『愛すべき皇国の臣民達よ、私は正統トランスバール皇国第十四代皇王エオニア・トランスバールである』

 

 厄介な事になった。

 ヘルハウンズ隊旗艦ケルベロスの艦橋モニターに映るエオニアの演説を聞きながら、タクト・マイヤーズは心の中で頭をかいた。

 

『前皇王ジェラールは、我が父を謀殺して不当にも皇王の地位を簒奪し、白き月とそこからもたらされる利益を一部の特権階級と共に独占した』

 

 なりゆきと言ってしまえばその通りなのだが、よりにもよって自分がエオニアの旗下で戦う事になるとは……。

 戦う事は良い。軍人になった時に戦う覚悟は出来ている。しかし、今度ばかりは相手が悪い。自分の仲間達と戦えるのだろうか。その中には恩師や親友もいると言うのに……。

 

『これはトランスバール皇国建国の理念を汚す大罪である! よって私は前皇王と腐敗しきった権力階級に対して正義の鉄槌をくだし、正しい血統の元、正統政府と秩序を回復させた』

 

 だが、少なくともここで死ぬわけにはいかない。

 どうして自分がこんな場所にいるのか、それすらもハッキリとは考えられないタクトだったが、それだけは確信できた。

 大丈夫、与えられた状況下で最善を尽くしていれば道は拓ける。

 きっと何とかなる。きっと何とかしてくれるさ……。

 

『今後は正統トランスバール皇国の名の下、星系ごとにバラバラだった制度や文化をひとつにし、より強い結束を実現させる』

 

 エオニアの演説には基本的に嘘は無い。ジェラールが王位を簒奪したのも、一部の特権階級が大多数の市民階級を支配しているのも事実であった。

 

『この宇宙には白き月の天恵にも勝るロストテクノロジーが今尚眠っている。それはこれまで以上の繁栄を皇国にもたらそう』

 

 だからと言ってそれがすぐに支持に繋がらないのもまた確かな事で、前皇王ジェラールの政策に批判的でなかった人々はエオニアの治世を歓迎してはいなかった。エオニアが皇王になった経緯が武力によるクーデターではそれは当然の事であろう。

 

『混乱に乗じて狼藉を働いている一部の者達にも、今なら寛大な処置を与えるであろう。新しき正統トランスバール皇国の一員として、私と共に星の彼方の栄光を掴もうではないか!』

 

 エオニアとしては早急に抵抗勢力を鎮圧して混乱を収めなくてはならない。当面は旧貴族階級の腐敗を暴いた事で市民の支持を集めつつあるが、混乱が長引けば「以前の方がマシだった」となってしまうだろう。市民の一斉蜂起などが起こってしまったら面倒な事になる。エオニアの味方は、数の上では圧倒的な少数派なのだから……。

 

 エオニアの演説が終わると、タクトは姿勢を崩した。

「内容はともかく長々と演説をしないところには好感が持てるなぁ」

 司令官の不謹慎な言葉に傍で聞いていた通信担当とレーダー機器担当の兵士達が顔を見合わせて苦笑した。

 司令官として赴任してきた正規の軍人に対して、ヘルハウンズ隊の傭兵達の心境は穏やかではなかった。傭兵には傭兵の戦い方や動き方があって、それは正規の軍とは大きく異なる。傭兵を使いこなす事など正規の軍人、ましてや貴族出身で若くして大佐になったボンボンに出来るはずが無い、というのが大部分の傭兵達の見方だったのだ。

 しかし彼らの予想に反してやってきた新司令官はまるっきり軍人らしくなかった。むしろ軍人であった事すら疑わしい程で、最初の艦内挨拶の時など、

「堅苦しいのは苦手だからオレの事はタクトで良いよ、よろしく」

 と言ってしまったのだ。

 正規の貴族軍人は大抵傭兵という人種を見下している。しかし傭兵である以上その貴族軍人の命令を受けなければならない立場に立たされた事が何度もあるヘルハウンズ隊だから、貴族軍人に対して良い印象を持ちうるはずが無い。

 タクト・マイヤーズはその軍人らしくない不真面目さをもって、ひとまずのところ傭兵達に好意を持って受け入れられつつあった。もっとも、その実力に関しては半信半疑というよりは完全に疑ってかかられていたが。

 

