富豪は金を撒き、今日の享楽を追い求める。

 

農夫は種を蒔き、秋の実りを夢見る。

 

 

Ogre Battle Saga 第1章 「魔人というもの」より−

 

 

 

 

 

 

 

 

―――― 武神と呼ばれた男がいる。

 

トランスバール皇国が、安定した成長を続けていた当時。

平和な世界に逆らうように、彼は軍隊へと身を投じた。

以来、彼はその人生の全てを、己の武を磨き上げる事に費やし続けた。

平日の課業時間が終わった後も。休日も。自由にできる全ての時間を。

焼けるような酷暑の日も。凍るような極寒の日も。雨の日も。風の日も。

彼は体力錬成をし、技能鍛錬をし、軍事の知識を詰め込む事に没頭し続けた。

同世代の若者達が遊びに出かけ、異性と恋をし、青春を謳歌している最中。

彼はひたすらに、己の肉体と頭脳に苦痛を刻み続けた。

そんな生活を、40年間続けた。

 

想像できるだろうか。

 

天下太平の世の中。戦争など、起こりそうにもない。

いくら鍛え続けたところで、その真価が発揮される時など、一生来ないかも知れない。

それが分かっていながら、己の肉体を苦痛に晒し続けるという事が、いかなるものか。

同世代の者達が人並みの幸せを手に入れ、穏やかな暮らしを営んでいるのを横目に。

戦う術を学び。破壊し、殺すための存在に自分を特化していくという事が、いかなるものか。

それを40年間である。

1日や2日なら誰でも出来る。少し骨のある者なら、4年や5年は続けられるだろう。

だが、40年間続けられる者が、この世に何人いることだろう。

 

分かるだろうか。

 

彼の生き様が、理解できるだろうか。

その気になりさえすれば、幸福に過ごし続けられるはずだった膨大な時間。

その誘惑は尋常ならざるものであっただろう。

平和な世界で、自分の人生が全くの無駄に終わってしまうかも知れない。

その恐怖は耐え難いものであったろう。

それら誘惑や恐怖を、己の意志の力のみで封じ込め、苦痛と難渋に身を捧げ続ける。

そんな彼の生き様が、理解できるだろうか。

 

 

40年の後、彼は武神と呼ばれるようになっていた。

皇国軍で、知らぬ者は居ない。

 

『武神・ヴァイツェン』

 

その名は絶対的な畏怖と共に呼ばれる。

男の名はルフト・ヴァイツェン。現在、59歳――――

 

 

 

 

 

 

誰かに呼ばれた気がして、ルフトは顔を上げた。

耳を澄ませてみるが、どこからも自分を呼ぶ声など聞こえて来ない。

「はて……空耳かの」

彼は肩をすくめ、そのまま窓の外を見やった。

今日も良い天気だ。空は澄み渡り、高い天空を鳥が飛んでいる。

暖かな春風が、白いカーテンを踊らせる。その様が、やけにまぶしい。

「床に伏せ 初めて気付く 我が激務……か」

即興で俳句など詠んでみる。

ここは皇立総合病院。

ルフトが職務中に突然倒れて、ここに入院してからもう半年になろうとしている。

皮肉な事に、こうして丸一日何もせずに終わるような暮らしになって初めて、ルフトはそれまでの自分がいかに多忙であったのかを知ったのだった。

よく今まで気付きもせず、平然とやっていたものじゃ。

しかし気付いてしまった今となっては、また同じ事が出来るかのぉ……。

「老けたんかの」

弱気になっている自分に、苦笑する。

武神ヴァイツェンも老いぼれたものじゃ。40年前の自分が今の自分を見たら、何と言うじゃろうか。

ああ、それにしても良い天気じゃ。

こうして風を感じ、季節を感じ、ゆったりと時を過ごす。

こういう人生も、悪くなかったかもな。うむ、悪くない。

確かに悪くないのだが、半年も続けていると……。

「ちと……ヒマじゃのぅ」

病床の世話は、政府から派遣された秘書官がやっているが、毎日来るわけでもない。

つまりは見舞いも滅多に来ず、話し相手も居なくてヒマなのである。

「誰か来んかのう。お〜い」

廊下の出入り口に向かって呼びかける。

当然、ただの戯れであった。返事などあるはずが――――

 

