…別になんてことはない。きっかけがあるとすれば朝に交わした会話がそれだったのだろうな。

 

「補佐官、なんだかお疲れじゃないですか? 今日はお休みになられたほうが……」

「なにを言う。確かに『あの』長官殿のおかげで仕事量は尋常じゃないが言うほど疲れちゃいないぞ。それによしんば疲れていたとして、今日オレが休んだら明日のUPWはどうなる」

発足仕立てでまだまだ重要な手続きや各地の要人との会談が連日目白押しだ。そんな場で「書類手続きが間に合いませんでした」などという事態を引き起こすわけにはいかない。

「それはそうですけど、やっぱり心配ですよ……」

「アルモ。オレのことを心配してくれるんならまずタクトに苦情を言ってくれ。あんな奴でも真面目に仕事をしてくれればオレの負担もぐっと軽くなる」

 

…別に一歩踏み出そうとか大それた事を考えたわけじゃ、ない。きっかけは朝、補佐官との会話の後に長官とばったり遭遇したときだったかなあ。

 

「なあアルモ、レスターのやつなんだか今日イラついてるみたいなんだけど」

「長官が仕事を押し付けるからに決まってるじゃありませんか。いくら補佐官だって疲れてるんですよ。心配されるんでしたらちゃんとお仕事してください」

「おいおい、何言ってるんだ。それじゃ何の為にアルモを専属秘書に就けたと思ってるんだよ」

「え?」

「お疲れのレスターの精神的なケアやサポートの為だよ、そう言うのをアルモが癒してあげなきゃ。好きなんでしょ?」

「ええっ、でも、あの!?」

「オレなりの応援だと思ってくれていいからさ。じゃ、そろそろオレはミルフィーに逢いにマスターコアへ行く時間だから」

「ちょ、長官! …行っちゃった」

まあ、応援はありがたいのだけど。どちらかといえば長官がさっと仕事を片付けてくれてプライベートで補佐官と2人になれるよう画策してくれたほうがいいのに……

 

 

 

UPW、すなわち平行世界連合の活動は多岐に渡る。一言「いくつもの平行世界が対等に独自の文明を築き発展していくための均衡調整、復興、及び発展支援」と説明こそ容易いが、それこそ「なんでも」やらねばならないのが現状だ。

レスターがこなさねばならない事務処理は一軍艦の副艦長だった頃の何倍もある。と言うのに。

代表は研究に没頭、長官は「いつも通り」妻と遊び呆ける毎日。前者はともかく後者は致命的だ。

如何に優秀で気心も知れている秘書がついたと言っても負担は重くのしかかる。

‥疲れてないと言えば、嘘になる。体調が優れないというのも否定はできない。

UPW長官室付き1級補佐官レスター・クールダラスは今日も徹夜仕事の予定だった――。

しかし、

 

「体調を見透かされるくらい疲れが表に出ていたとはな……」

セントラルグロウブ標準時間で20:30。レスターは仕事を中断し自室のソファーで一息ついていた。普段通りの調子であれば彼は休憩など基本必要としない。だが今日はどうにも身体が重い。朝のアルモとの会話を思い出した。

「まあ、アルモとももう長い付き合いになるからな」

けれど、出会いがしらに体調を心配されたことなどレスターには経験がなかった。2人だけ、親友と恩師、類稀な観察眼と洞察力を持つ知将達を除けば。

まったく、優秀な秘書をつけてくれたものだタクトも。やはり普段はどうあれ英雄、人を見る目は確かということか。

 

――それにしても、疲れた。

 

目を閉じて、大きく長く息を吐きながら体重の掛かるままに深くソファーに身を埋める。次に息を吸った時、既にレスターに意識はなかった。

机の上に、書きかけの書類を残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心地好かった。

 

そう。身も、心も。

 

柔らかく包み込まれ、暖かい。いや、温かい。

 

経験したことの無い様な感覚で、それでいて懐かしい。

わずかだけ残っていたレスターの意識は、さらに深く眠りに落ちていく。

 

