とある日の昼時、怒鳴り声が反響する儀礼艦エルシオール副司令官室―――

 

「―――何!? また苦情が増えたのか!?」

銀髪の男―――レスター・クールダラスは、通信機の向こう側に居る相手に対して驚愕の声を投げかける。

『苦情だけじゃないよ。式典に関しての書類も本星からまた送られてきたしね』

通信機越しの苦笑い混じりの言葉に、レスターは顔を上げて視線の先にあるものを確認し、嘆息した。

「……それが全て、ここにあるものに関係があるというのか?」

『一応はね。まあ大事な時期だし』

「何を悠長に言ってやがる! 大事な時期だからこそ、少しはお前も働いたらどうなんだ!?」

『……レスター』

それまで大らかな口調で話していた青年の声が、通信機越しからでも判るほどの引き締まったものに変化した。

『その大事な時期に、単独で行動してたのは誰だい?』

「ぐっ……!」

図星を突かれ、レスターの中で渦巻いていた苛立ち、憤りといった感情が、潮が引いていったように治まっていく。

『聞くところによれば、最近アルモやココと別行動で作業してたそうじゃないか? せっかく女の子2人で仕事が出来るって言うのに、勿体無いなぁ……』

最後のセリフはともかく、ここ最近単独で行動していたのは事実だった。

相手が口篭っているのにも構わず、通信の相手は続けた。

『その間、オレも普段しない仕事をしたりしてたからエンジェル隊のみんなと会える時間が減っちゃうし、結構忙しかったんだからな』

「すまん……」

知らず知らずのうちに、親友に苦労をかけていたことを知ったレスターは、重々しい口調で謝罪する。

『ま、いいさ。お前も色々とあるみたいだしね』

その時、不意に相手の口調が柔らかい物に変化する。

「? どういう意味だ?」

訝しんだ問い掛けも空しく。

『もうすぐしたら、悩みごとが無くなると思うから、今日はゆっくりしてなよ。それじゃ!』

「タクト!? オイ、待て!」

返答を待たずして通信機からタクトの声は途切れていった。

「くそっ……」

レスターは1つ舌打ちをすると、通信機を切り、机の上にある本体へ戻す。

(今日はゆっくりしてろ……だと?)

タクト本人からの悪意は無かったのだろう。

だが、今のレスターにはそれが例えようもない害意に感じられた。

 

何故なら………

 

「ならば、どうする気なんだ、これは……」

目の前に立ち塞がる。否、デスクに山脈の如く積み重ねられている大量の書類。

 

辛うじて椅子に座れるくらいのスペースが作られているものの、1度席に着けばもはや束になった書類の山が壁となって視界を覆ってしまう。

 

そのことを認識している儀礼艦エルシオール副司令官レスター・クールダラスは、自室の隅に配置してあるデスクの前で茫然と立ち尽くしていた。

 

「……全て俺がやれというのか?」

言葉尻が震えた呟きは、部屋の四方に霧散し消えていく。

だが、書類の山は築かれたまま、消えることなく残っている。

 

 

 

 

 

身から出た錆びは、随分と大量なものだとぼんやりと思った―――

 

 

 

 

 

 

 

 

Good relation

Taste9 『潮騒のポエム』

 

 

 

 

 

 

 

 

書類の山を眺めながら。

(今年はまるで厄年だ―――)

と、後頭部に走る疼痛に眉を顰めつつレスターは思った。

 

思い返せば、ここ1週間悪い思い出ばかり。

 

ホールでの事故に巻き込まれるも、怪我の程度がそう酷くなかったことに周囲からは安堵の声が漏れたが、レスターの心には後頭部以上の大きな傷が出来てしまった。

 

そう、『女性と接すれば災厄が訪れる』という強迫観念が作り出した、やり切れようもない精神的(トラ)外傷(ウマ)となって………

 

