「あたしはジュリエットみたいになりたい」
儀礼艦エルシオールはとあるリゾート惑星に進路を向けていた。
もちろん遊びに行くわけでない。物資の補給や各機器のメンテナンス、修理などが目的である。
エルシオールは紋章機ほどでは無いにしろ、ロストテクノロジーの塊で出来ている。それをメンテナンスする為には、やはりそれなりの設備が必要となるのだ。
EDENとの交流により星図の大幅な変更が行われた皇国において、辺境星域の調査は復興と共に重要な仕事であった。過去の戦いはその多くが辺境を発火点としており、『ヴァル・ファスク』の脅威が去ったとはいえ、調査の重要性は誰もが認識する事であったから、その任務にエルシオールとエンジェル隊があてられたのは自然な事であろう。
そのエルシオールが航行中の宙域で最大規模の宇宙港を擁しているのが、たまたまリゾート惑星だったのだ。
しかし、やはりリゾート惑星に行くとなると自然と雰囲気が明るくなってくるものだ。目的地が近づくにつれて、艦内の雰囲気が良く言えば明るく、悪く言えば浮ついたものになっていた。
その上司令官が、
「リゾート惑星には予定を延長して一週間滞在し、全乗組員に三交代で二日ずつの休暇を与える」
という声明を発表したものだから、乗組員が上の空で仕事をしていたとしてもそう責める事はできないかもしれない。
ちなみに司令官の発表は、概ねふたつの評価によって受け入れられる事となる。
ひとつは、司令官もなかなか粋な計らいをするじゃないか。そしてもうひとつは、いや、自分が遊びたいからに違いないぞ……。
どちらにせよ休暇を嫌がる人間がいなかったので、その議論は早々に打ち切られ、皆休日の使い道に思いを馳せていた。
……エルシオールはリゾート惑星への到着を翌日に控えている。
「ほらココ、見てよ! テニスコート、屋内プール、遊覧船、温泉、遊園地、ショッピングモール、なんでもあるわよ」
そう言って一冊の雑誌を広げているのは、エルシオール通信担当のアルモだ。
「もうアルモったら、一体どこからそんな雑誌を手に入れてきたの?」
答えるのはレーダー機器担当のココ。
「宇宙コンビニに残ってた最後の一冊をギリギリ買えたの! やっぱり事前の下準備は大切でしょ?」
「それはそうだけど」
現在エルシオールはクロノドライブ中である。アナザースペースへの移行が終わって航行が安定すれば、ドライブアウトまでの間はブリッジ要員の仕事は無くなる。その時間は交代で休憩をとるのがエルシオールの通例で、今も例外では無い。
そしてアルモとココは休憩中……と言うわけではなかった。二人はブリッジに待機して各部署からの伝達を確認する……要するにお留守番を命じられていたのだ。
お留守番とはいえ仕事ではある。しかし、結局のところ何処かからか連絡が入らない限りやる事は無いのだ。普通に考えれば待機要員は一人でも十分かもしれない。しかし、この手の仕事を一人でやると、大抵は二種類のパターンに結果が分かれる。
ひとつは、緊張を持続させる事ができず、怠けるタイプ。下手をして居眠りでもされた日には、本当に緊急事態が起こった場合、迅速な連絡が出来ない。
もうひとつは、緊張を維持しすぎてストレスを溜めてしまうタイプ。生真面目な人間に良く見られる傾向だ。
その事を良く理解している優秀なるエルシオール副司令官は、ブリッジの待機要員を常に二人置いていた。当然ペアにする人選にも気を配る。怠けすぎず、緊張しすぎず。これがお留守番の理想的なスタイルなのだ。
そのような副司令官の深慮を知っている者も、知らない者もいるが、お留守番を命じられたブリッジ要員は、これまでさしたる問題も起こさずその任務をこなしてきた。
そして現在のお留守番係、アルモとココは見事に怠けすぎず、緊張しすぎずの状態であった。
ココは少し考えたが、アルモの切り出した話に乗っていく。
「そうね。確かあの星の一番の人気スポットは劇場じゃなかった?」
「そう、そうなのよ! 劇団宇宙の季節だよね」
そう言って雑誌のページをめくるアルモ。『劇団宇宙の季節』とプリントされたページが開かれる。
「へえ、今の演目はこれなのね」
ページにはしばらく前に大流行した恋愛小説のタイトルが印字されていた。ドラマや映画にもなっていたはずだ。有名劇団による待望の舞台化、の文字が大きく踊っている。