チャッ

 

「ヴァイツェン、どうだ具合の方は……」

不意にドアが開き、初老の男が入ってきた。

長い年月が刻み込まれた、強面の顔。人生の荒波をたくましく乗り切ってきた者のみが備えることのできる、全身から溢れんばかりに漲る威厳。特徴的なのは頭から垂れている、動物のような大きな耳だった。

ダルノー・ブラマンシュ。

皇国最大の複合企業体、ブラマンシュ・コンツェルンの総帥である。

しかしその大総帥は、目を点にしてその場に固まっていた。

「……何をしておるんだ?」

両手をメガホンの形にしてこちらを向いている武神の姿に、半ば自失の感で問いかける。

「いや……その……」

武神はゆっくりと手を布団の中に戻し、ゴホンと咳払いをする。

「ダルノーではないか。久しぶりだな」

極めて厳格な声でそう言う。

あまりにも遅すぎる威厳の発揮であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「早く元気になって、職務に復帰せい。今の中央政府は話にならん、お前がおらねば皇国は崩壊するぞ」

ダルノーは自分で茶を淹れながら、背中越しに言った。

言外に言わんとする事に気付き、ルフトは顔をしかめる。

「……ジーダマイヤか」

「そうだ。あの男、ついに近衛軍の編成を解くと言い出しおったぞ。本気で皇国軍そのものを抹消する気だ。いつまであの愚物をのさばらせておく気だ」

「秘書官を通して警告は発しておるのじゃがな。あやつめ、完全にワシを無視しておる」

ジーダマイヤ家は貴族の中でも古くから力を持つ名門で、一大軍閥勢力である。いま2人が話しているのはバルトロメイ・ジーダマイヤ。先のエオニア戦役で戦死したシグルド・ジーダマイヤの従兄弟で、現中央議会の民政大臣。ルフトが倒れて以来、非武装平和主義を唱えて政府内で急速に影響力を強めているらしい。

ダルノーはカップを持ってベッド脇のソファーに腰掛けると、持参していた経済新聞を放ってよこす。

「見ろ、第8次軍縮計画はたったの5時間で議会提出だ。ここまで来ると、もはや狂気の沙汰としか思えん」

ジーダマイヤは軍隊というものに対して否定的な立場を取っていた。

いや、憎んでいると言っても過言ではない。軍閥でありながら、軍隊を潰す事に心血を注いでいるような男だ。

そんな彼が中央議会に提出したのが、『皇国軍廃止議案』。あまりにも荒唐無稽な話だと思っていたのに、それが今や現実味を帯びてきている。第6次軍縮計画で白き月のムーンエンジェル隊が解散に追い込まれたのを例に挙げるまでもなく、いま皇国は彼の指揮のもと、未曾有の軍縮の嵐が吹き荒れていた。

ルフトは渡された紙面を眺める。2日前の記事だ。ルフトも当然、その新聞には目を通していたが、改めて見ても眉をひそめたくなる記事であった。

 

『第8次軍縮計画、政府内にて圧倒的支持を得て可決。ヴァル=ファスクとの親善儀礼が焦点』

 

大きな見出し。今回の計画の目玉は、トランスバール首都惑星を警護している女皇直轄軍、近衛軍衛星防衛艦隊を武装解除して、ヴァル=ファスクの首都星系ヴァル=ランダルへ親善儀礼を執り行うというものだった。

