夢。……彼女は夢を見ていた。
夢の中の彼女がいる場所は、どこか落ち着いた佇まいを見せるティーラウンジだった。
4、5人くらいは余裕で利用することが出来そうな大きさの丸テーブルを正面にして座している彼女の視線の向こうに、もう一人。
彼女と同じ丸テーブルに、互いの位置が真正面になるような位置で座っているのは、一人の小さな少女。
その少女はお茶を飲むという行為に慣れてでもいるのか。
どことなく、優雅な雰囲気を見せる少女の身体的な特徴は――柔らかに整えられた水色の髪の毛と、その頭髪部分から直に生えてでもいるかのようなフカフカの白い耳。
……それと、少女の実年齢からすれば……ちょっと、小柄とも言える体格。
彼女はその少女と、このティーラウンジ内でお茶を楽しみながら談笑を交わしていた。
互いの持つティーカップから流れ出る、香ばしい香りに囲まれながら、二人は笑顔で、色々な話に花を咲かせていく。
時折、少女の持つ不思議な耳が、意思を持っているかのようにパタパタと動いていたりもした。
暫らくの間は、そうやって語らいの時間を楽しんでいた両者であったが、共に軍務に追われている身でもある。
他にもやらなければならないことは山積みであり、ひとしきりの語らいを終えた彼女と、少女のささやかなお茶会は今回はこれにてお開きとなった。
別れ際に少女の方から、「また時間が出来たら御一緒しましょう」と彼女は声をかけられた。
それに対し彼女は「はいっ!」と笑顔で答えて、ひとまずの別れを告げる。
またこの場所で。――そう思う少女の心は、次回のお茶会が楽しみで仕方がなかった。
……それは、そんな夢だった。
今、語られるのは遠い過去に起きた出来事。
……そして、今現在へと確実に紡がれてきた時の流れについてである。
それは、果てしない時の流れの彼方にあった……遥か遠い過去から受け継がれた記憶――。
長い長い旅路の果てに。やっとの思いで安住の地を見つけ出した人々は、自らが入植した星を惑星ジュノーと名付け、そこから再び長い年月をかけて過去の栄光を取り戻していくことになった。
惑星ジュノーを中心として広がり続けた彼らの文明は、周辺の惑星、更には隣り合った星系、そのまた更に先の星系とを結ぶ巨大な銀河ネットワークを形成していった。
――――後の世に、『EDEN』文明として伝えられた、一大文明の始まりである。
だが、しかし。その銀河ネットワークを構築していくといっても、その行為を前にして、一つの大きな問題点が浮かび上がってくるであろう。
惑星ジュノー周辺の惑星や、そのまた更に先にある惑星まで……そのほぼ全てが、人々が居住可能な環境が整っているとは言えなかったのである。
それは、至極当然のこととも言えるだろう。何故なら、人々が新たな繁栄の拠点として見つけ出した惑星ジュノーですらも、果てしなく長い探求の旅の果てに、やっとの思いで見つけ出した人類が生存可能な数少ない惑星だったのだから。
そのような状況の中で、人々は如何様にして、数多の星々へと飛び立っていったのであろうか。
新たな母星を基点に、更なる発展を果たそうとする人類の科学力は、留まる所を知らず、今はジュノーと呼称されている……人々の入植開始当時は、まだ生まれたばかりだった惑星を、自らが居住可能なように調整した時の技術を、更に発展させていた。
その為、ある程度の環境変化の範囲であれば、この銀河に数多くある生命無き星を、生命ある者の星に変えることが可能となったのである。
この技術が、実際に効果を挙げるものであると判明した途端、ジュノーに降り立った遠き星からやってきた始祖とも言える人々は、更なる繁栄を求めて、銀河へと散っていった。
その人々が行き着いた数々の場所で、出来うる限りジュノーに近しい環境の星々を見つけ出し、その場を、自らの新たな生活の場とする。
そのような営みが、長い年月を経て繰り返され、EDENから発祥した新たなる文明は、尽きることない栄華の時を誇っていったのである。
その間、数百年の間は特に大きな争い事もなく、ただ平和な時だけが過ぎ去っていった。
だが。
その平穏の時は、唐突として終わりを告げようとしていた。
そして、その発端となった事の起こりですらも、あまりにも突然の出来事であったのだ。
EDEN文明の中枢を為す都市として、惑星ジュノーに建設された空中都市、『スカイパレス』。そのスカイパレス内には、『ライブラリ』と呼ばれる無限情報集積貯蔵システム……言うなれば、現行の科学力で解明可能な銀河レベルでの事象を、無限に近いその許容量内に、委細漏らさず記録していくというシステムが設置されていた。
