それはまさに突然の出来事というほか無かった―――

 

 

 

―――潮騒と麗らかな陽光が包み込む昼下がりの海岸に響き渡る爆音と激震………

 

 

 

「―――うおおっ!? な、なんだ!?」

クジラルームにある木の下でうたた寝をしていたレスターは、凄まじい震動と爆発に似た激音に眼を覚まし、思わず跳ね上がるようにして飛び起きた。

「ふぁ―――あ痛ッ!?」

瞬間、傍から鈍い音が聞こえたと思うと、振り向いた先にはこめかみを押さえて慌てたように辺りを見回すミルフィーユの姿があった。

「……うぅ〜ん?」

寝ぼけ眼に涙を浮かべている表情はまだ意識が覚醒していなくとも頭は痛むのか。

不思議なことにそんな仕草を彼女が行うとかえって微笑ましさが垣間見えてしまう雰囲気があった。

そんな彼女の言動に思わず見入ってしまったレスターであったが。

(っ!? イカンイカン! 何ボーっとしてるんだ、俺は!?)

我に返ると、目の前の現像を払拭するようにして首を振った。

「オイ、どうした!? 一体何が―――」

そしてやや上ずった声で呼び掛けた、瞬間。

「―――……って、ああっ!?」

先程の光景が脳裏を過ぎり、瞠目しながら身を硬直させた。

(……そ、そうだ……俺は、こいつとここで……)

覚えている限りの出来事と先程起きたのであろうという結果を推測したレスターは、顔を青、赤と信号機のように目まぐるしく明滅させる。

(ん? ということは、俺が突然立ち上がったせいで頭を……)

 

 

―――その時レスターは目の前のことに気を取られていたせいか、今起きていることを忘れていた………

 

 

再び触れだす艦と爆音。

 

「おわっ!! って、そうだ! こんなことをしてる場合じゃない!」

激しい震動に体勢を崩しながらも、ようやく現状況を思い出したレスターは、クロノ・クリスタルを取り出し起動させる。

同時に、けたたましい警報の音と艦内放送のアラーム音が鳴り出した。

 

『全乗組員に通達! 全乗組員に通達! ギムソン星系にて衝突事故発生!―――』

「なっ!」

艦内警報の内容が耳に入った途端、雷に打たれたような衝撃が全身に奔る。

「っ! タクト、どうなってるんだ!?」

迫り来る混乱を吐き出すかの如く、握り締めている通信機に向かって叫び出す。

『レスターか? 実は―――』

 

 

 

 

 

そして狼狽じみた声から聞かれた内容は、レスターの想像を遥かに凌駕するものであった―――

 

 

 

 

 

『―――……操縦ミスしちゃったかもしれない』

 

 

刹那、水を打ったような静寂が広まったような気がした―――

 

 

「……はっ?」

 

 

ポトリと、掌から砂浜の上に通信機が落ちる。

 

 

「? どうしたんですかぁ……?」

 

 

 

 

 

そして状況が飲み込めない少女が取り残された形でそこに居た―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Good relation

Taste 10 『Interlude to the need?』

 

 

 

 

 

 

 

 

エルシオールがトルミナ星系宙域からクロノ・ドライブを開始し、ドライブ・アウト到達地点として辿り着いた先はギムソン星系宙域だった。

ギムソン星系といえば先の大戦エオニア戦役でも最大の激戦地の1つとも言われる宙域であり、皇国軍が管轄する模擬戦の場所でもあった。

宙域をスムーズに航行させるだけでなく、環境面を考慮することも忘れない規律もあったために戦役や模擬戦で使用された戦闘艦の大半は皇国軍駐留艦隊によって回収・処理される。

しかし、原形を留めていない戦闘艦の残骸は不規則な形とあらぬ方向へ浮遊されるためか、危険性を考慮した時、回収できずに居ることが多い。

 

