「一生の宝物にします」

 

出来上がった絵を抱え、聖女は微笑んだ。

 

街角の絵師には知る由も無かったであろう。

 

相手が教国の誇る聖女であり、周りの男達が大陸最凶の魔人達であったなどと。

 

 

 

Ogre Battle Saga 第11章「親愛なる友へ」より−

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白き月 ドッグ内

 

 

整備班長のクレータがそこを通りかかったのは、ほんの偶然だった。

8階の連絡通路そばにある自販機。そこでしか買えない銘柄の缶コーヒーが飲みたくなり、わざわざ足を運んだのだ。

自販機にコインを入れ、ボタンを押して受取口からお目当てのコーヒーを取り出そうとしたところで。

「あれ……」

連絡通路の先に佇んでいる人影に気がついた。

その通路はガラス張りになっており、階下の整備場が見渡せるようになっている。その人影は、眼下に見えるエルシオールにジッと視線を注いでいた。

遠目だが見覚えのある人影だった。と言うか、クールダラス副司令に見えてしょうがない。あ、今は“クールダラス中佐”か。もうエルシオールの副司令じゃないんだし。

さらには向こうからマイヤーズ司令、もといマイヤーズ大佐によく似た人影が駆けてきた。2人は2言3言、言葉を交わし、向こうへ移動を始める。クレータには気が付かなかった様だ。

呼び止めようとして、ためらう。確かによく似てるけど……いや、でもまさか。あの2人は今ごろ、本星で軍の仕事に復帰しているはずだ。エンジェル隊の定期検閲は2週間も先だし、私用で来るという話も聞いていない。

躊躇しているうちに、人影は角を曲がって見えなくなった。

「まさか……ね」

きっと見間違いだ。クレータは踵を返す。

「そんなはずが……いや、でも……」

そう呟きつつも、歩みは早足になり、やがて駆け出していた。ミルフィーユさんやちとせさんなら、何か聞いているかも知れない。

コーヒーを取り忘れていた事に気が付いたのは、この日の夜になってからの事となる。この時、コーヒーの事などは頭から完全に消え失せていた。

 

 

 

 

白き月 謁見の間

 

 

タクトとレスターは、再びノアに対面していた。資料を手渡し、彼女はそれに目を通している。

頃合いを見計らって、タクトは口を開いた。

「見ての通りだよ、もう間違いない。思いつく限りのツテを当たってみたけど、ダメだった」

「………………」

「もう時間も無い。最悪のシナリオになるかも知れない。だから頼みに来たよ」

「………………」

「ノア、約束だ。黒の無人艦隊を生産してくれ」

「………………」

ノアは答えない。険しい表情で、ジッと資料を睨んでいる。

すでに読み終わっている事は明白だ。何度も繰り返し見ているのだ。

「おいノア、聞いているのか」

レスターが尋ねると、怒鳴り声が返ってくる。

「うっさいわね、聞いてるわよ!」

だが、それでも資料から目を上げようとしない。

「何度読んでも同じだ。奴らは間違いなく、トランスバール本星めがけて突き進んで来ている。現在地も見当が付いている。時間が無いのだ」

「言われなくても、見りゃ分かるわよ!」

「……お前が同じ所をしつこく見ているから、言ってるんだがな」

唐突に、ノアは顔を上げ、2人を睨みつけた。

彼女にしては珍しく、どこか追いつめられたような顔をしていた。

「シヴァは? シヴァは何やってんのよ!?」

「分からない。たぶん、情報がどこかで止まってるんだ。明日、オレとレスターで直訴に行くつもりだよ」

「直訴? できるの?」

「それも分からない。いつも衛兵に追い払われてばかりだから、何か考えないといけない」

「もうっ! 何やってるのよ、あのバカ!」

苛立ちを隠そうともせずに、ノアは叫ぶ。

謁見の間には、シャトヤーンも姿を見せていた。ノアに代わり、2人に向かって言う。

「私の方からシヴァに話を通しましょうか? 母からの言葉という事にすれば、軍の方々も無下にはしないと思うのですが……」

タクトは首を横に振る。

「いえ、それはマズいです。バレた時がやっかいになります」

「なぜです?」

「ご存じだと思いますけど。オレ達、軍の中で余り評判良くないんです。そんなオレ達と個人的な繋がりがあるって知れたら、シャトヤーン様にご迷惑がかかります。本当は、こうして会いに来ている事だって気が引けるんです」

