―――ここではない、どこか遠くの宇宙。銀河を救った英雄がいた。
死に瀕した銀河を、英雄は天使と共に愛の翼で守り抜いたという。
「絶対に嫌だ」
英雄は心優しかった。
常に何よりも仲間を大切に思い、その権威を振りかざさず、誰かの権威に屈することもなかった。
「あんたが嫌がったってこんなの意味無いわよ」
その懐の広さには誰もが笑顔を見せた。英雄は、仲間達の誰からも慕われた。
「誰がなんと言おうとオレは絶対にお断りだ!」
英雄と愛を交わした天使もまたその1人だった。
「十分譲歩してるじゃない! これ以上いったい何が不満だって言うの!
必ずゲートキーパーを探し出すって自分で言ったの忘れたの?」
愛は銀河を救い、そしていくつもの銀河を繋いだ。
「忘れてないさ。それでもこれは認められない」
今、英雄は神殿に繋がれた最愛の天使を解放する為、新たなる翼で再び無限の宇宙へと――――
「オレは絶対にこんなつまらない艦には乗りたくないっ!!!」
飛び立つ……?
新造戦艦計画
事の始まりは1年前。トランスバール暦414年に遡る。
ABSOLUTEの研究が本格化すると時を同じくして『トランスバール皇国』と『EDEN』並びに親人類政権発足により占領統治下から独立を回復させた『ヴァル・ファスク』は今後想定される他世界外交を前提とした汎星系国家連合『EDEN』を樹立。
連合政府の元に「EDEN軍」が創設された。
EDEN軍は探査、交流、支援。そして交戦等の状況を想定した他世界調査隊を編成。
白羽の矢が立ったのは既に一国の戦力としては内外から恐れられ始めていたタクト・マイヤーズ並びにムーンエンジェル隊。
これにより、タクトとエンジェル隊はトランスバール皇国軍からEDEN軍へと転籍。
母艦エルシオールも同時にEDEN軍に貸与されたが、「白き月」の儀礼艦の長期貸与では問題も多く、代わって紋章機を運用できる母艦を新たに建造する新造戦艦計画が発動された。
最新鋭艦を建造するに当たり、『EDEN』と共に解放された「ライブラリ」のテクノロジーを結集。
新造戦艦計画委員長に「黒き月」の管理者であったノアを抜擢。テクノロジーアドバイザーのルシャーティと共に構想が練られていった。
そのコンセプトはエルシオールの欠点を補い、単艦でもこれまでの戦艦とは一線を画す火力・速力・防御力を備えた「高速戦闘母艦」とでも呼ぶべき艦を目指し、ノアによって実際の設計図案が引かれていった。
その間も、世界はこれまでの常識を覆す激動を続けていた。
エルシオール、ABSOLUTEへのシフト成功。人間のいなくなった宇宙で、ただひとつの天体セントラルグロウブとそこで眠る1人の老人を発見。
セントラルグロウブのマスターコアによってミルフィーユ・桜葉が自在にすべてのゲートを開閉可能になる。
それに伴いミルフィ−ユ・桜葉はエンジェル隊を除隊。大尉から少佐へ昇進し、現状ただ1人のゲートキーパーとしてマスターコアに常駐。
ゲートによりいくつもの他世界へシフト。50以上の宇宙の滅亡を確認。
「魔法」技術によって一定の文明が保たれていた世界「NEUE」の発見。NEUE主星セルダールとの国交開始。
間も無くEDENはNEUEの復興支援計画を発動し、タクト・マイヤーズとエンジェル隊により更なるNEUEの調査が始まった。
様々な世界の遺跡調査結果やNEUEとの交流でもたらされた魔法技術をフィードバックしつつノアの新造戦艦設計図案は着工直前の段階までこぎつけた。
――そこで実際に艦長となるタクトに設計図案を見せたと言うわけなのだが。
「何でオレに設計図を? オレは設計のことなんてわかんないよ」
「あんた自分の乗る艦くらい自分で知っておきなさいよ」
タクトのデスクに勢いよく図案を叩きつける。相当な厚さになった紙の束はデスク上でいい音を鳴らし、タクトの読む気をぐっと下げた。
後にノアは言う。あの時図案を見せていなかったら、と。
「どう? 従来の皇国軍戦艦を超える大火力と装甲。駆逐艦並みの速度と巡洋艦並みの航続性能。単艦性能はEDENにおける究極の軍艦と言って差し支え無いくらいよ」
「……この、何と言うか『箸で摘まんだ卵』みたいな形のやつが?」
「外見にケチつけるのはよしなさい。航宙力学や防御性能、様々な観点から結果的に導き出されたフォルムなんだから」