結果、ギムソン星系を始めとする同類の状況になっている宙域は、残骸によって作り出された小惑星帯のような状態となり、宇宙を航行する多数の艦にとっては険しい場所となっている。

 

 

 

そのような宙域で、儀礼艦エルシオールは今回、被害に遭ってしまった………

 

 

 

………が。

 

 

 

「―――で? 結局どういうことなんだ?」

 

「少なくとも、操縦ミスというわけじゃないようだね」

 

ブリッジに漏れる安堵の溜息。

普段、仕事上に関しては信用の薄い司令官ではあるが、ここぞとばかりの一言の重さについては誰よりも信頼されているようだ。

 

「……確かにな。艦の操縦に関しては熟練した技術を持っている『月の巫女』の連中だ。滅多なことが無い限りミスをすることはありえんな……」

レスターはそんな親友の返答に納得したように頷くと、前方に居るオペレーターたちの方へ視線を向ける。副司令官に視線を向けられたオペレーターたちは慌てたようにモニターへ向き直るが、信用されたことへの安心感からか自信に溢れた表情で任務に取り組み始めていた。

 

だが、そこにはアルモとココのお馴染みの顔ぶれは見当たらない。あの2人は偶然にも休憩に入っている途中であった。

 

しかし、今のレスターにあの2人を気にかける様子は無かった。何故なら………

 

―――レスターはブリッジで、昨日発生した激震の原因を調べていたため、余裕が回らなかったからでもある。

 

レスターの手元にある研究班の元で作成された報告書には、以下のような記述がなされていた。

 

艦内時刻13:00。

皇国軍直轄 儀礼艦エルシオールは、トルミナ星系宙域内でクロノ・ドライブを開始し、先述の時刻にギムソン星系宙域辿り着いた。宙域周辺の小惑星帯に混じり戦闘艦の残骸が浮遊する場所でもあるが、特に大きな被害は無く艦は順調に航行を続けていた。

しかし、30分後の13:30。

機関室に搭載されているメインエンジンに艦の残骸が衝突し、艦は一時的にコントロール不可となる。

当時、ブリッジにエンジン異常の報告は行き届いておらず、艦のコントロールを失いつつも、その場に居た乗組員全員は極めて冷静に非常用エネルギー装置を使用するなどの対処を行っていたためだと思われるが、制御不能に陥ったエルシオールは迷走を続け、ギムソン星系近辺に駐留していた皇国軍基地周辺に衝突事故を発生させる結果となった。

 

幸運にも衝突事故が発生した場所は基地からは大分離れた所に位置しており、艦も衝突による震動と激音の規模の割には大事には至ることなく済む―――

 

 

………のようなことが記載されていた。

 

 

「しかし解せんな……」

ふと呟かれる疑問の声。

「何がだい?」

「何故、艦内に残骸が入り込んだんだ? 整備班の話では外壁に不備は無かったと言うのに……」

レスターは純粋な疑問をそのまま口にしたつもりだった。しかし、聞き手に回っていたタクトから返って来た答えは、あっけないものであった。

「最近、艦内で色んなことが起きていたからねえ……もう何が起きても驚くことじゃないと思うよ?」

「それもそうか」

即答。

返答はいたってシンプルなものだったが、思い当たる節がありすぎたレスターにはあまりにも納得の行く答えでもあった。ここ連日、艦内で起きたトラブルの対応に追われていた彼らにとっては、確かに驚くほどの事柄でもない。むしろウンザリするほどの量に困惑し、飽き飽きしていた。

 

しかし、それでもエルシオールが大事故に至らなかったのは、ブリッジにいた乗組員の冷静な判断力があってこそであろう。その中心人物であったタクトの指示は的確なものだったのかもしれない。

(こういう時には頼りになる奴だ)

皮肉交じりの賛辞を心の中から送るが、それが決して口から出ることはなかった。

 