「マイヤーズ司令……そんな、私にお気遣いは無用です」

「いいえ、無礼を承知で申し上げますが。シャトヤーン様、ただでさえ月の聖母が難しい立場にある事は、ご自身でもご承知のはずです」

「それは……」

悲しそうに口をつぐむシャトヤーン。

レスターがノアの様子に首を傾げていた。

「どうした? 何をそんなに苛立っている。たったいま聞いた話ではないだろう」

「別に、私は前からこんなよ。短気で悪かったわね!」

「そうか? ……まあいい。それで、無人艦の生産は引き受けてもらえるのか?」

「し、しょうがないわね。確かに、今のところ他に良い手は無さそうだし……いいわ、準備だけなら」

ノアは渋々ながら、うなずいた。

だが、目が落ち着き無く泳いでいる。両の拳をギュッと握りしめ、緊張している様にも見受けられる。

挙動不審な様子に首を傾げながらも、レスターはとにかく話を進めた。

「助かる。それでだ、おおよその戦闘見積もりを立てて来た」

「ええ。私は何隻くらい作ればいいの?」

「艦の特性を考慮すると、戦力比にして2:1は欲しい所なのだ。ヴァル=ファスク艦隊はおよそ40隻前後と見積もられる。つまり、こちらとしては80隻くらいの戦力が必要なのだが……行けるか?」

「は、80隻!?」

ノアは悲鳴を上げた。

上げた後で、ハッと我に返って慌てて口をつぐむ。

タクトとレスターは、揃って彼女を見つめる。

「何だ、ダメか?」

「ダメなわけ無いじゃない。いいわよ、80隻ね。楽勝よ」

「ノア? 本当に大丈夫なのかい? 何だか無理してるみたいに見えるけど」

「無理? 私が? ハッ、誰にものを言ってるのよ。私は黒き月のノアよ、私の力がどんなものか、あんた達だったら良く知ってるんじゃないの?」

不敵な笑みを浮かべている。

確かにそうだった。2年前の戦いが思い出される。黒き月からまるで蟻のように、無人艦や戦闘機がウジャウジャと溢れ出して来る、あの絶望的な光景が。確かにあの力をもってすれば、80隻くらい楽勝だろう。

「んー、でもホント、久しぶりだわ。腕が鳴るわね」

その腕は普通の少女と変わりなく、細く頼りないのだが。

彼女は間違いなく、あの黒き月の管理者なのだ。見た目に惑わされてはいけないという、生きた見本なのだ。

「すまない、よろしく頼むよ」

「いちおう準備は進めとくけど、あくまで最後の手段なんだからね。前にも言ったけど、シヴァよ。何とかしてシヴァを動かしなさい」

「分かった。明日は張り切って暴れて来るから」

笑顔でうなずき、シャトヤーンにも頭を下げる。

「では、我々はこれで。お邪魔しました」

「マイヤーズ司令……お役に立てず、お気を遣わせてばかりで。申し訳ありません」

「そんな、オレなんかにもったいないですよ」

そしてレスターと顔を見合わせる。

「行くか、レスター」

「おう」

成すべき事を終え。

2人は謁見の間を後にした。

 

 

 

 

 

