部屋の中心で巨大なクリスタルが紅い光を放っている。

 

 

 

 

 ブウウウウン、という音が聞こえるが、あるいはそれは光が空気を揺らした音だったのかもしれない。

 

 

 

 

 クリスタルの置かれた部屋の壁が光を反射して、全てを紅く染め上げた。

 

 

 

 

 紅い光の濁流が部屋を飲み込み、視界を侵略してゆく。

 

 

 

 

 やがて音に変化が生じる。

 

 

 

 

 ピキ、ピキ、と何かが割れる様な音。

 

 

 

 

 ガラスに亀裂が入るように、世界がひび割れてゆく。

 

 

 

 

 ――――パキ、イ。乾いた音を立てて空間が裂けた。

 

 

 

 

 紅い光が裂け目に殺到する。

 

 

 

 

 風が、吹いた。

 

 

 

 

 音と光の消えた部屋に複数の足音が近づいてきた――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――A´

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 正統トランスバール皇国軍所属のシェリー・ブリストルの瞳はブリッジから見える光景を映してはいない。

 総旗艦ゼルの艦橋モニターからはトランスバール皇国本星と、暗い宇宙のにあって眩しく、神々しさすらたたえて輝く白き月が見えている。

 その光景をワイングラスを弄びながら眺めている男。褐色がかった肌、豊かな金髪と皇族しか身に着ける事を許されない正装を身にまとっている。その姿は美と風格を感じさせずにはいられず、その挙動は比類ない優雅さをもって見る者の心を奪う。

 それは、ささやかな祝杯であった。彼の名をエオニア・トランスバールという。

 過去はトランスバール皇国第五皇子であり、現在では第十四代皇王の戴冠を目前に控えていた。

 ワイングラスに優しく口づけて未来に成すべき事を思う。

「……白き月はどうなっている?」

 視線の全てをエオニアの後ろ姿に奪われていたシェリーが一瞬の間をおいて答える。

「は、戦艦による攻撃、通信、物理的接触、全て受け付けません。余程強力なシールドが展開されているものと思われます」

「そうか。……シャトヤーンめ、やはり私の理想を理解しないか」

 白き月へと鋭い視線を投げる。

「封印を解くにはシヴァが必要だな」

「革命時に白き月より近衛軍衛星防衛隊旗艦エルシオールが脱出するのが確認されています。紋章機とシヴァ様もエルシオールと共にある模様です」

 彼らにとってシヴァは既に皇子ではありえないが、皇族に対する敬称は変わらず用いていた。

「行き先は?」

「未だはっきりとはいたしませんが、第二方面に向かっている様です。差し当たってこちらに従順な皇国軍人と無人艦隊を追撃の任に当てておきましたが……」

「シヴァを殺してしまっては意味が無いからな。無能な帝国軍人には任せられないな……」

「わたくしが参りましょうか?」

 エオニアはグラスを傾けて黙り込んだ。

 エオニアには信頼できる部下が少ない。トランスバール本星の制圧には成功した。皇王になれば従う軍人も多くいるだろうが、それが忠誠からのものでは無いことをエオニアは過去の経験から知っていた。

 戦力的には不安は無い。しかし、彼の理想である皇国版図の拡大には手足となる人材が不可欠で、エオニアはこれからその人物を見出さなければならないのだ。

 それでも他に人材がなければシェリーにエルシオール追撃を任せるところだが……。

「いや、シェリーには私の傍にいてもらおう。そうだな……ヘルハウンズ隊とあの男に任せてみるか」

 エオニアの言葉が喜びと驚きを伴ってシェリーに突き刺さる。シェリーの身体が小刻みに震えたが、これは歓喜からくるものであった。彼女にとってエオニアの信頼は何物にも変えがたい喜びなのだ。