「まあそのおかげで艦の修理に時間が取られちゃうけど、休暇も取れるようになったことだし、一概に悪いことばかりじゃないってことかな」

タクトは前向きな思考の持ち主らしい台詞を漏らしながら、ウキウキした様子で笑みを浮かべた。

「暢気なもんだな、お前は……」

そんな親友の浮かれた様子に嘆息じみた感想を漏らすレスターであった。

 

タクトの言葉どおり、現在、エルシオールはギムソン星系の数ある惑星の中にある軌道衛星の宇宙港に停泊し、そこで修理と補給を行っていた。

そして今、事故の調査結果の報告を兼ねて、ギムソン星系駐留艦隊とトランスバール皇国軍本星の双方に連絡を入れているところでもあった。

 

「だって久しぶりに艦の外に出られるかもしれないんだよ? 休暇中は思いっきり羽を伸ばせるかも!」

まだそのような連絡も無く前提ではあるが、休暇の予定はもう立てているような発言をするタクトは明るさを倍増しして歓喜する。

「ああもう、羽でも鼻でも何でも伸ばしてこい。だが、伸ばしすぎて周りの迷惑だけはかからないようにしろよ?」

「分かってるって。滅多に無い休暇なんだ。そんなことで台無しにされてたまるか」

物分りの良さそうな言葉とは裏腹に、タクトの顔からは浮かれている様子は消えない。だが、それはタクトだけでなく、ブリッジに居る乗組員全員も同じような様子であった。

 

ギムソン星系はエオニア戦役後、大戦の爪痕が生々しく残っている場所でもあったが、その分復興作業を優先された場所でもあるので、本星に引けを取らない発展した惑星もあり、乗組員殆どが都市衛星で休暇を過ごす予定でも立てているのかもしれない。

 

レスターはしばし、目に見えて上の空の状態のブリッジを眺めていたが、溜息を吐くと。

「はぁ……まだ休暇が取れると決まったワケでもないのに、呑気な連中だ」

呆れたように肩を竦めて椅子に座り直す。

 

途端、適量の緊張感が全身から砂となって抜けていくのを感じながら、これが脱力感なのだろうとレスターは思った。

 

レスターは素っ気無いそぶりを見せたが、タクトやブリッジの面々の感覚についていけないのもあるが、それをまた変だとは思わない。だからといって周りの空気に同調しようとも思わなかった。いくら艦内で異常が発生したとはいえ、事故を引き起こしたのは事実である。その成り行きで休暇が貰えることになっても、喜ぶ気になどなれない。

 

レスター・クールダラスという男は、そういった真面目を絵に描いたような人間でもあったが、彼が気乗りしない原因は他にあった。

 

(あいつは、あの後、どうしたんだろうな……)

脳裏に思い浮かぶのは眩く咲き誇るひまわりのような笑顔が印象的な少女。

彼女の笑顔を思い出すたびに頬が緩むのが分かるが、昨日のクジラルームでのその後を思い出したとき苦虫を噛み潰したような表情に変化していった。

 

昨日、震動によって目が覚めたレスターとミルフィーユは現状把握のためにブリッジに行ったのはいいが、そのまま事故処理の仕事に追われてしまい、満足に別れの挨拶も出来ないままお流れという形になってしまったことが、レスターの心にやり切れないしこりを残すこととなった。

 

(別にあいつは何とも思っていないような感じだったが……)

何か物足りない。納得がいかない。満足がいかない。

 

別れ際、自分に向かって見せたあの時の表情………

 

残念そうに、しかし仕方ないといった感じの表情を思い浮かべるたびに、心の中を針で刺されるような鋭い痛みを感じる。

久しぶりに対面し、クジラルームで一緒に昼食を取り、潮騒が奏でる穏やかな音と麗らかな陽気にまどろんでいるうちに、今まで生じたことも無い感覚に戸惑い、そして温かな気持ちになったことも覚えている。

それを突然の事故のせいで台無しにされた。やり切れなくなるのも当然ではないか―――

 

(……あっ)