「ああ、クール……レスターさんと観に行きたいなぁ」
つい先日、クールダラス副指令の呼び方を卒業してレスターさんへと入学したばかりのアルモがうっとりと呟く。
結局肝心の告白には至らなかったらしいが、これまで長い時間をかけても何の進展も無かった事から考えると、大きな進歩と言えるのかもしれない。
「でも……今からだとチケットを手に入れるのは難しいんじゃない?」
ココがおっとりとした口調で返す。目に見えてがっくりと肩を落とすアルモ。
「そうなのよー。一応問い合わせてもみたんだけど、今からじゃ滞在期間中のチケットは取れないんだって」
リゾート惑星の一番の人気スポットと言えばやはり予約が中心となる。現在の状況も仕方の無い事だろう。
「ジュリエット、観たかったなぁ……」
呟いたその言葉が、舞台のタイトルでありその物語のヒロインの名前であった。
ジュリエットという少女がある日出会った少年に恋をするというストーリーで、二人の燃え上がるような恋模様が特に人気となっていた。
「まあ今回は諦めて、他のスポットを探してみたらどう?」
「……そうね」
「折角のチャンスなんだし、クールダラス副指令を誘ってみるとか」
ココはこれまで何度も親友の恋の背中を押してきたのだが、足を踏み出すまでに至った事はほとんど無かった。今回もそれほど深く考えての事ではなく、いつも通りの台詞のつもりだったのだ。
だからそれに対する親友の反応は意外なものだった。
「……ジュリエットみたいになりたい」
「え?」
「あたしはジュリエットみたいになりたい」
親友の突然の言葉に困惑するココ。アルモは持っていた雑誌をパタンと音を出して閉じる。
「あたしに足りないのはジュリエットみたいな行動力なのよ! ココもそう思うでしょ?」
物語の中でジュリエットは、恋する少年の為に家名も財産も全て捨てて少年の元に走るのだ。
「そ、そうかもしれないけど……でも、ジュリエットはアンハッピーエンドでしょ?」
少女と少年の恋はすれ違いと勘違いの末、悲劇で終わってしまう。
「ハッピーエンドにすれば良いのよ! 見習うべきは情熱と行動力だと思うの」
拳を握り締めて熱っぽく語るアルモ。
呆然とその様子を見ていたココだったが、やがて表情を緩め、人差し指を頬に当てて考える。
その時ジュリエットは13歳だった。周りを冷静に見る事の出来ない未熟さが悲劇を招いてしまったとは言え、その情熱と行動力は多くの人々の胸を打つものだったではないか。
情熱と行動力が筋書きを道の隅に蹴飛ばして、ハッピーエンドに向かって駆けて行く様な物語があったとしても良いのではないだろうか。
たとえば、そんなジュリエットがいたとしたら。
「アルモ、頑張ってね」
ココは微笑んで親友を激励する。
「うんっ! あたし頑張るわ! ジュリエットみたいに!」
彼女の瞳にはハッピーエンドへの道が映っていたはずである。
/
人はいつでも最善の選択を選んでいるわけではない。後になって振り返ると、何でこんな行動をしてしまったのだろう、と思ってしまうような事がままある。
お留守番任務を完了し休憩時間に入ったアルモは、喜び勇んでブリッジを後にした。食堂で食事を取り、廊下でレスターを探す算段を立てているところで、同じ様に食堂から出てきた一人の男性乗組員に声をかけられる。顔見知りの乗組員だ。
こんにちはと挨拶を交わし、しばし雑談。休暇楽しみですね、そうですね、と当たり障りの無い会話を続けているうちに、アルモは恐ろしい事実に気付いてしまった。
すなわち……彼の名前を覚えていない。
これは一体どうした事か。彼は親しげにアルモさんと呼びかけてくる。自分も彼の事を良く知っている。何度か雑談を交わした事もあったはずだ。にも関わらず、何故か名前が出てこない。
もし彼が、俺の名前を言ってみろ、等と言い出したらどうすればいいのだ。いや、いきなりそんな怪しげな言動をする人間がいるとは思えないが。
……後で考えればこの時の選択は間違いであった。アルモは彼と別れ、本来のレスターを探すという目的を果たすべきだったのだ。後から考えれば、どうしてこんな行動をしてしまったのだろう、そんな風にすら思える選択。