「ヘルハウンズ隊はともかく、あの男、信頼できますか?」

 ヘルハウンズ隊は傭兵だ。彼らが忠誠を誓うのは報酬に対してである。特に傭兵として名高いヘルハウンズ隊であれば安易に雇い主を裏切る様な行為に出ることは無いだろう。  

「大丈夫よ。もし裏切ったとしても、お兄さまにはノアがついてるもの」

 二人の背後から声がかけられる。

 気配も無くそこに立っていた少女。ぴっちりとしたボディスーツに身を包んでいて、左手がムチの様な形状になっている。

 自らをノアと名指した少女がエオニアの腕に身体を絡めると、エオニアは目を細めてその頭を撫でた。

「それに、ある程度泳がせないと、どんな目的を持っているか分からないもの」

「ああ、そうだねノア」

 エオニアにじゃれつくノアを見るシェリーの心に暗雲が立ち込める。

 この感覚はなんだろうか? ノアは自分とエオニアにとって恩人であり、協力者であり、仲間……のはずだ。であるのに、心に浮かんでくるのは得体の知れない恐怖感にも似た感情。

 シェリーはそれを嫉妬だと判断して、感情の噴出孔に蓋をした。自分はエオニア様の忠実なる部下ではないか。この様な感情など持つ事は許されない……。彼女は無意識に左頬に走る傷痕に手をやった。

「エオニア様、それではあの男とヘルハウンズ隊にエルシオール追撃を命じて参ります」

 一礼してエオニアの言葉を待つ。

「ああ、頼んだぞ、シェリー」

 踵を返したシェリーの後ろ姿を映すノアの瞳の奥に黒い炎が宿る。

 エオニアは気づかず、ワインの残りを一気に飲み干した。

 

 

 

 

 

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 エオニアの旗下戦力は大きく三種類に分けられる。

 ひとつは完全なる無人艦隊。これは巡洋艦、駆逐艦などの戦艦がその大半を占める。

 ふたつ目が無人艦隊を統率する有人艦である。乗組員の多くは不正規隊出身の傭兵達で、総旗艦ゼル、シェリーが指揮するステノ級高速戦艦バージン・オーク、ヘルハウンズ隊の母艦ケルベロスなどがこれにあたる。無人艦隊は基本的に無指示でも戦闘を行えるが、航行や運用はこの有人艦からの指令を受けて行動するのだ。

 最後が旧トランスバール皇国に属していた軍隊で、これは現在のところ実戦に投入される予定は無い。

 これらが近く『正統トランスバール皇国軍』として生まれ変わる予定となっていた。

 

 ヘルハウンズ隊母艦ケルベロスの乗組員は正統トランスバール皇国軍の中にあって屈指の実力と熟練を誇っている。

 ブリッジ要員から整備要員に至るまで実戦経験豊富な傭兵が多く名を連ね、トランスバール本星攻略時には、実戦経験の殆ど無い貴族などで構成されたトランスバール皇国軍とは次元の違う強さを見せた。

 主戦力である大型戦闘機の乗組員達がブリーフィングルームへ集められていた。

 

「どうやらボク達の艦に新しい司令官が就任するらしいね」

 フリーズコーティングされた赤いバラを指先で躍らせながら言ったのは、長髪の男で名をカミュ・O・ラフロイグと言う。ヘルハウンズ隊のリーダー的存在であり、あらゆる戦局に対応できる優れた操縦技術を持っているのだが、極端なナルシストで、現在も男性用とも軍服とも思えない様なドレスを着用している。

 ドレスに負けない美しさを備えている事は確かなのだが、それを褒める人間は誰もいなかった。もっとも、カミュ自身は自らを高く評価しており、自分以上に自分を評価できる人間などいないと信じていたから、他人の評価などまったく気にしていなかった。

 

「うおおおおっ、そいつは楽しみだぜぇぇぇぇ!!」

 やたらと気合の入った叫び声を上げたのは、ギネス・スタウトである。

 鍛え上げられた筋肉をもつ巨躯の男で、戦闘機では敵に喰らい付いてゆくような接近戦を得意としている。

 彼の喜びは強い敵と戦う事であり、彼の理論では強敵を「とも」と呼ぶらしい。過去何人もの「とも」が彼の手によって生命の時計を破壊されていた。

 

