エルシオールのある昼下がり。
きっちり2、3人分の通路を確保して数多く並べられた、テーブルクロスを広げた円盤状のテーブルと6人分の背凭れ付きのイス。
四方には観葉植物を植えた鉢を置き、流れるようなクラシック音楽を響かせる、儀礼艦エルシオールBブロック、ティーラウンジは今日も憩いの場となっていた。
「ねえ、2人とも……」
ティーラウンジでケーキを食べている時、対面の席に着いている蘭花がそう口を開いた。
「ん? 何、蘭花?」
「なんですか、蘭花先輩?」
あたしと隣に座っているちとせが、ケーキが載っているお皿に向けていた視線を蘭花に向けた。
「ん……」
視線を向けられた蘭花は何か言いたそうな、でも言い難そうな表情をして口を噤んだ。
「どうしたの蘭花? 具合でも悪いの?」
「いや、そう言うんじゃないの……あの……」
その様子が気になったあたしが尋ねてみても、蘭花は首を振って否定する。
「?」
煮え切らないそぶりに、あたしとちとせは困惑したように顔を見合わせる。
あたしとちとせはシミュレーションルームでの訓練が終わった後、休憩のためにティーラウンジへやってきた。
蘭花はあたしたちが来る前からティーラウンジへ居たけど、さっきからずっとこんな調子で、微妙な居心地を感じていた………
このまま沈黙が続くのかな、と思ったその時。
「えっとさ―――」
蘭花はようやく決心したように顔を上げると、こんなことを訊いて来た。
「今、好きな人っている?」
「「えっ―――」」
店内に流れているクラシックが協奏曲に切り替わる―――
Good relation
Taste4 『プラトニックは唐突に』
ムーンエンジェル隊に配属される前からの付き合いがある、あたしにとって大切な親友である蘭花は、活発でいつも明るく振舞う。
普段は元気で少し意地悪でも、本当は涙もろい優しい娘だということを知っている。
ただ、時々テンションが高く、唐突な言動についていけない時があった。
でも、それは士官学校時代だけじゃなく―――
「だから……今、アンタたちに好きな人が居るのって訊いてるの!」
今でも充分に当てはまると思う―――
「えっと……いきなり言われても……」
何故か真剣に訊いて来る蘭花に、あたしはただ呆気に取られる。
「何でよ? 居るのかどうかぐらい、すぐ答えられる質問でしょ?」
そんな、睨みつけて言うようなことじゃあ………
「でも、蘭花先輩……何故突然そんな質問をしてくるのですか?」
「うっ……え、えっと、その……」
ちとせが困惑した表情で尋ねると、蘭花は図星を突かれたように口篭った。
あっ!? 蘭花、ひょっとして………
「分かった―――」
その反応を見たあたしは身を乗り出すようにして、すぐさま思い当たったことを口にした。
「蘭花、今好きな人居るの!?」
「え!? い、いや、その、ち、違―――」
「そうなのですか、先輩!? お相手は誰なのですか?」
「だからそうじゃ―――」
「だからさっきからボーっとしてたんだ。何かあったのかなって心配してたけど、何だか少しホッとしちゃった!」
「そうですねミルフィー先輩!」
「っ! だから―――」
あたしはちとせと顔を見合わせて微笑んだ。
そういえば、昔から蘭花って好きな人が出来ると、しおらしくなっちゃうもんね。
でも好きな人って、一体誰なんだろう?
「ねえ、蘭花。好きな人って一体―――」
気になったあたしは率先して訊こうとしたその時。
「―――人の話を聞けェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!」
「わぁーーーー!!」
「きゃあ!!」
鼓膜が破けそうなほどの大音声に思わず耳を塞いでしまった。
「ハァ、ハァ……どう? 聞く気になった!?」
蘭花は肩で息をしながら、怒り顔であたしたちを睨みつけてきた。
「「は、はい……」」
その視線に気圧されるように、あたしとちとせは怯えながら頷いた。
「まったく、最後まで人の話くらい聞きなさいよ。ホントに似た者同士なんだから……」
「でも、蘭花先輩もはっきりしな―――」
「なんか言った!?」
「ひっ! な、なんでもありませぇん!!」
こ、恐い、蘭花………
でも、何であんなに怒ってるんだろ? 恥ずかしいのかなぁ?