アルモは、男性乗組員……ヴァニラちゃん親衛隊隊長の横に並んで歩き始めた。
「隊長さん、やっぱり休暇はヴァニラさんを誘うんですか?」
隊長さんという呼称を不自然にならない様に操り、宇宙コンビニの横を通り過ぎながらアルモが問う。
「もちろんその通りです! と言いたいところなんですが……、はぁ……」
肩を落としため息を吐く隊長。
「どうかしたんですか?」
「……ええ、実はですね。その事でヴァニラちゃん親衛隊が発足以来最大級の危機を迎えているんですよ」
表情からも口調からも彼が真面目である事は確かである。にも関わらずどうしてこれほどこの台詞を滑稽に感じてしまうのだろうか。アルモが笑みと哀れみと引きつりを混在させた表情で続ける。
「そ、そうなんですか?」
「休暇は二日しか無くて、ヴァニラちゃんの身体はひとつしかありません。ならば! 親衛隊の中でも隊員番号の若い者から優先的に誘う権利が与えられてしかるべきでしょう!?」
エレベーターの呼び出しボタンを意味も無く連打しながら語る隊長。
「そ、そうかもしれませんね」
「そうですよ! それなのにまだ親衛隊に入って日が浅い連中が揃いも揃ってその決定に反抗してくるんですよ。まったくこれだから新参者は……」
さらにボタンを連打。銀河記録の一秒間十六連打を超えたかどうかは計測する人間がいなかったので明らかではない。
「しかも!」
やってきたエレベーターに二人して乗り込む。
「何を考えたか、歴史と栄光あるヴァニラちゃん公認の親衛隊を裏切って『ヴァニラちゃんを想う会』だかなんだか怪しいモノを作ってしまったんですよ!?」
キッと鋭い目線でアルモを睨む隊長。エレベーターは目的地であるDブロックに向かって静かに移動を開始する。
「そ、それはまた……困りましたね」
勢いに押され同意する事しか出来ないアルモ。
「まったくです。そんな怪しい会を作ったところでヴァニラちゃんが喜ぶものですか!」
「そ、そうかも知れませんね」
「そこでヴァニラちゃん親衛隊は実力行使によって『想う会』とやらを叩き潰そうとしたんです! ところが、ですね……くっ……」
隊長は握った拳を震わせている。これで台詞を改ざんすれば見事な苦悩する青年の図となるであろう。
「ところが……親衛隊結成当初から苦楽を共にしてきた副隊長が……信頼していた副隊長が……親衛隊内の穏健派を引き連れて、『ヴァニラちゃんを見守る会』を結成してしまったのです。おお、何と言う悲劇!!」
天を仰ぎ、目頭を押さえる。
アルモはエレベーターが目的地に到着するのを普段より遅く感じていた。小さくため息を吐く。
「副隊長……お前もか……」
膝を付き、拳だけでなく肩をも震わせて嘆く。
アルモはレスターさん何処にいるのかしら、と考えていた。
「規模で言えば未だ親衛隊は最大規模を誇っています。しかし、みっつの組織のどれかふたつが協力態勢をとった場合、その勢力は残るひとつの勢力を上回ります」
立ち上がったかと思うと、フラフラとエレベーターの壁に身体を預ける。
アルモはレスターさんを何処に誘おうかしら、と考えていた。
「これは紛れも無く三すくみ! おお、動くに動けないこの状況! 時間ばかりが無常にも過ぎ去ってゆく……まさに、まさに運命の悪戯っ……」
そのまま身体が沈み、エレベーターの床で彼は真っ白に燃え尽きた。
その時アルモは行き先の候補をテニスコートと遊園地の二ヶ所に絞り込んでいた。
エレベーターがDブロックに到着する。
燃え尽きていたヴァニラちゃん親衛隊隊長に声をかけ、二人してエレベーターを出る。
「ところで隊長さん、レス……クールダラス副指令が何処にいらっしゃるか知りませんか?」
「知っていますよ」
いとも簡単に答える隊長。
「ええっ、どこ、何処ですかっ?」
「さっき宇宙コンビニの横を通った時に見ましたよ。買い物でもしてたんじゃないですか?」
なんて事をあっさりと言う隊長。
「ど、ど、ど……どうしてそれを早く言ってくれないんですかーーーー!!」
アルモはすぐさま背後のエレベーターに乗り込み、Bブロックのボタンを連打する。
銀河記録を超えたかどうかは分からない。
後にはやっと点いた灯火を吹き消されたヴァニラちゃん親衛隊隊長が直立の姿勢で固まったまま残されていた。
……エルシオール七不思議って知ってるでしょ?