そのシステムの基本的構築理論については、かつての母星である青き星に人類が生活していた頃から、考案されてはいた。
だが、その理論の条件を満たし得るだけの科学技術は、この時点ではまだ存在していなかったのである。
そのための技術の発展を待つ間に、人々は過ちを犯し、その母星を去ることとなってしまう。
研究を続けることが不可能になってしまった、その状況において、当該の技術は、論理上の構造を残したまま……一度、『月』のシステム内に貯蔵され、人々と共に遠い旅路を経ることとなった。
その旅路の果てに、新たな安住の地を見つけた人々は、『月』の力を借りながらも、その飽く無き探究心にて、目まぐるしいスピードで科学技術を発展させていき――その結果、『月』の中に納められていた構造理論のみの産物であった『ライブラリ』のシステムを、遂に完成させることに成功したのである。
ライブラリを完成させる上で、『月』自体に備わっていた「既存の人類の技術や英知の全てを蓄え、必要な時には、その技術を即座に利用出来る」という特性と、その機構は、大いに参考となったと言えるであろう。
何故ならば、ライブラリ自体も『月』と同じく膨大な知識と、技術の貯蔵庫的な役割を果たすことを前提として設計されていたのだから。
唯一、『月』のシステムと異なる点としては、ライブラリには『月』のような、それ自体に大規模な超長距離宙間航行能力が備わっていない為、システム自体を星外に持ち出すことが不可能であるという点が挙げられ……進歩した点としては、ライブラリのシステム自体が、単に貯蔵的な性質を備えていただけの『月』とは異なり、ある程度自立的に情報の収集に当たり、それらを逐次記録し、貯蔵していくという点が挙げられるであろう。
そのような画期的なシステムの完成を受けたこともあるだろうか。――自らの力で、発展していくことが出来るようになった人類達の姿を見届けた――かつては、人々の導き手としての役割を担った『月』達は、“原初の月”一基を残し、自分達の役目を終えたとして、そのシステムを休止させて、眠りへとついた。
そして、文化技術の貯蔵という役割を、新たな貯蔵システムであるライブラリへと預けることになったのである。
その後に、ライブラリ自体も『月』のシステムと同等にして、その知識や技術を悪用されない為に、定められた管理者が、代々に渡って運用を任されていく形となった。
……ある時。
スカイパレス内に、正体不明の侵入者達が襲撃をしかけてきた。
この人物達はまるで「人間離れ」したような力の数々を発揮し、始めからそれが狙いであったのだろう――その侵入者達は、ライブラリの安置されているスカイパレス中枢部への侵入を果たすこととなる。
その際に、ライブラリ内に納められた数々のデータを侵入者達は奪っていた。……本来ならば、ライブラリの管理者でなければ閲覧、利用できないような代物をだ。
侵入者達に何故、そのような真似が出来たのかは、今となっても謎のままである。
だが。
その侵入者が『彼ら』であったとするのであれば、そのようなことも――その手段は、不明であっても可能であったかもしれない。
人を超越した力を持った『彼ら』だったならば……。
――人々の予想は現実のことではあった。
ライブラリからデータを奪った侵入者達は、ジュノー駐留艦隊、果ては惑星外にて待機していた数多の艦隊群の追跡も空しく……逃亡を果たすことに成功する。
この数百年の間に、その武力を行使することなく――その結果として、戦いの腕を鈍らせていた人々にとっては、その存在の相手をするのは荷が重すぎたのかもしれない。
そして、その侵入者達の正体は、彼らがスカイパレスからの離脱の際に、残していった言葉が物語っていた。
「我等は人を超えし者。……長き静寂の時を超え、再び我等が超越者としての役割を果たさんがために……」
その言葉が告げる厳然たる事実。寿命という制限を捨て、年月という言葉ですら片付けることも出来ないような、長きに渡るを時を待ち続けた……超越者達――“グラン・ヴァルカス”の再来を宣言していることに他ならなかった。
復活を果たした彼らの目的が不明であったとしても、かつての母星で戦火を広げていくことの要因の一つとなった彼の戦闘種族が、ライブラリ内に蓄えられた数々のデータを奪い去ったという事実は、それだけで衝撃的だった。
奪われたデータ部分の復元という問題であれば、その内容は眠りについている『月』達の中から補填することは可能であろう。
