トランスバール皇国暦は既に四百年以上の時を刻んでいる。

 その間皇国には十三人の皇王が誕生しているが、歴史的に見て四百年を越える時を経た国の王が十三人、というのは極めて少ない人数である。これにはトランスバール皇国暦の特殊な成り立ちを差し引いて考えなければならない。

 時空震……今では名前のみが伝わる災厄の影響によって人類は空へ飛び立つ翼と意思を伝えるだけの力を同時に失った。

 星々の海を行き来していた人々は各惑星に閉じ込められ、そこから始まった長い年月は混乱と争いとを生み、惑星トランスバールでは多くの小国家が古代的な槍や剣を使った戦いに明け暮れていた。

 そんな時代が百年以上続いた頃、惑星トランスバールに大きな転機が訪れる。

 ――――『白き月』と『月の聖母』の降臨である。

 惑星トランスバールの衛星軌道上に突如出現した白き月は人々が忘れかけていた空を翔る翼をもたらし、小国家は一人の英雄の下で統一される事となった。この年が『トランスバール暦』元年である。

 それからの百年は争いに費やされていたエネルギーが発展と躍進に向かったかのような百年だった。失われていた技術の研究が進められ、宇宙船が建造され、人類は再び星の海へと漕ぎ出す。次々と有人惑星を含めた新惑星系が発見され、支配下に組み込まれていった。

 トランスバール暦百年、十八の星系を勢力下に治めた惑星トランスバールは、星間国家トランスバール皇国の成立を宣言する。それと同時にトランスバール暦はトランスバール皇国暦へとその姿を変え、この時の国王がトランスバール皇国初代皇王となったのだ。

 これがトランスバール皇国と暦の成り立ちである。

 

 皇国暦成立以降もトランスバール皇国は拡大を続けた。

 トランスバール皇国暦百九十六年、幾度もの事故と多くの挫折を経て、超長距離恒星間航行法クロノ・ドライブが実用化されるに至って、行動範囲は劇的に拡大した。後に宇宙大航海時代と呼ばれる百年期の始まりである。

 クロノ・ドライブが行えるのは磁場や小惑星、隕石群の影響が少ない宙域に限られるから、ドライブインする時はともかくドライブアウトする場所が未知の宙域の場合、そこが航行不可能な場所では目も当てられない。そこで先ずは無人機を使って安全を確かめ、その後有人宇宙船を送り込み、拠点となる場所を設け、穴を埋めるようにして星図を正確なものにしてゆくという地道な作業を、しかし高揚感をもって熱狂的にこなした。

 星図は日々その姿を変える。新しい惑星名が記され、空白だった場所に小惑星の存在が書き込まれ、その端には絶えず新規の星図が継ぎ足されてゆく。

 またそれと平行して白き月からもたらされるロストテクノロジーの解析と実用化も競い合うように進められた。研究者はロストテクノロジーの解析に心血を注ぎ、技術者は次々と現れる新しい技術を人々の生活へと反映させた。

 トランスバール皇国暦二百八十八年、第三方面最辺境にてガイエン星系が発見される。この時トランスバール皇国版図は百二十八の惑星系をその中に収めていた。

 

 そして、トランスバール皇国は安定期を迎える。

 

 大航海の時代は終わりを告げ、版図の拡大に向いていたエネルギーは内部へと流れ込んだ。

 星間ネットワークが再構築され、民間の恒星間宇宙船の所持が許可された。大量生産と大量消費が奨励され、皇国は経済的な発展を見る。人口も爆発的に増え、集団移民が積極的に行われたのもこの時期の事である。

 しかし、経済的な発展と共に星間の貧富差や、搾取する側とされる側との局地的な紛争も発生した。とは言えそれは皇国の大きな発展の中にあってごく小さなものだった事も事実で、この時期の皇国民の生活水準は著しく上向きであった。

 長い安定に人々が慣れ切ってしまった頃、人々はそれの礎となった白き月への畏怖を忘れてゆく。尊敬の念は変わらず人々の中に存在したが、ロストテクノロジーが得体の知れないものではなくなり、白き月からもたらされる「天恵」が途絶えて久しい。

 そのような状態の中、長く皇国と対等の立場にあった白き月に対して、トランスバール皇国はついに軍を率いて攻め込み、白き月を皇国直轄地にしてしまった。

 

 

 トランスバール皇国暦四百二年、時の皇王は第十三代皇王ジェラールである。

 