「いや、ただの卵形ならわかるんだけどこの箸みたいなのは? どう考えても美観と性能いっぺんに崩してる感じの」
正確には「ゆで卵の両脇、縦軸平行に箸を刺した形」とでも言おうか。ノアのことなのだから大砲なのだろう事はわかるがこの大きさは半端なものではない。まるで、
「それがこの艦の目玉、クロノブレイクキャノンよ」
「そう、まるで……ってやっぱりクロノブレイクキャノン!?」
「まだ青写真だけどね。連装のクロノブレイクキャノンを設計中なの。理論上はあのクロノ・クェイク爆弾でさえ宇宙のチリに変えられるわ」
相変わらずの最恐ぶりを見せ付けられたタクトは背筋が一瞬震えた。
「そんな危ないもの取り付けたら威力外交もいいとこだよ。これ取っちゃって、ノア」
「あんたねえ、NEUEが文明的にEDENより下だからって何が起こるかわからないのよ。魔法技術は意外と侮れないし。それにまだEDENよりも高度な文明宇宙が残っててそれが攻めてきたらどうすんの? 力は備えておくべきよ」
「それはそうだけど、それよりもまずはNEUEとの友好を考えるべきだろう?」
「そもそもそれが迂遠な方法だって言うのよ。EDEN側がNEUEを統治してEDEN文明を卸した方がよっぽど効率的よ」
「シヴァ陛下をはじめEDEN連合政府が決めたことさ。オレはこれでよかったと思ってる」
「人がいいにも程があるわ。効率を考えなさいよ」
「せめてこの砲塔、普段は取り外しておくとかできないのか?」
「それじゃ強度やチャージなんかで不安が出るわ。急に使いたいときに取り付けができないんじゃ話にならないの」
エルシオールの時の欠点を改善したいんだから当然じゃない、とノアが付け足す。
しかしこんな危なさそうな艦を認めたら大変なことになる。
「とにかくこれは連合政府の会議も通してからにすること。艦内の方を見せてよ」
不機嫌そうな顔のノアを見るのはタクトといえど胃が痛くなる思いだったがここは退くわけにはいかない。幸いにしてノアはこれ以上反論することなく艦内概観図案を出してくれた。ただし、「そりゃまあまだまだ実現させる為の課題は多いけど」などとぶつぶつ言ってはいたが。
「……えっと、確かエルシオールの改善がコンセプトだったんだよね。内装はどんな感じに――って!?」
エルシオールとは似ても似つかない船内図に驚くタクトを尻目に、ノアはかつてないほど満足げな表情をした。
「これ以上無いってくらい最強の艦よ。長期航行に備えてそれなりに設備は充実させてあるけど装甲・動力部・弾薬庫に関してはエルシオールの比じゃないくらい力を入れてあるわ。耐久力・出力・弾幕維持では正直どこのどんな艦だろうと負ける気はしないわ」
「いや……え〜と、ノアさん?」
「目玉はやっぱりこの新設計のクロノ・ストリング・エンジンね。効率を最適化してこれまでの78.2%まで省スペース化できるものを3基併設。平時では並行稼動させて出力安定、負担軽減、燃費向上を謳いつつもひとたび直列稼動させればその出力は戦闘機並みの機動力を発揮できるわ」
なんかすごい笑顔で語るノア。現在の立場になんのかんの文句をつけながらも楽しくやっているのだろう。
だがしかし―――。
「長期航行用の設備って……どのへんが?」
タクトの言葉で、自分でも珍しく調子に乗って喋っていたことに気づいて罰が悪くなったのか、ノアはわずかだけ頬を染めて咳払いをした。
「なによ、ちゃんとついてるじゃない。乗組員一人ひとりに個室が」
「個室……しかもこの狭さで……だけ?」
「あとトレーニングルームにシャワー完備。身体を動かして、ゆっくり休む。これ以上何が欲しいの?」
こともなげに言ってのけるノア。タクトの頭の中には瞬時にエルシオールの楽しかった日々が思い出される。
「……園は?」
武装に関してはタクトも軍人だ、有事に備えた強化がある程度必要なことは知っている。だが軍備最優先で人が隅に追いやられるその思想を昔からタクトは嫌っていた。
「はい?」
「展望公園は? クジラルームは? ティーラウンジも、宇宙コンビニも、みんなで集まれるホールも、食堂すらないじゃないか!」
「はあ? 軍艦に必要ないでしょそんなもの。栄養補給用のアンプルは自室に用意してあるわよ」