問題なのは、それらの情報を奪っていった“グラン・ヴァルカス”達が,それを用いて何を為さんとしているのか? という点である。
すぐにでも追撃を。というのが、彼らの恐ろしさを知る者からすれば、至極当然の意見であっただろう。
だが、当時のEDEN最高評議会の面々の間では、事態を緊急視する立場を採る者と、楽観視する立場を採る者達……といった双極の立場を採る者達に別れてしまっていた。
前者の者達の考えについては特に語るべきではないであろう。後者の者達について、その人々が、そのような考えを持つに至った背景として、“グラン・ヴァルカス”達の脅威を、自らが遥か遠い過去に直接経験したわけではなかった為、それだけの危機感を持ち得なかったという点が挙げられる。
更には、ジュノー駐留艦隊や、EDEN防衛艦隊といった、名立たる艦隊の追跡を振り切って逃走した“グラン・ヴァルカス”が行き着いたであろう場所が、『ある特殊な場所』であったことも、人々が事態を楽観視することへの一助となっていたのかもしれない。
“グラン・ヴァルカス”が、逃亡の果てに辿り着いたと考えられるその地点は、強力な磁気嵐や重力場が数多く渦巻き、通常宙域の数倍もの宇宙線が滞留し、それら全てがまるで壁の様になって行く手を阻むような――それほどの危険宙域であったのだ。
いかに“グラン・ヴァルカス”と呼ばれる者達であっても、これだけの危険な場所に入り込んでしまっては、無事であろうはずもない。
はたまた、EDEN艦隊の追跡に恐れをなして、止むを得ず、このような危険宙域に逃げ込んでしまったのだ、と論じる人物までもが居た。
確かに、当該の宙域に関しては、今や数々の惑星を又にかけて、銀河ネットワークを結んでいるEDENの技術力を持ってしても、『月』レベルの超高度な宙間航行技術を備えた単機ならまだしも、通常の大艦隊をその先へと向かわせるにはリスクが大きすぎるとして、今まで見向きもされていなかったような場所であった。
だが、それだからこそ。身を潜めるには、うってつけの場所とも言えるかもしれない。
事態を重く見る側と、そうでない側との議論が激しくぶつかり合い、時間だけが無駄に過ぎて行った。
やがて。お互いに対抗し合い、これ以上悠長にしている場合ではないと判断したEDEN最高評議会は――『それ』自体が、超技術群の産物とでも言える――“原初の月”=セレナ・アーデンハイルに問題の宙域の調査と、“グラン・ヴァルカス”の痕跡を発見する使命を与えた。
いくら“原初の月”自体と同化し、自らを『月』そのものと化した彼女に対してであっても、これだけの危険な任務を単独で与え、評議会の面々や軍部は、ただその結果の報告を待つだけということは、ある意味傲慢とさえ言えるように映ったのかもしれない。
平和な世が長く続いたとしても、時の指導者達の間にその傲慢さは存在し続けるだろう。そして、最悪の場合は、そのこと自体が戦いを呼ぶ原因となると考えられるであろうか。
かつて、遠い過去、遠い果て、遠い星での人々の歴史がそうであったかのように。
だが、セレナにとってはそのようなことは関係なかった。人々の行く末をここまで見届け、自らの役割をもう十分に果たすことが出来たと感じた彼女は、もはや悔いはないと、この決死の任務を引き受けて、単身ジュノーを発ち“グラン・ヴァルカス”の行方を追う事となる。
――――そして。
自らの持ち得る全ての技術を駆使して、その危険宙域へと挑んでいった彼女は、やっとの思いで、その場を抜けきることに成功し、その先で、驚くべき光景を目の当たりにすることとなる。
人々の訪れを、まるで拒んでいるかのように連なる重力の壁。
――その先には『文明』が存在していた。EDENに広がる人々とは全く異なる、異質の文明がそこにはあった。
そこに広がる文明は、一朝一夕で築かれたというものではなく、それこそ人類が、新たな母星に生活の場を移した後にも、長きに渡って築いてきた時間と同等の積み重ねを繰り返してきたかのように精錬されたものだった。
――――そこに住む人々は、創られた命であった。
今や、数える程しかその個体数を残していない――ある者達の存在をベースとして創造されし者達。
結論から言うなれば、この人々を生み出した存在こそが、人知を超えた力を持つ超越者達、“グラン・ヴァルカス”に他ならなかったのだ。
絶対的な個体数の不足という問題点を払拭できなかった彼らは、自らに代わって使命を果たす、手駒となるべき新しい命を創造することに思い至ったのである。