いや、トラウマは言い過ぎかもしれないが、どちらにしろこの傷はとてつもない衝撃を―――元々女性と接することに慣れていない―――レスターに与えることとなった。

事故からの後日、レスターは極力女性に接しないような書類整理などの作業に没頭し、アルモとココが来ても言伝や居留守を使う有様となっていた。

別に彼女達が嫌いでも憎いのでもないのだが、どうしてもホールでの一件を思い出すと、顔を合わせることを拒否しがちになっていたのだ。

これでは不味いと思ったレスターは彼なりに考慮した末、しばらく身を隠すことによって、トラウマの克服を行った。

 

結果、一週間が経つと、ホールでの出来事の記憶が『ただの記憶』として認識したのか嘘のように身体の調子とともに心も軽くなっていった。

 

そうして心機一転として、仕事に励もうとしたのは良かったのだが………

 

(神よ……何の恨みがあるというのだ……)

 

レスターを待ち受けていたものは、机はおろか部屋の半分を埋め尽くそうかと言わんばかりの書類の山。

仕事内容を変更していた結果とはいえ、やってきたのは仕事量の増加。

 

もはや“凶運”が続いているのだとしか思えない、あまりにもタイミングの良い状況にレスターは。

 

「ククク……」

 

ふと自嘲めいた乾いた笑みを漏らす。

 

「もう笑けてくるな……」

 

もはや、この世には神など居ない………

 

己の不運過ぎる運命に感極まる、男、レスター・クールダラス22歳。

 

 

しばらく頭を垂れて小刻みに身体を動かしていたが。

ゆっくり顔を上げると、今まで誰も見たことの無いような不気味な笑みを張り付かせ。

 

 

 

 

 

「アーッハッハッハッハッハ!!! 殺せよォ! 俺のことが気に食わないんだろォ、神様ァ! 俺もお前なんて大嫌いだ、バーカ!!!」

 

 

 

 

 

狂人の如く、自室の中心で悲哀を叫んだ………

 

 

 

 

 

だが、少しでも神を冒涜した者には、それ相応の運命が待ち受けているのか。

 

「―――すいません。レスターさん居ますか?」

 

外からの声に反応する間も無く、突然、部屋のドアがひとりでに開きだした―――

 

「―――っ!?」

 

突然の出来事に、レスターは笑いを止め、身を弾かせるように振り返った。

驚愕な面持ちが消えぬまま、ドアの奥へと視線が向けられる。

 

その先には―――

 

「あ、レスターさん! まだお部屋に居たんですね!」

「!!!」

 

 “強運”の女神が、満面の笑みを浮かべて光臨していた。

 

「……はっ……ぁ……」

 

何故、ドアが勝手に開いたのか? 

そう考える余裕すらない状態で、引きつった顔で口を開閉させながら、脳が上手く働かず言葉が出せないレスター。

 

それもその筈。ここ最近レスターを迷走させる原因となった元凶がすぐ向こう側に居るのだから、混乱するのは無理も無い。

 

「お久しぶりです……お元気でしたか?」

 

そもそも単独行動に走った最大の原因は彼女だというのに、まさか向こうから来るのは予想外であった。

これでは何のために彼女を避けていたのか分からない、そう考えつつも時は刻まれていく。

 

「あれ? レスターさん、どうしたんですか?」

 

そんな彼の心境など露知らず。

ピンク色の髪をした少女―――ミルフィーユ・桜葉は硬直しているレスターの様子に首を傾げながら、彼の元へと近づいていく。

 

「―――っ!」

刹那、レスターは飛び上がるようにして我に返り、思わず背中をデスクにぶつけるほど後退りする。

「っ!? いかん!」

その拍子に衝撃によって倒れそうになった書類の山を慌てて押さえつけ、床に散乱することを防いだ。

ビルの如く連なり、ぐらぐらと揺れ動いていた書類の束はようやく動きを止める。

「ふぅ……危なかった……」

「お疲れ様です。もう少しでバラバラになっちゃうところでしたね」

「あぁ、まったくだ。仕事量が増えたというのに、掃除までさせられてはたまったものじゃないからな」

「へぇ……大変だったんですねぇ。レスターさんも……」

「最近、単独で仕事をしてたからな……ん?」

そこまで会話をしていた途端、ある違和感に気付く。

(何で俺は会話していたんだ?)

