トランスバール皇国軍の勢力範囲は、星図を天頂方向から俯瞰して、本星を中心とした十字線によって四区域に分割されている。
北東部分が第一方面、南東部分が第二方面であり、南西が第三方面、北西が第四方面となっている。
エオニアのクーデターは第一方面から始まり、瞬く間に本星を陥落させ、第二方面も現時点ではほぼエオニア勢力下である。
残った抵抗勢力は第三方面総司令部が置かれているローム星系へと集結しつつあった。これは、エオニアが意図的に第三方面への攻撃を緩めていたためでもあったが、とにもかくにもエオニアに対抗するためには、戦力と指揮系統の集中が必要不可欠な要素である事は誰の目にも明らかだったからである。
第三方面総司令官、シグルド・ジーダマイアは数年前までは少将の地位にあり、そこから異例の早さで大将に抜擢され、現在の権力を手中にしていた。異例の出世の真相を知るものは多くは無かったが。、皇王の目の届き辛い場所で強大な権力を手にしたジーダマイアは側近を味方で固めて自らの立場を安定させると、当然の如く私腹を肥やした。
曰く、専属のコックが十人以上いる。曰く、愛人にリゾート惑星の別荘を島ごと買い与えた。曰く、大将に任ぜられてから勤務時間は減る一方だが反比例して体重は増える一方だ。
これらの噂は誇張はあるにしても、根も葉もないものではなかった。
このような権力を振るう者に人望が集まるはずも無かったが、一方でそのおこぼれにあずかろうとする者の候補は後を絶たず、結果、第三方面軍の上層部に関してはいささか歪んだものであったにしろ結束は確かに存在した。しかし、今やその結束は辛うじて細い糸で繋がっている、と言う程度にまで磨耗していた。
エオニアのクーデター直後は、比較的楽観論が第三方面軍の主流を占めていた。電撃的な作戦で本星が陥落させられたとは言え、エオニア軍の戦力はそれほど大きなものでは無いと思われていたのだ。
ところが幾度か行われた小競り合いの結果、その見通しがどうやら甘いものだった事を理解し始めた矢先にエオニア軍から発表された黒き月の存在は、第三方面軍が一方的な敗北を喫したに等しいほどの衝撃を与えた。
本当に勝てるのか、という見方はむしろ楽観的ですらあり、想像の外にあった強大な敵の出現に第三方面軍は完全に戦意を失っていた。その上、皇族の生き残りはいないといった状況を悪化させる情報ばかりが舞い込む状況であった。
むろん、降伏を主張する者も少なからずいたのだが、五年前にエオニアの暴発を扇動した張本人である第三方面軍総司令シグルド・ジーダマイアは、その意見を採用する訳にもいかず、結局出来たことは危険な情報を統制して、まずは戦力を整えると言う名目で艦隊をローム星系に集中させる事だけだった。
そうする事で、司令官の一人一人に互いを監視させ、逃亡や裏切りを防止しようと図ったのだ。
このようにして、今にも崩れそうなバランスながらも、第三方面軍は他星系からの戦力も吸収して、辛うじて統率を保っている。
近衛軍衛星防衛艦隊所属のルフト・ヴァイツェン准将が、エルシオールと紋章機、そして皇族の生き残りであるシヴァ健在の知らせをもたらすまでには、いま少しの時間が必要であった――――。
/
「そこでオイラは考えた!」
ヘルハウンズ最年少のベルモット・マティンが、コンソールを忙しなく叩いている。
母艦ケルベロスの格納庫には整備中の機体が並んでいた。先の戦闘で被った被害の修復と細かいメンテナンスを行っているのだ。
エルシオールに偵察プローブを送り込む作戦は半ば成功、半ば失敗という結果を出した。偵察プローブは見事にエルシオール進入を果たしたものの、直後クロノ・ドライブに入られ、ドライブアウトする前に破壊されてしまった為に、エルシオール内部のデータを得る事は出来なかった。