「じゃあ、オレは艦内を見回ってくるから後の事はよろしく頼むよ」

 そう言い残してブリッジを後にしたタクトの行動も、赴任してまだ数日だというのにすっかり恒例となっていた。

 

「なあ、タクト指令に関する噂、聞いたか?」

 タクトの姿がブリッジから消えると、通信担当の傭兵が隣に座っている男に声をかけた。

 二人ともまだ若いながらも傭兵としての経験が豊富で、旗艦ケルベロスの通信と索敵を任されている。

「どの噂だ? あの人に関する噂は多いからな」

「なんでも、旧皇国軍にいた時は辺境惑星の艦隊指令をやってたんだと」

「ああ、らしいな」

「それである時、新兵の女性兵士がその艦隊に派遣されてくる事になったらしいんだ。一人は士官学校主席卒業のエリート、一人は平凡な成績の普通の兵士、もう一人が実技は完璧だけど筆記試験がさっぱりな兵士。この中から誰か一人を選べといわれた指令は、迷わず普通の兵士を選んだ」

「ほう、何か理由があるのか?」

 聞かれた兵士はひとつ頷くと、両手を天井に向けて肩をすくめた。

「胸が大きかったからだとさ」

 

 

 

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「お疲れ様でした、エオニア様」

「ああ」

 演説を終えたエオニアは、その足で総旗艦ゼルに戻るべく宇宙港へと車を走らせていた。

 皇王への就任をすませた今、宮殿に居と玉座を置くのが通常ではあったのだがエオニアはそうしなかった。クーデターの際に宮殿が破壊された為であったが、エオニアは宮殿に引きこもって指示のみを出す以前までの皇王のスタイルを継承する気は無かったようである。

「状況はどうか?」

「はい、エオニア様が皇王になられた事によって、制圧が完了しております第一方面と第四方面の大部分の旧皇国軍は、正統トランスバール皇国軍に帰順致しました」

「そうか」

「抵抗を続ける旧皇国軍残党はジーダマイアの指揮する第三方面に集結しつつあります。今のところご命令どおり第三方面への攻撃は控えておりますが……」

 ここでシェリーが言葉を濁す。普段明瞭に報告をこなす彼女にしては珍しい事だ。

「やはりシェリーはこの作戦には反対か?」

「い、いえそのような事ではございませんが、敢えて旧勢力が糾合するのをお待ちにならずとも、現在の兵力で一気に制圧を完了なさっては如何でしょうか?」

 その問いに対してエオニアはイエスとノー、どちらでもない言葉で応えた。

「あの男に夢を見させてやるのだ」

 あの男。エオニアとシェリーに甘い夢を見させて、地獄へと叩き落したあの男。

「奴は恐らく今の状況を喜んでいるだろうよ。シヴァを手に入れてこの私を倒し、自分は救国の英雄となる。ゆくゆくは皇国宰相、いや自らが皇王になる事でも夢見ているかもしれないな」

「…………」

「今は十分にその夢を見させてやれば良いのだ……」

 そしてその夢想ごと叩き潰す。それこそがエオニアの求める勝利だった。

 シェリーは主君の言葉に黙って頷く。今更多少の戦力が糾合したところでこちらの優位は動かない。黒き月のノアも保証した事だったが、シェリーは完全な自信を持ち得なかった。それが以前の失敗からくる慎重さなのかそれとも臆病さなのか、あるいはそれ以外のものなのか。彼女自身にも明確ではなかったが、『嫌な予感』の種子が彼女の胸中には存在していた。

「市民の方の抵抗はどうなっているか?」

「はい、殆どの惑星において抵抗らしい抵抗は今のところ起こっておりません」

「そうか。もう少し抵抗があるかとも思ったが」

 潜在的な抵抗意識があるのはエオニアもシェリーも自覚していた。以前は自らの立場を見誤ったために失敗したから、彼らに自分達を過剰に甘く見積もる意識は存在しない。

「内乱が長引けば暴発する可能性もあります」

「うむ。何か手を打っておくべきだろうな」

 エオニアが考え込んだのを受けてシェリーが続ける。

「必ずしもプラスの効果だけではありませんが、黒き月の存在を公表しては如何でしょうか?」

「黒き月を?」

「はい。そうする事で、ロストテクノロジーの強大さとその存在を皇国民に対してアピールする事が出来ます。また第三方面に集結しつつある旧皇国軍に戦っても勝てる筈が無い、という精神的な先制攻撃を与える事が出来るかもしれません」