そしてもう1つの声が聞こえてきた方向へ振り向いた時、違和感の正体に気付いた。

「って、ミルフィー!? お、お前、いつの間に……」

「いつの間にって、さっきから話してたじゃないですか」

「あ、ああ……それはそうなんだが……」

隣で微笑むミルフィーユからは邪気など感じられない。むしろ余りにも自然な佇み方は逆に相手を戸惑わせた。

だが、いつまでも戸惑っているわけにもいかない。そう思ったレスターは1つ咳払いをした後、気を取り直して尋ねることに。

「と、ところで、お前は何しに来たんだ?」

「あっ。そうでした。言うの忘れてましたね」

えへへっ、と毒気が抜けるような屈託の無い笑みに、レスターは怪訝な表情を返す。

だが、すぐに笑みを治めると、緊張気味の表情でレスターの目を見据えた。

「あの……レスターさん、これからお暇ですか?」

(何!?)

世間話をするような、なんてことの無い尋ね方。だが、今のレスターには以前の出来事からか、警戒の色が浮かび上がる。

「もうすぐ休憩時間に入りますよね?」

「あ、ああ。確かにそうだが……」

 

まさかこのまま仕事を手伝うとでも言うつもりなのか?

 

ホールでの出来事のような凶運が再来することを恐れたレスターは、内心怯えながら続きを促すことに。

 

「そ、それじゃあ……」

ミルフィーユは僅かに俯くと、意を決したように言葉を紡いだ。

 

「お昼、一緒に食べませんか!?」

 

「……はっ?」

 

突然の提案にレスターは目が点になってしまった。

 

無理も無い。

パンパンに空気が張り詰めていた風船に穴が開き、急激に萎む如く。あれだけ警戒していた心が一気に萎えてしまったのだ。

 

「ちょうどあたしもお昼まだだったんです。だから、レスターさんを誘おうって思って……」

硬直するレスターを目の前にして、ミルフィーユは先程から持っていたのか、バスケットをかざした。

「それに最近、お話とかしてませんでしたし、この機会にお昼ご飯一緒にしたかったんです」

思考停止しているレスターは、そのまくし立てるようにして喋る少女の様子を不思議に思わなかったのだろう。

 

話している間、ミルフィーユの白皙の頬に朱が混じっていることに………

 

「あ、あの、ですから、その……どうでしょうか?」

上目遣いで尋ねて来られ、ようやくレスターは我に返った。

「……せっかく誘ってくれたところに悪いんだが、まだ仕事があってな」

レスターはそう言うと、後方にある書類の山へと視線を向ける。

「えっ……でも、さっき……」

「予想以上に仕事が増えたことを失念していたんだ。呑気に昼食など取ってる暇など無い」

ミルフィーユの言葉を遮るようにして、レスターは断りの言葉を続けるが、その視線は彼女へと向いていない。

「……それに、俺よりも他のエンジェル隊誘ったらどうだ? 俺なんかと一緒に食っても楽しくもなんとも無いぞ……」

そこまで言った途端、心の中が痛みに似たざわめきが走る。

 

半ば本心からの言葉だったのだろうが、いざ口に出すとこんなにももどかしい気持ちになるのは何故なのか?

 

だが、この感覚が何なのかを今の彼に分かる術は無く、ただ淡々と言葉を紡ぐのみだった。

 

「だから、な―――」

今日は無理だ。

そう続けようと振り返ったその時、

「―――って、何をやってるんだ、お前は!?」

「はい?」

目の前の光景に困惑気な声を上げた。

「何って、分かりませんか?」

訊かれた本人は不思議そうな顔1つせずに、のほほんとした口調で聞き返した。

「いや、確かに見れば分かることだが……そうじゃなくて、だな……」

ミルフィーユの変わらぬ物腰に逆に戸惑ったレスターは、改めて前方の光景に目を凝らす。

 

自室の中央のスペースには来客用のソファーとテーブルが配置されており、そこには特に目立った服飾は無く、書類すらない。

だが、テーブルの上にはいつの間にかサンドイッチを始めたとした惣菜が並べられており、バスケットから覗く数から見るとまだ沢山あるようだ。

 

「レスターさんが悩んでるみたいでしたから、それならここで食べようって思って……」

ミルフィーユはソファーに座りながら、せっせと惣菜をバスケットから取り出し、テーブルの上に配置していく。

どうやらレスターが喋っている間、彼女は1人で昼食の準備をしていたようだ。

(俺の話を聞いていたんじゃなかったのか……?)

