伝えたいことがあった―――

気づいているはずの事を気付かせるために。

止めさせたいことがあった―――

この艦にいる誰もが傷ついてしまうような、この状況を止めたかったから。

守りたいものがあった―――

例え自分が犠牲となっても、皆が苦しむ顔を見たくなかったから。

 

そして何よりも癒したい傷がそこにあったから………

 

それらを行うには多大なる時間を要したが、時が経てば状況は改善されることを信じ、じっと待ち続けた。

 

けど………

 

時間が進めば進むほど、皆が倒れていく。

 

皆が苦痛の色を浮かべて倒れていく。

 

なのに、皆を傷つけていたあの女(ひと)は哂いながら見下ろしていた。

 

そう………

まるで彷徨える子羊のように、悲しげな、苦痛を訴えるような瞳を揺らしながら―――

 

「………………」

救いたい。

エンジェル隊の皆を救いたい。

この艦に居る人達を救いたい。

 

なによりも―――

 

誰よりも苦しそうなあの女(ひと)を救いたい―――

 

 

逸る自らを戒め、瞑目し祈り続ける。

―――脆弱なる私のような者に、あの女(ひと)を幸せに出来るのならば

傍にある形は、徐々に眩いばかりの光を帯びて行く。

―――これ以上誰も苦しむことが無くなるのならば

やがて光は形を変え、姿を現してゆく。

―――どうか私に

光が収まり、形成された姿は。

―――幸福を齎しうる力を与えたまえ

神に選ばれし聖なる獣を思わせた………

 

 

 

“ナノマシン………傷ついた翼に………再び光を………”

 

 

 

主の言葉に呼応するかのように躍動する姿は、力強く、そして畏れさせ。

 

 

視る者を敬虔にさせる慈悲を溢れさせて―――

 

 

 

*

 

 

 

時はやがて正確な時間を刻む―――

 

「滑稽だわ……貴女も、貴女の仲間も、この艦にいる者達も」

俯きながら皮肉じみた言葉が、口の端から刻み込まれる。

「明らかに自分が追い詰められているのにも拘らず、決して諦めることの無いその瞳……」

4つの瞳が銀髪の女性に注がれているのにも構わず、独演は続けられる。

「相手だけではなく自分をも滅ぼしかねない状況に、躊躇いも無く足を踏み入れる精神……」

独演は周りに伝えるものなのか、それとも自分に言い聞かせるものなのか。

「そして、自分の大事な何かを失い、生き甲斐を見失いながらも、前に進むことを止めない心……」

いつの間にかそれらの言葉には、微かな自嘲じみた呟きが込められていた。

「………何故なの?」

顔を上げた、その茫洋とした掴み所の無いその瞳に映るもの。

前方のエンジンの近くで佇む2人の少女の姿は視野に入っているのか………

「貴女たちでは私に勝つことなど出来ない……刻一刻と差し迫った死の階段から逃れることなど出来ない……ただ、遅らせることしか出来ない…………それなのに……」

キッと睨み付ける視線鋭くなり、見る者をたじろかせる力を込める。

「何故そこまでして、戦おうとするの……?」

それはこの状況下を表しているのか、それとも全体の精神を表しているのか。

それは憎悪といった感情しかぶつけて来なかった、シェリー・ブリストルという女性の本心かもしれない………

 

「………………」

青髪の少女―――ミントは対峙している銀髪の女性から醸し出されている、形容出来ない雰囲気に圧され、言葉が出ない。

あんな雰囲気を感じても、相手の真意を読み取ることはまだ出来ていない。

何か言おうとしても、呆気に取られたように相手を見据え続けることしか出来なかった………

 

だが、沈黙を破ったのは、意外な人物であった。

「分かりません……」

「……なんですって?」

静粛を打破する呟きが耳朶を打つ。

銀髪の女性―――シェリーの焦点を取り戻した視線の先………そこには自分だけを見据えているヘッドギアの少女、ヴァニラの姿があった。

 