――かつて、自分達を創造した人類達と同じようにして。
“グラン・ヴァルカス”という種族の現れは、『創造』というよりは『進化』という言葉で表すことが出来るであろう。
元は極普通の『人間』であった者達が、限りなく低い可能性を越えて、新たな超人種へと生まれ変わった姿。
彼らは『新たな種へと生まれ変わる瞬間にとっていた姿』から変貌することはない。進化に伴う想像を絶するような苦痛と、身体にかかる絶対的な負荷の数々を乗り越えたその肉体は、本来ならば老化と共に死滅していくその細胞を、『決して消滅することのない細胞へ変化させる』のだ。
不死身というわけではないが(外傷などを受ければ、それが原因で命を落とすことはある)、肉体が老化しないということは、つまりは「寿命」という名の枷から解放されたということになるのである。
人が長きに渡って望み続けた、不老不死という言葉を体現するその姿。
その為、元は少年少女だった人間が新たに“グラン・ヴァルカス”となった場合は、(外的な要因が働かない限り)永遠にその姿のまま行き続けることが可能であり――元が、ある程度年齢を重ねた人間であったとしても、超人種としての進化さえ果たしてしまえば、その姿のままで生きていくことができるのだ。(しかし、『進化』の際に身体にかかる負荷の大きさに耐え切らなくてはならないという面を考えるならば、老年の個体の存在はまず考えられないであろう。事実、“グラン・ヴァルカス”の個体数として最も多いとされていたのが、人間で言う所の外観で『青年層』に当てはまる個体であった)
“グラン・ヴァルカス”達は、新しい命を創りだす上で、それだけの特徴を備えた自分達と全く同じ種族を創りだすことはしなかった。
あくまでも自分達は支配する側、生物的に優位に立つ側でいなくてはならないのだから。
新しい命達は、既存の人類達に比べたらはるかに長い寿命、だが決して無限ではない時を与えられ(非常に進行は遅くとも肉体は老化を重ねていく)、人と呼ばれる存在よりも優れた身体能力も与えられ、“グラン・ヴァルカス”の際立った特徴でもある『生身の存在でありながら、自らをその中枢とし多数の兵器群を同時に操ることが出来る』という性質までも受け継いでいた。
そして、『戦うための存在である』という性も同時に。
更に、新たな命達は、“グラン・ヴァルカス”とは決定的に異なる特徴も持ち合わせていた。
“グラン・ヴァルカス”には、寿命を捨てて永遠の命を手に入れた代償として、『自らの意思で、同種の一族を増やしていく』機能が完全に欠如していた。
生殖機能の完全なる喪失。これは彼らの創造者達が、自らの作り出した命がその管理外で増殖していくことを避けようとしたためであり、その身に深く刻まれた一種の呪いのようなものであった。
だが、“グラン・ヴァルカス”によって創りだされた新しい命達は『自らの意思で同種の一族を増やしていく』ことが出来た。つまりは子を生し、次代を紡いでいくことが。
その新たな命達は“グラン・ヴァルカス”よりも『人間』に近しい存在として定義づけることも出来るかもしれない。
そして。そのような特徴を備えた命達は、自らの意思でもって種族全体を繁栄させていくこととなったのである。
この命達は創造者である“グラン・ヴァルカス”に導かれ、世代を重ね大々的な一種族としての地位を確立していった。
だが、それでも、自らの創造者である“グラン・ヴァルカス”達に牙を剥くことは無かった。
――かつて“グラン・ヴァルカス”達が創造者達によって、深層意識へと刷り込みを受けたことと同様にして、命達の最も深層的な本能部分に『種としての務めを果たすこと』を深く刻み込んでいたのだから。
その命達は、自らが拠点として用いていた惑星ヴァル・ランダルを基点に発展を続け、重力場によって外界から遮断された暗黒の星系をヴァル・ヴァロス星系と名付けた。
そして、いつしかその命達は、そこにあった星系と惑星の名を借りて、自らを“ヴァル・ファスク”と名乗り始める。
その命達の種としての務め。
それは、自らが“ヴァル・ファスク”である限り“ヴァル・ファスク”であり続けること――。
自らの眼前に広がる、圧倒的な力を持つ文明を前に、その監視の眼を逃れながら、セレナが集積できた情報はここまでであった。
しかし、そこで新たな疑問も生じてくる。
そもそも、“グラン・ヴァルカス”達は一体、いつからこの地で暗躍を続けてきたのであろうか?
