〜ムーンエンジェル隊所属 烏丸ちとせ中尉の日記より抜粋〜

 

 

 

皆さんの行方が知れなくなってから、もう半年にもなる。

タクトさん、そしてエンジェル隊の先輩方が私の前から姿を消した、あの事件からもう半年。

そう、『姿を消した』。ただそれだけ。……あの激しい戦いを共に駆け抜けたタクトさん、それに先輩方がそう簡単に死んでしまう筈がない。

私にはとてもそんなことは信じられない。信じたくない。 

あの時、皆さんは私に「大丈夫、きっとまた会える」と、そう言ってくれた。

今もきっと何処かで生きている。その言葉を信じて日々の任務をこなしながら、皆さんの行方を追ってきた。

しかし、依然として手がかりになりそうなものは見付からない。もしかして本当に……。

 

……いや。私がこんなに弱気になってしまっていけない!

 

そうだ、私はもう一度。

いや、これからもずっと……

 

ミルフィー先輩の作ったケーキが食べてみたい……

蘭花先輩の占いを聞いてみたい……

ミント先輩の淹れたお茶を飲んでみたい……

フォルテ先輩と一緒に訓練してみたい……

ヴァニラ先輩と一緒に動物達と遊んでみたい……

 

そしてタクトさん……

あなたに今すぐに会いたい。

 

まだ皆でやりたかったことが沢山ある。

 

だから……。

 

先輩、タクトさん……皆さんは私が必ず、見つけ出してみせます。

 

絶対に……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“ヴァル・ファスク”との決戦から一年と数ヶ月。

 

決戦の傷痕も癒えつつあるこのトランスバール銀河にて、またも不可解な事件が続発していた。皇国艦隊、果てはEDENの艦隊もが次々と謎の失踪を遂げるという事件だ。

まるで過去の大戦時に起きた出来事をそのまま再現しているかのような……。その事件は星域を問わず、非常に広範囲で頻発しており軍部も真相の究明に右往左往していた。

誰もが思った。「もしや“ヴァル・ファスク”の生き残りが……?」と。

――確かに“ヴァル・ファスク”の艦隊はまだ壊滅したと、はっきりとは言い切れない。あの決戦で最高指導者ゲルンを討ち果たしたものの、暫らくの間は残存兵力による抵抗が続いていたのだから。

だが、ある日を境として唐突に『彼らの姿が消えた』のだ。

一体、何が起きたというのか? 反撃の機会を窺っているのか。それとも、本当に滅びたとでもいうのか。その事実は、まだ誰にも分からない。

 

やっと訪れたかに見える平和の裏側に過ぎる不安。

事態の究明に乗り出した皇国軍は、現状で皇国が持つ最強の戦力――銀河をも救いし無敵の翼。

「彼女達」に、その調査の特務を下す。

 

そして……。

 

新たな戦いの幕がここに開く……。

 

 

 

 

 

 

Eternal  Angels

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トランスバール銀河。無限の星々が煌めく広大な宇宙空間。その星の海を進み行く一隻の艦がそこに在った。

艦の名は「エルシオール」。過去二度に亘る災厄。更には、銀河の命運を賭けた“ヴァル・ファスク”との決戦で、トランスバール銀河、果ては全銀河中の人々と平和を守り抜いた栄光ある艦である。現在は謎の失踪事件の調査の為、トランスバール本星よりやや離れた位置にあるグシオス星系を航行している。

そのエルシオールに、先の戦禍にて目まぐるしい活躍を果たした、『銀河を駆ける光の翼』ムーンエンジェル隊が駆るエンブレムフレームこと、6機の紋章機も同行していた。

果ては、EDENの宙域からトランスバール銀河の果てまで。更には“ヴァル・ファスク”との決戦に及んだヴァル・ヴァロス星系まで。調査の旅はもう2ヶ月にも及んでいた。現在位置しているこの星系が失踪事件の起きた最後の地点だ。

先ほどからこの星系に関しても、くまなく捜索しているのだが、これといったような事件の形跡は一向に発見できずにいる。

艦内のクルー達にも疲労が見え始めてきたころ、エルシオールの司令官、タクト・マイヤーズが呟く。

「こんなにも暇でやることがないと、何だかウトウトしたくなってくるねぇ……」

「お前はいつだってそんなことばかり言っているじゃないか。……まぁ、確かに何も見付かりはしないが……」

と、彼の副官にして腐れ縁の友人。レスター・クールダラスがそんなタクトを軽く諌める。

「これだけ探しても見付からないんだから、この星系にももう目ぼしいものは無いのかな。一応、心配していた戦闘行為を行うようなこともなかったし。確かに事態は深刻だけど、艦内クルー達にも疲れが目立ってきている。全ての星系を周りきったことだし……一度、本星に帰還しようか。……エンジェル隊の皆、聞こえるかい?」