「分からないのです……今となっては……」

ヴァニラは戸惑いに揺らぐ瞳を伏せ、ゆっくりと頭を振る。

淡々と述べる言葉……だが、その言葉には穢れの無い聖なる煌きを秘めていた。

「私は無力ながら…銀河に住む人々を…平和な時間を過ごさせたかった……

困っている人、苦しんでいる人を救いの手を差し伸べたくて…

ただそれだけを願い続けてきました……」

 

理想と現実………

人は理想を持つことによって生き甲斐を見つけ出し、現実を直視する事によって世の流れに順応できる免疫が構成される。

エンジェル隊のメンバーの中では最も若いヴァニラであるが、現実を理解しながら理想を追い求めている13歳の少女など、そう存在しないのかも知れない。

例え醜い部分を視たことがあるとしても、己が信じる道を止めることはしなかった―――

 

そう、この時までは―――

 

「けれど―――」

再び開く双眸は、銀髪の女性を射抜く耀きを秘めていた。

 

「……貴女を見ていると……分からなくなってしまったのです……」

その言葉とともに、ヴァニラの傍にいた獣の身体から、粒子状のものがキラキラと少しずつ霧散していた―――

 

「……どういう意味?」

真意を測りかねている怪訝な表情が、シェリーから浮かび上がるが質問の返答は無い。

だが、少しの逡巡が終わった瞬間、その表情は一変することとなった。

 

 

「……貴女は……何の為に存在しているのですか……?」

 

 

「………えっ?」

「………………」

 

 

この一瞬だけ、時が止まった錯覚が機関室という空間を包み込む―――

 

 

「……なんですって?」

聴き間違い、と言わんばかりに、シェリーは言葉を発した相手に今一度、先ほど訊かれた言葉を促す。

震える声は感情を押し殺した響きがあった。

「ヴァニラさん……」

近くで蹲っていた青い髪の少女―――ミントは、不安げに蒼ざめた顔を上げる。

「………………」

促された少女―――ヴァニラは静かな表情で、もう一度本心に秘めた想いを紡いだ。

「……貴女は……何の為に存在しているのですか?」

掠れがちな小さな声とは裏腹に、突き刺さるような呟き。

心の奥底に透き通る、純粋なる言葉。

戦闘中の空間に発せられたとは思えない、訊かれた者を戸惑わせる問いかけ。

 

―――いつの間にか白い獣は姿を消し、純白のフリルを淡い光で包み込んだ少女の姿だけが眼に焼き付いた。

 

張り詰めていた空気は心なしか弛緩し、形容できない空気が3人を包み込む。

「………………」

シェリーは聴き間違いではないことを悟ったのか、口を開かずに、ルビーのような赤い瞳を持つ少女を、離れた所からじっと見据えている。

 

呆然と見開かれた眼をそのままにしながら………

 

相手の様子に構わず、ヴァニラは問いかけることを止めない。

「答えられないのですか…?」

「ヴァニラさん…一体何を―――」

「―――ミントさん」

口を挟みかけたミントを視線で押し止める。

「―――っ」

その視線を受けたミントは思わず息を呑んだ。

いつもの彼女らしき無表情―――しかし決意を秘めた毅然とした光は、いつもの彼女とは思えない瞳であった。

ヴァニラは前方に立ち尽くす女性に向き直ると、もう一度同じ言葉を告げた。

「……貴女は……何の為に存在しているのですか?」

「……何故そんなことを訊く?」

「………………」

ヴァニラは答えない。

ただ、赤い瞳を揺らめかせながら、問いかけた本人を見据えるだけで………

「何の意味があって訊くのかしら……」

ハッ、と小馬鹿にしたように肩を竦めるシェリー。

馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの、木を鼻で括った態度が表面に出る。

「あまりにも恐くて、そんな言葉が出たのかしら?」

口元に笑みを浮かべながらも、鋭い視線はヴァニラを離さない。

 

先程、胸の内を曝した本人であることを示すかのように、不安げに―――

 