「って、そんなことはどうでもいいわ!
アタシは頼まれたからこんなことを訊いただけで、別に他意はないからね!」
ハッとなったようにあたしたちに顔を向けると、まくし立てるように喋りだした。
あれ? 今、頼まれたって………
「頼まれたって……誰にですか?」
「―――あっ!?」
あたしの疑問を代返するように、ちとせが質問すると、蘭花はいかにもしまったという顔になり、気まずそうに目を伏せると。
「実はね……」
おずおずと、ついさっきまでのやり取りを聞かせてくれた―――
あたしたちがティーラウンジに来る少し前、蘭花は別の人達と居たらしい。
その人達とは、ブリッジのメンバーで、あたしも顔馴染の2人のアルモさんとココさん。
蘭花はその2人とお喋りしていて暫くしたとき、急に不安げな顔をしてきたアルモさんから相談を受けたみたい。
相談の内容というのは―――
「恋愛?」
「相談?」
ちとせと続けざまに言ってしまう。
「そう。さっきまでそれについて話してたのよ。けど、大っぴらに言いふらすもなんだから、切り出し難くてね……」
感慨深そうに呟き、アイスコーヒーの入ったコップにあるストローを銜えた。
恋愛などに詳しい蘭花が喜びそうな話題だと思う。
蘭花は『分かった?』って言うような表情で頷いた後、でも、と呟き。
「……なんか随分思いつめていた顔してたわ……そんなに上手く行かないのが不安なのかしら……」
気のせいか、ティーカップの置かれる音が憂いげに響いたような気がした。
その憂悶じみた余韻はすぐに終わりを告げた―――
「えっ? アルモさん、好きな方がいらっしゃるのですか?」
黙って聞いていたちとせが驚愕の声を上げる。
「ええっ!? ちとせ、知らないの!?」
「蘭花、知ってるの?」
「って、アンタもかい!」
あたしとちとせの疑問に、蘭花は驚いた顔をして叫んだ。
でも、仕方ない。アルモさんに好きな人が居たなんて、全然知らなかったから………
「結構有名だと思ったけど、知らない娘が居たなんて……」
蘭花は驚いた表情をしたまま、何ごとか呟きながら口元を手で覆うと。
「いや、この娘たちだから、分かんなかったのかも知れないわね……」
何故か納得した顔で嘆息する。
「はい? 何か仰いましたか?」
「ん、なんでもないわ」
黙って聞いてたちとせが尋ねるも、蘭花は首を振るだけ。
「ん〜……」
でも、あたしは考え事に夢中で、その会話に口を挟むどころじゃなかった。
(アルモさんの好きな人って誰なんだろう? 聞いてみたいけど、本人に黙って聞くのも悪いし……)
そこまで考えた時、横に居るちとせが思いついた顔で口を開いた。
「でも蘭花先輩。そのお話と先程の質問にどんな関係がおありなんですか?」
「え?」
「あ、そうだよね。何であたしたちに訊いてきたの?」
アルモさんに相談を受けたのと、あたしたちに好きな人がいるのと、何の関係も無いような気が………
「それはねぇ……」
蘭花はいったん言葉を切ると、意味ありげな視線をあたしたちに向けてきた。
「アタシたちが一番その事について詳しそうだからですって」
「そ、そんな……私なんか……」
「そうかなぁ? あたしは別に詳しく無いけど」
むしろ適任なのは蘭花とフォルテさんくらいじゃないかなぁ。
「あれでしょ? タクトと親しくしてるアタシたちを見て、そう思ったんじゃない?」
「なるほど……でも、何故それで恋愛に繋がるかは分かりませんが、アルモさんにはそう見えるのかもしれませんね」
納得したようなしていないような微妙な言葉を述べながら、ちとせは頷いた。
「けど、タクトさんは優しくて頼りがいがあるし、お話しやすいのもあるんじゃないかな?」
エルシオールの中に居る男の人の中でも、一番親近感があることも否定できない。