 言葉を一度切ってエオニアの反応を伺う。エオニアは腕を組んで視線を宙に固定していた。

「ただ旧皇国軍に確固たる抵抗の意思があった場合、黒き月の存在を知られる事が戦術上の不利に働く可能性も否定できません」

「なるほど、黒き月をか……。分かった、考えておこう。それでノアはどうしている?」

「は、ノア様は黒き月に――――」

 

 

 

 黒き月の大きさは、実は白き月よりも一回りほど小さい。

 機能の面で劣っている訳ではなく、白き月に軍事生産工場としては無駄なスペースが多数存在するからである。それは居住空間であったり神殿であったりするのだが、それらのスペースが黒き月に存在しないかと言うとそうではない。

 白き月に比べれば簡素なものだが神殿も一応ながら存在し、その中心部には黒き月の心臓とも言うべきコアクリスタルが安置されている。

「もうすぐよ……」

 神殿内は壁から直接放たれている赤黒い光に満たされていた。

「お前はそこで黙って見ていると良いわ……」

 紅い闇の海に浮かぶように人影とクリスタルとが対峙している。

「守るべきものの滅びを――」

 

 

 

 

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 ヘルハウンズ隊が皇国本星を出立してから初めての戦闘配置が発令されたのは、旗艦ケルベロスがクリオム星系に差し掛かったあたりだった。

 その宙域は小惑星帯と重力磁場が密集しているため、通常はクロノドライブによって迂回するべき場所である。その航行にすら向かない宙域でクリオム星系駐留軍と、正統トランスバール皇国軍のレゾム・メア・ゾムが指揮する無人艦隊が戦闘状態に入ろうとしていた。

 エルシオールを追撃していたレゾムは、エルシオールから離脱したクリオム星系駐留軍がこの宙域に逃げ込んだ時、追い詰めたと、捕縛は時間の問題だと思った。エルシオール追撃部隊という傭兵部隊の存在が近くにいる事を知ってはいたものの、その戦力を必要としてはいなかったのだ。

 レゾムからケルベロスに通信文が送られてきたのはタクトが戦闘配置を発令した直後の事である。

「レゾム艦隊から通信です。この宙域は狭隘である、ゆえに指揮系統の混乱を招く行為を慎むよう要望する。との事です」

 通信士からの報告はその場にいた者たちの苦笑を誘った。

「要するに手を出すな、手柄を横取りするなって事ですね。タクト指令、どうしますか?」

「分かりやすい翻訳をありがとう。ついでにヘルハウンズの皆に通信を繋げて貰えるかな」

 ヘルハウンズ隊という名称は戦闘母艦ケルベロスを中心とした戦闘部隊全体の名称である。しかし、その主戦力である大型戦闘機隊の活躍があまりにも華やかであったため、大型戦闘機隊を指す名称だと思われる事も少なくない。

 ヘルハウンズ隊の内部では、彼らの事をヘルハウンズと呼んでいた。

「格納庫で待機中のヘルハウンズに通信を繋げました」

「あー、皆、折角準備してもらって悪いんだけど、どうも今回は出番が無さそうだ。一応油断しないようにしばらく待機を続けてくれ」

 タクトが頷き、通信が切られる。

「宜しいんですかい、手柄を譲ってしまっても」

 ふてぶてしい口調のレーダー兵の言葉がタクトに向けられる。

「今回はね。それに相手の指揮をとっているのは恐らくルフト准将だ、そう簡単に手柄になるとは思えないしね」

「平民出身にもかかわらず将官にまでなったという人ですか。しかしあの少数の戦力では……」

 タクトは頷きつつも言葉を返す。

「オレが士官学校に在籍していた時にルフト准将が教官だったんだ。ルフト先生はいつも言っていたよ、持っているものの少なさを言い訳にする人間は多くのものを持っていたとしても何も出来はしない……ってね」

「なるほど。タクト指令の恩師のお手並み拝見といきましょうか」

 彼らは敵がタクトの知り合いだと知っても驚きを見せなかった。傭兵にとっては知り合いが敵味方に分かれて戦う事など珍しくも無い事だからである。

「とりあえず戦闘宙域に入らないように注意しながら、戦場の動きが把握できる位置に艦を動かしてくれ」

「了解!」

 ヘルハウンズ隊旗艦ケルベロスのブリッジが慌しく動き始めた。

 