  

 

 

 

 

 

 トランスバール皇国第十三代皇王ジェラールに対する評価は一定しない。

 皇国民にとってはどのような王であったか? これは一言、凡庸、という評価につきる。白き月を皇国の直轄に置くという歴史的な行動を取ったにもかかわらず、人々の皇王に対する印象は薄いと言わざるを得ない。

 だがしかし、この場合の凡庸は必ずしも悪い意味ではないのも事実で、皇王ジェラールは一般には温和な人となりで知られ、善政とまではいかないまでも、批判を浴びるような悪政や圧政を強いた事は無かった。

 このような評判を知る皇王以外の皇族達や貴族はそろって顔をしかめる。誰が温和なものか、と。

 ジェラールは前皇王の第二子であり、歴史が波乱無く工程を踏んだのであれば、彼は皇族の一人としてその生涯を終えたであろう。

 彼は自分を皇王へと押し上げるべく工程に修正を加えたのだ。

 第十二代皇王が病に臥せ、崩御も間近かと思われていた時の事である。皇国に第一王位継承者、すなわちジェラールの兄の突然の病死が伝えられた。直ちに国葬が営まれ、その衝撃も覚めやらぬまま皇王が崩御。まさに人々が「気が付けば」ジェラールはトランスバール皇国第十三代皇王となっていたのだ。

 当然この出来事に陰謀の悪臭を感じた者は多かったが、あるものは自身の安全の為、またあるものは自らの利益の為、口をつぐんだ。

 父親を突然の「病」で失ったエオニアは、本来ならば自分が得るはずであった次期第一王位継承者の権利がジェラールの子へとその居場所を変えた事を知った。側近だった貴族たちの中には直ちに真相の調査に乗り出そうとする者もいたが、ジェラールが十三代皇王として即位してしまうと、揃って新しい皇王に尻尾を振ったのだ。まだ幼くなんの力も無かったエオニアは、不本意な現状を甘受するしかなかった。

 かくして皇王としての地位を確かなものにしたジェラールだったが、彼のその後は拍子抜けする程平凡なものだったのだ。力ずくで得た皇王の権力を版図の拡大に使うでもなく、皇国の繁栄の為に使うでもなく、ただ日々を平々凡々と過ごしていた。

 かと思えば、突然白き月へと軍を差し向けるなどの行動を取る。

 白き月を占領したジェラールは白き月の調査をするでも無く、ロストテクノロジーを濫用するでもなく、なんと月の聖母を望み、子を成したのだ。

 この行動にはさすがに皇族内から批判を浴びた。中絶させるべしと言う意見が噴出し、この件に関してはジェラールの、そして出産を望んでいた月の聖母の味方は皆無と言っても良かった。世継ぎが新たに生まれてしまってはいらぬ混乱の種を後世に残すと言うのがその理由であったが、自分達の権力保持が考えの出処なのは明白である。

 ところがジェラールは周囲の反対を押し切って出産を認めてしまったのだ。

 シヴァ、と名付けられたその子は軟禁も同然の状態で白き月の中で育ち、公的行事に出席を許されないどころか父親とろくに会った事も無い。この事からもジェラールが出産を認めた理由が愛情からのものではない事は確かだが、単なるきまぐれにも見えるこの時の行動が、ジェラールの血を後世に残す事になったのは運命の悪戯としか言いようが無い。

 結局のところジェラールの行動には目的意識が無いように思える。否、むしろ目的があって皇王になったのではなく、皇王になる事が目的であったのではないだろうか。彼に兄を謀殺してまで皇王になった理由を問うてみたところで「なってみたかったのだ」という答えしか得られないのではないか。

 同様に白き月を征服した理由でさえ「そこに白き月があったからだ」となるのだろう。もしかしたら彼は大航海時代の皇王として生まれていれば、素晴らしい才能とロマンチシズムを併せ持ち、それを発揮して名を残していたかもしれない。

 周知の通り、彼は子のシヴァや甥のエオニア達の時代に紡がれた物語の序章に名を残すのみである。

 

 

 

 

 

 そしてトランスバール皇国暦四百七年が訪れる、ジェラールが白き月を皇国直轄地にしてから五年の歳月が経っていた。この時エオニアは二十一歳、その地位はトランスバール皇国第五皇子である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「シャトヤーンよ! 何故私の考えを理解しない!?」

