「今日はね、七夕って言うのよ」
「……タナバタ?」
目を輝かせて部屋にやってきたルシャーティを「今忙しいんだけど」と言いたげな目をした面倒臭いオーラを隠そうともしないヴァインが迎えた。
「ええ、星々の川によって隔たれた恋人が年に一度だけこの日逢える星祭の日なの」
「……星々の、川?」
「天の川って言うの。銀河の星の群れを地上から見上げると星が川みたいに見えるでしょう?」
「ふうん」
「素敵だと思わない」
「そう」
「もう、ヴァインったら。ロマンチックだなとか年に一度しか逢えないなんてかわいそうだなとか思わないの?」
「……そんなこと言われても。年に一度も逢えば十分じゃないかい?」
ヴァル・ファスクにとっての1年などたいしたものではない。それが思わず口に出た。
しかし、恋に恋する乙女にとってそんな理屈は通用しない。ここに蘭花がいたならばヴァインを蹴り飛ばしていただろう。
「恋人同士って言うのはいつでも一緒に居たいものなの」
「いつでも一緒に居たいなら居ればいいじゃないか。年に一度逢えるなら恒星間航法はあるだろう。誰かに咎められでもするっていうのかい?」
「すごいわヴァイン。どうしてわかったの?」
「……適当にコメントしただけなんだけど」
ルシャーティの目の輝きと面倒そうに応対するヴァインの疲れた目の明度の差がますます開いていく。
「昔々、彦星と織姫って言うまじめで働き者の男女が居たの。でも結婚してからは2人の暮らしが楽しくてお仕事をしなくなってしまったんですって」
「……元が働き者だったかは置いといて、タクト・マイヤーズと烏丸ちとせみたいな恋人達だね」
「う〜ん、ちとせさんはタクトさんとおつきあいしてからもまじめだと思うわよ」
「もののたとえだよ。それで?」
タクト・マイヤーズが不真面目だということにはルシャーティも否定しないことをヴァインはあえて言及しないことにした。
「それで神様が怒って2人を遠ざけて逢わせないようにしたんですって」
「……さしずめレスター・クールダラスってところか。まあ、僕でもそうするだろうけどね」
「それで神様は一生懸命働くなら年に一度、7月7日だけは2人が逢うことを許してくれたの」
「……絶対者に労働成果を認められて初めて夫婦が逢うことを許される、か。……奴隷労働みたいだね」
「もう、ヴァインったら。そう言う言い方をされると素敵な昔話が台無しでしょう」
「聞いた限りの事実をわかりやすく整理しただけだよ」
口を尖らすルシャーティにヴァインの記憶の片隅が警報を鳴らす。このサイン、これ以上機嫌を損ねると面倒なことになりそうだ。
「で、その昔の伝承はわかったけど、それを話す為だけに来たわけじゃないだろう?」
こういう時は話を逸らす……と言うかこの場合は本題に持って行かせてしまえばいい。ヴァインのいつものテクニックだ。単純なルシャーティは大概において不満をすぐにコロリと忘れてしまう。
「そうそう。それでヴァインとお星見をしようと思って誘いに来たの」
「えっ……今からかい?」
「ええ。そのお仕事、急いでるの? ねえ30分だけ、それでもだめ?」
「いや、仕事は別にいいけどそれより、それ以前に……」
「じゃあ決まりね。行きましょう」
「いや、ちょっと……」
「いいじゃない少しくらい」
「そうじゃなくて今日は……」
嬉しそうに手を引っ張るルシャーティの手を振り切る容赦のなさは今のヴァインには無い。ずるずると引きずられるようにスカイパレスの庭園に引っ張り出された。
そこは―――――
「……星、見えないわね」
「今日はずっと曇りだよ。知らなかったみたいだね」
「今日は1日『ライブラリ』に篭りきりだったから。そっか、くもりなのね。残念」
「晴れていたら肉眼で見える星なのかい?」
「ええ、ベガとアルタイルよ。ベガが織姫でアルタイルが彦星」