 

 戦闘はレゾムの予想に反して、そしてタクトの予想通りに互角のものになった。

 数で劣るにも関わらず、クリオム星系駐留軍は開戦当初に正面決戦を選択した。少しずつ後退しながら砲火を交え、レゾム艦隊が急速に接近しようとするとそれを敏感に察知して攻撃の密度を上げて押し戻す。

 数で劣っている場合、この戦法を繰り返していると消耗戦になり不利になるから通常採るべきではない。しかし数は多いと言ってもこの時の相手は無人艦隊だった。敵と認識されるものを攻撃するべし、という単純極まりない命令しか与えられていなかったレゾム艦隊は、当然の事ながら単純な前進攻撃を試みる。

 それがクリオム星系軍の攻撃で前進を鈍らされ、足の速い駆逐艦とその他の艦とで艦列が乱れてしまったのだ。クリオム星系軍は攻撃を集中させて突出してきた駆逐艦を砲火の餌食にしていった。

 

 レゾムは各個撃破を恐れて艦列を建て直したが、その間にクリオム星系軍は小惑星帯の隙間にある細い回廊に潜り込んでゆく。レゾム艦隊は先ほどの各個撃破の反省を踏まえて艦隊を密集させて後を追ったが、今度はこれが仇となる。

 回廊が狭すぎたのだ。

 狭い入り口に一気に殺到したレゾム艦隊の動きが固まってしまった所に、待ち構えていたクリオム星系軍が攻撃を集中させて突っ込んで来る。

 敵と味方が入り乱れる乱戦となり、数の上で勝っているはずのレゾム艦隊は同士討ちを避ける為に効果的な攻撃が出来ない。 

 敵陣を突破したクリオム星系軍は無人艦の後方にいたレゾム艦隊の旗艦に攻撃を加える。

 撃沈こそ逃れたものの機関部にダメージを受けて航行不能になった旗艦を救う為に、ようやく混乱を収拾して無人艦隊が回廊の入り口から引き返してきた時、クリオム星系軍は無防備な背中をさらけ出した状態でゆっくりとレゾム艦隊との距離を取り始めていた。

 戦闘を開始からしてやられっぱなしのレゾムは罠の存在を恐れて積極的な攻撃の意思を失ったのか、無防備な後背を突こうとはしない。

 

 

「……戦術論の授業で」

 戦局の移り変わりを眺めていたタクトが誰にとも無く口を開く。

「ルフト先生が問題を出したんだ。これは戦術にも応用できる難しい問題だって言ってね」

 突然戦闘になんの関係もないような事を言い出した司令官を訝しげな視線が貫く。

「チェスにはポーンが敵味方合わせて十六ある。ある二人がチェスを楽しんでいたが、対局開始から両軍合わせて五個のポーンが失われた。ところがポーンの数をかぞえてみると十個しかなかった。何故か? っていう問題だったんだけど」

 ブリッジが沈黙する。誰もがその問いの意味と答えを模索して考え込んでしまったが、誰一人として答えらしい答えを想像する事が出来ない。約十秒ほどの沈黙を確認してからタクトが再び口を開く。

「答えは、たんに数え間違えたから、だってさ」

「そんな無茶苦茶な」

 声は通信士のものだったが、それはその場にいる全ての者の心情を代弁していた。

「ああ、俺もそう思った。ルフト先生は続けてこう言ったよ。こうやって問題として提示されると、可能性の一番高いものを無意識のうちに考えから外してしまうってね。……つまり」

 視線を戦場に向ける。

「つまり、あれは多分見た目通り、逃げてるんじゃないかな」

 衝撃が波紋状に広がってゆき、兵士の顔が驚愕に染まる。

 レーダー兵が機器を操作して状況の把握に努める。

「なるほど、タクト指令の読み通りですな。……敵軍、クロノドライブに入ります」

 

 戦場には敵軍を飲み込むべく牙を研ぎ澄ませたレゾム艦隊が取り残されていた。

 

 

 

 