重力の壁に覆われているとはいえ、人々の新たな拠点となったジュノーから、比較的近しい地点に位置するこの星域に、彼らが存在していたというのであれば、彼らが、銀河を渡る人々の移住の旅路の中へと、密かに紛れ込んでここまでやってきたということは間違いない。
そして人々の誰にも気付かれず、いつの間にか、ここまでの文明を造り出していたのである。
新たに創りだした“ヴァル・ファスク”と呼ばれる種族を利用して、何を為そうとしているのかという点についても不明だ。
そして、何より。ライブラリからデータを奪取し、確かにこの場所へと逃亡してきた筈の“グラン・ヴァルカス”の痕跡が、一切発見できないのでいるのだ。
――まるで、自らが生み出した“ヴァル・ファスク”という種を、もはや導く必要が無くなったと言わんばかりに。
彼らがライブラリに侵入した理由も分からないまま。これは、これから先の歴史の流れの中から判断されることではあったが、“グラン・ヴァルカス”は再び、歴史の表舞台から忽然としてその姿を消してしまったのだ。
そこに残されたのは、“ヴァル・ファスク”という名の新たな戦闘種族だけ。
その彼ら自身も、自らの創造者である“グラン・ヴァルカス”の行方を気に留めている様子ではなかった。
その存在が居なくなってしまっても、自らに化せられた存在意義だけは変わらないと物語るかのように。
セレナ自身もこの事実をEDENへと伝える為に、これ以上の状況の進展は望めないとして、その星系を一度去ろうとしていた。
だが、その時になって遂に、“ヴァル・ファスク”達によって発見され、攻撃を受けることとなる。
“ヴァル・ファスク”艦隊の執拗な追撃を逃れながらも、その攻撃の影響から傷を受けた“原初の月”は、人間で例えるならば満身創痍とでも言える状態であった。
その状態で、危険な超磁場と重力震が渦巻く危険宙域を抜け、EDENへの帰還を果たせたのは、まさに奇跡と言えるだろう。
――ジュノーに帰還したセレナは、傷を負った自らの身体ともいえる“原初の月”の修復作業よりも優先的に、EDEN最高評議会にて、彼の地で自らが目にした事実を報告した。
彼女の報告通りであるならば。いつしかEDENとヴァル・ランダルを隔てる壁を越え、“グラン・ヴァルカス”の血を引く者達、“ヴァル・ファスク”がこの地へと攻めてくることも十分に考えられる。
最高評議会はすぐさまEDEN全域に戒厳令を敷き、やがて来るべき破壊者達へと備えることとした。
そして。彼らのその判断が誤りでなかったことは、すぐに証明されることになる。
“ヴァル・ファスク”が持ち得る科学力は、その全てが支配制圧の為の軍事力として注がれていた。
その為、軍事的科学力という面では当時のEDEN文明より、幾分か進んだ段階を誇っていたのだ。
彼らは、その力の一環として発展させてきた空間操作技術を用い、やがては自らと外界を隔てていた「壁」を打つ破ることに成功する。
ヴァル・ヴァロス星系を覆い、彼の地を暗黒の星域たらしめていた壁の消失。
その遮りを失くした“ヴァル・ファスク”が為さんとすること――他星系への進行とその支配。
かくして、その牙はEDENの地へと容赦なく向けられることになる。
EDEN側からすれば“ヴァル・ファスク”達の侵攻は、例え厳戒態勢を敷いていたとしても、あまりにも突然で、容赦なく迅速であった。
生粋の戦闘種族である“ヴァル・ファスク”とは異なり、長きに渡る平穏の時を過ごしてきた人々にとっては、彼の者達との軍事的衝突はあまりにも不利ではあった。
無慈悲に破壊を撒き散らす者相手に、軟弱な人類が叶うべくもない。という考えが“ヴァル・ファスク”側の予測ではある。
だが、事態はそれとは少々異なる方向へと向かっていくことになった。
EDENへの侵攻開始時点における“ヴァル・ファスク”の総人口は、数多の星々に生活の場を広げている人類達から比べれば、遥かに少なかった。
たとえ『一人存在するだけで、いくつもの兵器群を操ることが出来る』という特性を持っていたとしても、個体数的には絶対的に劣っていたのだ。
だが。自らが誇る、相対する人類達よりも幾分か進んだ軍事技術に関して――有体に言うなれば『質』の部分では、わずかに勝っていた。
その為、両者の戦いは、“ヴァル・ファスク”側が『質』、人類側が『量』といった力をぶつけ合うこととなり、対極の性質を持つゆえか互いに均衡した状勢となっていったのである。
その結果、短期の決戦を望んでいた“ヴァル・ファスク”側の予測と異なり、決定的な決着の時を迎えぬまま、人類と“ヴァル・ファスク”は長きに渡って争い合うこととなる。
圧倒的な力を奮う“ヴァル・ファスク”という強敵を前にして、人類側も持ち得る力の出し惜しみはしなかった。
眠りについていた数々の『月』までもが、戦いの為の兵器として、その封印を解かれた。