そこまで考えた途端、レスターの中を何か確信めいた感覚が包み込んだ。

この心に残っているしこりの原因。もやもやした感覚の正体。それは………

 

あの時の彼女の表情が気になるだけじゃなく、自分が名残惜しいだけなのだと………

 

考えていることが必ずしも感覚に繋がる訳ではない。しかし、今のレスターにはそんな仮定は通用しなかった。

事故が無ければ、あの時どうなっていたか分からない。ただ、もう今までのよく分からない関係でなくなることだけは確かだった。

もっと彼女と話していたい。もっと彼女の笑顔を見ていたい。もっと彼女と一緒に居たい………

 

もう一度思い出しても生まれてしまったこの感覚は否定できない。もはや後戻りも出来ないほどこの感覚の正体が何であるか、あの時レスターは知ってしまったのだから。

 

(そうだな……)

業務が終了した後、もう1度彼女に会いに行ってみよう。

否、今すぐにでも会いたいのだ。自分が。彼女に。

 

「……よしっ」

ようやく決心がついたレスターは気合を入れるように呟くと、目の前の仕事に取り組もうとしたが。

「―――ミルフィーかねぇ……」

「っ!! な、なんだと!?」

突然のぼやき声の内容に思考が中断されたレスターは、過剰な程のリアクションを見せてしまう。

レスターの叫び声に驚いたのはタクトだけでなく、ブリッジに居た乗組員全員が一様に驚愕の視線を彼に向けていた。

 

途切れる電子音と息遣い。

耳鳴りがするほどの静けさは時が止まった錯覚を醸し出していた。

 

「い、いや、なんでもない! 俺に気にせず、続けてくれ……」

時は動き出す………

狼狽しながら手を振るレスターに怪訝な表情を見せる乗組員たちであったが、本当になんでもないことを悟ると、ざわめきと共に再び任務に取り組んでいった。

「どうしたんだ、レスター? いきなり大声出して?」

目を丸くしたタクトがブリッジに居る全員の意見を代表する形で尋ねる。

「い、いや、その、だな……お前の意見を聞きたくてだな……」

「何の?」

「いや、あの……そう! 今回の事故の原因についてだ」

自分は何を意識しているのか、らしくない失態に顔の火照りが治まりきらない。高鳴り続ける鼓動の影響からか、入り乱れる思考が言葉を上手く紡ぎ出させなかった。

「さっきも言ったじゃないか? 詳しいことはまだ分からないけど、最近の艦内の様子から驚くようなことじゃないって」

「あ、ああ、そうだな。確かにそういってたな。うむ……」

しどろもどろな発言を繰り返すレスターを首を傾げて見ていたタクトであったが、不意に思いついたように目を見開くと、意地悪げに唇を歪めた。

「あ、もしかすると、“ミルフィー”の強運の反動が原因かもしれない」

「な、何!?」

「“ミルフィー”達と花見をした後、艦内でも変なことが立て続けに起きるようになったじゃないか? 公園の木全部に花を咲かせた“ミルフィー”の強運の反動で変なことが起きてるんじゃないかって、蘭花が言ってたもんだからね……」

