夢。……彼女は夢を見ていた。
夢の中の彼女がいる場所は、広い部屋だった。
その部屋には、いたるところに何らかの器具のような物が置かれている。
そこは、彼女にとっても、見慣れていたトレーニングルーム。
彼女は、その部屋で筋力トレーニングのまっ最中だった。
その部屋の中に、彼女とは別の少女がまた一人。
腰元まで届く、金色にたなびく緩くウェーブのかかったサラサラの金髪。
綺麗な顔立ちに、どこかツンとした雰囲気。
また、どこか活発で元気のいいような……そんなイメージも浮かんでくる。
少女の着ている動きやすそうなトレーニングウェアが、その快活そうな雰囲気を殊更に強調しているようにも思える。
その少女と時折、他愛のない世間話を交わしながら彼女は作業をこなしていく。
次第に、息もあがって、身体も火照ってきた。
対して、その少女は、厳しいトレーニングに慣れているのか、息一つ乱していない。
その光景も彼女にとっては、見慣れた光景であった。
こうやって日々、仲間と共に自分の力を磨いていく。
それも、彼女が常日頃から、当たり前としていることにすぎなかった。
適度な時間が過ぎ……金髪の少女と、彼女は、運動で流した汗を洗い落す為に、シャワールームへと連れ添っていった。
ここでも、他愛のない世間話を挟みながら。
そんな時間ですらも、彼女は楽しくて仕方がなかった。
――それは、そんな夢だった。
白き月の内部のある一室。その部屋に緊急呼び出しのコール音が響く。
「――烏丸ちとせ中尉。烏丸ちとせ中尉。至急、謁見の間までお越し下さい。シャトヤーン様がお呼びです。繰り返します、烏丸ちとせ中尉……」
そんな中、
「はにゃあ……」
と、どこか素っ頓狂な声があがり……個室に備え付けられたベッドがもぞもぞと動く。
「ん〜、にゅう〜……」
ベッドの中で眠っているであろう人物が、上げている謎の呻き(?)声。
まだ、部屋には緊急呼び出しのコール音が響いている。
もぞもぞ……。
………………。
…………。
……。
「……はっ!?」
ちとせは慌てて、眠っていたベッドから身を起こす。
コール音は、ベッドのハンガーに立掛けてあるエンジェル隊の制服の胸元、クロノクリスタルから響いていた。
――クロノクリスタル。
ここ数年の間にトランスバール皇国を襲った幾多もの戦火を収める上で、最も大きな働きを果たし、名実共に皇国が誇る精鋭部隊としての立場を更に強めたエンジェル隊員達と、有事の際に密な連絡を取り合うため。“ヴァル・ファスク”との決戦後に開発された、超高性能小型通信装置のことをこう呼ぶ。
サイズとしてはごく普通の石ころ大。見た目には普通の宝石細工と変らないのだが、これ一つがあるだけで、ある程度の極地までなら通信をこなす事が出来る。ロストテクノロジーの粋を集めてシャトヤーン自らが作り出し、エンジェル隊へと送った技術であった。
現在は、各エンジェル隊員の制服に元々飾り付けられていた赤い宝石と付け替えられ、軍務の際にはごく日常的に用いられている。
ベットから慌てて抜け出し、ここに至ってやっと。クリスタルに向かい返事を返すちとせ。
「す、すすすす……すみません! 烏丸ちとせ中尉、只今よりそちらに向かいます!!」
オペレーターから返事が返ってくる。
「そんなに慌てなくてもいいですよ、中尉。ゆっくり来て下さって構いません。他の皆さんもお呼びしなければならないので。詳しくは謁見の間にてシャトヤーン様よりお話があると思いますので。……それでは」
ここで通信が切られる。
……他の皆さんも? 一体、何の話だろう? と、考えを巡らせるちとせ。
いや、それよりも……恥ずかしいところを見せて(聞かせて)しまった。
最近、疲れてるのかしら? こんな寝ぼけるようなことなんて、たまにしか無いのに。
……って、たまにでもいけないし……。
と、そんな思いを巡らせる。どうやら、先ほどの通信でのやり取りを気にしているようだ。
「はぁ〜……」
と、少し落ち込んで見せるのも束の間。気を取り直し、これは今でも変わらない浴衣のままだ――寝間着を脱ぎ、いそいそと制服へと着替える。そして、軽く身だしなみを整え……
「よしっ」
その一声と同時に、起き抜けの身体へと喝を入れる。そのまま部屋の出口を潜り、ちとせは一路謁見の間へと向かっていった。
今、ちとせが使っている部屋は、白き月の巫女達が用いる一般の居住部屋と、何ら変わりはない。一時期まで慣れ親しんだ若草の薫り漂うあの艦の……畳の部屋での寝起きを常とするちとせにとっては、ベッドなどでの寝起きはやはりまだどこか変な気持ちがする。
