夢。……彼女は夢を見ていた。

 

夢の中の彼女がいる場所は、静かな部屋だった。

そこに突然、響き渡る音が一つ。

轟音という程ではないが、先ほどまでの程よい緊張感と共に、静けさに支配されていた場に残るその音は、それなりに耳に響くものではあった。

先に響いた音に続いて二つ、三つ……と続けざまに鳴り響いた音は、計六回。

――音の正体は銃声。

レーザー式の銃が全盛という今の時代においては、現存することすら珍しい火薬式の銃による発砲音である。

計6発の弾装を全て撃ち出した古めかしい銃を――その手に持つ女性が、彼女の方に振り向きながら、その表情にやや力強さを含めた笑みを浮かべた。

情熱的な赤色を帯びたセミロングの髪。

左目にかけられたモノクルと、右目、両の瞳が放つ光は強い意思に輝いている。

 

彼女が、今居るこの場所は射撃訓練場。

気晴らしにでも、ということで目の前に立つ長身の女性から誘いを受け、訓練に付き添っている。

彼女は、先の女性が手にしていたものと同型の拳銃を受け取り、射撃スペースに立った。

集中し、狙いを定めて、的を打ち抜く。

一発、一発、落ち着きながら、慎重に狙った筈の的に穿たれた弾痕は――先の女性のものが、全ての弾を一箇所に収束させ、一つの大きな穴を空けていたのに比べ、彼女が放った弾丸は、所々、別々の箇所に空白のスペースを作っていた。

普段、自らの訓練に使っている弓とは随分と勝手が違うものだな、と心の中で思いながら――射撃という行為においては、まだまだ自分は未熟であるという点を少しだけ反省する。

そんな彼女の様子を見て、赤毛の女性は、「まぁ、まだまだこれからさ」と言いながら笑いかけてくる。

その笑みは、決して嫌味なものではなく、まるで自分の後に続く者を優しく励ますような笑みだった。

女性の声を受けて、彼女も、また機会があったらこの場に来て、精進を続けてみようと心に思う。

 

この頼りになる先達者と共に、己の力を磨いていく。

その時間も、彼女にとっては楽しく過ごせる時間に違いはなかった。

 

 

 

――それは、そんな夢だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――今、この艦にいる人々の心は、再び一つになろうとしている……。宇宙クジラが、そう言っています」

白い砂浜と、静かな小波に揺れる海とのちょうど境目に立つ、綺麗な顔立ちをした少年が、ふとそう呟く。

柔らかな日差しを放つ陽光――これは自然のものでは無く、あくまで人口的な光ではあったのだが――に、照らされているのは、その少年ともう一人。

「え?」 

艶やかな長い黒髪をそよ風に揺らせていた少女が、きょとんとした顔で、目の前に居る少年の突然の言葉に反応する。

「……あぁ、すみません。宇宙クジラが、どこか嬉しそうに語ってきたものですから。つい、口に出てきてしまいました」

「再び一つに、ですか」

 黒髪の少女。烏丸ちとせは、その顔にまだどこか疑問符が残っているような表情をしていた。

「えぇ。この『新しい力』を手に入れたことで、大切な人達を助けに行けると。誰もがそう思って、その目標に向かい、心を一つにしていこうとしている。――かつて、幾度も経験してきた時のように。そこから奏でられるハーモニーが、とても心地良い。……ということらしいですよ」

ニコッと笑いながら少年――クジラルームの管理人、クロミエが告げてくる。

「あぁ! そういうことでしたか!」

 クロミエの言わんとしていることに、ようやく合点がいったという表情を受かべるちとせ。

 

 新たに手に入れた、この力。

 この力で――大切な人達との再会を果たすため……。

 

 クロミエの言葉を聞いて、あの日から常に思っていた想いが、ちとせの胸中で大きく木霊し始めた。

 その想いが、この力を手に入れた、あの時のことを再び思い起こさせていく――――。

 

 

 

 

 

 

「これは!?」

 謁見の間を後にした一同がシャトヤーンによって案内された場所は、月の管理者や軍上層幹部、王族、またはそれらに属する極限られた研究者達のみが、立ち入ることを許された白き月の兵装部でも、特に深部に位置している箇所だった。

その広大なスペース内に存在する格納庫で、『それ』を目にした一同は、ただ驚きの声を上げることしか出来ない。

 

『それ』は、巨大な(ふね)だった。

 

 『それ』を目の前にしながら、月の聖母が告げてくる。

「これが皆さんに贈る『新しい力』です」

 

――その名は……。

 

 

 

 

 

 

クロミエとの別れ際に「何かありましたら、遠慮なく御連絡下さい」と告げて、クジラルームを後にしたちとせは、同Dブロック内にある格納庫へと足を運んでいた。

やって来たちとせを、今しがた格納庫内の一通りの整備点検を終えたクレータ班長が出迎える。

「……それにしても、今この場に立って色々と整備していても、やっぱりまだ少し信じ難いものがありますねー。私達の知らない間に、こんな物が建造されていたなんて。改めて見てみると――やっぱりこの艦の戦闘能力は、以前とは比べ物にならない程高いんですよ!」

 未だに半信半疑であるとは言いつつも、クレータのその言葉は、高度な技術を目の当たりにして少なからず興奮を覚えてしまう整備士としての性からだろうか――やや熱を帯びたものとなっていた。

「えぇ、そうですね。細かい技術的な面に関しては、私は完全に門外ですが……それでも、この艦が持つ圧倒的な戦闘力については理解しているつもりです。ただ、その力に溺れるようなことだけは無いようにしないと……」

 対する少女は、やや神妙な面持ちで告げてくる。

「え? ……あぁ、やだなぁ〜、ちとせさん。そのくらいのことは私も分かってますって!」

「いえ! こちらこそ、何やら出過ぎたような物言いをしてしまい、申し訳ありませんでした……」

クレータはいつもと変わらぬ笑顔で返したつもりではあったが、殊の外ちとせは自分の発言を……言ってしまった後ではあったが、気にしてしまったようだ。

目の前で萎縮したような態度を見せるちとせを前にして、クレータは「ん〜、どうしたものか」といった仕草でポリポリと鼻頭を軽くかく。

そして、ふと思い立ったようにして目の前の少女に告げた。

「でも、この力があるお陰で、またタクトさん達に会えるかもしれないんじゃないですか。私に出来ることは、ここで整備するくらいのことしかないけれど、その日までは精一杯頑張っちゃいますよ〜」

そう言いいながら、ガッツポーズを取ってみたりする。

その姿が何だか微笑ましく思えて、ちとせはその顔に満面の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

「――――セラフ。白き月に残されている太古の言語で「至高の天使」という意味を持つ言葉です。その名を冠した、新たなるロストテクノロジー運用戦闘艦――エルシオール・セラフ」

 

「エルシオール・セラフ……」

 シャトヤーンの言葉を受けて、誰とは無しに繰り返されるその言葉。

艦全体としての形状は『エルシオール』と呼ばれていた儀礼艦を踏襲したものであったが、その姿はあまりにも大きく――現在、皇国で運用されている一般的な戦艦よりはるかに巨大である。