「ああ、あの星か。……確か2つは14.4光年離れていたろう。他星系の重力影響や星間物質なんかの遮蔽物が一切なくて最短クロノ・ドライブをし続けた場合で片道6日、か。ランデブー・ポイントを2恒星間の中点に設けても実際の行程には1週間はみたほうがいいかな」
「そんなことばっかり言うのね。このお話はまだ人類が宇宙に出るどころか自分達が住んでいる星を中心に空の星や恒星が動いてると考えられていたような時代に作られたのよ。星と星の間がそんなに遠いこともわからなかったんだから仕方ないでしょ」
「宇宙の広さも深さも知らない無知故の発想、だね。だからこそ数千年のはるかな今のテクノロジーですら未だ辿り着けない先を内包している」
そこいらの山の頂よりも宇宙に程近いスカイパレス。そのさらに上空を覆うにはやや大きすぎる雲が厚く星の光を隠す。
晴れた夜の星空はそれこそ絶景と言える見事な全周囲プラネタリウムが出来上がるのだが。惜しくも本日の曇天はスカイパレスの光源しか暗闇を照らすものが無かった。
「さて、じゃあそろそろ戻ろうか。環境維持用のフィールドが展開しているとはいえ夜風は身体を冷やすよ。そもそも君は身体が強い方じゃないんだし」
「ね、待って。もう少し。七夕の夜にはお願い事をするのが習わしなの」
「願い事?」
「そう、本当は飾りつけた笹にお願い事を書いた短冊を吊るすんだけど。それを見て織姫と彦星が叶えてくれるのよ」
「……そんな力があるんならなんで自分達が2人で暮らせるように使わないんだい?」
「え……それは、えっと」
「そもそも七夕の日は2人が待ち焦がれた逢瀬の日だろう? 叶えてられるのかい?」
古代人の都合のいい、現世的というべきか厭世的というべきか、どうにも判断に困る。適当な話の持っていき方がつい気になって突っ込んでしまったヴァインはすぐに後悔する羽目に陥った。
「……」
返答に窮したルシャーティが唇を尖らせ、涙目で睨んでいる。しまった。どうやらさっきのつれないコメント分も完全に忘れてたわけじゃないみたいだ。その蓄積もあってルシャーティの機嫌爆弾は一気に爆発寸前だ。
ヴァインは困り果てた。空気を読まない発言をしたのは認めるが、あまり謝る気が起こらない。伝承を聞いて正直な感想を漏らしただけでそんなに機嫌を悪くされてもたまらない。しかし、この少女の泣き顔を見たくはない。
ヴァインの中に葛藤が巻き起こる。自分に非は無いつもりだし、謝ることなく何とか機嫌という名の蜂の巣をこれ以上突かない話の持っていき方は無いものか。それとも、自分を曲げてさっさと謝るか。
その選択は―――。
「いや、その……ごめん。言い過ぎたよ」
あっさりと自分を曲げることを選んだヴァインであった。ヴァインの中に敗北感が広がる。
「ヴァインは昔の伝承に親しんで特別な夜を楽しもうって思えないの?」
「悪かったよ。君を見ていて理解したから」
ついこの間「心」なるものについて理解を及ぼしたばかりなのに古代のロマンや夢などいまいちぱっとこない。ルシャーティがそれらを楽しみたいと言う今の状態だけはヴァインにも理解できるのだが。
「わたしと一緒に星も見えない曇り空の下でお話してたって楽しくないわよね。いいわよ、戻ってお仕事すれば」
「そんなわけないだろう。悪かったって。つい論理や科学ばかりで物事を判断する癖が……」
あ〜あ、拗ねた。ヴァインの経験から言うとめったに無いレベルまで機嫌が悪くなったサインだ。
だいたい初めて聞いた物語にちょっと論理的に納得いかないから疑問を呈してそれの何が悪いのか。子供じゃないんだから不整合なところには疑問が浮かんで然るべきだろう。無粋だと言われればそうかもしれないけれど。
「ヴァインは願い事を叶えたいと思わないの? いいもん、わたし1人で叶えちゃうから」
「叶えたくないわけないだろう。悪かったって謝ってるじゃないか」