結局のところ、未だエルシオールにシヴァがいる確信は持てないままだ。
ドライブアウトする地点を割り出し、待ち伏せでエルシオールと交戦したものの、ヘルハウンズの戦闘機をトリックマスター、ハッピートリガー、ハーベスターの三機の紋章機で押し留められ、ラッキースターとカンフーファイターには包囲を敷いていた無人機を突き崩され、エルシオールに逃亡を許していた。
認めたくはないところだったが、エルシオールと紋章機の戦闘能力は傭兵達の常識と想像を超えている。相手が完全に防戦に回ったとは言え、彼らの誇るヘルハウンズが万全の状態で数の少ない紋章機を突破する事が出来なかったのだ。無人機程度では紋章機の相手にはならない事は既に周知の事実であった。
「あのインチキくさいロストテクノロジーに勝つにはどうすれば良いのか、をね」
「ほう」
ベルモットに返事をしたのは、整備を後ろで座って見ていたレッドアイだった。
「数は互角なんだよね」
「ああ、リセルヴァの指揮能力も相手に比べて著しく劣ってはいないだろうな」
本星からもたらされた情報により、エンジェル隊のメンバーの顔ぶれはヘルハウンズの知るところとなった。カミュは美しい機体の操者がミルフィーユである事を知り、ギネスは緒戦の口火を切った相手が蘭花である事を知った。同様に、リセルヴァは自分が手玉に取られた相手を、レッドアイは自らの戦い方をよりダイナミックに実現していた相手の名を意識している。
「兄貴達の腕だってあいつ等に負けてないよ!」
「ああ、そうだな」
機体操縦の腕では決して負けてはいない……、それは傭兵達にとっては譲れない矜持の部分だったのだが、そうなると彼らが勝利できない原因を機体性能に求めるほか無かった。ある程度の事実ではあっても、それをもっとも苦い思いでかみ締めていたのがベルモットだった。
誰よりも機体と長い時間を共にし、自らが整備した機体が性能の差というある意味どうにもならない部分で負けてしまう。白き月のエンジェル達、いわば皇国のエリートである彼女達に傭兵である自らの存在を否定されたような気持ちになってしまうのだ。
ごく簡単に言ってしまえば、ベルモットは不機嫌であり、レッドアイはその愚痴に付き合わされている。それが現状だった。
「それで何か思いついたのか?」
「うっ……い、いやまだ名案は浮かんでないんだけどね……」
レッドアイが口を小さく笑みの形に作る。彼がこのように愚痴に付き合っている姿を意外に思う者はヘルハウンズ隊の中ですら少なくはない。まして笑みなど見た事も無いという者が大半に違いない。
実は面倒見が良いなどという意外性のあるタイプではなく、彼は大抵の者が抱くイメージの通り、人間関係においてそれほど積極的ではないのだ。
年下の整備士兼戦友でもあるベルモットは殆ど唯一と言っていい、レッドアイが気を許している人物であり、この事は隊内で不思議に思われながらも結構有名な話であった。
特にこれといったきっかけがあった訳ではない。気が付けばこの不思議な関係が出来上がっていたのだが、例えばこんな事が以前あった。
ベルモットがまだパイロットになる前、それも整備士としてもまだ新米だった頃の話だ。
ヘルハウンズ隊はいつものように星間の小競り合いに傭兵として参加していたのだが、戦いも終盤に差し掛かり彼らの所属する陣営の優勢がはっきりしてきた。
当時の隊のメンバー達はここぞとばかりに競って出撃を繰り返して手柄を奪い合っていた。
その時には既にパイロットの一人として活躍していたレッドアイは、同じように出撃しようとして……他のパイロット数名に取り囲まれている小さな整備士に目を留めた。
