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そもそも神は不公平である。
賢者は早くにそれを受け入れて努力を始め、
愚者はいつまでもそれに不平を言い続ける。
彼等は生まれながらの魔人であった。
人にして鬼なる者達。
しかし彼等は賢者であった。
-Ogre Battle Saga 第2章「魔人というもの」より-
トランスバール国防省情報部2科端末室、第2班ブース――――。
深夜。
照明も落ち、静まり返った端末室で、そのブースの端末だけが未だ稼動を続けていた。
青白いスクリーンの光が煌々と洩れ出ている。
ブース内には、2人の男。
「……該当データ無し。タクト、そっちはどうだ?」
レスターだった。
正面の仕切り越しに、対面に座っている相方に向かって呼びかける。
「こっちもだ。やっぱり、どこにも無い」
そこに座っているのは、もちろんタクトである。
この夜更けに、2人はまるで明日提出の課題を忘れていた大学生のように、2人だけで作業を続けていた。
無論、彼らがやっているのは宿題でもテスト勉強でもない。
トランスバールとヴァル・ファスクとの間で行われた、全ての戦闘記録を調べているのである。
EDEN開放戦線およびヴァル・ファスク決戦に参加した全艦船の戦闘記録。それらをたった2人で調べ上げるには大変な労力を要した。
しかも、それで何らかの成果があったなら、まだ苦労のし甲斐もあったのだが。
残念ながら、彼らの探している事項は見つからなかった。
「どうする。次は参加しなかった艦船の記録を当たるか? 第1方面隊から順番に」
「それしかないよなぁ……」
2人で皇国軍の全艦船の記録を調べ上げるのは、どれほど骨の折れる事か。
先が思いやられ、タクトは溜め息をついた。
「その前に、ちょっと休憩」
頬杖をつき、端末を操作して、エルシオールの記録を開く。
ヴァル・ファスクとの交戦履歴を、アルバム感覚でボンヤリと眺める。
ネフューリアとの戦いに始まり、ガイエン星系へ向かう途中の遭遇戦。小型船の救助。
「そう言えば、ルシャーティはどうしてるかなぁ」
「さあな。元気にしているんだろう」
レスターも寄ってきて、後ろから画面を覗き込む。
履歴は続く。
いくつかの戦闘。前衛拠点攻略作戦。前衛艦隊司令官、ロウィルとの戦い。
タクトの手が止まる。
2人が気にしているのは、ここだった。
ヴァル・ファスク司令官、ロウィル。あの時はヴァインの情報提供により敵の後背を突くことに成功した。
増援に来るはずだった5つの分艦隊がロウィルを裏切り、戦線を離脱した幸運もあり、辛くも勝利を収める事ができた。
しかし、である。
――――では、その分艦隊は、その後どこへ行ったのだ?
ロウィルとの戦闘直後に、戻ってくる素振りはあった。
しかし実際に交戦したのは、その内の1個分艦隊とだけだ。
あの時は紋章機の暴走というトラブルに見舞われ、さらに別働隊に後背を突かれるという目まぐるしい戦況の推移で、そんな事を気に留める余裕は無かった。
どさくさに紛れて見落としていたその問題に気付いたのは、今からつい2ヶ月ほど前のことである。
2人はエルシオールの戦歴を調べた。拠点攻略戦以降の戦闘で、他の4個分艦隊に該当する敵艦隊と交戦した記録はないかと探した。
結果は『該当なし』。
これら4個分艦隊と、エルシオールはその後、交戦していなかった。
2人は調査範囲を広げた。タクトの率いた決戦艦隊に参加した全艦船の戦闘記録を調べたのである。
たった今、その結果が出た。
『該当なし』。
つまりトランスバール皇国軍の前から、この4分艦隊は忽然と姿を消したのである。
……どこへ?