大扉をくぐって謁見の間を出て、2人は呆然とその場に立ちすくんだ。

待合所の役目も兼務している、大扉の前のホール。来た時は人っ子一人居なかったその場所に、大勢の人間が集まっていたのだ。

どれも見覚えのある顔だった。それもそのはず、運命を共にして戦った、エルシオールの元クルー達だったのだから。

「ほらぁ、やっぱりマイヤーズ司令とクールダラス副司令! ね? 私の言った通りでしょう?」

クレータ整備班長がなぜか勝ち誇ったように、ケーラ先生に言っている。

「マイヤーズ司令、どうなさったんですか?」

「クールダラス副司令、お久しぶりです!」

ココとアルモが居る。各部署の、顔なじみの者達が居る。

そして目の前に居るのは、エンジェル隊の少女達だった。

「タクトさん……どうしてここに?」

「来られるのなら、ご連絡下されば良かったのに。用事が済んだら、そのまま帰ってしまわれるおつもりだったんですか?」

ミルフィーユとちとせが、それぞれ相手に詰め寄る。

タクトとレスターは困惑しながらも、笑顔を見せる。

「いや、ゴメンゴメン。ちょっと急にシャトヤーン様に会わなきゃいけない用事ができてさ」

「用事? どんなですか?」

「大した事じゃないよ。軍の、なんかつまんない式典の話」

タクトはレスターに目線を送った。アイコンタクト。レスターも小さくうなずく。

「それにしたって、せっかく来られるのに連絡も下さらないのはひどいです」

「それは悪かった。なにせ急だったものでな。だが、用事が終われば顔見せくらいはするつもりだったのだ」

「本当ですか?」

「こんな嘘を言ってどうなる」

何とか2人をなだめすかそうとした所へ。

 

クイッ

 

タクトは後ろから服を引っ張られた。何だ、と思って振り返る。

ミントだった。険しい表情で、2人を見上げている。

「………………」

その表情を見た瞬間、2人は悟った。

 

―――― 読まれた!

 

ミントは何も言わない。無言のプレッシャー。

「どうしたい? ミント」

フォルテがその様子に気が付いて声をかけるが、ミントは答えない。

「………………」

「……ミントさん……?」

異変に気が付いたのか、ヴァニラがミントと2人の間で視線を往復させる。

周囲もざわつき始めた。

「ミント、どうしたの? 恐い顔して」

蘭花が尋ねると、ミントは少しだけそちらに目をやった。

すぐに、刺すような視線を2人に戻す。

「私の口から、説明してもよろしいんですか?」

ようやく発したその一言の、どんなに重いことか。

タクトは唇を噛み締め―――― やがて首を横に振る。

「いや。話すよ」

「タクト」

「しょうがないだろ、レスター。遅かれ早かれ、分かる事だ」

タクトは顔を上げ、ざわつく元クルー達を見渡した。

「みんな。せっかく久しぶりに会ったのに申し訳ないけど、話があるんだ。時間のある者は聞いてほしい」

「その前に、場所を変えませんこと?」

横からミントが、そう提案してきた。

「そうだな。どこか良い場所はあるか?」

尋ねるレスターに、うなずく。表情は険しいままだが、いつものあの飄々とした調子で。

「ございますわ。お2人のお話を伺うのにピッタリの場所が」

 

 

 

 

連れてこられた先は、エルシオールだった。

「懐かしいな……」

通路を歩きながら、タクトは感慨深く周囲を見回していた。

「半年ぶりか。てっきり埃でもかぶっているかと思っていたがな」

「定期的にクリーニングシステムは回していましたから。それでなくても、私達の思い出が詰まった艦を埃まみれになんてさせません」

レスターとアルモが話している。

ミントがタクトの隣に並び、前を向いたまま静かに尋ねる。

「……本当なんですの?」

「ああ、確かだ」

たった一言だけの、簡潔な会話。それだけでも、ミントは深々とうなずいて溜め息をついた。

「皆さんにも、ちゃんと説明してあげて下さい……。私達の司令官は、あなたなんです。今でも」

それだけ言い、離れていく。

タクトはその背を見送ることはせず、前を向いたまま、ただうなずいた。

 

 

 

エルシオール内 食堂

 

 

みんな仕事があるだろう、時間のある者だけでいい。

そう断っていたにも関わらず、大勢の者達が2人の話を聞きに集まっていた。

彼らに向け、レスターがこれまでの経緯を全て説明した。

ヴァル=ファスク艦隊が迫っている事。

2人で独自に調査を展開し、居所を掴んだ事。

皇国軍が機能していない事。

誰も2人の警告に耳を貸さない事――――

 

