喧騒が起こっている銀河展望公園には、航行に必要な人員以外、エルシオール乗組員の9割が集合していた。

自然という緑の彩りに囲まれ、瑞々しい大気を身に浴びながら一同はグループごとで和気藹々と笑顔を浮かべながら談笑している。

 

「だからなんでそうなるんだ!?」

「さっきから言ってるじゃないか、俺達もよく分からないんだって……」

 

……それでも、例外はあるみたいで。

 

「三分咲きにもなっていなかった桜が、いきなり満開になるわけないだろ! しかもたった3日で!」

「あ〜、うるさいわね! 別にいいでしょうが、咲いてるならそれで!」

 

1人だけ今の公園内で、怒鳴り声を上げる人が居た。

 

「良い訳あるかァ! そこ、酒は禁止だぞ! 未成年は飲むな!」

「ちっ……」

 

その人に怒鳴られた蘭花は、袋の中に入っていたワインの瓶をもう1度しまい直す。

拍子に袋の中に、『神殺し』と書かれたラベルが貼られた一升瓶が見えた。

 

これじゃ、せっかくのお花見が台無しになっちゃうな………

 

仕方ないと思ったあたしは、その困惑の真っ只中にいる人の傍に行く。

 

「あたしが説明しましょうか?」

あたしが近くに来た途端、その銀髪の人はさらに狼狽した。

「ミルフィー? 何でお前が? と言うかお前も読むな!」

振り向くなり、その銀髪の人―――レスターさんは驚いたように目を見開くと、訳の判らないことをわめき散らしてくる。

 

「まあ、どうでも良いじゃないですかそんなことは」

 

あたしは、困惑気な表情を向けてくるレスターさんの目を見据えて、現状までの経緯を語ることにした。

 

「―――あたしの話を聞けば、レスターさんの疑問が解決できると思いますよ」

 

 

 

 

 

一片の花弁が舞う木の下で、自然の息吹を感じながら―――

 

 

 

 

 

 

 

 

Good relation

Taste6 『クレマチスに願う、喜びの理想(おもい)』

 

 

 

 

 

 

 

「―――そもそもこの1週間内に、この樹には蕾みすら付いていたところなど見たこと無いのだが……お前は知っているのか、ミルフィー?」

「はい、もちろん。だって、その原因というのがあたしなんですから」

「はああ!?」

絶句して立ち尽くしているレスターさんの瞳を見据えながら、あたしは3日前の出来事を語った。

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

展望モニターに映る、無数の光点が宝石のように散りばめられた星々が広がっている宇宙空間。近くには広大なスケールを誇示して宇宙空間を航行している儀礼艦エルシオールが、メインモニターで確認できた。

そして、その周辺に見える一定しない規模の小石のような、無数の小惑星も。

 

あたし達ムーンエンジェル隊は6機の紋章機で、次のクロノ・ドライブを行うまでの間、小惑星帯を突き進むエルシオールの護衛にあたっていた。

何時、敵の戦艦に襲われるか分からない今の時期、用心に越したことは無いのだけれど、何の異変も起きない状況に退屈を持て余している時だった。

 

「―――それではミルフィーさんは、給仕係の役を担当なさるのですか?」

モニターに映っているミントが、もう一対の片耳を動かして尋ねてきた。

「そんな、給仕係なんて大げさな。ただ、食堂のおばさんたちのお手伝いするだけだよ」

あたしは紋章機のコクピット内部から返答する。会話の最中も操縦や計測を怠りはしない。

 

元々、今回の式典準備行程にそんな役割は無い。

普段、自分達に宛がわれている仕事の延長上みたいなものを準備期間中にやらされるので、あたしがやろうとしていることは自発的なものだった。

 

「お人好しねぇ、アンタも。アタシは式典準備まで補給の時に購入した、恋愛映画のフルセット30巻見るくらいしか予定無いわね……」

別のモニターではパネルを操作しているのだろうか、やや前傾姿勢の蘭花が溜息混じりに言う。

「まさか式典当日まで映画鑑賞というわけにも参りませんでしょうが、蘭花さんは他に自発的になさろうとする事はありませんの?」

「それが出来れば苦労しないわよ。実際式典の時、何するのかまだ分かってないんだから……」

 