そんなシェリーの様子にも、ヴァニラの無表情に変化の兆しは視られなかった。

「……不思議なのです…」

「……何のこと?」

動じない少女への憤りか、微かに苛立ちが混じった声が空気を震わす。

「貴女からは何も感じられない……感じられないはずなのに……」

相手への問いかけが、いつの間にか自分に言い聞かせるような言葉の端。

「……何故…そんなに悲しそうな顔をするのですか?」

「!?」

瞬間、笑い顔を張り付かせたまま、シェリーの表情が凍りつく。

 

その言葉は幾千の針を凌駕する力を秘めていたのか、息を呑む声は誰のものだったのか―――

 

誰も何も喋れない……否、口を開くことさえままならない。

 

もっと何か言わなくてはならない―――

もっと相手に何か伝えなければならない―――

力を使わずとも彼女を救う手立ては残されている筈なのに………

 

どうして自分はこんなにも無力なのだろうか―――

 

元の小動物の姿に戻り、ヴァニラの肩に乗っていたナノマシンは、彼女の心境を表すように項垂れていたが。

 

でも、諦めることはしない………そう教えてくれた人のためにも………

 

いつの間にか腹部からの激痛(いたみ)は伝わらなくなっていた。

ヴァニラの脳裏に、自分に向かって微笑(わら)いかける黒髪の青年の姿がよぎる。

 

“必要の無い人間なんて何処にも存在しない。”

“けど、苦しんでいる人達は何処の世の中にも必ずいると思う。”

“だけど、オレは絶対諦めない……”

“その人達を救いたいと思う心は、決して悪いことなんかじゃないんだ―――”

 

自分が倒れた時………自分達が追い詰められ諦めかけたその時………あの人は自分達を奮い立たせてくれた………

あの女性のためだけではなく………そう教えてくれたあの人のためにも………

 

私は、絶対、諦めない―――

どんなことがあっても………決して―――

 

 

それが、例えどのような人であれ、どのようなものであろうと―――

 

 

物理的な攻撃よりも強力な心の刃を繰り出したヴァニラは、銀髪の女性にこれ以上無い衝撃を与えたのかもしれない………

 

 

*

 

 

「………ぁ……は―――」

言葉が喉まで出掛かっていながら、上手く言葉にすることが出来ない口を開閉させ、貌(かお)が痙攣するように震えるシェリーのその姿は、立っているのがやっとの状態に映る。

震えはやがて脚まで伝わり、全身を震わせながらヴァニラを見据える。

 

まるで目の前に居る少女に、畏怖を感じているように顔を歪ませながら―――

 

「……ヴァニラ…さん」

自分に問われた訳でもない。

だが、問われた筈のシェリーだけではなく、少女の傍らに佇んでいたミントも呆然としながらヴァニラを見つめていた。

 

―――あの銀髪の女性にテレパスは使用できなくとも、自らも漠然と思い描いていたことを、傍らに立ち尽くす少女は小さく、だが、はっきりと紡いだ。

ミントは自分の持つ、相手の思考を読み取ることの出来るテレパスという能力を、感謝したことよりも、怨んだことのほうが多かったのかもしれない。

能力をコントロールすることが出来ずにいた時は、否が応にも善意悪意問わず自分の中に入り込み、人間の本心というものに不信感を覚えたこともあった。

しかし、緊急時、こんな時に敵の先手、真意を読み取ることが出来ないのは、何という不便な能力なのか………

 

銀髪の女性は理不尽に仲間を傷つけ、蹂躙していく姿は、余りにも強く畏ろしい。

それなのに、銀髪の女性からはテレパスを使用しても、何も読み取ることは出来ない筈なのに―――

 

 

 

何故………“哀れ”………だと思うのか?

 

何故………“悲しい”………という思いだけは伝わってくるのだろうか?

 

何故………“美しい”………と感じてしまったのだろうか?