ゆっくりと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

レスターの目覚めは穏やかだった。

実に清々しい気分で、疲れも綺麗に吹き飛んだかのようだ。まだよく開かない目で周囲の確認をする。自分の部屋、ソファーの上。

「そうか、いつの間にか横になってしまっていたのか……」

「疲れは取れましたか? クールダラス補佐官」

「ん、ああ。随分すっきりしたが……?」

頭上から掛けられた声に返事をしてからようやく、まだはっきりしないレスターが違和感を覚える。なぜ自分の部屋に彼女が…?

「アルモか? どうし‥ぐっ!」

「きゃっ!?」

思わず起き上がろうとして、額が何かと衝突する。勢い良く身体を起こしたのと同じ速さで再び後頭部をソファーに沈めることとなった。

いや、正確にはそこにソファーはない。そこには…

「いたた……補佐官、急に起き上がられると危ないじゃないですか」

「す、すまん……しかしなんでアルモが俺の部屋にいて膝枕をしているんだ」

「いや、あの、それは……その、長官が……」

真っ赤になりながらぶつぶつと呟くアルモの弁明はズキズキと痛む頭のせいで聞き取ることは困難だった。レスターは額に手を当てて、そして。

 

自分の左眼が眼帯に覆われてないことを知った。

 

「なっ!?」

レスターは慌てて、しかし今度はぶつからないように、凄い速さで起き上がってテーブルの上にあった眼帯を見つけて当てた。

「す、すいません補佐官。なんだかごつごつしてて、それに寝心地も悪そうだったので勝手に外しちゃいました」

「あ〜、いやその、なんだ。…見苦しいものを見せたな」

「いえその、初めてじゃありませんし」

「ああ、そういえばそうだったな」

「……」

「……」

なんともいえない沈黙が2人の間に流れる。

レスターにとっては特に苦手なものである。何を話していいかさっぱり分からない。というかそもそもまだいまいち現状の理解すらできていないのだ。

しかし、少なからず困惑するレスターの頭に小さな警報が鳴り出していた。そのおかげで、今持っている疑問を全て棚上げしてレスターは使命に気づいた。

 

「ところでアルモ、今……何時だ?」

「えっと、だいたい午前0時10分くらいですけど…」

「なに!? アルモはいつからここに居たんだ」

「えっと、私が書類を持ってきた時が21時過ぎくらいだったんですが…」

4時間睡眠。しかも3時間近くも枕としてその身を提供してくれていたことになる。疲れも取れるわけだ。レスターの中で、もう1人の自分が蔑むような目で「馬鹿が!」と罵る声が聞こえたような気がした。

彼の仕事はまだ残っている。それも、結構な量が。

もともと徹夜のつもりだったというのに、4時間ものロス。起きたばかりだというのに、寝汗とは違う感じのひやりとした感覚が背中をくすぐった。

「あ〜……アルモ、3時間も時間を使わせておいて悪いんだが……一晩、付き合ってくれないか?」

「ふぇ!? あのそれは、心の準備……あ、いえ。お仕事の話、ですよね」

「勿論そうだが……やはり駄目、か?」

レスターは仕事に厳しく真面目な性質だが、部下に残業を頼むのは普段から良しとしていない。しかも、こんな深夜に。しかしこればっかりは藁にでもすがらないと仕事が終わらない。

タクトが深夜に仕事の手伝いを頼む気持ちが、レスターにも今はじめて、ほんの少しだけわかった。

「だ、駄目なんかじゃありません。全然大丈夫です!」

全力で何度も頷くアルモが赤面している事だけは首をひねったが、今のレスターにはそれを追及している余裕は無かった。

「よし、全速力で片付けるぞ」

「はい。でもコレ……朝までに終わりますかねえ?」

「考えはある。アルモ、通信を頼めるか?」

「通信‥こんな深夜にですか?」

 

 

 