 白き月の大部分には一般の者が立ち入ることを許されていない。通常謁見の間で行われる月の聖母との対面だが、皇族であるエオニアとシャトヤーンが現在会話を交わしているのは、透明なパイプ状の廊下で、眼下には儀礼艦エルシオールが停泊しているドックが見える。

「この白き月に眠っているはずのロストテクノロジーがあれば、皇国の版図はさらに広がる。そうすれば皇国はさらなる繁栄を手にする事が出来るのだ!」

 白き月には未調査の部分が多い。そこには未知のロストテクノロジーが眠っていると考えられていた。もちろん、皇国の最高機密である。

「いいえ、エオニア皇子。ロストテクノロジーはむやみに触れてはならないものなのです。ジェラール陛下も私の考えに賛同して下さいました」

「馬鹿な! ジェラールはただやる気がないだけではないか!」

「皇子……その様な事を仰ってはいけません」

「手にした力を使うでもなく、ただ弄ぶだけの俗物ではないか! 力は行使してこそ意味を成すものだと言うのに、あれではただ玉座にしがみついているだけだ」

 この時のエオニアの言葉を聞いたのはシャトヤーンだけであるが、もし他の者が聞いていたとしても驚きはしなかっただろう。エオニアがジェラールに対して不満を抱いているのは周知の事実だったからである。 

 シャトヤーンはさらに悲しげな表情を浮かべる。

「シャトヤーンとて悔しくは無いのか。聖地である白き月を軍靴で踏みにじられ、聖女を弄ばれ、子は自由を奪われて、それでもなんの不満も無いと言うのか。私に力を貸せ。そうすれば必ずシャトヤーンにとっても良い方向に事態は進むのだ」

 数少ない真実を知る者であるエオニアの言葉は鋭くシャトヤーンの心をえぐる。

 しかし、シャトヤーンは黙って頭を振った。

「…………」

 胸にこみ上げた言葉を吐き捨てるようにして踵を返し、拳を握り締めたエオニアが去ってゆく。

「白き月よ……白き月は……人を幸せには出来ないのでしょうか……」

 呟きは力なく地に堕ち、聖女の瞳は深い悲しみの色をたたえ、誰を想ってか一滴の涙が零れ落ちた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブリストル家は皇族に仕える貴族の中にあって、軽視される家柄では無かった。しかしそれも過去の事で、ジェラールが皇王となった際に他の貴族のようにジェラールに与せず、変わらずエオニアの傍にあった為、政治の表舞台から姿を消したいわゆる「時流に乗り遅れた」貴族であった。

 そのような評価をシェリー・ブリストルは一笑する。彼女の忠誠の対象は皇王ではなくエオニアであり、人となりや器において皇王に相応しいのはジェラールなどではなくエオニアだと信じていた。それはもはや忠誠よりも信仰に近いものであったのかもしれない。

 シェリーは士官学校を経て現在はエオニアの秘書官の地位にある。軍人としての素質も兼ね備えた彼女だったが、エオニア自身が一兵すら指揮する権限を与えられていない為、今のところその能力を使う機会には恵まれていない。エオニアの立場と思想を考えればやむを得ない現状だった。

 閑職と言っても差し支えが無い役職に就かされていたエオニアに来客があったのは、彼が白き月から戻って来て数日後のことである。

 トランスバール本星にある皇宮から少し離れた場所にあるビルを訪ねて来た人物は、トランスバール皇国近衛軍指令、シグルド・ジーダマイア少将だった。

「エオニア様に取り次いでもらおうか」

 約束も無くやって来たジーダマイアの対応に出てきたシェリーに対し、あからさまな侮蔑の粒子が混じった態度で言う。

「近衛軍を指揮するジーダマイア様が良い知らせを持ってきた、とな」

 シェリーは一瞬眉をひそめた。近衛軍はトランスバール本星に駐留している軍で、皇国直轄地となった白き月の軍も衛星防衛隊として近衛軍の下におかれている。いわば皇王直属とも言える軍の司令官が一体どのような用件でエオニアに会いに来たのか。

「失礼ですが、どのようなご用件でいらっしゃいますか?」

 シェリーの対応は当然のものだったが、ジーダマイアの不快感を刺激したらしい。粒子の濃度を濃くして続ける。

「君に言う必要は無い、ブリストル君。良いから早く取り次ぎたまえ」

 自分の名を知られている事に軽い驚きを感じたシェリーだったが、それ以上の反論は出来ず一礼してその場を辞し、エオニアの元に知らせを届ける。エオニアは少考の後ジーダマイアを応接室に通すように指示を出した。