その整備士はパイロット達に出撃を取りやめるように言っていたのだ。もう勝利は確定的であり、これ以上の出撃は機体に負担が大きいと言うのだ。確かに連日の連戦は機体から整備の時間と安定性を奪い去っていた。
しかし、その整備士の言葉はパイロット達に完璧に無視された。目の前に稼ぎがぶら下がっていると言うのに誰がそれを見逃す事が出来るものか。それが彼らの考えだったから。
出撃してゆく機体を唇を噛んで見つめるベルモットにレッドアイは歩み寄って肩を叩き、自らの機体の整備を依頼した。
その日出撃したメンバーの中の一人は、整備不良が原因で戦闘とはまったく関係の無いところで事故を起こして帰ってこなかった。そして、それを一番悔しがったのはベルモットだった……。
彼らの接点は無論それだけではない。
小さな体躯と格納庫をせわしなく動き回るベルモットは、心の底から馬鹿にされていた訳ではなかったけれども、からかいを込めてネズミ呼ばわりをされていた。
当たり前の事ながらベルモット本人はその呼ばれ方を気に入っていなかったのだが、ある時レッドアイとの食事の席で無口な戦友が語ってくれた物語を彼は忘れた事が無い。
曰く。
昔、あるネズミが自分の娘の婿に『世界一強い男』を迎えようと思い立った。そのネズミは世界を照らす太陽こそそれに相応しいと思い、太陽に願った。
しかし太陽はそれを否定した。分厚い雲に遮られてしまえば私の光は力を失ってしまう。雲の方が強い。
雲は語った。私は風に簡単に吹き飛ばされてしまう。風の方が強い。
風は言った。あなたの住むお屋敷の塀を見てみなさい。私が幾ら強く吹こうともびくともしない。塀の方が強い。
そして、塀は諭した。ここを見てごらんなさい。ネズミは私に穴を開けて通り道を作ってしまう。ネズミの方が強い……。
レッドアイは不器用に微笑むと、物語の最後に付け加えた。
「ネズミの牙が番犬よりも劣るとは限らん」
このように、彼ら二人の友誼は傍から見ればでこぼこコンビだったけれども、決して弱いものではなかった。
「次に戦う時には簡単には負けてやらないもんね!」
鼻息荒くベルモットが言う。
勝つと言わないあたり彼にも現在の敵味方の戦力が良く分かっているのだろう。エンジェル隊に借りを返すのは、新造の機体が届いてからでも遅くはない。その時はもう遠くはないはずだった。
「奴らは今ブラマンシュ商会と接触して補給を試みているようだ……」
「そこを叩く?」
「ああ。しかし司令官の考えではブラマンシュ商会には被害を出したくないらしい」
「なんでまた? いーじゃん、紋章機が相手じゃなかったらオイラ達が負ける筈がないんだし」
その言葉に頷きつつ言葉を繋げる。
「ここで下手に民間に被害を出すとエオニア様のこれからの統治に傷を残す……」
「うーん」
ベルモットは唇を尖らせた。
確かに納得の出来る話ではある。もっともな話でもある。ただ、面白くなかった。
そんな心情をレッドアイは読み取ったのだろう。薄く笑って言う。
「こちらの新型が届く日も近いだろう……、そうなったら勝利はこちらのものだ……」
ベルモットは大きく頷いた。これまでの機体にはもちろん愛着はあったが、やがて自分達のもとに届けられるであろう黒き月の紋章機の存在は心躍るものだった。
敵対している白き月の紋章機の強さと美しさは、既に彼らの心に刻み込まれている。
それに匹敵する機体がやって来ると聞けば、まして自分達のものになるのだから、それを楽しみに思う事は極めて自然な事なのかもしれない。
それはそれとして、ベルモットは現在の機体の整備を怠ったりはしなかった。
彼の備えは成果となって現れた。
格納庫だけではなく、ケルベロス全域に緊急警報が鳴り響いたのである。
/
きっかけは些細な通信障害だった。