マイペースな、余りにも彼女らしい性格に、レスターは内心落胆に似た溜息を吐く。

 

自分がどれほど悩んでいたのかを意に反さないその言動ぶりは、もはや怒りを通り越してあきれ果ててしまう。

 

これではいくら止めても無駄だと思い諦めかけたその時、レスターはあることに気付いた。

「ミルフィー。ちょっと待ってくれ」

「はい? なんですか?」

ミルフィーユは手を止めて、レスターの方へと向き直る。

「用意してもらったのに悪いんだが、この部屋で昼食を取るのは止めにしないか?」

「えっ? どうしてですか?」

「よく見てみろ。壁際が書類という書類に埋め尽くされているだろう? 仕事に使う書類に何かあったら不味い」

確かにレスターの言っていることは一理ある。ソファーの付近まで書類が無いとはいえ、仕事用に使う書類を目の前にして食事を取るのは体裁が悪い。

 

……だが、それは建前であり、本当はミルフィーユの何が起こるのか分からない“強運”の反動を恐れているだけなのだが。

 

「じゃあ何処で食べましょう? 公園は今スプリンクラーが故障してて使えないし……」

もはや“食べる”ことは確定事項なのか、顎に手を当てて考え込むミルフィーユ。

「無理にとは言わない。時間はまだあるんだしな……」

何かさっきと言っていることが違うような気がするが、人目の立つところには行きたくない彼の本音が見え隠れしている。

だが、そんな憂悶はすぐに終わりを告げた。

「あ、じゃあ……」

その時不意に、ミルフィーユはポンと手を叩くと、花を咲かせたような笑顔を浮かべた。

「ん? どうした?」

「レスターさん、あそこ! あそこに行きましょう!」

「オ、オイ!? 待て―――」

そして、ミルフィーユは信じられない速度でテーブルの上を片付けると、レスターを引っ張るようにして大急ぎで部屋を後にした。

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

全展望型スクリーンに映る太陽が、白とも取れる眩い光を雲とともに青空を彩り、陽光に照らされた広大な海型プールは、人工とはいえ潮の香りがゆるやかな風に乗って漂わせ、耳を澄ませば細波の音色が心地良さを演出している。

 

さらに波打ち際に広がる白い砂浜と一定の間隔を置いて植樹された人工物の木が、一見しただけでは分からないほどの自然な海岸(ビーチ)と化していた。

 

 

「―――ちょっと待っててくださいね。すぐに用意しちゃいますから」

そんな環境の下で、ミルフィーユは隣に佇む男にそう告げると、バスケットから惣菜類を取り出していく。

「ちょっと待て。その前に1つ訊いていいか?」

「はい? なんですか?」

ミルフィーユは手を休めると、顔を声が聞こえた方向へ向けた。

「俺はなるべくなら人目がつかないところにしてくれと言ったよな?」

「はい。さっきレスターさんが、そう言ってましたけど……」

「確かにここならば人目につかないかもしれない。だけどな……」

レスターはいったん言葉を区切ると、辺りを見回しながら口を開いた。

 

 

「……なんでこの場所に来たんだ?」

 

「へっ……? なんでって……」

 

 

そんな不思議そうな問い掛けにつられるようにして、ミルフィーユも周囲を見回す。

 

 

そして一頻り見回した後、もう一度レスターと向き直り、怪訝な表情で口を開いた。

 

「クジラルームですけど……何か問題でもありました?」

 

