―――不明瞭で不親切な道程は道程とは言わず、それは只の迷路としか化さない。

 

絶え間無く行き来する人通りの合間を縫うようにして、ひたすら迷路のような道を歩き続ける。

 

歩道を行き交う人々の群れ。

(ここら辺だとは思うんだが……)

混雑に巻き込まれぬよう、レスターはただ歩いていた。

 

対向から歩いてくる一般客にぶつからないように辺りを調べる。

この園内の広さは筆舌にし難い。

超満員の客がアトラクションの間を移動できる充分なスペースはあるとしても、上に超が付くくらいの広大な敷地内を巨大なアトラクションの数々が埋め尽くしているために、それに並ぶ客の行列が移動速度を緩ませ迂闊な近道をさせない。

たとえ場所を明記したとしても、現在地が現在地ならば結構な時間が要するのが、歩いているうちに分かって来た。

 

惑星ギムソン系軌道惑星ヴァートが誇る、設立一月あまりの巨大テーマパークは本日も超満員を記録している。

周囲を活気付けるような明るい音楽と複数の機械音が入り混じり、アトラクションを背景に談話を交わす一般客たちの光景は、ここが否でも遊園地あることを思い知らされた。

 

(何処だ……)

だからこそ、この遊園地は時と場合によって、待ち合わせをする場所としては適していない。

案内図を見ても、一つ一つのアトラクションなどの敷地面積から形までは一概に正確とは言えず平面で描かれているので、いざ実物を見回せば“立体”である。

 

上から見下ろすのと、横から見渡すのとでは全然違うということだ。

 

(もうそろそろ着く……はずだ)

軍服を着た人間が遊園地に居るのがそんなに珍しいのだろうか、周囲から奇異の視線を感じ取れる。

到着してから、既に20分を探索に費やしたその時。

 

「あ、レスターさ〜ん! こっちです〜、こっち!」

どこからか自分の名を呼ぶ聞きなれた声に、待ち合わせ場所へ自然に辿り着いたことが分かった。

声の方角へと振り返る。

視線の先には、メーリーゴーランドの前で人目も気にせず大きく手を振る、ピンク色の髪に花のカチューシャをつけた軍服の少女を見つけた。

「――ふぅっ」

未だに多くの人で賑わい混雑している大好評振りの中、安堵の溜息が漏れる。

そして近付く彼女の元へ。

「遅れてすまん。随分待たせたな……」

「いえ、あたしも来たばっかりですから」

「そうか。俺ももっと早く来るつもりだったんだが、ここが予想以上に広くて道に迷ってしまったんだ」

「あ、レスターさんもですか? 実はあたしもここに来る時、ちょっと迷っちゃって」

「そうなのか? まあこの広さじゃ無理も無いか」

分かりにくい待ち合わせ場所に人込みが合わされば、園内を共に回るといった計画に狂いが生じる可能性は高い。

「まあ、立ち話もなんですから、早速行きましょう!」

だが、そんな可能性など、目の前の彼女の前には無に等しいのかもしれない。

 

「そうだな。じゃあ、行くか、ミルフィー」

「はい! 今日はよろしくお願いしますね!」

 

満面の笑みを浮かべる彼女―――ミルフィーユ・桜葉にとって―――

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

溢れかえんばかりに混雑する園内を照らす人工太陽と映像の青空。

 

「レスターさん、早く早く!」

「ちょ、ちょっと待て! そんなに急がなくても……」

「だって、早く行かないと、長い時間待たなくちゃいけなくなるかもしれないんですよ? だから、早く行きましょう!」

「お、おい―――」

 

青空の下では軍服を着た2人の男女が人込みの中を縫うようにして移動していた。

嬉々として弾むように歩むミルフィーユの笑顔を後ろから眺めつつ、広い園内に迷子にならぬよう心がける。

 

レスターは周りに注意しながら、思っていたことを前方の背中に向けて放った。

 

「行くとしても、まずは何処へ行きたいんだ?」

「まずはですね……」

 