例え、この戦いが自らを守るための戦いだとしても、かつて自ら破滅を招くことになったその軍事力を、再び戦いに使うことを皮肉に思えたとしても……種としての存亡をかけた戦いを前にしては、致し方のないことであったのかもしれない。
互いに死力を尽す両勢力間の戦いは、それこそ永遠に、均衡状態のまま続いていくのではないかとすら思えた。
……だが、ここに至って再び状況に変化が表れる。
当初は数的な面で勝っていた人類達。
しかし、それはあくまで『非戦闘員を含めた全ての人数』を基にしていたことである。
対するは、生まれ来る全ての命が、戦うことを本能とする“ヴァル・ファスク”。
徐々にではあるが“ヴァル・ファスク”側もその人口を増やしていき――遂には、「“ヴァル・ファスク”側の種的勢力が、人類側の戦闘要員分の勢力を上回る」という事態を迎えることになった。
これによって均衡していた勢力図は一変し、事態は“ヴァル・ファスク”側の優勢へと徐々に傾いていく。
そこから続く戦いの中。超兵器の塊である『月』達までもが“ヴァル・ファスク”の圧倒的な力を前にして、その幾つかは破壊されてしまった。
このことは“原初の月”――セレナ・アーデンハイルですらも例外ではなく――完全な破壊は免れたものの、暫らくの間は、その機能を発揮できない状態にまで追い込まれてしまっていた。
誰がどう見ても人類側の劣勢は明らか。……人類はその事態の巻き返しを図るべく、切り札としての兵器――『月』の名を継ぐ、二つの新たな兵器を造り出した。
――――『白き月』と『黒き月』。
白き月は、人の心をその源とする力。既に、この時代から用いられていたH.E.L.Oと呼ばれるシステムの最も極限たる力の表れである。
対して黒き月は、人の心という不安定要素を排除した機械的な絶対力を源とする力。純粋な力のみを奮う“ヴァル・ファスク”に正面から対抗するのであれば、もしかしたらこの力こそがうってつけであったのかもしれない。
そして、2つの月は過去に開発された様々な超技術――かつての『月』達が内包していたような高度な技術群と、超長距離間に及ぶ宙間移動を単独でこなせるという特性、ライブラリにおける情報集積体としての特性等、その全てを集約させた、人類の叡智の集大成であるとも表すことが出来ただろう。
この両極の性質を持つ力の有用性を互いにシュミレートし、その結果として選択された力でもって“ヴァル・ファスク”へと対抗する――これが人類の切り札とも言える二つの月に与えられた役割であった。
だが、この二つの月が互いにまだ試作段階でしかなかった頃に、巨大な災厄がやってきた。
――あまりにも唐突で、絶対的な無慈悲さを伴って。
なおも抵抗を続ける人類側に対する切り札を、“ヴァル・ファスク”側は既に手にしていた。
かつて、ヴァル・ヴァロス星域全体を覆っていた忌々しい壁を消し去った際の技術を、更に進歩させ造り上げた究極の兵器。
全ての時空間に干渉しうる最強最悪の兵器。
――それは、『クロノ・クェイク・ボム』と呼ばれていた……。
そして。
勝負を決する為に、その悪魔の兵器は起動させられる。
災厄は解き放たれた――――。
突然の長距離通信の不通。突然の超空間移動技術の利用不能状態。
その全ては、“ヴァル・ファスク”によってもたらされた、絶対的な危機であった。
長距離通信と超空間移動技術が使用できないという状況は、広大な銀河に散っていった人々がそのネットワークを失い、孤立していくことを意味する。
各々の惑星は、昨日までの隣人の姿を突然見失うことになり、徐々に衰退の一途を辿っていくことになった。
そうして衰退していく人類達を“ヴァル・ファスク”側は個々に制圧していく。
やがて、EDEN文明の中心的役割を持つ惑星ジュノーをもその手中に収め、長きに渡る闘争は人類側の敗北という形で結することとなる。
ここから数百年の長きに渡り、“ヴァル・ファスク”による支配の日々が、かつては『楽園』と呼ばれていた地で、続いていくことになった。
――――それは、今からおよそ600年前の出来事であった。
なお、この際に……詳しい原因は不明であるが、未だ試作段階であった2つの月は唐突にその行方を暗ましていた。
それに合わせて、闘争の歴史の中で辛くも破壊されずに残った“原初の月”も、自らが超長距離間の宙間移動を可能とする機構を有していたが為に、クロノドライブといった超空間航法が使用出来ないという状況でありながらも、星々の海へとその身を逃すことに成功していた。
“原初の月”はそこから長きに渡り、自らが再びその役割を果たせるその日を、ただひたすらに待つ続けていた……。
更に言うならば。白と黒の月に関しては、長い月日の果てに。――両者ともに、後にトランスバールと呼ばれる星間国家の治める地に現れたということは、周知の歴史の通りである。
EDEN本星をその支配下においた“ヴァル・ファスク”達にとっても、それは戦いの終わりを告げる意味合いを持つ行為ではなかった。
彼らの支配欲は留まることを知らず、これから先も数多の星々をその手に収めんとしていたのだ。