タクトさんはあたしが持っている不可解な強運のことを知っても、あまり驚かなかったどころか自然に対応してくれる。
あの不思議な魅力があるからこそ、エンジェル隊や他の人たちからも親しまれるんだと思う。
「なーに言ってんのよ。アンタにとっちゃ親近感無しにしても、皆同じでしょ?」
でも、あたしの言葉を否定するように、蘭花は呆れたような視線を投げ掛けていた。
「ええっ、そんなことないよ〜。あたしだって、少しくらい人見知りはするもん」
あたしは少しムッとしながら反論すると。
「じゃあ、副司令とはどうなのよ?」
「えっ、レスターさん?」
出て来た名前に首を傾げた。
「そう、最近よく話してるじゃない。
あの堅物の副司令と自然に会話したり、愛称で呼ばれること自体大したことでしょ? だからアンタには人見知りすることなんてないのよ」
「ら、蘭花先輩。それは言いすぎでは……」
勝ち誇ったように笑う蘭花だけど、あたしは腑に落ちなかった。
レスターさんってそんなに話し掛けにくい人なのかな、と、ふと疑問が湧き上がる。
「じゃあ、蘭花とちとせは、レスターさんってどういう人に見えるの?」
思ったことをそのまま2人に尋ねてみることに。
「そうですね……率直に申し上げれば、真面目で仕事に誠実に取り組む方だと思います」
「まあルックスは悪くないとは思うけど、ちょっと融通が利かないところがあるわよね」
「へぇ……」
足りないと言うわけではないけど、返って来たそれぞれの答えは、何か納得が行かなかった。
「じゃあ、ミルフィーはどう思ってるわけ?」
首を傾げていたあたしを見て、蘭花は怪訝そうに、でも少しだけ興味深そうに見つめてきた。横目で窺うと、ちとせも同じような瞳で見ている。
「う〜ん、あたしは……」
2つの視線を受けて、あたしは少し考え込むように皺を寄せると、すぐに答えを口にした。
「上手くいえないんだけど……頼りになるお兄さんって感じかな?」
「えっ……」
「お兄、さん……?」
あたしの答えに驚いたのか、2人とも目を丸くして、こちらを見て来る。
「うん。なんだか最近、そういう風に思ってきちゃって。それにね―――」
言いながら、自分の考え方が的を射ていると思うと、そのまま勢いに乗った形で、喋り続けた―――
上手くは言い表せないけど、軍紀に忠実で他人だけじゃなく、自分にも厳しいレスターさんは確かに近寄りがたい一面がある。
でも、いつもは無愛想なレスターさんだけど、実はとても穏やかな顔で笑うことを。
近寄りがたい雰囲気があるけど、本当は思いやりのある人だと言うことを。
タクトさんとはまた違った感じの人だと。
と言うようなことを、切々に訴えるように語りつくした―――
「―――って、言うような人なんだよ。あたしもビックリしちゃった……」
語り終わったあと、アールグレイを口に含む。喉が渇いているところから、少しはしゃいでいたというのが分かってしまった。
「へぇ……副司令にそのような一面がおありだったとは……」
ちとせは感心したみたいな表情で頷いていたけど。
「う〜ん……確かに分からないことも無いけど……」
蘭花は何か納得行かないような口振りで、顎に手を当てていた。
「蘭花、何か分からないことあったの? レスターさんのことで」
「副司令のことじゃないわ……ミルフィーのことよ」
「え、あたし?」
「うん。随分副司令のこと詳しいのにも驚いたけど、お兄さんみたいな人っていう発言にどうも引っかかるのよねぇ……」
もう一度顎に手を当てて、悩むように目を伏せる。
「え〜、そんなに変なことかなぁ……」
「だってそんなに副司令の一面に詳しいなら、普通はお兄さん程度の感情で済む筈無いでしょ?