 更には、一見しただけで武器と分かるような数々の武装が、所々に設置されていることが見て取れる。

 その中でも特に目を引くのは、艦の前面に突き出すかのように伸びている二門の砲身と、艦底部に直接接続されているかのように存在している長大な砲身であった。

 その姿を前にして――このような状況であっても冷静な態度を崩さないレスターだが、わずかに驚きを含ませた声音で至極当然の疑問をポツリとこぼす。

「こんな物が……一体、いつの間に建造されていたというんだ……?」

「まぁー、驚くのも無理はないかもね」

兵器のことなら自分に任せろと言わんばかりに、ノアがその後の言葉を繋いでいく。

「結論から言ってしまえば……元々この艦は、エルシオールと一緒にこの白き月の中に保管されていたのよ。儀礼艦という名目から、白き月の外で利用されるようになったエルシオールとは違って、この艦はずっとこの場所にあり続けたの。――全長1549メートル、全幅488メートル、全高717メートル……ざっと見たところで、エルシオールのちょうど倍くらいの大きさって所かしら。勿論、エルシオールと同じくロストテクノロジーの集大成でもある紋章機の運用が可能な点も同じ。これだけの巨大な艦は、単なる儀礼艦として用いるにはちょっと大きすぎたのかもね」

 一同は、ノアの語り出した内容に食い入るように意識を集中させている。

その注目の視線を一斉に浴びる事は、彼女にとっては少し気恥ずかしいことでもあったのだろうか。

あ〜、そんなに焦らなくてもちゃんと説明してあげるわよ。とでも言いたげに、それらの視線を振り払うような仕草を見せた後、先程よりもやや早口に告げてくる。

「“ヴァル・ファスク”との戦いが終わって、ちとせとタクトをアナザースペースから救出する頃までの間だったかしら……。再び皇国が強大な危機に襲われた時に備え――この巨大艦を、儀礼艦であるエルシオールとは異なり『純粋な戦闘艦』として運用すべきだと――この艦の存在を以前から知っていた軍の上層部の連中が言い始めたのよ。さっきも言ったことだけど、この艦には紋章機の運用能力も備わっていたことだしね。でも……あたし達も、はいそうですかと、それに従うわけにはいかなかった。あんた達にはあまりピンと来ないかも知れないけど……。いくら平和な世の中になったと言っても、軍部の連中の中には、自らの保身や権力争い、やたらと大きな力を求めたがる奴らがいるわけ。そんな連中がこの艦の存在を知ったら……少なからず、面白くないことを考える奴が出てきてもおかしくはないでしょ?」

 確かにそういった連中に関しては、過去の出来事からもいくつか心当たりがある。

「まぁ……そう言った政治的な面で、ルフトやシヴァなんかは結構苦労してきたみたいだけど」

 そう言いながら、ノアは視線をシヴァとルフトに向ける。

「すまなかったな……。本当なら、せめて皆にだけはこのことを伝えておきたかったのだが……」

「まだ幼い身でありながらも、真に皇国の未来を案じている者以外に……中には、その内に良からぬ野心を秘めているような連中の相手を日々こなしている陛下じゃ。――その心中を察してやってくれんかのう」

 だが、この場にそれを咎めるような人物は居ない。――誰もが、この幼き女皇のことを心より尊敬しているのだから。

「とにかく、そういった連中に対する警戒や、余計な混乱をさける為に……一応は第2のエルシオールとしての改修を進めてはいたんだけど、この艦自体の存在は極秘事項として置いておくことにしたの。でも……次第に、そうも言っていられない状況になってきた」

「……半年前のあの事件ですね」

「そう。あの事件で、今まで皇国防衛の最大の要とされていた儀礼艦エルシオールと、一機を除いた全ての紋章機が行方不明になった。その事態を受けて、この艦を皇国防衛の新たな要として運用する為に……その運用が可能となる時までは秘密裏ではあったけれど、急ピッチで改修作業が進められることになったの。それこそEDENとの交流で得た技術やら、“原初の月”のセレナが伝えてきたような情報も、利用できるものは全て利用してね。――それで、今あんた達の目の前にあるこの艦が「完成」したってわけ。……ここまで大分、回りくどいことをしちゃったけど、要はこの艦をあんた達に託すから、この力を使ってタクトやエンジェル隊の連中を迎えに行ってやりなさいってことなのよ。ただ……こちらの動きを『敵』に悟らせない為に、単艦での隠密行動になるけどね。――あんた達が正式にこの艦を受領したら、軍の連中やそれ以外の人間に対しても、この艦の存在を公のものとさせてもらうからそのつもりでね。皇国の英雄と謳われるあんた達の手に渡ったのであれば、一先ずは安心。誰も変な気持ちを抱いたりはしないはずよ」

「俺達がこの艦を……」

「あぁ、司令官は暫らくの間あんたにやってもらうから。それが嫌なら、元司令官のあのお気楽男をさっさと見つけて、押し付けでもしてやることね」

何だと!? というレスターの声は無視してノアは続ける。

「ちとせは今までと変らず紋章機を用いた戦闘要員。そこに居るあんた達も、役割は以前と変らないわ。他のクルーに関してもそう。以前のエルシオールとほぼ同じメンバーで選抜し、艦が大型になったことで人手が足りなくなる部分には新たな人材を回す……って、何不思議そうな顔してんのよ?」

「ノア。そんなに急いで説明したら皆さんが混乱してしまいますよ? 順を追って説明していかないと……」

「あぁ……そうね。そう言えば、あんた達はこの艦の中のことをまだ知らないのよね。あたしとしたことがすっかり失念していたわ。……ほら、着いてきなさいよ? そうすれば、この艦が『エルシオール』の名を継ぐと言った意味も分かる筈よ」

きっと驚くわよ〜、と少し意地の悪い笑みを……微かに見せたような感じがする……その少女に導かれるまま、一向は艦の中へと足を踏み入れていった。

 

 

 

 

 

 

香ばしい香りが鼻孔をくすぐり、それと同時に、口の中一杯にほろ苦くありながらも、適度に甘味を帯びた良質のコーヒーの味が広がっていく。

「お味の方はどうかしら? 今日は、いつもとは少し違った種類の豆で淹れてみたのだけれど……」

「とっても美味しいですよ。やっぱりケーラ先生は、コーヒーを淹れるのがお上手ですね」

「ふふっ。おだてても何も出ないわよ? これでもあの子には、まだまだ及ばないだろうし」

 『あの子』というのが誰のことを指すのかは、今この場に居る二人からすれば、わざわざ名前を出すことがなくとも分かりきったことでもある。

「それで? あなたの目から見て、艦の皆の様子はどうだった?」

 格納庫を後にしたちとせは、医務室内でコーヒーを飲みながらケーラと言葉を交わしていた。

「別段、変ったような点はありません。特に不満点や要望等を聞くこともありませんでしたし」

ちとせは、再びコーヒーグラスを口に運んだ。口内にコーヒー独特の苦味を帯びた味が広がっていく。

カップを置き、目の前で若干考え込むような仕草をしている女医の次なる言葉を待つ。

「……そう。なら問題ないわね。私の所にも、新しい環境に慣れなくて不安だとか……そういった相談をしに来るような人もいないし。身体の不調で訪ねてくる人と言えば、食堂の料理があまりにも美味しかったから食べすぎて胃がもたれたとか、単に寝不足だとか、どうしようもないようなことでやってくる人くらい」

「はぁ……。寝不足は仕方ないとしても、食べすぎでですか……」

ちとせは軽く相槌を打ちながらも、少し呆れてしまう。

でも、冷静に考えてみれば――あの食堂のおばさんの料理を目の前にしててでは、そうなってしまう気持ちも分からないでもなかった。

「そんな光景が見られるのも、今が何事もなく平和な証拠ってことかしらね。……それにしても助かったわ。ほら、この前も話したことだけど……この艦に乗っている皆が、健康に過ごせるようにするのが私の務めだから。その皆が、この新しい環境に慣れなかったりして、何か問題が起きるかと不安に思っていたの。様子を診て回ろうにも、私はこの部屋からそう頻繁に離れられないし。やっぱりブリッジであなたや副司令……じゃなくて、今は『司令』だったわね……相談してみて良かったわ」.