そう。あの後、ミルフィーユとレスターがやってきた場所は、エルシオールに数多く存在する福利厚生施設の一環としてDブロックに設立されたクジラルームと言われる場所であった。

 

2人は今、プールから大分離れた場所にある木の下でビニールシートを敷きその上に座っている。

 

「いや……なんとなく誰かに見られているようで落ち着かなくってな……」

レスターは落ち着き無く、そわそわと辺りを見回す。

「大丈夫ですよ。こんなお昼時にクジラルームに来る人は、そうは居ませんって」

「確かにそうかもしれんが……」

それでも不安なのだろう。いつものどっしりと構えた彼からは想像もつかない落ち着きの無さが、今のレスターの心境を表していた。

「じゃあ、他の場所のほうが良かったですか? 例えばホールとか」

「いやいやいや! ホールなんてとんでもない! あそこで食うのならば、機関室に行ったほうがまだマシだ!」

検討違いに思えるミルフィーユの提案を、レスターは大げさなくらいに首を振って拒否する。

「それじゃ、良いじゃないですか。早くしないと休憩時間が終わっちゃいますよ?」

まるでトラウマでもあるのかと思うくらいの仕草に不思議そうな顔をしながらも、ミルフィーユは、はいっと、サンドイッチを差し出した。

「……なんだ、これは?」

「サンドイッチです。もしかしておにぎりのほうが良かったですか?」

「そうじゃない。結局ここで食うのか?」

「決まってるじゃないですか。今日は付き合ってもらいますよ」

そう微笑むと、もう1度サンドイッチを突き出す。

微笑んでいながら、決して考えを曲げないような意志が篭った言葉に、レスターはとうとう折れた形で溜息をついた。

「……ふぅ。今回だけだからな」

「はい。ありがとうございます」

サンドイッチを受け取った際のレスターの返事に、ミルフィーユは一瞬だけ眉を曇らせたが、すぐに元の表情に戻す。

「……では、いただく」

「はい、どうぞ」

一礼の後レスターの口元に運ばれるサンドイッチ。

「……お味はどうですか?」

ハムサンドが咀嚼される様子を眺めていたミルフィーユは、緊張した面持ちで感想を求める。

レスターはしばらく咀嚼していたが、ようやく飲み込むと開口一番。

「……美味いんじゃないか?」

素っ気無く感想を述べた。

彼らしいといえばそれまでだが、乙女の心境としては、もっと言うことは無いのだろうかという気持ちが湧き上がるような、そんな返事。

 

しかし―――

 

「良かったぁ。まだまだ沢山ありますから一杯食べてくださいね!」

ミルフィーユはそのような感想でも顔をほころばせて、自らもサンドイッチを頬張り始めた。

これも彼女らしいといえばそれまでだが、例えそっけない感想でも『美味しい』の一言でも聞くことが出来れば、彼女には満足な言葉だった。

「しかし……こうして海を一望出来る場所で食事を取るといった行為は初めてだな」

その時、不意にポツリとレスターが遠くを見つめているような目で感想を呟く。

「そうなんですか? あたしもたまに来るくらいですけど、結構いいところだと思いませんか?」

「まあ……悪くは無いな」

レスターは佇まいを正すと、困ったように苦笑を浮かべる。

「でしょう! 暑い時なんか、あのプールで海水浴とかしてたんですよ!」

「そうか……」

嬉々とした表情ではしゃぐミルフィーユに、レスターはさらに笑みを深める。

食事を取りながら談笑に入る内に、始めの頃は硬かったレスターの表情は徐々に柔軟さが帯び、時折穏やかな微笑を浮かべていた。

(よかった……楽しそうで……)

そんな彼の横顔を眺めていたミルフィーユは、自分が行ったことが無駄ではなかったと感じ始めていた。

 

副司令官室からクジラルームまで来る途中、何度も引き返そうとしたレスターを押さえることが出来たのは、決して偶然ではなく自分の意思によるものだった。

あらゆることに鈍いと自覚している自分でも、今回は随分積極的だと彼女は思った。

渋る彼を半ば強引に誘ったのも、計算ではなく感情によるものなのだから理屈では分からない。

 