「レゾム艦隊からの通信です。当艦隊旗艦が敵軍の攻撃を受けて航行不能、正統トランスバール皇国の同胞として適切なる行動を要請する。との事です」

 通信士の言葉は戦闘が終了して緩みかけた緊張感を一瞬で霧散させてしまった。

「要するに助けてくれ、仲間だろう? って事ですね。タクト指令、どうしますか?」

「適切な翻訳をありがとう。まあ見捨てる訳にもいかないなぁ」

 タクトが苦笑いするとレーダー兵が応じる。

「いっその事、両手の掌でも合わせて神に祈れ! とでも返してやったらどうです」

「神に祈れ、ねぇ。祈ったら助けてくれる神様がいるのかい?」

「さあどうですかね。何しろ戦場の神様って奴はいつも昼寝をしてるもんだから、小さな声でお祈りしても聞きゃしませんからな。かといってでかい声で叩き起こすと機嫌を悪くして何をされるか分かりませんがね」

「祈りがいの無い神様だなぁ。もっと優しい神様はいないのかい、信じる者を救ってくれるような」

「信じる者はすくわれますとも。……足元をね」

 ブリッジに笑い声が広がる。タクトも一瞬一緒になって笑いかけたが、辛うじて衝動を押しとどめて改めて指示を出す。

「神様がそんなんじゃあ、オレ達が働くしかないね。至急レゾム艦隊の救援に向かってくれ。ああ、それとヘルハウンズの待機命令も解除だ」

「了解!」

 指示はすぐに実行に移される。タクトは指揮官席に腰を下ろして天井を見上げた。

 神様に祈りたい気分なのは、むしろ自分自身だった。

 今回は戦わずに済んだ。しかし戦うべき時は近く必ずやってくる。その時自分の最善を尽くしたとして、果たして最良の結果が生まれるのだろうか?

 答える者は誰もいない。

 モニターには先ほどまでの戦闘が嘘のような静かな宇宙が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今後の方針をヘルハウンズに伝えるため、ブリーフィングルームにやって来たタクトを待っていたのは、不機嫌な顔で座っているリセルヴァと無表情のレッドアイだった。

「あれ、他の皆は?」

 リセルヴァが応える。

「カミュは枝毛が発生したとかでヘアトリートメントの真っ最中、ギネスは筋力トレーニング、ベルモットは機体の整備中だ」

「そっか、まあ良いや。じゃあ三人で始めようか」

 あっけらかんと言ったタクトをレッドアイは意外な心境を持って眺める。通常、貴族は自分の指示に従わない傭兵を快く思わないものだ。

 この場にいない三人が意味も無く怠けているわけではない事をレッドアイとリセルヴァは知っている。カミュはリセルヴァとレッドアイに対する信頼感から、ギネスは自分の能力を活かす方法を知るがゆえ、そしてベルモットは己の役割を最大限に果たす為にこの場にいないのだ。

 それを司令官が理解しているとは思えない。思えないのだが、だとしたらこの反応をどう判断するべきなのかレッドアイは迷っていた。単なる無能者なのか、あるいは……。

「……そんな訳で、さっき遭遇した敵軍の中にエルシオールと紋章機はいなかったから、今後の方針としてどちらを追うのかを選択する必要があるんだけど」

「エルシオールが本命だろうな」

 即答したリセルヴァを軽い驚きの表情で見るタクト。

「どうしてそう思うんだい?」

「エルシオールから離れたクリオム星系軍が陽動なのか、それとも陽動に見せかけた本命なのかは五分五分といったところだろうが、どちらにせよ第三方面に逃げ切るまでに僕達と戦わざるを得ない事は間違いないだろう? だとすれば戦力的に充実しているエルシオールの方にシヴァ皇子を残していったと考える方が自然だ」

 淀みなく喋るリセルヴァに無言で頷いてレッドアイが同調する。

「そうと見せかけて実は、という事も考えられなくはないけど、そこまで考えていたらいつまで経っても結論は出ない。いたずらに時間を費やすよりはさっさと追いかけた方が建設的だと思うがね」

 少し考えてタクトが別の意見を提示する。

「レゾム艦隊を退けた手腕は恐らくルフト准将のものだと思う。ルフト准将ほどの人がシヴァ皇子を手元から離すかな?」

「……信頼に足る人物に任せたか……、あるいはだからこそクリオム星系軍が本命だと思わせる為か……。タクト指令は、クリオム星系駐留軍にシヴァ皇子がいると考えているのか……?」