アンタくらいの歳になれば、もっと違う目で見ると思うけど……」
違う目?
「例えばどんな?」
「簡単でしょ? ほら、有り体に言えば一人の男の人ってみたいな……」
「?」
蘭花の言ってることが、全然分からない。
隣でもあたしと同じように、ちとせが首を傾げていた。
「……ああ、もう! まだるっこしいわね! ぶっちゃけて言えば―――」
詰め寄るようにして顔を向けてきた蘭花の言葉は、何かに響き渡る力を秘めていた。
「女としてクールダラス副司令のことを異性として見ないの、ってこと―――」
「えっ―――」
その発言が周囲に響いた途端。
ラウンジ内の放送が交響曲に切り替わった―――
/
人の手によって造り出されたとは思えない深緑の木々が立ち並び、映像とはいえ吸い込まれるような、雲1つ無い広々とした青空に煌々と輝く太陽の光―――
2人とティーラウンジで別れた後、あたしは自らが手がけている家庭菜園のある銀河展望公園に来ていた。
(異性として、かぁ……)
悶々とした気分が心の中で気流みたいに渦巻いている。
人工的でありながら清涼な自然の空気は、あたしの妙な気分を洗い流してくれるのかと思ったけど。
(考えたことも無かった……)
あの時の、蘭花の発言が未だに頭の中で反芻していた―――
あの後、気を取り直したように明るく振舞った蘭花のおかげで、なんとも言えないような空気になることは無かったけど、あたしはただ適当に相槌を打ち、時間を過ごした。
別に落ち込んだわけでも、傷付いたわけでもなかったけど、蘭花の何気なかった筈の言葉が、何か強制力のある魔法のように纏わりついていた。
「う〜ん……」
腕を組んで芝生の上を歩く。
芝生を踏みしめる音と人口太陽が醸し出す暖気が、一種のα波を発しているのか、悶々とした気分ながらも、思考はキンキンに冷えたみたいに冴え渡っていた。
レスターさんは、無愛想で少し近寄りがたいような、冷たい人に見えるけど、それは表向きそう見えるだけで本当は違うことを知っている。
ただ、あの人は他人にも、自分にも不器用なだけで、タクトさん以外の他の人と、どう接して良いのか判らないだけ。
もし本当に冷たい人だったら、あたしが勝手にやっていることを手伝ったりはしない。
あたしが倒れている時、お見舞いに来たりしない。
あたしのことを『ミルフィー』って呼んだりしてくれない………
困った時には、呆れた顔をしてブツブツと文句を言いながらも、助けてくれるような優しくて、頼りがいのある人だと、今までのレスターさんと接していくうちにあたしはそう思ってきた。
いや、絶対にレスターさんはそういう男の人。他の誰もが信じなくても、あたしだけは必ず信じられる―――
そこまで考えてみて、レスターさんという人が、あたしにとってどんな男の人なのかは今の所一つしか答えは出てこない。
あたしのような要領が悪くて、ドジを連続してやらかしちゃうような女の子では、レスターさんとは吊り合う筈も無い。
でも、そんなあたしでもレスターさんと一緒に居て、お話しすることは楽しい。
それはもはや、頼りがいのある兄というような感覚以外湧いてこなかった―――
面白くて優しいタクトさんと、厳しくても本当は優しいレスターさん。
比較すれば、あたしはタクトさんとのほうが吊り合いそうだし、異性として見ることが出来た。
………でも、どうしても釈然としない。
何故かあの時の蘭花の言葉が枷となって、あたしの中で渦巻いている………
―――異性として見ることは無いのか、と………
それはまるで、『兄』という感覚で良いのかと攻め立ててくるみたいに―――
