ここはエルシオールのクジラルーム。軍の草野球大会に出場する事になったタクトとエン

ジェル隊。だが、今まで野球などほとんどやったことが無い者ばかり。本番まであと2週

間、果たして大丈夫なのだろうか。

 

「よし、全員そろったし練習を始めるとするか。」

 

バットを手にし何度も素振りを繰り返す。 

 

「ちょっと待ってください、タクトさん。」

 

「ん、どうしたんだい、ミルフィー。」

 

出端を挫かれたものの気にせず振り向くと、彼女は足で何かを蹴るような動作を繰り返し

ている。 

 

「あの、私たちのチームって、なんていう名前なんですか?

 

「えっ、チーム名。…そういえば考えてなかったな。」

 

タクトは彼女に聞かれるまで、全く頭の中にチームの名前のことなど入っていなかった。

持っていたものを置き黙り込んでしまった彼に、ミルフィーが自分の意見を述べる。

 

「あのー、エンジェルスなんてどうでしょう。タクトさん。」

 

「私はもっとかっこいいのが良いと思うわ。チームエルシオール、てのはどうかしら。」

 

すかさずミルフィーを横目で見ながら対案を出す蘭花。その目には対抗心が見てとれる。

 

「えー、なんかそれちっとも可愛くないー。」

 

「なによー。いいじゃない強そうで。」

 

お互いに先程のこともあって意地になっているようだ。二人以外はチーム名にはそれ程関

心がないらしく静観している。長引くことを見越してか、ミントはどこからか折り畳み用

の椅子を持ってくると座った。

放っておくと果てしなく続きそうなので、司令官は妥協案を提示することにした。

 

「うーん、そうだなあ。みんな、エルシオールエンジェルスなんてどうかな。」

 

蘭花はそれを聞いて呆れた。ただの折衷案に過ぎなかったからだ。

 

「それじゃあ、ただくっつけただけじゃない。」

 

至極まっとうな意見である。彼女は誰もタクトの案に賛成しまいと思った。

 

「いいね、それでいこう。」

  

意外にもフォルテがその適当な案に賛同してしまった。最年長者の発言をきっかけに一気

に事態が進展する。

 

「私もなかなかいい名前だと思います。」

 

「……タクトさんが、そう仰るのでしたら……。」

 

ちとせとヴァニラもタクトの意見に従う。ミルフィーは自分の案が取り入れられて

うれしそうだ。他のメンバーも決まれば何でも良いので拍手で賛意を表していた。

 

「おし、じゃあこれでチーム名は決まったな。では、早速エルシオールエンジェルス初の

練習をやるとしますか。みんな、ノックをやるから守備位置について。」

 

タクトの言葉で各自それぞれの守備位置に散っていく。

 

「ちょ、ちょっとー。」

 

蘭花が抗議の声をあげたが黙殺されてしまった。どうやら、この名前で決まりらしい。

こうして、練習が始まりクジラルームに乾いた金属音が響き始めた。

 

 

 

〜G・A草野球狂想曲〜     中編

                            作・三雲

 

 

 大会前日、タクトとエンジェル隊は大会期間中宿泊する軍の保養施設に入った。

会場までは歩いて2,3分の距離である。部屋数の都合上男女二部屋ずつに分かれ泊まる

ことになった。

他にも何チームか宿泊しており、風呂が決められた時間以外使用できないのは不便

であったが、施設時代はホテルとしても通用するくらいに立派なものである。

風呂は近くの温泉から引いており、さらに娯楽室では卓球も楽しめる。

初戦を明日に控えタクト達は軽く汗を流すと夕食を食べる為に指定された「梅の間」へ

向かった。

 

 広間へ着くと御膳がすでに用意されていた。最高級の食材という訳にはいかないが、か

なりおいしそうである。

席は入って右に3席、左に6席と別れている。全員揃い、タクトが軽く挨拶を述べた後食

事が始まった。たちまちエンジェル隊はおしゃべりに花が咲く。タクトはちらりとミル

フィーと蘭花を見る。二人ともご飯を食べながら会話もかなり弾んでいるようだ。

 

(なんだ、別にけんかしているわけじゃないのか。)

 

ここしばらく彼女たちが話しているのを見かけていなかったので、二人のことが心に引っ

かかっていたのだが取り越し苦労だったらしい。

 

(親友っていいよなー)

 

お互いのコップにジュースを注ぐ彼女らを見てタクトは一瞬隣の背の高い友人に目を移す。

 

「ん、どうした、タクト。」

 

友人が彼の視線に気づき不思議そうな顔をする。

 

「いや、別に。なんでもない。あ、仲居さーんビール追加お願いしまーす。」

 

言葉を濁してレスターのコップに黄色い液体を泡が溢れんばかりに注ぎ、さらに酒を追加

すべく料理を運び終え退出しかけた仲居を大きな声で呼びとめた。

 

食事を終えて部屋に戻ると、男性陣はそれぞれ思い思いにくつろいでいた。

タクトは蒲団に入ってテレビを眺め、レスターは本に親しみ、クロミエは外を見ていた。

コン、コン。誰かが戸を叩くのでタクトがドアを開ける。

 