「そんなんじゃ乗組員の心は満たされないよ!」
あまりにもひどい。これでは乗組員全員がノアのような精神力を有していない限り長期任務中の内部崩壊・反乱は必至だ。
「あーはいはい。アンタならそう言うと思ってちゃんと全員分用意してあるわよ」
「何を?」
「アタシの脳研究における最新技術の結晶、ヴァーチャルで余暇を楽しめるシステムよ」
「……は?」
ノアの長い仕組みや効果の説明を大まかに解説するとこうである。
乗員全員がそれぞれの個室から端末を用いて、脳をひとつのコンピューターが管理する電脳空間にアクセスさせる。
その電脳空間内で他の乗組員と余暇を過ごすことが可能なのだ。食べ物を食べ、飲み物を飲み、山に、海にと何処へでも行け、何でも出来る。
脳に繋がっている為に五感はことごとく実際にそれを体験しているのと同様に働き、乗組員とのコミュニケーションも取れる。
当然エンジェル隊とのコミュニケーションも通常通りに取れ、船内だけという閉塞感からも解放されて仲良くなれる。
ノアに言わせれば「夢のマシン」という訳だ。
彼女は先の大戦の事後処理を終えた後、これまで自ら「不用」と切り捨ててきた人体、特に脳科学を主に研究していた。
省スペースで人間の心の充足を得、能力を引き出すことが可能になるこの発明にはノアも大満足なようだ。
「実際の体の栄養補給はアンプルだけどこれを使えば望みの食べ物の味・香り・見た目・触感・音すべて堪能できるし、あらゆるレクリエーションが楽しめるわ。アンタには特別にABSOLUTEのミルフィーユとも接続できるようにしてあげる。体は離れてても精神が逢えるわ、毎日でもね」
ノアの提案は魅力的だ。いくら居住性に富んだエルシオールでもできないことはたくさんあった。五感とみんなの意識が伴ったモノならばそれは電脳空間であっても現実世界ともはや遜色ない。
それに何より、タクトにとっては一番大事なことだが、愛するミルフィーユに逢える。触れられる。声が聞ける。きっと彼女の手料理を食べることも可能だろう。抱きしめることも、キスをすることも、肌を合わす事だって――。
――けれど。
「ノア、やっぱりそう言う発明は度を越しちゃいけないよ。オレは科学の倫理ってのはわかんないけど、そう思う」
「はあ? せっかくこのアタシが人の心を豊かにする発明を考えたってのに倫理なんてもので枷をつけて欲しくないわね」
「うん、でもやっぱりそれは偽物の幸福だよ。限られた空間で、人工の自然でも。実際の体験の方がオレはいい」
「五感も他者との交流も脳に直接実感として体験されるのよ。現実との差異なんて無いも同然じゃない」
「う〜ん、それでも、なんか違うとオレは思う」
「馬鹿ね、現実でどんな体験をしたって実際には五感で認識できてる情報は数%、ほとんどは脳が補完した脳内情報なの。その脳に直接感覚を伝えれば本物以上に本物の感覚が味わえるわ。世界の事象は『思い込み』でできてるのよ。それを真贋決めて偽物はよくないって決め付けて区別して排斥するなんて感傷もいいところよ。タクトの言いたいこと、理解はするわ、感情的にはそうなるわね。でもこれは脳という人間の精神に関する最も重要な器官に最高の環境を与えることが出来るわ。例え偽物であろうと、ね」
「ノアの言うこともわかるけど、だからこそだよ。本物でも偽物でも気に入るものは気に入るし、そうじゃなきゃ拒否する。現にオレはその機械に拒絶反応を覚えた、この心でね。それさえも思い込みなんだろうけど、人間の心はその思い込みが大切だと思うんだ」
タクトの言葉はまっすぐで、我知らずとも本質を突いている。どんなにいい物を作ってもそこに思考が至ればどうしようもない。どれだけ環境が良くても『それ』自体が気に入られなければ何にもならない。
贋作作りは元々が何らかの要求に従い生まれてくる。どんなに優れていても、贋作という代替に価値が見出されなければ意味など無くなるのだ。
タクトが受け入れないものはエンジェル隊も受け入れないかもしれない。エンジェル隊の精神が満たされないのならば装置の真価は発揮されない。
「……艦の中じゃ敵わないことも、なんだって出来るのよ。それだけじゃない。極端な話、望めばなんだってなれる。ファンタジー小説の主人公でも世界の王様でも」