再会の喜びも消え失せ、水を打ったかのような沈黙が広がっていた。

だが、各々の目に宿るのは恐怖ではない。それは現実をしかと見つめようとする、強く真摯な眼差し。

なんと頼もしい連中だろう。

レスターは説明を続けながら、かつての部下達に万感たる思いを抱いていた。

これまで会ってきた、権力の飼い犬に成り下がった旧友や愚かな上官たちとは大違いだ。

皆、見事だ。それでこそ俺とタクトの部下……いや、戦友だ。

 

レスターは現状を説明し終えると、タクトと交代した。

タクトはこれからの事を説明する。

「ノアとも話したけど、皇国を救えるのはシヴァ女皇陛下しか居ない。だけどオレ達の報告は、陛下の元まで届いていない。おそらくバカな側近どもが、オレ達の報告書を握り潰しているんだ。だから……オレ達は明日、王宮に出向いて女皇陛下に直訴する!」

食堂がざわめいた。

「それはちょっと、無謀じゃないのかい?」

フォルテが口を開く。

「そうです。いくらタクトさんでも、そんな無茶をしたらタダで済むはずがありません」

ちとせも身を乗り出して、そう口添えする。

「本星の事なんて良く分からないけど……蛮勇は身を滅ぼすだけよ? マイヤーズ司令」

「別の手は無いんですか? マイヤーズ司令、ミルフィーユさんとの結婚だって控えてるんでしょう?」

ケーラやクレータもそう言う。

タクトはミルフィーユの方を振り返った。

「………………」

ミルフィーユは不安げな顔でいた。

「ミルフィーユさん、何とか言ってあげて下さい。こういう時は、ちゃんと言わないと」

アルモが駆け寄ってきて、そう言う。

ミルフィーユは首を横に振った。

「……私、タクトさんと約束しましたから」

タクトと目を合わせ、微笑む。

明らかに無理をした微笑みだったが、それでも。

「タクトさんがどんな決断をしても、私はそれを信じるって。私とタクトさんは、いつでも一緒だって」

「ミルフィーユさん……」

タクトは唇を噛み締め、そんなミルフィーユにうなずいた。

こんな男の身勝手に、よくぞ耐えてくれる。本当に、頭が下がる思いだった。

それから決然と、皆を見渡して宣言する。

「やると言ったらやる。もう時間も無い、躊躇しているヒマは無い。少しぐらい無茶でも、やれる事は全てやっておかなきゃ、きっと後悔することになると思うんだ。みんな……わがままな司令官でゴメン。オレ達の直訴がうまく行くよう、祈っててほしい」

 

スッ……と。

小柄な人影が、2人の前に進み出てきた。

ヴァニラだった。何事かと注目する皆の前で、彼女は厳しい顔で言った。

「……お断りします……」

意外な人物からの、意外な拒否。

タクトとレスターは硬直する。

しかし次の瞬間には、ヴァニラは薄く微笑んでいた。

「……祈っているだけなんて……お断りします。私も……準備を進めておきます」

「え」

「戦闘準備です……。もし、うまく行かなかったなら……また、白き月へ来て下さい……。準備万端整えて、お待ちしています……」

その意味が皆に浸透するのに、数瞬の時を要した。

だが、全員が意味を理解した瞬間。

ドッと沸き立つような歓声に包まれた。

「そうです! 私達も準備しておきます!」

「安心して行ってきて下さい! もし失敗しても大丈夫、私達がお2人と一緒に戦います!」

口々に激励の言葉を2人に送る。

 

パチ……パチ、パチ……

 

不意に、拍手の音が鳴り響いた。

蘭花だった。皆が振り返ったところへ、

「拍手でお見送りと行きましょう。私達の御大将と副将が、自ら戦いに赴こうってんだから!」

 

パチ、パチ、パチパチパチパチ……ワアアアアアアァァァッ!