だが。自ら引き起こした時空震の影響から、“ヴァル・ファスク”自身も、通常の航行では辿り着けないような遠くの地へと、支配の手を伸ばす事はこの時点では不可能であった。
だが、彼らにとってはそれすらも大きな問題ではない。
永遠ではないといえ、限りなく長い寿命を持つ彼らにとっては、時空震の影響が消え去る数百年の時を待ち続けることなど、造作のないことであったのだから。
再び超空間航法が使用可能となった暁には、個々に衰退した文明を制圧していけばいいと高をくくっていたのだ。
――時の“ヴァル・ファスク”の最高指導者の名はゲルン。
最古の“ヴァル・ファスク”とも呼ばれもした、彼の思惑を打ち砕く存在が、やがては自らの眼前に立ちはだかることになるとは、今の彼は知るよしも無かった。
この後の歴史の流れは、トランスバール皇国で生活する人間であれば、誰もが知る事実であろう。
衰退する文明に、光をもたらした白き月の出現。
大航海時代の始まりと、皇国の繁栄。
そして、エオニア皇子によるクーデターと、黒き月との戦い。
長き時を経て、遂にはその支配の手を皇国へと伸ばしてきた“ヴァル・ファスク”の存在。
EDENからの使者。
EDENの解放と“ヴァル・ファスク”の最高指導者ゲルンの撃破。
再び、銀河を覆わんとした大災厄の阻止。
そして……。銀河を救った天使達の伝説――――。
銀河はようやく平穏の時を迎えたかに見えたが、それは、誰もが預かり知らぬ所で、新たな脅威を呼び起こす引き金となっていたのだ。
その最終的な目的は不明のままであるとしても、自らが造り出した“ヴァル・ファスク”という種の敗退。
それを受けて、長きに渡り歴史の裏へと沈んでいた存在が――超人種“グラン・ヴァルカス”が再び。その行動を開始し始めたのだ。
静かにではあるが、ゆっくりと確実にでありながらも淡々として、まだ誰もが理解出来ないその大願を果たすために。
その事態を受け、一人、孤独に銀河を彷徨っていた“原初の月”――セレナ・アーデンハイルも行動を開始した。
新たに迫る来る脅威を……銀河を唯一、救い得る『翼』達へと伝えるために――――。
「……まぁ、聞いての通り。ここまでのことが、セレナっていう女の言い分らしいんだけど。……正直、信じられる?」
白き月の謁見の間。自らが与り知らない、果てしない過去から続いてきた歴史の流れを聞かされ、ただ呆然とする一同を前にして問いかけてくるノアは、相手の答えを待たずに一気に捲くし立ててきた。
「あたし達が母なる文明だと思っていたEDEN文明。それよりも太古に、優れた科学技術を持った人類が、遠い星の果てに存在していたということ。EDENの技術や『白き月』と『黒き月』。2つの月ですらも元を辿れば、太古に栄えていたと言うこの文明に行き着くという事実。――更にはあの“ヴァル・ファスク”をも凌駕するという“グラン・ヴァルカス”と名乗る連中。……全ての基を辿れば“グラン・ヴァルカス”、そして、“ヴァル・ファスク”を生み出した存在が、人類の遠い祖先であったということ。今の今になって突然、歴史の表舞台へと姿を現したセレナとかいう“原初の月”の管理者。……どれもこれも信じ難い事実ばかりだわ」
ここまで一気に言い切って、ふぅ。と大きく一息つくノア。
「確かに信じ難い話ではあるが、ここ数年の間に色んなことが起こりすぎたからからな。あながち嘘とは言い切れないのかもしれんが……」
「それに、そのセレナさんという方の所に、タクトさんや先輩方が居るという話がもし本当だとしたならば……」
「でも、何かの罠ということも考えられますよ? ロストテクノロジーについて、ある程度ことは理解しているつもりの自分としては……疑いたくはありませんが、正直あそこまでの知識を見せ付けられると逆に怪しく思えてきて……」
「そうね……。確かに、話がうまく行き過ぎてるような気もするし……」
「でも、僕には、あの女の人の言葉に悪意のようなものは感じられなかったのですが……」
順々に自分達の意見を述べていくレスター、ちとせ、クレータ、ケーラ、クロミエといった面々。
事態の受け止め方は各人によって異なり、その意向が一つにはまとまっていない。
そのような状況の中、ちとせが……どこか遠慮がちではあるが、何かに気がついたと言わんばかりの、やや確信を秘めた口調で再び口を開いた。
「それに……私。このセレナさんが言っている内容に、嘘はないと思うんです。今になって気がついたのですが、私が半年前に聞いたあの謎の声。その声の主と、セレナさんの声がどうしても似ている気がして……。もしそうだとするならば、私達を、あの時に消えてしまったタクトさん達の下へと導こうとしているという話も、本当のことであるように思えるんです」
「それは本当か、ちとせ!?」
「……えぇ。始めは半信半疑な感覚もあったのですが、セレナさんの声を聞いていくうちに、やっぱり間違いないんだと思えてきて……」