夜な夜な船内を徘徊する大福オバケとか、銀河公園に現れる宇宙ウサギと白い少女の幽霊とかがあるやつよ。
その中のひとつに、宇宙コンビニの怪っていうのがあるの。
そう、宇宙コンビニ自体はごく普通のコンビニね。品揃えも普通だし、店構えだって営業時間だって普通のコンビニと同じよ。
違うのはね……店員さんなのよ。
店員さん、の愛称で皆に親しまれているあの人の事よ。
どう違うのかって? ……聞きたいの? そう、どうしても聞きたいのね。
良いわ、教えてあげる。でも……後悔して知らないわよ。
さっき言った事を思い出してみて。あのコンビニは普通のコンビニよね。品揃えも店構えも普通。そして、営業時間も、普通。
そうね。それはちっともおかしくなんかないわ。じゃあ逆に訊くけど、普通の営業時間……二十四時間営業のコンビニなのに、店員さん以外の店員さん、あなた見たことある?
………………………………。
ふふふ、やっと理解できたみたいね。
誰も、見た事が、無いの。
ある時、どうしても気になって一人の常連男性客が尋ねてみたんですって。「二十四時間営業なのに店員さん以外の店員さんはいないんですか?」って。
店員さんは事も無げに答えたらしいわ。「いますよ」ってね。
彼は続けたわ。
「見た事が無いからてっきり店員さんが一人しかいないかと思ってましたよ」
「ははは、そんな訳ないじゃないですか」
「ははは、そうですよね」
「…………でも」
……そこには。
「ちゃんと会った事があるじゃないですか」
……彼の背後には。
「僕の事忘れてしまうなんて、酷いですよ」
今、目の前で話していたハズのコンビニ店員さんがいたんですって。
彼は動揺する心臓を押さえつけて尋ねたの。
「きょ、兄弟だったんですか?」
「いいえ、違いますよ」
答えたのは店奥の倉庫から出てきた……コンビニ店員さん。
「交代の時間になりましたよー」
店の入り口から入ってきたのも……コンビニ店員さん。
「おーい、こっちの商品が足りないぞー」
いつの間にそこにいたのか、商品整理しながら声を上げる……コンビニ店員さん。
彼は叫び声を上げながら、買い物した荷物を放り投げて必死に走ったんですって。
走って、走って、やっと自分の部屋にたどり着いて、鍵をかけて、その場にへたり込んだの。
「忘れ物ですよ」
振り返ると、そこには…………!!