「何でも出来るっていうのはある意味何にもできないのと同じくらい味気ないよ。限られた条件で出来ることを選んで楽しむって言うのも大切なことさ」
「……ミルフィーユと逢えなくてもいいの? アンタたちは辛くないの? アタシの発明は逢わせてあげられる。通信なんかじゃなくて、実際に側にいるのと何にも変わらないわ」
「…それに溺れたくないから、かな」
「……っ!」
「逢いたいよ。ずっと側に居たい。でも、それに満足して前に進めなくなるわけにもいかないし、みんなもそうだと思う。その装置の快適さに囚われちゃいそうで、ね」
大小様々の目的を持って日々を過ごしている人間。それが擬似的にでも感覚は本物そのままに、その多くが叶ってしまうとしたら。
現実世界に多くを望まなくなる可能性だって多くある。「夢のマシン」はそのまま「夢の世界に行ったままに帰って来れなくなるマシン」になってしまうかもしれない。
それがわかるだけに、ノアはそっぽを向き、渋りながらも小さな声で言った。
「わかったわよ。この装置と艦内設備に関してはシャトヤーンやルシャーティたちと話し合った上で検討してあげる」
「うん、よろしく頼むよ。何と言うか、残念な気もするけどね」
「まったくだわ。せっかくの発明が台無しよ。……で、他に何か希望する案はある?」
「え、ノア?」
一瞬タクトは何を言われたかわからなかった。けれど確かに自分に意見を求めているように聞こえた。
あのノアが、と信じられない気持ちではあったが。成るほど、ばつの悪そうな、と言うよりももはや屈辱的だといわんばかりの顔で視線を合わそうともしない。
ノアにとって、自分の感情はともかくタクトの意見は参考になるということを認めたと言うことだ。
素直じゃないな、とタクトは顔に出さずにそっと心で微笑んだ。
「そうだなあ……技術の最先端を詰め込んだ究極の艦だろう? う〜ん。あ、そうだ。『変形合体』なんてどう?」
「……は?」
「艦が分離したり合体したりするんだよ。変形機構つきでさ。そういうの昔漫画で見たんだ。『α号・β号分離!』ってさ。かっこいいんだこれが。『EDEN』の技術なら可能なんじゃない?」
「……馬鹿? ううん、馬鹿なのは知ってたけど。まさかここまでとは」
「なんだよ人にアイディア出させといて。素人の無茶な欲求に向き合って科学は進歩してきたんだろ?」
「分離合体、変形なんて装甲に継ぎ目を増やして脆く弱くなるだけじゃない。エネルギー効率も悪くなりこそすれよくはならないわ。無駄なスペース大量に増やさなきゃいけないし。力学に則ったフォルム作りを台無しにする提案しないで頂戴」
「でもこんな普通に性能がいいだけの艦じゃエルシオールにあったビックリドッキリとか優美さとかがさぁ……」
「軍艦が性能を追求して何がいけないって言うの!! ビックリドッキリの必要性は何なの!? この艦だってシンプルな形状の優美性と機能美があるわよ! 普通の何がダメなの、言ってみなさい!」
そして、あれやこれやと言い争う末に冒頭の会話に続いていく訳だが。
自分の「昔漫画で見てあこがれて」と言うだけで無茶な設計を加えさせることを上層部に認めさせた口八丁と、そのあおりをモロに食らったノアを筆頭とした技術者達の苦労は推し量るに余りあるだろう。
――そして1年後。
トランスバール暦416年、『白き月』内部、兵器生産工場。巨大な艦が建造中だった。
建造中、とは言えほぼ完成の域に達しており、外観は今すぐにでも動き出しそうだ。
久しぶりにトランスバールに帰ってきたタクトが少年のように目を輝かせて歓声を上げた。
「もうほとんどできてるんだ、すごいな」
その姿は優美で華麗。流麗荘厳で神秘的だったエルシオールよりも更に巨大な姿でありながらそれを感じさせない。
メタリックブルーの色彩に雄大な翼を広げるそれはまるで巨鳥が大海原の上を滑空している様。
「うんうん、デザインにも要望を出しておいて良かったなあ」
「良かった、じゃないわよ。アタシが図面引いた力学に基づき完璧なフォルムを無視してくれちゃって」
「ノアじゃないか、久しぶりだね」
「そうね、恨み言がいっぱいあるわ」
「うわ〜、急にNEUEに戻りたくなってきた」