「あの時、その謎の声を聞いたのはちとせさんだけです。その彼女が言うのであれば、もしかしたら……」
そのやり取りをまとめるような形で、再びノアが語りだした。
「なるほどね。そりゃあ、あたしもあんた達みたいに色々と考えたわ。突然の話だし、迷ってしまうのも無理もない。ただ、ちとせが言うようにこの女の言葉が真実であるということも……信じ難い気持ちはあるけれど、やっぱり可能性としては大きいのよ」
ここで一度、言葉を切る。
「それでね。ルシャーティに頼んで、EDENのライブラリを使って“原初の月”という言葉を探ってもらったのよ。……そうしたら、あながちこの話も嘘だと言えなくなってきてね」
その言葉を受けて「?」という疑問符をその顔に浮かべる一同。
「ルシャーティが言うには、ライブラリに納められた情報の中に“原初の月”という言葉は確かに存在するそうなの。しかも、その情報に関してはライブラリの管理者であるあの娘ですらも、その内容を間単には閲覧できない程の深部情報として、最高レベルのセキュリティがかけられてるらしいわ。今でも、あの娘が懸命に解析に取り掛かってくれてるらしいけど……とりあえずは、セレナが言ってきた事に真実味が強まったというわけね」
その言葉を聞いて、なるほどと一応の納得を見せた一同に対して――ここからが本題だと言わんばかりにもう一度だけ言葉を切る。
「さっきセレナが言っていたように、この女はあたし達の力をかりて、“グラン・ヴァルカス”っていう連中を何とかしたいみたいね。実際に、半年前の事件で行方不明になったタクトやエンジェル隊の姿をはっきりと見せられたら、その言葉を無視するわけにもいかないし。だから、あんた達には“原初の月”へと赴いて、事の真意を確かめてもらいたいのよ。セレナ本人も、出来ることなら自分の下へと訪れて欲しいってことを、今再生したのとは別のメッセージで言ってたしね。……ご丁寧に合流地点の内容まで、暗号化して」
「あぁ。半年前のこともあるし、その道中に何も危険がないとは言い切れないから、それなりの準備はしておいたわ」
再び付け加えるようにして告げながら、シャトヤーンに目配せするノア。……ここから先の説明に関してはシャトヤーンに任せるつもりらしい。
「皆さんがセレナさんの下へと無事に辿り着けるように、私達の方であるものを用意させていただきました。皆さんにとっての『新たなる力』となるであろうものを……」
「新たなる……力?」
ここでも、誰とは無しに上がる疑問の声。
「こちらに関しても、実際に皆さんの目で見ていただいた方が理解し易いかと思います。……どうか、私の後に着いてきて下さいませんか?」
続々と判明していった驚愕の事実の数々。
それらの出来事に驚かされたままである一同は――シャトヤーンに導かれる先で、目にするであろう光景、耳にすることになるであろう事実に、期待と不安を同時に浮かべたような表情をしながらも、その導きのまま、ただ静かに謁見の間を後にしていった。
その空間の特徴を一言で、しかも、端的に言い表すならば、何かの実験室もしくは研究室というべきか。
ふと目に付く限りでも、普通の人間が一瞥しただけでは、何に使うのかよく分からない器具類が散乱しているその場所は、殆ど光を灯していないとでも言える薄暗い照明に照らされており、一見しただけではその広さを測り知ることは出来ない。
しかし、その薄暗さに慣れてしまえば、そこは「部屋」というより「フロア」とでも呼べるような相当な広さを保有していることが窺える。
その薄暗いフロアの一画で。辺りを照らす照明の光とは別の光が、それらの照明よりも明るい光量を放っていた。
その光の正体――それは、大の大人がすっぽりと中に納まってしまう程の大きさを持つ、透明なガラスで密閉された、巨大な容器に似た形をしたカプセルだった。
カプセルは計6つ。カプセル内に満たされていると思われる溶液が、薄闇の中で緑色に輝いている。
そのカプセルに内包されているのは、その緑色の溶液だけではなく、その奥に人の姿らしきものも見て取れた。
6つのカプセル全てに、簡素な作りのローブのようなものを着込んだ人型の生物が浮かんでいる。
性別は男女様々であり、彼らは例外なく、その顔に安らかな寝息を立てているかのような表情を浮かべていた。……のだが、そのうちの数人がゆっくりと目を開き始める。それと同時に、衣類に覆われていない身体の表面に複雑な紋様らしきものが描かれ始めた。
そのような状況の中で突然。6つのカプセルの内の5つを覆っていた透明なケースが、前面に向けて大きく開かれた。
囲みを失って、外部に向けて流れ出す溶液と共に押し出されるような形で、やや乱暴にしてカプセル外へと吐き出された者達は、躓いたりすることなく、ごく自然な状態で地面へと降り立つ。
そして、突然の目覚めにさして驚いた素振りも見せず、自らの力を必要とした主たる者達の下に向かう為、淡々と歩を進め始めた。
超人種たる“グラン・ヴァルカス”が待つ場所へと……。