「ユニフォームが届きましたので試着してくださいな。」

 

「わざわざありがとう、ミント。」

 

受け取ると早速袖を通すことにした。青い帽子に黒いAのマークが入っている。

胸にはエンジェルスの文字がアルファベットで刻まれ、その上にはピンク、黄、赤の3本

のラインが、下には青、緑、紫の線が引かれている。ズボンは一般的な長ズボンである。

 

「タクトさーん。着替え終わりました?」

 

 

ドアの向こうからミルフィーの声が聞こえてきた。タクトは返事をし、ドアノブを回す。

 

「へえー、結構様になってるじゃないか。」

 

ドアの向こうには先に着替えていた六人が立っていた。しかし、彼女たちを見た途端タク

トは目線を上にそらし鼻を抑えた。

レスターも彼女たちを正視することはできない。彼女たちは自分たちと上は同じだが下

が極めて短いショートパンツだった。これではあまりの刺激が強すぎる。

 

「ちょっとー、なにじろじろ見てんのよ。」

 

蘭花は壁にもたれかかり足を交差させている。タクトはちらっと彼女に目をやるが目が合うと慌てて

再び視線をそらした。

 

「わ、私この格好はちょっと恥ずかしいです…。」

 

「これも、試練です……。」

 

恥ずかしそうに隅で小さくなっているちとせにヴァニラが遥か遠くを見ているような目で言った。

だが、その中でも一人だけ統一感のない服装をしている人物がいた。

 

「あのーミントさん。どうして僕だけこれなんですか?」

 

一同あっと息を飲む。クロミエは…ハーフパンツだった。

 

「なかなかお似合いだと思いますけど。」

 

涼しい顔でミントは言った。

しれっとした顔でミントは言ってのける。 

 

「ですからどうして僕だけこの格好なんですか?」

 

ニコニコとした顔のままクロミエは再度尋ねた。

 

「すみません、間違って注文してしまったようです。」

 

そう言ってぺこりと頭を下げたがほとんどの者はその言葉を額面どおりには受け取らない。

しっかり者でなおかつ要領のいい彼女がそのような初歩的ミスをするとは考えづらい。

けれども、栗色の髪の少年はその言葉を完全に信じていた。

 

「あ、そうですか。間違いは誰にでもありますから、仕方ありませんよね。」

 

これで終わりかと誰もが思ったがそうはいかなかった。

ミントは器用にも口元にだけ笑みを浮かべなおも言葉を紡ぐ。

 

「それにクロミエさんにハーフ、パンツだなんてぴったりじゃございませんこと。」

 

室温が急激に低下する。冗談にしても笑えない。(そういう疑惑があるのは事実だが…)

 

「そんなに似合っていますか?」

 

訝しげにミントに問う。周りの人間は言葉を発さず成り行きを見守るのみである。

 

「ええ、とっても。」

 

ミントはあどけない笑みを浮かべて言った。とても愛らしいのだがどこか冷たいものを感

じさせる。クロミエは何も言わない。ただ困ったような顔をしている。彼女はそんな彼を

極めて満足そうに見ていた。

 

「ミントさん。」

 

唐突に彼がミントの名を呼ぶ。驚きながらもあくまでもそれを表に出さずに振り返った

彼女の目を、真っ直ぐ射るように蒼い瞳が見つめる。

風呂に入った後なのだろうか、タクト達の眼前を浴衣を着た男女6名が通過していく。彼

らが遠ざかった後、クロミエは一歩進み出てミントの目の前に立つ。

 

 「どうもありがとうございました。」

 

さわやかな笑顔と共に心から礼の言葉を述べた。天然もここまでくれば才能だろうか。

彼ならどんな職場へ行ってもストレスとは無縁だろう。

しかし敵(?)もさるもの。表情一つ変えない。

 

「気に入っていただけて嬉しいですわ。」

 

上品な微笑みを崩さずに返答する。しかし、眉が小刻みに上下しているのを蘭花達は見逃

さなかった。ミントは廊下の時計にちらりと目をやる。

 

「それでは、私はお風呂に入ってまいりますので失礼します。」

 

軽くお辞儀をして自分の泊まっている部屋へと洗面用具などをとりに行く。その背中には

うっすらと敗北の色が滲んでいた。   

一方、勝者は己が勝ったことに全く気づいていなかった彼も元の服に着替え直してタク

トやレスター達に誘われて浴場へ向かった。

その後残された者も今日の疲れを取るべく浴衣に着替えると、バスタオルなどを手にエレ

ベーターへ乗り込んでいった。

 

一同は風呂を出るとしばらくはロービーにておしゃべりに興ず者もいたが、やがてそれぞ

れの部屋に入り床についた。 

その夜、男供の部屋からは喧しい騒音が、女性陣からは物を投げる音が夜遅くまで聞こえ

てきて一つ下の階の宿泊客の安眠を妨げたという…。

 

