彼等は答えた。
「高価な机に座って難しい話をする奴よりも、
戦場で血まみれになって剣を振るう奴の方が偉いと思った。
……お利口な奴らだけじゃ、この世は片付かない」
聖女はその答えに、いたく感心した。
−Ogre Battle Saga 第4章「聖女と出会うこと」より−
「言うまでもない事ですが、戦争は悪です」
ブラウン管の向こうで、その女性議員は高らかに言い放った。
ミントは耳をピクリとさせ、テレビに振り向く。
「少なくとも、この一点に関してだけは、誰も疑問の余地など無いはずです。なのになぜ軍隊を廃止しようという話になると、皆さん顔を引きつらせて、安全保障がどうのと小難しい言葉を並べ始めるのですか? 見ていて滑稽です」
ここはティールーム。
1人でちょっと遅めのティータイムと洒落込んでいた所であった。
ミントはカップを置き、ワイドスクリーンのテレビに向き直った。
「皇国軍など不要です。たとえば軍を廃止して、軍事費をそっくり福祉に回したとしましょう。すると、どうなります? 世の中は平和になる、国民の生活は豊かになる、良い事ずくめじゃないですか。なぜこんな簡単な事が分からないのですか?」
モニターに映っているのは、最近何かと話題の女性議員だった。
ユートピア解放平和党。
最近の反戦平和の風潮に乗って旗揚げした、新政党の名前である。無闘争による完全なる平和『パーフェクトピース』をうたい、エオニア戦役からヴァル=ファスク戦役まで続く戦争で疲弊した人心をとらえて、急速に台頭しつつある党だ。
彼女はそのユートピア解放平和党の所属議員であり、『国民に分かる言葉で議論を』というキャッチコピーで人気を博し、初出馬ながらダントツの人気で当選した人気頭であった。
保守派とおぼしき男性議員が席を立ち、質問を始める。
「軍を廃止してしまったら、いざ有事が起こった際、いかがなさるおつもりか。誰が国民を守るのです。他国の前で丸腰になれと言うのですか?」
女性議員はその質問を待っていた、とばかりに嬉々とする。
「私が言っているのは我が国の軍隊廃止ではありません。EDENもヴァル=ファスクも、銀河中の軍隊を廃止しようと言っているのです」
「バカなことを。そんなことが出来るわけがない」
「ええ出来るわけがありませんね、あなたのような人間が居る限り。そもそも、なぜ人は武力を持とうとするのでしょう? それは他人が怖いからです。隣人のことが信じられないからです。国民を守る? 聞こえはいいですね。しかしそれは、他国の人々を冒涜するものです。あなた方は、『他国の人々は野蛮で、ちょっとでも隙を見せればたちまち襲いかかってきて、我々の財産を奪っていく』と思っているのです」
「めっそうもない」
「お黙りなさい。なんて愚かな考えでしょう。他国の人々にだって良心はあるのです。平和を望んでいるのです。軍隊なんて恐ろしい物は、早く手放してしまいたいと思っているのです。それなのに、なぜ他国は軍隊を手放そうとしないのか? それは他国にも、あなたのような物の考え方をする人がいるからです。我が国も、他国も、お互いに臆病なのです」
「………………」
男性議員は肩をすくめる。
処置無しと判断したのだが、何を勘違いしたのか女性議員は勝利を確信したかのように、高らかに言い放った。
「ならば、私達から軍隊を手放しましょう。大切なのは、最初の1歩なのです。私達から、その1歩を踏み出そうではありませんか。そしてお互いを信じ合い、人として真に豊かな世界を築き上げるのです」
―――― 茶番ですわね。
ミントは白けた目で、女性議員の熱弁を眺めていた。
いつから皇国議会はコメディ劇場になったのだろう? しかも全然、笑えない寸劇だ。
『言うまでもない事ですが、戦争は悪です。少なくとも、この一点に関してだけは、誰も疑問の余地など無いはずです』
やけに自信満々に言っているが、ミントに言わせれば、この時点ですでに間違っていた。疑問の余地大いにあり、だ。
戦争を悪と呼ぶ者は、おおかた戦場の悲惨さや戦いにまつわる悲劇を根拠に言うのだろう。
「戦争はこんなに悲しみや苦しみを生み出してしまう。だから悪だ」と。
短絡この上ない考え方だ。
戦争などやらずに済むのなら、誰もやらないに決まっているではないか。
みんな、やらざるを得ないからやるのである。
軍隊を無くせば戦争が無くなる。
本気で言ってるのだろうか? いや、正気で言ってるのだろうか?
