせ」
「はい、私もお供します」
「ああ、そうしたいんだけどねぇ……」
医務室に行こうとしていたとき、フォルテたちはタクトとちとせに意味有り気な視線を送った。
「ん?どうしたんだ、フォルテ?」
「………………」
「………………」
「あ、あの、ランファ先輩もミント先輩もどうかなさったんですか?」
何も話さずに視線を向けるランファたちに、困惑するちとせ。
その沈黙に耐え切れなくなった時、ミントが口を開いた。
「お2人とも仲がいいのは承知しましたが、いつまでその状態でいるおつもりですの?」
「「えっ?」」
タクトとちとせは自分達の方へと目を向けた。
先ほどまでのやり取りで気付かなかったが、いつの間にか肩が触れ合うほど体を密着させていたようだ。
しかもお互いの方へと顔を向けると、
「「あっ……」」
もはや顔がくっ付きそうな状態であった。
今の状態に気付いたタクトとちとせは、凄まじい速度で離れた。
「ももももも申し訳ありませんでしたタクトさん!!!わわ私ったらなんて事を!!」
「いやいやいやオレの方こそゴメン!!決してわざとやったワケじゃないんだ!!!」
ろれつが回らないちとせと支離滅裂な言葉を返すタクト。
今この状況を見た者は何と思うのであろう………
お互い顔を紅潮させながら謝罪の言葉を述べていたが、やっていることはさらに異様だった。
ちとせは地面にくっ付きそうなほど頭を何度も下げ、タクトは外れるのではないかというスピードで何度も首を振っていた。
「まあまあお2人さん、わかったからその辺にしときな。」
このままでは収集がつかないとみたフォルテは止めに入った。
「は、はい、申し訳ありません……」
「ああ、ゴメンゴメン……」
まだ2人とも少し顔が赤かったが、ようやく収まったようであった。
「………………」
その一方でランファは不機嫌な表情をしていた。
(何よタクトったら、ミルフィーやヴァニラだけじゃなくちとせにまで……)
タクトとちとせの言動を見て、ムラムラと釈然としない感情がランファを取り巻いていた。
しかし、そんなランファを尻目に、
「それにしてもお2人は、実はお似合いなのかも知れませんわね」
「まったくだねぇ。やることなすことピッタリじゃないか」
ミントとフォルテはまだタクトとちとせをからかっていたようだ。
「そ、そんなことは……」
「そういえば、ちとせさんが倒れたとき医務室までお運びになったのはタクトさんでしたわね」
「へえ、そうだったのかい」
「しかも随分と大切に抱きしめていましたわ」
「ええ〜っ!!!そ、そんなタクトさん!?」
「ち、違うって!そのときは『おひめさまだっこ』をしていただけで、それに大変だと思ったから気を付けていただけで、その……」
「怪しいねぇ。まさかちとせに何かしたんじゃないだろうね」
「さあどうでしょう?もしかしたら、ちとせさんもまんざらではないかもしれませんわね」
「オレは無実だ〜!!」
「あのっ、私……私……」
そのようなやり取りをしていた刹那、
「〜〜〜っ……///」
パタッ
ちとせは蒸気が出そうなくらい顔中真っ赤にさせながら気絶してしまった。
「うわ〜っ!?ちとせがまた倒れた!」
「あら、少しからかいすぎましたわね」
耳をピクピクさせながら悪びれもなく言うミント。
「少しどころじゃないよ、まったく……」
「まあちょうど医務室に行くところだったんだ。よかったじゃないか」
「いいのか……?」
タクトは何かが間違っているような気がしたが、
「ま、いっか。とにかくちとせを医務室まで運ぼう」
すぐに気を取り直したようだ。
そんなタクトたちのやりとりを見ていたランファは、
「まったく、ちとせもしょうがない子ね……」
と誰にも聞こえないように呟いた。
「ん?何か言ったかいランファ?」
「別に、なんでもないわよ」
タクトは訝しげな顔をしたが、ランファがいつもどおりの表情をしていたので、追及する気が失せてしまった。
「それじゃ医務室に行くとするか。ほらちとせはアタシたちが運ぶから、タクトはさっさとどきな。
ランファもそこでぼーっとしてないで、さっさと行くよ」
フォルテはタクトからちとせを受け取り、先頭に立って歩き出した。
ちとせにとっては本日2回目の『おひめさまだっこ』をフォルテが行なう形になった。
ランファもフォルテの近くまで来たが、
「まったくタクトには苦労させられるね……」
とフォルテの囁き声が耳に入った。
「えっ?フォルテさん何か言いました?」
「いや、なんでもないよ」
ランファが横へ振り向くと、そこに居るフォルテの表情はいつも通りだった。
今の声は自分に呟いたことか、それとも独り言か………
ランファはフォルテの心境が分からずに、釈然としないものを感じたが、その後医務室に着くまで会話はなかった………