部屋自体も生活面で困ることはないが、どうにも意識してしまうのが、特殊金属で作られた白い壁面に覆われた殺風景な一室のことだ。
だが、今のちとせはこういった部屋に居た方が、かえって落ち着いて過ごすことができた。
――あの部屋を。――あの艦を。――その場所を思い浮かべることが、彼女にとって支えでもある同時に、また苦痛でもあったから……。
そんな一室を後にしたちとせは、静かな足取りで、だが適度に迅速な歩速で白き月内の通路を謁見の間へと向かい進んでいった。
謁見の間に到着したちとせが目にしたのは、彼女にとっては見慣れた人々であった。
正面に見えるは、月の聖母シャトヤーンにシヴァ皇女、ルフト宰相にノア。その周囲には「元」エルシオールの主だったクルー達――副官のレスター、ブリッジオペレーターのアルモ、ココ。整備班長のクレータに、医師のケーラ、クジラルームの番人クロミエ。
あの事件の後、それぞれに与えられた任務で方々に散っていた懐かしい顔ぶれの人間がここに揃っていた。
「どうやら全員、揃ったようじゃの」
「皆の者、急に呼び出してすまないな。只今よりシャトヤーン様から、とあるお話をして頂く。心して聞くように」
ルフトが言うなり、シヴァ皇女が続ける。一体どんな話だろうかと、緊張した面持ちになる一同。
「まぁ、そんなに硬くならなくてもアンタ達にとってはいい話かもしれないわよ」
皆が緊張しているところに軽い口調で話すノア。
「こら、ノアっ」
「何よ。いいじゃないのよ、別に」
そんなノアの様子をシヴァが軽くたしなめ、ノアは……むっ、とした顔でそう言い返す。
「よいのですよ、シヴァ皇女」
その顔に慈愛に満ちた微笑を浮かべたまま、シャトヤーンが優しく言葉を発する。
「お忙しい中、皆さんに集まってもらったのは他でもありません」
そう前置きしつつ、シャトヤーンは続ける。
「皆さんに是非お見せしなければならないこと、お聞かせしなければいかないことがあるのです」
そう言ってシャトヤーンが語り出した内容はちとせ自身のみならず、謁見の間に集った全ての人物に対して大きな衝撃を与えるものであった。
「……まずは、これを見て下さい」
シャトヤーンが言うなり、謁見の間の空中部に直接投影されたモニターには5機の戦闘機らしき映像と、それらに関する細々とした説明事項…さながら設計図とも言えるような情報が表示されていた。
「これって……? 私達の紋章機のことみたいですね。あ、でも、ここには5機分しか表示されていないようですが……」
自らも紋章機のパイロットでもあるちとせの口から、いち早くこぼれる言葉。ちとせの言う通り、そこには1〜5番機までの計5機。6番機シャープシューターを除いてではあるが、確かにモニターに表示された映像は、ちとせならずともこの場に者であれば見慣れている筈であろう紋章機の姿に、違いなかった。
「これが俺達に見せたいもの?」
レスターが訝しげに呟く。
「えぇ。その通りです、クールダラス副指令。それに……ちとせの言う通り。こちらに表示された情報は6番機以外の機体となっています。この理由についてはいずれお分かりいただけると思うのですが、その他にも皆さんには見ていただきたいものがあるのです」
そうシャトヤーンが言うやいなや、立て続けに様々な映像や情報が謁見の間内にモニタリングされていく。
そのどれもが紋章機に関する映像や分析結果、詳細なスペック等であった。それらは、今この場に居る者達にとっては過去に慣れ親しんできた内容でありつつも、中には紋章機の整備師である月の巫女達しか知りえないような専門的な内容までも含まれていた。
月の聖母シャトヤーンともあろう者が、わざわざ自分達に見てもらいたいとまで言ってきたものである。皆、真剣にその情報なりを眺めてはいるが、誰もが怪訝そうな表情は隠せないでいた。
そのような状況の中シャトヤーンが口を開く。
「これらの情報は私達の……。EDENではない『皇国の外部から』我々のもとへと送られてきた情報なのです」
その言葉を聞き、一同の中に動揺が走る。
皇国内……ひいては、紋章機やロストテクノロジーを管理整備する月の巫女達でしか知りえぬような、これらの情報が一体どのような意図からなのか。皇国外から送られてきたというのだ。
つまりは――その情報を送ってきた相手は、ロストテクノロジーの集大成ともいえる紋章機について、事細かに解析できるだけの技術力を持った存在だということになる。
しかも、先程のシャトヤーンの言葉からすれば、その相手は、自分達の盟友もであり、このロストテクノロジーと呼ばれる超技術を生み出したEDENの関係者ですらないということになる。
不可思議としか思えないその状況に、更に拍車をかけるように、シャトヤーンの言葉はまだ続いていく。