 

 

 

 盗聴、盗撮の対策がなされた応接室に通されたジーダマイアはデスクに座ったエオニアを確認すると垂れ下がった目尻をさらに下げて笑みを浮かべた。

「お忙しいところを突然お邪魔いたしまして申し訳ございません、エオニア皇子。近衛軍指令官シグルド・ジーダマイアでございます」

 毛の絶滅した頭頂をエオニアに向けてうやうやしく礼をする。

「なに、さしたる仕事も実権も無い身だからな。やる気の無い人間にとってはやりがいのある仕事だろうよ」

 皇王に対する強烈な皮肉をにじませたエオニアの言葉を気にした風でもなく、ジーダマイアは頭を上げてニヤリと唇の端を跳ね上げた。

「左様でございますか。英気と実力を兼ね備えたエオニア様におかれましては、さぞご無念な事でございましょうな」

 エオニアは鋭い視線をジーダマイアに向ける。普通、エオニアのこのような言葉を聞いたものは困ったような表情をして賛同も否定もしない。それは当然の事で、エオニアに賛同すれば皇王に対する不敬であるし、否定すればまがりなりにも皇子たるエオニアの不興を買うからだ。

「……シェリーから話は聞いている。なにやら良い知らせを持ってきたそうだが?」

 鋭い視線のまま、エオニアが会話を促す。

「エオニア様は、来月行われる式典をご存知ですかな」

 エオニアは黙ったまま頷く。

 式典とは白き月が皇国直轄地となって五年になる事を記念して行われる行事で、エオニアのスケジュールにも出席する事が組み込まれていた。

「ジェラール陛下をはじめとして皇族の皆様がお集まりになる。華やかな事ではありますが、警備を担当する私といたしましては責任の重さを痛感しているところでございます。万が一不逞な企みを抱く輩がおりましたら絶好の機会になりますからな」

「……ほう、少将は警備の万全さに自信が無いと言うのかな。それとも、その実力が無いという事なのか」

 言葉の刃は空を切ったようで、さしたるダメージも無くジーダマイアが続ける。

「これは手厳しい。近衛軍は全て私の指揮下にございますれば、その行動は全て私の把握するところでございます。どうかご安心下さい」

 エオニアはこの時点でジーダマイアの言っている事、言いたい事の意味を察している。直接的な表現こそ避けているが、クーデターを扇動しているのだ。警備を担当するのは近衛軍で、そしてその近衛軍の行動は自分の手の中にある、と言っているのだ。

 もちろん無条件で信用することなど出来はしないが、この時エオニアの胸中にあったものは高揚であった。長く燻り続けた己にようやくチャンスが回ってきたのか、との思いが精神を高ぶらせた。

「良い知らせとはこの事なのか?」

「いえ、それだけではございません」

 ジーダマイアは腕を腰の後ろで組み合わせて胸をそらす。たっぷりと「ため」を作って殊更ゆっくりと続けた。

「トランスバール皇国衛星防衛艦隊所属の儀礼艦エルシオールと紋章機、エオニア様はこれらをどのようにお考えですかな?」

「ふん、白き月の象徴か。スペックでは皇国最強らしいが、まともに動かせないのでは戦力としての意味はあるまい。良く言ったところで見栄えの良い飾りといったところだな」

「仰る通りです。しかし、近衛軍がそれを運用する新技術の開発に成功したとなると……どうですかな?」

「…………」

「紋章機がその機能を活かせずにいたのはパイロットがいないからです。現在の皇国の方針では適正のあるパイロットを探し出す事に力を注いでいますが、私ども近衛軍は極秘裏にパイロットがいなくてもその性能を発揮できる可能性……すなわちオートパイロットシステムの開発を進めておりました」

「それが完成したと?」

「左様でございます。火力は戦艦並み、機動力は高速戦闘機以上という期待以上の成果をあげております。『ロストテクノロジーの結晶』の名に恥じぬ性能でして、これは少数で戦局を一変させるほどの戦力でございます。そして……」