補足していたはずのブラマンシュ商会のデパートシップをケルベロスのレーダーがロストした。
エルシオールの位置を特定する為に偵察に出ていた無人哨戒機からの連絡も途絶えた。
現状の報告を司令官室で受け取ったタクトは、何時になく厳しい表情でブリッジに赴いた。
「どうだい?」
ブリッジにいる時間が極端に少ない司令官がレーダーと通信を担当する兵士達に尋ねる。
「ダメですね。周辺宙域はもちろん、バージンオーク、黒き月とも連絡が取れません。どうも通信が妨害されているみたいですね」
「レーダーも同様、周辺の地形を確定させるのも一苦労です。随分と強烈な妨害ですな」
「機器の故障やトラブルは?」
その質問に二人はそろって首を振った。機器の故障では現状は説明出来なさすぎた。
かといって、では誰が何の目的で妨害を行っているのかと問われると首を捻らざるを得ない。
一番可能性が高いのはエルシオールだ。追われている彼らには妨害を行う理由が十分すぎるほどある。けれども、それが出来るのであれば最初からやっているだろう。
「ブラマンシュ商会の横槍でしょうか?」
可能性はあるように思われた。エルシオールと接触するところを襲撃されるのを恐れた彼らがこのような妨害を施したのだろうか。
タクトも考えなくは無かった。ブラマンシュ商会は軍事物資の生産、開発を行っている。しかし彼の記憶ではトルミナ星系商船団は無人艦隊に襲われていた。だとすれば、このような妨害は行えないのではないか……。
では、第三方面に集結しつつある皇国軍はどうであろうか。
これも妨害を行うに値する十分な理由はあったが、まず第一に距離が離れすぎている事、そして妨害を行うだけの余力があるのならば何をさしおいても先ずエルシオールを確保するように思われた。
「無人艦隊のオートパイロットを解除。マニュアルに切り替えて動かしてみて」
「どのようにですか?」
「ん、どんな風にでも良いよ。ちゃんとこちらの指示通りに動くかどうかを確認したいんだ」
「了解」
宇宙空間において通信とレーダーが封じられる事は目と耳を塞がれるに等しい。
歓迎できない事態ではあったが、この時点では兵士二人にはそれほどの緊張は無かった。
直前まで周辺宙域にはなんら異変は無かったし、もし近くに敵がいたとして周りには味方の無人艦隊がいる。そう簡単に危機的状況に陥るとは思えなかったのだ。
しかし、二人は普段のほほんとしている司令官がいつになく厳しい表情を見せている事を感じ取り、自然と頬を引き締める。
この時タクトは「嫌な予感」を感じていたのだ。胸の奥がざわつくような、なんとなく嫌な感覚。
タクトの「嫌な予感」は過去幾度と無く的中してきた本人にとってはありがたくない特技だった。こんな時は大抵ひどく都合の悪い事が起こるのだ。
考えようによっては、それが事前に分かるのだから備える事が出来ると言えなくはないのだが、何が起こるのか具体的に分かりはしないのだし、毎回何かが起こった後で「ああやっぱりか」と思う事の方が圧倒的に多い。タクト自身、嫌な予感がを便利な特技だと考えたことは一度も無かった。
「あれ……?」
無人艦隊に通信を送っていた兵士が声を上げる。
「変だな、反応が無い……」
無人艦隊との距離は短い。いくら優れた通信妨害でもこちらにまったく察知させることなく、無人艦とケルベロスの通信を封じ込める事など出来るのだろうか。
タクトは考え込み、やがてひとつの指示が彼の唇から放たれた。
「緊急警報発令、総員第一種戦闘配置だ」
「……は?」
それまで機器に向かっていた二人が振り向いて司令官席のタクトを見る。
言葉の意味がとっさには理解できない。
戦闘配置。戦うための準備。戦闘を行うとして、誰と――――?