2人の会話通り、皇国成立200周年記念式典がエルシオールで行われる事はすでに確認済みだけど、実際に何が行われるのかはまだ分からなかった。

 

「おいおい、お3人方、私語は慎んだ方がいいんじゃないのかい? 今あたしらはエルシオールの警備の途中なんだからさ」

その時、あたしたちの会話に割って入るかのように、フォルテさんが通信を入れてきた。

「って言ったって、今のところ何も起きそうもありませんよ? 少しくらい会話したって平気だと思いますけど」

「本来なら、あたしもそうしたいんだけどねぇ……」

でも、その蘭花の高を括ったような言葉に、フォルテさんは含んだ言い方で口を閉ざす。

そのモニター越しの視線はあたしたちの方へ向けられては居ない。

「?」

あたしたち3人は顔を見合わせると、もう一方の声によって我に返ることになった。

「先輩方……ヴァニラ先輩が……」

ちとせの何か言い難そうな声に、あたしはすぐさまハッとなり別の方向へ視線を向けると、そこには………

 

「………………」

 

何時もと変わらない無表情。

でも、肩に乗せているリス型のナノマシンペットが尻尾を丸めて縮こまっているその姿は、知っている人であれば、それがその人物の心境を如実に物語っていることが認識出来た。

 

「ヴァニラ、大丈夫?」

その様子を見ていたのか、蘭花が尋ねる。

「……はい。問題ありません」

返答もいつも通り、でも憂いを含んだ呟きに聴こえた。

 

ここ最近4日ほどタクトさんを見かけていない。

エルシオール全乗組員が式典準備の激務に各自追われている為か、見かけなくなってきている。

その間、あたしたちも自分達に課された任務に取り組んでいたのだが、日が経つにつれ心なしかヴァニラに元気が無くなって来ていた。

 

けど、その理由は多分みんな分かっていると思う………

 

「今回ばかりは、あたしらの司令官殿も忙しいようだねえ……」

 

僅かに訪れた気まずい沈黙を破ったのはフォルテさんの呟きだった。

 

「そうですわね。まあタクトさんのことですし、しばらくすれば私達の前に現れますでしょうね」

 

その呟きがきっかけだったのか、連鎖するように交わされる会話は、

 

「ミント先輩、そんなタクトさんを動物のように……」

「あ、上手い喩えね、ちとせ。アイツらしい表現だわ」

 

沈鬱な気分を吹き飛ばすのに充分な力を持っていた。

 

「……ふふっ」

 

その時。

知らず寂しそうで、それでいて穏やかな微笑が、耳に入った。

その微笑(わら)いが何処からかは言うまでも無いけど、自分の心の中もほんの少し晴れ渡ったような気がした。

 

「はいはい。おしゃべりはそこまでにして、仕事続けるよ」

 

「「了解」」

 

心機一転。その後、あたしたちは黙々と任務を続けた。

 

しばらくしてエルシオールは小惑星帯を抜け、クロノ・ドライブに向けて準備を進める。

護衛の必要も無くなったために、あたしたちエンジェル隊は紋章機を収容しようとしたその時、

 

「―――あれ、ちょっと待って」

蘭花の何か驚いたような声に、意識が別方向へ行ってしまう。

「どうしましたか、蘭花先輩?」

「レーダーが生命反応らしい物体に反応してるんだけど……」

「えっ―――」

 

通信回線を通して、緊張感が走った。

 

「蘭花、何処にあるんだい、それ?」

「六時方向から、距離約6000の所に―――」

 

刹那、蘭花が言い終える間も無く、その場所へ動き出した一つのホワイトグリーンの機体があった。

 

「ハーヴェスター!? ヴァニラ先輩!」

「ち、ちょっとお待ちください! ブリッジからの指示がまだ……」

 

ちとせとミントの静止を振り切るように直進するハーヴェスターのパイロットは、まるで何か確信した動きに見えたのは気のせいだろうか。

 