「いえ。私も自分に出来ることをやりたいって思ってしていただけですし。それに、艦の中を見回って色々な人達とお話してみて、私自身も気が晴れる部分がありましたので……」

 ちとせはケーラから相談を受けたように、艦内クルー達の間で何か要望や不満点等がないかを、艦内見回りを兼ねて聞いて回っていたのだ。

 

――かつて『あの人』が、頻繁にそうしていたように。

 

 結果として、艦のクルー達には主だった不満点等がないことが分かり、こうしてケーラの元へと最終的な報告をしに訪れたというわけだ。

「まぁ、新しいクルーを除いた人達にとっては、以前とそう環境が変ったというわけでもないし。……とにかく、何事もないようで良かったわ」

 そう言いながらコーヒーグラスを口に運ぶ。あら、結構いい感じじゃない、と今になって、自らが淹れたコーヒーの感想を述べる女医。

「あとは、出発の時を待つだけね。……ほら、1週間後でしょ?」

「えぇ……」

期待と不安が半々に入り混じったかのような、微妙な表情を浮かべながら――と言っても、それは見るべき人間が見なければ分からない程の微妙な表情ではあったが、そう答えるちとせ。

向かいに座る医師は、長年の経験からその微妙な変化を即座に察する。新しい旅路を前にしての、不安点は取り除かなけらばならない。

「きっと、会えるわ。……いえ、そうじゃない。会わなければならないのよ」

 私なんかが言っても、あまり説得力はないかもしれないけどね――と付け加えながら、白衣の女性は優しい微笑を投げかけてきた。

 

 

 

 

 

 

 ノアに導かれるままにして、『エルシオール・セラフ』と呼ばれた艦内へと足を踏み入れた一同は、ただ驚愕するばかりであった。

彼らが案内された、その先々で目にする光景が……以前から見慣れていた光景と、あまりにも似通っていたのだから。

 

――単に、『エルシオール』と呼ばれていた儀礼艦内で、かつて見ていた筈の光景。

 

ノアが言うには、各施設の間取りに若干の変化はあるが、それ以外の点では出来うる限り、過去のエルシオールの姿に近づけたとのことだ(元々の大まかな艦の構造が、サイズの差はあれども『エルシオール』と酷似していたためでもあったそうだ)。

4つに区切られたAからDのブロック。ブリッジに司令官室、銀河展望公園。宇宙コンビニや食堂、ティーラウンジ。トレーニングルームにクジラルームやシュミレーションルーム。格納庫、医務室、射撃訓練場……。そのどれもが、以前とほぼ変らぬ状態でそこにあった。

クジラルームに至っては、トランスバール本星の特設プールで世話されていた宇宙クジラの搬入準備も進んでいるとのことだった。

「まぁ、あんなのでも一応乗組員の一人だしね」というのはノアの談。

この言葉が一番嬉しかったのは、やはりクロミエであったろうか。

 

そして。

 

「私達の部屋も……!」

 Cブロックに位置する「エンジェル隊の部屋」までもが。

驚いた? と微妙に誇らしげに聞いてくるノア。

「本当は、公園だのコンビニだのでかいクジラの部屋だの――そんな余分なものは必要ない……って以前のあたしなら言っていたでしょうね。でも、何て言うのかしら。今までの戦いで分かったことは、人間が力を発揮する為に必要なのは、絶対的に統制された無機的な要素だけではなく……あぁ〜、いい言葉が出てこないわね……! まぁ、余興というか、その、気の休まる場所みたいなのものも必要なのかなっていうか……何なのか、あ〜……」

 ここまで来て、始めの頃は堂々と語っていたノアの語調が、尻すぼみといった感じに段々とおとなしいものになっていく。まるで、今から自分が言わんとしていることに、照れ臭さでも感じているかのような様子だ。

「ん……どうしたと言うのだ? ノア?」

先程まで熱心に語っていたにも関わらず、急に言葉を詰まらせるノアの姿を見れば、誰だって怪訝に思うことだろう。

普段ははっきりとした物言いで、ズバズバと遠慮なく言葉を投げかけてくる少女が――モゴモゴと口篭る姿は、確かに珍しい。

「皆さんが、せめて戦いに身を置いていない安らぎの時だけは――笑って過ごせる場所を残しておきたかった。ノアの言いたいことは、そういうことなのでしょう」

「ちょっと……! あたしは別に……!」

途端に慌てた様子になるノアの言葉が、聞こえているのかいないのか。ノアの言い分を、シャトヤーンはさらりと躱して続ける。

「こういった設備を残すことに難色を示す軍部の皆さんに対して――ノアも、私と一緒に説得に当たってくれていたのですよ」

 その顔に浮かぶのは、いつもと変らぬ限りない慈愛を秘めた静かな笑顔。

その笑顔を見せられては、流石のノアも「あんたには敵わないわ……」と息をつくのみだ。そして、そんな彼女は変わり身も早かった。

「と……とにかく! あたしが言いたいのは、あんた達に十分な力を出してもらうには、こういった一見無駄に思えるかもしれない施設も必要になってくるのなら仕方が無いじゃないってことだけ。他に、特別な意味なんて何も無いんだから……!」

 矢継ぎ早にそう告げてくる。まったく、黒の月の管理者でもあった自分が、こんなこと言うなんてナンセンスだわ……と小さく呟いてもいたが。

「ふっ……素直ではないな」

 本人としては、聞かれない程度の小声で囁いたつもりであったのだろうが……どうやら、その声は素直になれない少女の耳に届いてしまっていたようだ。

「何ですって!?」

 声を上げる少女は、今しがた、どうにも捨て置けないセリフを発した――自分と然程背丈も変らぬ皇女に食って掛かる。

「何を怒っておるのだ、ノア? 私は単に思ったことを述べたにすぎんぞ。……それとも、何かその言葉に対する心当たりでも……」

 詰め寄られた側は、しれっとした顔でその追撃をかわしている。その顔に、ほんの少しだけ意地の悪い笑みを浮かべながら。

――その表情は、まだ幼き身でありながらも、王としての重大な責務に追われている少女の年相応の姿とでも言えるかもしれない。

「……ふん! まぁ、いいわ。それで、エンジェル隊のメンバーの部屋も何とか元の雰囲気を出そうと思ってはいたんだけど……どうにも特徴的な部屋ばかりというか、何だか色々とワケの分からない物ばかり置いてあったじゃない? だから、全て以前のままっていうわけにはいかなかったんだけど、出来る限りの所で、過去のあんた達の部屋を再現してみたわ。……まぁ、まともに再現できたのは、あまり飾り気の無かったちとせの部屋とヴァニラの部屋くらいかしらね」

「いえ! これだけ気を使っていただけただけで十分です! 先輩方だって、きっと喜んでくれます」

畳張りの床に弓道の的。見るものをどこか落ち着いた気持ちにさせる彼女の部屋は、変らぬ姿でそこにあった。

その光景を前にして感動したちとせは、輝いた表情で感謝の意を表す。

「う……まぁ、あんた達は皇国を救った英雄でもあり、これからの皇国防衛に欠かせない切り札っていう存在でもあるんだから、これくらいのことはしてあげてもいいと思ってね」

そう告げるノアの前には、相変わらず瞳を輝かせたままで立っている黒髪の少女。

「……っと。何だかこのままじゃ調子狂いぱなしだわ。……さぁ! 次に行くわよ、次に!」

 これも照れ隠しの一種なのか。そう言うや否や、案内役の少女は一同の前に立ち、進行を促す。

ほら! 早く早く!! という少女の声が、居住スペースの廊下内に心地よく響いていた。

 