司令官はもう一度繰り返した。
「緊急警報発令、総員第一種戦闘配置」
その指令は今度こそ実行に移された。
格納庫にいたベルモットとレッドアイは他のメンバーに先駆けて機体に乗り込むと、すぐに宇宙空間に飛び立った。
幾多の戦場を駆け抜けてきた彼らは瞬時に肌で感じ取る。これは、戦いの感覚だ、と。
ピリピリするような緊張感が身体を走る。
大型戦闘機のレーダー機器の反応も思わしくなく、単なる機器の故障とは違う妨害の存在をうかがわせた。
しかしそれでも周りに敵の姿は確認出来ない。味方の無人艦隊をの艦影が見えるのみである。
「二人とも油断しないでくれ」
通信機から流れてきたのはタクトの声だった。
「一体何が起こったんだ……?」
「分からない」
突然緊急発進を命じられたレッドアイの疑問にタクトは簡潔に即答した。
それは彼を満足させる答えではなかったけれども、何故だかそれを不満には思わなかった。
何が起こったのか分からない。何が起こるのかも分からない。そんな状況下で大げさともとれる緊急発進だったが、彼は司令官の判断が間違ってはいない、と考えたのだ。
「ケルベロスはこれよりこの宙域を離脱する。ヘルハウンズはケルベロスの周辺で待機、警戒を頼むよ」
「了解」
ケルベロスが動き始めると、変化はすぐに起こった。
人間に例えるなら、抜き足差し足といった風に静かに動き出したケルベロスに呼応するように無人艦隊も動き出す。
無人艦隊は当然自動操縦となっているので、それ自体は不思議ではないのだが、この時の無人艦隊の動きは異質だった。
ゆっくりと、けれど確実にケルベロスを包囲してゆく。また一方でケルベロスの進路を塞ぐように艦隊が編成されていった。
この動きはベルモットとレッドアイ、そして送れて出撃してきたヘルハウンズのメンバーからも見て取ることが出来た。
リセルヴァが呟く。
「どういう事だ、これは」
これではまるで……。
リセルヴァだけでなく他のメンバーもそう考えたところで、何よりも明確な答えが示される。
ケルベロスの後背に食らい付いた駆逐艦が攻撃を開始したのだ。レーザーの槍が宇宙空間を突き刺し、まばゆい閃光を放つ。
この攻撃を半ば予想していたヘルハウンズ隊は回避に成功する。
しかしもしかしたら、と考えてはいても実際に攻撃された衝撃は小さなものではない。何故味方の筈の無人艦隊から攻撃されなければならないのか、その理由は見当もつかない。
けれども現実に無人艦隊はヘルハウンズ隊を包囲して、しかも攻撃をしかけてきた。この期に及んでその理由を悠長に考えていたら、それはすぐにでも敗北に繋がる事を傭兵達は知っていた。
考える事は後からでも出来る。今は目の前の現実を見ろ、そうでなければ考えるべき「後」を手に入れる事は出来ないぞ……。彼らは自身に語りかけた。
傭兵達にとって敵とはすなわち自分達に攻撃を仕掛けてくる者である。
彼らが攻撃された衝撃から立ち直るまでの時間は長くはなかった。
「タクト指令、『敵』はこちらを包囲しにかかってきているぞ。どうするんだ?」
ことさらに敵を強調した言葉はリセルヴァが放ったものだった。彼はそうやって現実を強く認識させなければタクトから有効な指示が引き出せないと思ったのだ。貴族上がりの軍人がこのようなイレギュラーな事態に即座に対応するのは難しいように思われた。
しかしタクトからの返事はすぐさま通信に乗ってやって来る。
「もちろん尻尾を巻いて逃げ出すさ」
司令官のこの言葉はさすがにこれまで以上の疑いの目を持って迎えられた。
その指令がその場しのぎのものではないのか、司令官は想像外の出来事に冷静さを失っているのではないか。その可能性を否定できる者はいなかった。
だがタクトは続ける。
「何が起こったのか、これからどうするのかは逃げ切ってからのんびり考えよう」
一瞬の空白があって。
「タクト指令も人が悪いですなぁ」
レーダー兵がもらした言葉はヘルハウンズ隊のほとんどのメンバーの心情を代弁するものだった。