 

拍手の輪がさざ波のように広がり、やがて食堂中が熱狂に包まれた。全員がスタンディングオペーションだ。

この光景。

タクトは、こみ上げてくるものを堪えるのに必死だった。

この瞬間を、自分は一生忘れないだろう。

皇国の英雄と呼ばれるようになった時も、これほどの感動は無かった。見知らぬ百万人に誉められても、大した感慨は無かった。

たとえ少数でも、苦楽を共にした者達に激励される。それは涙が出るほど嬉しく、誇らしかった。

ありがとう。みんな、ありがとう。

君たちの司令官をさせてもらって、オレは銀河一幸せな男です――――

タクトとレスターは言葉も無く、かつての部下たちに深々と頭を下げる。

万雷の拍手が、2人を包んだ。

 

「やれやれ」

そんな中で、フォルテはとっくに拍手をやめ、食堂の熱狂を見守っていた。

「男だねぇ、2人とも」

ちょっと皮肉な口ぶりで、頭を下げているタクトとレスターを見守る。

そして、ミルフィーユとちとせに目を向けた。2人とも皆と同じように、拍手を送っている。

その姿を眺めて―――― 苦笑をもらすのだった。

「ミルフィー、ちとせ……。やっぱアンタ達、男を見る目が無いよ」

 

 

 

 

 

 

解散となり、皆が出て行った後で。

タクト、レスター、エンジェル隊の皆は、久々のエルシオールを見て回っていた。

「わぁ〜、カフカフの木だぁ〜! 懐かしいですねタクトさん!」

「ホント懐かしいわね。エルシオールなんて、いつでも来れたはずなのに……」

ミルフィーユや蘭花を始め、皆さまざまな所で思い出を語る。

銀河展望公園を1周して、さあ次はどこへ行こうかと皆で話し合う。

その時、ちとせはレスターが皆の輪から外れ、1人でポツンと佇んでいる事に気が付いた。

「どうしたんですか? 副司令」

不思議に思い、尋ねる。

レスターは彼女から目をそらし、なぜかそわそわしながら言った。

「ちとせ……その、何だ。少しばかり、話があるのだが……」

「え?」

「手間は取らせん。用件だけなら1秒で終わる」

「???」

ますます不思議そうにするちとせの背後で、タクトがニヤニヤしていた。

(おお、ついに動くか、レスター!)

(うるさい。すぐ終わるから先に行ってろ)

(グッドラック、親友!)

(やかましい! さっさと行ってしまえ!)

以心伝心。無駄に完璧なアイコンタクト。

「よーし、それじゃ先に行ってるぞレスター。みんな行こうかぁ!」

「んん? なんか怪しいわねぇ」

「蘭花、言うだけヤボってもんだよ」

皆、ニヤニヤしながら公園を出て行く。

なるべく自然を装いたかったのだが、しっかりバレているようだ。

「くっ……」

「あの、副司令。お話というのは……?」

ちとせは急に皆と引き離され、戸惑っていた。その顔を見て。

……いや、そうでもないらしいな。

レスターは考えを修正する。

ここに、何の事だか分かっていない者が1人。それが当事者だというのだから、おあつらえ向きだ。

「あ、もしかして勝負の件ですか? 確かにここなら広いですし。分かりました、このリボンは取らせません!」

なんでそうなるんだ。お前、本当に頭良いのか?