不意の事にも何とか追いつき、事情を聴こうとしたその時、事態は呆気なく終焉を迎えた―――

 

「……回収完了しました」

 

落ち着いた、そんないつも通りの少女の声によって………

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

「―――しっかし、昨日はとんだ騒ぎだったねえ」

「そうですね」

廊下を歩きながらフォルテさんが呆れがちに呟く。

その表情を横目にしながら、隣で歩いているあたしは苦笑して首肯する。

 

あたしは今、フォルテさんと一緒にクジラルームへ向かっていた。

 

「生命反応を見つけて、いきなりヴァニラが行動に出たと思ったら、発見したのはうちの司令官どのと来たもんだ……」

ぶつぶつと呟かれる言葉を耳にしながら、昨日の出来事が脳裏を過ぎる―――

 

あの時、ヴァニラが回収したのは脱出用ポッドで、中を調べてみるとそこには何故かタクトさんが縛り付けられ気絶していた。

 

すぐさま救出し、医務室に運んだ。そこまでは良かったのだけれど………

 

「でも、なんでタクトさん脱出用ポッドの中に入ってたんでしょうかね?」

「敵に襲われたのかとは思ったけど、タクトも良く分からないって顔してたからね」

目を覚ました時のタクトさんの顔を思い出すと、拍子抜けやら理不尽な怒りが入り混じった感覚が、胸中を渦巻いていたのを覚えている。

 

宇宙空間を彷徨っておきながら、本当に昼寝をしていたようなタクトさんの呑気そうな態度を見た途端、怒り狂った蘭花の鉄拳をお見舞いされて、もう1日休暇を取る羽目になっていた。

 

「まあ、今はヴァニラがついているんだから、一概に悪い事ばっかりじゃないかも知れないよ?」

ははっ、と笑うフォルテさんの横顔は、何か企んでいるみたいな、そんな表情だった。

 

そうこうしている内に、銀河展望公園に辿り着く。

 

入り口を潜ると、あたしたちを迎え入れたのは、瑞々しい自然の息吹を含んだ清涼な空気だった。

 

「流石は自然種の空気。爽快感が違うねぇ」

「そうですよね。一枚も葉が付いてませんけど、そこにあるだけで全然違う……」

 

中心部にある自然種の樹を眺めながら、清々しい気持ちで心情を吐露した。

 

 

緑の彩りに囲まれ、芝生を踏みしめながら、公園の奥へと歩みを進める。

 

 

「でも、フォルテさんが園芸(ガーデニング)に興味があるなんて意外でした」

「ん? そうかい?」

 

あたしたちが公園に来たのは、フォルテさんが育てている花壇を見てみたくなったのがきっかけ。

同じく花壇を持っているあたしとしては興味津々で、フォルテさんが補給で手に入れた花の種というのも気になった。

 

「はい。なんか意外に女の人らしい一面があるなあって……」

「意外は余計だってのに……」

あたしがそう感心していると、フォルテさんは渋い顔をしていた。

「あれ? フォルテさん、どうしたんですか?」

「……いや、なんでもないんだ。何でも……」

「?」

顔を顰めて首を振る態度に、あたしは首を傾げてしまう。

 

感心したつもりなのに、何か悪い事でも言ったかな?

 

そう思っていると、公園の奥にある花壇の場所が見えてきた。

 

「わあ、綺麗……」

花壇に近づくと、思わず溜息が洩れ出す。

 

眼下に広がる区切りされた色彩の園は、控えめな自己主張する花々が土面から顔を出していた。

 

「これ、全部フォルテさんが?」

「ああ。仕事が終わった時とか、合間を縫って世話してるんだよ」

「へぇ……」

 

しゃがみ込んで、植えられているお花の種類を確認してみた。

 

金木犀(きんもくせい)、石楠花(しゃくなげ)、シロツメクサ、など、多種のお花が植えられているのが分かったのだけど……

 

「……あれ?」

「ん? どうしたんだい、ミルフィー?」

背後に立っているフォルテさんが、あたしの声に反応してくる。

「フォルテさん、あのお花なんて言うんですか?」

「ん〜、どれどれ……」

あたしが指差した所は、花壇の端に植えられている赤紫色のお花。

 