「―――あれ?」
もうすぐ家庭菜園の場所まで辿り着こうと言う時、視界の端で何か白いものが揺れ動いた。
周りを見渡してみると、緑色の長い髪をポニーテールにした女の子が、奥の芝生の上にしゃがんで何匹かの宇宙ウサギと戯れていた。
「ヴァニラー! やっほー!」
「……こんにちは」
手を振りながら駆け寄ると、ヴァニラがゆっくりとした動作でこちらに振り向く。
「ヴァニラ、どうしたの? 宇宙ウサギたちと公園で散歩?」
「はい……今日はクジラルームではなく、公園につれて来てみました……」
ヴァニラの隣に座り込むと、ウサギ達がおずおずとした感じで近寄ってきた。
その様子を見て、あたしは近くに来たウサギの頭を撫でながら気になったことを尋ねてみる。
「このウサギさんたち、1人で連れて来たの?」
今居る宇宙ウサギの数は、10匹近く。1人でつれてくるにしては多すぎる数に感じる。
「いえ……タクトさんに、手伝っていただきました……」
「えっ、タクトさんに?」
「はい……」
あたしのその言葉に、ヴァニラは――よく見ないと判らない程度だけど――微笑みながら頷いた。
その表情は心なしか満ち足りたような、喜悦に映った。
以前までのヴァニラは滅多に感情を表さない、大人しい雰囲気の娘だったけど、タクトさんがエルシオールに着任してから明らかに変わり、感情表現が僅かながらに豊かになってきた。
それは昔のヴァニラしか知らない人から見たら、驚くほどの変化。
否、成長と言うべき、歓迎的な出来事。
タクトさんと一緒にいる時のヴァニラは、端から見ても分かるほど穏やかな瞳をしている。
特に最近、よく一緒に歩いている所を見かけるから、どれほど仲が良いのかは2人の楽しげな表情を見れば一目瞭然だった。
タクトさんがヴァニラを見つめる時の表情と、ヴァニラがタクトさんを見つめる時の表情。
まるでそれは、仲の良い兄妹みたいな二人に思えるほどの、ほのぼのとした穏やかな雰囲気―――
―――それで、ハッと思い付く。
「……ねえ、ヴァニラ?」
「……はい。何でしょう?」
あたしの呼びかけに、ヴァニラは赤い瞳をこちらに向けてきた。
純真無垢という表現が似合う、宝石のルビーみたいなその瞳。
その掴み所の無い茫洋とした、ここではない何処かへ意識を置いているような瞳の奥にどんなものが籠められているのか。
「あのね―――」
そんな漠然とした感覚と明確な意思が疑問となって、あたしの口から紡がれた―――
「ヴァニラはタクトさんのこと、好き?」
「…………えっ?」
暫しの沈黙。
不意に木々のざわめきが止んだように聴こえなくなる。
言った本人も、訊かれた本人も、座ったままの状態で固まっている。
尤も、訊かれた本人は目と口をポカンと開けて、一匹の宇宙ウサギを膝に乗せたまま固まっていた。
他のウサギたちが無邪気に、あたしたちの周りを跳びはねている以外、公園にある自然全ての機能が停止したような錯覚に陥った………
そのまま永遠に続くのかと思えた瞬間。
「―――あの……」
沈黙を破る、放たれた第一声は。
「よく……分かりません……」
あっけないほど簡単で、曖昧な答えだった―――
答えを聞いた後、あたしはそのまま呆然としていたが、すぐに我に返ると、おずおずと戸惑いながら問い尋ねることにした。
「えぇっと……何が分からないの?」
ヴァニラは一度目を伏せると。
「よく……分からないのです……好きというものが……」
困惑気な表情を浮かべて、あたしを見つめてきた。
「……えっと……」
再び訪れる沈黙に、今度はあたしも困惑してしまう。
その疑問にどう答えて良いのか分からない。