そして翌日。いよいよ第96回トランスバール皇国軍親睦野球大会が開幕した。

今年の参加チームは32チームで、初日から4日目までに1回戦から準決勝までを行い。

1日休養をとったあと、決勝が行われる日程である。

なお試合は一試合7回までで、決勝のみ9回まで行う。

 

1回戦、タクト達エルシオールエンジェルスの対戦相手はジーンジズ。人事部のチームである。

エンジェルスは後攻なので、礼をした後グランドに散っていく。

ではここで、エンジェルスの選手の打順を紹介しよう。

 

1番・ショート、ミルフィー。2番・サード、フォルテ。3番・ピッチャー、蘭花。

4番・キャッチャー、タクト。5番・ファースト、レスター。6番・センター、クロミエ。

7番・セカンド、ミント。8番、ライト、ヴァニラ。9番・レフト、ちとせ。

 

このような順番になっている。   

 

試合が始まった。投手の蘭花は力強い速球で相手をねじ伏せていく。

だが、中盤以降コントロールが悪くなり6回、相手打線に捕まり2点を失う。

打つほうもヒットは打つもののなかなか点が入らず、0−2で最終回を迎えた。

 

「9番。レフト、烏丸。」

 

この回の先頭バッターはちとせである。ここまで、四球で一度塁に出ているが、その他は

すべて凡退していた。

 

ピッチャーが大きく振りかぶって投げる。バシッ。ストラーイク。

続く2球目も決まり追い込まれてしまった。

たいしたスピードではないのだろうが、素人には速く感じる。ともかく、バットを振らな

ければ話にならない。ピッチャーが足を上げる。タイミングを計り思い切り振った。

ストラーイク、バッターアウトー。審判が高高と拳を突き上げる。

 

ちとせが足取り重くベンチに戻ってきた。彼女を迎えるベンチも表情は暗い。

あと二人。2点差。戦況はかなり悪かった。星間ネットの実況もジーンジズの勝利を確信

し始める。

 

『さあ、最終回エンジェルスの攻撃、先頭バッター倒れて1アウトランナーなし。ジーン

ジズ、結成以来今回で39回目の出場。ですが、今まで勝ったことは一度もありません。

結成時のメンバーは現在一人も残っていませんが、内野席に応援に駆けつけています。

いよいよアウトあと2つ、あと2つでジーンジズ念願の初勝利です!!』

 

「1番。ショート、桜葉。」

 

ウグイス嬢が透明感のある声でコールする。

ヘルメットをかぶり直し打席に入ろうとする彼女にベンチから声援が飛んだ。

 

「ミルフィーさーん。ホームラン打っちゃって下さーい。」

 

声の主はクロミエだ。彼はこんな状況でもニコニコとしている。その顔には真剣みが全く

感じられない。たまらず側にいた蘭花が声を荒げる。

 

「あんた、良くこんな状況でへらへらしていられるわね。」

 

ピッチャーがサインに一度首を振ってから頷き、大きく振りかぶる。

 

「へらへらしてますか。」

 

バシッ。審判の手が挙がりストライクと宣告する。

 

「してるわよ。まったく負けそうなのに良くそんな顔ができるわね。」

 

「でも…。」

 

カーン。打ち上げてしまった。三塁脇のファールフライだ。サードが手を大きくふりなが

ら落下点に入る。

 

「勝負は最後までわかりませんから。」

 

その時、突風が吹きスコアボードの後ろにある旗が大きくなびいた。

風にあおられボールが左から右に流される。慌ててサードは手を伸ばすが届かない。

ポテッ。球は三塁の右に落ちた。フェアだ。1アウトランナー1塁になる。

 

両チームの選手たちがあっけにとられる中一人少年は笑っていた。

たった一人走者が出ただけ。しかし、何かが起こりそうな予感がタクトたちの胸を騒がす。

 

「2番。サード、シュトーレン。」

 

「フォルテさん。ドカンと大きいのをお願いしますよ。」

 

次の打順の蘭花が声をかける。フォルテはそれに手を上げて答えた。

 

初球は高めに外れてボール。2球目は内角に決まった。ワンストライク、ワンボール。

3球目バットを思い切り叩きつけた。カン。かろうじてあたったたものの、鈍い音がして

ボテボテのゴロが1塁と2塁の間を転がっていく。

 

(しまった)

 

だがやや2塁寄りに守っていたセカンドは球に追いつけない。打球は1、2塁間を抜けた。

連続ヒット。いつの間にかベンチのミント達に笑顔がこぼれている。

 

(なるほど、そういうことか)

 

レスターはタクトがクロミエをメンバーに入れた理由を理解した。エンジェル隊は確かに

明るい。だが、苦しい状況に追い込まれればさすがに雰囲気も重くなる。現に敗色濃厚な

展開に彼女たちの空気は重苦しかった。しかし、彼は違った。皆が「あとツーアウトしか

ない」と考えていた中、クロミエは「まだワンアウト」と考えにこやかな表情を決して崩

さずに声援を送っていた。

笑顔は伝染するという。笑顔を絶やさぬ彼はまさにムードメーカーにぴったりであった。

 