表面上は何食わぬ顔で喋っていたタクトであったが、ミルフィーという単語を強調したときに反応するレスターの表情を見たときにだけ薄笑いを浮かべていた。

「そ、そうかもしれんが……そう決め付けるのは、まだ早急に過ぎやしないか?」

搾り出すようにして言う仕草を見た瞬間、タクトはさもありなんとばかりに含み笑いを貼り付けた。

「へえ……レスターにしては随分と曖昧な意見じゃないか。んん?」

「そ、そうか? だが、俺は慎重な意見を述べただけで……」

「やっぱりミルフィーと会って、何か会ったみたいだね?」

「んなァッッ!!」

レスターは奇異な絶叫をしかけたが、咄嗟に口を押さえたのが幸いし、乗組員達の視線を集めることを防いだ。

「ん? どうしたんだい?」

そして、口の両端を吊り上げた意地の悪い表情を浮かべて、タクトは詰め寄るように問い尋ねた。

「お、お前、どうしてそれを!?」

「あ、やっぱり! いやにミルフィーの名前に反応するかと思ったから、意識してた―――」

「そんなことはどうでもいい! 何故、俺があいつに会ったことを知ってるんだと訊いてるんだ!」

タクトの言葉を遮って怒鳴りつけるように疑問を口にする。

だが、返答はあっけないほどのタイミングと内容で耳に入ってきた。

「だって、ミルフィーにお前が居る場所を教えたの、オレだから」

「……はっ?」

さも当然とばかりに言うタクトに向かって、レスターはポカンと口を開ける。

聞こえなかったのではなく、聞き間違いではないことを確かめるような感じで声を発したのだった。

「だからあの時ミルフィーに居場所を教えたのはオレなんだって。

で? どうだった? 久しぶりに会った感想は?」

「………………」

どうやら聞き間違いではなく、本当のことだったようだ。

 

別に恨んではいない。結果的に良い方向に行っていると思っているだけに、タクトに感謝こそすれ恨む道理などあるわけが無い。

 

「…………ぉ……」

だが、思うことがある。

ここまで奴が言ってきた原因を作ってしまったのは自分であるが、昨日のこと全てがこいつの掌で踊らされていたことだったとは。

 

いやに訪れてくるタイミングが良すぎたと思えば………

 

分かっている、これは八つ当たりだと。あくまでも照れ隠しに近いと。

 

だが、納得がいかない。理屈では納得がいっても、感情がそれを拒んでしまってはどうしようもない………

 

「……のか……」

肘掛に乗せた腕が小刻みに震える。

「ん? どうした?」

顔を俯かせ、ぶつぶつと何かぼやいているレスターの様子に、怪訝な表情を浮かべるタクト。

「……え……ったの……」

「?」

呟きながらゆっくりと上がるレスターの顔を見て、タクトが耳を傾けた瞬間。

 

 

 

 

 

「―――お前だったのかァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

 

 

 

 

 

耳をつんさぐほどの怒号がブリッジ全体を揺るがした―――

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

「はぁ……」

溜息を1つ、この真っ暗な空間に吐き出す。

しかし、この暗闇は決して広大なものではなく、狭く、そして閉鎖された空間から齎される漆黒であり、外の光を遮断しているこの中で、溜息をついても湿った空気が充満するだけ。

そんな状態が続くことになれば、この胸の内に渦巻く重苦しい鬱々とした心境はいつまで経っても改善されず、逆に蓄積されること請け合いだった。

 

そして、その心境をさらに憂鬱とさせる元凶が目の前にあった。

 

漆黒に包まれた狭い空間にぼんやりと光る鈍い明かり。

散りばめられた宝石のような白銀の点々が流れるように視界一杯を埋め尽くし、その中心にはある文字が拡大されて浮かび上がっていた………

 

 

Game Over”

 

 

(これで3回目かぁ……)

やや反り気味のシートと握っているレバーの感触、そして熱気が充満し、外の光を遮断したような閉鎖された空間全てを感じ取った瞬間、自分はまたシミュレートに失敗したことを悟った。

 

目を擦っても、何度画面を見ても結果は変わらず、戦闘訓練が終了したことを示している。

 

今日はどうも調子が出ない、と、シミュレーション用マシンの中で思ったミルフィーユは再び重々しく溜息を吐いた

 

現在、エンジェル隊はシミュレーションルームで戦闘機訓練を行っていた―――

 

 

 

エルシオールDブロックに存在するパイロット訓練用施設シミュレーションルームはブリッジの三分の一ほどの広さがあり、四方は台形状の空間といった建築様式になっている。照明によって明瞭になった無機質な原色の内壁と壁に付きそうなほどの横長のコントロールパネル。さらにパネル前方には小型コクピットの形をしたカプセルが6台あり、それらが訓練用マシンである。羽虫が飛んでるようなモーター音が聞こえることから、それらが全て稼動していることを物語っていた。