しかし、それもこれも、彼に会えなかった寂寥といった感情が蓄積され、その反動として爆発したのだろう。

 

 

 

だからこそ、強引に引き連れてしまったことに達成感を抱きながらも、今更ながら同時に罪悪感も湧き上がる………

 

 

 

「ごめんなさい……」

不意に、自然と口に出る突然の謝罪。

「……えっ?」

その突然の一言に怪訝な表情で振り返るレスター。

「あの時、あたしのせいで怪我させちゃって、本当にごめんなさい」

「いきなりどうしたんだ、お前?」

ミルフィーユは場の空気が気まずいものに変化したことを感じつつも、奥底から込み上げる罪悪感を抑えることは出来なかった。

「あの後、色々と考えてみたんです……」

表情を曇らせながら、胸に手を当てて感慨に耽るように言葉を発し続ける。

「早くレスターさんに謝りたくって、どうすれば許してくれるかとか、仲直りできるかとか考えてたんです。でも、何故か会えなくて、ずっと会えなくなると嫌な考えも浮かんで来ました……」

俯くようにして独白するミルフィーユの表情はよく見えない。

だが、決していい表情ではないと思わせるような雰囲気を醸し出していた。

「もしかしたらレスターさんはあたしを避けてるんじゃないのかとか、嫌いになっちゃったのかなとか、考えれば考えるほど嫌な方向に行っちゃって……」

よく考えてみれば、たった1週間会えなかったぐらいで大げさな思考かもしれない。

だが、ミルフィーユにとっては、ホールでの事故直後からであったために、余計に妄想じみた想像に拍車をかけてしまったのだろう。

原因が分かっていたのも災いした。自分が原因であれば、ミルフィーユの本質からすぐさま謝りたいという気持ちが湧き上がってきてもおかしくはない。

「………………」

レスターからの反応は感じられない。

しかし、独白を続ける彼女にとって、それは二の次だった。

「でも……そこで思ったんです。なんであたしはこんなに悩んでるのかなぁって」

いったん言葉を切ると、ゆっくりと顔を上げた。

口元だけ笑みを浮かべた表情であっても、見る者を穏やかにさせるのは彼女という人柄から感じさせる雰囲気からだろうか。

「友達とかにも相談しました。あたしが何でこんなに悩んでるのか、どうしてレスターさんに会いたいのかってことを全部。そうしたら、あたしでも分からなかったことが分かっちゃって、余計悩んじゃいましたけどね」

えへへっ、とようやく浮かんだ満面の笑みは、ミルフィーユという少女を明らかにさせる確かな証。

「だからいざ会って確かめたかったんです。レスターさんに直接会って言いたいことがあったから……」

そうして、傍らに座る真剣な表情をしたレスターに向かって、本心からの言葉をゆっくりと紡いだ。

 

「ごめんなさい、レスターさん。そして、これからも仲良くしてくださいね」

 

言った。

言い切った。

今まで言うことが出来なかった本心からの言葉を、ようやく言うことが出来た。

ぼやける視界の中、レスターは口を閉ざしたままミルフィーユを見つめている。

その表情から彼の心境は窺えない。だが、どんなことを思われても後悔は無いと感じていた。

そして思う。こうして彼の傍にいると安らかな気持ちになるのは何故なのか。自分とはまるで正反対の性格の持ち主。それも異性であるというのに不快な気持ちや気まずい気持ちなど湧き上がったことなど1度も無いのも不思議だった。

 

温かな木洩れ日が差し込む木の下は、何時しかまどろみを誘発させ、うとうと、と瞼を重くさせる。

 

そんな夢見心地の状態の最中、先日の親友の言葉が脳裏を過ぎった―――

 

 

“ねえ、ミルフィー……副司令のこと、ホントはどう思ってるの―――?”