 タクトは、ほうっと息を吐くと首を振って答えた。

「いや……エルシオールを追おう」

 パシンと音を立ててリセルヴァの右手の拳が左手の掌に打ちつけられる。

「決まりだな。これで皇国軍最強とやらの紋章機と戦えるわけだ。どちらが優れているか、思い知らせてやる」

「出来るだけ慎重に頼むよ。……紋章機は強いからね」

 司令官の物言いは二人のプライドを刺激した。

「どんな相手だろうと……戦って勝利するだけだ……」

 エルシオールや紋章機が白き月の管轄であった為に、機体やパイロットのデータが皇国データバンクの中でも高位レベルのシークレットに位置しており未だ解析が出来ていなかったから、正直なところ現時点での相手戦力の正確な把握は難しかった。

 しかし、レッドアイとリセルヴァは自分達の勝利を疑ってはいない。

 実戦経験の少ない皇国軍人に負けるなど、歴戦の傭兵にとってみれば完全に想像外の出来事である。

 司令官は相手を過大評価しているか、自分達を過小評価している。その時は二人ともそう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「エルシオールとの距離およそ40000、まもなく戦闘宙域に入ります!」

 エルシオールとの接触は予想よりも早いものとなった。これはエルシオールがそれまでの戦いで受けた傷を癒していた為にしばらくの間航行がストップしていたからである。

 発見したのは左右を重力場に覆われた場所で、巨大なトンネルのような地形であった。戦闘を行うには十分以上の広さがあったから、すぐに戦闘配置が発令される。

 少し先に安定した地形があったから、エルシオールはそこまで移動してクロノドライブで逃げる事が予想され、ヘルハウンズ隊としてはそれまでにエルシオールに追いついて直接攻撃を加えなくてはならない。足の速い高速戦闘機での戦いが中心となることは誰の目にも明らかだった。

「ヘルハウンズを出撃させて前方に展開、無人艦隊を両翼に配置してくれ」

「了解、ヘルハウンズ出撃します」

「エルシオールから大型戦闘機が発進! 映像、出ます……紋章機です」

 モニターに紋章機が映し出されると、ほうっという感嘆の息を幾人かがもらす。

 皇国最強の切り札。

 白き月の象徴。

 ロストテクノロジーの結晶。

 トランスバールの守護天使。

 数々の賞賛に彩られた美しき機体。

 考えられる最強の、そして倒すべき……敵。

「ただ、数が四機です。……紋章機は全部で五機じゃなかったですか?」

「もしかして手加減でもしてくれるのかな。エースのファイブカードを出されたら勝負が決まっちゃうしね」

 軽口で答えたつもりのタクトだったが、出てきた口調は思いの他重かった。複数の視線が司令官に集まる。

 前回の戦いで正確な戦術眼を持っている事を示したタクトだったが、なんと言ってもヘルハウンズ隊の実際の戦闘指揮は今回が初めてなのだ。司令官の力量に興味や不安を抱かない者はいない。

 だから司令官の腕が小刻みに震えている事に気づいた者がいてもなんの不思議も無かった。

「武者震いですかい?」

 レーダー兵の質問に首を振る。

「いや、怖いのさ。こんなに怖い戦いは初めてだ」

 そのあまりにも軍人らしくない台詞は冗談だと判断されたらしい。

「じゃあ、そろそろ始めようか。ヘルハウンズとの高速リンクシステムを起動してくれ」 

 しかし、それはタクトの偽らざる本音だった。

 

 

 上下左右、全ての方向に星空が見える。

 ケルベロスから発進した機体が加速してゆくに従って、光が流星となって光のシャワーを形作る。

「美しいな……」

 シルス高速戦闘機の操縦席でカミュが星空に賞賛を贈る。操縦桿を握り締めたままで軽く瞳を閉じて肺に空気を送り込む。

 紋章機。それはカミュにとって憧れとも言える感情を抱かせる存在だった。気高く、美しく、神々しさすら感じさせるその機体。

 それが儚くも散る姿はどれほど美しい事だろう……。

「うおおおおっ、腕が鳴るぜえええぇ!」

 ギネスの叫びに物思いを中断させられる。

「へへっ、ギネスの兄貴の機体は出力を兄貴好みにパワーアップさせておいたからね、スピードは紋章機にだって引けを取らないよ」

 ベルモットの得意げな声が通信に乗って流れる。

 ベルモットは若年ながら機体整備にかけては天才的で、ヘルハウンズのメンバーそれぞれの戦い方に合わせて機体を改造していた。エオニアの旗下に入ってからはより高性能な部品を入手する事が出来たから、より理想的な整備を行っていたのだ。