「なあレスター、本当〜に何にもなかったの?」

「しつこいぞ、口はいいから手を動かせ。誰のせいで仕事がこんなに溜まってると思ってるんだ」

「いやまあ、それに関しては悪いと思ってるけどさ。あのレスターが深夜に仕事を手伝ってくれ、なんてさ。しかも自室の通信機からアルモに通信掛けさせて。これで勘繰るなって方が無理じゃない?」

「も、もう! いいからマイヤーズ長官もお仕事してくださいよ!」

「オレとしては2人が仲いいのは大歓迎なんだしさ。隠すことないだろ〜?」

「隠すようなことなど何もない!」

レスターが高速で目と手を動かしながらぶっきらぼうにタクトに返す。「何もない」のは確かにその通りだが、アルモとしてはそれはそれで寂しいものだった。

 

「クールダラス補佐官、こちらの書類は片付きました。次をお願いします」

とことんレスターに食いつくタクトの間を割るようにちとせが顔を出して報告をした。

「おお、すまんなちとせ。お前がちょうど本部にいてくれて本当に助かった。遅くに悪かったな」

「構いませんよ。大変な時に助け合うのは当然です。…さすがにアルモさんから通信を頂いたときは耳を疑いましたけれど」

「本当にすまん。明日からまた未開宇宙の探索任務だというのにな。埋め合わせはきっとタクトにさせる」

「え、オレなの?」

「元はといえば誰のせいだと思ってるんだ」

「レスターが仕事ほったらかしてアルモといちゃいちゃしてたからじゃないのか?」

「だから違う!! お前が仕事をせずに溜め込んでるからだろうが!」

「でも深夜になってから人の事呼び出すって事はそうなんだろう?」

「それは単純にオレが寝過ごしただけだ!」

 

「え、アルモさんとお2人で、ですか?」

 

……失言だった。とレスターが気づいたのはちとせによる悪意のない純粋で天然な心から来る疑問をぶつけられた後になってだった。アルモの頬に朱が差し、タクトの顔がひどくいやらしくにやりと笑う。

「なるほどねえ、いやおめでとうレスター」

「違うと言ってる!!」

「じゃあ何があったのか包み隠さず正直に」

膝枕のことを言えばタクトには逆効果だということはレスターにはわかっていた。だがいったいどんな説明をすればタクト・マイヤーズという稀代の英雄を納得させることが出来るのか。

「あの、私なにか変なことを言いましたか?」

未だ理解していないちとせの横でレスターは頭を抱えた。こういった時の弁明スキルはレスターの持ち得る分野ではない。

レスターが万事休すを悟ったその時だった。

 

「お待たせしました〜♪」

 

