最も楽しく
最も幸せな時を共に過ごした
教会裏の仲間達へ
変わらぬ友情を、ありがとう
−Ogre Battle Saga 序章 「追憶」より−
白き月施設内 弓道場
カツッ
放たれた矢が正鵠を射抜く。
ちとせは残心の構えを取ったまま、静かに息を吐いた。
まだ気は緩めない。張りつめた緊張感を全身に漲らせたまま、次の矢をつがえる。
縁側に腰掛け、その様をボンヤリと眺めている者がいた。
レスターだった。足を組み、風景の1部でも見ているかのような気の抜けた目で、ちとせの背中をボンヤリと見つめている。
「………………」
会話は無い。かと言って重苦しい雰囲気なわけでもない。
ごく自然に、2人はその場に在った。
ちとせが弦を引き絞り、的を正眼に据えて―――― 放つ。
カツッ
またも正鵠。
レスターはおもむろに立ち上がった。音を立てずにちとせの背後に歩み寄る。
ちとせは依然として集中している様だった。的を見据えたまま、慣れた動作で第3矢をつがえようとしている。
「………………」
すぐ後ろに立ち、手を伸ばす。
ちとせは気付いた風も無い。長い黒髪に彩りを添える、赤いリボンに触れようとして―――― 。
そこで、急にちとせはクルリと振り返った。
何食わぬ顔で、自分の背後に立つレスターを見上げる。
「………………」
レスターも、とりたてて後ろめたさがある風も無く、何食わぬ顔で手を伸ばした姿勢のまま固まっていた。
沈黙。
2人の頭上に広がる青空(ホログラフ)を、三羽の雀(同じくホログラフ)がチチチ、と鳴きながら飛んでいく。
妙に間の抜けた光景だった。
やがてレスターは独り言のように呟く。
「……なぜ分かった?」
「空気が揺らぎましたから」
さも当然のように、ちとせは答える。
「的に集中しているのではなかったのか?」
「していました。しかしそれで周りが見えなくなるようでは、未熟に過ぎるというものです。それは集中とは呼びません、単に心が捕らわれているだけです」
「よく分からんぞ」
「見るともなしに全体を見る。それが見るという事。それが、武というものです」
事のいきさつを話せば、こうだ。
1ヶ月ほど前に交わされた会話。
「武……の心……?」
ちとせから借りた本は、レスターには難解なものであった。
「武力に心が関係するのか? H.A.L.Oシステムのことではないよな?」
「ええと。“Power”と“Force”の違いだと思って下さい。単純な武力ではなく、意思を伴った力のことを説いているんです」
隣でちとせが説明するが、彼にはどうもピンと来ないらしく、首をひねってばかりいる。
侍のことを学ぼうと意気込んだはいいが、一事が万事、この調子であった。絶望的なまでに、さっぱり進まない。こんなことでは、この本1冊を理解できる頃には爺さんになってしまう。
「むぅ……」
なにせ育ってきた地域の文化が違いすぎるのだ。苦悩する彼を見かねて、ちとせは自分が実践して見せようと思い至った。
「それでは副司令、私のリボンをほどいてみて下さい」
『武』の理念は奥が深い。りんご=アップル、のように単純に「これが武だ」と説明できるものではない。
百聞は一見にしかず、である。いつ何時、どんな手を使っても良い。もし自分のリボンをほどくことが出来たら、何でも言うことを聞く―――― そんな賭けを申し出たのだった。
気でも違ったのか、とレスターは思ったものだった。なぜそんな圧倒的に不利な、と言うか賭けにすらならないような賭けを申し出るのかと。
しかし結果はこの通り。不思議な事に、1ヶ月経った今でも成功していない。
レスターは首を横に振り、息を吐いた。
「全く分からんが、つまり俺は未熟だというわけだな。サムライへの道は遠い」
そう言うと、ちとせはようやくニコリと微笑むのだった。
「何事も精進あるのみです、副司令」
その時、タクトが弓道場に入ってきた。
「おおいレスター、そろそろ時間だぞ」
/
大戦終結後、紋章機は再び白き月の奥底に封印され、永き眠りにつく事となった。
解散を命じられた時、エンジェル隊の面々は一言の反論もせず、命令に従った。
平和のため。何より親愛なるシヴァ女皇陛下の命とあらば。
そう思い、涙をのんだ。
翼を奪われた天使達は、まだ白き月にいる。後に待っていたのは、絶望的なまでに平坦な毎日だった。
やることが何もない。各々の趣味にでも没頭するしかない、ひたすらな人生の浪費。
たまにタクト達がやってきて、今日のようにシミュレーションによる戦闘訓練を実施する事もある。
が、それが何だと言うのか。
『飛べなくなった自分達に、いったい何の価値があるのか?』
無為に過ぎていく日々をやり過ごしながら、その恐ろしい命題を自問する。
天使達は無惨にも、自分達が助けたはずの人間の手によって、飼い殺しの憂き目に遭っていた。
今回の定期訓練も無事に終了。
タクトとレスターの2人は本星へと帰るところである。