身構えるちとせに、レスターは苦笑して首を横に振る。

「とりあえず、今はそれじゃない」

「あ……そうなんですか。では何のお話ですか?」

「まあ、少し向こうへ行こう」

レスターは再び、公園の奥へ向かって歩き始めた。

ポケットに突っ込んだままの手には、小さな箱。親友いわく「これさえあれば女の子はイチコロ」らしき、魔力だの何だのという不可解な品物。

「ふん……」

辺りを見回す。2人きりだが、この手のパターンは読めているのだ。

タクトにエンジェル隊の連中。素直に出て行ったが、本当はどうだか分かったものではない。

どうせ、その辺の藪にでも隠れているに違いないのだ。

「そうは行くか。速攻で終わらせてやる」

「はい? 何かおっしゃいましたか?」

ちとせはトコトコついて来る。

ほどよく歩いた所で、レスターは立ち止まった。

「ちとせ」

「はい」

「やる」

無造作に箱をつき出した。

ちとせは目を瞬かせた。鳩が豆鉄砲をくらったような顔で、その箱を凝視している。

「………………」

ん? 反応が無いな。

固まっているちとせに、レスターは箱を開いて見せる。

飾りっ気の無い、シンプルなデザインの指輪が光っていた。レスターが店員にアドバイスを受けつつ、選びに選び抜いた一品だ。

宝石も何もついていないが、まるで指輪自体が発光しているかのように輝いている。その美しさは、中途半端な宝石の比ではない。

「………………」

だが、やはりちとせは無反応だった。

何の感情も浮かんでいない顔で、ただ指輪を凝視し続けている。

ひょっとして、気に入らなかったのだろうか?

レスターは心の中で舌打ちした。タクトの奴め、何が魔力だ。アイツを信じた俺がバカだった。

急に気恥ずかしくなり、箱を閉じようとした、その時だった。

 

ぼろっ……

 

不意に。

何の前触れも無く。

ちとせの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

レスターはギョッとする。

次の瞬間、ちとせはその場にしゃがみ込み、顔を伏せて大泣きを始めた。

「な、なぜ泣くっ!?」

まったく予想外の展開だった。慌てて自分もしゃがみ、ちとせの肩を揺さぶる。

「どうした? ん? は、腹でも痛いのかっ!?」

なんてベタな台詞だ、と頭の中の冷静な部分が呆れている。そんなわけないと分かり切っているのに。

どうやら人間、テンパるとこんなものらしい。ああそうか。俺は今、テンパっているのか……。

「ちが……わ、私……ごめっ……!」

しゃくり上げながら何か言っているが、言葉になっていない。

レスターはひたすら狼狽し、彼女の周りを犬のようにグルグル回る事しかできなかった。

 

 

しばらく経って、ちとせはようやく落ち着いた。

「すみません。私、その、嬉しくて……」

「あんな盛大な嬉し泣きなど初めて見たぞ。大袈裟なんだ、お前は」

「すみません、お騒がせしました」

顔を赤くして恐縮するちとせ。

レスターは表情を和らげた。

「まあ、それほど喜んでもらえたのなら、俺の苦労も報われるというものだ」

「嬉しいです。とても……とても」

「ほら、やる」

ポケットから再び小箱を取り出し、ちとせに向かって差し出す。

「………………」

ちとせは物言いたげな視線で、小箱とレスターの顔を見比べた。

「どうした?」

「あの……副司令の手で、はめてもらえないでしょうか……?」

「……何?」

レスターは怪訝そうに眉をひそめる。

「こういうの、ちょっと、憧れてたんです。男の人から、指輪をはめてもらうのって……。あの、せっかくなので……」

「……妙なこだわりがあるんだな。誰の手ではめようが、指輪は指輪だろうに」

「ダメ、ですか?」

「別にダメじゃない。それでお前が満足するのなら構わんぞ」

レスターは小箱を開き、指輪を取り出した。

「ほら、手を出せ」

ちとせは左手を差し出す。その人差し指に指輪をはめようとして。

「む……」

レスターは唸った。指輪が小さくて、入らないのだ。

続いて中指にはめようとするが、これも入らない。

「サイズは大体の予想だったからな……」

薬指、はさすがに避け、小指にはめてみる。今度は大きすぎた。

「………………」

「………………」

両者の間に、沈黙が広がった。

中指では小さすぎ、小指では大きすぎる。となると――――

いや、いかん。さすがにそれはいかん。

レスターにも、それくらいの常識はあった。こめかみを一筋の脂汗が伝う。今さらながら、どうにかしてちとせの指のサイズを確認しなかった事を悔やんだ。

チラ、と相手の顔をうかがう。目が合った。ちとせは頬を赤くしながらも、期待するような目でニコニコしている。

悩むこと数秒。

「み、右手を出せ!」

苦肉の策だった。ちとせはちょっとだけ残念そうにしながら、言われた通り右手を差し出す。

レスターは背中に汗が吹き出すのを感じながら、その薬指に指輪をはめた。ちなみに右手の薬指でも、立派な“婚約”である。

「……とっても綺麗です……」

ちとせは愛おしそうに右手をさすり、うっとりと指輪を見つめる。

そして、遠慮がちにレスターに身を寄せると。

 