「では……どうか続けてこちらも御覧下さい」
先ほどとは少し異なった口調で――。
と言っても本当に些細な変化ではあったが、どこか慎重に、おずおず……といった印象で語られた言葉。
その言葉を受けて映し出された映像は――今度こそ、その場に召集された誰もを更なる驚愕へと導くのには充分なものであった。
「タクトさん!!」
その場に居た、誰よりも早く放たれたちとせの一声。
「それに先輩方も……!」
その言葉の通り、今しがた表示されたモニター群に表示されていたのは半年前に姿を消した……この場に居る者であれば誰もがよく知る筈の――タクト、並びにエンジェル隊のメンバー達だったのである。
流石にこの状況は誰しもが予想していなかったようで、誰もが皆、唖然としたような表情で、その光景を見つめていた。
この映像の意味することを、すぐにでもシャトヤーンに問い正したい衝動に駆られるちとせであったが、まずはもう一度。そこに映し出された人々の――再会を願ってやまなかった人々の姿を再確認する。
まず、タクトに関して。
場所としてはエルシオールのブリッジ内であろうか。司令官席に座したまま、どこかしら穏やかな表情で眠りについているようにも見える。
エンジェル隊のメンバーに関しても同様で、各紋章機のコックピット内に座したまま。タクトと同様、穏やかな眠りについているように窺えた。
……の、だが。
何故だろうか? ……「何か」がおかしい。
ちとせの心に過ぎった疑問の正体。
それは、タクト達が穏やかな眠りについているように見えながらも、どこかしら生気を感じさせない――だが、それは悪い意味ではなく……どこかしら、『時間の流れが失われている状態』のような印象。
時間の流れが失われている?
「あ……」
ふと。こぼれてきたのは何か思い立ったようなちとせの呟き。
一体、何事かと一同はちとせに注意を向けてきた。
「この映像の状態……。何だか『あの時』の様子に似ているような気がします」
「あの時?」
誰とはなしに、飛び出してきた疑問の言葉に続く形で、
「“ヴァル・ファスク”との最終決戦の際、クロノ・ブレイク・ボムの爆発を阻止するために用いたアナザースペース内の様子に……。あそこなんて特に……」
そう言いながら、ちとせはモニター内のある点を指し示した。
――示された先は、紋章機の全周囲モニターに表示されたコックピット外部の光景。
通常の宇宙空間などとは明らかに異なる、虚構然とした風景。時の流れの概念から逸脱した空間。ただ、その中を静かに漂うだけ。
その情景のどれもが、あの時のアナザースペース内の状態とそっくりだった。
そして、大切なあの人と過ごした時をも思い起こさせる……。
思いにふけるちとせを導くかのように、シャトヤーンが言葉を続けてきた。
「ちとせの言う通りです。ここに映っている皆さんが存在している空間はあの時のアナザースペースに、非常に似通った空間。そして、この状態の皆さんの命には別状は無いと……この映像の『送り主』は言ってきています」
「送り主?」「言ってきた?」シャトヤーンの語った意味深な言葉に誰とはいわず、その疑問が口にされる。
「えぇ。……そして、ここからが皆さんに対し、真にお伝えしなければならないことなのです」
一同の疑問の言葉を受ける形で、シャトヤーンは静かに語り始めた。
「今から1ヶ月程前からのことです。……何者かから、この白き月に対して、先ほど皆さんにお見せした数々の映像等と共に、いくつかのメッセージが送られ続けてきたのです」
ここで一度、言葉を切り。
「ただ……それらの内容は、先ほどの映像資料も含め、途切れ途切れに幾つにも分けられていたばかりか、白き月に伝わる、ある暗号に変換されて送られてきました」
「まぁ……その解読が全て済んだのが、つい昨日のことだったんだけどね」
先ほどまで続いていたシャトヤーンの言葉を、引き継ぐ形でノアが言う。
「本当はあんた達にはすぐに教えてあげたかったんだけど……。バラバラの状態の内容では信頼のおける情報ではなかったし、ただのぬか喜びになることが気の毒だと思ってね」
「ノア。今は母……シャトヤーン様が皆に説明してる最中だろう?」
「何よ。あたしだって解読やら何やら手伝ってやったのよ。少しは喋らせなさいよ」
些細なことでいがみ合う二人に対し、このような場面でもその顔に浮かべた優しい微笑を損なわせないままで――月の聖母が言葉を紡ぐ。
「そうですね。それでは、ノア。後のことは貴方にお任せしましょう。……ほら? 皆さんが待っていますよ?」
「えっ? あー。それじゃあ、ここから先の話はあたしに任せてもらおうかしらね」