そしてエンジェル隊の6人は、見送りをしようと連れだってシャトルの発着場へ歩いているところであった。
「もっとゆっくりして行けばいいのに」
廊下を歩きながら、蘭花はすねたように唇をとがらせる。
その子供のような仕草に苦笑しながら、フォルテがそれをたしなめる。
「わがまま言うんじゃないよ。あの2人だって忙しいんだから」
「だって、次に会うのは1ヶ月後なんですよ? ったく、かわいい部下を1ヶ月もほったらかして、男2人で何の仕事してんだか」
蘭花の言うとおり、定期訓練は月に1度であった。
それ以外では2人は軍の仕事が忙しいらしく、滅多に来ない。
エルシオールで毎日のように顔を合わせていた頃を思い出すと、どうしても2人と疎遠になってしまった感は否めない。
蘭花はそれが不満だった。
彼女は人の絆というものを、ことのほか大事にする。家族の絆しかり、仲間の絆しかり。
人一倍の人情家である彼女らしいと言えば、らしい。
「仕方ありませんわよ。大体この定期訓練だって、お2人が無理を言って枠を取ってきたお仕事なんですし。私達がこれ以上、お2人の足手まといになるわけには行きませんでしょう?」
ミントもそう言って、蘭花をなだめる。
これもその通りで、本来、エンジェル隊に定期訓練を実施するなどという計画は無かった。
タクトとレスターが上に無理を言って、わざわざ作った仕事なのである。
2人は自分達の身上について、あまり多くを語らない。しかし軍内部で彼らの評判があまり良くない事は、みな薄々と感づいていた。
3度に渡る皇国の危機を救った若き英雄と、その補佐官。いつの時代も、出る杭は打たれるものなのである。
ただでさえ評判が良くないのに、自分達がわがままを言って2人の迷惑になるわけには行かない。ミントの言うことは、蘭花にもよく分かっていた。
でも―――― 。蘭花は前を歩くタクトを見やる。
「エルシオールのみんなに、なかなか会えないんだよなぁ。みんな元気にしてるかい?」
タクトは旅行鞄を肩に担ぎ、呑気にそんな事を言っていた。
連れ添って歩くミルフィーユとヴァニラが、それに答える。
「私達もなかなか会えないんですよ。たまに食堂で、ココさんやアルモさんに会うこともありますけど」
「この間……ケーラ先生のお手伝いに行きました。……お元気そうでした」
大戦が終結して以来、エンジェル隊のメンバーでさえエルシオールのクルー達と会う機会は激減していた。今では、たまに食堂ですれ違うだけの顔である。あの2人はもしかしたら、ここ半年彼女たちには会っていないのかも知れない。
蘭花はやはり、嫌な気分になるのを抑えられなかった。
時と共に、付き合う人間は変わる。レストランの客のように、出会いと別れを繰り返す。この2人との関係だって、以前と比べれば確実に後退しているのだろう。
不変を望むのは。絆に永遠を求めるのは……愚かな事なのだろうか?
「心配しなさんなって」
ポンと肩を叩かれた。
振り向くと、フォルテが笑っていた。
「私達はまだ良い方さ。ミルフィーやちとせを見なよ、あの2人と恋人やってんだよ? 大丈夫、私達はずっとこうしてやって行けるさ。きっと一生、嫌だと言ってもやめられないくらいにね」
自信に満ちあふれた笑みだった。
つられて蘭花も笑う。
「……そうですよね。心配いらないですよね」
「そうさ」
「恋人かぁ」
前方を見やる。
丁度、件のカップル2組がそれぞれに話している所だった。
「本当に残念です。もっとゆっくりなさって行かれれば良いのに……」
レスターの後ろを歩きながら、心底残念そうにちとせは言った。
「勉強の方も見てもらいたかったです。質問が山のようにあったのですが」
「いつもあれだけ質問しておいて、まだ分からない所があるのか。課目は何だ?」
「地形判読についてです。隕石群のある宙域での戦闘における、狙撃手のポジショニングについて」
レスターは怪訝そうに振り返った。
「そこは前にやらなかったか?」
「いえ、初めてのはずですけど。地形判読の別の箇所ではありませんか?」
何でもない事のように、ちとせは答える。
レスターは無言で彼女を見下ろした。
「………………」
何かを探るように、見極めようとするかのように、真剣な眼差しでジッと見つめる。
「……何ですか?」
わずかに頬を赤くしながらも、ちとせはその視線を受け止める。
「いや……何でもない」
レスターはスッと目線を外した。
正面を見据え、歩き出す。ちとせもそれに続く。
2人のそんな様子を、蘭花は後ろから見ていた。
「は〜、それにしてもマジメよねぇ、あの2人」
感嘆と呆れがないまぜになった溜め息を洩らす。恋人同士の間にありそうな、あの甘々〜とした雰囲気が全く感じられない。
ホントにあんたら恋人同士なのか? と本人達に訊いて確かめてみたくなってくる。
「その答えは決まってますわね」
そこまで考えた時に、ミントが話しかけてきた。
「ん、何がぁ?」
「ですから、実際にあのお2人に、本当に恋人同士なのかと訊いた場合ですよ」