 

 

 

 

「すぅ――――――」

静かに息を吸い込み、唾を飲み込む。

決着が付こうとしている。この誰もが傷つき、苦しみに喘ぐ、悲しき出来事に。

それは瞬きをする猶予さえ与えないほど………

もはや躊躇うことなど出来ない。

 

手元にある武器が尽きても、自らの命を賭けてでも―――

 

 

*

 

怯えていた………

空気が、地面が、そして本能が畏れを感じ、振動する―――

「貴女は……本当は、苦しんでいるだけ……」

「―――ぁ―」

ゆっくりと前進してくる姿に、自然と後ずさる

灰色の地面を履いているブーツが、ざりっと音を鳴らす。

身体が寒い。歯と歯がガチガチと音を立ててぶつかる。眼球が重く揺るぎ翳む。

 

近くのエンジンから浮かび上がる、青白い光に照らされた肌をさらに白くさせたライトグリーンの髪の少女は、鋭く慈愛に満ちた瞳で見つめ続けるだけで、決して物理的な攻撃はしない。

「貴女は……本当は、辛いだけ……」

「ゃ―――」

迫り来る何かを振り払おうと必死に首を振るが、消えようとはせず増々強くなっていく。

 

もしこの全身に寒々しい冷気が、息も出来ない速さで往復するようなこの感じが、人間である所の表現に直せば―――

 

少女は無表情のまま、ゆっくりと近づいてくるだけで攻撃をしてこない。

「ただ、貴女は……どうしたらいいのか分からない……それだけなんです……」

「―いや―――」

 

だが、赤い瞳で見据えるその姿が、何よりも得体の知れない畏れを抱かせる………

 

それはまるで相手を思いやりながら、自らも悲しむかのように―――

 

少女から直接醸しだされる雰囲気からではない。

もしその雰囲気に飲み込まれた時、“自分”という存在が途轍もない変化が襲い掛かる………

それが例え自分にとって良いものなのか、それとも悪いものなのか―――

 

間違い無い………これが恐怖………畏怖というもの………

あの少女に怯えている、この感覚が…………

 

“■■”の筈である自分が、あの少女に畏れを抱いている。

“■■”の筈である自分が畏れを感じている。

 

壊れていく。

 

―――“■■”の自分の何かが音を立てて崩れていく壊れていく故障する大破する破損する消滅するこわれるコワレルコワレルきえるキエルキエル!!!!!!!!!!!!!!

 

「私は……貴女を救いたい……だから―――」

 

―――そして宣告された言葉は、全てを救い、そして破壊する表裏一体が融合した力があった

 

「もう……

これ以上……何かを傷つけるのは、止めてください……」

 

「―――ぃやああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 

壊れた………洪水を堰き止めていた堤防が決壊したかのように………何もかもが―――

 

喉が破れるかの如く、頭の中身を飛び散らせるかのような、悲痛の叫び―――

 

その瞬間、巨大なガラスを、けたたましい音を鳴らしながら割れたような感覚が辺りを包み込んだ―――

 

形成されようとしていた穏やかな空気が破壊され―――

 

猛り狂う叫びとともに、全身が躍動した―――

 

 

*

 

 

「はぁはぁはぁ……」

眼が覚めたときは全てが遅かったのかもしれない。

激痛に悲鳴を上げる全身を奮い立たせ、目的の場所まで片足を引き摺らせながら歩き続ける。

覚えている限りあれだけのダメージを受けながら、歩けるほどまで回復しているこの身体に驚愕した。

「痛っ……ぅ!」

だが、それも酷使すれば崩れ去るほどの、僅かな時間………

右脚全体を走る激痛に、思わずその場に右脚を抱え込むようにして蹲る。

その途端、どくんどくんと急激に血流が送り込まれたように、全身が激痛を訴える。

「ぅぅ……げほっ!!」

全身を無数の針が流れまわるような激痛に、顔が歪み視界が滲む。

ぴちゃっと、赤を基調とした服をさらに染めるかのように、露出している部分を口から吐き出た、少量の赤い液体が肌に付着する。

胸の奥が熱い。まるでマグマとなって焼き付くかの如く。

 

それでも―――

「…くっ!」

歯を喰いしばり、キッと顔を上げる。

拍子に、掌ほどの水晶の髪飾りが、片方、かつんと重くも軽くも無い音を立てて地面に落ちる。

長い金髪が頬を掠めるが、気に止めることはしない………する暇など無い。

(行かなきゃ―――)

頭の中で反響しているたった一つの言葉―――

ここで諦めるわけにはいかなかった。

もう一度立ち上がり、右脚を引き摺るようにして歩き出す。

 

決して軽くは無い、瀕死の身体で何故そこまでして歩くのか?