まるであたしがヴァニラを虐めているかのような、そんな錯覚を生み出す。
訊いてみて思う。自分ですらよく分かっていないことを、何故、他の娘に尋ねるのか。
何故、自分が答えられないようなことを、それ以上に分からなそうな娘に尋ねたのか。
後に残るのは、悔恨と焦燥………
この気まずい空気を何とかするには、元凶の自分が何とかしなければ。
そんなあたしに出来ることはたった一つ。
「でもさ―――」
佇まいを直して、隣に居た少女に向き直ると。
「タクトさんと一緒だと楽しいとは思わないの?」
放たれた言葉は単純明快にして、当たり前とも言える疑問だった―――
「………………」
ヴァニラの困惑気な表情は揺れ動かない。
結んだ口は何かを恐れているみたいに閉ざされたまま。
「それも……分かりません……」
再び同じ意味を持った答え。
でも、大丈夫だと、心の中で無意味なガッツポーズをしてしまった。
「私は今まで、好きと言う気持ちも、楽しいと言う気持ちも分からないまま生きてきたので……」
何故なら、徐々に上がっていく両手で胸の辺りを押さえる、その仕草と。
「……でも、タクトさんといると何か温かくなるものを感じます……」
微笑を浮かべて緩んでいくその口元が。
「この一緒に居たいという感覚が……“好き”というものなのでしょうか?」
何よりも、明確に答えを示していたから―――
「そうだね……多分そうだと思う」
煮え切らない答え方。でも、微笑みながら自信を持って頷く。
「あたしも良く分からないけど、一緒に居たいっていう気持ちは少なくても“嫌い”じゃない証拠だよ」
「そう……でしょうか?」
「うん! ヴァニラならきっと大丈夫。だから自信を持って!」
よく分からない回答と、何の根拠も無い励ましにも拘らず。
「はい……ありがとうございます、ミルフィーさん……」
にこやかと言った表現が相応しいくらいに、ヴァニラは微笑んでお辞儀をしてきた。
それに倣って、あたしもお礼を返す。
「いえいえ。こちらこそありがとうございました! おかげで助かっちゃった」
「……おかげで?」
「ううん、こっちの話―――」
その時、公園はおろか艦全体に響き渡るサイレンが起こった。
その後すぐに、無人艦隊の出現と第一戦闘配備の通信が入り、あたしたちも格納庫へ移動を開始した。
「行こう、ヴァニラ!」
「はい……!」
ヴァニラと2人で格納庫へ向かう。
公園の芝生の上を駆け走りながら、考える。
あたしは詳しいというほどの自信は無いけど、好きという感情を漠然として分かっているつもり。
ヴァニラは知識としても理屈としても分かっていないと思うけど、感覚として理解は出来ているみたい。
これらを鑑みてあたしたちに共通することは、あたしもヴァニラも本質は同じなのではないかと言うこと。
少なくてもお互い思い浮かべた人を嫌ってはいない。少なくとも一緒に居たいと思っている。
その人の傍に居ることによって、穏やかに、そして安心できる、その気持ち………
恋愛の『好き』とも違う、このプラトニックな想いは………
(レスターさん、改めてよろしくお願いしますね!)
『憧れ』という名の叶えやすい力をもった、素敵な魔法の言葉だった―――
「ミルフィーさん……一つ、お尋ねしたいことがあるのですが……」
「ん? 何、ヴァニラ?」
「……この前ミントさんと一緒に部屋へ戻ったときのことなのですが……」
「うん?」
「あの時、廊下で副司令と抱き―――いえ……やはり何でも……」
「? 顔が赤いけど、どうしたの?」
「い、いえ……本当に何でも……」
See you next again……