タクトは事態の当初こそ何が起こるか分からない不安を感じていたものの、実際に事が起こってしまえばあとはそれに対処するだけさ、と腹を決めていた。自分に出来ること、しなければならない事を落ち着いて考えてゆく。
そうこうしている間にも無人艦隊の攻撃は続いている。
二撃、三撃とレーザーがケルベロスと戦闘機の間近を貫く。
「くっ」
今はまだレーザーの密度が低くなんとか避けてはいるが、包囲網が完成してしまっては最悪の事態すら考えられる。
「どうするんだい、指令?」
カミュが彼にしては珍しくタクトに指示を求めてくる。
「うおおおおおっ、これはちょっとヤバイぜええええええっ!!」
ギネスの咆哮。
「ちぃっ」
リセルヴァの端正な口元から放たれる舌打ち。
彼らにも焦りはあった。そんな心情を察してか、タクトはことさらに落ち着いた口調で返す。
「大丈夫、心配しなくて良いよ。なんとかなるんじゃないかな」
言って高速リンクシステムを使ってヘルハウンズに指示を出してゆく。
「……大丈夫なのか?」
タクトがヘルハウンズの指令になってからの戦いはその全てがエルシオールの追撃であった。敵紋章機の性能は驚異的ですらあり、今だに勝利は得られていないが、それでもその戦いは自分達に有利なものだった。
劣勢での戦闘指揮は実質的に初めての事だったから、その言葉ももっともだ。
それでもタクトはむしろ笑みすら浮かべて言った。
「うん。実はオレ、戦って勝つ事よりも戦って逃げる事の方が得意なんだよね」
あくまで余裕を崩さないタクトの態度は次第に隊全体に伝わっていった。
「じゃあ指令のお手並み拝見といこっかなー」
突出してきた駆逐艦にミサイルを叩き込みながらベルモットが笑う。
「まずは包囲網の突破だな。方向はどちらだ?」
リセルヴァの落ち着きを取り戻した声が通信に乗ってケルベロスへと流れてきた。
タクトはそれだけでリセルヴァの意図を察した。火力を集中させての一点突破。まだ完全に包囲されたわけではなかったが、事態は一刻を争う。まずはこの状況を脱する事が先決だった。
「十一時の方向に火力を集中、全速力で包囲を突破する。後ろには構うな!」
タクトの鋭い声。
ヘルハウンズの大型戦闘機が勢い良く無人艦隊に牙をむいた。
壁を作るように布陣する艦隊に猪突して行ったのは例によってギネスだ。
「うおおおっ、遅い、遅い、遅い、遅い、遅いぞおおおおおおおお!」
真正面から向かってくるミサイルを交わし、レーザーと交差し、敵艦に突っ込んですれ違いざまにガトリングを叩き込む。
壁を突き抜けたギネス機の背後で爆発が起こる。ギネスは機内で拳を突き上げた。
「見たか、蘭花・フランボワーズ!!」
「ふん、知恵も無く餌に群がる釣堀の魚が」
リセルヴァは三隻の駆逐艦を相手にしていた。自分からの攻撃は最小限に、そして相手の攻撃を有効射程ぎりぎりのところで捌きながらじわじわと引き付ける。そして。
「今だ、ベルモット!!」
「りょうかーい!」
ベルモットの横撃が縦に伸びて無防備な艦列に直撃した。
混乱を見逃さず、リセルヴァも反転してさらに攻撃を加え、無人艦を沈黙させてゆく。
「ふん、こんな見え見えの餌に釣られるなんてな」
無人艦隊もヘルハウンズの横っ腹を食い破ろうと艦隊を進めていた。
その前に立ち塞がるように大型戦闘機が姿を現す。圧倒的な圧力を持って迫ってくる敵艦を前にしてコックピットで余裕の笑みをもらすレッドアイ。
前方に現れた邪魔を排除するべく無人艦隊から攻撃放たれる。
レッドアイはほとんどその場を動かない。殺到する攻撃がシールドに叩きつけられる。それらの攻撃を紙一重で見切り、最小限の動きで致命傷だけは避けてゆく。
「ぬるいな……」
無人艦との距離が狭まる。
「教えてやろう……攻撃とは、こうするんだ……」
レッドアイ機から極太のレーザーが射出され、今まさに攻撃を放とうとしていた無人艦のレーザー発射孔に直撃した。たった一度、たった一発。その攻撃は敵艦を宇宙の塵に変えた。
「……ふ」
カミュはタクトの指示に従っていなかった。
彼は前方の戦況が有利なのを見届けるとすぐにケルベロスを追って迫ってくる後方の艦隊に向かって行ったのだ。