赤い花弁に紫色の弁化したおしべ。

花形が一種ではなく、八重といった珍しい品種のお花に目を奪われてしまう。

 

「あれはね、『クレマチス』っていう名前の花なんだよ」

「クレマチス……?」

その名前を反芻してみるが、あたしの記憶の中に思い当たるようなお花の名称は見つからない。

「ああ。あたしの故郷の星の特産品でもある花なんだよ……」

背後の気配が揺れ動く。

振り返った時には既に誰も居なく、フォルテさんはクレマチスが植えられている場所にしゃがみ込んでいた。

「あっ……」

慌てて傍らに近づくと、クレマチスを見つめるフォルテさんの横顔は、心なしか穏やかな表情に見える。

つられるようにして、その赤紫色のお花を眺める。

 

クレマチスはつる性なのか、この花壇に植えられている他の花々と違って、挿し木に絡むようにして蔓を伸ばしている。

けど、先が丸い赤色の花弁を見ると、まだ明るい時間帯だと言うのに鈍く反射するほどの光沢があった。

 

「とっても大事に育ててるんですね」

「……そうかい?」

「はい。だって、何か輝いてるように見えますから……」

 

 

言葉通り、クレマチスはここにある他のお花よりも、一段と綺麗に見える。

 

それは思いやりだけでなく、このお花を育てている人の心の中が、透き通った水のように清らかで美しい心の持ち主であることを反映しているみたいに思えた。

 

「このお花を見てると、フォルテさんって綺麗な心の持ち主なんだって思います……」

しみじみとしながら、感心した響きを含ませた呟きがあたしの口から発せられた。

それは決して嘘じゃなく、本心からそう思った言葉。

 

「さあ、どうだろうねえ……」

でも、その呟きはあまり嬉しそうには聴こえず、反射的に声の主へと視線を向けてしまう。

「……フォルテさん?」

フォルテさんの横顔から嬉しそうな面持ちは見受けられない。

むしろ、寂しそうな憂い顔が眼に焼きついてしまった。

 

何か変なことでも言ってしまったのだろうか?

こんな表情をさせてしまうほど、あたしは配慮が足りなかったのかもしれない………

 

そう思った矢先―――

 

「ねえ、ミルフィー」

「は、はいぃ?」

突然呼ばれたために、心の準備が出来ていなかったあたしは、驚きと戸惑いが入り混じった間抜けな声を上げてしまった。

「このクレマチスの花言葉、何て言うか分かるかい?」

でも、フォルテさんは気にした様子も無く、淡々と語り続ける。

 

「えっ―――」

 

聞き返す間も無く、言葉は紡がれ続けられる。

 

「『美しい心』っていうんだ―――」

 

続けられた言葉は、振り向いた顔と同じく、

 

 

―――あたしとは正反対の言葉だろ?

 

 

何とも言えない感情(おもい)が籠められていた―――

 

 

 

ふと風が吹く。

 

風に煽られた木々は、ざわめきを起こして枝葉同士を擦り挙げる。

 

空気とともに変貌する周囲の雰囲気。

 

 

 

時は動き出す………

 

 

 

もう一度、クレマチスに視線が向けられる。

 

「……ミルフィー。あたしの心の中はね、綺麗でも、美しくも無いんだよ」

物思いに耽るその横顔から、言葉が淡々と紡がれていく。

 

その姿から醸し出される独特の雰囲気は、あたしが口を挟む事すら躊躇われる何かがあった。

出来ることは、ただその近くでしゃがんで、動向を見守るだけ………

 

「物心付いた時から、今を生きるのに精一杯な日常の中に居たあたしにとって、この花は唯一の安らぎを齎してくれる物だったんだ……」

 

手を伸ばし、クレマチスの花弁に触れる。

触れられたクレマチスは、弾かれるようにして赤紫の花弁を震わせた。

 

「でも、いつも手元にあったのはこの花なんかじゃなくて、安らぎとは似ても似つかないような重苦しい拳銃。それを使い終わった後には、洗っても洗っても落ちないような汚れが両手にこびり付いてたよ……」