今、彼女の姿を観たばかりの者では分かることの無い疑問。

その答えは自分の中にしかない………否―――

 

“全員”が持っている筈の明確な回答、ただ一つ―――

 

戦闘はどうなったのか、今はぼんやりと思うことしか出来ない。

耳鳴りのするような静粛さが茫洋としている心を安堵させるものの、仄かに香る硝煙と、奥から伝わって来たのかもしれない僅かな揺れが、戦闘の激しさを物語った。

 

照明が機能を取り戻したのか、眼を眩ますほどものとは言えないものの、機関室という無機質にして精密な灰色の空間全体を明るく、そして全体を照らしつけるような光が、網膜を刺激する。

(早く―――)

照明が機能している今では、灯りとして利用することの無い青白い光を発する

エンジンを曲がった時。

 

 

―――そこにある光景に人間としての機能が一瞬停止した

 

そこにある限りない暴乱と、寂愁の跡となった光景に眼を奪われながら―――

 

 

 

ようやくそこに出来た瘡蓋が再び破れたかのように首筋から血を流し、花の髪飾りが外れ、花弁が地面に散乱し、全身に火傷と裂傷、打撲の後が見受けられるうつ伏せになったピンク色の制服と髪の少女………

 

その妙齢とは思えない小さな身体を、ピンク色の髪の少女を庇い立てするかのように覆い被さり、青を基調とした服の背中部分全体が、もはや原型を留めないほど朱に染めた青い髪の少女………

 

まるで何かに激しく引き摺られたかのように、周りにある灰色の地面に赤い線を付けた痕跡を見ることの出来る、仰向けになっている白の制服を着たライトグリーンの長い髪の少女。

普段装着しているヘッドギアが外れ長い髪を疎らに散らばせながら、上半身、特に腹部から流れ出た赤い血が、あの地面のアートを描いたようだった………

 

 

どれほど激しい戦闘が行われていたのか、それらを見渡せば自然に言葉ではなく現実として物語る―――

3人の少女は痛々しくも、安らかな表情で、傷だらけの翼を休めるかのように、その下で目を閉じて眠りについていた―――

 

大丈夫?………という疑問は、まだ生きているという確信が、何となくあったから―――

 

しかし、怒り、同情、憐憫、といった感情はうっすらとしか感じられなかった………

 

何故………という疑問は湧き上がらない―――

 

 

何故ならその疑問が出てこないのは―――

 

 

 

倒れている3人を見下ろすかのようにその場に佇む、そのこちらに背を向けた背の高い姿―――

 

美しい銀色の長い髪を左右に靡かせ、全身を包んでいた紺の制服が、切り裂かれ、あるいは煙を上げるほど焦げつき、生地が切れ端となって破け、白皙の肌が所々露出していた。

 

何をするまでも無く、何を言うまでも無く、立ち尽くすその姿からは表情は窺えない。

崩れかけた尖塔を思い浮かべるスレンダーなシルエットは、どんな心境なのかも確かめる術も無い。ただ、そこに皆と共に居るということだけが現実であった―――

 

「―――!!」

まだ意思は残っているのだろうか、こちらの気配を感じ取ったのか、五感が研ぎ澄まされているかのように、勢いよくこちらに振り返る。

傷一つ無い………いや、左頬にある顔全体を侵食しそうな大きな傷を張り付かせ、獲物を見つけた猛禽類のような視線でこちらを射抜く。

「――ね―」

射抜かれるような視線を投げかけられても、出てくるのは掠れるたった一言。

「ア゛アアアアアアアアア―――!!!!」

人間的ではない、鼓膜を貫く奇声。

銀髪を靡かせ、奇声を上げて迫り来るその姿は、まさしく生命(いのち)を捥ぎ取らん手負いの獣―――

だが、傷一つ負っていないのは何故か………

彼女を見れば、その疑問すら今の自分には答えられる―――

 

バキッ!!