 

 

あの時、自覚せず答えることの出来なかった問い掛け。

しかし、今の自分ならばはっきりと答えを言うことが出来た。

 

 

(あたし、レスターさんが―――)

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

その感触を覚えたのは一瞬の出来事だった―――

 

「えっ―――」

不意に、肩に何かが圧しかかってきた感触に、小さな、しかし驚愕の声を上げた。

よく見てみると、ミルフィーユがレスターの肩に頭を乗せていた。

「オ、オイ、ミルフィー!?」

思わず身をよじろうとしたが、一定した呼吸音が耳に入った途端動きが止まる。

「……もしかして、寝てるのか?」

軽く肩を揺するも反応は無い。

それどころか、その反動で頭どころか身体全体を預ける様な体勢に、レスターの心拍数は速度を増した。

「ほ、本気か……」

レスターは生まれて初めて味わうシチュエーションに戸惑い、顔を手で覆うも状況は変わらないことに嘆く。

当のミルフィーユはすうすうと安らかな寝息を立てたまま、一向に起きる様子は無かった。

(い、いかん、このままでは!)

肩から伝わる柔らかな感触と温かな体温に、顔の血が逆流するのを感じたレスターは退かそうと試みて………

(あっ―――)

断念してしまった。

振り返った肩の先。余りにも無防備に、眠りにつく少女。

だが、その無防備さを追いやってしまうかのような、木洩れ日に照らされた子供のような安らかな寝顔。

天真爛漫といった表現が似合う彼女から浮かび上がる、無邪気すぎる寝顔を見ているうちに、レスターの心の中も落ち着きを取り戻すのが分かった。

(……何を考えていたんだ、俺は)

レスターは僅かでも邪な感覚に駆られてしまったことに恥じ、バツ悪げに顔を背ける。

同時に、そんな彼女をここまで追い詰めてしまったことに、凄まじいまでの後悔の念に包まれた。

 

ミルフィーユの独白を聞いていたとき、レスターは何も言うことが出来なかった。

まるで全面的に彼女が悪いと言っているような独白に、何度否定しようと口に出そうと思ったことか。

だが、何も言えなかった。罪悪感だけではなく、ここまで自分に会いたがっていた彼女の気持ちを最後まで聞きたかったから。

このような展開になるとは思わなかった。ここに来るまでは昼食などどうでも良かった、ミルフィーユを避けたくてどうしようもなかった。

だからこそ渋り、素っ気無い態度を取っていたのだが、彼女と接していくうちにそんな考えが薄まり、同時に忘れていた感覚が蘇った。

 

彼女とともに居る時の心地よさ。

彼女の笑顔を見るたびに湧き上がる穏やかな気持ち。

そして、いつまでも一緒に居たいと思う、自然な願い………

 

「馬鹿だな……」

ポツリと呟かれる言葉。それは誰に対しての言葉なのか。

「何故、そこまで頑張る必要がある」

気がつけば言葉の端が感情を帯びていたが、今の彼はそんなことに気付くことなど無かった。

 

「俺なんかのために、そこまでする必要は無いというのに……」

微笑みながらの呟きに虚構など感じられない。

その本心からの一言を発しながら、原因が自分にあることに悔恨に顔を歪ませる。それを紛らわすかのように、近くにあったハーブティを煽る。

爽快感を醸し出す香りとほんの僅かな清涼なる苦味が口内に広がり嚥下される。

多分、この昼食は、ミルフィーユが口実のために作ってきたのかもしれないと、レスターは思った。

 

(くそっ……)

内心毒吐くが、苛立ちが自分だけにしか湧かない。

 

無数の羽虫が縦横無尽に飛び回り、ざわめきとなって裡(こころ)を疼かせる………

 

何故、あそこまで彼女を避ける必要があったのか。

何故、あそこまで頑なな冷たい態度を取る必要があったのか。

 

 

そして、何故、彼女が自分なんかのために、ここまでする必要があるのか………

 

 

(いや……)

理由は分かっていた。

彼女はただ純粋な気持ちで自分に会いたかったのだ。この弁当もその理由付けに過ぎない。

ただ、そこまで自分に会いたがる彼女の本心だけがつかめなかった。否、分かりたくなかった。

 

彼女がどう思っているのかが分かってしまえば、今の自分の気持ちを分かってしまうことに言い知れようも無い恐怖感が生じてしまう。

 