気にするほどの事ではないのかも知れない。
故郷へ帰ったのかも知れない。
あるいは分艦隊は1度解散して再編され、それと気付かなかっただけで、本当はどこかで戦っていたのかも知れない。
そう考える方が自然だし、それならば何の問題も無い。
しかし、それを立証する確たる証拠が無い限り、この分艦隊はあくまで「行方不明」なのである。
「たまにさ、自分のやってる事がバカらしく思えてくる事って無いか?」
タクトは画面を見つめたまま、背後に立つ親友に話しかけた。
「戦争は終わったんだ。エンジェル隊まで解散するほど天下泰平のご時勢に、なんだって俺達は、こんな深夜に情報部に忍び込んで昔の戦闘記録なんてほじくり返してるんだ? バカらしい」
レスターは答えない。
タクトは構わず続けた。
「風車を巨人と見間違えて戦おうとする愚か者の騎士の話があるけどさ、自分がソレになった気分だよ」
「誇大妄想と疑心暗鬼にとらわれた、精神異常者みたいだ、とか?」
ようやくレスターが口を開いた。
振り向かなくても分かる。むっつりした渋面で、いつも通り腕など組んで。
「バカな事などではない。そんな風に楽観的な考え方をして良いのは、民間人だけだ。俺達は違う。俺達は軍人だ、常に最悪のシナリオを想定し、それに備えておかねばならない人間だ。それをバカな事だと思うんなら、早く軍をやめることだな」
「相変わらず、クールダラス中佐は辛辣でいらっしゃる」
タクトは堪えた風もなく、肩をすくめた。
「未来が明るくないぞー。軍人にも夢と希望を。しあわせいっぱい夢いっぱい、素敵な軍人ライフをあなたに」
「言ってろ」
レスターは愛想のカケラも無く、さっさと作業に戻って行った。
カタカタとキーボードを打つ音が響き始める。
溜め息が洩れた。
「悪かったって。オレだって真面目にやるさ、言い出したのはオレの方なんだからな」
「そうしてくれ」
「でもさ、ちょっとくらい思わないか? 見ろよ、情報部の2科でさえ、夜は家に帰って寝てるんだぞ? なんだってオレ達は」
「……確かに、考えもしないと言えば嘘になるな。しかし、男は周囲の風潮など顧みず、自分の正しいと思う事を成すべきだ。たとえ万人に嘲笑されようと、自分の信念を貫けるか――――今こそ男の真価が問われる時なのだ」
「また始まったよ。クールダラス中佐の男談義が……」
タクトは頭の後ろに手をやり、背もたれにもたれかかった。
「それにしても、こないだは楽しかったなぁ」
一昨日エンジェル隊の定期訓練のために、白き月を訪れた時の事を思い出す。
久々に会った彼女達は、元気そうだった。
「みんなで遊びに行く事も決まったし。勢いだけで決めた割には、蘭花にも喜んでもらえたみたいで良かったよ」
「逆に言えば、そんな事で嬉しいと感じてしまうほど、普段が無味乾燥なのかも知れんがな」
レスターの声が返ってくる。
おそらくそうなのだろう、とタクトも思った。
「じゃ、今度の休暇初日は思いっきりサービスしないとな。そう言えばみんなで外出なんて、いつ以来だろ」
「良かったな」
他人事のように相づちを打つレスターに、タクトは意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「なに澄ましてるんだよ。お前だって、ちとせに会えるじゃないか。良かったな」
「………………」
レスターは一瞬、黙り込む。
「いいから仕事だ」
怒声と共に、カタカタと忙しなくキーボードを叩く音が聞こえてくる。
この男、案外分かりやすい。
「クールダラス中佐、照れるの図」
「やかましい。それよりお前、街に行ってもミルフィーユにばかり構うんじゃないぞ。元とはいえ、お前は司令官だ。部下に接する態度に分け隔てがあってはならん」
「分かってるって。良くも悪くも、ちとせ一筋なクールダラス中佐」
「いちいち突っかかるな。それに、一筋の何が悪い。二股など男のやる事ではない」
「て言うかお前、二股かけられるほど器用じゃないだけなんじゃ……」
「ええい、ああ言えばこう言う」
何を言っても飄々と返してくるタクトに、レスターが舌打ちしたその時。
コツ コツ コツ……
廊下を歩いてくる靴音が聞こえてきた。
2人はすばやく端末を強制終了して、光源を絶つ。
そして押し戸の内側に身を潜め、息を殺す。
足音は近づいてきて、そしてこの部屋の前で立ち止まった。
(入ってくる気か?)