「どんな人間かは知らないが、僕達を使いこなせる程の実力を持っている筈が無いからな。黙って全てを僕に任せておけば良いんだ」

 リセルヴァ・キアンティが続ける。

 本人は、先祖が政敵に陥れられて没落した名門貴族の出身だと自称しているが、それが事実かどうかはヘルハウンズ隊のメンバーすら誰も知らなかったし、気にもしていなかった。

 何かにつけて他人の上に立ちたがる性格だったが、戦闘指揮においては非凡な実力を発揮したから、他のメンバーに対する戦術的な指示や撤退のタイミングは彼の手に委ねられていた。 

 ところで、彼の名にはひとつ厄介な事があった。スペルがリセルヴァともリゼルヴァとも読めてしまうのだ。おかげで彼に対する呼び名は一定しない。

 

「誰が司令官になろうと関係無い……いつもの様に戦い、勝利するだけだ……」

 落ち着いた雰囲気を醸し出しているのは、額から胸にかけて一直線に走る傷痕を持つ男、レッド・アイだ。

 傷を隠そうともせず胸の大きく開いたローブをはおっている。

 年齢はギネスやカミュよりも下なのだが、そうは見られない事が多い。

 戦闘時にはその落ち着いた雰囲気とは裏腹に、レーザーやミサイルの嵐の中にでも臆する事無く機体を飛び込ませ、敵を叩き潰すような苛烈な戦い方をする。

 

「へへっ、まあどんな任務が来たってオイラ達にかかればちょちょいのちょいだけどね」

 分厚い眼鏡の少年が続ける。

 ベルモット・マティン。ヘルハウンズ隊最年少で、元メカニックのパイロットである。戦闘経験は少ないものの、リセルヴァの指示によって他のメンバーのフォローに当たり、これまで幾度も仲間の危機を救ってきた。

 

「新しい任務か……皇国軍の残存勢力の掃討か?」

 レッド・アイが誰にとも無く呟く。

「どうやら違うみたいだね。旧権力者達に連れ去られて利用されているシヴァ皇子を救い出す事みたいだ。ああ、美しいボクにピッタリな任務だ」

「フン、選ばれし僕に相応しい任務などそう多くは無いが、まあ悪くは無い」

 トランスバール本星攻略時に、皇族の殆どは殺害されている。ただ一人白き月にいたために難を逃れたシヴァが、エオニア以外では唯一の生き残りである。反抗勢力は反抗の根拠として、そしてよりどころとしてシヴァを欲するだろう。

 エオニア側としてはシヴァを押さえてしまえば戦わずして勝利は確定的なものとなる。

 正統トランスバール皇国軍と違って無人戦力の無い旧トランスバール皇国軍では、将兵達に戦う理由を説明しなければならないのだ。今のところ、シヴァ皇子を擁立して反逆者エオニアを打倒するという目的があるから大きな混乱は起こっていないが、そのよりどころを失ってしまえば権力機構とは関係ない多くの軍人たちは正統トランスバール皇国へと帰順するであろう。

「反抗勢力は第三方面に集結しつつある……エルシオールの目的地も……そこだろう」

 現実には彼の想像は外れていた。エルシオールが現在目指していたのは第二方面辺境クリオム星系である。

「うおおおおおっ、燃えてきたぜぇぇぇぇっ」

 ギネスが咆哮を上げ、カミュがバラの香りを嗅ぎ、リセルヴァが腕を組み、レッド・アイが瞳を閉じ、ベルモットが眼鏡のずれを直したところでブリーフィングルームの扉が開き、彼らの新しい司令官となる人物が入ってきた。

 

 

 若い青年の軍人であった。トランスバール皇国軍の軍服には大佐の階級章がついている。

 五人の視線を一身に浴びながら、彼らの前に立つ。居心地が悪そうに佇まいを正すと、人懐っこい笑みを浮かべて言った。

 

 

 

 

 

 

「今度君たちの司令官になる事になったタクト・マイヤーズだ。みんな、よろしく頼むよ」