「さあ、君たち。ボクの華麗なる舞を見せてあげよう!」
言葉通り、それはまさに舞と表現しうる戦いぶりだった。
降り注ぐ光はスポットライトのようで。
しかしスポットライトですら追い切れない程にダンサーの動きは激しい。
リズムに乗って戦闘機は舞う。
「ふふふ、まるでピクシーのようだね……ああ、美しい!」
飛び回る小妖精に眠りの粉を撒かれたのか、無人艦の動きは鈍い。
ケルベロスが距離をとるだけの時間を、カミュはたった一人で作ってしまった。
それを確認してカミュも機体を翻す。
「残念だ、アンコールには応えられないよ」
「想像以上だな、これは」
ヘルハウンズの戦いぶりをブリッジで眺めていたタクトは呟いた。
かつて彼らと敵対していた時も強大な敵だとは思っていた。しかし、タクトとエンジェル隊は辛うじて勝利を得る事が出来たが、負かした相手という事でヘルハウンズを過小評価していたのかも知れない。それほどまでに彼らの戦いぶりは幾多の戦いを経験してきたタクトから見ても傑出したものだったのだ。
一人一人の技量の高さはあるいはエンジェル隊以上のものなのかもしれない。
そんな事を考えながらも次の指示を出す。
「クロノドライブの準備が出来次第ヘルハウンズを収容」
「クロノドライブで逃げても、多分すぐに追いつかれますよ」
それは指令官の指示に反対したものではなく、事実を一応確認するという意味合いが強かった。
タクトもそれが分かっていたから、軽く笑って頷く。
「うん。それも考えてあるよ。クロノドライブのドライブアウト先をここに設定してくれるかな」
そう言って指したドライブ先は、ブリッジのメンバーにとっては何の変哲もない宙域のように思われた。
レーダー担当の士官が最初に気づいて眉をひそめる。
「指令、ここは……」
続いて通信兵が身体ごと振り返る。驚きの為か声が上ずっていた。
「ここはエルシオールが航行している宙域じゃないですか! ドライブアウト先でかちあってしまいますよ!?」
彼の言葉はその危険性を十分以上に認識した説得力のあるものだった。
司令官の不自然なまでの落ち着きが伝わって冷静さを取り戻していたブリッジがにわかに泡立つ。
やっぱりそういう反応になるよなぁ、と心の中で呟いてタクトはゆっくりとブリッジを一周見回した。しかし実際のところ他に手が無いんだよね、ともう一度呟いたところで視線が真正面を向く。
「確かに、危険は大きい。最悪挟撃されてしまうしね。でもいまのところエルシオールを巻き込んで乱戦に持ち込むしか手が無いんだ。『敵』に追いつかれて数で押し切られる前に何とか事態を打開したい」
彼にしては珍しく細かに自分の考えを言葉にした、と言えるだろう。
普段は有能な副官が言わなくても理解して、実行してくれていたのだから。
自分ひとりでは難しいものだな、とタクトは思う。一緒にいるときからレスターの存在と力量の大きさは認めるものではあったが、こうして彼無しで指揮官をやらなければいけない事態になると、まるで片手片足をもがれたような不自由さを感じてしまう。
やはり英雄タクト・マイヤーズにとって、レスター・クールダラスは無二の存在なのだ。
「敵の敵は味方、という訳ですか」
機器を操作しながらのレーダー兵の言葉には、心の中でそうなると良いね、とだけ答えた。
タクトもこの時は万全の自信があった訳ではなかった。
/
ヘルハウンズ隊が無人艦隊との戦闘を強いられていた頃、紋章機を輸送中のステノ級高速戦艦バージン・オークも同様に混乱に包まれていた。
バージン・オークはケルベロスと同じく有人艦で、数個艦隊の無人艦の指令旗艦でもあるのだが、この時は紋章機を輸送するスピードを最優先にしていたため、単艦で航行を進めていたのだが、先ず接触間近だった輸送先であるヘルハウンズ隊との通信が途絶。次いでバージン・オークに遅れて第三方面に向かって航行していた黒き月との通信までも途絶してしまったのだ。
すでに通信途絶から半日以上が経過しているが、今のところ通信が回復する兆しは無い。
