―女なんてものは、皆一様にうるさくてワケの分からない存在だと思っていた。だが、彼女だけは、例外として認めて良いのかもしれない―
エルシオール副司令官、レスター・クールダラスは、ある夜の出来事により、自らのそれまでの自分の認識を改めることとなる…
LEFT EYES
深夜の中央ホール――常夜灯と自販機のライトのみがわずかに暗闇を照らし、あとは静寂が支配する空間――に、長身で銀髪の、左目に眼帯をした男が疲れた表情を浮かべやって来た。
男の名はレスター・クールダラス。この儀礼艦エルシオールの副司令を務める切れ者で、司令官タクト・マイヤーズの親友でもある。クルーの間では、性格は合理主義者で女嫌いと通っている。
深夜なので無論他のクルーは寝静まっている。ただレスターの立てるカツカツという足音だけが、乾いた響きをホール内に広げるだけだった。
「深夜までやって、まだ半分とはな…」
誰に言うでもなく、レスターは一人つぶやいた。長くこのようなことが続き、ひとりごとがクセになってしまっているらしい。
彼のつぶやきは、自らが処理せねばならない書類の量についてのことだ。司令官であるタクトは「おお3時だ。ミルフィーがケーキ焼くって言ってたな」と言ってキッチンスペースへ向かったり、「月の聖母がこっちに行けって言ってるよーな気が…」などと言って持ち場を離れたりととにかく仕事をサボる。そのため未整理のデータがたまり、レスターにそのしわ寄せが一気にやって来る。睡眠時間を削りでもしない限り、とてもたまった書類を処理しきれない。彼がホールに来たのも、書類との格闘の途中で、襲い来る睡魔を振り切るべく自販機でコーヒーを買い、カフェインで目を冴えさせようというさながら受験生のような目的があったからだ。
「……ん?」
レスターはふと立ち止まった。彼がこの深夜のホール通いを初めて日は浅くないが、ホールの手前で何やら違和感を覚えたのだ。<何かがいつもと違う>というぼんやりとした違和感が。
「気のせいか…」
レスターは気にせずホールに入り、いつも自分が利用する自販機へと足を運んだ。だがそこで、彼は先ほどの違和感の正体を知ることになった―
・
「…何だ、君が居たのか」
「『何だ』とは何だい。幽霊でも居ると思ったのかい?」
自販機の前のソファに、先客が座っていたのだ。
フォルテ・シュトーレン中尉――紅いセミロングの髪に軍帽をかぶり、左目に単眼鏡をかけたコケティッシュな顔立ちの、エンジェル隊隊長を務める女性だ。
そのフォルテがたばこをふかし、ソファに足を組んで座っていた。レスターが感じた違和感とは、彼女の気配だったのだ。
「いや、いつもは俺一人なんだが、何だか人の気配を感じてな。シュトーレン中尉、君はなぜここに?」
「なかなか寝付けなくてね、目が冴えちゃってさ。副司令は?」
「俺は書類の整理をしててな。コーヒーでも飲んで、目を覚まそうと思ったんだ」
「へぇ…それじゃあたしと逆だ。ご苦労さん」
「…あぁ、全くだな」
―片や眠れず夜更かし、片や眠くて目覚まし、か…―レスターはコインを自販機に入れながら思わず苦笑した。
「……」
コーヒーを取り出したレスターは、フォルテが浮かべた好奇の表情に気付き、問いかけた。
「俺の顔に何か付いてるか?」
「ん? いやぁ、別に。ただ…」
「ただ、何だ?」
「副司令が笑ってるトコ、初めて見るなぁって…ほら、いっつも眉間にシワ寄せて怒ってる様なカオしてるからさ」
フォルテはクスクスと口元に手を当てて、笑いながら答えた。
「俺はいつもそんな風に見えてるのか?だとしたら、タクトのせいだろうな。昼間はあいつを監視して…ほとんど逃げられるが…、夜はあいつがサボった分のデータ処理。余計な仕事が増えて、落ち着く時間が無い」
レスターはフォルテの隣に腰掛け、ため息まじりに言った。その言葉には疲れがにじみ出ている。
「うんうん、およそ司令官らしい仕事、普段はしてないもんねぇあいつは。戦闘中指揮を執ってる時とは別人みたいだ。たまに二重人格かと思っちまうよ」
レスターは缶のフタを開け、コーヒーを口に流し込んだ。
無糖ゆえの純粋な苦味が、舌と喉にしみる。
「全く、俺の苦労も知らんでいつもフラフラしやがって。たまには真面目に仕事して欲しいもんだ」
レスターの口調にはいつになく怒りがこもっている。聞いてくれる人間―フォルテ―の存在があるからだろうか。
「今朝もミーティングに遅刻して、理由を問いただしたら『ミルフィーの作ったごはんが美味しすぎて朝食が長引いた』だと…!呑気なもんだ、こっちはまだ朝食前だったというのに…」
「おやおや手厳しいねえ」
フォルテはやんわりと言葉をかけた。
「それだけじゃない。『司令官の不備は副司令の不備だ』と言われて、クルーからの苦情が山のように来て、胃が痛い思いをしたことは1度や2度じゃないんだ!」
ベコッ!