近衛軍の武装解除。

とんでもない話であった。それでは本星は丸裸ではないか。宇宙海賊ですら簡単に首都を攻撃できるという事だ。

しかもそんな重要な事案が、たったの5時間で議会に提出されたというのだから話にならない。ダルノーではないが、もはや狂気の沙汰としか思えなかった。

さらに新聞には、ジーダマイヤ本人のコメントも掲載されていた。目を通したルフトは、思わず嫌悪に顔をしかめる。

「過去は水に流し、憎しみを忘れ、昨日の敵をも愛と寛容で包んでやる……か。あやつ、それがどれだけの苦痛を伴う事なのか、本当に分かって言っているのか」

どう見ても、耳に心地よい言葉にただ陶酔しているようにしか見えない。

「シヴァ女皇陛下はどうしてしまわれたのか。こんな無茶な計画を承認なさるとは」

ダルノーの嘆きに、ルフトも首をひねる。

ルフトにとっても、それが唯一分からない点であった。このような暴挙を、あの聡明な女皇陛下が認めるとは到底思えないのだ。

だが現実に女皇は沈黙を保ち、信じられない議案が次々に可決されている。

もしや女皇の身に何か……と危惧しているのだが、秘書官は「ご健在です」と報告してくる。

改めて、自分の目で確かめに行けない病身を恨めしく思った。

「皇国軍があるからこそ、星間の治安は保たれているのだ。輸送船の安全が保証できない無法地帯では、おちおち商売もできぬではないか。物流は滞り、経済は活力をなくす。いずれは自滅の道をたどることになってしまうぞ」

ダルノーはカップを傾けながら、憂鬱そうに言う。商人的なその物言いに、ルフトは苦笑した。

「弱気じゃの。『天才』ブラマンシュをもってしても、どうにもならんか」

冗談めかしてそう言ってやる。

ダルノーは眉をピクリとさせると、お返しとばかりに笑って言った。

「ならんな。だから今の軍縮傾向をどうにかしろ、『武神』ヴァイツェン」

ルフトも苦笑する。彼はベッド脇のキャビネットを開き、引き出しから写真立てを取り出した。

「宗一郎とバレルが生きていたら、何と言うじゃろうな……」

セピア色に色褪せた写真。

そこには4人の男女が並んで写っていた。

今より若き日のルフトとダルノー、そして4人の中では最年少と思われる黒髪の青年と、4人の中では年長と思われる美しい老女。

「烏丸宗一郎……良き青年であった」

懐古の念を声に滲ませて、ダルノーは言う。

「シスター・バレル。悔やまれる死であったな……」

同じくルフトも呟く。

もう10年以上も前になろうか、彼らと共にあったのは。

一回りも二回りも歳は離れていたが、あの頃、我らは確かに“友”であった。

武神。天才。侍。聖女。

廃太子エオニアがクーデターを起こす前までの、トランスバール最後の平和を支えた黄金世代。

「一番最初に戦場に降り立ち、一番最後に戦場を後にする。それが長となった者の責任だ……宗一郎の口癖であったな。部下を先に逃がし、自分は脱出できずに艦と共に沈むとは。いまどき珍しい、責任というものの重みを知っている男だった」

「ああ。あの男が生きておれば、ワシもとっくに楽隠居できておったのじゃがな。おかげで未だに現役じゃ。『侍』烏丸宗一郎……つくづく惜しい男であった」

「宗一郎の忘れ形見がエンジェル隊に入隊したと聞いた時は驚いたぞ。会ったことは無いが、どのような娘だ?」

「聡明な娘じゃ。父親に似て、生真面目でな」

「ふっ。ではその娘に宗一郎の後は継げると思うか?」

冗談めかしたダルノーの提案を、ルフトは笑い飛ばす。

「はっはっは。あと5年も経ったら考えても良いの。今はまだ駄目じゃ。頭は良いが、いかんせん若すぎる。経験不足で危なっかしくて、とてもではないが使い物にならん」

ダルノーも、もっともだと笑う。

それから思い出したように言った。

「そうだ。後継者と言えば」

「ん?」

「この間、シャトヤーン様にお目通りが叶ってな。拝謁して来た」

「そうか。ご様子はいかがであった」

「だいぶ、ご心労のご様子であった。一度揺らいだ白き月の信仰を立て直すのは、やはり困難な様でな」

「そうか……おいたわしいことだ。まあ、ひとときの混乱だとは思うがの。何だかんだと言って、人の心とは弱きものだ。たとえ1度は信仰を離れたとしても、いずれは心の寄る辺が恋しくなり、再び元の信仰に帰属する……そういうものだ」