 見上げる視線がエオニアのそれとぶつかる。

「そして、これらのご報告はエオニア様にお持ちしたものでございます」

 皇王には報告していないと言っているのだった。これらをクーデターに役立てろと言っているのだ。

 クーデターは電撃的な程その成功率は高い。相手に対応する時間を与えず一気に事を運ぶのが定石だ。ジェラールを排除し、エオニアが皇王となってしまえば後は難しくないのだ。エオニアの父の時もそうだったではないか……。

 トントンとデスクに打ちつけられていた人差し指の動きが止まった。

「それで、何故少将は私にそのような話をするのだ?」

 申し出は魅力的だ。しかしエオニアは自分の置かれている立場を完全にでは無いにしろ理解していた。大多数の貴族達の反応が明らかにしたように、エオニアよりもジェラールに与した方が益となるのだ。にも関わらず自分に味方する理由は何なのか。

「船には優秀な船頭が必要なのです。ましてやネズミに食い荒らされた船ではいかに巨大でも長くは漂流できますまい。港に戻るにせよ、新たな大陸を発見するにせよ、船を動かさねばなりません。残念ながら私は一介の船乗りでありますれば……」

 ジーダマイアの言うネズミが、そして漂流している船が何なのかを理解した時、エオニアの疑問は解け、同時にジーダマイアが何を求めているのかも諒解した。

「そうか。少将は平民、あるいは下級貴族の出身なのだな?」 

 ジーダマイアは禿げた頭を再びエオニアに向けた。

「良く分かった、いずれこちらから連絡をとろう。報告大儀であった」

 満足そうな笑顔を浮かべたジーダマイアが退出するのを確認して、エオニアはシェリーに通信をいれてコーヒーの用意を命じた。喉の渇きを感じた為である。

 握っていた拳を開くとじっとりと汗が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 エオニアから事の詳細を知らされ意見を求められたシェリーは、返答するのに若干の間を要した。

「信用できますでしょうか?」

「むろんジーダマイアの言葉をそのまま信用する事は出来ぬであろうな。私に舵取りを、と言っていたが本心のところは自身の出世が目的だと思うが……。シェリー、ジーダマイアの出身を知っているか?」

「下級貴族であったと記憶していますが」

 エオニアは鷹揚に頷いて続ける。

「それで少将まで出世しただけでも大したものだが、近衛軍の指令ではな。皇王直属と言えば聞こえは良いが、指揮権は皇王の物だから実際は大した権限も無いし、衛星防衛隊もたんなる飾りなのは有名な話ではないか。このあたりが出世の限界と感じて、私に自分を売り込みに来たと言うわけだ」

「そこまで分かっておいでで尚、ジーダマイア少将を信用なさるおつもりですか?」

「信じはしない。だがジーダマイアの提案は魅力的だ。利用する価値はあると思うが、シェリーは反対か?」

 エオニアの最も近くにいるシェリーは、エオニアを良く知っていた。知り過ぎる程に知っていたのだ。だからこれまで不遇であり続けた無念、ようやく巡って来たチャンスに対する期待も理解できた。この二度とは無いかもしれないチャンスにかけてみたいという気持ちはシェリーも共有するものであったのだ。

「いいえ、ですがジーダマイア少将の言うオートパイロットシステムが事実なのかどうかを調査する事、クーデター実行部隊の指揮にはこちらの手の者を使う事、この二点が必要であると存じます」

「そうだな、シェリーに任せよう」

「はっ」

 シェリーは鋭く一礼して踵を返した。

「シェリー」

 背中からの声に再び身体の向きを変える。

「お前はこれまで良く私に尽くしてくれた。これからも私の傍に在って、私を補佐してくれ」

「勿体無いお言葉、まことにありがとうございます。エオニア様のご期待に応えるよう、わたくしの能力の全てを以ってお仕えする事を誓約いたします」

 滅多に笑う事の無いエオニアが、薄く微笑して頷いた。シェリーは胸の高鳴りを抑える事が出来なかった。彼女にとってエオニアの信頼はどのような褒美、報酬にも勝る価値を有するものだったのだ。

 

 この時、二人は冷静さを失っていたのだろうか? 