タクトがエンジェル隊に呼びかける。すると、

「はぁ〜い。聞こえてますよ〜」

GA001「ラッキースター」のパイロット、ミルフィーユ・桜葉が無邪気な笑顔を浮かべて元気に答えてきた。

「そろそろ本星に帰還しようと思うんだ。だからそれまでの間、もう少しだけ警戒を続けていてくれないか?」

タクトが言うやいなや、ミルフィーユとは別の、気の強そうな少女が快活な声で、

「やぁ〜っと、本星に帰れるのね〜。こっちはもうずっと紋章機のシートに座りっぱなしで疲れちゃったわよ!」

と、会話に割り込んでくる。GA002「カンフーファイター」のパイロット、蘭花・フランボワーズだ。

「まぁまぁ、そんなに怒鳴らないでくれよ、蘭花。その気持ちは俺も一緒さ。本星に帰ったら1日だけだけど、休暇が用意されてるんだからさ。これだけの間、旅を続けていたんだ。一日くらいはしっかり休んでおかないとね。……あ〜、早くのんびりしたいもんだよねぇ」

「そうだよ〜、蘭花、あんまり怒るとシワが増えるよー」

と、無邪気な笑顔でミルフィーユ。

「……ミルフィー、アンタいきなり何てこと言い出すのよ! っていうか、増えるって何よ! 増えるって!? 元々アタシにはそんなモン無いわよ!」

笑顔でやたらと失礼な言葉を放つ親友に対し、さも心外だというように言葉を返す蘭花。

「え〜……でもこのセリフ、この前蘭花が私に貸してくれた漫画に出てきた男の子が言ってたんだよー」

「でも……じゃないわよ! 大体ねぇ、アンタ! あの本は『愛と感動の涙なしには語れないハートフルロマンス恋愛大巨編』と銀河に謳われた、それはもうステキな恋愛バイブルだったにも関わらず、その本読んだ感想を……ヒロインの女の子が男の子の為に徹夜して作ったチョコレート美味しそうです〜、食べてみたいです〜、……とかぬかしてロクに内容も覚えてなかったくせして、どうしてそんなどうでもいいことばかり覚えてるのよ!」

「あ、『愛と感動の……』って何だか舌噛んじゃいそうだねー」

「人の話を聞けー!」

「わーん、蘭花が怒った〜!」

響く蘭花の怒声に、慌てふためくミルフィーユ。いつもの二人のやり取りを尻目に、タクトの下に新たな通信が入る。

「のんびりしたい、と言いつつタクトさんはいつもそのような感じで過ごしていらっしゃるではありませんか?」

と、指摘してくるのはどことなく上品な笑顔を浮かべる少女。GA003「トリックマスター」のパイロット、ミント・ブラマンシュであった。

「いやいや、そんなことは無いさ。ミント、俺はいつだって真剣に職務に励んでいるよ」

タクトが、彼にはあまり似合っていない、顔をキリッと引き締めたような表情でそう言う。

「……そのように、普段お見せにならないような顔で言われても説得力なさすぎですわよ、タクトさん」

 そんなタクトの言葉は、しれっとかわされ、

「まぁ……今回、休暇を頂けるということは、私にとっても嬉しいことですけれども。流石に今回の長旅は疲れましたわ。ねぇ、ヴァニラさん?」

ミントに話しかけられた少女。その静かな表情に、優しい微笑みを浮かべ、

「はい。……動物達とたくさん遊べます」

そう答えてきたのは、GA005「ハーベスター」のパイロット、ヴァニラ・Hだ。

「まぁまぁ、ミント。そこが我等の司令官殿の良い所でもあるんだからさ」

続けて語りかけてくるのは、GA004「ハッピートリガー」のパイロットにして、エンジェル隊のリーダーでもある、落ち着いた大人の雰囲気にそれとは不釣合いな程豪胆な性格の笑みを浮かべた女性、フォルテ・シュトーレンだった。

そこにミルフィーユとの言い合いを終えた蘭花が参加し、

「フォルテさん、どうしちゃったんですか? タクトなんかの肩持って」

と言い放ち、同時に「タクトなんかって……」と、軽く肩を落とす司令官。

「まぁ、今のあたしには本星に着いたら、久しぶりにガンショップと美味いおでん屋を梯子しまくるという崇高な目的があるからねぇ。すこぶる機嫌がいいのさ」

力強い笑みを浮かべながら、フォルテが言う。

そこに、今まで事の成り行きを見守っていた6人目の少女――GA006「シャープシューター」のパイロット、烏丸ちとせが、

「蘭花先輩。あの、ですね……。今のような言い草はどうかと思うのですけれど……。一応、私達の上官なのですから、もう少し言い方というものが……。もしかして、先輩はタクトさんのこと、お嫌いなのですか?」

おずおずと言葉を紡いでくる。

「ちょっと、ちとせ。こんなの冗談に決まってるでしょう? 時にはこんなユーモアも交えながら、アタシ達の信頼感も増してくってもんなのよ、多分」

「……多分では困ります」

と、ヴァニラがツッコミを入れる。とりあえずそれは無視して蘭花が続ける。

「それにアタシ達がタクトのこと嫌いなわけないでしょう? まぁ〜……アレよ、一応、好きよ……アタシは……こいつのこと」

どこか照れくさそうに、そう言う。

「あ、冗談だったのですか……! すみませんっ! 私ったら、また早とちりを……。あぁ〜、でも……」

「でも?」

蘭花が返すと、ちとせは顔を赤らめながら、少しもじもじとした素振りを見せながら、

「いくら蘭花先輩が、タクトさんのことを好きだとしても……あのその、私とタクトさんは近々将来を誓い合う予定ですので……そろそろ実家にも挨拶に来てもらおうかなと思っていますし……その、いくら先輩といえどもタクトさんをお渡しするわけには……」