 

 

 

 

 

医務室を後にしたちとせは、ブリッジへと戻る道すがら――少し寄り道をしながら、再び艦の中を見て回っていた。

宇宙コンビニ、食堂、ティーラウンジ。

そこに居る様々な人々と話していくうちに、今になって再び、それがそこに変らずあるということを再認識する。

ただ、全てがそのままというわけではない。

艦全体のサイズが大型化した為に、それに伴う人員が増員されたこと。

儀礼艦という役割とは全く別の特徴を持つこの艦においては、謁見の間と呼ばれる王族専用の大規模なスペースは必要なくなったようであるし、新たに増えた人員の為に食堂やティーラウンジ、銀河展望公園といった、人々の憩いの場となるべき場所はそれなりの広さが増築されていた。

 また、艦が大型化した最もたる理由――戦闘力の強化という特徴を担う為だけに新設された新たなスペース。その施設だけで、この艦の4割以上を占めている。

 ――以上の点を除いて考えれば、この艦に『エルシオール』という名が冠されたことにも納得がいく。

以前と変らぬ様子の廊下を巡り歩き、気がつくと、目の前にはブリッジへと続く扉があった。

その扉の前に辿り着くと、自動的に入り口が開き、来訪者をその中へと招き入れる。

「烏丸ちとせ中尉。艦内見回りより、只今戻りました」

「おぉ、戻ったか」

「お帰りなさい! ちとせさん」

「お疲れ様です」

 変っていないのは、ちとせの姿を確認して口々に告げてくる面々も同じ――。彼らも、以前と変らずそこに居たのである。

 

 

 

 

 

 

一行が次に案内された場所は、彼らにとって、もはや未知の空間であった。

Dブロックの更に奥へと通じる箇所として造られたこの区域は、今まで目にしてきた、どの場所の光景とも決定的に異なっていた。

彩りという言葉が全く感じられないほどに機械的な造りの廊下には、そこら中が、縦横無尽に連なる配管等で張り巡らされている。

廊下から続く各々の部屋からも同様の印象を受ける。小部屋と呼ぶに相応しい程の広さから、ホールとでも呼ぶべきな程に広大な空間まで。どの室内も様々な機器が複雑に絡み合い、場所によっては、ミサイルの弾頭や機関砲用の弾丸などが所狭しと保管されているような箇所もあった。

 一行は、いくつか点在する部屋の中のとある一つに案内される。

「これが、この艦が『戦闘艦』であることを前提にして造られたことの表れよ。ここから広がる区画は、この艦の戦闘力の殆どを司るとも言える場所。エネルギー兵器の出力調整なんかは、このフロア全体をメイン動力炉として行われるわ」

 ここで一度言葉を切ったノアは、部屋の隅の壁面に直接埋め込まれたかのような姿をした端末を、手馴れた手付きで操作し始める。

「実際にあんた達には、この艦を指揮運用してもらわなきゃいけないんだから……武装の運用の仕方なんかも、ちゃんと覚えておいてもらわないといけないわ」

 その言葉と同時に。室内の中心に位置している物体――大人で三、四人分の高さと、それと同等の直径を持つであろう、球状の物質の中身だけをくり貫いたような形状の装置内に、艦全体の立体映像が投影される。

「さて、と。ここまでの間に、艦の設備や内部構造とかは全部説明してきたわけだし、早速だけど……今度は、この艦の武装について聞いてもらおうかしら」

ノアが端末に指を走らせる度、投影された立体映像の部分々々がマーキングされていく。

「……以前のエルシオールと同様にして備わっている、中距離レーザーや長距離レールガン。長距離巡航ミサイルの他に……まずは、これね。敵機の接近時を想定した近距離用の武装。艦上方部全面に備わった連装機関砲に、艦底後部の旋回式連速重機関砲、艦上方後部の……この突き立った2つの砲身のことね。これが接敵殲滅用の特重火近接連爆砲。あとは、一般的な近接迎撃用の小型ミサイルや、迎撃機銃といったところね」

 ノアが説明している武装が存在しているであろう箇所で、その所在地を示すマーカーが明滅を続ける。

「あとは随所に配置された近・中距離間ミサイルの発射口と、艦上方、両翼部、下層部の計四箇所に設置された全天迎撃型の対宙間拡散ホーミングレーザー発射口。それと、両舷部壁面層に直接内包された大口径5連レーザー砲門。――主だった武装はこんな所かしらね」

と、淡々と落ち着きながら説明していくノアの様子とは裏腹にして、誰もが告げられた内容に驚愕していた。

これだけの高威力の兵器を数多く搭載している戦艦の運用は、いかに優れた造船技術を持つトランスバール皇国であっても未だに試されてはいない。

通常サイズの艦体では、これだけ多くの武装を内臓するスペースも無ければ、その運用に必須となる動力等の確保もままならないからである。

だが、この巨大な艦であれば、兵器の内蔵や設置を補っても余りあるスペースが用意され、動力などの問題点はロストテクノロジーを用いた超技術で解消することも可能だ。

紋章機が運用可能な戦艦という特徴を無視してすらも、おそらく単一の戦闘力という意味では、皇国の中で間違いなく最強と謳うことが出来る艦。

これが、この『エルシオール・セラフ』という艦だった。

これだけの力を持つ存在であるのならば、ノアやシャトヤーンが危惧していたような「私利私欲の為に力を求める人々」といった者達への警戒を強くしていたことにも納得がいく。

その力は……あまりに強大。

 

だが。続くノアの言葉は、この艦にはそれ以上の圧倒的な『力』が備わっていることを示していた。

 

「……そして、副主砲としての前面部の二門の砲身。これは以前のクロノ・ブレイク・キャノンを小型化し、威力をその三割程度にまで落ち込ませはしてあるけど、その代わりにエネルギーのチャージ効率の向上と連射性を持たせることに成功させた物……言うなれば、そのまんまで小型のクロノ・ブレイク・キャノンと言ったところかしら」

 

――クロノ・ブレイク・キャノン。

 

あまりにも強大な威力を持つ故に、かつては白き月の奥深くへと封印されていた兵器。

その兵器の名を冠す存在が、この艦にも備わっているというのだ。

それだけでも驚愕すべきことではあるのだが……。

「ちょっと待て。今……『副砲』と言っていたな? ということは……あそこにある、あの巨大な砲身は……」

 あくまでも冷静なレスターの言葉が発せられたのと、立体映像上の艦の――巨大な砲身部がマーキングされたのはほぼ同時だった。

「あんたの予想通りよ。これがこの艦の主砲にして最大の攻撃兵器。――超長距離間高出力時空連壊集束砲『クロノ・ブレイク・バスター』」

「……クロノ・ブレイク・バスター……」

「状況次第で若干の変化はあるかもしれないけれど、その威力は通常のクロノ・ブレイク・キャノンのざっと2倍って所かしら」

「………………」

それは単に驚きからなのか、もはや誰もが言葉を失っていた。

真に圧倒的な力を持つ存在――。

「……まぁ、驚く気持ちは分からないでもないけど。セレナが告げてきた内容が本当のことだとしたら、セレナ自身――更には、あたし達をも狙っているという敵が、如何に強大であるかは分かる筈よ。何たって、あの“ヴァル・ファスク”の生みの親みたいな奴等だっていうんだから。それに、半年前には実際に何の抵抗も出来なかったわけだしね」