 

手を引っ込めて、天を仰ぐ。

 

遠い目をしながら語る脳裏には、あたしには想像も付かないような過去という名の記憶が詰まっているのだろう。

 

「そんな日常を過ごしていくうちに、手に付いた汚れを拭い去れないまま、今に辿り着いちまった……」

 

振り向かれる深緑の瞳は、哀しげでありながら少しの揺らぎも見られない。

 

「あたしは、人様に胸張れるような人生は送っちゃいない。積み上げてきたものが他人から奪い取ってきたものばかりなら尚更の事さ……」

 

寂しげに伏せられる目。

 

 

 

 

「でもね……それでも諦めようなんて、考えなかった―――」

 

 

天井に映る青空と、燦々と照りつける人工太陽の下。

 

 

 

何時しか、物哀しげな瞳は、毅然とした決意を秘めた、真摯な眼差しに変わっていた―――

 

 

 

 

 

 

「だから、あたしは思ったんだ……。

汚れが拭いきれないなら、せめて心の中でも花みたいに綺麗で居ようってね……」

 

 

 

 

 

 

「……フォルテさん」

 

微笑(わら)いかけられ、やっとの思いで茫然と発せられた言葉は、溜息にも似た呟き。

 

 

 

何処からか吹く緩やかな風とともに、周囲の緑がいっせいに葉を擦り上げる、木々のざわめき―――

 

 

 

「あたしもいつか華を咲かせたいんだ……そう―――」

 

 

 

花を見つめ、自然が演出する多数の拍手に迎えられながら―――

 

 

 

 

 

「―――このクレマチスみたいにね……」

 

 

 

 

 

同性からでも美しいと思えるような、慈愛に満ちた優しげな微笑が浮かぶ―――

 

 

それは公園に漂う清涼な空気や麗らかな陽射しよりも………

 

 

まるで全身にある血管を伝わって心地良く染み渡るような、優しい響きを持っていた―――

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

全展望モニターに映る満天の星空。

宝石のように散りばめられた星々が眩く夜空を彩る、夜の銀河展望公園。

 

あたしは今、自然種の樹の前に佇んでいる。

 

「………………」

 

薄闇色に染まった巨木を地上から眺めながら、何故自分は今ここにいるのだろうと考えていた。

 

昼時のフォルテさんとのやり取りが、脳裏から離れない。

 

 

 

いつか華を咲かせたい。

 

その切実な願いを籠められた言葉を叶えるためには、そんなに時間を必要とすることなんだろうか………

 

 

 

あの時の決心が籠められた言葉の魔力に魅了されてしまったのか、眠れないまま公園の散歩をしているうちに、この自然種の樹の場所まで来てしまった。

 

制服のポケットから出てきたのは、フォルテさんから貰ったクレマチスの種。

ビニール袋に入ったそれら数粒は、黒茶色と言った表現が正しいほど暗い色に染められていた。

 

いや……そう映るのは、この夜の公園の風景が醸し出す錯覚なのかも知れない。

 

 

「ま、いっか……」

小声で囁かれた言葉は、自分でも驚くくらい絶妙に感じた。

 

そう、そんな事はどうでもいい。

 

例えこれから心の中を絶望という暗闇が襲い掛かって来ても、混沌という感情に見舞われても。

 

今から気まぐれ的に行おうとしていることに比べれば、ほんの些細な事にしか思えなかった。

 

「えへへっ」

 

微笑みながら、袋の中から種を取り出す。

 

「えいっ……」

 

そして、それらを無造作に投げ蒔いた。

そこにあるであろう、薄闇に覆われた土のある地面に向かって。

 

「これでよしっと。それじゃ、帰ろ」

 

手を払って、踵を返し、公園の出口に向かう。

 

夜露に湿った芝生を踏み締めながら、何故こんな事をしようと思ったのか考えてみた。

 

あたしは一体どうしちゃったんだろう………

 

フォルテさんとのやり取りが原因である事は分かっているけど、行動はあたし自身の意思によるもので、他者は関係無い。

 

フォルテさんが何故、あたしにあんなことを話してきたのかは分からない。

 

でも、あれから考えてみると、花も人間も同じだと思った。

苗木から立派な成木に育て、成長した姿から蕾を作り、花を咲かせる。

 

それは育ててくれる人が居ればの話で、実際通常の成長過程を辿れなかった花は、まともな形にはならない。

 

……そんなことを、何時誰が決めたんだろう?