などと言い放つ。

一瞬、微妙な空気が流れ……と言っても、その話題に上ったタクトは平然と構えているのだが。

「はぁ!? ちょっと! ちとせ! アンタ、イキナリ何てことを言い出すのよ!!」

突然のことに、驚きからか軽く声を裏返らせながらも蘭花が叫ぶ。ちとせはちとせで、その蘭花の威勢に、きょとんとしながらも、

「え? ですから実は蘭花先輩がタクトさんに対して好意を持っていて、それを告白なさったものですから、てっきり愛の泥沼三角形が出来上がってしまうのかと……」

と、ポツポツと壮大な勘違いを言葉にしていく。

「なっ! 確かに『好き』とは言ったけど別に変な意味じゃないわよ! まぁ、その……いわゆるオトモダチってやつよ、普通の!」

心なしか、少しムキになりすぎのようにも思えるが、そのまま蘭花は続ける。

「大体、いくらアタシだって人様の男を盗ろうだなんて思わないわよ」

ここに至ってちとせは、はっ! としたように慌てた様子で。

「そうだったんですか……。ごめんなさいっ! 私ったら、また……」

「えー、蘭花って泥棒さんだったんだぁ。ダメだよ、悪いことしちゃ」

「ウガー! もう、違ぁぁぁぅう!!」

心の底からそう叫ぶ蘭花であった。

 

そんなやり取りの中、

「全く、ちとせも見せ付けてくれるねぇ……。最初の頃はあんなに初々しかったてぇのにさ。いやはや全く、若いってのはいいやねぇ」

「……過ぎ去った過去」

一人ごちるフォルテに、ポツリとヴァニラ。

「ちょっと、ヴァニラ? 今、何か聞き捨てならないことを言わなかったかい?」

「……気のせいです」

やはり静かな表情でヴァニラ。

「あらあら、何だか面白いことになってきましたわね」

騒動から一歩引いて、ミントが呟く。

「何だか収拾がつかなくなってきたなぁ」

そんな中、あくまでも能天気にタクトも呟いたのであった。

 

 

 

……そう、エルシオール司令官ことタクト・マイヤーズと、エンジェル隊員、烏丸ちとせは今や公認の(?)ラブラブカップル!

過去に皇国を襲った大いなる災いとの戦いの中、彼らは出会い、信頼しあい、強敵に打ち勝ってきた。幾多の困難を共に乗り換えた、両者の間に特別な感情が生まれるにはそう長い時間は必要なかった。

 

――烏丸ちとせ――。その顔に凛とした表情を浮かべ、時に柔らかに微笑みかけてくれる。そんな彼女の笑顔も、風に揺らめく爽やかな黒髪も、真面目すぎるゆえに巻き起こすちょっとした失敗も、その時の慌てた姿も、全てがタクトにとってはかけがえのないものだ。

どんなことからも、彼女を必ず守ってみせる。タクトはいつも、その思いを心に秘めていた。

これからも、ずっと。例え、運命が二人を分かつことになったとしても……。

そう、いつまでも……。

 

 

 

「ねぇ、ちとせ?」

今も好き勝手に騒ぎあうエンジェル隊。その喧騒を掻き分けて、タクトの言葉にちとせが聞き返す。

「はい。何でしょう?タクトさん?」

「楽しみだね、今度の休暇」

そう言うタクトの顔には、いつも通りの屈託ない笑顔が浮かんでいる。

「はい! とっても!」

ちとせも元気に答える。そんな二人の間には、笑顔と共に言葉尻にも今度の休暇が楽しみで仕方がないという気持ちが如実に表れている。

 

そう……今度の休暇では久しぶりにタクトとちとせはデートをするのだ!

 

最近、任務続きで二人きりの時間を全く取ることができなかった、そんな恋人達にとって、今度の休暇は待っても待ちきれないほど、楽しみな出来事なのである。

そんな二人の間の甘い空気を察したのか、他のエンジェル隊員騒ぐのを止め、二人に注意を向けている。

「あ〜、ゴホン! 二人とも……今はまだ任務中だからねぇ」

「そーそー、イチャつくなら私たちのいない所でやってもらえないかしら〜?」

「まぁ、私は一向に構わないのですけれど。それはそれで面白いですし」

「……アツアツ」

「え、ヴァニラ? 一体何が熱いの〜?」

とてもさっきまで好き勝手に騒いでいた人間の言葉とは思えない。

「べっ、別に私達、その、イチャついてなんか……」

「はいはい。」

半ば、諦めたかのような様子の蘭花の言葉。

「ただ、二人の愛を深め合っているだけです!」

「一緒だっつーの!」

すかさずのツッコミ。

これじゃあ、また騒ぎになりそうだなぁ、とタクトがそう思った時。

 

「お前達!! いい加減にしろッ!」

 