一同を包む沈黙は、その言葉を受けて更に広がっていく。

「それだからこそ、これだけの力が必要になってくるというわけ」

 だが、しかし。これだけの力が備わっていたとしても、半年前のようにあまりにも唐突な正体不明の力を前にして、どこまで対抗できると言うのか……一同の表情が、その気持ちを――若干の個人差はあったとしても、表していたのは確かであった。

「あ〜……もう! そんなウジウジした顔しちゃって! さっき言ったでしょ? それなりの用意はしておいたって。……これを聞いたら、そんな沈んだ顔もしていられなくなるわ」

一同の沈んだ様子を見て、その少女にしては珍しく――怒ったような口調にもどこか励ましを与えるような響きを含めて続ける。

言葉を発した少女自身も、以前の自分だったら考えられないことね……と少し驚いていた。

だが、今の自分のその様子が、過去の自分から見たら限りなく愚かに思えたその姿が――今の自分にとっては、どこか心地の良いものであるということも理解している。

「……いい? 良く聞いてなさいよ?」

 ノアはそう言って、再び口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「そうか。ご苦労だったな、ちとせ。何も問題が無くて何よりだ」

艦内に異常なし。クルー達の間にも、特に主だった問題は見られない。

「……というのも、大多数の人間は以前とあまり変らない環境で作業をしているわけだから、問題が無いと言うことも当然だと言えるだろうが……念には念をと、いう言葉もあるしな」

「それに、ちとせさんの話を聞く限りでは、新しく配備された兵装部の皆さんも頑張ってくれてるみたいですしね」

眼鏡をかけた少女が、目の前のコンソールを操作する手を休め、顔だけで軽く振り向いた。

「えぇ。出港の日が決まったからか、その日に向けての準備でおおわらわという感じでしたよ」

「ふふっ。そうですか。……そういえば、ほら。ここにもおおわらわな人が一人」

ココが目で示した先では、通信担当の少女が通信用マイクを片手に、あたふたとしていた。

「はいはい! えぇ、その件は少し待っていてはもらえませんか? ちょっと、こちらでは判断が付きかねますので……。 それで〜、その荷物は全部倉庫に移しちゃって下さい。あ、弾薬関係は兵装部の所に直接持って……あ、受領のサインは確実に貰っておいて下さいね? はい? あぁ! ルフト宰相ですか? はい、そちらの方は滞りなく進んでおりますので……えぇ、はい。了解しました。それでは、また後ほど……。 え〜っと、それからそれから〜〜」 

一週間後に迫る出港に向けた準備の関係で、艦内や軍部から引っ切り無しにと通信が入ってくる。

「アルモも頑張ってくれているようだな。後で、何か甘いものでも差し入れしてやるか」

何気ないレスターのその言葉を、当のアルモ本人が聞いていたらどんな顔をしていただろうか。

……残念ながら、今の彼女に、その言葉を聞いている余裕はなかった様であるが。

「クールダラス司令。何か他にお手伝い出来ることは御座いませんか?」

「そうだな、今日は特には無いんだが……。今日は、一日中艦内を歩き回っていて疲れているだろう? もう休んでくれて構わんぞ」

「ですが……」

「そんな顔をするな。確かに書類仕事や事務関係の仕事がまだ残ってはいるが、これは俺がやっておく。……むしろ、俺にはそういった仕事の方があっているしな」

それに……と一度、言葉を切り。

「『司令』ってのはよせと言っただろう? アルモやココみたいに、今まで通りに呼んでくれればいいさ。……司令官はあくまであいつの仕事だ。――少なくとも、『エルシオール』という名を持つ艦の中にはおいてはな」

「はい……すみません。まだ、どうにも慣れないものでして……」

「謝ることじゃないさ。とにかく、今日のお前に残された仕事は休むことだ。これは命令だぞ。素直に聞いておかないと、無理やりにでも聞かせることになるが……」

 その物言いは、どこか圧迫的でありながらも――どこかしら、堅苦しいものでありはしたが――それが、この人の優しさでもある。そのことを理解しているちとせは、

「はい、分かりました。それでは、お言葉に甘えて……本日は、お休みさせていただきます」

ペコリとお辞儀。

「分かってくれればいいさ」

 

その後。他のブリッジ要員達に向けて、もう一度深くお辞儀をした後、ちとせは自動扉を抜けてブリッジを後にした。

ちとせを見送るレスターの後ろ姿をチラリと盗み見ていたココは、副指令も随分と丸くなったものだなぁ……と心の中でこっそりと思う。

もしかしたら、チャンスはそう遠くない時にやってくるかもね。と、隣で相変わらずわたわたとしている親友の姿を、微笑み混じりに見守っていた。

 

 

 

 

 

 

「……あの光の波の正体が分かった?」

「えぇ。……と言っても、それとは別に出て来たっていう渦らしきものについては分からなかったけれど。とにかく、その光のせいで紋章機やエルシオールの機能がおかしくなってしまったのは確かなのよ」

 半年前のあの時。全てが唐突に狂ってしまったのは、あの光の束が突如として現われ、それらがエルシオールや紋章機に『触れた』時からだ。

「実を言うと、これもセレナが寄せてきた情報による所が大きいんだけど……。あの光は、極微細な機械群――言うなればナノマシンの集合体のようなもので、EDEN文明時代に生み出された技術らしいのよ。――設定した特定空間内の機械群の働きを、外部から強制的に凍結させる黒き月のネガティブクロノウェーブの原型ともなった技術……正確には、極微細操郭機群とかいう名称らしいけど。その名の示す通り、ある特殊な機能を持たせたナノマシン群を周囲に存在する対象機械の内部へと侵入させ、その制御システムを強制的に乗っ取り、意のままに操作するっていうやっかいな機能があるらしいの。言うなれば、形あるコンピューターウイルスの束といった所かしら」

 と言っても、その一つ一つはその名の通り目には見えないくらい小さいでしょうけど、と付け加える。

「形あるコンピューターウイルス群……ですか」

「なるほど……。あの光に触れられた途端に、艦の制御が効かなくなったのも、光に捕らわれた紋章機が制御不能になったのも、全てはその極微細……」

「極微細操郭機群。まぁ、長ったらしい名前だから普通に『あの光』みたいな言い方でもいいだろうけど。とにかく半年前、あんた達を襲ったものの正体は……セレナの情報と、脱出カプセルに残されていた映像記録や、あんた達自身の経験――それら全てを合わせて考えてみて、そういった性質を持ったものだったということは間違いないわ」

「でも、そのことが分かっても……。もし再び、あの光に襲われたとしたら……」

あの衝撃的な出来事が忘れられない少女が、やや悲痛な面持ちで口にする。

「あたしを誰だと思ってるの? ちゃんとその対策も練ってあるわ。シャトヤーンにも協力して貰ってね。そういえば……流石に、ずっと喋りっぱなしで疲れたわね。あとはお願いしていいかしら?」

 えぇ、分かりました。と、一息つくノアに代わる形で、月の聖母が解説を続ける。

「相手がコンピューターウイルスのような存在であるならば、それに対するワクチンプログラムが必要になってきます。ですが、相手はプログラムではなく一種のナノマシンと言える存在。それに対抗するために、こちらも迎撃用のナノマシンプログラムを艦全体の主要なシステム内へと内包させておきました」

「いくら微細な機械群だからと言って、ただ壁面に触れただけでその制御を奪うなんてことは出来ないし、実際に目標となる各々のシステムのある場所へとこいつらが到達しなければ意味は無いしね」