「3番。ピッチャー、フランボワーズ。」

 

バットを2、3度振ってから打席に入る。打つ気満々だ。

 

相手投手は帽子をかぶり直し足を上げる。初球、ボールが真ん中に入ってきた。

カキ−ン。心地よい金属音と共に白球がレフトの前に飛んでいく。3連打、1死満塁になった。

一塁に到達すると蘭花は得意げに右手でVの字を作る。

 

「4番。キャッチャー、マイヤーズ。」

 

最終回。2点差でワンアウトフルベース。最高においしい場面だ。

マウンド上のピッチャーは何度も汗をぬぐう。眼鏡をかけた細い顔は苦しそうである。

 

1球目はボール。2球目、ブン。勢いよくバットを振るが当たらない。続く3球目も空振り。

ツーストライク、ワンボール。タクトの頬を汗が伝う。

 

ピッチャーが振りかぶり4球目を投げた。球が内角をえぐる。だがコントロールが若干狂

ったのか、ボールはバットのグリップ付近に当たりタクトが尻餅をつく。ファール、ツー

ストライクだ。しかし、立ち上がったタクトは手を抑え顔は歪んでいる。

 

『おや、審判が一塁を指差しています。ボールが直接手に当たったようです。なんとデッ

ドボール。押し出し、押し出しです。エンジェルス一点ようやく返しましたー。なおも1

ウト、フルベース。奇跡は起こるのでしょうか!!』

 

事態を把握した実況が半分叫びながら伝える。この声が球場のタクトたちには聞こえないの

は少々残念だ。

ミルフィーがホームを踏む時にちらりと1塁のタクトを見る。痛そうにさすっているがどう

やら大丈夫らしい。ほっと胸をなでおろす。1対2。差は僅か一点。この試合を中継してい

る星間ネットの実況の興奮もピークに達しようとしている。

 

『さあーとんでもないことになってきました。最終回。1アウトからエンジェルス怒涛の反

撃。一点を返し直も満塁。一人還れば同点、二人還ればサヨナラです。』

 

「5番。ファースト、クールダラス。」

 

レスターはじっと相手投手を見ている。直前の死球もあり、ピッチャーはすっかり動揺して

いた。

 

ピッチャー、捕手のミットめがけて思い切り腕を振り下ろす。だが、ボールは高めに浮いて

しまった。必死にキャッチャーは腕を伸ばすが届かない。球がバックネットに当たって跳ね

返り点々と転がっていく。

 

『ああー!! 暴投だー!! 三塁ランナーが今ホームへ還って来るー。同点、同点、同点

です。なんということだ。最終回、とんでもないドラマが待っていました。2対2、勝負は振

り出しに戻りました!!』

 

がっくりとうな垂れる投手に対し、エンジェルスのベンチはお祭り騒ぎだ。

相手チームの内野が集まる。なにやら相談をしていたがやがて散っていく。

さっきの暴投の間にそれぞれ走者が進み、1死2、3塁から試合が再開された。

3塁ランナーの蘭花がホームを踏めばサヨナラ勝ちである。

 

ここで敵の捕手が立ち上がった。ピッチャーも打者がとても打てないボール球を投げる。

敬遠し、満塁にするようだ。次のバッターは…クロミエである。

4球目も外れ、レスターがバットを置いて一塁へ歩く。ここでタクトはタイムをとり

3塁走者の蘭花に一言、二言指示を伝え、さらにクロミエにも何やら耳打ちしている。

 

「6番。センター、クワルク。」

 

話が終わったようだ。タクトは小走りでセカンドへ戻り、審判がプレイと言って再び時が流れ

始める。ゆっくりとクロミエはバッターボックスに入ると、軽く相手にお辞儀をした。

ピッチャーはそんな彼には目もくれず、マウンドの白い袋に手をやる。ともかくもう一点もや

る訳にはいかない。緊張がグラウンドを支配する。

 

初球、高めに外れた。小さなクロミエを相手にかなり投げにくそうだ。

ボール、2球目も審判の手は上がらない。ザワザワと観客が騒ぎ出し、スタジアムは異様なム

ードに包まれる。

相手投手背後ののスコアボードを一度見て大きく息を吸う。

赤いアウトのランプが一つ、緑色のボールのランプが二つ点いている。黄色いランプはま

だ一つも光っていない。投手は何度も何度も汗を拭い、セットポジションに入る。

そしてピッチャーが足を上げた瞬間、3塁走者の蘭花がホームへ向かって走り出し、クロ

ミエはバットを寝かせた。ポン。軽い音がしてボールが1塁線上を転がる。

 

『ス、スクイズだー!! 3塁ランナーホームに突っ込むー。ピッチャー、ボールをとっ

てホームへ投げるが間に合わなーい。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラだー!!!』

 