「アンタ、人の思考を勝手に読むんじゃないわよ」
ジロリと睨みを利かせるが、ミントは曖昧な笑みで飄々と肩をすくめるだけだ。何を今さら、と言わんばかりである。
まあ、確かに今さらだった。蘭花は軽く息をつく。ミントと付き合うコツは、細かい事は気にしないことなのである。
「で、答えが決まってるって? どんな答えよ」
ミントは嬉しそうに耳をパタパタさせながら言った。
「お2人とも、それはもう全身全霊で必死になって否定するに決まってますわ」
「なるほど」
その光景が目に浮かぶようだった。
2人の仲を認めていないのは、銀河中で当人達ばかり。考えてみれば銀河一、往生際の悪い2人である。
フォルテが話に混じってきた。
「確かに、あっちの2人はもうちょっと周りの期待に応えるような展開があっても良い気がするね。もう1組の方は甘々全開だってのにねぇ。ちょっと見てみなよ」
そう言って、タクトとミルフィーユの方を指差す。
「ミルフィー、今度の休暇だけどさ」
「はい! もう私なんて、今からソワソワしちゃってます」
「どこかへ行く予定あるの?」
「高原に行くんです。湖のほとりにロッジが並んでる、すごく綺麗な所なんですよ? あの星はいま、夏のはずですから丁度いいです」
「へー、それは良いね。楽しんできてね」
タクトは他人事のように言った。
しかしミルフィーユは気にした風も無く、満面の笑顔でうなずく。
「もちろんです。タクトさんは、どこかへお出かけの予定は?」
「ああ、高原に行こうと思ってるんだ。湖のほとりにロッジが並んでる、すごく綺麗な所なんだよ? あの星はいま、夏のはずだから丁度いいし」
「へー、それは素敵です。楽しんできて下さいね」
「もちろん」
タクトがうなずいた所で、会話が途切れた。
奇妙な間が空く。
「………………」
「………………」
ミルフィーユ、相変わらず満面の笑顔。
やがてタクトは、根負けしたように苦笑を洩らした。
「一緒に行かない?」
ミルフィーユは、まるで最初から分かっていたかのように、間髪入れず頷くのだった。
「その言葉を待っていました」
「あ〜……確かに。あっちはあっちで、もう勝手にやってて、って感じですね」
「タクトさんの組と副司令の組をブレンドして、2で割ったら丁度いいかも知れませんわね」
甘さ加減に当てられ、ゲンナリする蘭花とミント。
「ま、とかくこの世はままならぬ、ってヤツさ」
フォルテが快活に笑ってまとめた。
やがて発着場にたどり着く。
「それじゃあみんな、また来月」
ゲートの前で、タクトは笑顔で手を振った。
「また来てくださいねー」
ミルフィーユが名残惜しそうにブンブンと手を振って応える。
「副司令、お元気で。お風邪など召されませんよう……」
「分かっている。達者でな」
折り目正しくお辞儀をするちとせに、レスターが軽く手を挙げて応えている。
「たまには遊びに来なよ」
「またのお越しをお待ちしておりますわ」
「……お元気で……」
皆が口々に別れの言葉を交わしている中、蘭花は1人、黙っていた。
大丈夫。きっと大丈夫。
アタシ達の絆は、きっと―――― 。
「……ねえ」
気が付いたら、口が勝手に開いていた。
「今度の休暇だけどさ、初日だけ……みんなで遊びに行かない?」
タクトとレスターばかりか、エンジェル隊のメンバー全員が蘭花の方を振り返った。
皆に注目され、蘭花は急に恥ずかしくなる。
何を言っているんだ、アタシは。小学生じゃあるまいし、急にそんな事言い出したって、みんな予定があるに決まってる。
頭では分かっていたが。
それでも蘭花は、皆とはまさしく『小学生のような』関係で居たかった。面倒な予定調整なんて必要ない、別れ際の口約束だけで事足りる、そんな一体感をもう1度感じたかった。
分かっている。これは自分のわがままだ。アタシ達は大人になってるんだ。時の流れに逆らえるはずが―――― 。
「うん、いいね」
拍子抜けするほどあっさりと、タクトはうなずいた。
逆に驚いてしまって顔を上げる蘭花の目の前で。
「みんなどうかな? 蘭花の提案」
「私は大賛成ですよー」
「いいんじゃないかい?」
「……問題ありません……」
「皆さんがそうおっしゃるなら、私も」
「副司令もご一緒しませんか?」
「俺もか? まあ、予定は無いが……」
「よし決まりだ。みんな、初日は思いっきり遊ぶぞーっ!」
『おーうっ!』
所要時間、約15秒。
全員が2つ返事でドミノ倒しに決定。
それはまさしく、ただの幻想だと思っていた『小学生のような』関係であった。
蘭花は胸が熱くなった。
ああ、大丈夫だ。アタシ達の絆は、きっと、これからも―――― 。
もちろん、恥ずかしいので感激を顔に出すようなことはしない。
「じゃ、そういうことでオレ達帰るから。蘭花も元気でね」
相変わらず呑気そうに言うタクトに。
「うん。風邪なんかひいて当日サボったら、許さないんだからね!」
会心の笑顔で、そう答えるのだった。