「逃がさないわよ、まったく……アンタの余計な口出しのせいで火力も装甲もだいぶ弱くなっちゃったじゃないの」
「十分すぎるほど強力なんじゃないかと思うのはオレだけかなあ?」
「ディバイド・シーケンスは状況に合わせて使いこなせれば確かに有用だけれど平時にはまるで意味の無い装甲の弱点だし」
「かっこいいだろ? いつか迫ってくる敵の目の前で『ディバイド・シーケンス発動、分離だぁ!』とか言ってみたいもんだな」
「褒めてないわよ! そんな状況に陥りたくも無いわ。こんな万が一の時の機能より、そうならないための性能だったって言うのに……」
「前言ってた『連装のクロノブレイクキャノン』ってのは?」
「誰かさんのせいで設計図が白紙になっちゃったから開発が間に合わなかったのよ。結局取り付け式になっちゃったわ」
「…まだ開発は続けてるんだ」
「牙は研いでおくものよ。ま、開発が遅れた分は様々な追加機能をつけてみせるわ。従来のように取り付けやチャージに時間が掛かる問題点もなくしたいし」
「まあ、敵さん以外は怯えさせないように頼むよ」
「仲間や味方まで怯えさせるなって? 発言力が高まるから構わないじゃない。それよりタクト。『あれ』はどういうこと?」
さりげなく怖い物言いをしてからノアはこれまでとは空気を変えた質問をした。
面倒な仲間に腹を立てて愚痴りながらも自身の作品を自慢する穏やかな声が、敵を詰問するかのような冷徹で油断の無い、殺気混じりの口撃に変わる。
「アタシはついにアンタの脳がイカれたかと思ったけど。そうでもないみたいじゃない。何のつもりなのか聞いておきたいわね」
「オレは考えられる状況を想定して機能を盛り込むように提案しただけだよ」
「提案? はっ、笑わせてくれるじゃない。大反対した上層部をどんな手で黙り込ませたのやら。ちょっとした独裁者の素質があるんじゃないかしら」
ノアの言葉は容赦ない。強引に事を進めたのはタクトも自覚している。そのために自分が普段忌み嫌うような手を使っていることも。
「いやあ、正しいと思ったことでも最初に始めるには多少は悪になる必要があるってことかな」
「アタシに言わせれば多少どころか重大な裏切り行為に他ならないわ」
「……わかって欲しい」
「この『黒き月』のノアに向かって理解しろ、ですって? タクト、言ってる意味がわかってるの?」
「もちろん」
視線だけで人が射殺せそうなノアの瞳をじっくりと見据えつつ、タクトはにっこりと即答した。
こうまでされてはいくらノアでも毒気が抜かれてしまった。溜息をひとつ吐き、ポケットから小さな板切れのようなものを取り出す。
それは、なにやらどこかの回路に使うマシンチップだ。黒を基調としつつもメタリックパープルの輝きを帯びた回路上の文様が縦横無尽に描かれている。
「なら説明しなさい。ヴァル・ファスクのEDEN軍入隊とこのVチップをあの艦に組み込む理由を。タクト、アンタはあの艦をヴァル・ファスクに扱わせる気なの?」
「しばらくはまだその予定はないけど、将来的にはそうなってもいいように、くらいにはね」
「ふざけないで、アタシの造った艦をヴァル・ファスクなんかにいい様に使われて堪るもんですか。アタシを誰だと思ってるの」
「知ってるよ、『黒き月』の管理者ノアだろ?」
「そうよ。アタシの存在理由は元々ヴァル・ファスクを倒す為に在ったの。これからアタシの生み出す兵器があいつらに使われるくらいならアタシは死を選ぶわ」
「ヴァル・ファスクはもうオレたちの『外敵』じゃない。同じ宇宙の仲間として歩みだしたんだ。分かり合える仲間になれるんだよ」
「まだヴァインのことを言うわけ? アタシはあいつをまだ許した覚えはないわ。アンタとミルフィーユとは違うの。他の人間だってそう。そんなにお人好しじゃないの」
ヴァイン。大戦末期、命を賭して愛する者を守り抜いた男の名。ヴァル・ファスクにも心があり、誰かを愛することが出来る。人間と変わらない心があるとタクトに教えてくれた存在。
「もう憎み合う時代は終わった。協力して共存できることを知らなきゃまた繰り返しだ。どちらかが滅びるまでまた争いが始まる。戦った俺たち自身がそれを示すことで変えたいんだよ」
「……言ってたわね。連中と分かり合えるかもしれない、素敵な未来の可能性とか何とか」