 

 

そんな広さを持つ室内の端で、ミルフィーユは休憩用ベンチに座ってぼんやりと宙を眺めていた。

 

 

「ふぅ……」

マシンから降りたミルフィーユは、シミュレーション結果が記載された紙を持ちながら、今日何度目になるかも分からない溜息を吐く。紙に記載されているデータを見返すと本日行われた訓練の散々たる結果が証明されており、気分を一層憂悶とさせた。

(なんか調子出ないなぁ……)

あれから4度目のシミュレートに挑戦したが結果はあまり変わらず、今日は調子が悪いことを悟ったミルフィーユは早めに訓練を切り上げることにした。

調子が悪いといっても体調が悪いわけではない。昨日は寝不足であったが、今日はよく睡眠を取ったつもりだ。それでも今回の訓練の結果から調子が悪いことをいやでも分からされてしまい、余計に憂鬱さが増す。

 

しかし、そんな気分を一層させる方法など、今のミルフィーユに考え付くことなど出来ない。

 

 

 

―――脳裏に浮かぶのは、潮騒をBGMにした浜辺での一時………

 

 

 

(なんだかなぁ……)

クジラルームでの出来事がきっかけなのか、昨日から悶々とした気分が続いていた―――

 

 

 

 

 

事故が発生した直後、色々な事態に出くわし、そのままレスターとのデートに似た昼食会はお流れとなった。

副司令という役職柄、急な仕事が舞込んできてもおかしくは無い。そういったことを弁えているミルフィーユは、彼のとった行動に不満を持っているわけではない。穏やかな一時を中断されてしまったことに対しては、少々残念だとは思ったがそれを口にするほど子供ではないと思っている。

 

だが、それでも悶々とした気分になるのは、別のところに要因が存在していた………

 

(レスターさん……あの時、何て言ったのかなぁ……)

麗らかな陽光と穏やかな潮騒が誘うまどろみに、意識が途切れそうになる寸前、傍らでレスターが何かを言っていることが分かった。

しかし、肝心の言葉は聞こえず、そのまま引き寄せられるようにして眠りについてしまったことに、ミルフィーユはどうしてもやり切れないしこりだけが、心の奥底に残ってしまった。

「……はぁ」

この前はレスターに会えなかったことに嘆き、今はクジラルームでの出来事が気になって仕方が無いといった心境の変化に、内心呆れた声が聞こえたような気がした。

 

あの時の言葉がどうしても思い出せない。あの時の顔がどうしても思い出せない。

 

ただ、分かるのは、ほんの少しだけ見えた彼の唇………

 

普段はへの字に結んでいるはずの彼の口元が、今まで見たことも無い穏やかな微笑の形になっていたこと。

 

その微笑から醸し出される優しげな雰囲気に甘えるようにして凭れ掛かっていたことを思い出すと、顔の温度が徐々に熱を帯びていくのが分かる。

 

(でも……嬉しかったなぁ……)

 

嫌がるのでもなく、仕方が無いといった心境であったかもしれないが、彼は身を離すこともせずに肩を貸してくれた。今思えば恥ずかしいとは思う。だが、それと同時に嬉しいと思っていることも確かだ。

 

だからこそ知りたい。あの時、彼が言っていた言葉の内容を。そしてその真意を。

 

(……そうだよね。悩む暇なんて無いよね)

 

ならば迷うことなど無い。

確かめたいのならば、己の足と耳目で確かめれば良い。

自分には歩くことの出来る足もあるのだし、五感を備えた耳目も健在している。

 

そしてあわよくば、向こうの真意を確かめたのならば、自分の今の気持ちを伝えてみよう。

 

 

それこそ、彼に対する本当の気持ちを理解するための、ミルフィーユ・桜葉の本心(おもい)なのだから―――

 

 

 

 

 