園内の中心部に掲げられた案内見取り図の前で立ち止まると、ミルフィーユは満遍なく全体に視線を巡らす。

それに続いてレスターは息を整えると、自然と傍らの少女に目を向けた。

「それじゃあ―――」

そんな彼女の横顔を見ながら、レスターは昨晩の出来事を思い出す。

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

何故、レスターはミルフィーユと遊園地に来ているのか。

全てのきっかけは、ミルフィーユのこの一言から始まった。

 

「明日、あたしとお出かけしませんか?」

 

たっぷり時間を要した気もする、一言を発するまでのおよそ数秒。

夜勤明けで、しかも疲労と慢性的睡眠不足の板挟みに悩まされていたレスターの脳は判断力と思考力が鈍っていた。

「……はっ?」

ようやく発することが出来たその間の抜けた一声から、話は発展する。

 

人気の無い深夜とはいえ、廊下で、しかも居住エリアの副司令官室の前で会話を交わしている光景は、随分堂々としているように見えたことだろう。

 

若い男女が深夜の廊下で2人っきりとなり、会話の出だしからデートの申し出と推測してしまっても無理は無い。艦内に流れているあらぬ噂がさらに誇張されたとしても、この一部始終を見られてしまえば誤解を招いても仕方の無いことだ。

 

しかし、堂々としていたのはミルフィーユだけであって、レスターは突然の出来事に終始戸惑っていただけで自分の意志を入り込ませる余裕は無かった。

 

それもそうであろう。

未だ艦は修理中だとはいえ、艦内の業務が無くなったわけではない。

連日の業務が積み重なり、会って話をするどころか顔を合わせることも出来ず、憂悶の日々を過ごしていた最中、彼が最も会いたいと願っていた少女が突如目の前に現れたのだ。混乱するなというのが無理というものであった。

 

「この前コンビニに行った時、たまたま抽選でこの星の遊園地の入場券が当たっちゃったんですよ」

満面の笑みを浮かべながら、ミルフィーユはアピールするかのように、取り出した2枚のチケットを胸元の位置にまで掲げる。

「でも、いつまでギムソン星系に留まれるか分かりませんし、もしよかったら明日行きませんか?」

目を輝かせながら言う言葉の端には、密やかな期待が込められているように思えた。

 

是非、一緒に行きたい、と。

 

―――折角の申し出だが、断らせてもらう。

だが、それは空想。自意識過剰。都合の良い思い込みに過ぎない。

 

―――もしかしたら、3日後までにはここを飛び立つことになるかもしれないんだ。そんな大事な時に遊ぶことなんか出来るか。

疑問も生じた。当然のようで見逃しそうな、簡単な疑問を。

だからこそ、自ら思い描いたビジョンを払拭するために、あえてここは四の五言わずに断るのが最善だと思えた。

 

 

そう、以前の彼ならば。

 

 

「……いいのか?」

確かに航行機能が使用出来ない今、ブリッジでの仕事は無い。

だからと言って、書類整理を始めとする艦内業務が無くなった訳ではなかった。

ロストテクノロジー情報の整理、調査報告、紋章機の整備状況、装備品の会計チェック、艦内運営維持費、航行中に発生する苦情の処理………などなど。

「本当に俺で良いのか?」

しかし、書類整理の仕事は無理を通せば出来ない量ではなかったし、そもそも自分に課せられたノルマは終了したところだ。

後日になれば、他の乗組員のノルマをチェックしなければならないだろうが、そんなに苦労する作業ではない。

 

「はい! あたしもレスターさんと一緒に行きたいんです!」

それにようやく千載一遇の好機が向こうからやってきたのだ。

何としてでも掴み取りたい。

 

「それじゃあ、行こうか?」

「はい、明日楽しみにしてますね!」

 

 

そしてもう一度確かめるのだ。

彼女に対する自分の気持ちを。

 

 

 

 

 