叶うわけがないじゃないか。伝承の中の、実体は恒星であるところの夜空の星に祈って叶う願いなら世話はない。ヴァインとしてはさっきの論旨も取り消すつもりは一切ない。
面従腹背、と言うが、頭の中に浮かぶ言葉とはまったく反対のことを述べて謝り続ける器用なヴァインであった。
「じゃあヴァインも一緒にお願い事しましょう」
「ええ、面倒臭い」と反射的に思っても表には出さない。
「うん、わかったよ」
爆発したときの意外な怖さを知っているとか、大人の対応として、これ以上神経を逆なでしてまで己の理屈を通すことに意味は無いとか、それ以上にただ悲しませたくない。ルシャーティにはどうも弱いヴァインであった。
ヴァインの、本人実はしぶしぶだが、同意を得てルシャーティはぱっと笑顔を取り戻した。
「ええ、じゃあ一緒にお祈り」
そういって無邪気にヴァインの腕を抱くようにすがりつくルシャーティにヴァインの鼓動のペースが揺らぐ。わずかだが、頭に血が上ってくる。
「ちょ、ちょっと。何でくっつくのさ」
「少し肌寒くなってきたから。このほうが暖かいでしょう?」
ヴァインは閉口する。確かに暖かい。というか、温かい。感覚のみ残して所有権を奪われた形となった左腕に至っては暑い位、いや、熱い位だ。二の腕辺りが特に。ただ、その心が乱されているヴァインには知覚できない。鼓動が早いのは自分だけではないことを。
「さあ、お願い事しましょう、ヴァイン。んと……」
『ヴァインとずっと一緒に居られますように』
風にかき消されそうな小さな呟きがヴァインの耳に届く。思わずヴァインはすぐ目の前にあるルシャーティの顔を見る。目を閉じて祈るその頬はひどく赤い。恐らく自分の顔も似たような色になっていることを思い、なんだかヴァインは悔しくなった。
「ほら、ヴァインのお願いは?」
赤面した少女が抱えた左腕を揺らすように催促する。ヴァインは思った。なんだか、同じ願いをするように強要されているような気がする。自分の目を覗き込むルシャーティの瞳がそんな目に見えるのは気のせいだろうか。自意識過剰なだけだろうか。
ヴァイン自身としても、そう願うのも悪くはないような気がしてきた。さっき読めなかったからこそここは空気を読んだ願い事をするべきだろうか。
しかし、やはりヴァインは同じ願いをしようとは思わない。罪深い自分にとって唯一無二の少女がこんなことを言ってくれる。それだけでもうヴァインには十分なのである。欲深い願いをしようとは思わない。ついでに言うなら、そんな願いをそれこそ星なんかに頼りたくはないと思う。それでもまだ星に願うことがあるとすれば。
「……。うん、願ったよ。思い描くだけでいいんだろう?」
「声に出さないの? ヴァインのお願い事、聞いてみたいわ」
「口に出すようなことじゃないよ。それに、君の願いとそんなに違うわけじゃないしね」
「本当かしら。すぐにヴァインははぐらかすんだもん」
「さぁ、どうだろうね」
「もう、ヴァインったら」
本当だ。ルシャーティが自分と共に居たいと願ってくれるのなら。ヴァインが再び願う必要などない。ヴァインにはそれ以上のことは望むべくもない。ならばヴァインがこれ以上あえて願うのは、その上で叶っても叶わなくてもどっちだって構わないような些細なことだ。
『ルシャーティがもうほんの少しでいいから大人になりますように』
つまりは、この程度で十分なのである。
上空で広い宇宙と繋がっているこの曇り空の下。織姫や彦星のように「星」の違いに苦しんだ2人が、七夕の夜に寄り添う。
「やっぱり、曇り空なのは残念だったわね」
「仕方ないさ、天気ばかりは。まさか『星が見たいから』なんて理由で気象を操作するわけにはいかないよ。いろいろ迷惑がかかるだろう」
「ええ、わかってるわ。でもやっぱり織姫や彦星を見ながらお祈りしたかったなあって」
ドシュンッ!!!