 

遅れたって、間違ったって、道を踏み外したって良いと思う。

 

花を咲かせるのに、種類を問う資格を持つ者なんかいない。

 

皆平等に華を咲かせる資格、否、権利はある筈だ。

 

 

だからこそ蒔いた。クレマチスの種に願いごとを籠めた。

 

 

想像も付かないような過去を持ったフォルテさんだけでなく、この銀河に住む人達を対象にした切実な、ありきたりな願い。

 

 

 

―――咲かせるのは心の中だけじゃなく、外見からも見えるような花を咲かせて欲しい。

 

 

皆が幸せになれるような、喜びに満ち溢れた笑顔という満開の花を、この銀河に住まう全ての人達に………

 

 

 

 

 

滅多に笑顔を見せない、あの銀髪の人には特に強く願いながら、あたしは公園を後にした―――

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

「―――では、そのクレマチスとやらの種を蒔いたのが原因で、こんな事になったっていうのか、お前は?」

「ええ、多分」

話を終えると、レスターさんは疲れた表情で溜息を吐いた。

 

喧騒がますます活発になってきた公園内で、今、あたしはレスターさんの傍らに座っている。

背後には満開となった桜の樹が、吹く風とともに花弁を舞い降らせる。

 

周囲を見回すと芝生に広げた多人数用のビニールシートに座り、お弁当と飲み物を用意して談笑している人達の姿が見受けられる。

幾つかのグループは宴会となり、このまま放っておけば、酣に入る事は間違いないと思った。

 

「……それで、いち早く満開した桜の樹を見つけたお前が、エルシオール中にピクニックを提案したってワケか」

「正解で〜す。こんなに綺麗に咲いているときに、お部屋に閉じこもって仕事なんて身体に悪いですよ。息抜きにはピッタリだと思いませんか?」

「思わん」

にべも無く否定されてしまった。

「ええっ、何でですか? せっかくのお花見日よりなのに」

「得体の知れない方法で、それもたった2日で満開にさせた樹を目の前にして、暢気に花見なんぞ出来るか!」

逆に怒鳴られ、そっぽを向かれてしまう。

「得体の知れない方法なんかじゃないですよ」

「じゃあ、何だというんだ?」

視線を合わさずに問い尋ねてくる。

 

ここからじゃ見えないけど、きっと眉根を寄せているのだと思った。

 

 

 

「それはですね……」

 

眼前に見えるのは、無愛想な男の人の顔。

 

その表情は夢も奇跡も信じないような、理屈っぽそうな人の顔立ち。

 

でも、そんな人だからこそ、信じ込ませたい奇跡の話がある。

 

それが例え、自分でも確信できないことでも、漠然としか分かっていないことでも。

 

背後から向けられる桜色の笑顔は、自然と続きをあたしの口から紡がせた―――

 

 

 

「―――あたしの想いと強運のせいだと思うんです」

 

 

 

「―――はっ?」

 

 

 

予想は見事に的中。

この人は寸分違わずに、困惑に満ちた表情であたしを見つめてきた………

 

 

 

「お〜い、ミルフィー。レスター。こっちこっち〜!」

その時、遠くからあたしたち2人を呼ぶタクトさんの声が聴こえてきた。

 

声の方向へ振り返ると、向こうには既にタクトさんやエンジェル隊のみんなと輪になって一緒に座って、手を振っていた。

そこにはアルモさんとココさんたちの姿も見られる。

 

 

そこに居る人達は、皆楽しそうに微笑み、和気藹々とした場景を作り出していた。

 

「は〜い、今行きます!」

否、タクトさん達だけでなく、周囲にいる人達全員に言えることだと思う。

 

 