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「―――レスターさん、どうしたんですか?」

「えっ?」

気が付かぬうちに回想にふけていたようだ。

「どうしたんですか、ぼーっとしちゃって。もうすぐあたしたちの順番が来ますよ」

ミルフィーユに声を掛けられるまで、レスターはいつの間にか行列に並んでいることに気付けなかった。

「もうそんなところにまで来てるのか? 結構進むのが早いんだな」

「あまり恐くないジェットコースターですからね。終わるのも早いんですよ、きっと」

それはつまり、この遊園地の中でも人気が低い方でもあるということだ。

「そうか。それならば、何とかなるかもな……」

最後のほうは聞こえない呟き声で、そっと胸を撫で下ろす。

「えっ? 何ですか?」

「い、いや、何でもない」

あと二回ほどで自分達の出番がやってくる。

 

まずミルフィーユが希望したアトラクションは、遊園地の定番であるジェットコースターだった。

先程から並んでいる時も話したが、ミルフィーユは大の絶叫マシーン好きだったということ。

それでまずジェットコースターに乗ろうということで、特に希望もなかったレスターはそれに同意したのである。

 

だが、この遊園地にはジェットコースターと一口で言っても、10を超える種類の数があり、さらにはそれぞれ毎回行列が出来ており、とてもではないが乗らなくても労力を要する。

 

「あと、もう一回……」

「ああ」

 

ただでさえ、連日の疲労が溜まっていたときに、今日の予定のおかげで昨夜は年甲斐もなく興奮し眠れなかった。

 

だからこそ、最初はジェットコースターに乗ってミルフィーユを満足させ、あとは行列の出来ない緩やかなアトラクションに行こう。

背中を伝う嫌な汗も、そうすれば無くなる筈だ。

 

レスターとミルフィーユは、よりによって一番前の座席に乗ることとなった。

一瞬、焦りの色を露にしたレスターであったが、隣で嬉々として声を発するミルフィーユの様子に慌てて表情を正す。

 

 

「やったー! ついに乗れましたね!」

開始を告げるブザーと共に、ストッパーが降り、ロックされる音が鳴った。

「こ、こらこら、そんなにはしゃぐな。あんまり動いたら危ないぞ?」

期待と不安が渦巻く状況が一瞬の静寂を生み出す。自分もその中の1人であることを実感する時でもあった。

「大丈夫ですよ! もっと危ない方が面白いですし」

ガタン、ガタンと多数の金属の車輪が重厚な音を立てて動き始める。

「………………」

多大なる緊張感と不安が脳裏で渦を巻き、冷や汗がさらに増したような気がした。

 

ゆっくりと、ゆっくりと真下へと繋がるコースの頂点に差し掛かる。

 

「さぁ、いよいよ来ますよ……」

そんな中、隣の席ではしゃぐ少女を横目で見ながら、レスターは思った。

(ま、まあ、好きだと言っても、絶叫マシーン全てが好きなわけじゃないだろう)

所詮は年端も行かない少女である。体力的にも精神的にも何度も乗ろうとは思わないはずだ。

 

そして、ギリギリのところまで上り詰め、コースターの動きが止まった瞬間。

 

「ぬっ―――!!!」

 

浮遊感―――

 

自分の認識が甘すぎたことを知らされた瞬間であった。

 

そして唐突に脳裏を過ぎる、士官学校時代の飛行訓練―――

 

 

 

 

 

ただ座りながら浮いていた感覚と乾燥機の中に居るような感覚。

視界に収められていたのは、ハザードランプが赤く点滅した計器と目まぐるしく移り変わる風景を映し出すコクピットの窓。

掴んでいるのは、役立たないインテリと化した操縦桿と呼称される物体。

 

そして忘れられないあの感覚。

恐怖、憤怒、悲壮、困惑、ありとあらゆる絶望の感情が脳内で渦を巻き、警報も耳に入らなくなるほどの音量で己の口から発せられていた意味不明の絶叫―――

 

 

 

 

 

あの時も、こんな感じだった―――

 

「ぬおおおおおおおおおああああああ!!!」

 

瞬く間に後悔した。

 