ミルフィー達が飛び出し本塁付近で歓喜の輪が生まれる。まるで優勝したかのような喜び

ようだ。タクトはレスターが出した右手を叩くがその直後痛そうにうずくまる。軽率な悪

友にレスターは一言二言言いたかったが飲み込んだ。

エンジェル隊はクロミエを囲み喜びを分かち合っている。

そんな騒ぎを眺め呆然と立ち尽くす敗者。様々な思いが交わる中、星間ネットにはアナウ

ンサーの絶叫が流れ続ける。

 

『3対2、エンジェルス劇的な、あまりにもドラマチックな逆転サヨナラ勝ちで2回戦へ駒

を進めたー。勝利の女神は最後の最後に天使たちに微笑みましたー!!!』    

                                     

 

 翌日行われた2回戦はミルフィーが相手打線を無得点に抑える好投もあって4対0で勝ち、

続く準々決勝ではタクトやレスターのアベックホームランなどで6対4と快勝。

こうしてタクト達は準決勝にまで進んだ。

 

『さあ、準決勝第1試合もいよいよ大詰め。最終7回裏、ブルーソックスの攻撃です。

得点は21でエンジェルスが一点リード。マウンド上は先発の桜葉、ここまで本塁打に

よる1失点に抑えています。』

 

ミルフィーは大きく息を吸い、間合いをあける。1死1、2塁。打者が獲物を狙う鷹の

ような視線を送ってくる。しかし、彼女は兎ではなかった。タクトのサインに2度軽く

頷き、彼の構えた所へ力いっぱい投げ込む。

カン。ボールが敵のベンチへ飛び込んだ。ワンストライク、ノーボール。

 

『ピッチャー桜葉、振りかぶって第2球投げたー。』

 

カーン。綺麗な金属音をバットが奏でる。だが球はファーストを守るレスターのミットに

収まっていた。そのまま、一塁ベースを踏むレスター。飛び出していた走者は戻れない。

 

『ファストライナー、ダブルプレー。試合終了です。最後当たりはよかったですが、無常

にも一塁手のミットに収まりましたー。なんとエンジェルス、遂に決勝進出です!!』

 

 勝った者にも負けたものにも惜しみない拍手が送られる。礼をして握手を交わした後ベ

ンチに戻ると、次の試合のチームがすでに準備をしていた。

全員、見上げるような大男たちだ。その中の一人、主将らしい男とタクトの視線が重なる。

軽く会釈をしたが、男は見向きもしない。男はただ風により砂煙が時々起こるグランドを

じっと見ていた。タクトは一度茶色いグランドに目をやってからその場を後にした。

 

タクト達は宿に戻り夕食を食べ終えると風呂に入ることにした。当初はこの施設にも何チ

ームか泊まっていたのだが、皆すでに敗れて引き払っていた。現在、この施設にいるのは

彼らだけである。

よっていつでも好きな時間に風呂に入ることができた。ただ、男湯と女湯は建物の北と南

に分かれており、距離も相当離れている。

 

「ふー、いい湯だった。」

 

一風呂浴びてタクトとレスターが脱衣所から出てきた。

 

「ちょっと、ぬるめだったけどな。」

 

レスターは少し不満そうだ。湯加減が気に食わなかったらしい。

確かに昨日までよりやや温度が低かったような気もしたが、タクトは大して気にとめてい

 

なかった。

 

「タクト、明日はどうするんだ?」

 

明日は休養日で試合は無い。よって、各自ゆっくりくつろぐ事になっていた。といっても

この付近に遊べるような所は無いので、できることはたかが知れていた。

 

「うーん。どうしようかなー。」

 

口ではそういうものの、腹の中ではのんびり一日中部屋で過ごそうと決めていた。

だがそんなことを言えばこのお堅い友人に非難されるに決まっているので口には出さない。

そうこうしているうちに部屋の前に着いた。見ると、誰かドアによりかかっている。

 

「あ、タクト。今暇でしょ?」

 

蘭花は戻ってきたことに気づくと開口一番、タクトに訊いた。

 

「え、まあ確かにそうだけど。」

 

見ると彼女の手にはラケットとピンポン球が握られている。

 

「これからみんなで娯楽室へ行って卓球することになったの、あんたも来るわよね。」

 

「え、今から?」

 

大声を出し慌てて口を抑える。しかし幸いにも今晩この施設に泊まっているのは彼らだけで

あったので苦情が来ることは無かった。

ちらりと腕時計を見る。すでに10時半を回っていた。

 

「今日はもう寝るんだ。だから悪いけどまた今度で…。」

 

やんわりと断りの言葉を述べると、彼女はむすっと表情になり後頭部に手をやる。

 

「あ、そう。分かったわ。」

 

そういい残すと走り出し、あっという間に廊下の突き当りを右に曲がり階段を下りていっ

た。

タクトは悪いことをしたかなと思ったが疲労には勝てない。体中いたる所で筋肉痛になっ

ている。やはり疲れがたまっていたのかシップを貼って布団に入ると、すぐに眠りにおち

てしまった。

 

 