突然、ブリッジにレスターの怒鳴り声が響く。

心なしか顔色が悪い。また胃でも傷めたのだろうか。

「まだ、任務は継続中なんだぞ! まったく、タクトもタクトだ! 早く本星に帰りたいのなら、さっさとクロノドライブの指示を出せ!」

「ごめんなさい……」

まるで鬼神の如く怒鳴り散らすレスター。このまま放っておくと彼の頭の血管がブチ切れてしまいそうに思えたので、タクトは素直に謝ることにした。

これ以上レスターの機嫌を損ねない内に早速、タクトはオペレーターのアルモとココにクロノドライブの指示を出す。

「えーっと、それじゃあ、ドライブ先はポイント……」

 

 

 

――その時。突然『それ』は起こった。

 

 

 

 

 

 

ズウゥゥゥゥゥン!!!

 

クロノドライブの準備に入ったエルシオールを突然の衝撃が襲った!

まるで、見えない力に艦全体が揺さぶられているような――。激しい衝撃と振動が乗組員達の平衡感覚を狂わせる。

「きゃあっ! 何なのよ! 地震!?」

「いえっ、ここは宇宙空間ですのよ! 地震なんて起こるはずが……きゃっ!」

「くそっ! 一体何だって言うんだい!?」

「何かの危険な意……思を感じます。……っっ!」

「この状況は普通ではありませんっ!」

「うわわわぁ〜! 頭がグラグラするぅ〜」

エンジェル隊の各メンバー達も各々の言葉からも、彼女達もその突然の事態に困惑していることが見て取れる。

その間にも艦を襲う衝撃はその強さを増していき、激しい震動がエルシオールを揺さぶり続ける。

「くっ、一体何が起きているんだ!」

「アルモ! ココ! 状況を説明しろっ!」

いつ終わるともしれない鳴動の中、アルモとココが必死に状況を説明する。

「突如、本艦の周囲に正体不明のエネルギーの流れが出現っ!」

「そのエネルギー流はエルシオールを取り囲むようにして、発生していますぅ!」

その言葉を受けてタクトはすかさずブリッジの外に目を向ける。上下左右に揺れる視界の中に、ついさっきまでは存在していなかった、色とりどりの光の流れが激しく荒れ狂っているのが見てとれた。

今、エルシオールを襲っている不可解な現象は、この光の奔流たちから引き起こされているのだろうか。

いや。……光の流れ――というよりはもっと生物的な物。言うなれば、まるで何かの触手のようなものが蠢いているようにも見えるのだが……。

だがしかし、行く筋にも伸び渡るその光の流線はそれが一体、何であるのかを判別する隙も与えずに、エルシオールに『絡み付いて』きた。

「くっ! 一体アレはっ……!?」

タクトがそう呟くやいなや不意にして、ブリッジ内を非常ブザーのサイレン音が駆け巡った。

「今度は一体、何なんだ!?」

苦々しくそう言い放つレスター。非常ブザーの警報がけたたましく鳴り響き、紅く明滅するブリッジにアルモとココ、二人のオペレーターの叫びが響く。

「えっ!? 制御不能って!? そんな……なんでいきなりっ!!」

「どうしたんだ、状況は正確に報告しろ!」

レスターの檄が飛び、

「操舵システム、迎撃システム、艦内指令システム……あらゆるシステムが急にこちらからの制御が不能に……!」

オペレーター達の切羽詰まった返事が返ると共に。

 

フオオォォォォン……

 

静かな音ともに各部の出力が低下する。

「! 何が起こった!?」

「そんな!? クロノストリングエンジンが停止!?」

「航行不能です!」

「これはあの時と同じ? まさか、あの光がこの現象を……」

タクトの呟く通り、今エルシオールを襲っているこの状況は以前、黒き月や“ヴァル・ファスク”の巨大艦『オ・ガウブ』と戦った時と全く同じ状況だった。

通信機能、センサー類はまだ生きているようであるが……この状態ではどうすることも出来ない。

 

これでは本当にあの時と――。

 心によぎった、そんな思いを振り切るかのようにタクトはすぐさま。――エンジェル隊へと連絡を取る。

 

「エンジェル隊、聞こえるか!?」

どうやら通信は通じるようだ。

「紋章機はどうなっている!」

「タクト、落ち着きな! こっちはちゃんと聞こえてる。あたしらの紋章機のシステムには何の問題もないみたいだ。状況はこちらでも把握した……とは言い難いが、まったく、なんだって言うんだい。いきなり無粋な真似をしてくれるねぇ」

「それにあの光の束、何だか気味が悪いわ!」

「一体、なんだというのでしょう? 油断は禁物ですね……」

「ふぇ〜、何だか怖いかんじがします〜」

「……何か、とてつもない悪意のようなものを感じます」

「皆さん、軽口を叩いている場合ではありませんわよ。あの光、何やら未知の物質か何かで構成されているようです。分析不能ですわ」

口々にそう言い、今の状況の異常さを再認識するエンジェル隊員達。

「あぁ、俺にもあれが何なのかは分からない。もしかしたら『敵』とかそういったものなのかもしれない。ただ、この状況下で君達の動きまで封じられてしまうわけにはいかないんだ!」