シャトヤーンの言葉を受けてノアは、んんっ……と軽く咳払いしながら語り始めた。
「それで、その送られてきたメッセージっていうのがさっきの映像とかと一緒に解読してみたのはいいんだけど…どうにも捨て置けない内容だったのよ」
今からあんた達にも聞かせてあげるわ。とノアが言うなり、謁見の間内に……この場に居る誰でもない者の声が響き渡る。
――それは、一人の女性の声だった。
「……トランスバール皇国の皆様方。今の私は、とある者達から追われる身であり、自らの居場所を悟られるわけにはいかない為、突然このような回りくどい方法であなた方に、言葉をお送りすることをどうかお許し下さい。ご挨拶が遅れてしまいましたが……初めまして。私は“原初の月”の管理者、セレナ・アーデンハイルと申します」
その言葉を聞いて、一同の中の誰もが「原初の……月?」という単語に対し、疑問の声を上げるなり、訝しげな表情を浮かべるなどの反応を示していた。そんな一同の様子を、
「後で、まとめて説明してあげるから、今は最後まで話を聞いてなさい」
ノアが小声で諭す。その言葉を受け、再び全員が声の語る内容へと意識を集中させていく。
いや。全員ではなく。――ふと、物思いにふける少女が一人。
聞こえてきた、その音声だけでは、声の主の姿を想像できるはずも無いが……特に、ちとせはその声を聞いただけで……何故だろうか。例えるなら、まるでシャトヤーンのような優しげな聖母然とした人物の姿を思い浮かべていた。
それに……。この声はどこかで聞いたことがある?
漠然とした疑問が心に浮かび、ちとせが思案している間にも、セレナと名乗る女性の言葉は続いていく。ちとせは慌てて、ひとまずは語られている内容に対し意識を集中させることにした。
「……この度はトランスバール皇国にお住まいの方々、及び白き月に関係する皆様方にどうしてもお伝えしなければならないことがあり、こうしてコンタクトを取らせていただきました。こちらからお送りした言語データを解読出来たのでしたら、別にお送りした映像データの内容についても既にご存知だと思います」
声の主はここで一度言葉を切り、
「その映像にある通り、あなた方の保有しているこれらの機体。及びそのパイロットの皆様方は、現在私の元で保護させていただいております。ただ、通常空間上でこの方々の存在を察知できる状態にあると、現在私を追っている者達に発見されてしまう恐れがあるため……“原初の月”に備わった異相空間形成能力――そうですね……以前、あなた方が“ヴァル・ファスク”と呼ばれる戦闘種族との決戦時、クロノクェイクを防ぐ為に、用いた空間とほぼ同一のものと思っていただいて構いません。そちらの空間に存在している為、空間内の皆様の時間の流れが停滞状態にありますが、その命に別状はありません」
どうか御安心を。と付け加え声の主は更なる言葉を紡ぐ。
「先ほどからお話している通り……今、私の元でお預かりしている5機。そして、あなた方の元へと残った1機。皆さんが、紋章機と呼称している機体を狙っている存在が、確かに居るのです。まずはその者達について、私が語れる限りの全てのことを、お伝えしたいと思います」
ここで一度言葉を切り、何故なら……と軽い前置きを置いた後。
「――その者達は、あなた方もよく知る彼の戦闘種族。銀河に大いなる災厄を、振り撒こうとした者達に、深いかかわりを持つ存在であるがゆえに……」
今この場に居る者達がよく知る戦闘種族。
忘れもしない――自らに刻まれたその名の示す通りに。ひたすらに戦いを求め、ひたすらに自らの支配図を広げ、果てはこの銀河に未曾有の大災厄を引き起こさんとした者達。その名は……。
その思いに答える言葉が、淡々と謁見の間に響き渡る。
「今からお話することは、殊更に信じ難いことかもしれませんが……。あなた方が以前戦った“ヴァル・ファスク”という種族。――彼の者達の生まれた理由、その誕生の由来等……皆さんは疑問に思ったことはないでしょうか?」
その“ヴァル・ファスク”と呼ばれる種族のある一人は、以前こう言った。――自分達は“ヴァル・ファスク”であるが故に、戦いと支配を繰り返す。それこそが“ヴァル・ファスク”の“ヴァル・ファスク”たる所以なのだと。問答無用にそう豪語してやまなかった彼の列強種族の始まり――――。
「“ヴァル・ファスク”。……あの強大な力を持った種族ですら、とある存在に作りあげられた命でしかなかったのです。彼の者達の存在を造り上げ、あなた方が示した、紋章機に秘められし無限の力を狙う存在。その者達は自らを『偉大なる超越者』と名乗っています」