翌日。タクトは予定通り昼過ぎまでずっと部屋にいた。しかしレスターに布団をたたまれ

追い出されたので、建物の中をぶらりと回ることにした。

ロービーへ行くとフォルテが何やらフロントと話している。何やらもめているらしい。

 

「たっく、本当に無いのかい?」

 

「申し訳ございません。他の物ならございますが…。」

 

下げた頭の角度は45度。きちんとマニュアルどおりであった。

 

「別にいいさ。無いんならしょうがないからね。」

 

「申し訳ございません。」

 

男は再び深く頭を下げた。

 

「あのー、どうかしたの?」

 

おずおずとタクトが声をかける。

 

「ああ、タクト。別にたいしたことじゃないよ」

 

フォルテの顔はうっすらと赤く、その手にはほとんど空になったボトルが握られていた。

 

「そちらのお客様がおでんか焼き鳥はないかと仰いまして…。」

 

どうやらつまみを探していたらしい。ちなみに時刻は午後4時を回ったところ。少し遅め

のお茶を飲む時間であっても一杯やるには早すぎる時間だ。

 

 

「そ、そうですか。ところでフォルテ、他のみんなはどうしているの?」

 

タクトは男に同情するような視線を送った後、すっかりほろ酔い気分の部下に尋ねた。

 

「全員部屋にいるよ。あ、ちとせは出かけたか。」

 

付け足された言葉は彼にとってかなり意外なものであった。

 

「え、どこにいったの?」

 

「この近くにバッティングセンターがあるらしいんだ。そこで練習してるらしいね。」

 

「ふーん、そうなんだ…。」

 

「ここに泊まってから毎日2、3時間は練習してるからね。ちとせの手、見たかい?」

 

真っ直ぐタクトを見る。さっきまでの酔ったようすは微塵も無い。

 

「いや、どうかしたの?」

 

首を横に振りながら答える。

 

「マメがつぶれちゃってんだよ。そこまでやらなくてもいいだろうに。」

 

「俺にできることがあったら何かしてあげたいんだけど…。」

 

一生懸命なのはいいのだが時にそれが空回りしてしまうこともある。

エンジェル隊に入ったばかりで苦しんでいた彼女が頭をよぎる。

 

「あんたが教えやればいいじゃないか。」

 

事もなげに言い放つ。それができれば問題ないのだが…。

 

「俺だって人に教えられるほどうまくないよ。」

 

フォルテは呆れたようにタクトを一瞥しソファーの海に体を沈めると、わざとらしく大き

なため息を吐きこの意外と物分りの悪い上官に説明する。

 

「別に技術的なことじゃなくていいんだよ。一人で黙々とやるのもいいだろうけど、誰か

側にいてくれた方が安心することもあるからね。」

 

 

その言葉に頷くもののやはり合点がいかないらしく、

 

「でもそれなら俺よりも君たちが行けば…。」

 

煮えきらぬ態度にフォルテがとうとう声を張り上げる。

 

「つべこべ言わず行っておやり、あんたが行くのが一番いいんだから!」

 

フロアにいた者の全てが思わず足をとめる。

タクトは部下に一喝されいまいち納得できぬまま大よその場所を聞くと、浴衣のまま勢い

良く外へ飛び出していった。だが、すぐに戻って来ると階段をドタバタ大きな音を立てな

がら上がっていく。上った直後清掃員にぶつかったのか、女性の怒鳴り声が階下まで伝わ

りモップが階段を転がり落ちてくる。

 

「全く、世話が焼けるねー。」

 

Tシャツ姿に着替え再び外へ出て行ったタクトの背中を見送り呟くと、フォルテはボトル

の最後の一滴を飲み干した。

 

タクトはちとせがいるというバッティングセンターを目指し歩いていた。空はどんよりと

曇り今にも降りだしそうである。

しばらく歩くと、四角形の形をした小さな建物が見えてきた。どうやらここらしい。

早速中に入ってみようと入口を探していると遂に空から雨粒が落ち始めたちまちアスファ

ルトにしみこんでいき、あっという間にいくつも小さな水溜りができる。

 

(明日試合できるのかな。いや、今はそれどころじゃない。)

 

中に入ると、管理人室らしき部屋はあるが誰もいない。仕方なく先へ進んでみると球を投

げるマシンが4、5台並んでいる場所へ出たがどれも動いていない。お世辞に繁盛してい

るとはいえないようだ。

 

ブン、ブン。バットを振る音が隣の部屋から聞こえてくる。だが一向に透き通るような金

属音は聞こえてこない。タクトは隣の様子をこっそり窺うことにした。

 

ブン、ブン。バットを振るたびに長い髪が揺れる。ちとせは額の汗を手でぬぐうが、その

手からも滴がこぼれ落ちていた。

目は訓練のときと同じく真剣である。声をかけたいがタイミングがつかめない。ズルズル

と時が過ぎていく。

その間もちとせは黙々と機械が投げた球に向かっていくが、虚しく空を切るばかりだ。

 

「やあ、随分頑張っているね。」

 

覚悟を決めてタクトが声をかける。

 

「タ、タクトさん……。どうしてこちらに?」

 