「あぁ、分かってるって。この状況では何が最善かは分からないが、あたしらは一度、外に出る。タクト、格納庫のハッチを開けられるかい? もし出来るなら急いでおくれよ!」

「あぁ、もうやっているさ。けど……」

タクトが言葉を濁した通り、未だにハッチは開かないでいる。

「マイヤーズ司令! ダメです!! 格納庫のハッチが開きません! 先ほどから信号は送っているのですが、やはり指令系統はこちらの指示を受け付けません!」

「くっ……」

苦々しい表情を浮かべるタクトの元に、更なる報告の声があがる。

「司令! 艦前方に光のエネルギー流とは異なる反応が発生しました!」

アルモとココの報告通り、エルシオールとそれを取り囲む光流から――距離にしてみれば7、8000くらいの距離だろうか。突如、宇宙の黒色を刳り貫いて…渦にも似た形の巨大な空間が出現した。渦巻く空間は、周りの宇宙とは異なった暗さで色づいている。

「今度は一体……!?」

 その呟きをよそに、ふと、艦に軽い振動が走る。

「何だ?」

「マイヤーズ司令! 大変です!! 本艦があの渦の方へと引き寄せられています!!」

「何だって!?」

タクトが叫ぶ。そう言われてみると――速度は非常に落ち着いたものではあるが、確かに、あの渦とエルシオールとの距離が次第に縮まっているようにも思える。

さらには、よく見てみるとその渦から、先と同様の光の筋が幾重にもこちらへと伸び、エルシオールに絡みついてきているのだ。まるで、この艦をその巨大に開かれた大口の中に引き込むのを……最初から狙っていたかのように。その瞬間を待ち望むかのように。絡みついた光によって渦との距離は縮まっていった。

 

「依然、エンジンは停止したままです! このままではあの渦へと飲み込まれてしまいます!」

ココの叫びがブリッジ内に響く。

(この光が、あの戦いの時のようにロストテクノロジーであるこの艦の自由を奪うことのみを目的としているならば……)

(この艦を破壊することが目的じゃない? もし、そうだとするならばこの艦以外の存在には……)

頭の中で考えを張り巡らせながら、タクトは言う。

「……整備班に連絡。脱出カプセルは使用可能か聞いてくれ」

「え、司令? それはどういう……」

怪訝そうな顔をして聞き返すアルモに対し、

「いいから!」

彼にしては珍しく語気を荒げて返す。

「はいっ! 整備班聞こえますか? 整備班!」

「タクト、お前……」

レスターが、まさかといった表情でそう呟いた後、すぐに整備班長のクレータ班長が返事を返してきた。

「はい。あの光の干渉は現在、クロノストリングエンジンにのみ干渉しているようですので、クロノストリングエンジンを使用していない脱出カプセルは使用可能です。あの、司令もしかして……」

 

こんな状況は初めてだ。

何もかもが唐突でワケが分からない。

仮に、万が一、エルシオールに少しでも動く自由があったとしても。……この無数の謎の光達に阻まれている状況では、結局、切り抜けることが出来るかどうか。

諦めることは好きではないし、そんなことしたくもない。

だが、全てが突然の出来事だった。

余りにも唐突すぎる。

迅速な判断をしなければ。

この状況下で、自分を信じてついて来てくれている乗組員達を救うにはどうしたらいい?

 

タクトは一瞬、間を置き、

「総員。この艦を。エルシオールを脱出するんだ……」

タクトは静かに。だが一言一言、重く噛み締めるようにそう言った。

 

 

 

 

 

 

「エンジェル隊の皆。君達は紋章機で隔壁を破り、そのまま脱出してくれ。ただし、あの光には触れないように気をつけてくれ! 何が起こるか分からない!」

「ちょっとタクト!? 脱出ってどういうことよ!!」

聞き返す蘭花。その後に続いたのは、普段のタクトからは想像も出来ないような強い語調の言葉だった。

「急ぐんだ、蘭花!」

「あっ……」

普段、見慣れないタクトのあまりの剣幕に気圧される蘭花。

「これは命令なんだ、蘭花……」

タクトが少し俯きながら吐き捨てるように言う。

「……分かったよ、タクト。――いいかい、皆! ちょっと乱暴だけど隔壁をぶち破って外へ脱出するよ! あの光達を避けながら、まずはエルシオールと距離を取る!」

すぐさまフォルテが指示を出し、それぞれの紋章機が動き始めた。

「仕方ありませんわね……」

そうミントが呟くや否や……

 

ブリッジが軽く鳴動した。エンジェル隊が格納庫の隔壁を破り脱出したためである。

各機はエルシオールに絡みつく光の筋を避けながら、巧みにエルシオールと距離を取っていく。

その間にもエルシオールと渦との距離は縮まり続けている。今では、それが先ほどよりもはっきりと目に見えて分かった。

「エンジェル隊は無事、脱出したようだね。アルモ、ココ。各員に対し、脱出後はすぐさま本艦との距離を取るように繰り返し通達してくれ。……それからレスター。各乗組員の避難状況はどうなっている?」