そう告げられた言葉。謁見の間に更なる動揺が走る。衝撃に打ちひしがれる一同に、ふりかかり続けるのは、セレナ――『原初の月』の管理者を名乗る女性の言葉。
「そして、その“グラン・ヴァルカス”という存在ですらも、元々は造られた命。――その存在を生み出したのは、私達。人間自身でもあったのです……」
一言、一言。噛み締めるように語られたその言葉は。遠い、はるかなる過去へと繋がっていく道標のほんの始まりにすぎなかった……。
「私が、皆さんに伝えるべき全てのこと。事の経緯を含め全てお話します……」
彼女が語り始めたのは遠い遠い過去の物語――。
トランスバール銀河の歴史から数えて600年もの昔。
その歴史の中に、大きく名を残すこととなった時空震という大事件。
だが、しかし。今この場で語られるのは、その出来事が起こるよりもはるかな過去の時代の物語。
今という時代において、銀河中の様々な場所に、生活の場を広げている人類達。
この遠い過去の時代において、人々は広大な銀河に浮かぶとある一つの惑星で生活しているに過ぎなかった。
そこは青く美しいであった。
――ある時。その広大な惑星の、ごく一部の地域で起こった争い。いずれは地域間での戦争と呼べるまでの武力衝突までにも発展したが、惑星レベルで見るならば、それは些細ないざこざに過ぎないと当時の人々は感じていた。そう、過去に幾度も……その過程はさて置くとしても、この星に生誕した時から、自らの繁栄の歴史の影で、数々の戦乱を引き起こしてきた人類にとっては。
誰もがそのような認識を持っている中、人々にとっては今回起きたこの争いですらも、過去に体験してきた幾多もの戦いのうちの一つでしかなく、やがては鎮火し歴史の流れの底に埋没してような……そんな取るに足らない存在でしかなかった。
――――しかし。
大多数の人々の予想に反し、その争いは、やがては惑星全体をも巻き込む大戦争へと発展していった。
その事に至った詳しい経緯については諸々の説があるが、常に戦乱と共にその歴史を刻んできた人々にとって、それはいずれやってくる必然の出来事であったのかもしれない。
いつ終わるとも知れない戦争が続く世界に、一体どれほどの数の勢力が互いに争い合っていたのか、今となっては定かではない。
嘆きと絶望、阿鼻叫喚の地獄絵図のような醜い争いの日々の中。その時点で最低限守られていた争いのルールは――過去の戦争での経験から、戦争終結後に自らの居住すべき母星の環境を侵さないために、惑星環境や生態系に深刻な被害を及ぼすような大規模破壊兵器の使用を禁ずる、という事柄のみであった。
そのような側面もあった為、いずれの勢力も決定的な勝利を手に出来ないまま、戦況は泥沼状態に陥り、いつ果てるとも無い……永い永い戦乱の時代が続いていくことになったのである。
戦乱の日々の中、新たな戦略兵器が次々と開発されていくと共に。
ある一国で、その兵器を用いる「人間」という存在自体を、更なる高みへと昇華させる計画が発案された。
既存の人類を卓越した、強靭な肉体と膨大な知力。そして自らの寿命すらも克服した、あらゆる力を奮う高次の存在を人の手で創り出す……
――――『偉大なる超越者』計画。
考えようによっては発展しすぎたとも言える……自らが誇る科学技術を用いて、この場合は主に遺伝子操作等によってだが、人間の構造を基として人の手から創り出された人外の力を奮う存在――“グラン・ヴァルカス”。
こうして創り出された彼ら(または彼女ら)は、一見しただけではその見た目は普通の人間と何ら変わりは無い。唯一の特徴として挙げられるのは、遺伝子レベルでの先天的特徴として現れる、鈍く輝く紫色の瞳だけ。
彼らの特徴として、真っ先に挙げられることは『戦いの為に生み出されたこと』である。その為、彼らは戦闘行動において、最も必要とされる要素としての、一般的な人間の能力をはるかに超越した知力、体力を備え、細胞組織の自壊を抑え、けっして老いることない体を持ち、更に際立った特徴として『生身の存在でありながら、自らをその中枢とし多数の兵器群を、同時に操ることが出来る』という能力をも備えることとなった。
この能力により“グラン・ヴァルカス”が戦場に一人立つだけで、その戦力は1個大隊にも匹敵する、正に一騎当千たる存在となる。
また、この計画の目的は『現行の高い知能を持った人類に新たな力を与え、知力と武力の両面に優れた超人種を進化創造すること』であった。
既存の種の『進化』、『創造』と言われるとおり、“グラン・ヴァルカス”を『創り出す』のに用いられたのは……『生きた人間そのもの』に違いなかった。