「地に足が着いていないとは、この事ですわね……」
ミントはあきれ果て、目を伏せる。聞くのをやめて、お茶の続きに戻ろうとした。
「軍隊などという巨大な暴力を公認してしまっているから、いじめや犯罪が根絶されないのです! 軍隊に入るのは、戦争が好きな人達じゃありませんか。そんな野蛮で危険な人達に税金を使うなんて間違っています!」
「なっ……!?」
思わず声を上げてしまった。猛然とした勢いで、再びテレビに向き直る。
度し難い暴言であった。
戦争が好き?
私は、私達は、そんな風に思われていたんですの?
なんて浅はかで、身勝手な解釈。総毛立つような不快感であった。
係員に言ってチャンネルを変えてもらおうと、席を立った。
その時。
「ま、そうカッカしなさんなって。らしくないよ」
不意にテーブルの正面から声をかけられた。
驚いて振り返ると、いつからそこに居たのか。
フォルテがコーヒーカップを片手に、微笑みながらミントを見つめていた。
「フォルテさん……いらしたんですの」
「よっぽど熱心に見てたんだねぇ。テレパスのくせして、私が座っても全然気が付かないんだから」
「だからと言って、黙って人の顔を観察してるなんて趣味が悪いですわよ」
恥ずかしさも相まって、ミントはことさら不機嫌にカップを取る。
フォルテは悪びれた風も無く、「悪ィ悪ィ」と詫びを入れた。
ミントが紅茶を口にし、一息入れるのを待って、話しかける。
「確かに頭に来るね。人が命がけで戦ったってのに、『好きでやったんだろう』みたいな言い方されちゃさ」
「ええ……」
ミントは溜め息をつき、うなだれる。
紅茶で少しは落ち着いた。悲しげに耳を伏せ、呟く。
「国民のみなさんは何を考えていらっしゃるんでしょう。皇国の政治(まつりごと)に、あんな未熟者を議員として選ぶなんて」
フォルテは苦笑してうなずいた。
「ああ、私もそう思うよ。どこのインテリ大学出のお嬢さんか知らないけど、あんまりな世間知らずぶりだね」
大して気分を害している風も無く、飄々としてフォルテは言う。
のん気にコーヒーカップを傾ける仕草に、ミントは眉をひそめた。
「ホントに分かっていらっしゃるんですか?」
「もちろんさ。何だい、信用ないねえ、私ゃ」
「だって、あまり真面目に考えていらっしゃらないみたいにお見受けしますわ」
自分はこんなにも腹立たしいと言うのに。
不満げに見つめてくるミントに対して、フォルテは数回、目を瞬かせる。そしてニヤリと口の端を歪めた。
「ちゃんと分かってるさ。そうさなぁ……それじゃ例え話でもしてみせようか」
フォルテは何気ない様子で、ミントの前にあるティーカップに目をやった。
「その前に、ちょっとその紅茶、味見させてくれないかい?」
「? ええ、どうぞ」
素直にうなずき、ミントはソーサーごと自分の紅茶を相手に差し出す。
ありがとう、と言ってからフォルテはカップに口をつける。
「ん〜、良い香りだねぇ」
「普通のダージリンですけど、蒸らす時間をちょっと長くするだけで、香りは格段に違ってきますわ」
「そうかい。ところでミント」
フォルテはカップを相手に返し、微笑んだまま言った。
「もしこの紅茶が、この世に残ってる最後の水だったとしても、お前さんは今みたいに私にくれたかい?」
「……え?」
思わず、紅茶の説明をした笑顔のまま固まってしまった。
「お前さんが今、私にくれたのは、また注文すれば新しい紅茶が飲めるからだ。違うかい?」
「………………」
フォルテは超然とした態度で言葉を続ける。
「例えばミント、お前さんが砂漠をさまよっていたとする。焼けるような日差しに晒されて、喉はカラカラだ。そんな砂漠の真ん中で、コップ1杯の水を見つけた。ところが向こうから、同じようにフラフラの人間が歩いてきたんだ。さあ、お前さんならどうする?」
ミントは少し考え、答えた。
「その方と分け合って飲みますわ」
フォルテはうなずく。ミントの答えは予想の範疇であったらしい。
「じゃあ、もしその時、お前さんに子供が居たら? 自分の子供が乾きに苦しみ、今すぐ水を与えなければ死んでしまう。そのコップ1杯の水ですら足りないくらいだ。そんな状況だったら?」
今度は少し考える時間が必要だった。
考えて、そしてミントは笑みを浮かべる。
「……なるほど」
フォルテの言わんとする事が、ようやく分かった。
「戦争とはそういう事だ、ということですのね」
自分と相手の2人だけなら、分け合うこともできる。
自分1人だけなら、あるいは聖書の聖人のように相手に水を譲る者も居るかも知れない。
でも自分が1人ではなかったとしたら、どうだろう? 例えば家族連れだったら?