「俺の機体の追加武装は……間に合わなかったのか……」

「じ、時間が足りなかったんだよー。この戦いが終わったらレッドアイの兄貴の分もバッチリやっておくからさ!」

「そうだな、目の前の戦いに集中しよう……」

 操縦桿を握る手に力が入る。

「紋章機か。どちらがより高貴な存在であるか、分からせてやる」

 カミュは黙って頷き、ゆっくりと目を見開いた。

 前方にかすかに見える光。

 さあ、美しき紋章機との華麗な戦いを始めようか―――。

 

 戦いの幕がゆっくりと上がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

「ダメです、ラッキースターの出力上がりません! 出撃不可能です!」

 アルモが格納庫からの通信を報告すると、エルシオール副指令レスター・クールダラスは表面上は平静を保ったまま内心の中で苦虫を噛み潰す。

 レスターはエルシオールに着任してから日が浅いものの、各紋章機の性能を十分に把握して、戦闘における機体運用にある程度の計画を立てていた。

 最終的な戦闘指揮は司令官の仕事だったが、第三方面まで逃げる事を目的としたエルシオールでの戦いはさまざまな戦局に柔軟に対応する事が必要不可欠だし、その為に司令官から意見を求められる事もある。

 司令官の指揮能力を十二分に引き出すための知識を身につけておくのは、副指令にとって欠かす事の出来ない仕事である、レスターはそう考えていたのだ。

 ――――さまざまな戦局に柔軟に対応する、その意味でラッキースターほど貴重な機体は無い。

 スピードもあり火力も一定以上、シールド出力も低くなく攻撃・遊撃・かく乱・防衛、といった役割を果たしてくれる汎用性に優れた戦力になる筈であった。

 しかし、ラッキースターは安定性に大きな不安をもった機体だったのだ。今回はそれが最悪の場面で出てしまった。レスターは自らの認識の甘さに後悔を抱かずにはいられなかった。そもそも戦闘に出られないでは機体運用も何もあったものではない。

 

 そこまで考えたところでレスターの思考はすぐに後悔を廃棄して、現在の状況を元に新たに戦術を再構築してゆく。

 

 彼は多くの人間に、ルーチンワークの達人という印象を持たれている。それは紛れも無い事実ではあったのだが、その強すぎる印象がレスターのもう一つの側面を見え難くしている事を理解している者は多くない。

 レスターの傍に桁外れに型破りな人物がいるせいで、彼が型にはまったタイプな人間であると思われがちなのだ。

 だが、もし彼がそのようなタイプの人間であったなら、現在のような状況の場合、自分の立てた作戦に固執するあまり対応が後手後手に回ってしまう事であろう。ラッキースターがいないにも関わらず無理な作戦を実行しようとする、あるいはラッキースターの参戦を待ち続けて何もしないまま戦いに敗れてしまうかもしれない。

 レスターは理論よりも目の前の現実を優先させるべき時がある事を知っていた。

 

 

 ――――タクト・マイヤーズが士官学校に入学したばかりの頃の事である。

 基礎戦術論の講義でチェスを用いた設問が出された。

 限られた持ち駒を使って相手のキングを追い詰めるといった問題を何人かのグループに分かれて解いてゆく。

 タクトが所属したグループは、一人の青年の活躍で優秀な成績をおさめていた。

 その長身の青年は問題を見た次の瞬間には最善手と思われる答えを導きだし、誰もが苦戦してしまうような難易度の高い問題でも軽々と解いてゆく。タクトは、これは楽で良いやなどと不真面目な事を考えていたのだが、ある問題で他のメンバーだけではなくその青年も解く事が出来ずに行き詰まってしまった。

 その問題は敵に追い詰められた自分のキングを援軍が到着するまでの間守りぬくというものだったのだが、幾ら考えても解けない。ある程度まで逃げたところで敵に捕まってしまう。周りを見ると、やはりどのグループもその問題で苦戦している様子だった。

