― プロローグ ―
ヴァル=ファスクの思想、特に支配者層の思想は、トランスバールやEDENの感覚からすると心ないものと映る。
しかし『心ない』ことは、『心が無い』と同義ではない。
それはそうだろう、心が無いのならばアメーバのような単細胞生物と同じである。支配者層が下々の者を「犬」と呼び「飼う」と表現するのも、まずそれが相手の自尊心を傷つける侮蔑語であるという事が分かっていなければ、有り得ない事象である。
さて、ヴァル=ファスクは遙か遠い星系からやってきた星間国家トランスバールに敗れた。
支配者ゲルンは倒れ、抑圧され続けてきたヴァル=ランダルの民は新たな支配者を歓迎した。
その結果、何が起こったか。
市民層の旧支配者層に対する復讐である。あちらこちらで暴動が起き、旧体制の貴族達は次々に襲撃され、捕らえられ、吊し上げられた。
殊に軍人達に対する攻撃には、尋常ならざるものがあった。
市民たちはこう考えたのである。
『新たな支配者トランスバールは、平和友好を求めているという。ならば、軍人は邪魔だ』
新たな支配者に少しでも気に入られるため、自分達の『誠意』を見せるため、将校から下士官に至る全ての軍人達を生贄に差し出そうとしたのである。それまでのヴァル=ファスクの思想を顧みるに、それは当然の結論だったのかも知れない。
悲惨なのは軍人達であった。繰り返し言う、心ない思想を持っていたのは、主に支配者層の者達だったのである。9割9分の軍人達は、ただ自国の繁栄を願う誠実な者達であったのだ。
誠心誠意、御国に奉仕し。国家の礎とならんと血を流して戦い。敗戦の傷心を抱えて帰国すれば、待っていたのは市民層からの私刑である。
まともな裁判さえ受けられず、多くの軍人が、武運のつたなさと己の不遇と市民への憎しみを叫びながら、刑場の露と消えて行った。
「もはやこれまで……か」
深く現状を鑑み、導かれた結論に、男は静かな嘆息を漏らした。
彼の名はオーウェン。
ヴァル=ファスク第1連合艦隊司令長官、オーウェン。
「長官、お願いします! 我らはもはや我慢なりません!」
いま彼は、とある会議室の一室にいる。
円卓を見回せば、部下であった青年将校たちが激情に燃える眼差しで彼を見つめていた。
「3日前、ダルウェンもやられました。家族もろとも……! あいつは俺の同期だったんです!」
「そうか」
悲痛な声の報告に、淡々とうなずく。
犠牲になったダルウェンという青年も、彼の部下であった。つい3ヶ月前、幼なじみの少女を妻に迎えて式を挙げた。
何も感じないはずはない。その仲人を務めたのは、自分だったのだから。
気も狂わんばかりに激怒している、その青年将校を見つめる。彼だけではなく、ここにいる全員が、やり場のない怒りに身を焦がしていた。
我が艦隊は、情緒豊かであるな……ふと、そんな事を思う。
機械よりも沈着に、機械よりも正確に己が務めを果たせ―――― それが、ヴァル=ファスク艦隊の教えだ。
そんな軍組織の中で、この感情の豊かさは異例とも言える。他ならぬ、彼の教育の賜物だ。
(特機師団長……いや、ヴァイン。やはりお前は死ぬべきではなかった)
かつて自分が育て、未来を託して自分を追い抜かせてやった青年のことを思い出す。
ゲルンの支配が限界に来ている事は分かり切っていた。
次代のヴァル=ファスクを担うのは誰か。強力無比の軍事力を、誰に託するか。
彼はそれを、ヴァインという名の青年に見出していた。未来のEDENライブラリの管理者と共に育ち、通じ合った(本人は必死に否定していたが)青年。新時代の希望を感じた。あの若者が生きていてくれれば――――
いや、考えるまい。
彼は思考を中断し、目の前の部下たちを見やる。
彼をもってしても、もはや部下達の怒りを抑えることはできそうになかった。
「長官、お願いです、我らと共に立ち上がって下さい! 思い上がった民衆に、我ら武人の本領を思い知らせてやるのです!」
誰にケンカを売ったのか教えてやる。
平たく言えば、そういう事であった。
「まあ待て」
オーウェンは鷹揚に手を挙げ、部下をなだめる。
「敗れたりとは言え、我らは軍人である。この身は国家に捧げしもの。その我らが国民を傷つけるなど、断じてあってはならぬ事だ」
「しかしっ……!」
「いいから聞け。確かに諸君らの怒りも分かる。我とて思いは同じだ。そこでだ……諸君、どうせ捨てたる命なれば、最期は武人の本懐を遂げる事に捧げてみぬか?」
とっさに理解できなかったのだろう、部下達は黙って彼の言葉の続きを待つ。
彼は続けた。
「ロウィルに預けてあった艦隊は、まだ生きておろうな?」
「は……はっ、ご命令通りに。トランスバールとの戦闘を避け、指定ポイントに隠密駐留しております」
「よし。我が指揮をとる、それをもってトランスバールへと討ち入るのだ」
部下達は唖然となった。
そんな無茶な。あの艦隊はせいぜい40隻程度の戦力しか無い。討ち入るどころか、トランスバール星系にたどり着く前に発見され、全滅してしまうのが目に見えている。
しかし彼は、あくまで毅然とした態度で言った。
「戦争が終わったなどと、誰が決めたのだ。少なくとも我は、戦闘停止の命令を受けた覚えは無い。我らの戦争は続いておる。我は戦う。我が武勇をもって、かのトランスバール皇国と、敵国に媚びるしか能のない我が国の愚民どもに知らしめてやるのだ。オーウェンここにあり、ヴァル=ファスクの魂ここにあり、とな」