 

「ぁぐっ!」

顔の中心に相手の拳が突き刺さり、苦痛に顔を歪める。

小さく呻き声を上げてしまったが、今の自分に攻撃を避ける術は残っていない。

 

否―――避ける気など無く、甘受するつもりだった―――

 

「ア゛アアアアアアアアアア―――!!!!!!」

 

ゴッ!

 

「っ!」

後ろに崩れた体勢を立て直した瞬間、今度は身体が浮き上がるような直撃が顎を突き上げる。

 

「ア゛アアアアアアアアアアアアアアア―――!!!!!!!!」

 

ズドォ!! ガゴッ! ベキッ!!

 

「っ…っ――」

何とか踏み止まるも連撃は止まることを知らない。

 

命の灯火が消えようとしているのか………

 

妙だった、相手の攻撃が。

変だった、その奇声の質が。

 

軍人らしき彼女の持ち味であった関節技をベースとした攻撃は形を潜め、単調な軌道の打撃は徐々に威力が落ちていく。

奇声も人間が出すとは思えない、壊れかけた精密機械のような軽く高い騒音が

混じっていく。

 

それでも―――

防ぐことも、避けることもせず、ただ頭を垂れ立ち尽くし甘受していた―――

 

「―め――」

降り注ぐ大量の雨のような連撃を一身に受け止めながらも、考えれば思い当たる節はあった……

 

対峙している時の彼女の瞳を思い浮かべれば、一つのことが脳裏に浮かび上がる。

 

哂い、見下し、苦痛、怒り、戸惑い、呆然、驚愕、自嘲、哀憫………

これだけの感情が表情に訴え出ているのに、瞳だけは異なっていた。

 

茫洋としていた感情の読み取れない瞳………

その奥底に虚無や哀愁といった“悲しみ”が揺れながら、自分達を見ていたのは何故なのか―――

 

その答えに気付いたのは、薄れゆく意識の中で視ることの出来た悲痛を訴える哂い声―――

 

哂いと悲痛、相反する表現の奥底に潜む真意―――

 

それに気付きさえしなければ、こんな感情は出てこなかった。

仲間達を傷つけられた怒りを、もう一度ぶつければ良いだけの事だったのに。

 

激情を解き放つことはもはや不可能となっていた―――

 

 

 

「ご――ね―」

もう一度、聞き取りにくい小さな声で呟く―――

 

要領を得ない解決策を施す乗組員に、理不尽な不快感を叩きつけようとした。

心と身体をぶつけ合えなければ訴えることの出来ない敵に、言い知れようも無い怒りを覚えた。

身を犠牲にしてまで受け止めようとする仲間に、八つ当たり気味の憤りを感じた。

 

そして、なによりも―――

ここまで来なければ、気付くことが出来ない自分自身に腹が立った―――

 

 

 

「ごめ―――ね――」

敵が傷一つ無いのは当然だ―――

 

漠然とした考えであったが、女性の胸元に光る白い光を見て確信した。

 

肌の質、声質、感情表現、言動、考察……それら全てが、人間と変わり無かったのならば。

あの胸に光る小さな、しかし少しずつ大きさを増していく、白い光は何なのだろう………

 

もしあれが今にも消えようとしている彼女の、真の生命の光明だとするのならば………

 

“彼女”は『創造』された生命ではない―――

並みの攻撃ではダメージ一つ与えず、傷などつかないほどの………

 

それでもこの気持ちは変わらない―――

 

“彼女”の一つ一つの言動に嘘偽りなど感じられない。

“彼女”の全てはどんな時でも表面として出ていた。

愛するものを想う気持ちがあったのならば、それが人間であろうと無かろうと関係は無い。

 

“想う”―――

それを感じることが出来たのならば、それで良い―――

 

ならば―――

 

もう酷行から解放するのが、“彼女”へのせめてもの餞―――

 

 

「ア゛アア…アアア…アアアア…ア―――!!!!!!」

弱々しい声と動きになりながらも、弱々しい攻撃の手を緩めることは無い。

「――――ごめんね―」

呟きながら、右腕を引き、足を前後に拡げる。

 