 結果のみを元にして考えるのなら、確かにそうだったかもしれない。二人は判断を誤り、陰謀によって陥れられたのだから。自分の意思で考え行動していたつもりでも、所詮は籠の中で飛び回っていたに過ぎなかったのだから。二人は籠の外から自分達を見下ろす目には気づかなかった。

 だが、だからと言って二人を無能と決め付けるのは酷なのかもしれない。長く籠の中にいた者が籠の存在を失念したとしてもやむを得ない事だったのではないか。彼らにとっては、その籠の中こそが世界の全てであったのだから……。

 

 

 

 

 シェリーの調査は彼女が出来る範囲においては完璧なものだった。式典に殆どの皇族が参加する事、警備を担当しているのが近衛軍でありその責任者がジーダマイア少将である事、紋章機の戦力的性能、オートパイロットシステムの開発。ジーマダイアがエオニアに語った事の全てが真実である、との結果が出た。

 だが、ジーダマイアとその後ろにいる人間は知っていた。嘘を見抜かせない為には多くの真実の中に少量の嘘のスパイスを混ぜるのが効果的であるという事を。そして「事実を作る事」は「真実を隠す事

」よりも容易である事も知っていた。

 そう、実際には、オートパイロットシステムの開発は行われてすらいなかったのだ。だが、機密性の極めて高い白き月の特性を利用して、架空の部署をつくり、極秘で開発が進められていたとして架空の研究開発結果を作成して、さらにその「事実」を白き月内部のみで発表する事で、研究者達に知らせた。紋章機のオートパイロットシステムの開発成功は少なくとも白き月内部では「事実」であった。

 このようにして、多くの「事実」に埋もれた「真実」はシェリーの調査の手の届かないところにあった。

 

 クーデター実行計画の立案もシェリーが行った。

 式典が行われる宮殿の制圧と、白き月から儀礼艦エルシオールと紋章機を奪取して制空権を確保する事、この二点を同時に行う事は当然の事であった。宮殿の制圧と皇族……特に王位継承権を持つ人間の確保を最優先に行い、その一方で白き月と近衛軍を指揮下に置く事で万が一にもトランスバール本星からの逃亡を許さない。

 この状態さえ作ってしまえば、前第一王位継承者の長男であるエオニアが王位継承の正当性を主張してジェラールを簒奪者として処罰する事は容易であろう。ましてや、ジェラールが簒奪者であることは誰の目にも明らかなのだから。

 

 予想される抵抗に対しての細かな対応策をまとめた書類をエオニアに提出したシェリーは、書類をめくるエオニアの指先の動作が止まるのを待ってから口を開いた。

「白き月にいらっしゃるシヴァ皇子の身柄についてはどのようにいたしましょう?」

「そうか、シヴァは式典への出席を許可されていないのだったな」

 つい、と視線を横にずらしてエオニアが考え込む。

 皇王に疎まれ、皇族に嫉まれ、白き月で軟禁同然の生活を送っている幼いシヴァに対してエオニアは親近感にも近いものを感じていた。他の皇族に対して抱いていた憎悪をシヴァには抱き得なかったのだ。これは自身の境遇とシヴァのそれとを重ね合わせたかも知れなかった。

 他の皇族に関しては殺害もやむを得ない。むしろ今後の事を考えるのならジェラールの子らは殺害しておくべきであろう。が、それを躊躇わせる何かがエオニアの中にはあった。

「差し当たって、白き月を制圧した時に身柄の確保のみを心がければ良い。シヴァには危害を加えては

ならぬ。シヴァには使い道があるからな」

「と、仰いますと?」

「皇族しか知らない事だが、シヴァの母親はシャトヤーンなのだ」

「ッ、月の聖母、でございますか?」

「うむ、そして男児と言われているが実際には女児だから、いずれはシヴァが月の聖母と言う事になろう。そうなるのであれば、シヴァは排除するよりむしろこちらの手の中に入れておいた方が良い」

 驚きに顔をこわばらせていたシェリーだったが、すぐに落ち着きを取り戻す。

「なるほどそう言う事でしたか、承知いたしました。エオニア様の仰るとおりに致しましょう」

 エオニアは頷いて視線をシェリーの元へと移動させた。

「それと、宮殿制圧の実戦部隊の指揮だが……」

「はい、わたくしが行う予定となっておりますが、何か不都合がございますでしょうか?」

「いや、シェリーの立てた計画には問題は無いのだがな、シェリーには私と共にエルシオールに乗り込んで貰いたいのだ。実戦部隊の指揮には他のものをあたらせよう」

 シェリーの顔に再び驚きの表情が広がる。

「シェリーには、私の傍に在って私を補佐して貰わなくてはいけないからな」

 数日前と同じ言葉とエオニアの微笑に晒されて、シェリーの体内を血液が熱を持って駆け巡る。即座には答える事が出来ず、しばらくして深く長い一礼を返すシェリー。彼女はこの時の衝撃と幸福感を生涯忘れる事は無いだろう、と思った。人にはどれ程の言葉をもってしても語り切れない幸福があるのだ……。