レスターの左手に握られていた缶が歪んだ。
フォルテは「それはタクトが悪いな」と同意しながらも、こう続けた。
「でも、タクトだって何の考えも無しにむやみやたらとサボってるわけじゃないってことは、察してくれてるだろう?」
「あぁ……そうだな」
分かっている。これは自分とタクトの役割分担なのだと。司令官であるタクトは人の心を掴む能力に長け、ゆえにエンジェル隊が高いテンションで戦いに臨めるように、彼女らと信頼関係を結ぶため、コミュニケーションを取る。そして副官である自分はそれによって発生する業務の蓄積などのデメリットを排除する。司令官であるタクトを補佐するのが自分の仕事なのだと。それぞれに出来ることが割り振られ、お互いにそれをこなしているのだと。
しかし、心のどこかでそれを認めようとしない自分が居る。「あいつは女と話して、俺は黙々と仕事」という状態に納得できない自分が――
「いや…分かっているんだがな…タクトが君らと――エンジェル隊のメンバーとコミュニケーションを取って信頼を得ようという意図も…。そのために、艦内での業務がおろそかにならざるを得ないことも…。頭では理解しているのに、どうしても理不尽に感じてしまう、『なぜ俺が』と…!……すまん。グチなど言ったりして…相当疲れてるな、俺は」
レスターは空いた右手で頭を抱え、うっ積した気分をはき出すかのように大きなため息をついた。
フォルテは穏やかな笑顔でレスターの言葉を受け止め、言った。
「なーに、謝ることじゃないさ。誰だって頭では理解できても、心のどっかでやりきれない怒りを持ってて、それを時たま何かにぶつけたくなる。あたしだって入隊したてのミルフィーと蘭花には随分手を焼かされて、よく近衛長官にグチったもんさ。必要なことなんだよ」
口調こそ軽やかではあったが、フォルテの言葉には聞く者を宥め、激励する確かな力強さがあり、隊長を務めるがゆえの貫禄を感じさせた。
「どうだい一服?結構落ち着くよ」
フォルテはコートの内ポケットからたばこの箱を取り出し、人差し指でトントンと叩いて起用に一本迫り出させ、レスターの方へ向けた。
「…あぁ、もらおうか」
レスターの頭も冷えて来た。フォルテのおかげで胸に抱え込んでいたイライラも解消された。普段彼はたばこをやらないが、この時は良い気分転換になると思い手を伸ばし、たばこを箱から引き抜き、口にくわえた。
「すまんが、火をくれないか?」
レスターは普段たばこをやらないので、ライターも携帯していなかった。
「あぁ、いいよ」
フォルテはライターを取り出した。
―チッ、チッ、チッチッ!
「あれ?っかしーな…」
―チッ、チッ、チッチッ!
―チッ、チッ、チッチッ!
火は一向に点く気配が無い。時折火花は散るが、「シュボッ」という威勢のいい音は聞こえて来なかった。
「悪ぃ、油切れたみたいだわ…」
「そうか…」
レスターは、いつまでも短くならないたばこを、くわえたまま手持ちぶさたに放置していた。
「――副司令」
ふと呼ばれ、レスターが視線を隣のフォルテに向けると、彼女が少しずつ自分の方へ顔を寄せて来た。
「――?」
レスターはフォルテの突然の行動が理解できず、ただ彼女の目を見ているだけだった。
やがてまつ毛の数まで数えられる程にお互いの顔が近付いた時――
「何だ、シュトーレン中尉?」
レスターは疑問を口にした。
吐息が、フォルテの頬をなぜる。
「ほら、火…」
「―…?」
「だから火だよ、た・ば・こ」
フォルテはくわえていたたばこを上下に揺らした。その先端にはオレンジ色の炎が、小さな円柱を呑み込もうと煙を立てている。
「あぁ、そうか」
レスターは顔を近づけ、たばこの先を合わせた。
白い煙が上がる――
・
・
・
「じゃあ俺は書類整理に戻らなければ。シュトーレン中尉、いろいろすまなかった」
レスターはたばこをソファの隣に置いてある灰皿へ投棄すると、立ち上がってフォルテに礼を言い、ブリッジへと踵を返した。
――今まで女というやつは、皆一様にうるさくて話の通じない者だとばかり思っていたが、ひょっとしたら彼女は、シュトーレン中尉だけは、例外として認めて良いのかもしれない――
今回のことで、レスターの中では何かが確実に変わり初めていた。思えば、自他共に認める女嫌いの自分が女性相手に弱みを見せ、率直な言葉を口にしたのも珍しい。
カツカツカツ――
レスターが戻ろうと歩き出した時、
「待ちな」
呼び止める声が上がった。
「?」
レスターが振り返ると、
「あたしも書類整理っての手伝うよ。ちょうど眠れなかったトコだしね。それに、あんた毎日やってんだろ?大変じゃない」
フォルテが立ち上がり、手伝いを申し出ていた。
「気持ちはありがたいがシュトーレン中尉、グチを聞いてもらった上にそんなことまで…」
レスターにとっては願ってもないことだが、やはり世話になりっぱなしでは気が引ける。しかしフォルテは、
グイッ―
「つべこべ言わずに手伝わせろっての!」
強引にレスターの袖を引っ張り、ブリッジへとどんどん歩き出した。
レスターはフォルテの腕力に驚きながらも抵抗し
「待て!分かった!分かったからシュトーレン中尉!その前に…」
必死に懇願した。
「何だい!?」
「あ、空き缶捨てさせてくれ、頼む」
「チッ、分かったよ…」
終わり