もう何も考えられないのだろうか、何も視えないのだろうか、動くだけの“彼女”………

 

拳に力を込め、全身を一瞬固定させる。

 

俯いていた顔を上げると、真っ直ぐとした紫がかった銀髪の長い髪を靡かせ、空ろな瞳、しかし表情は歪んだ、複数の感情が混ざった“彼女”の顔が、目の前にあった………

 

目の奥が熱く、目の前が滲み、身体の底から煮えたぎるような感覚に歯軋りをしてしまう―――

 

今はこんなことしか出来ない自分に悔しさを覚える。

あんな風になってしまった“彼女”に哀れみを感じる。

 

 

 

「ごめんね―――」

これ以上誰も傷つけず、苦しまずに済ませたいのなら。

本当に“彼女”を救いたいのならば………

 

 

 

あの白い光に向けて、思いの丈をぶつけるため………

 

 

 

この一撃を持って“苦行”という呪縛から解放させる―――――――――!!!

 

 

 

「ア゛ア……アア……ア…ア――」

弱々しい声と同時に攻撃の手が止み、こちらの頭を抱え込むようにして掴みかかる。そして、顔を近づけ、噛み付くようにして首筋に口を付けた。

何の意味があってなのかは解らない。ただチクリと首筋に鋭利なものが差し込まれ、進入してくる。

 

 

 

例え頭を固定されていても、やることは決まっている―――

 

硬質なる地面を破壊する勢いで、自らの左足を踏み込む。

びきっ、という音とともに、左足が粉砕したかのような激痛が迸る。

失神しそうな激痛に蓋をし、足を突っ張らせて勢いを加え続ける。

 

 

 

そして銀髪に隠れようとする白い光に向かって。

極限にまで固められた拳に籠められた願い、籠められた想いが突風となって―――

 

 

 

 

 

『ごめんね』

 

 

 

 

 

―――何に対して行った謝罪かは分からなかった

 

 

 

 

 

本心からの謝罪の言葉とともに繰り出された渾身の一撃(おもい)は―――

 

 

 

 

 

バキィッ!!   

 

 

 

 

 

「―――――――」

 

 

 

 

 

もうじき朧げに、蜃気楼になろうとしていた銀髪の女性の姿と―――

 

 

 

ミシミシッ……ピキッ……ビシッ……バリッ―――

 

 

 

ガッシャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!

 

 

 

白い球体の崩壊となって終焉を迎えた―――

 

 

 

 

 

粉砕された白い球体は、白く細かな破片とともに、幾つかの青白い小さなものを、散乱させた。

 

 

 

だがそれに、もはや気遣うものなど居ない。

 

 

 

「ぁ……ぅ…」

そして、今になって解ってしまった。

自分が放った、何に対しての謝罪だったのかを………

 

ほんの一瞬だった………

その姿が変わったのは………

 

 

 

でも、聴こえたのだ、確かに―――

視えたのだ、疑いようも無く―――

あの球体が砕ける寸前―――

低く、囁くように、切なく、物悲しい、微笑みながら、優しげな声で―――

 

 

 

“シェリー………”と―――

 

 

 

今まで、苦痛を与え続けなければ、ならなかったこと………

今まで、悲しませ続けなければ、ならなかったこと………

 

 

 

 

 

そして、お互い分かり合えることが出来なかったことに、謝罪していたのかもしれなかった………

 

 

 

 

 

今、周辺にあるものは、地面に散らばった多種類の道具、破片、武器と。

機関室随所で力尽きた5人の少女達と。

 

 

 

機関室の中心で蹲る、金髪の少女の姿があった―――

 

 

 

「本当に………ごめん、ね……ぅう…ぐすっ…」

 

 

 

悲痛といった嗚咽が、俯きながら膝を付くランファの全身から表れる―――

 

 

淡々と、悔しげに…悲しげに…痛ましげに………

 

 

灰色の地面をぽつぽつと、斑模様に涙雨を降らせながら―――