思わぬ人物の出現に驚きを隠せない。そんな事などを気にせず、タクトは彼女の手をいき

なり鷲掴みにした。

 

「ちょ、ちょっと何をなさるのですか。離してください。」

 

ちとせは訳が分からずうろたえるのみである。タクトはただじっと彼女の手を見つめてい

る。バシュ、バシュ。規則正しく球は投げられ二人の足元に球がたまっていく。

 

「ここに来たのは今日がはじめて?」

 

知らず知らず詰問するような口調になっていることにタクトは気づかない。

 

「いえ、保養施設に泊まり始めてから毎日…。」

 

その続きをいうことはできなかった。        

 

「それでこうなったのかい?」

 

そう言って握っていた手のひらを上に向ける。マメは潰れ血が滲み痛々しい。

彼女は顔を隠すかのように横へ向けたが、タクトも彼女の前に移動する。ちとせの表情は

春の分厚い雲のように暗くなっている。

 

 「何もこうなるまでやることは無かったんじゃないかな。フォルテも気にかけていたよ。」

 

ちとせは下を向き何も答えない。雨粒が激しく屋根を叩きつけ、窓は流れ落ちる水で外が

見えない。二人だけの空間にこの騒々しいBGMだけが流れ続ける。

 

「心配をおかけして申し訳ありませんでした……。ですが……。」

 

頭を垂れ反省の言葉を述べるが、素直な彼女には珍しくしきりに弁明しようとした。

 

「私これまでタクトさんや皆さんの足を引っ張ってばかりで。」

 

俯き、親に叱られた小さな子供のように目線をそらしながら言葉をつづる。

 

「そんな事はないよ。ちとせはちとせなりに一生懸命やっているんだから。」

 

強く否定するタクト。もともとこの大会に誘ったのは自分である。乗り気でなかった彼女

たちが参加してくれるだけでもありがたく、まして上手にできないからといって責めるは

ずが無い。

ちとせはそれを黙って聞いていたがやがて顔を挙げると、

 

「でも、こんな私でも何かお役に立ちたいです。役に立って皆さんと、タクトさんと一緒

に喜びたいです。だから、だから私、私…。」

 

手を振り払い、搾り出すように言うと言葉に詰まってしまった。うっすらと涙を浮かべ、

普段の冷静な姿とはあまりにもかけ離れていている。タクトは下を向く彼女を下から覗き

込んだ。

 

「ちょっと手を出して。」

 

戸惑いながらも言われたとおりに手を差し出す。

タクトはポケットから包帯を取り出すと、彼女の手に巻き始めた。

 

「じゃあ、ちょっとだけだよ。そんな手なんだから無理はしないようにね。」

 

そう言ってバットを渡す。頑張りすぎてしまうのは問題だが、彼女のその限りない向上心

も長所である。それにせっかくスポーツをするのならうまくなりたいと思うのは当然であ

るし、上達すればより楽しむことができる。「下手なままでもいいよ」というのは一見優

しいようで実はとんでもない不親切なのかもしれない。

 

「はい、わかりました。」

 

目頭に溜まったものを拭いながら笑顔で返事をする。いつの間にか通り雨は何処へか去り、

窓から差し込む茜色の光が二人の顔をオレンジ色に照らしていた。

 

カーン。バットが速球をはじき返しボールはホームランとかかれた板に当たった。手を叩

いて喜ぶタクトにちとせは少々照れくさそうである。

あれから30分ほどたった。タクトのアドバイスもおかげかだいぶ球が前に飛ぶ

ようになり、3球に1回はヒット性の当たりを打てるようなってきた。

すでに日は沈み街灯の明かりが道路を照らしている。二人は宿に帰り風呂に入って汗を流

すことにした。

 

宿の部屋に戻るとレスターが窓際のソファーに腰掛け読書をしていた。カバーがされてい

るのでどんな本かは分からないがある程度の予想はつく。タクトは一緒に行かないかと誘

ったがにべもなく断られてしまった。浴衣に身を包み風呂場を目指していると、フロント

の前で若い仲居に呼び止められる。 

 

「すみません、これからお風呂ですか?」

 

彼女が分かったのはタオルと着替えを持っていたからだろう。新人なのだろうか、どこか

初々しいものを感じさせる。

ロービーにある年代物らしき時計の針が真っ直ぐ縦に並び、仕掛けのオルゴールがゆった

りとしたメロディーを奏でだす。

 

「はい、そのつもりですけど。」

 

なぜそのようなことを問われるのか分からなかったが、次の言葉で理由は明らかになる。

 

「申し訳ございません。実は源泉からきたお湯を温めるボイラーが故障してしまいまして。

とても入れる状態ではないんです。」

 

聞くと昨日から機械の調子がおかしかったので修理屋に見てもらおうと思っていた矢先に

動かなくなってしまったという。修理屋を呼ぶとなんでも部品の交換が必要で取り寄せる

のにしばらく時間がかかるということらしい。

 

「え、いつ直るんですか。」

 

「今日の夜から明日の朝には復旧すると思うのですが…。」

 