絶叫と嬌声が入り混じって、凄まじい風圧が鼓膜を打ち付ける。

だが、それも一瞬。

もはや聞こえるのは己の絶叫とコースターによって煽られた風の音のみ。

 

風圧によってやられそうな目に飛び込んでくるのは、目まぐるしく入れ替わる遊園地の風景。上に行った時に見下ろせる、ぽつんぽつん、と点在する動く物体は、下に居る人間の光景だということに気付いた。

 

「あああああああああッッッッ――――!!!!」

 

やっぱり、止めておけばよかった。

引力と重力に肉体と精神が分離しそうになりながら、レスターの中で後悔の念が浮かび上がった。

 

「あはははははっ!!! すごいすごーーーーいーーーー!!! あははは―――!!」

 

 

楽しそうな嬌声が隣から聞こえてくると、意味不明の絶叫を上げ続ける口から本音が飛び出そうになりながらも、レスターは耐えた。

 

その忍耐が何のために行ったのか、言い表せないまま。

 

 

 

コースターが終了すると、内心、ほうほうの体であったが、何とか表面は平静を取り繕う。

(お、終わった……)

しかし、これはまだほんの序章に過ぎないことを、コースターから降りた時に思い知らされる。

 

 

 

「次はスプラッシュマウンテンに乗りましょう!」

「な、何ィ!?」

先程乗ったジェットコースターが終わると、パンフレットを広げながらミルフィーユが指定してきたのは、先程よりも危険度が高い立ち乗り用コースターだった。

「ちょ、ちょっと待て! それは並ぶだけでどれだけ時間が掛かるか分からんぞ!?」

それもあったが、先程のアトラクションのせいで胸焼けのような気分と、時折頭痛がするほどの疲労感が襲い、今でもその勢いが増していた。

これ以上休むことなく絶叫マシーンに乗り続ければ、どうなるのか予想することが出来ない。

否、予想などしたくは無いために、レスターは必死になってミルフィーユに思い止めるよう遠まわしに打診した。

「はい、分かってます。それだけ人気があるから乗って見たいんです!」

だが、提案した本人の表情に疲労感はおろか躊躇いすら無く、むしろ余程楽しみにしていたせいなのか、元気さのスイッチが入ったかのように瞳は輝きを増していた。

「それは分かってる。だが、その間他のところで時間を潰した方が良いんじゃないか?」

「そんなことしちゃったら、余計人が多くなって乗れなくなっちゃうかもしれないじゃないですか!?」

上目遣いで懇願をしてきても、瞳の輝きに翳りは見せない。

「お願いします! これだけは絶対に乗りたいんです!」

それは純真という名の輝き。

ドクン、と、鼓動が高鳴る。

眩いばかりの彼女の仕草に微笑ましさを感じた。

「………………」

眩暈がしそうな感覚を堪えながら、レスターは覚悟を決めた。

「分かった……付き合おう」

ゆっくりと頷き、力無く微笑む。

同時に息を呑む気配が伝わった瞬間、どこかで崩壊する退路の音に、今までの考えなど払拭されたような気がした。

「ありがとうございます! レスターさん!」

未だに疲労感、重い気分は抜け切らない。

 

しかし、それも些細なことだと思った。

 

「それじゃ、早く行きましょう!」

 

天真爛漫な彼女の笑顔と急かすように繋がれた手の温もりを感じられるのならば………

 

 

 

本当に胸が温かかった―――

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

それからは順調に。思った以上にスムーズに時を過ごした。

どのアトラクションも例外無く列が出来ていたが、この遊園地の要領と配慮が行き届いているのか、そんなに長い時間待つことなくアトラクションで遊ぶことが出来た。

それに多少とはいえ、並んでいる待ち時間のおかげで休むことが出来、徐々に体調を整えていくことに成功した。

「次は何処に行きましょうか?」

「お前の行きたいところで良いぞ? まだまだ時間はあるんだからな」

「いえ、たまにはレスターさんも行きたいところがあったら言って下さい。あたしもレスターさんがどんなものに興味があるのか見てみたいですし……」

「そうだな……この映画館などどうだろう?」

「立体映像のですか!? あたしも見てみたいです! 行ってみましょうよ!」

「まあ、どんな内容なのかは分からんが、ゆっくり行こう」

道中交わされる会話。

先日までの行き違いが嘘のように。

 