元々の身体能力が高い人間を素体として、進化を促す細胞――この場合は、先に語ったような、純粋に人を超えた力を手にするために、肉体を改造する細胞組織を、その肉体に組み込むことにあたる。
この処置を受けた人間は。……つまりは、人を超えた新たな種へと進化することになる。
自分から進んで力を求めた者も居れば、進化の素質が見受けられた者を、その本人の意思とは無関係に……況してや戦時中の話である。捕らえた人間――つまりは、それは戦争捕虜であったり、強制的に連行された一般人であったりと、その例には枚挙に暇が無い。
素性や境遇が様々なれど。その殆どの人間が、急激な体組織の変化に耐え切れず、肉体を崩壊させ命を落とすこととなった。その過酷な過程を乗り切った極僅かな人々が超人種――『偉大なる超越者』として生まれ変わったのである。
このような人の命を弄ぶかのような所業。人の手で命を操作するというこの行為は――仮に、この世界が平穏な世界であったとするならば、神をも畏れぬ行為だとか異端視され、禁忌の技術として封じられるなりしていただろう。
だが、この時の世界に住む人々は戦いに明け暮れ、平穏という言葉とは程遠い日々を送り続けていたのだ。
長く続いた戦争が人々を追い込み……その身に残った、最後の良心を失わせ、狂気の力を求めることを助長させたとも言えるだろうか。
――こうして創造された彼ら自身も、すぐさま戦乱の時代のその只中へと身を置くことになるのだが。
人を超えた力を手にした存在が、その創造主であるとはいえ……明らかに自分達よりも、下等な種族である人類達に対し(自らの存在の定義が既に『人を超えた者』として定められている為)、その支配を目論もうとはしなかったのだろうか。
その答えは、肯定とでも否定とでも言うことが出来る。彼らの創造者達も、そのような行為を許すほど馬鹿でない。
創造者達は“グラン・ヴァルカス”の深層意識に、『自らに生まれながらに、定められた役割を果たすこと』という点を、特に強く刻み込んでいた。
……言うなれば、それは本能とも言うべきか。何よりも優先される生物的な欲求。いくら自分達が兵器であろうと、人間を超越した存在であろうとも、世界の全てのものがそうであるように、彼らにも自らの存在する意義というものが必要だった。彼らの場合は、その役割を果たすこと自体が、生きるということに当たるのだ。
“グラン・ヴァルカス”がであるが故に戦う。それこそが“グラン・ヴァルカス”の“グラン・ヴァルカス”たる所以なのだから。
自らに、生まれながらに定められた役割。彼らが創られたのは戦略兵器として戦うため。
では一体、何と?
――創造者達が敵対する者達と。
その敵対者とは?
――それは創造者と同じ「人間」。
その人間達に対し、“グラン・ヴァルカス”達は自らに備わった強大な力を奮い、自分達よりも下等な存在を蹂躙していく。彼らの心の中には「人間」に対する優越感、超越感、端的に言うなれば支配欲や征服欲などが確かに存在していたのだ。
だが、創造者に敵対する者達に対する兵器として創られた彼らは、その敵と戦うこと――つまりは自分達にとっての『生きる』という行為を果たすためにその力を奮い、その矛先が「人間」である創造者に向くことは無かったのである。
「人間」に対する支配欲、征服欲。それらを持ちながらも、創造者という「人間」には逆らえない。創造者は自分達に敵と戦うこと、生きる意味を与えてくれるのだから。
下等な存在と定める同じ「人間」に対し、支配的に接することができる側と、そうでない側がある。“グラン・ヴァルカス”は、このような奇妙な矛盾点も、その身に内包していたのだ。
圧倒的な力を奮う“グラン・ヴァルカス”という名の、生粋の戦闘種族に対する各勢力の反抗は、それに対する畏怖からであろうか。次第に苛烈さを増していき、戦争は更に激しいものとなっていった。
――――なおも続く戦乱の果て。
その結果として、争いの舞台となった青の星――彼ら人類の母星は、激しい戦いの傷痕から次第に荒廃していき、最終的には惑星内での生物の生存が著しく困難な状況にまでなってしまった。
いくら惑星環境や、生態系に深刻な被害を及ぼすような大規模破壊兵器を使用しないと言っても、長く続いた戦いの傷痕は少しずつでも……この大地に、確かに刻み込まれていたのだ。
もはや争いを続けている場合ではなくなった人々は、互いに手を取り合い、自分達の母星を捨て、自らが新たに生存可能な惑星を探す為の大規模な星系外への移住計画を進めることとした。
戦争に明け暮れていた月日に比べたら、極僅かともいえる期間で、その計画は成功し、人類は新天地を求め、広大な銀河へと旅立っていった。