それでも相手に水を譲るだろうか。自分が聖人君子になるために、家族を犠牲にするだろうか。
自分の家族だけでなく、一族を連れていたら?
さらには一族だけでなく、国民を連れていたら?
誰も、自分の国民を皆殺しにしてでも相手を助けようなどとは思わない。むしろ自分が手を血に染めて、悪となってでも、皆を生き延びさせようと思うのが当然ではないか。
戦争とは、極論すればそういうことなのである。
「自分が平和を望みさえすれば、相手も当然同じように平和を望んで、きっと何もかもうまく行くはずだ……そんな理屈は、ありあまる水があって、喉の渇きなど経験したこともない人間の甘さなのだと。そういう事ですのね」
ニコリとするミントに、フォルテも薄く笑った。
「………………」
帽子のつばを持ち、グッと目深にする。目線は隠れ、笑みの形に歪められた口元だけが見える。
そのままの姿勢で、フォルテは言った。
「んー、その解答じゃ70点だね」
「あら厳しい。では残りの30点は何ですの?」
耳をパタパタさせながらミントは尋ねる。
「私の質問に答えてないよ、ミント。コップ1杯の水しか無く、自分の子供が死にかけてる。さあ、お前さんならどうする?」
パタ……と耳が最後の一跳ねをして、シュンと垂れた。
「自分の子供に飲ませますわ。当然です、どこの誰とも知れない他人のために、我が子を見殺しにする母親がどこにおりましょうか」
「相手だって必死なんだ。水をよこせって襲いかかってくるよ。戦ってでも?」
「戦ってでも、ですわ」
「殺しても?」
「……はい、殺しても」
うつむいているミントは気が付かなかった。
帽子のつばに隠れたフォルテの顔。わずかに見えるその口元が、ニヤリと凶悪に歪められた事に。
「そうかい」
スッ……
フォルテの右手が動いた。
手を拳銃の形にして、その指先をピタリとミントの額に照準する。
「そしてお前さんは、私に撃たれて死ぬわけだ」
ミントは唖然として相手の顔を見つめた。
顔を上げ、指先を照準したまま見つめてくるフォルテ。その鋭い眼光の奥に潜む、底知れぬ深淵の闇に気が付く。
「フォルテさん……?」
自分の声がかすれ、わずかに震えている事に気が付く。
フォルテは相変わらず微笑みを浮かべていた。ゾッとするほど冷たい―――― 死神の微笑みだ。
「あの、今のって例え話……ですよね?」
まさか……。
不吉な予感に、背筋が凍る。
フォルテはゆっくりと手を下ろしながら、言った。
「……私がまだ軍に拾われる前の話だよ。私はその頃、とあるゲリラ組織に傭兵として雇われてたんだ。砂漠だらけの暑い所でね。銃の撃ち合いよりも水を探して歩き回ってた記憶しか残ってないよ。……そこは枯渇寸前のオアシスだったんだ」
わずかに顔をうつむかせる。
また帽子のつばに隠れ、表情は見えなくなった。
「殺したんですの……? 子供のために自分の手を汚した母親を……」
「漁夫の利ってやつさ。弾薬の節約になって良かったよ。もちろん子供も殺した。どいつもこいつも皆殺しにして……水は、私と仲間達がおいしく頂いたよ」
ミントは椅子を後ろに倒して立ち上がった。
悠然と座っているフォルテを見下ろし、睨みつける。
握りしめた拳が震える。
だが、それでも―――― どうして、とは言えなかった。
「私を責めるかい? ミント」
そんな少女の内心を見透かしたように、フォルテは斜に構えた視線を上げてくる。
「そうしなきゃ、私が死んでたんだよ」