以前にもお互い気まずい雰囲気になったことはあるが、己の意思で無い行き違いというものは、どうにもやり切れないものがあった。

クジラルームでの邂逅。突然のトラブルによる中断。連なるようにして降って出てきた別の業務。

そして、あらぬ噂と上手い申し開きが出来ない自らに悶々とする日々を、彼女に会えぬまま過ごしてきた。

 

だからこそ、これが自分達の本来の姿であると、改めて実感出来る。

 

何気なく、ただ自然な形で会話を交わす。

内容に制限は設けず、ただ傍に居るだけで意味を成す存在感。

たったそれだけで一日の何時間を使用する。

それがいつの日か当たり前のようになっていた今までの日々。

 

 

奥底に眠ろうとしていたこの温かく、安らかな感情の正体こそ、レスターが求めていた答えなのかもしれない。

 

 

 

 

 

「あ〜あ、楽しかった〜……」

「……そうだな」

充実した時間の流れというものは、あっという間に過ぎるもの。

日中には雲一つ無かった快晴の空も、今となっては茜色に染まり、太陽は地平線に隠れようとしていた。

「ついつい、はしゃいじゃいましたね〜。もうこんなに時間が経っていたなんて……」

「……そうだな」

自分でも内心驚いていた。こんなに時間が経っているのを忘れるほど、年甲斐も無く夢中になっていたとは。

もしかすると、この遊園地にあるアトラクションを全て回ったのではないかと思うほど、遊びまわった感じがした。

「ほんと、早いですよねぇ……」

「……そうだな」

その証拠に、日中は超満員の人数で溢れかえっていた客の姿も、今の時間帯となると園内にはまばらとなっている。

そんなオレンジ色に彩られた園内を、レスターとミルフィーユはただ歩いていた。

最後のアトラクションを終了してから何気なく会話が続き、あても無く歩き続けていた2人。

夕方ともなれば、後は夜に訪れる時間帯が近付いているだけあって、忘れていた疲労が浮かび上がってくる。

それは2人に、そろそろ帰らなければならないことを暗に訴えているかのようだ。

だが、もう少しだけここに居たいという気持ちが、足を出口に向かわせない。

自然と少なくなる口数。2人の間に漂い始める名残惜しさ。

あても無く周囲を彷徨いながら、口を開こうと決意した。

「レスターさん……」

そんな時、不意にミルフィーユが立ち止まり小さく声を上げる。

「ん? どうした?」

レスターも立ち止まり、ミルフィーユに視線を向ける。

だが、彼女は答えず、目線を別の方向に向けたまま、ゆっくりと指を差した。

「?」

その動作に怪訝な面持ちになりながらも、レスターはつられるようにして視線を向けると、向こう側には。

「最後、あれに乗っていきませんか?」

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

ゆっくりと、ゆっくりとした動きで高度が上がり、自分達を乗せた箱が上がっていく。

「わぁ……綺麗……」

窓ガラスに映る景色を、対面の席で身を乗り出すようにして眺めていたミルフィーユは感嘆の呟きを上げる。

「ほう……」

同じく腕を組みながら首だけを振り向かせて景色を眺めていたレスターも、感動とも感心ともつかない声を衝動的に漏らす。

 

徐々に頂点へと上がろうとしている自分達を見上げる人々の視線が向けられているような気がした。

ただ、その数は今では形を潜め、風景の変質に倣うかのように、数えられそうなほどの人数しか見ることが出来ない。

 

夕暮れに彩られた遊園地の風景。

 

それは一日の終わりを暗に告げ、同時に人々の心に寂寥感を齎すものとして、地上に無くてはならない現象なのかもしれない。

 