「もうすぐ完了といったところだ。あとは俺達だけだな」

「よし、じゃあ俺達も行こうか。急いでくれよ」

そうこうしている間にも、渦とエルシオールのとの距離はかなり近くなってきていた。のんびりしている時間はあまり無いだろう。ブリッジクルー達も足早に避難を開始する。

「おい、タクト? 何をしている? お前も急ぐんだよ!」

未だブリッジ内に佇むタクトに対しレスターが、冷静な彼にしては珍しく切羽詰った語調で言う。

「あぁ……、これでも一応、この艦の司令官だからね。俺は全員の避難をちゃんと見届けてからさ」

「確かにそうだがな、状況はさっきも俺が確認した。もうすぐ全員の避難は完了するんだ。お前も早く避難するんだよ」

「分かってるさ。……っとと」

タクトが通路へと続くドアの前で軽くつまづく。

「おい! 何をやっているんだタクト!」

ドアの外でレスターが声をあげる。

 

「すまない、レスター……」

 

「何……?」

と、レスターが聞き返す前に。――突然。ブリッジの扉が閉じられた。タクトをブリッジに残したままで。

「おい! タクト!?」

扉の向こうでレスターが叫ぶ。

そこへ通信機を通して、タクトの声が聞こえてきた。

「司令官権限を使ってこの扉をロックした。俺じゃないとこのドアは開けられないよ」

「なっ!? 何を考えてるんだタクト!!?」

レスターが通信機に向かって声を荒げる。

「言っただろう? 俺はこの艦の司令官だ。それにあの渦の狙いは……どうやらこの艦を破壊するんじゃなくて、奪い取ることみたいだし、やすやすとくれてやるわけには行かないよ。やれるだけのことはやってみる」

「何だと? 馬鹿かお前は!! 大体、お前一人で……」

その言葉を受けて、放たれるレスターの怒声。

「レスター!!!」

「っ!」

強い語気で、彼にしては珍しく、強い言葉でレスターの言葉を押し止める。

「俺だって無駄死にするつもりはないさ。必ず戻る。それに……」

「それに?」

「俺達の腐れ縁はこのくらいじゃあ消えないさ。そうだろ?」

「…………」

「だから、ここは俺の頼みを聞いて行ってくれ。戻ってきたら、もっとまともな司令官になってお前の苦労を減らしてやるからさ」

「くっ、お前は馬鹿だ……」

「あぁ、馬鹿さ」

「本当にいつもいつも……」

「あぁ、そうだな」

「いいか、必ずだ! 必ず戻ってくるんだぞ!!」

そう言いながらレスターは廊下を駆けていった。行き場のない思いに、その拳を硬く、握り締めながら。

 

「ありがとう、レスター」

 

タクトがそう言った時には、もう通信機のスイッチは切られていた。

 

 

 

「さてと。俺の悪運の強さをみせるとしますか。デートの約束もあるし、こんなところでやられたりはしないさ」

デートか……そう言いながら彼の顔には少しだけ暗い陰が降りていた。

 

馬鹿だな、俺は何で突然こんな無茶を?

残される人達の気持ちも考えないで……。

だけど。このまま何もしないで終わるのは、俺達の『船』をみすみす捨てることは……。

 

「……ちとせ」

彼が最も愛する者の名前を呟く。そう呟いた彼の顔は少し寂しげな陰影を描きながらも、まだ諦めという言葉に支配されてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

エルシオールが謎の大渦の中へと引き込まれようとする中、無事に脱出を果たした各紋章機と脱出カプセル、船外に緊急射出された宇宙クジラが、エルシオールからやや距離をおいた宙域に漂っていた。

光の触手が狙っているのは、あくまでもエルシオールだけのようで脱出カプセル等には見向きもしていない。それと同様に、大渦の中へ引き寄せられているのもエルシオールのみのようで、紋章機と脱出カプセルはその宙域から着実に距離をおいている。

「あたしらは無事だったけど……」

「あぁ、エルシオールが……」

渦に飲み込まれんとするエルシオールを見つめながら、落胆するエンジェル隊。

「それにしても、何故エルシオールのクロノストリングエンジンが停止したのに、私達の紋章機だけが無事だったのでしょう?」

「えぇ、そうですわね……。まるで、最初からエルシオールだけが狙いであったかのように……」

「ちょっと、ちとせにミント! 何、落ち着いてんのよ!! エルシオールが! 私達の家も同然だったエルシオールが! あんなワケの分からないもんに飲みこまれようとしてんのよ!?」

蘭花が悲痛な声で叫ぶ。

「およし、蘭ふ……」

フォルテが静止の声をあげようとしたその時。

「――蘭花さん」

上がった声の主はヴァニラだった。

「本当にお二人が何も感じていない、と思っているのですか?」

静かな声音で語りかけられ、その言葉に蘭花は口ごもった。

「あ、その……」

メンバーの中に重苦しい空気が圧し掛かる。

「……え、え〜っと」

困ったような声をあげるミルフィーユ。

 

ふと。そんな彼女の目に何かが映った。

 

 

 

それは光だった。

 

 

 

 

 

 