最後の方はほとんど聞き取れない蚊の鳴くような声であった。再び頭を下げる仲居の姿が

彼女の後ろにある水槽に写り、彼女の背中のあたりを熱帯魚が泳いでいる。

 

「そしたら今日中は入れないってことですか……。」

 

部屋にシャワーがついていれば問題ない。しかし生憎タクトや彼女たちのとまっている部

屋にはなかった。

別に責めているつもりではないのだが若い仲居は肩をすぼませ今にも泣き出してしまいそうだ。

なんだか自分が苛めているかのような錯覚すら覚える。

 

「タクトさん。あの、お風呂入れないそうです。」

 

パタパタとサンダルで音を立てながらちとせが駆け寄ってくる。

 

「うん、今聞いた。どうしようか。」

 

タクトは腕を組みしばし考え込むが、いくら考えたところで自分達にはどうしようもない。

 

「あのー、それでしたらこの近くにある公衆浴場にいかれてはどうでしょう。」

 

仲居の提案にすばやく彼の傍らに立つ少女が反応する。

 

「どこにあるのですか?」

 

ちとせの瞳が夜のように大きくなる。女の子にとって一日風呂に入れないというのは一大

事だ。あまり遠いのは嫌だが体にまとわりついた汗を流せないよりはましである。

 

「ここを出て右に行って歩いて5分くらいですね。」

 

それくらいだったら問題ない。二人ともほっとしたような表情を浮かべる。

 

「じゃあ行ってみようか。」

 

その誘いにちとせは勿論頷き、二人はその公衆浴場に行ってみることにした。

けれども、仲居は何かまだ伝えたいことがあるらしい。

 

「あ、でもただしあそこは……。」

 

プロロロロ。電話が鳴り慌ててとりに行く。なにやらだいぶ話し込んでいるようだ。

二人は少し待っていたがすぐには終わりそうに無いのでその公衆浴場に行くことにした。

 

点滅を繰り返す灯りが暗い道を並んで歩く二人を照らす。しばらく歩くと目的の場所に到

着した。タクトは右にちとせは左に進む。

脱衣所に入るが人影は全く見えない。タクトは服を脱ぎ雑に籠へ放り込むと、腰にタオル

を巻いて意気揚揚と風呂場へ乗り込んだ。

 

カポーン。辺りは一面湯気が立ち込めている。岩風呂と檜風呂があるらしいがとりあえず

岩風呂につかることにする。

思っていたよりもかなり広く縦横10メートルくらいあり、風呂の中心には人が一人もた

れかかれるほどの岩がある。

隣の檜風呂へ通じる透明な二つのドアが向かって右側にあった。曇っているドアを手で拭

き隣の様子を見る。湯気が立ち込め人がいるかは分からないが、広さは岩風呂とさほど変

わらぬようだ。タクトは首をひねった。この建物はそれほど広くは無い、むしろ小さいく

らいである。それなのに、なぜ男湯がこれほど広いのだろうか。

 

(ひょっとして、混浴って事は無いよね……)

 

頭の隅に引っかかる疑念を振り払い、肩まで湯に浸かり足を大きくひらく。

ガラガラガラ。誰かがドアを開け隣の檜風呂から移ってきた。すぐに風呂には入らず、蛇

口の前に座り体を洗い始めている。

 

(まさか!!)

 

ザザー、一杯にまで張った洗面器の湯は体の泡と共に排水溝へ流れていく。タクトは横に

座り覚悟を決めて隣人の顔を見る。

ゴッシ、ゴッシ。規則正しく体をこする音が風呂場に響き渡る。覗き込んだ人物の顔には

深々としわが刻み込まれていた。

 

「何じゃ、わしの顔になんかついとるのか?」

 

老人に尋ねられ、なんでもないと返事をする。自分の想像していたこととあまりにかけ離

れたので思わず苦笑してしまう。ほっとしたという気持ちに偽りは無かったが、ほんの僅

かながら「何か」を期待していたことも事実であった。

おじいさんは寒風摩擦をするように手を斜めに動かし続けている。軽く体を洗ったら、檜

風呂へ行ってみよう。そう決めるとタクトは石鹸を手にとり体につけ始めた。  

 

 

〜あとがき〜

三雲です。私のような者が書いた文章を読んで頂き、誠にありがとうございます。さて

この話、決して〔タクト×ちとせ〕ではありません。

(大文字で失礼いたします)

特に好きなカップリングはありませんが、あえて言うなら一番しっくりくるのは〔タクト×

ミルフィー〕です。しかし生憎シリアスやラブストーリー系を書くのは不得意でして…。

それでコメディー路線になるとどうしてもちとせが目立ってしまうんです。うーん、反応が

面白いからでしょうかね…。(ミルフィーも面白いのですが)

ともかく大分時間がかかりましたがようやく2話目を書き上げることができました。今後も

皆様の目に堪えうるような作品を書けるよう励んでいきたいと思っておりますので、これか

らもよろしくお願いいたします。

                    2004年11月13日   三雲