母星からの脱出が、火急の事態であったといえど、これだけの短期間で、計画を遂行できたのは…皮肉なことに。長年続いてきた戦争によって培われてきた、軍事科学技術によってもたらされていたのだ。
戦時中に考案、開発された数々の超兵器群。自らの敵を。同じ種族である人間を。その命を刈り取ることを、最終目的とするその力が。――純粋な破壊の力が。この時点においては、人類の命を繋ぐ力となり……外宇宙への移住という壮大な計画を行うことを可能としたのである。
その戦争技術の一つ。先の戦争で生み出された戦闘種族“グラン・ヴァルカス”達は、反抗勢力との戦いで減退していったことに加え、その一部は戦争終結の際に創造者達から『兵器として処分』されたこともあり、この時点では“グラン・ヴァルカス”という種族自体は、滅亡寸前といえる状態までに個体数が減少していた。
その事態が彼ら“グラン・ヴァルカス”にとっては幸いしただろうか。絶滅寸前となった極小数の個体数という点を活用し、決して目立たぬようにして……ただ、静かに。多数の人間の中に紛れ混み、この超人種達も人々の陰に隠れながら、外宇宙への進出を果たしていったのである。
この事実は、人類の外宇宙進出開始当初の時点では誰もが与り知らぬことであり、彼らが再び歴史の表舞台に、その姿を現し始めたのは、長い歴史の流れの上では、もう暫らく後のことであったのだが。
その外宇宙への移民時代の中で、その中核を為すことになった――とある、システムの存在が果たした役割は大きかったと言える。
既存の人類の技術や英知の全てを蓄え、必要な時には、その技術を即座に利用出来るように考案された……何十万隻という規模の移民船団の人々と共に宇宙を渡り行く、科学技術の保管庫的な役割を果たす、そのシステムの名は――人々から『月』と呼ばれていた。
星々の海を人類と共に旅する、いくつかの『月』の中でも最も初期に創り出され、このシステム達の中心的役割を果たすことになった“原初の月”の管理者にはセレナ――セレナ・アーデンハイルという女性が任命された。
その旅の先で、彼女とそれに連れ立つ人々はそれこそ……幾千、幾万という星々を巡り行き、自らが生存出来うる環境を備えた惑星を探し続けた。
この果てしなく、長い旅路の間に……ある者は世代を重ね――ある者は旅の終わりを信じて、冷凍睡眠にて静かにその時を待ち――また、ある者は新たな星で、新しい歴史を創りだすであろう子供達に、希望を託しながらその生涯を終えたりと――そのような営みが一体、何年……いや。何十年、何百年として繰り返されてきたのだろうか。
その事は、今となっては定かではない。
だが、その長い年月は『月』の管理者達の間であっても例外なく過ぎ去っていくことに変りはなかった。彼ら(もしくは彼女達)も、過去の記憶を受け継いでいくために子を生し、その子らに記憶を継承させ、次々と世代を重ねていった。
いかに莫大な知識を内蔵した『月』のシステムとは言え、かつて自分達が住んでいた青き惑星から、その全ての科学技術を持ち出せたわけではない。
戦争の影響で失われてしまった技術や、何者かの意図で封じられてしまった技術など。既に失われてしまったテクノロジー達も確かに存在していたのだ。
その中でも最も異端視され、なおかつ危険視された技術の一つとして――クローン技術や、遺伝子操作といった……彼の戦闘種族“グラン・ヴァルカス”を生み出す基盤ともなった生命操作技術が挙げられる。
仮に人道的な立場からの視点を無視した場合、過去からの記憶を人から人へと継いでいくのであるならば――自らと、全く同じ記憶を移しこんだクローンを作り出し、その行為によって世代を重ねていくことが、最も理想的ではあっただろう。
だが、過去の過ちを再び繰り返さない為にも、『月』の管理者達は、この技術を用いることはせずに、世代を重ね続けていったのである。
新天地を捜し求める長い長い旅路の中で、唯一例外的に『子を生して世代を重ねていくことのない』人物が居た。
『月』の管理者達の間では立場上、彼らの長とでも呼べる存在であっただろう、セレナ・アーデンハイルその人である。
過去の記憶の数々が、世代の継承によって次第に薄まっていくことは避けられない事態ではある。そのことを危惧した彼女は、自らの限りある生命を捨て、自らの人格の全てを膨大な記憶容量を誇る“原初の月”の機械システム内へと組み込み、人としての身体を捨て“原初の月”そのものとして生きていくことを決意したのである。
このような行為に至ったのは、年月と共に失われていく記憶を憂いていた気持ちばかりではなく、人々の行く末を自らの目で見守っていきたいという切なる思いからでもあった。