 実はその問題は教官の出題ミスだったのだ。どうやっても規定の手数逃げ切る事は出来ない問題で、多くのグループは解くのを諦め、あるグループは「どうやっても逃げ切る事は出来ない」という答えを提出した。

 問題が解けずに悩んでいる者達を見て、タクトの心にちょっとした悪戯心が芽生える。真面目な顔をして問題を解いている面々の驚いた顔が見てみたいという不純極まりない動機からだったのだが、動機はともあれタクトはその問題にひとつの答えを示して見せた。

 タクトは戦場の横にもう一枚のチェス板を置き、誰もいない無人の野にキングを逃がしてしまったのだ。

 しかし、その答えは驚きよりも侮蔑をもって迎えられた。それまでひとつの問題も解かなかった人間が何を馬鹿な、との思いを同じグループの者達は抱き、それを隠そうともしなかった。チェスとは八×八のマス目の中で戦うものではないか、そんな馬鹿げた答えなど存在するはずも無い……。

 タクトの好奇心が失望に取って代わろうとしたその時、たった一人だけ他の者と異なる反応をした生徒がいた。

「なるほど、確かにこれなら逃げ切れるな」

 繋がった二枚のチェス板を見ながら頷いた長身の青年は、タクトの答えをグループの答えとして提出しようとした。

 他のメンバーは当然のように反対をしたが、

「ならば他にキングが逃げる道があると言うのか? 俺はこの答えを支持する。これが答えではないと言うのなら、代案を提示してみたらどうだ」

 そう言われてしまうと沈黙せざるをえなかった。その青年が先ほどまで完璧な回答を出し続けていた生徒であった事も影響したのだろう。

 そうして提出されたタクトの答えだったが、自分のミスを認めなかった教官が「どうやっても逃げ切る事は出来ない」という答えを正解とした為、タクトのグループに点数が与えられる事は無かった。 

 タクトと青年は後にお互いを親友と認め合う程の関係となる。その青年が後のエルシオール副司令官、レスター・クールダラスであった。 

 

 

 こうした出来事からも分かるように、レスターは決して理論やルーチンワーク一辺倒の人間ではない。

 現在の状況においても、どうやっても逃げ切る事が出来ないなどという「正解」よりも、あらゆる手段を用いて導き出される答えこそを彼は必要としていた。

 それでも状況が好ましくないものである事は考えるまでも無く、ゆっくりと作戦を練るための時間的余裕が無い事も確かな現実であった。

「どうする?」

 自分の中でひとつの答えを見つけたレスターは、司令官に疑問の形で言葉を投げかける。

「……今から策を立てても、かえって不利になるかもしれない。それよりもラッキースター以外の機体で最大限に戦って、戦いながら活路を見出した方が良いと思う」

 司令官の意見は、要するに戦いながら逃げる方法を考えるという事だった。

 これは一見乱暴でいい加減だが、実際にはそうではない。敵の中に足の速い大型戦闘機の存在が確認されている以上、ただ逃げたところで簡単に追いつかれてしまうだろう。最低でも敵の数を減らして、紋章機をエルシオールに収容して、そしてクロノドライブで逃げ切るだけの時間的余裕を作り出さなくてはならないのだ。

 その為には数の不利は承知の上で戦わなくてはいけない。けれど、勝つ為に戦うのではなく逃げる為に戦う。それが司令官の言葉の真意であり、レスターの考えと一致するところだった。

「そうだな、俺もそれしかないと思う」

「まあ、なんとかなるんじゃないかな」

 もしその言葉を司令官以外の者が言ったとしたら、レスターはまったく信頼出来なかったであろう。

 レスターは司令官の事を「俺はアイツの事を信用なんてしていない。だからこそ傍にいてフォローしてやってるんだ」と語った事があるが、それは額面通りの意味ではなく、レスターが司令官の能力を良く知るがゆえの言葉である事をレスターは、そして司令官は知っていた。

 エルシオールの司令官なら、自分の一番の親友なら、きっと言葉通りなんとかするに違いない。

 

「頼んだぞ、タクト」

 

 儀礼艦エルシオール司令官、タクト・マイヤーズは親友の言葉に頷くと、紋章機との高速リンクシステムに指を走らせた。