「どうしたの? 今日は随分と元気無いわね?」

反転させた砂時計の砂が落ち始めたのか、時が動き出したように我に返った。

「あ、蘭花……終わった、の?」

声の方向へ視線を向けてみると、訓練を終えたのか蘭花が近寄ってきていたところであった。

「うん。アタシのほうはまずまずの結果だったけど、ミルフィーは……そうでもなさそうね?」

蘭花が隣に座り、ミルフィーユが持っている紙を覗き込むと、表情を曇らす。

(ビ、ビックリした〜……)

表には出さなかったが、急に声を掛けられたせいでミルフィーユは内心動揺していた。何とか気付かれずに済んだのは、蘭花がすぐに紙に視線を這わしたおかげであり、その間、緩みかけていた顔を元に戻すだけの時間は作れたのだった。

「アンタがこんなミスするなんて珍しいわね……もっと集中しなきゃダメでしょ?」

人間である限り、たまに調子が悪い時だってある。

そんなニュアンスを感じさせ、蘭花は軽く咎めてきた。

「う、うん……」

まだ心拍数が正常値ではないが、先程よりは落ち着いたそぶりでミルフィーユは返す。

「……ミルフィー?」

だが、そんな彼女をどう思ったのか、蘭花は幾分トーンを落とした声音で尋ねてきた。

「な、何、蘭花?」

振り返ると、不安と心配といった感情を混ぜたような表情を浮かべた蘭花が、こちらを見据えていた。

「まさか、本当に具合悪いの? 何かいつもよりボーッとしてるように見えるけど……」

そこまで言った途端、蘭花は唐突にミルフィーユの額に掌を当ててきた。

「ど、どうしたの、いきなり!?」

「……やっぱり」

突然の行動に驚くミルフィーユを他所に、蘭花は重々しい口調ながら合点が言ったと言わんばかりに頷く。

そして鋭い視線で見据えると、激しい勢いで口を開いた。

「ミルフィー、熱があるじゃない! なんで体調崩してたこと黙ってたのよ!?」

「へっ!? あ、あたし別に……」

身に覚えの無い事項を指摘され、ミルフィーユは慌てて否定するが。

「嘘おっしゃい! 顔が赤くなってるじゃない!!」

ビシッという擬音が的を射ているほどの勢いで、蘭花は顔の部分を指差した。

「えっ!? ち、違うの! これは―――」

これは先程の考え事で思わず紅潮してしまったものの名残であり、決して熱ではないと言おうとしたが、考えていたことの内容を追及されることへの恥ずかしさからか、思わず言葉が詰まる。

「ああ、もう! 体調が悪いならはっきり言いなさい! アタシたちに心配をかけたくないって気持ちは分かるけど、それじゃあ逆にこっちが心配になるわよッ!!」

 

………というか、今の蘭花に言う隙はおろか、聞く耳すら持たないような感じに見える。

 

「ら、蘭花先輩、どうなさったんですか?」

2人のやり取りが気になったのか、訓練を終えたちとせが、恐る恐るといった雰囲気で声を掛けてくる。

「あ、ちとせ、ちょうど良かったわ! 今からこの娘を医務室に連れて行くから、フォルテさんたちにそう言っといてね!」

「えっ!?」

「ち、ちょっと蘭花!」

制止の声も空しく、蘭花は有無を言わさぬ勢いで、ミルフィーユの腕を取り強引にシミュレーションルームを後にした。

「え、えーっと……」

状況が掴めないちとせは呆気に取られた表情で、2人が出て行った自動扉を見つめる。

「あら? ちとせさん、どうなさいましたの?」

「もう終わったのかい?」

 

そして、何も知らされていないミントとフォルテがその場に立ち尽くしていた―――

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

Dブロックの無機質な通路に響く靴音と息遣い。

それらは全て2人分から成り立っているものであった―――

 

 