―――それらを見ていたあたしは、1つの決意を行動に変える。

 

 

「レスターさん、早く行きましょう!」

まだ固まっているレスターさんに手を握って、みんなの下へと歩き出す。

「お、おい! 俺はそんな気分じゃ……」

後から戸惑いの訴えが聴こえるけど、そんなものは考慮に入れない。

 

掴んでいる手は無骨で、あたしより二回りは大きい。

 

けど、手だけではなく、身体も大きいこの人の心にはどんな花が咲いてるのか、それともまだ咲いてないのか………

 

まだ、あたしはこの人の、そんな部分については良く分からない。

 

でも、そんなあたしでも出来ることがある。

 

「レスターさん」

ピタリと歩みを止める。

「な、なんだ……?」

それに連なるようにして、踏鞴を踏みながらもレスターさんは歩みを止めた。

振り返ると、少し見上げて確認できたその表情は、まだ戸惑いが抜け切らない。

 

だからこそ、やってみる価値があった。

 

「お花の命は短いんですよ―――」

 

違う、あたしがしたくてするだけのこと。

 

「理屈なんかどうだって良いんです―――」

 

先程から無愛想な表情(かお)をしているこの人を微笑ませたい。

 

「今だけなんです……こんなに綺麗に咲いてるのは―――」

 

それはお花も人間も同じ。

 

「人もお花も咲かせるのは一瞬で、後はあっけなく散っちゃう……そんな間際まで、無表情で居たくないんです―――」

 

 

 

 

 

だから―――

 

 

 

 

 

「―――楽しみましょうよ。ほんの一瞬でも微笑っていられるように」

 

 

 

 

 

頑なに閉じられた蕾に、綺麗な花を咲かせてみよう―――

 

 

 

 

 

「………………」

「………………」

 

お互い、何も言わず立ち尽くす。

 

見つめ合う顔は、茫然と微笑み。

 

青空に浮かぶ麗らかな陽光と緩やかな暖気、周辺のざわめきが自然と一体化して耳朶を震わす。

 

それでも時が止まったように動かないあたしたち2人………

 

 

 

 

 

そうして、どのくらいの時が流れたのか。

 

 

 

 

 

いつの間にか、静寂となった周囲と目の前で起きた溜息に気付いたのは、ほぼ同時だった―――

 

 

 

 

 

「……分かった。もう何も言わん……」

溜息混じりの呟きとともに、握られる片手。

「えっ……」

今度戸惑ってしまったのは、あたしの方だった。

 

「本来ならば、止めるのが筋なのだろうが……」

 

そうして向けられる青い瞳と顔―――

 

 

 

 

 

「悪くは無いな……こうして短き美しさを眺めるのも―――」

 

 

 

 

 

優雅で広大な色彩を放つ花が、そこに満開していた―――

 

 

 

 

 

「……でしょう!」

微笑み返す。あたしの一番得意な笑顔という名の喜びの感情表現で。

 

「だが今日限りにしてくれ。俺は本来こういう雰囲気はどうも苦手だ」

「ええ? また今度一緒に皆で楽しみましょうよ」

 

消極的な会話に含まれる感情は、今だけ喜悦を表現しているのかも知れない。

 

「そうだな……気が乗れば考えてやる」

 

そう言った顔は悪戯そうで、満更でもないというような感じに思えた。

 

「えへへっ。楽しみにしてますよ?」

「あくまでも善処だからな」

「いいえ、確定にさせてください!」

 

そうして手を繋いだまま、再び歩き出す。

 

気が付けば、周りにいる人達が目を丸くしてあたしたちを見ていた。

 

多分、レスターさんが笑顔を浮かべている姿が珍しいのかもしれない。

 

 

でも、あたしは決して珍しいとは思わない。

 

 

レスターさんが本当は、とっても優しげに微笑うことの出来る人だということを、あたしは前から知っているから………

 

 

 

一枚の花弁が舞い散る青空の下。

 

 

 

あたしたちは温かな空気に迎えられるようにして、お花見を開始していった―――

 

 

 

 

 

 

 

See you next again……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『注意』  この章は決して最終回ではないのであしからず orz