またしても、『それ』は突然起こった。

突如、何もない空間から幾条にも渡って、突然現われた光の流れが紋章機を飲み込んでしまったのだ。

エルシオールを襲った時よりも更なる唐突さでもって。

「え?」

唯一、はたまた偶然だろうか? 光の奔流の中に飲まれなかった、シャープシューター。――ちとせの乗機の目の前を、他の5機の紋章機を飲み込んだままの光の波が横切って行った。

「ちとせ! 早くそこから逃げろ!!」

通信機能は生きているようだ。よく見ると光の波達に包まれたまま、こちらから急速に離れていく5機の紋章機。向かう先はあの渦の方向。そこからの通信だ。

「え? ……え?」

あまりに突然の出来事に困惑するちとせ。

「危ない! ちとせ!!」

そこに響くミルフィーユの声。

「え? きゃっ!?」

光の波がちとせの機体に襲い掛かる。間一髪でそれを避けるちとせ。

だが、光の波はまたも増え続けていた。脱出カプセルには目もくれず、紋章機のみを狙い、それらが次々と襲い掛かる!

「くっ! 不意さえつかれなければ……こんなもの!」

ちとせは巧みに紋章機を操作し、光の波の猛攻から逃れている。それでも次々と、ちとせに追い縋る光の波の群流。

巧みな動きを見せ、天性の勘から、その猛攻を凌ぐちとせ。両者が均衡した動きを見せる中、ちとせはフォルテ達に通信を送る。

「先輩! 皆さん、大丈夫ですか!?」

「っつう、ダメだ! あたしらの機体のエンジンも停止しちまったみたいだよ……」

忌々しげにそうこぼすフォルテ。

「そんな!? 先輩、今助けにいきます!!」

「ダメだ! あんたは早くここから逃げるんだ!!」

返ってきたその言葉は、ちとせにとって納得のいく答えではなかった。

「そんな! 先輩たちを置いてだなんて……」

「こいつらの狙いは、おそらく紋章機やエルシオール。……いや、あたしたちの持つロストテクノロジーそのものだ!! ここであんたまで捕まっちまったらどうするんだい!?」

強い口調でフォルテに捲くし立てられるが、

「でも……」

それでも納得いかないというように、呟くちとせ。

「いいから、あんただけでも逃げ延びるんだ! そうしなきゃ、誰がこの状況を皆に伝えるってんだい!? いいから言うとおりにしな!」

「そうよ! アタシらはこの程度じゃあ、くたばらないわ! それはアンタもよく分かってるでしょう!」

蘭花もフォルテに加勢し、何とかちとせを納得させようとする。

「あ、危ない!!」

ミルフィーユの声と同時に光の波が、シャープシューターの全周囲を包み込むように展開し、そのまま押し寄せる!

「っ!!」

もうダメか、と思ったその時……

 

キイイイィィィン…………

 

耳障りな音を立てて、シャープシューターの周囲に展開していた光の波が突如、消滅した。

 

 

 

………………。

…………。

……。

 

 

 

「え? 無事……なの?」

何故かは分からないが、シャープシューターは無事だった。

しかし、フォルテ達の紋章機とエルシオールの状況は未だ変わっていない。

そう。自分は助かった。

だが、ここで、エルシオールと紋章機を渦へと引き寄せている光の量が先ほどより増しているようにちとせには感じられた。

先ほどの現象が一体、何だったのか? ちとせは理解できない。

しかし今、自分への攻撃がないことを考えると、あの光達はエルシオールと紋章機の確保を優先としたようにも思える。その光の波達に、微かな焦りのようなものも見て取れる気がしたが、気のせいだろうか?

 

困惑するちとせの脳裏に突如、何者かの声が響いた。

 

「イマ……タエ・トキ……アナタ……デ……ウシナ……レテハ、キボウ・ハ、キエ……」

 

たどたどしく、聞き取りにくい声だった。しかし、その声も次第に鮮明になっていく。

――それは女性の声だった。

 

「カレラニ……あなたの……仲間を渡し……はしない……」

「だから今は堪えて……」

 

刹那、今までは比べ物にならないほどの轟音と閃光がちとせを襲った。

 

 

 

 

 

 

「……っ」

ちとせが目を開く。

ここは変わらず、シャープシューターのコックピットの中。先ほどの爆音と閃光で少しの間、気を失ってしまったようだ。

「はっ! 皆さんは!?」

脱出カプセルは無事であるようだった。しかし、残り5機の紋章機とエルシオール、先ほどまで猛威を奮ったあの光の波の姿はどこにも見えない。

全てが綺麗に姿を消していた。

「……とせ。ちとせ無事か!」

通信が入った。――この声はクールダラス副指令? ちとせはすぐに返事を返す。

「クールダラス副指令! 状況は!? エルシオールや先輩方の紋章機は!?」

「落ち着けちとせ。今から話す。……エルシオールと紋章機はこの宙域にはいない。あの渦に飲まれたかどうかも分からない。あの強烈な光が発生した一瞬の間に消えたんだ。文字通り、消失したんだ。何が起こったのか、俺にも検討もつかない」