歩行という概念から懸け離れた速度で移動させられ、「さあ、どうするか」とミルフィーユ・桜葉は息を切らしながら悩んだ。

「凄く息荒いじゃない! 頑張って、すぐ医務室に着くから!!」

まだこちらの体調が悪いと思っているのだろう。呼吸を乱れさせている元凶というのが、まさか自分だとは露とも思っていないように思える。それほど蘭花は焦り、そして心配なのだ。

別にそれが悪いというのではない。心配してくれるのは嬉しいし、何よりそれが彼女の本質そのものを物語るような行動は、場違いながら感動すら覚えるといっても過言ではない。ミルフィーユはそう思っていた。

 

「だ、だから、その、違……」

だからといって、その本質が行き過ぎるのはどうなのか。腕を引っ張る前を向いた蘭花の顔は後ろで歩いているこちらからでは窺えない。しかし、すれ違う乗組員1人1人がこちらを見ると、怯えた顔をしながら道を空けるのを見た瞬間、到底穏やかとは懸け離れたような表情をしているのかもしれない。あるいは彼女から漂う鬼気迫る雰囲気がそうさせるのか。

「もうすぐ着くわ。まだ大丈夫!?」

何とか止めようとするも、口腔内が乾いて舌がへばり付き上手く言葉を発せられない。止まろうと思っても、急ぎ足をし続けていたせいか体力が無い。あったとしても今の蘭花を止める自身など無かった。

 

未だ見えぬ医務室の扉。

引っ張られたままの状態で、ミルフィーユは疲労と困惑で顔を歪める。

 

(ど、どうしよう、このままじゃ……)

大変なことになった。ただ医務室に行くだけならば何の不都合も無いが、体調が悪いわけでもないのに今から行こうとしている。しかも蘭花の勘違いで。

多分、医務室に居るであろう主治医のケーラとヴァニラは快く看病してくれるが、顔の熱のことを追及された場合何といったら良いのか。蘭花は一段落付けるまで傍を離れないかもしれない。もしそうなった時、4人の居る医務室の雰囲気はどうなるのか。もはや考えたくも無い未来と化した。

 

(こんなことになるなら、早く行けばよかった……)

こんなことをしている暇など無い。自分には本当に行かなければならない所がある。それなのに運命は無常にも自分を突き動かしている。

何故、あの時すぐにシミュレーションルームから退出せずに、そのまま居残る必要があったのかと、決心が遅れたことに後悔だけが募っていく。

 

 

………だが、もう手遅れとなるのならば、覚悟を決めよう。

 

今の自分は以前の自分とは違い、この気持ちに整理はついているはずだ。はっきりと好意を持った今ならば、堂々と会いに行けばいい。

 

 

 

―――そして、いつになるのかは分からないが、今度こそこの気持ちをはっきりと伝えてみよう………

 

 

 

そんな彼女の心からの本音はいつしか、自身を思わぬ方向へ導くこととなる。

 

 

 

「ミルフィー、着くわよ!」

ようやく見え始めた医務室への道程。

視線のすぐ先に見える突き当たり。そこを曲がれば医務室へ辿り着くだろう。

 

そう思いながら、通路を曲がった瞬間―――

 

「―――わっ!」「きゃあ!?」

「きゃっ!?」「きゃああ!」

 

複数の短い悲鳴と同時に衝突音が発生した。

 

瞬間、離れる手と手。

 

「……い、たた……」

衝突した部分なのか、額が響くような痛みを訴える。

「……いった〜い。何なのよォ……」

傍らで自分と同じように尻餅をついていた蘭花が涙目で腰を擦っていた。

 

一体何が起きたのか。

状況が掴めぬまま、ミルフィーユは周りを見渡すとそこには。

 

「ミ、ミルフィーユ……さん?」

「……蘭花さん?」

 

「……あっ―――」

 

自分たちと同じように尻餅をついているアルモとココの2人が、茫然とした表情でこちらを見つめていた。

 

 

 

 

 

運命と言う名の箱舟はあらぬ方向へと舵を取る―――

 

 

 

 

 

See you next again……