救世主のように、敗色濃厚な流れを断ち切って入ってきたのはいい香りのするワゴン。もとい、このセントラルグロウブにおける最重要人物だった。

無論、レスターにとってその登場は意外にも程があった。

「みなさんお夜食ができましたよ〜」

「ミルフィーユ!? なんでお前が?」

「タクトさんや皆さんがお仕事だって言うからですよ。ありあわせの材料ですけど」

「そう言う問題じゃなくてだな…」

「おいおいレスター。オレとミルフィーは夫婦なんだぞ? オレを通信で起こしたらミルフィーだって起きるに決まってるじゃないか」

「それはそうだが……明日もゲートキーパーの仕事で缶詰だろうに」

「1日くらい大丈夫ですよ。お仕事なんてスイッチ押して寝てればいいんですから」

「いや、寝てていいわけはないだろ……」

「ミルフィーはいいなあ。オレも明日は長官の仕事なんてサボって寝てたいよ」

「お前はいつでもそうだろうが」

似た者夫婦の仕事に対する姿勢は今に始まったことではないがやはり頭が痛くなる。

「ミルフィー先輩ありがとうございます。頂きますね」

「うん、いっぱい食べてねちとせ」

なにやら朝までに大量の仕事を片付けるという雰囲気ではなくなって、にわかに賑やかになってきた。質問攻めを回避できたことはありがたいが、なにやら複雑な心境だ。

「こうしてるとまるでエルシオールにいた頃に戻ったみたいだなあ」

「ほんとですね。久しぶりで楽しいです」

「年とともに分不相応な地位と役職だけ重くなったよなあオレたち。大変な仕事ばっかり押し付けられて。あの頃に戻りたいよ」

「今だって仕事を人に押し付けて遊んでるじゃねえか。ったく、懐かしむのもいいがそろそろ仕事を再開してくれ」

「はいはい、それじゃ迷惑掛けてる親友のためにたまには本気でやるかな」

「…オレのためを思うなら日ごろからそうしてくれないか?」

「たまにやるからありがたいんじゃないか」

思わず漏れる重い溜息。幸せが逃げていく、といわれるのも無理もない暗澹とした溜息だ。

「……今更お前に勤勉さを望んだオレが間違ってたよ」

「はいはい、じゃあレスター。オレは何をしたらいいの?」

「まずはルクシオールと乗員のUPW転籍関係の書類だ。お前がやったのは新艦長就任のごり押し承認だけだろう」

上層部を口八丁で反論できなくさせ、丸め込み、無茶な案件を通す。それだけは確かにタクトにしかできない。

ただそれ以外にも多くの仕事があるのも事実だ。細々とした事務処理が。

「めんどくさいよレスター」

「これでも一番お前が取り組みやすいルクシオールの仕事を回してやってるんだ。これ以上文句を言うな」

「は〜い」

仕方なく、といった表情でようやくデスクに向かうタクト。

待ってましたといわんばかりのタイミングでコーヒーと夜食をタクトのデスクに置くミルフィーユ。

急遽助っ人で呼んだだけのはずがどんどん書類を捌き処理していくちとせ。

 

「たしかに、あの頃に戻ったみたいだな」

ぽつりとレスターは呟く。どたばたで、大変で。頭痛はするものの楽しいことは否定できない。

今ここにいないエンジェル隊の連中やクルーのことが懐かしい。

だが感傷的になっていてはきりがない。自分も仕事をしなければ。

積みあがった雑多な書類の整理をてきぱきと行うアルモの側に歩み寄り、囁く。

「今日はありがとう。また、よかったら……助けてくれ」

それはレスターの精一杯の感謝。疲れが取れたことへの、いつも遅くまで自分のことを支えてくれることへの感謝。

思えばアルモにはずっと助けられている。エルシオールからタクトが、エンジェル隊が、親友のココまでが降りた時もずっと今のように支えてくれた。

本来なら「白き月」で今も技術者として研究に努めていただろうに、エルシオールからすら離れ、単なる事務職である自分の秘書などという立場にいてくれる。

出会ってからもう5年。側に居て当たり前の存在になってしまっている。もっと日頃から感謝しなければならないようだ。

言葉の足りない感謝でも、その深い想いは伝わったのだろうか。レスターがいつも見ている桜色の頬がさらに薔薇のように紅潮し、唇は微笑を形作った。

「はい…!」

それ以上言葉を交わす必要もなく、2人は穏やかな笑顔で仕事に戻る。

言葉少なくともわかりあう、わかりあっているという信頼。

そして、この優秀な2人にこの信頼関係があるからこそ今のUPWは回っている。

――つまり、「自分が楽できる」と言うことをUPWの長官殿は理解していた。

 

そう、まさしくそのタクトが仕事をしつつも横目で2人の囁き合いを盗み見ていた。

その微笑ましさと仲睦ましげな様子に満足そうに、そして少しだけ、意地の悪いからかいを思いついたかのように頬を緩ませて。

遠くを見るような目で何やら思案を巡らせながら濃い目のコーヒーを口に含むのだった。

まだまだ夜は長い。朝までにまたひと悶着ありそうな。

 

これは、UPW発足からまだ間もない頃のある日のお話。