「………………」
「無論、生きては帰れぬだろう。強要はせぬ。真に我と同調する者だけ、ついて来てくれれば良い」
水を打ったように、会議室は静まりかえった。
無言のまま―――― 青年将校達は立ち上がり、彼に向かって直立不動で敬礼をした。
その目に尊敬と、死ぬまで潰えぬ忠義の光を湛えて。
(もはやこれまで)
心中で、もう一度そう念じる。
そしてオーウェンは立ち上がり、部下たちに向かって答礼を返す。そして裂帛の気迫を込めて、叫んだ。
「出撃準備ッ!」
『了解しました、司令長官どのッ!!!』
部下たちは喊声、いや、歓声を上げて、会議室を飛び出して行った。
オーウェンは、このときまだ知らなかった。
かのトランスバール皇国でも、似たような状況が起こっていた事を。
/
トランスバール皇宮 謁見の間――――
「馬鹿な! そんな不条理があるかっ!」
シヴァは激昂して叫んだ。
彼女の前に立つ老相は、落ち着いた態度で言葉を続ける。
「しかしEDEN側がそれを求めているのです。今やヴァル=ファスクの脅威は去りました。これからの平和的かつ友好的な関係を築くためには、こちら側も相応の誠意を示すべきです」
「だからと言って! 彼らこそはヴァル=ファスクの脅威を排除した最大の功労者たちなのだぞ!?」
シヴァは柳眉を吊り上げて怒鳴る。
しかしそれは、聞きようによっては、追い詰められた者の悲鳴にも似ていた。
そして残念なことに、それは事実であった。
「だからこそ、なのです。EDEN側の立場になってお考え下され。今や銀河最強の威力たるムーンエンジェル隊を擁する我がトランスバール皇国と、真の友情で平和条約を結ぶ国などありましょうか? EDENの民からすれば、皇国からの武力的圧迫感は拭い切れぬものでありましょう。それでは我々は、ヴァル=ファスクと同じです。EDENの民に、真の心の安らぎはありえません」
シヴァは腕を横薙ぎに払いながら叫ぶ。
「我らがヴァル=ファスクと同じだと申すのか!? 断じてありえん、私はEDENと、あくまで対等の立場で平和の確立を……!」
「残念ながら、陛下のご意向など下々の民にとっては関係ないのです。いつの世も、民は理論ではなく感情で動くもの。今は良くても、銀河最強の威力がいつ自分達に向けられるか……EDENの民は疑心暗鬼に陥り、不満を募らせましょう。それを防ぐ手立てはただ1つ。我々の手でムーンエンジェル隊を解散させ、その武力を手放す事です。これこそEDENに、我らが一切の野心を持たぬことを示す、最大の誠意となりましょう」
シヴァは激しく頭を振る。
「しかし、しかしっ……っ!」
老相はシヴァの苦悩振りを愉しむように、口元をわずかにほころばせた。
「恐れながら、陛下。陛下は国政に私情を挟んでおられるとお見受けいたします」
「なっ……?」
「皇国のために働いてくれた彼らに、どんな顔をして解散を命じれば良いのかと、陛下のお悩みはその1点に尽きるかとお見受けいたしますが、如何か」
「そ、それは……その通りだ、当然であろう!? 彼らはエオニア戦役の頃から私を守り、そして私と共に今日まで戦ってくれた、言わば私の戦友たちなのだぞ!?」
老相はうやうやしく頭を下げながら、言葉を続ける。
「大人になりなされ陛下。お気持ちはお察しいたしますが、それで国の大事に判断を曇らせてはなりません。無論、彼らには手厚い報奨を与えましょう。また彼らが真の軍人ならば、国のためとあらば納得してくれるはずです」
「ぐ、ぐぐっ……!」
「それに天使達の脅威は、EDENの民に対してだけではありません。我が国の民に対しても、ですぞ? 今や白き月の威信が地に堕ちておること、ご存知ないわけではありますまい?」
老相はとどめにかかった。
その巧妙な弁達に、シヴァはエンジェル隊を脅威呼ばわりされた事にも気付かない。
「白き月が本当はEDENの造り出した、単なる兵器工場であった事は今や下町の凡夫でも知るところであります。自分達の頭上に兵器工場があり、そこに銀河最強の威力があるとなると、民はどのような心理状態となりましょう? ムーンエンジェル隊の解散は、我が国の民の心にも平穏をもたらす事にも繋がります。……陛下、よくお考え下され。己が私情と両国数百億の民の平穏と、王として取るべきは、どちらなのかという事を」
この場にルフトがいない事が悔やまれた。
彼さえ病床に伏せっておらず、この場に健在ならば。
こうまで、この老相のいいように翻弄されずに済んだものを。
「少々、口が過ぎました。皇国を思う余りとは言え、陛下に対する無礼をお許し下さい」
老相は謙虚を装って、1歩下がって見せる。
だがそれは、裏を返せば1歩くらい下がっても構わぬ、という余裕の表れである。
「今夜一晩、よくお考え下され。明日、改めてお答えを頂戴に参上いたします」
うやうやしく一礼して、老相は退出する。
1人残されたシヴァは――――。
「くっ……!!」
激情のまま、玉座の肘掛けに拳を打ち付けるのだった。
ガンッ
最期まで戦士たれ――――
Galaxy Angel |
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