 

 しかし後日、シェリーはこの時の選択を激しく後悔する事となる。もっと、より精密に調査を行っていたら。そうでなくてもせめて、自分自身が実戦指揮を執っていれば異変に気づけたかもしれないのに。エオニアの信頼に甘えて、結果守るべき主君を裏切ってしまったという苦い思いがいつまでも繰り返しシェリーを責めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 クーデター実行の日、エオニアとシェリーはエルシオール艦橋への通路を並んで歩いていた。

 ここまでは何の問題も無くたどり着く事が出来た。既に艦内の制圧は完了しており、エオニアからの出発の命令を待っている状態である。

 今頃式典会場の制圧も完了しているであろう……それがエオニアとシェリーの認識であった。

 だがブリッジへの扉が開かれたその瞬間、二人の自信は無残にも砕け散る。

「……ジェラー、ル……」

 エオニアの震えた声が口から放たれる。

 二人を出迎えたのは十以上の銃口と、それを持つ兵士達の壁に遮られる様に立つトランスバール皇国第十三代皇王、ジェラールだった。

「残念だよ、エオニア。お前が現体制に対して不満を持っている事は知っていたが、このような暴挙に出るとはな」

「ジェラール……!」

「だが、私を甘く見たようだな。お前如きの企みを見抜けない私だとでも思ったか」

「バ、バカな……何故……」

 エオニアの呟きに応えたのはいつの間にか背後にいた人物だった。

「私が皇王陛下にお知らせしたのですよ、エオニア様」

 すばやく振り返った二人の目に、銃を構え見下した笑みを浮かべた軍人の姿が映る。

「ジーダマイア! 貴様、裏切ったのか!!」

「裏切る? 表現には気をつけて頂きたいですな、エオニア様。私は皇王ジェラール陛下の忠実なる臣ですよ」 

 ここに至って、ようやくシェリーは現状を理解した。全てはエオニアを除くためにジェラールが仕掛けた策略だったのだ。殊更に隙を見せたのも、近衛軍の司令官がタイミング良く協力を申し出てきたのも、全てエオニアにクーデターを起こさせるのが目的だったのだ。

 それを理解した時、シェリーは敗北を悟った。

「クーデター犯を捕らえよ!」

 ジーダマイアの指示によってシェリーとエオニアの手に手錠が掛けられた。

 憎しみのこもった眼差しでジェラールを睨み付けるエオニアだったが、言葉を発する事はついに出来ず、ジェラールも薄ら笑いでその視線に応えるのみだった。

 

 ――――こうして皇国暦四百七年のクーデターは未遂に終わる。

 

 結局エオニアに加担して逮捕・拘禁されたものは百名未満であった。エオニアとシェリーは協力者は数百以上いるものと思っていたから、この一事からもいかにジェラールの手の者が部下に多かったかが窺い知れる。

 式典会場の制圧も、実行以前の段階で指揮官が逮捕されて未遂で終わっている。それらの事実を獄中で知ったエオニアは憎悪を募らせ、シェリーは後悔の炎で心を焼いた。

 クーデターを実行したエオニア一党に対する処分が辺境への流刑に決定すると、この処分に対して皇族や部下達から反対の声が多くあがった。未遂とは言えその罪は大逆であるから、死罪にすべしという意見は少なくはなく、むしろ多数派ですらあったのだ。

 最終的にはそれらの声を抑えたジェラールだが、この決定は皇族内部はともかく貴族階級の者達からは皇王の度量を示すものとして評価された。彼らは忘れていたのだ、普段がいくら凡庸に見えようとも政治戦略においては現皇王が非凡な才能を有している事を。

 

 

 

 

 

「このままでは終わらんぞ……」

 辺境へと向かう駆逐艦のブリッジの床にエオニアの言葉が吐き捨てられる。

 武装解除された駆逐艦が一隻と護衛の名を借りた監視が十隻、第一方面辺境に向かっていた。

 結局エオニアと共に辺境への流刑に処された者は三十名程度で、それ以外に逮捕された者達の殆どはエオニアを裏切り、無理やり命令されたのだと積極的にエオニアの罪を晒して身の安全を図り、流刑は免れた。しかし流刑を免れた者達は例外なく皇国の表舞台から姿を消した。ジェラールは一度自分を裏切った者を許さなかったのだ。 