 後は任せると言っておきながら、口を挟んでくる黒き月の管理者。

その行為にも、月の聖母は特に嫌な顔をするというわけではなく、変らぬ表情で続ける。

「これで、以前のような光の波に再び襲われるようなことになったとしても、ある程度の時間は制御を保っていることが出来るでしょう。ですが……正直な所、それすらも完全な対抗策とは言えず、いずれは突破されてしまうことも考えられます……その時は……」

ここで、普段の月の聖母にはあまり似つかわしくないような様子で、不意に言葉を詰まらせる。

「あー……はっきり言うとね」

ここでノアからの助け舟。だが、その口から飛び出した言葉……

「その時は、とにかく逃げるのよ」

「……え?」

に、一同は呆けた表情になる。

「だから。逃げろって、言ったのよ」

 一言、一言、言葉を切って先程の内容と同様のことを口にする。

 言いにくいことを自分の代わりに言葉にしてくれたノアに感謝しつつも、シャトヤーンは再び口を開いた。

「……あの時、光の束とは別に現れた渦のようなもの。中の空間がどうなっているのかは不明ですが、あれだけの規模の空間が発生するのであれば、少なからず何らかの予兆が事前に現れる筈です」

「でも、あんた達の話や記録を見る限りでは、その兆候は何も見られなかった。これも、奴等“グラン・ヴァルカス”の持つ技術の一つなのかは知らないけれど……光の波が突然現れたことにも、この空間は関係していると思うの」

「ですから、もし再び……皆さんを狙う敵が、同様の手段を講じてくるとしたならば、半年前と同じようにして、その時が何の前触れも無く唐突にやってくるかもしれません」

「だから――あんた達は航行中、常に周囲を厳しく監視し……もしも、この渦や光が現れたら、とにかくすぐにその場を離れる。クロノドライブでクロノスペースに入ってしまえば、相手も手出しは出来ないはずだしね。航行中は周囲の警戒と合わせて、常にクロノドライブに入れるような状態を保つこと――ドライブ可能な宙域の候補地を常にいくつか用意しておけということかしら。……これが、今の段階で講じられる唯一の対策よ」

 後はシャトヤーンに任せる筈であったことがいつの間にか、二人で説明をしている。

それでも、お互いの言葉を受け、互いに足りない部分を補い合うという形で続いてきた会話である。

何だかんだで、二人の関係もなかなかにうまくいっていると言えそうだ。

「と、まぁ……他にも説明しておかなきゃならないこともあるけれど。とにかく。あんた達には、この艦を使ってタクトやエンジェル隊が待っているっていう“原初の月”へと向かってもらうから」

 有無を言わさぬ口調。だが、この場に集った一同からすれば、それに対する答えは決まっていた。

もう一度、大切な人達に会えるのなら――――。

 その意志を汲み取ったのか、余計なことは言わずにノアは告げる。

「出港は二週間後よ。その為の準備もまだ結構残ってるし、今日から忙しくなるから、覚悟しときなさいよ」

 

「はいっ!」

 

 ノアの言葉に答えた一同の中でも、一際大きく、強い意志を込めた返事があった。

 

長く艶やかな黒髪を揺らした少女の声が――。

 

 

 

 

 

 

 『エルシオール・セラフ』の出港準備で、二週間の内の半分があっと言う間に過ぎ、残す所あと一週間。

その日も、もう終わりに近づくであろう時刻。自らに宛がわれた新たな自室の中心で、浴衣姿の少女が静かに正座していた。

 

――――瞑想。

 

照明を切られた、うっすらと暗い世界の中に浮かぶのは、凛とした雰囲気で静かに座する少女の姿だけ。

 

一分か、はたまた十分であったろうか。

身じろぎ一つせずに、静かに思いを馳せていた少女の瞼が、ゆっくりと開かれ始めた。

 

開かれた深緑の瞳に宿るのは、強い決意の光。

 

「待っていて下さい……タクトさん、先輩方。ちとせは、必ず皆さんの許へと参ります」

 

その言葉は、音の無い静かな部屋に――確かに強い思いを秘めて響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 

――そして。「その日」が始まりを告げる。

 

 

 

 

 

 

エルシオール・セラフ出港当日。白き月内部の格納庫。

昨日まではエルシオール・セラフ出港の為の物資の積み込みや、諸々の準備で人々がごった返していた光景も今はなく、その場にはただ巨大な艦の姿があるだけだ。

今や、発進の時をただ静かに待つだけのその巨体は、これから待ち受けるであろう困難に、微塵も臆さずといった様子で悠然と佇んでいた。

 

「いよいよだな……」

その艦のブリッジで、感慨深気に呟くのはレスター・クールダラス。

「ヘマなんかせず、ちゃんとあたしをエスコートしなさいよ?」

 レスターの言葉に続いたのは、何故か司令官席に踏ん反り返るようにして腰かけているノアの声だった。

 エルシオール・セラフ出港後。艦は一先ず、EDENへと進路を向け、そこで補給を兼ねた休息を取り、その後に、セレナの指定した合流地点へと向う手筈になっていた。

ノアがこの場に居るのは、EDENのライブラリを用いて、ルシャーティと共に今後の対策を検討したいとのことからだ。

彼女が司令官席に座っている理由としては……レスターが「そこは俺が座るべき場所ではないからな」と、頑なにその席へと座ることを拒否し、その場が空いてしまっていたからである。

ノア曰く、「結構座り心地いいじゃないの、これ」とのことだが。

「ったく……。いくらEDENまでとは言え、この強情姫様を案内せにゃならんとは……」

「ちょっと! あんた! 今の聞こえてたわよ!!」

「まぁまぁ。ノアさん落ち着いて下さい。司令……じゃなくて、副司令だってただの冗談で言っただけなんですから。それに途中までではあっても、ノアさんが一緒に来てくれるなんて、とても頼もしいですよ」

「ふ……ふん。あんたは、なかなか物事っていうのを分かってるみたいじゃない」

ちとせの言葉を聞いて、掲げていた言葉の矛を一先ずは収める。案外、いい意味で単純なのかもしれない。

レスターとしては、「いや、半分は本気だったんだが……」と言いたいところだったが、事態をこれ以上ややこしくさせるのも面倒に思えたので、ここは一度口を噤み、別の話題を口にする。

「まぁ、無事に今日という日を迎えることができ何よりだが……これから先は何が起こるか分からん。戦闘が起きた時はお前が頼りだ、ちとせ。頑張ってくれ」

彼らしいといえば彼らしい激励の言葉。

「はいっ! その時には一意専心、この艦を守り抜いてみせます!」

「ふっ、そんなに肩に力を入れるな。いつも通りにしてくれていればそれでいい。お前達もな……アルモ、ココ」

「え? ……あっ、はいっ!」

「ふふっ。分かりました」

突然、自分にかけられた言葉に驚いたかのように返事を返すアルモ。

片や、いつも通りの落ち着いた声音で返してくるココ。

「でも、副指令? 私達への励ましの言葉は勿論嬉しいんですけれど……出港時間も迫っていますし、そろそろ艦の皆に向けて言葉を送ってもらった方がいいかと……」

「ん、むぅ。本来ならば、そういった仕事もヤツの専売特許といった所だが……。どうにもそういったことは俺には合わない気がするんだが……」

「でも、何も言わないまま出港だなんて味気ないじゃないですか。仮にも司令官という立場にあるんですから」

「うっ……。まぁ、それはそうだが」

 普段の彼の姿からはは考えられない、珍しく尻込みした様子である。

「副指令」

そんな彼に、ちとせが優しく語り掛ける。

「今の副指令の素直な気持ちを皆さんに伝えて下さればいいのですよ。……私達の気持ちは同じ筈です。だから……」

 一瞬、何かしら思案するかのような表情を浮かべるレスターだが、

「……そう、だな。お前の言うとおりだ」

 と、一呼吸置き。

「……よし。アルモ、艦内通信回線を全てオープンにしてくれ」

「了解しました!」

通信担当オペレーターの少女の元気の良い返答を受け、レスターは艦内の人々へと向けて語り出した。

自分の気持ちを……成し遂げなければならない事があることを……その為に、皆の力をかして欲しい言うことを。

 彼の出来る限りの精一杯の言葉で――――。

 