それでもまた明日という、希望を約束された新しい一日が訪れるのであれば、決して悪いものではないと、観覧車の中からレスターは思った。

 

「今日は付き合ってくださって、ありがとうございました」

「ん?」

様変わりしていく何と無しに景色を眺めていた時、ミルフィーユがこちらを向いて言った。

「いえ、お忙しいのにわざわざ時間を割いて下さって、本当にありがとうございました」

「なんだ、そんなことか」

軽く肩を竦める。

「別に大したことじゃない。そんなに忙しかった訳でもなかったからな」

「でも……あたし、無理矢理連れ出すようにして、誘っちゃったから……」

「気にするな。あの時俺も、ちょうど何処かに行きたいところだしな」

その言葉に嘘偽りは無く、レスターでも気が付かぬうちにニュアンスが込められていたことを、ミルフィーユは察することは出来たのかは定かではない。

「ホントですか?」

「ああ、意外と楽しませてもらった」

少なくとも自分は予想以上に楽しんだつもりだと、心地良い疲労感に身を委ねる。

そうして背を齎していると、全てを悟ったような気がした。

そして、それは気のせいではないことを自覚している証拠だとも気付いていた。

「よかった……」

ほっと胸を撫で下ろすミルフィーユの顔を、窓から射し込む夕陽が当たる。

徐々にゴンドラの中が茜色に支配されると、再び沈黙の内壁が辺りを囲む。

互いに言葉も無く、再び外に視線を向ける。

 

空が、ゴンドラが、外が、目の前の相手の顔が、自分の顔が、全てオレンジ色に統一されている。

視界に納まる総てのものが一色に染まるというものは、とても幻想的で、不思議な空気だということを、今初めて思い知らされた。

 

しばらくの間、沈黙していると、自分達を乗せたゴンドラはいつしか頂点に差し掛かっていた。

 

それが合図のように―――

 

「聞かないんですか?」

窓辺に視線を向けたままミルフィーユが呟く。

「何をだ?」

分かっているはずなのに、あえて聞く俺は悪人なのだろうかと、レスターは景色に目を向けたまま問う。

「聞こうとは思わないんですか?……それとも本当に分からないんですか?」

「さあな。だが、これだけは言える―――」

いや、これは当然の反応だと思う。

 

 

「―――俺からは聞こうとは思わない。

けど、お前の、ミルフィー自身の意志で聞きたい」

 

 

答えというものは、自分で見つけたときよりも、相手の口から出たときのほうが、真実味が増すというものだ。

 

「………………」

「………………」

気付けば、お互いを見据えていた。

うっすらという表現がぴったりの、それでいて儚げでありながら優しさを滲ませた微笑みで、彼女が見つめていた。

もしかしたら、自分もそんな表情をしているのかもしれない。

「分かりました……話します」

相好を崩す。それは多分双方とも。

「あたしが思っていたことを全部」

耳を欹てる。彼女の言葉一字一句を聞き逃さぬよう。

「どうしてあたしが、レスターさんをここへ誘ったのか。その本当の事を―――」

 

それは、ここに来るまでレスターが一番疑問に思っていたことだった。

 

 

 

 

 

「この前あたし、ある人と、あることで相談したんです」

 

今までミルフィーユを見てきたレスターは、彼女の性格柄、突然何の脈略も無く誘ってきても不思議さは無い。

だが、だからこそ、あの時誘ってきた時の彼女の様子に違和感を持った。

 

「“あたしには好きな人が居ます”……って」

 

本来の彼女ならば、一言相手の都合などを聞いてきてから誘ったりするはず。

気安い相手だからこそ忘れていたのかもしれないから、それでいいとしても、やはりいつもの彼女とは思えない雰囲気だった。

 

「そしたら、その人なんて言ったと思います?」

 

違和感の正体は、彼女の雰囲気から決意というものが溢れんばかりに放出されていたこと。

 

「“私達ライバルですね”って、言ったんですよ」

 