乗組員の間でそんな話のネタにされたりもしたが、宇宙コンビニは今日も平和であった。
「クールダラス副指令ですか? ええ、確かに買い物をされましたね。でも、見ての通りもういませんよ。さっきミントさんと二人でどこかに行きましたから」
……頑張れジュリエット、ガンバレ、あたし。
/
ミント・ブラマンシュの事を、性格が悪いと評する者はいない。
どんな相手であっても基本的には折り目正しく付き合っている彼女であったが、かと言って彼女を天使の様に清らかな性格と評する人間もまたいなかった。
彼女には、何と言うべきか、つまり他人をからかって遊ぶ悪い癖があったのだ。
「ミントですか? とっても良い娘ですよー。あ、でもぉ……」
曰く、かなりキツイ突っ込みが入るんです。
「そうね、悪いヤツじゃないわね。ただ……」
曰く、良い様に遊ばれてる気がするわ。
「ああ、頼りになる娘さ。あー、でもなぁ……」
曰く、人が気にしてる事をズケズケ言うね。
「素敵な……人……ですが……」
曰く、宇宙ウサギの耳を引っ張って遊ばないで。
「見習うところが多い素晴らしい先輩です。で、ですが……」
曰く、時々本当の事に紛れ込ませて嘘を教えるのをやめて欲しい。
とは言えミントも程度はしっかりとわきまえているから、それが元で人間関係が険悪になったりする事は皆無であった。
悪戯心が刺激される出来事さえ無ければ、ミントも他人をからかったりはしないのだ。
そう、悪戯心が刺激される事が無ければ……。
結局アルモはミントの部屋を訪ねる事にした。闇雲に探すよりも効率が良いと判断したからだ。
扉が開かれ、アルモの姿を認めたミントは一瞬意外そうな表情を見せたが、すぐにふわりとした笑顔へと変わる。
「あらアルモさん、どうかなさいましたの?」
「えと、いきなり押しかけてごめんなさい。クールダラス副指令知りませんか?」
「副指令……ですか?」
「はい」
少し考え込むミント。
ミントの笑顔が、変わった。彼女に近しい者しかその違いを見分ける事が出来ない程の微妙な変化だったが、それまでとは違う笑顔に変わったのだ。
「あらまあ、残念ですわね。つい先ほどまでご一緒だったんですが……今は自室に戻られましたわ」
「そうなんですかぁ」
アルモの返答は当然、自室に戻ったという言葉に対してのものだったが、ミントの受け取り方は違った。意図的なものかどうかは本人のみが知るといったところだ。
「ええ、私にどうしても頼みたい事がある、と。副指令も意外と強引ですのね」
「そっ、そうなんですかっ?」
「副指令としてではなく、レスター・クールダラス個人として頼みたいのだ、と熱心にお願いされてしまいましたわ。殿方に頼りにされるというのも照れますわね」
「そそそっ、そうなんですかっ!?」
ミントは頬に掌を当て、小首を傾げながら極上の笑顔を浮かべる。頬に微かな赤みが差すほどの完璧な笑顔だ。
アルモは平静ではいられない。
「そうそう、君にしか頼めんのだ、君の力が必要なのだ、とも仰ってましたわね。私、一肌も二肌も脱いで頑張ってしまいましたわ」
「そっ、そっ、そっ。そっ」
そ、そんな、クールダラス副指令の口からそんな台詞が出てくるなんて。
なんでどうしてどうなってるの?
思考回路はショート寸前。ブレーカーは今にも落ちそうな状態。
ミントは笑顔のままで続ける。
「それで副指令に頼まれた事、というのがまた意外な事でしたわ」
「そっ、それはっ?」
「それは……」
「……それは?」
アルモがゴクンと唾を飲み込んで身を乗り出す。
「それは…………やっぱりヒミツですわ」
語尾に音符マークがつきそうなミントの言葉。
アルモは口をだらしなく開けたままで固まってしまった。
「私がここでそれを言ってしまうと、副指令はきっと恥かしがってしまいますわ。もしかしたら私が怒られてしまうかも知れませんわね。ですから、ヒミツですわ」
語尾にハートマークがつきそうなミントの口調。
アルモの口が金魚の様にパクパクと動くが、言葉は出てこない。
ミントは笑顔を崩さない。
パクパク。
にこにこ。
パクパク。
にこにこ。
パクパク。
にこにこ。
パクパク。
にこにこ。
しばらくそうしていたが、結局何も言う事なくフラフラと酔っ払いの様な足取りで去って行くアルモ。
ミントから少し離れた所でいきなりダッシュ。
その光景をミントはあの笑顔で見守っていた。
「私、嘘は言ってませんわよ」
その笑顔を評して人はこう言うのだ。小悪魔の様な微笑み、と。
アルモは走っていた。
どうして走っているのか分からない。
何故こんなに急いでいるのかも分からない。
彼女の頭にあったのはただひとつ。
レスターさんに会いたい。
目指すは、レスター・クールダラスの自室なり。
クールダラス副指令。
クールダラス副指令!