 

 

「お疲れ様でした。副指令」

「副指令! かっこよかったですよ!」

「いやー。私、感動しちゃいました……」

「ま、結構様にはなってたんじゃない」

労いの言葉をかけてくるちとせと、目をキラキラさせながら言うアルモと、眼鏡を外し潤んだ目元にハンカチを当てているココ、淡として告げてくるノア。

「……お、お前等! 人をからかうんじゃない!」

 出港の準備はこれで整いはしたが、女性陣からの反応に――彼は、普段の冷静な姿からは予測も付かないどこか照れたような様子で狼狽している。

「からかうだなんて、とんでもない」

「そうですよー」

「副指令にもこんなに熱い一面があったというのですね……」

「何よ、このあたしが褒めてあげてるのが気に食わないっていうの」

 女性との会話に完全に慣れたとは未だに言えないレスターからすれば、これだけ同時に女性から褒め称えられるということも滅多にない経験である。

「む……むぅ……」

どうして良いのか分からず、彼はただ萎縮するばかり。

 

「あ、通信が入ってきたみたいです。これは……。白き月からです! ……通信回線、開きます!」

突然の通信に助かったと言わんばかりに、ブリッジ内に表示された通信モニターへと意識を向けるレスター。既に、この時の彼の表情はいつも通りに引き締められたものとなっていた。

「シャトヤーン様に、シヴァ女皇、ルフト宰相まで……」

 通信モニターの向こうに現れたのは3人。

「……皆さん、準備の方は整いましたか?」

「えぇ、シャトヤーン様。艦内全て異常なし。本艦は、いつでも発進可能です」

「そうですか。それは何よりです」

その言葉とは裏腹に、どこか伏目がちといった様子になる月の聖母の姿。

「どうなされたのですか? シャトヤーン様?」

「いえ……。今回も皆さんだけに、酷く危険な道を行って貰わなければならないということが申し訳なくて……」

「そのようなことはお気になさらないでください。私達がやりたくてやっているわけですから。……初めにこの艦のことを聞かされて、その運用を託すと言われた時には驚きもしましたが――そのお陰で、あいつらを迎えに行くことが出来るのですから」

「そう……ですか。ありがとうございます、皆さん。私もこの地にて自らに出来る限りのことをし、皆さんの帰りをお待ちしています。……マイヤーズ司令やエンジェル隊の子達を……どうか宜しくお願いします」

その言葉に対し、ブリッジ内の誰もが力強く頷いた。

「皆、くれぐれも道中気をつけるのじゃぞ」

「皆の者。……必ず無事に戻ってくるのだぞ」

「ノアも、頑張って下さいね」

 

心強い見送りの言葉を受け――。

出立の言葉が高々と告げられる。

 

「エルシオール・セラフ……発進!!」

「了解!!」

 

動力を供給され、クロノストリングエンジンが嬉々として駆動し始めた。

先程まで静かに鎮座していた巨体が、唸りをあげて動き出す。

大きく開かれた格納庫の入り口を抜け、希望を載せた艦は白き月を後にする。

巨大な艦影に白く輝く航跡が煌めいた。

 

宇宙(そら)の彼方へと向う希望。

それの力を用いる人々の心はただ一つ。

 

大切な人達と再び巡り合う為に――――。

 

 

 

「どうか、ご無事で……」

月の聖母は祈りと共に、ただ静かに星々の海を往く艦の姿を見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五人の超越者が存在する広間内に、新たに五人の来訪者が現れる。

簡素なローブ状の衣類を着こんだ来訪者達は、広間内に確かにある、絶対的な存在に物怖じせずに、その中心へと静かに歩を進めてきた。

外見から判別するに、その性別の内訳は女が三人に男二人。

やがて彼女達(彼ら達)は、広間の最奥部に君臨する超者達の目の前まで辿り着き、横一列に整列した後、全員が完全に息のあった動作で同時に膝を突き、その頭を垂れていた。

その内の一人。肩の下まで伸びる薄く赤みがかかった紫色をした長髪の女性が、一人だけ軽く頭を擡げ、落ち着いた表情を浮かべながら眼前に立つ超越者達に対して口を開く。

「特務戦機遊撃隊“ケイオスタイド”。フェリア・イグニアス、以下5名。……ビュート・シュバイツァー、エニル・アシュフィールド、ガイン・ダハーカ、ニヴァス・ホーントヘル。偉大なる主達の命によりこの場に参上いたしました」

 自らをフェリアと名乗ったこの女性は、一列に並ぶ5人の一番右端に位置していた。その左方に続く人の列は男性、女性が交互に並んでいる。

今、彼女が口にした名前はそれぞれの響きから推察するに、自分を起点としてその場に並ぶ者達の名を順に告げていったのだろう。

 

彼女のすぐ左横に座しているのは、金色の頭髪を大きく逆立たせた青年。今は深く頭を垂れてはいるが、どこかしら粗暴であるといった雰囲気が伝わってくる。フェリアの言葉からすれば、この男の名がビュートとなる。

 

その彼の横には、女性。深い青色をしたセミロングの髪が特徴的な、どこか聡明と言った雰囲気が伝わってくる女性で、名はエニル。

 

エニルの左隣には、他の四人と比べると、ややがっちりとした体付きの――ブロンドの髪をオールバックにまとめた彫りの深い顔の男。その相貌は超越者バルガスと似た雰囲気を放っていると言えなくもない。

ガインというのがその名だ。

 

ブロンドの髪の男の隣には、再び女性。女性と言うよりは……この場合は少女というべきか。白銀色とでも表すことが出来るであろう鮮やかな光沢を放つショートヘアが薄闇の中に映えて見える。その存在を主張する美麗な頭髪とは対照的に、その持ち主からはどこか無感情という印象が見受けられた。

名をニヴァスという。

 

五人はただ静かに、自らにかかる言葉を待ち続けていた。

 

 

 

――特務戦機遊撃隊“ケイオスタイド”。

“グラン・ヴァルカス”直属の戦闘部隊でもあり、はるか遠い過去の闘争において絶大な力を振るっていた『紋章機』の情報を基として造り出した大型戦闘機“ガルム”を駆る特殊部隊のことをこう呼ぶ。

彼女達は種族上の呼称としては“ヴァル・ファスク”と同等の存在とされており、その誕生の経緯も彼の種族と同様であった。

……超越者達によって『造り出された』命。

ただ、通常の“ヴァル=ファスク”と異なる点としては、彼女達が“ガルム”に搭載された、その設計基盤でもあった『ある特殊なシステム』を使用する為に、闘争本能や単純な戦闘能力を殊更に強化されていたということと――“ヴァル・ファスク”のように創造者の元から離れ、一つの種族として力を振るっていたのとは異なり、“グラン・ヴァルカス”直属の戦闘部隊として、主たる超越者達と共に歴史の影に身を潜めていた点が挙げられる。

最古の“ヴァル・ファスク”であるゲルン。――最古であるということは、最も『初期に造られた』ということと同義である――その彼とほぼ同時期に創造された命達の中でも特に優れていた六人(・・・・)として選抜され、永年に渡る強化と改良を加えられてきた者達。