「覚えてくれてたんだ。そう。いつか来る未来の為に、オレたちはヴァル・ファスクと戦った。倒す為じゃなく、ただ人類や宇宙を守る為だけじゃなくてね。でもその未来は待ってても来るとは限らない。強引にでも自分で道を切り開かないと誰も後を歩いてきちゃくれないから」
「言いたいことはわかったわ。アンタはヴァル・ファスクを……人間とは種族すら違う、一度牙をむけば大きな脅威となるあの連中を本当に信じられるの?」
「違うよノア、『信じられる』んじゃない。心の底から信じてるんだ。いつか彼らがオレたちを助けてくれる日が来るってね」
それはそう遠い日のことじゃないと思う、とタクトが付け足す。
「裏切られたら、真っ先にアンタが責任取らされるわよ」
「信頼してるって今言ったろ?」
タクトの決意は固い。この男の心の強固さをノアは良く知っている。
知っている。口には出さないが信頼もしている。だが。
「……アタシは信じないから、そんな夢物語」
「……うん、ノアならそう言うと思った。でも、取り付けてくれるんだろう?」
「強制停止機構は用意させてもらうわよ。裏切りに備えてね」
「さすがノア。……ありがとう」
「アタシは信じないって言ったでしょう」
それからしばらく、2人は無言だった。大規模な作業は終了しつつも人や物があわただしく動き、巨大な空間に喧騒が響き渡る中、2人だけが動かず、静かだった。
「さて、そろそろ行くかな。早いとこNEUEに戻らないと」
「あら、もう? 珍しく仕事熱心じゃない」
「うん、今度魔法惑星のマジークに向かうんだ。ソルダム陛下の調停もあって近いうちに交易が始められそうでね。しかもどうもマジークにも紋章機らしきモノがあるかもって話さ」
「またなの? 発見したらこっちに寄越しなさい、また徹底的に視てあげるから。隊員が抜けた分の穴も早く埋められそうね」
「うん、エルシオールの中が寂しい限りだよ。マジークとの交易開始、こいつの就航とどっちが早いかな」
「そうね、こっちはもう一月もいらないわ」
「じゃあこれから行って帰ってきて。交易開始の時にはこいつも初お披露目ってことになるなあ」
1年でまた大きく事は動いていた。
紋章機らしき戦闘機の発見。
ミントのEDEN軍除隊とNEUEへの商業支援。
ナノマシン研究の主星であるピコ及び衛星フェムトでの発見。そしてヴァニラもエルシオールを降りたこと。
エンジェル隊は3人となり事実上の解散。「紋章機運用の為の新造戦艦」であったがエンジェル隊と紋章機が半数に減ってしまった事。
エルシオールが戦力半減した点からも最新鋭艦の就航は急がれていたが、ムーンエンジェル隊の補充も急務となっていた。
アプリコット・桜葉が紋章機の適性試験を受けているが、上層部からは補充ではなく新エンジェル隊の組織をとの声も上がり始めている。マジークで紋章機が見つかればその声も大きくなっていくだろう。
「そうだわ、タクト」
「なんだい?」
「この艦の名前、どうするの?」
「…オレがつけるの!?」
「アンタの希望に沿って図案引かれたアンタが乗る艦じゃない。よっぽどのネーミングセンスでもない限り、アンタがつけるのべきじゃないの?」
タクトは自分のネーミングセンスについて思案する。戦艦の名前がポチやタマってわけにもいかない。
いい名前は無いものか。
「エルシオールの後継艦か……」
新たに生まれようとしている艦の大きすぎる全景を首を大きく回して眺める。大きな翼。光り輝くその体。
「ルク……」
「浮かんだの?」
「昔読んだ絵本で、巨大な怪鳥の名前がルクって言ったんだ。こいつを見てたらそのことを思い出した」
「ルク――。Luxieleね。Lux、古代語で光。アンタにしては悪くないネーミングだわ」
「そうかな、あんまり深く考えてじゃないんだけど。いい名前ならよかった」
「この艦にはぴったりだと思うわよ」
「そっか、よし。おーいルクシオール、これからよろしく頼むよ。一緒に星の海を冒険しよう!」
タクトは呼びかけた。これからの自分の新しい艦に。新しい友に。
これからこの艦が数多くの伝説を創っていくことを知っている者は、まだわずかであった。
一月後、英雄は神殿に繋がれた最愛の天使を解放する為、新たなる翼で再び無限の宇宙へと飛び立つ――――