こんなことは初めてだった。

女性と接したことなど数少ないとはいえ、硬派と言われる自分がこんな気持ちになるなど今までに無かったから。

 

どうして彼女は自分の前に現れるたびに心を乱させるのか。

どうして温かな気持ちにさせるのか。

 

 

以前の自分ならば違う印象を持ったのだろう。だが、今の自分には到底そんな気持ちなど湧き起こらなかった。

 

 

(俺は……)

今なら分かるこの感覚、この気持ち。

異性。ミルフィーユという名の少女を見る度に湧き上がるこの気持ち。

 

 

レスターは何時しか、恐らく親友のタクトでさえ見たことの無い穏やかな視線で、ミルフィーユの寝顔を見つめていた………

 

 

(俺は、ミルフィーを―――)

 

 

陽光に照らされた蒼々とした人工プールが醸し出す緩やかな細波。

一定のリズムによって奏でられる細波の音は、瞑想すれば子守唄に似た安らかな気持ちにさせるのか。

 

この環境下。心地好い満腹感と激務が祟った連日の肉体疲労、そして心労………

 

それら全ての要素によって、いつしかクジラルームはレスターまでをも、まどろみの世界へと誘っていった―――

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

クジラルームを管理する管制室には、宇宙全土から寄せられる動植物が存在し、銀河展望公園と並ぶ自然施設となっている。

 

そんなクジラルームの端にある管制室の傍で―――

 

「―――へぇ……」

奥側の木の下で身を寄せながら眠りについている男女を見つめる人影があった。

 

ハーフパンツを用いた制服で小柄な身体を包み込み、帽子から覗かせるオレンジ色の髪が印象的な中性的な顔立ちの少年、クロミエ・クワルク。

傍らには一見ぬいぐるみと思えるような子宇宙クジラが、生命の息吹を感じさせながら彼の肩に乗っていた。

「珍しい組み合わせだね……」

クロミエは幼い顔立ちを微笑ませ、子宇宙クジラに視線を向ける。

子宇宙クジラの目立った反応は無い。だが、なんとなく穏やかな微笑と思えるような雰囲気があった。

「……宇宙クジラはどう思ってるんだろう?」

言いながら向かった視線の先は、細波の音を奏でる人工プール。

 

もはや絶滅寸前となった宇宙クジラが放つ思念波。それを読み取ることが出来るクロミエは宇宙クジラと意思疎通が可能であった。

 

その人工プールの中に居るであろう宇宙クジラに向かって、クロミエはたった一言。

「……そう」

納得したように頷く。

 

常人には理解出来ない思念波であっても、クロミエには判る。

 

 

その思念波がどれだけ優しさに満ち溢れた物だということを………

 

 

 

 

 

その時、不意に思念波が乱れた。

 

「えっ―――?」

 

突然の思念波の乱れにクロミエの表情に困惑が浮かぶ。

「ど、どうしたの宇宙クジラ!?」

宇宙クジラも混乱しているのか、思念波が一定しないことに焦燥感だけが募っていく。

「落ち着いて。落ち着いて理由を話して」

まるで己自身に言い聞かせるように、クロミエは冷静な口調で言う。

 

「うん……うん……」

 

ようやく思念波が一定し、内容が判別出来た、瞬間―――

 

 

 

 

 

「えっ……わっ―――!」

 

 

 

 

 

轟音とともに、クジラルームに激震が奔る―――

 

 

 

 

 

See you next again……

 

 

 

作者の妄言&言い訳

 

『使用上の注意』

作品の余韻に浸っていたい方は、読まないほうが賢明と存じます。では↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、この作品の特徴である1人称から3人称へ変化させたのは、ある程度話を進行させただけではなく、展開上1人称だけで進ませるのは物足りなさを実感したためであります。

 

「てめェ、急に変えんじゃねーぞコラァ!」と思われた方、混乱させてしまいすいませんでした。

 

私の半分はいい加減で出来ています(嘘

 

作者・ペイロー姉妹