主にエレンディラ・ブラウニンが、その心身に関する調整を担当していた。

 

名目上ではあるが、彼らの指揮隊長としての任に当たっているのはルーク・グランフォート。

指揮隊長という役目を与えられはいても、彼が本当に果たすべき役割は戦場での“混沌の波”達の指揮よりも、彼ら彼女らの監視という面が大きい。

各員の精神的なケアや、戦闘時の士気の高揚と言った要素は“混沌の波”達には必要ないからだ。

“ガルム”に搭載された『あのシステム』。――その身に宿す、飽くなき闘争心や戦闘本能がある限り、力を発揮し続ける『それ』の前では全くの無意味と言ってもいい。

それに、ルーク自身も、創造者である超越者としての驕りからか、“混沌の波”達を人ではなく、単なる『もの』として認識していた為、なおさらに彼女達の「指揮」という行為を無意味に思っていた。

“ケイオスタイド”運用の際に必要なのは、彼女達が自らに分不相応な行動を起こさない為に行う「監視」と、隷属と服従を与える意味としての……決して反抗することを許さない「命令」のみ。

一般的な「指揮」という言葉の意味から、あまりにもかけ離れた思想を持つ人物。――ルーク・グランフォートが曲がりなりにも、“ケイオスタイド”指揮隊長として君臨していることには、それなりの理由がある。

ルークという男は、戦場で発揮する手腕という意味では、“グラン・ヴァルカス”内における最大の存在である絶対者ラグナロス・ジーンハルトよりも優れているとも言えた。

ルークがまだ「人」でしかなかった頃から、彼はもはや才能とも言うべき、その類稀ない能力を生かして幾多の戦闘を指揮し、戦い抜き、それらの全てに勝利してきた。

その経験から培ってきた戦いのノウハウは、今この場に居る他の“グラン・ヴァルカス”よりも数多く、彼の中へと蓄積されている。

そのことを理解している超越者達だからこそ、ルークに“ケイオスタイド”指揮隊長という役割を与えているのだった。

ただし、赤毛の女性――エレンディラが曰く、「『隊長さん』って言うからには、それなりに貫禄がある人にやってもらった方が説得力あるでしょう? 

……見た目も役職にあってる感じがするし」とのことだが。

要するに、彼女が言いたいことは――この中で一番、あなたが隊長と言う役職に似合った風格――有体に言えば「老けている」んだから、そういうことでいいでしょ、ということなのだ。(事実――単なる外見上では、超越者達の中で最も年齢を重ねているように見えるのが、ルークという男だった)

どちらにしろ、彼女が弄したその諧謔(かいぎゃく)の言葉は、絶対者の決定の前では些細なことでしかなかった。

 

そして、彼が指揮すべく“ケイオスタイド”。

その主な任務は“ガルム”を駆っての戦場で、あらゆる状況に対応する遊撃任務が主であるが、“混沌の波”という部隊名を冠する通り、その絶対的な戦闘力で敵対する者に対して、混沌という名の波紋を容赦なく浴びせていくことにある。

 

 

 

「今回、あなた達を目覚めさせた理由。それも五人全員ともね。……この意味は分かるわね?」

不意に言葉がかかる。言葉をかけた本人は、それに対する答えを待たずに続けた。

「いよいよ、本格的に動いてもらうことになったわ。半年前の件で、強化改良を施した“カオスリング”の調子も上々だし、あなた達の力を更に発揮することが出来る。……今回の目的は、あの忌々しい女と、月の落とし子達の抵抗力を削ぎ落とすことよ。完璧に破壊することが出来れば、なお良いわね」

今更、確認すべきことでもないと、何とはなしに淡として告げる。

「……今回は失敗などして欲しくはないものだがな」

 と、赤毛の女性のものとは異なる人物の言葉。大柄な男が横柄な態度で――言葉の節々に若干、嫌味を含んだような物言いで告げてくる。

 その言葉を受けて、ただ静かに頭を垂れる五人の内の二人――青い髪の女性と、白銀色の髪を持つ少女――エニルとニヴァスが、わずかに顔をしかめた。重い恥辱に耐えるように、一瞬だけ歪ませたその表情は、永年の間、彼女達の心身の調整を担当してきたエレンディラにしか窺い知れぬ程の微小な変化ではあったが。

(色々と根に持つ男はモテないわよ)

と、赤毛の女性は心の中で呟いてみる。「モテる」、「モテない」等という恋愛感は超越者たる彼女達の間においては、無駄な観念でしかなかった為、その考え自体も無駄であったのかもしれない。

「もう〜、バルちゃんたら。そんな根に持つような性格だと女の子に嫌われちゃうぞ〜」

 後頭部で一つにまとめた金色の髪を、尻尾のようにパタパタと揺らしながら、ソニア・ローグフェルトがしかめっ面をした大柄な男、バルガス・ベルレインに物申す。

 その見た目に合っていると言うか、どこか子供っぽいような言葉使いで、ソニアが言葉にしたことは、先ほどエレンディラが心の中で思ったことと同じようなことであった。

(あらあら。この子ったら……。女であれば、やっぱり思う所は同じなのかしらね)

と、ケラケラ笑ってみる。……あくまでも心の中でだが。

「むっ……そういうものなのか?」

 普段は、何事にも堂々とした態度で臨むこの大柄な男は、自分とは正反対の性格を持つ小柄な少女の前では、その威厳は見る影もなくただうろたえるばかりだ。ソニア本人にも評していることではあったが、『堅物』の彼には、少女が発する突飛な言葉の数々にただ翻弄されてしまう。

 『まだ人であった頃』にも、こういった手合いとは出会ったことはなかったな……と下らないことも考えたこともあったが、今ではあまり意識しないことにしている。

 相手がどのような人物であったとしても、その少女が主の為の『剣』としての役割を定められているのであれば、その対たる存在の『盾』たる自分が果たすべき役割は何ら変わりはないのだから。

「そうよ〜。過ぎたことはキッパリと忘れて、大らかな心で物事を捉えることが出来るような人にこそ、女の子はキュンときちゃうってものなのよ〜。いっつも、プンプン怒ってるようじゃダメ。あたしも、バルちゃんがそんな風になってくれたら嬉しいかも。……な〜んてね」

 その間延びした声で、ソニアという少女は頻繁に――もはや、超越者達の間では語るに及ばないような『人と人との関係』という事柄について、言葉にしてくる。

まだ少女と呼べる幼さから、この人ならざる存在へと進化した彼女には、かつて人であった頃に持っていた純真さが根付いていたのかもしれない。

「む……むぅ……」

 天真爛漫とも言える少女の言葉に、どう対応していいのかも分からずただ口ごもるばかりの男。

「あれ? ……もしかして、バルちゃんったら照れてる? 照れてるのね? きゃっ! 可愛い〜♪」

一体、どこをどう解釈したらそうなるのか。ひたすら「ぬぬぬぬぬぬ……」と唸る大柄な男を前にキャイキャイはしゃぐ少女。

超越者という名を持つ者達には相応しくないような、その和やかとでも表現できるその光景は、絶対的な存在の一言で切り伏せられ、終わりを告げる。

 

「……特務戦機遊撃隊“ケイオスタイド”各員、及び指揮隊長ルーク・グランフォートはただちに任務に取り掛かるのだ」

 

 ただ、静かに告げられただけのその言葉は、何よりも重く、歯向かうことを許さない。

 そして。その言葉によって、混沌を運ぶ波紋は、遠い銀河の果てに残された小さな希望を、黒く塗り潰すために動き始めた――。