自らの身体を捨ててまで。その身体を、機械生命体に置き換えてまでも、生き続けようとする彼女のその行為は、もしかしたらただの我侭に過ぎないと映ったかもしれない。
だが、人の身体を捨ててまでも、人類の未来を見届けようとする彼女の覚悟は、多くの人々の心に通じ、彼女のその行為を責める者は居なかった。
――――新しい母星を求める、長き旅路の間には実に様々なことがあった。
広大な宇宙を旅していく過程に起きた不慮の事故などで、志半ばで命を落とした同胞達もいた。
そして銀河に点在する星々は数あれど。無限とも思えるその星達の中から、自らが生存していくことに適した星を見つけ出すということも、そう簡単に事が進むはずもなく。
困難と苦難が続く、果てしなく長い道のり。
それでも、人々は希望を捨てずに、新たな安住の地を求め続けた。
――そして。その願いが叶う時は、唐突にやってきた。
永遠とも思える旅路の果てに、ようやく見つけだした、とある惑星。
その星は、今まさに命の産声をあげたばかりだというべきか。
かつて、人類が生活していたあの青く美しい星も、はるかな過去に経験したであろう、海が生まれ……大地が生まれ……そして、命が生まれるという最も初期の課程。
――星の誕生。
偶然にも、その惑星の大気成分の組成は、かつての母星とほぼ同様のものであった。
つまりは、人類の生存に適した惑星。
長年望み続けた地に辿り着いた人々は、大いに歓喜し、その奇跡に多大な感謝の念を捧げた。
しかし、自らの新たな母星となろう、生まれたばかりのその星は、この時点では、生物が生存していくことは、まだ不可能ではあった。
そこから、更に長い年月をかけ……この時のために用意されていた『月』に蓄えられた全ての技術を駆使し、人類が生存可能な環境へと変りゆくその星の行く末を人々は見守っていった。
そして。その星は、青い海が広がり、豊かな緑の自然に覆われた、美しい星へと生まれ変わる。
人々は念願のその地へとようやく降り立ち、豊かな自然の中には、かつての母星から人類と共に連れ立ってきた生物達を放ち、その人類達自身は自らが生活するための場を、けっして自然を侵すことなく造り上げていった。
更なる年月が過ぎるにつれ人々は、最も初期に入植したその星を基点とし、次第には……星系全土を、果てはその星系外へと。文明の輪を広げていき、星々をまたぐ、広大な一大文明を築き上げることに成功した。
その文明の名は――。
今は、はるか遠くの銀河の果てで……滅びを迎えてしまった青の星に伝わる『楽園』を意味する言葉として――。
人々がようやく辿り着くことが出来た、楽園という名の約束の地として――。
『EDEN』と名付けられた――――。
――そして。
はるか過去へと続く追走は、今暫らくの間、続いていくことになる……。
その広間の入り口に姿を現した、ルークという名の壮年の男は……既に、広間内に居た四人の人物からの注目を浴びる中、その人物達へと向かって淡々と歩を進めてくる。
その一歩一歩を重く踏み締めるようにして歩くその姿は、バルガスと名乗る男程ではないにしろ、筋骨隆々とした体躯をしており、身の丈としてはラグナロスという名の絶対者と同程度であろうか。
鈍く輝く紫色の瞳に、短く切り揃えられた頭髪。
何よりも特徴的なのは、顔面を左右に両断するかのように残る鋭い裂傷の跡であった。
その傷跡の存在が、彼のどこか落ち着いているかのような物腰に、野性味を帯びた雰囲気を加えているようにも思える。
四人の超越者達の、前方数メートルの地点に壮年の男が辿り着く。口を開いたのは、今だに妖艶な雰囲気をその身に残したままの、エレンディラという名の女性。
「これで全員かしらね。私達“グラン・ヴァルカス”が揃ったのは……」
今この広間内に居るものであれば、それは改めて告げる必要もないような事柄ではあった。それはこの場に集った5人の『偉大なる超越者達』自らの存在そのものを指す言葉。わざわざ告げてみなくても、この場にあるその存在だけで、全てを語ることは出来る。彼女はそれを、ただ何となくそう告げてみただけに過ぎない。
「よし。それじゃあ、あの子達の『隊長さん』も来てくれたことだし、そろそろあの子達を起こしてあげましょうか」
真紅の髪の女性がそう呟いたのと同時に。彼女の顔、腕、露出した肌、至る所に複雑な紋様の様な形をした模様が浮き上がり、微かな光を放ち始めた。
その光は次第に輝きを増していき、彼の者達の意識へと働きかけ目覚めの時へと促していく。
ただひたすらに。
混沌の時を告げる波と呼ばれる者達へと向けて……。