緊張が高まる。
が、次の瞬間。
「……おい、タクト、レスター。入るぞ?」
小さなノックと共に、若い男の声が2人の名前を呼んだ。
とたんに2人は緊張を解き、フーッと息を吐いた。
「なんだ、お前か。警備員かと思ったぞ」
2人と同じ年頃の青年が入ってきた。
彼の名はラーク。
学生時代、スペースボール部でチームメイトであった友人である。
「時間だ。今日はもう帰ってくれよ」
どことなくオドオドした感じで、2人を交互に見やりながら言う。
タクトがおどけて、彼の肩に手を回す。
「え~? そうつれないこと言うなよ、夜はまだまだ長いんだ。昔みたいに朝まで騒ごうぜぇ」
「あ、朝までだって!? ふざけるなっ!」
その手が乱暴に振りほどかれた。
ラークはヒステリックに言う。
「ただでさえこの状況がどんなに危ない状況か、分かって言ってるのか? お前達にここを使わせてるって、もし所長にでもバレたら俺は……! 昔のよしみで危ない橋を渡ってやってるのに、何だその態度は!?」
「お、怒るなよ。ちょっとしたジョークじゃないか、間に受けるなよ」
「ジョーク? ああ、ちょっとしたジョークなんだろうよ、お前にとっちゃな! お前は昔からそうだ、人の迷惑なんて考えないで、2言目にはジョークジョークって! いつまで学生気分でいるんだよ、いい加減にしろ!」
こんな反応が返ってくるとは予想もしていなかったのだろう。
相手の激昂ぶりに、タクトは戸惑ったように言葉を失う。
そのタクトに代わって、レスターが彼をたしなめる。
「悪かったから大きな声を出すな。警備員が来たら元も子もないだろう」
ラークは我に返ったように口をつぐんだ。
しかし憤りは衰えないらしく、恨みがましい目でレスターを睨む。
「お前もお前だよ、レスター。お前がついていながら、何てザマだ」
「迷惑をかけている事は謝るし、感謝もしている。だが、これは必要な事なのだ。お前を責めるわけじゃないが、そもそも情報部が俺達の要求に応えて資料を揃えてくれさえすれば、俺達もこんな真似をしなくて済むんだ」
「ヴァル・ファスク分艦隊の行方を突き止めろってか? バカらしい、おおかた自分の星にでも帰ったに決まってるだろう。お前達がやってるのは、風車を巨人と見間違えて戦おうとするようなものなんだよ」
奇しくも先ほど自分達が言っていた事と同じ事を言われ、2人は一瞬カチンとなる。
「……。そんなことはお前に言われなくても分かっている。だがな」
「大袈裟なんだよ! お前らの言ってる事は。そんな荒唐無稽な話に付き合わされる、こっちの身にもなってみろ! お前らはお得意のジョークで済むかも知れないけどな、俺には女房も子供もいるんだよ!」
タクトとレスターは黙り込んだ。
なんて、ありきたりなセリフ。
興奮している彼は気付かなかったが、2人は気を削がれた顔をしていた。
「………………」
「………………」
白けた、と表現するのが正しいかも知れない。
言いかけた全ての言葉を飲み込んで。
「ああ。そうだったな。悪かった」
「迷惑をかけて済まない。お前の言う通り、今日はおとなしく帰るとしよう」
お決まりの言葉を並べ、部屋を出ていった。
カメラや警備員の監視をくぐり抜け、2人は外へ出た。
まだまだ夜明けは遠い。
いくつもの大きな街灯が道を照らしているが夜闇は圧倒的に深い。
2人は無言で歩いていた。
大通りを、数台の車が猛スピードで走り去って行く。
深夜の冷え込みに、襟元を引き寄せる。
「……なんかさ」
ふと、タクトが呟いた。
「つまんない奴になっちゃったよな、あいつ」
レスターは沈黙をもってそれに応えた。
彼はかつて、スペースボール部のエースであった。学生時代の彼は、太陽のような男だった。自信に満ちあふれ、ディフェンスの屈強な大男に勇猛果敢に挑んで行く姿は、女生徒ばかりか男の目から見ても羨望の的であった。
茶目っ気もあった。タクトに負けず劣らずの変わり者で、2人でよくバカをやっていた。当時は彼とタクトが逃げ、真面目なレスターが彼らを目の仇にして追いかける、という構図だったのだ。
それが、あの変わり様である。
「老けたよな、あいつ」
呟くタクトの言葉には、怒りよりも寂寥に溢れていた。
軍隊の規律なんてくそくらえだ、俺が新時代の軍隊を作ってやる、などと息巻いていた男。
タクトは信じていたのだ。
むろん新時代の軍隊を作る、などという話ではなくて。
そんなセリフを堂々と言ってのける、彼の心意気を信じていたのだ。
卒業してからも、たまに会えばいつでもあの頃に戻って、バカをやれると信じていたのである。
レスターはしばし迷い。
「そろそろ、あそこで調べるのも限界だな」
努めて事務的なことを口にした。
「……ん」
タクトはうなずく。
「これから皇国軍の全艦船の戦闘履歴を調べようかという時に、情報部の端末が使えなくなるのは痛いが……仕方が無いか」
「ん」
「まあ、決戦艦隊の分が調べ終わっただけでも良しとするか」
「ん……」
レスターの不器用な心遣いが分かったのだろう。
タクトは自分の頬を1回叩くと、明るい声で言った。
「ま、ノンビリやろうぜ。どうせ俺達のやっている事なんて、風車を巨人と見間違えて戦おうとするようなものなんだから」
「愚か者。荒唐無稽、ここに極まれり」
レスターも薄く笑う。
また、車が1台、猛スピードで走り去って行った。
ヘッドライト、テールライト。
「なあ、レスター」
「何だ」
「……オレ達は、間違っていない」
ともすれば、深い闇に消え去ってしまいそうな言葉。
それに抗うように、レスターは力強く答えた。
「ああそうだ。俺達は、断じて間違ってなどいない」
何気なく、夜空を見上げる。
まばらな星と、月明かり。
夜明けは遠い。
しかし2人は迷いなく、夜道を歩いて行くのだった。