そのときは呆気に取られてい過ぎたせいか、それともたった数日会っていなかっただけでそうなってしまったのか、そんな気配を感じ取れなかった。

 

「その時始めは驚いちゃいましたけど、後からは自然に会話が進んじゃって、最後に言ったんです」

 

しかし、今になって分かるあの時の光景。現在、彼女から語られる真相。

 

「“その人に会って、気持ちを確かめることが出来たら、改めて勝負をしましょう”って」

 

彼女の中に生み出された解答は決意という名の感情を伴って心に反響した。

 

「そうか……」

今まで黙ってミルフィーユの話を聞いていたレスターは、ただゆっくりと頷く。

納得した訳ではない。だけど、反対する訳でもない。

「それで、何か分かったのか?」

彼女が出した答えならば、もう自分は何も言うまい。

 

彼女がそれで良いのならば、きっとそれが正しい答えなのだろうから。

 

「はい、はっきりと分かりました。でも、言いません」

しかし、その予想だにしない言葉に面食らってしまった。

「……何故だ?」

ミルフィーユはその疑問に答えているのか、はぐらかしているのか判断しかねるように間をおいてから。

 

「あたしからじゃなくて、相手から告白されるようになりたいんです」

 

天使はこちらを見つめながら悪戯そうに笑うと、本当に心からの、彼女らしい本来の微笑みで宣言した。

 

 

 

 

 

「その方が、あの人に対しても、相手に対しても、完全勝利になりますからね!」

 

 

 

 

 

そして、ゴンドラは下に到着し、扉が開いた。

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

観覧車から降りて、出口に向かってしばらく歩いていると、レスターは不意に思い立ったことがあった。

 

「ミルフィー」

「はい?」

「写真を撮らないか?」

「えっ? どうしたんですか、いきなり?」

隣で歩いているミルフィーユはこちらを振り向くと、予想外だと言わんばかりに目を瞠っていた。

「いや、記念にと思ってな……花見をやった時、全員の写真を撮ったことがあっただろう」

「……そういえば、そうでしたね」

思い出したのか、合点がいったように頷く。

「それ以来、写真に興味を持ってな。せっかく来たんだから、一緒に撮らないか?」

変に思われるかもしれないが、嘘ではない。

色々会ったが、あの時貼られていた写真を見て、興味を持つようになった。

 

「良いですね〜! 一緒に撮りましょう!」

 

その時こっそりと、一枚だけ彼女の写真を購入したのは秘密だ。

 

 

 

使い捨てカメラを購入し、近くの係員に頼んで撮影してもらうことにした。

 

メリーゴーラウンドをバックになるたけ自然に笑えるように意識しながら、2人並ぶ。

 

「それじゃあ、いきますよ〜。はい、チーズ―――」

 

カメラのフラッシュを一身に受けながら、レスターは思った。

 

 

ミルフィーユの言っている『あの人』と言うのが誰なのか。

そして『好きなのかもしれない人』と言うのは誰なのか。

現時点では、『あの人』というのが誰を指しているのかは分からない。

 

いや、もしかしたら、分からないことだらけなのかもしれない。

 

しかし、たった1つだけ分かったことがあった。

 

もしかすると、ミルフィーユは『あの人』という人物に挑戦するとともに、遠慮したのかもしれない。

『あの人』と先程聞いた話以外、どんな会話をしたのかは分からない。

 

ただ、彼女の優しさが、その人物と『好きなのかも知れない人』に対しての立場を鮮明にさせたのだろう。

 

 

 

「ミルフィー」

「はい? なんですか?」

「これからもよろしくな。それと………」

 

 

 

それならば、望むところだ。

 

自分も自覚したこの気持ちを、今、伝える気は無い。

 

 

 

 

 

「勝負だ、ミルフィー」

 

 

 

 

 

彼女から告白されるよう、自分を磨こう―――

 

 

 

 

 

今写した、写真に誓って―――

 

 

 

 

 

俺たちの関係は、今、始まったばかり―――

 

 

 

 

 

Two pieces of relation still began just now.