クールダラス副指令、副指令、副指令。
クールダラス副指令、クールダラス副指令、クールダラス副指令!!
クールダラス副指令、クールダラス副指令、クールダラス副指令、クールダラス副指令!
クールダラス副指令!!!
「やあ、アル……」
「あたしは急いでるんですっ」
タクトの横を突風が駆け抜けた。
通路に、彫刻「右手を上げかけるタクト」アルモ作、が飾られていた。
あたしは急いでるんですっ。
あたしは急いでるんですっ。
あたしは急いでるんですっ。
あたしは急いでるんですっ。
あたしは急いでるんですっ。
あたしは急いでるんですっ。
あたしは……?
レスターさんっ。
レスターさん、レスターさんっ。
レスターさん、レスターさん、レスターさん!
レスターさん、レスターさん、レスターさん、レスターさん!!
…………レスターさん!!
アルモの視界にレスターの自室の扉が飛び込んできた。
/
アルモがブリッジに戻ってきた。効果音をつけるとしたら、どよよん、だろう。
それほどまでに重い空気をまとわりつかせて彼女は戻ってきた。
出て行く時に愛と勇気と希望をその手に持っていた筈の彼女が疲労と諦めと絶望を背負って戻ってきた。
どよーん、どよーんと音を出しながら椅子に座ろうとして、
「あらアルモ。さっきまでクールダラス副指令が待ってたのよ」
ココのその言葉に止めを刺され、椅子に座れずに崩れ落ちた。
「う、う、う、うわああああーん」
泣き出すアルモ。
「ど、どうしたの、一体?」
事情を知らないココには何がどうなっているのかさっぱり分からない。
あれほど元気良く出て行ったアルモがどうしてこんな状態になっているのか。
「だって、だって……」
説明なんて出来っこない。今のこの気持ちの説明なんて出来っこない。
ぐずぐずと泣き崩れるアルモを前にココは対照的なにっこりとした笑顔を浮かべている。
「もう、何があったか知らないけど良い知らせがあるのよ。クールダラス副指令から預かりものがあるの」
「……あずかりもの?」
クールダラス副指令、の言葉に反応したアルモが顔を上げる。
「そうよ。なんだと思う?」
「……わかんない」
そうだ、分かるもんか。こんなに一生懸命探したのに、全然見付からなくて、それなのに、買い物したり、ミントさんといちゃいちゃしたり……。
そんなクールダラス副指令の事なんて分かんないんだから!
「はい、これよ」
そう言って葉書大のカードを渡す。
受け取って、それに視線を落とすアルモ。
「……え?」
そこに書いてある文字を認識した瞬間、アルモは立ち上がっていた。
そのカード……そのメッセージカード……その彼らしくない花柄のメッセージカードには……。
彼らしい几帳面な文字で……。
『HAPPY BIRTHDAY』
と書かれていた。
「な、なんで……?」
呟くアルモ。
「少し早いけどって。そしてこれが……プレゼントですって」
突然の展開に頭がついていかないアルモ。
アルモの誕生日までにはまだひと月以上の日数がある。
その余りにも早すぎる誕生日プレゼントは、『劇団宇宙の季節』の公演チケット。
しかも入手困難でプラチナチケットと化しているS席のチケットだった。
「つまり、デートのお誘いね。アルモ、良かったわね」
へたへたとその場に座り込むアルモ。
つまり……つまりこれって……。
「私が思うに、誕生日は口実ね。きっとアルモを誘いたいから、何か理由を考えたんじゃないかしら? クールダラス副指令もあれで不器用なところが……」
ココの言葉は耳に入ってこなかった。
思考が上手くまとまらない。
恋は情熱と行動力が大事だと思ったのに。
それなのに。
すれ違って……勘違いして……またすれ違って……。
こんな……。
こんな……。
アルモはこの日一番の笑顔で言ってやった。
「ジュリエットなんてだいっキライ!!」