シェリーは判断に迷っていた。
ヘルハウンズ隊との通信の途絶に関しては、何らかのトラブルがあれば十分に考えられる事態であった。エルシオールとの戦闘状態に入れば通信が途切れるという事もあるだろうし、最悪敗れて撃沈されれば通信が完全に途絶するという事も考えられなくはない。しかし黒き月との通信までもが回復していないというのは、通常ではありえない事だ。
シェリーが最優先で考えたのはもちろんエオニアの安全だ。これまで幾度か感じられたノアに対する嫌な感覚が身体から離れない。自分が傍にいない今、もしエオニアの身に何かあったら……。考えるだけでもおぞましい想像だが、彼女はどうしてもその考えを捨て切れなかった。
では艦を翻して戻れば良いのか。
シェリーもそれは一番に考えた。考えたが、何が起こったのか分からない今動くのは危険だと彼女は判断し、味方であるはずの無人艦隊とも距離をとって小惑星帯の中に身を潜めたのだ。結果的にこの判断は最良のもので、もしむやみに艦を動かしていたとしたらたちまち敵と化した無人艦隊の餌食になっていただろう。
とは言え、何が起こったのか、そして肝心のエオニアの安否も把握できない時間はシェリーを酷く苛立たせたのも事実で、彼女は偵察に出た哨戒機の帰還を一日千秋の思いで待ち望んでいた。
哨戒機が戻ってきたのはさらにそれから半日後、通信が原因不明の途絶状態に陥ってからほぼ丸一日後の事だった。
偵察に出ていた哨戒機は二機で、まず戻って来たのはヘルハウンズ隊がいるはずの方角を偵察してきた方だったが、距離も黒き月が航行している筈の方面に向かったものよりも近かった為、それ自体は当然の事で驚きも無く迎えられた。
だがその驚きも無く戻ってきた哨戒機のもたらした情報は大きな驚きをもって迎えられる。
ヘルハウンズ隊と無人艦隊が戦闘を行っているというのだ。驚くなというのは無理な注文だろう。
シェリーはここでひとつの判断を迫られる事となる。
本来なら共にエオニアの味方であるはずの無人艦隊とヘルハウンズ隊が戦闘しているというのだ。つまり、どちらが、エオニアの敵なのか……。
ヘルハウンズ隊はどうか。彼らは金で雇われた傭兵だ。より大きな金額で裏切るという事は考えられるのではないだろうか。
考えてシェリーは首を振った。
ありえない話ではないかもしれないが、金で雇われた傭兵だからこそ、裏切りなどという不名誉な行為はしないのではないか、とも思えた。ましてや、今エオニアの下にいるのは名だたるヘルハウンズ隊である。簡単に裏切る傭兵など、誰が雇うというのか。信用というものは傭兵にとって決して軽んじていいものではないはずだった。
そう考えると、シェリーにとって考えたくはないが、今彼女にとって、そしてエオニアにとって『敵』と呼べる存在なのは無人艦隊……そして黒き月なのだろうか。
シェリーは今すぐにでも艦を動かしてエオニアの下へ馳せ参じたい衝動にかられた。
状況が分からないまま動くのはかえって危険だ、との思いと、今動かなくて手遅れにでもなったら悔やんでも悔やみきれないぞ、との思いが交錯する。
なんと言っても、今エオニアの傍にはノアが、そして黒き月があるはずなのだ。もし黒き月が『敵』になっていたとしたらエオニアに降りかかる危険の大きさは計り知れない。
エオニアの傍から離れてしまった事を、この時ばかりはシェリーは本気で悔やんだ。
今の時点ではまだ黒き月が裏切ったと断言は出来ないかもしれない。けれどその疑惑はシェリーの中で確実に芽を出し、養分を得て大きく育っていった。
そして二機目の哨戒機が戻る事によってもたらされた情報は、疑惑の芽を確信の大木に変えるだけではなく、とてつもなく大きな衝撃を与えた。
その知らせを報告書の形で受け取ったシェリーはあまりの衝撃の大きさに直立していた姿勢を維持できず、目を見開いてよろめいた。
哨戒機が捕らえた、黒き月が航行している宙域付近で流れている通信が伝える内容。
すなわち、トランスバール皇国第十四代皇王エオニア・トランスバール、行方不明の報である――――――。