誰にでも分かる、シンプルで、残酷な現実。
自分の命か、他人の命か。
フォルテは警察官でも聖職者でもないのだ。その2者択一で、自分の命を優先させたからと言って何の咎を受けるいわれがあろう。
「なあミント、エルシオールって良い所だったと思わないかい?」
言葉もないミントに対して、フォルテは穏やかに言った。
「ちゃんと3度のメシが出る。喉が渇きゃ自販機がある。軍服は支給される。シャワーも浴び放題。果ては個室までもらえて」
「………………」
ゆっくりと、フォルテは首をめぐらせる。
いまだに壇上で得意げにしゃべり続けている女性議員を眺めながら。
「まったく、本当にねぇ……。どこの良家のお嬢様か知らないけど」
その表情はまったくもって穏やかだった。
眠たそうに細められた目は、まるで犬と戯れるほのぼの番組でも見ているかの様であった。
「飢えたこともなく、乾いたこともなく……」
しかし、テレパスであるミントは感じ取っていた。
その穏やかな表情に隠れた、燃えるような憎悪を。
「毎日風呂に入れて、夜は温かいベッドで熟睡できて……」
ああ、怒っている。
いや、激怒している。
眠たそうに細められた目の奥で、殺意にも似た暗い炎が燃えたぎっている。
「夏はクーラー、冬はヒーター、年中快適な部屋に居て……」
その怒りは、あの女性議員にだけ向けられているのではない。
私にも……だ。
この人が駆け抜けてきた戦場は、私の比ではない。この人にとっては、私もあの女性議員も五十歩百歩なのだ。
「本物の戦争を知らない奴が、偉そうに平和を語るなって言ってやりたいねぇ……」
穏やかなその一言が、ミントの肺腑を深くえぐった。
自分の思い上がりを暴かれ、恥ずかしくなってくる。
目線を落とすと、紅茶に映る自分と目が合った。何のことはない、17歳の小娘の顔がそこには映っていた。
「ま、あんまり気にしなさんな」
唐突にフォルテは明るく言った。
ミントが顔を上げると、そこにはいつも通りの、快活な姐御肌の女性の笑顔があった。
「平和について真面目に考えてる、その姿勢は立派だと思うよ」
「ありがとうございます。でも私……」
「それでいいんだって。今はまだ、それでいいんだ」
この人はいつも、多くを語らない。
謝らないと、と思った。
この人に戦争論など、釈迦に説法であった。自分の浅はかさが、この人の逆鱗に触れたのである。それを謝らないと。
「その……ごめんなさい」
あるいは唐突だったのかも知れない。
しかしそれだけで、フォルテはミントが何を謝っているのか理解したようだった。
席を立ち、手を伸ばしてミントの頭をポンポンと軽く撫でる。
「お前さんは良い子だ。そして私の大事な仲間だ。私はね、お前さんまで頭でっかちな物の考え方をして欲しくなかっただけなのさ。ホントに気にしないでおくれ」
優しく微笑み、飲み終えた自分のコーヒーカップを取る。
「それに……私だって、まだまだなんだろうしね」
「え?」
「戦場で野垂れ死んで、葬式も挙げてもらえずに野晒しになってる奴に言わせりゃあ……私だって、呼吸して生きていられるだけ贅沢してるんだろうさ」
そんな言葉を残して、フォルテはその場を立ち去って言った。
ミントは呆然としてその背中を見送る。
深かった。自分には思いつきもしないほどの奥深さを、フォルテ・シュトーレンという女性に感じた。
これが、人に学ぶということなのか。
「………………」
自然と、遠ざかる背中に向かって頭が下がった。