ダルノーはうなずく。

茶が切れたらしく、立ち上がっておかわりを注ぎ足す。

「ヴァイツェン、喉は渇かんか?」

「ああ、もらおうか。ブラマンシュの大総帥に茶を淹れてもらうなど、滅多にない事じゃしな」

「言っていろ。昔はコーラの回し飲みで、飲み過ぎだの何だのとギャーギャー騒いでいた奴が」

そう言いつつ、ダルノーは髭に隠れた口元を歪めて、ルフトの分の茶を用意する。

再びソファーに戻り、話を続けた。

「それでだ。その時、シャトヤーン様は次代の『月の聖母』候補について少しだけ言及なされた」

「何?」

ルフトは茶を吹き出しそうになるのを辛うじて堪え、目をむいてダルノーを見やった。

「まだ早すぎる。シャトヤーン様ご自身が健康を害されたわけでもあるまいに」

「無論、雑談半分の話だ。まだ当分先の話ですがと、ご本人もそう前置きしておられた。しかし話を聞くと、どうやらシャトヤーン様は次代の月の聖母をエンジェル隊の中から選ぼうとなさっておられる様だぞ」

ルフトは首を傾げる。

「エンジェル隊の中から? しかし聖母の能力は血脈によるもののはずでは……」

「詳しい事は我らには預かり知れぬ所よ。何某か方法があるのだろう。それより後継者とは誰だか分かるか、ヴァイツェン」

微笑みながら問うダルノーに、ルフトは顎に手をやってしばし考えた。

しかし、本当は考えるまでも無かったのである。

芝居がかった仕草で、もったいぶって言う。

「やはり……真白(ましろ)か?」

ダルノーは呆れた顔を浮かべる。

「何だ、その言い方は。宗一郎ではあるまいし、なぜわざわざ縦文字で言うのだ」

「故人を偲んでみようかとのぅ」

「偲ばんでいい。……その通り、シャトヤーン様の頭にあるのは、ヴァニラ・H(アッシュ)らしい」

ルフトはうなずいた。

ヴァニラ・H(アッシュ)。血のつながりは無いが、バレルが死の間際まで側に置いて育てた娘。シスター・バレルの遺志を誰よりも色濃く受け継いだ娘である。エンジェル隊の中から選ぶというのであれば、彼女をおいて他には居るまい。

「そうか」

深い感慨があった。

「バレルの心は……まだ生きておるのだな」

親から子へ。師から弟子へ。

人の想いは受け継がれ、生き続ける。

たとえ我が身が滅びようと、その想いが別の誰かに受け継がれるのならば、それで良いのではないか。

幸福とは、もしかしたら自分の想いを継いでくれる誰かに出会える事なのかも知れない。

「後継者か……。もう我らも、そんな事を考える歳になったのだな」

世代交代。ダルノーの言葉には、口調以上に深い感慨があった。

侍の魂は生きている。

聖女の想いもしっかりと受け継がれている。

では、自分達のそれは……?

「この間、エンジェル隊の皆が見舞いに来てくれての。お前の娘に、実家にも顔を出すよう言っておいたが、来たか?」

「いいや。ふん、あの放蕩娘め。ヴァイツェンの所には来て、実の父親には顔も見せんとはどういう事だ」

むくれて見せるが、別に本気で怒っているわけではなさそうだった。

「その気になれば簡単に連れ戻せるじゃろうに。いつまで娘のわがままを許してやるつもりなのじゃ?」

「そうだな……あと4、5年は今のままでも良いと思っている」

「寛大じゃな」

「宗一郎の娘ではないが、我が娘もまだまだ使い物にはならん。今のうちに、様々な人間を見ておくのも大事な事だ。無理にこの世界に連れ戻しても、この世界には似たような人間しかおらんからな。それが全ての人間だとは思わぬように……できれば今のうちに、外の世界で多くの友人を作ってほしい」

ダルノーは窓の外を見やりながら、独り言のように続けた。

「私が若い頃、外の世界で素晴らしい友人にめぐり会えたように……な」

ルフトは無言で、ただ微笑む。

かの娘は、父親のこの愛情に気付いているのだろうか。

気付いていないのかも知れない。若さとは、そういう事だ。自分がその世代になってみて、初めて分かるのである。

「その点、お前はいいな。立派な後継者を持てて」

冗談交じりのやっかみ半分に言うダルノー。

「当然じゃ。学生時代から手塩にかけて育てた2人じゃからな。あれくらいしてもらわねば、武神の名を譲るわけには行かぬ。しかし……」

英雄と竜。

見事に成長した2人の若者を思い浮かべながら、それでもルフトは旧知の友人に向かって、不敵に言い放つのであった。

「しかし、あやつらとて小娘どもと変わらぬよ。まだまだじゃ。まだまだこれからじゃ」