「え? そんな……」

俯くちとせ。だがすぐに次の疑問を口にする。

「そうだ! タクトさんは!? タクトさんはこのことを!?」

「……あいつは」

もう一度、噛み締めるようにレスターは言う。

「あいつは。あの閃光が発生した時、エルシオールの中に居たんだ……」

「え?」

信じられないという顔でちとせは聞き返す。

「司令官の務めだとか言ってな。あいつは本当に馬鹿だ……」

 

しかし、ちとせにはもうレスターの声は聞こえていなかった。

「そんな……。ミルフィー先輩、蘭花先輩、ミント先輩、フォルテ先輩、ヴァニラ先輩……」

肩が震える。震えが止まらない。

「タクトさん……」

最後まで艦に残っていた……あの時と同じ。――父様の時のように。

涙が溢れる。

「タクトさん、タクトさん……タクトさんっ……!」

また自分は大切な人を失ってしまったのか。

もう止められなかった。

嗚咽が堰を切ったかのように溢れ出す。

 

「いやああぁぁぁっ!!」

 

少女の慟哭が漆黒の銀河に響き渡る――――。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少女が絶望したその時に。

時を同じくした、何処とも知れない場所で。

 

――そこは何とも無機質な部屋だった。いや。部屋というよりは広間というべきである程に広大なスペース。壁面には余計な色彩などは無く、その色は薄暗い紫色を基調とした一色のみだった。床には、そこに床が存在するだけ。一切の無駄を省いたような空間として、その部屋は存在していた。

 

その中央に佇む影が一つ。

背の丈は190前後。美しい顔立ちをしているが性別は男性であると見てとれる。

服装は、一般的に王族とでも呼ばれるような人物が身につけるような正装然としており、年齢は20代後半……しかし、見方によっては30代にも40代にも感じられそうな謎めいた雰囲気を醸し出している。

腰辺りまで達する長く煌めく銀の頭髪。肌の色は全体的に色白に見えるが、だからと言ってそこからは、儚いとか繊細だとかいう印象は受けずに、何かしら寒々しい威圧感を感じる程であった。

その引き締まった顔には鋭い眼差しで、触れるもの全て切り捨ててしまいそうな瞳。その瞳の色は淡い紫色。淡く色づきながらも、その瞳を見つめ続けていると、その中へと吸い込まれてでもいきそうな。――そんな深い輝きを放っている。

何より特徴的なのは、衣類からはむき出しになっている顔面、腕部などの至るところの皮膚に、線のような、紋様のような、いくつもの筋を描く痣のようなものが刻まれていることだ。

時折、それらが鈍い光を放ち……。

 

不意にその男が言葉を放つ。

 

「そうか。対象の確保には失敗したか」

男は、そう淡々と告げただけだが……その言葉には何とも言えない威圧感があった。

その後、男とは別の人物であろう。――女の声が返ってきた。

「申し訳ありません。ラグナロス様」

姿は見えないが、声だけは返ってくる。ラグナロスと呼ばれた男、この男の前では全ての言い訳は意味がないと言わんばかりに、こちらも淡々とした口調で。

「……いや、良い。今回、我々の動きを妨げたのは大方、あの忌々しき『月』に間違いはないだろう。それさえ分かっていれば、後の行動は何とでもなろう。……だが、次はないぞ」

何とも冷たい声。そんな言葉を受けてでさえも、その女は冷静に言葉を返してきた。

「承知しております。……怖れながら、そのことに関してご報告させて頂きます。只今、その『月』と思われる者の動きを追っている、ニヴァスによって出された分析結果によりましても、ラグナロス様の推察通りであるとのことです。引き続き、対象の調査追跡に入ります」

叱咤されたとは言え、声の主であるその女は言い訳の言葉や弁明の言葉は発さない。……淡々と事実のみを語る。

この男の前では結果こそが全てであり、それらの弱音は受け付けられないのだから。

「そうか。……だが、エニルよ。あの者の現行地を突き止める必要は無い。ニヴァスと共に帰還せよ。今回、一つ残された翼があったであろう? あれだけでは到底、我らには対抗できぬ。泳がせておけば、いずれ残った翼と共に必滅できよう」

「了解しました」

エニルと呼ばれた女性は、やはりここでも淡として告げる。

「先頃、汝らが取得した『天使環』の深部情報を元に、汝らとそのシステムに更なる強化改良を加えるゆえ。早急に帰還するのだ」

「……仰せのままに。」

ここでエニルとの対話は遮断された。

 

それと同時に男の皮膚に刻まれた紋様が光を失い、あとかたもなく消え去った。

暫らく男は何をするでもなく立っていたが、やがてそのまま広間を後にする。何事も意に介さずといった淡々とした歩調で……。

 

男がこの広間から姿を消しても、その絶対たる存在感は消えてはいなかった。

それ以外には、ただ、静けさだけが残っている。その静けさは、静寂、静謐、どのような言葉で以ってしても言い表せないような、それ以外に何も存在することが許されないような、そんな存在感すら持っていた。

それは今存在するこの銀河ですらも例外なく、全ての事柄に対しての如く。あたかも、それは先ほど、この広間に君臨していた超者の意思でもあるかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして――――。

 

それから半年の時が過ぎた……。