その時、轟音と共に大気を裂いて現れたのは白銀に輝く光の鳥だった。
「あれはっ! 紋章機……GA−001!?」
「ラッキースター……ミルフィーさん?」
高角度・高速度での大気圏突入、急激な制動を掛けてスカイパレスの宇宙港に着艦していく様は間違いなく紋章機1番機。ラッキースターであった。
「ど、どうしてミルフィーさんがジュノーに? わたし、何も聞いてないわ」
「さぁ、そんなことより馬鹿みたいな暴走特急だな。防御シールドがなけりゃスカイパレスすべて吹っ飛ばされるところだ。何を慌ててるのやら。……ルシャーティ。久しぶりだろう、会ってきたらどうだい?」
「ええ……。……! ううん、やっぱり待って。」
「どうしたの、急に?」
「もうちょっとここにいましょう。だって、ほら!」
ルシャーティは天に届くような勢いで人差し指を天頂に向けて伸ばす。自らも空を見上げ、そのまま宙空に溶け込むような自然な動きで残った左腕もめいっぱい身体の横に広げた。
「……!!」
ヴァインは目を奪われていた。上空の景色と、目の前の少女との両方に。
そこには、満天の星空と満面の笑顔があった。
簡単なことだ。紋章機の高速での大気圏突入。その大気を裂く衝撃波と摩擦熱による熱波は覆っていた雲など瞬時にして吹き飛ばし、蒸発させて消し去るに余りある。空の天幕には、ぽっかりと見事に開いた、天頂から地平線近くまで広がる巨大な穴ができていた。
ルシャーティはこの曇り空が晴れてくれることを望んでいた。ミルフィーユは恐らくその強運が原因で急遽ジュノーへ来ることになった。何があればあれだけ急ぐのかは分からないがその猛スピードでの着艦作業が雲を割った。ミルフィーユ自身はまったく与り知らぬことであろうとも、結果ルシャーティの願いは叶ったことになる。星に願ったものとは少し違うが。
ここまで考えてヴァインは我に返った。馬鹿げてる。こんなこと、あってたまるか。七夕に願いが叶えられるなんて、非科学的にも程がある。あまりにもめちゃくちゃなタイミングでの偶然が重なった為に驚いただけだ。それをやるのがミルフィーユ・桜葉の強運。けれど。
「ほら、ベガとアルタイルよヴァイン。天の川も。本当に綺麗……」
「……七夕に馬鹿みたいな暴走をした紋章機が叶えた願い、か。悪くないかもね」
「ヴァイン?」
「なんでもないよ。うん、綺麗だね」
知らず、2人は身を寄せていた。星明りがスカイパレスの壁面に影を映す。重なって離れないひとつの影。
「あ、ねえ見てヴァイン。流れ星!」
あっさりと影は2つに分かれた。一方の影は元の大きな影から離れて子供のようにはしゃぎ回り、残ったもう一方はそれを見守る様にそこから動かず、肩をすくめるのみ。
ヴァインは流れ星を目で追わない。そもそもルシャーティが「見て」と言った時には既に消えていた。探しもしない。
「そんなに珍しいものでもないだろう、隕石なんて」
「流れ星もお願い事をすると叶うって言われてるの。ね、お願いしましょう」
「……は? 一瞬後には燃え尽きる、ごく小さい、星の重力に捕まって落ちてきた岩石・金属片やそれこそ宇宙ゴミが…?」
思わず口をついて出た台詞が先程の二の舞であることはヴァインもわかっていた。しまった、またやってしまった。
「あ、いやその……」
「もう、ヴァインったら。そんなこと言うなら知らないわ。どうか、ヴァインに流れ星が命中しますように」
覗き込んだルシャーティの顔には怒りの表情はなかった。楽しそうに笑っている。そのまま「巻き込まれないように」などとヴァインの元から歩み去ろうとするルシャーティ。それを追うヴァインも、我知らず微笑んだ。
「ちょっと待ってよ。ごめんって」
「ふふ、大丈夫。流れ星が消えるまでに3回願い事を繰り返し言わないといけないの」
「それ、『叶わない』って言ってる様なものじゃないかい?」
「そんなことないわ、条件が難しいだけよ。あ、また!」
2人の目の前にひときわ大きく、長く輝く流れ星が弧を描く。その時、ヴァインは自分で言うところのたかだか「重力に捕まって燃え尽きるだけの宇宙ゴミ」に必死になって、叶わなくても一向に構わない願い事を猛烈な早口で繰り返すのだった。
『ルシャーティが大人になりますように』
「よし、言えたよ」
「え、本当? 早口すぎてよくわからなかったわ。何をお願いしたの?」
「さぁ、なんだろうね。ほらもう戻るよ。こんなことで風邪を引かれちゃたまらない」
「ねえ、何? わたしの名前を言ってたのはわかったんだけど……」
「ほらほら、早く」
星に願いを。なんて馬鹿馬鹿しい、意味の無い無駄な習わし。
「それも、たまには悪くないか」
ぽつりと呟くヴァインの顔はとても優しく微笑み、星明りは笑顔のみならずその心までも照らしていた――――――