「ジェラールめ、いつか必ず私を生かしておいた事を後悔させてやる……」 

 未来において実現されるその言葉も現時点ではなんの力も持たなかった。モニターに映る宇宙を凝視して唇を噛む。

 後ろに控えていたシェリーは、自室に戻って休むようにエオニアに進言するべきかどうか迷っていた。流刑が決定した後もエオニアはシェリーを傍に置いていたが、これがエオニアがシェリーを許した結果なのか、あるいは単にそこまで気が回らないでいるのか、シェリーにも、そしてエオニア自身にも判断がつかなかった。少なくとも、エオニアはクーデター失敗の責をシェリーに押し付けたりしなかった事だけは間違いの無い事実である。

 精神的にも肉体的にも疲労の極致にあるであろう主君に休むように進言したいが、今の自分でははばかられる……そんな精神状態にあったシェリーが口を開こうとした瞬間――――。

 

 静寂と漆黒に支配された宇宙に閃光が走り、次いで爆発が起こった。

 振動が駆逐艦を揺らし、立っていた者は転倒し、エオニアとシェリーはそれぞれデスクと壁に手をついて辛うじて体勢を保っていた。

「どうした、何が起こったか!」

 シェリーの声がオペレータに向けられる。

「攻撃です! 護衛艦が攻撃してきました!」

 悲鳴にも似た声が届くと、エオニアとシェリーは即座に事態を把握した。

「ジェラールめ……、最初からこのつもりだったのか……!」 

 ガンッとエオニアの拳がデスクを叩く。

「直撃、来ます!!」

 オペレーターの声の直後、再び激しい揺れが艦を襲う。

 モニターが小規模な爆発を起こし、破片が飛び散って凶器の雨が降り注いだ。

「エオニア様っ!」

 シェリーの身体がエオニアに覆いかぶさり、凶器の直撃を受ける。モニターの破片のひとつがシェリーの左頬を直撃して、肉を抉り、鮮血が飛び散って床を染める。

「エ、エオニア、様、ご無事ですかっ?」

 顔面を蒼白にしたエオニアは問いに答えることが出来ない。

 シェリーはすぐに立ち上げって指示を飛ばした。

「クロノドライブだ! クロノドライブでこの場を離脱する、早くしろ!」

「で、ですがこの先は危険宙域です! 座標を設定してからでないとクロノドライブは危険すぎます!」

「このままここに留まっても落とされるだけだ!」

「は、はい! クロノドライブ準備!!」

 乗組員達もシェリーの言葉の正しさをすぐに理解したから、命令が実行に移されるまでにそれ程時間は必要なかった。

 エオニア達を乗せた駆逐艦は撃沈寸前、辛うじてクロノドライブに入る事に成功する。

「ジェラール…………ジェラール…………」

 トランスバール皇国第五皇子……今や廃太子となったエオニアの言葉は爆音と喧騒に掻き消され、誰にも届く事は無かった。

 

 

 

 

 

「――――目標、クロノドライブに入りました。ジーダマイア少将、如何なさいますか?」

「あの調子ではクロノドライブ中に爆発するか、仮にドライブアウト出来たとしても航行も出来ずに宇宙の塵になるだけだな。構わん、放っておけ」

「は、では本星への報告はどのように?」

「……任務完了、これより帰還する。それで良い」

「了解しました」

 ジーダマイアは指揮官席に腰を下ろす。

 ジーダマイア少将……か。

 彼はその肩書きが過去の物になる事を確信していた。

 ジーダマイアは賭けに勝ったのだ。賭けと呼ぶには余りにも分の良い勝負ではあったが、危ない橋を渡っていないという訳ではなく、自らの判断と結果に満足していた。

 その後、ジェラールに功績を認められたジーダマイアは大将として第三方面軍総司令官に任ぜられる事となる。名誉職だが実権の少ない近衛軍と違い、多くの戦力を旗下に持つ紛れも無い権力者であった。

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トランスバール皇国暦四百七年、第五皇子エオニア、禁忌に触れたため追放処分。

 

 

 

 

 

 

 

 皇国の公式記録は、「事実」をそう伝えた――――。