ポフッ

 

思い切ったように、彼の胸に顔を埋める。

「お、おい」

「……嬉しいです……」

くぐもった声で、ささやいた。

レスターは少しだけ狼狽したが。

そのとき彼は、ある事に気が付いた。ちとせの体を、その大きな手で優しく包み込む。

「………………」

背中に手を回し、そして――――

「っ!!?」

刹那、ちとせは思い切りレスターを突き飛ばし、大きく後ろへ飛び退いていた。

「むっ」

レスターが唸り声を上げる。今しも指先に触れそうだったリボンが、彼の手をすり抜けて行った。

「ダメか」

「あ、危ない所でした……じゃなくって! 何て事するんですか、あなたはっ!」

ちとせは恥ずかしさとは全く違う意味で、顔を紅潮させて叫んだ。

「いや、取れそうだったのでな」

「取れそうでも取らないで下さい! やりますか? 今の場面でそういうことやりますか? 普通!」

「? 今の場面、とは?」

「今みたいな場面ですよ! 一生に一度の感動的なシーンだったのに……どうしてくれるんですか!」

レスターは頭上に?マークを山のように浮かべている。

レスター・クールダラスとはそういう男であった。

ちとせは涙目になって叫ぶ。と言うか、泣いていた。

「もう最悪ですっ! 副司令、最悪ですっ! 私の純情返してください!」

「おい、何か分からんが、そういう不穏当な発言は……」

その時だった。

 

ドドドドドドドドドッ……

 

「ちとせ、どうしたっ!?」

「どうしたの、大きな声出して!?」

「何かあったんですのっ!?」

地響きを立てて、タクト&エンジェル隊が登場。

「ミ、ミルフィー先輩〜〜〜!」

ちとせはミルフィーユにすがりつく。

「ど、どうしたのちとせ!? 何があったの?」

「うっうっ……副司令が……副司令がぁ……」

「副司令? 副司令にいじめられたの?」

「純情を弄ばれました〜〜〜!」

 

シ〜ン……

 

場の空気が凍り付く。

「おい、だからそういう不穏当な発言は」

レスターは呆れたように口を開きかけるが、そんな彼に女性陣が一斉にギロリ、と冷え切った眼差しを向ける。

「う……」

その異様な迫力に気圧され、思わず後すざるレスター。

タクトが溜め息をつき、呆れたように言う。

「何やったんだよ、お前」

「な、何もしていないぞ!? やましい事は何も……!」

「じゃあ、なんでちとせは泣いてるんですか?」

疑心に満ちた目で蘭花が問う。レスターの言葉など爪の先ほども信じていない様子だ。

「そんな目で俺を見るな! だ、大体、お前達だって見ていただろうっ!?」

「アタシ達が何を見てたって言うんですか」

「だから、どうせお前達のことだから、その辺の植え込みにでも隠れて……!」

「はぁ? アタシ達がそんなヤボな事するわけないじゃないですか」

「まったく、私達がせっかくお2人のために気を利かせましたのに。それが何てことに」

ミントが溜め息をつく。

こ、こいつら、こんな時に限って……!

レスターは天を仰いで絶叫したい気分だった。

「……ちとせさんに、何をなさったんですか……副司令」

ヴァニラが、そこはかとなく厳しい目でレスターに詰め寄る。

「だから、何もしていない! ちとせ、お前もちゃんと状況を説明しろ!」

追いつめられたレスターは、ちとせに話を振るが。

「もう最悪です! 副司令なんて、もう嫌いです……っ!」

怒りモード全開のちとせは、ミルフィーユにすがりついたまま涙声で叫ぶ。

火に油。

フォルテがレスターの前に仁王立ちになり、悠然と両腕を組む。

「ちとせがここまで怒るなんて、ただ事じゃないねぇ。副司令、正直に吐きな。隠すとためにならないよ」

「ち、違う! 違うぞ!? 誤解だ、冤罪だ!」

必死になって叫ぶが、女性陣には通じない。

背後から『ゴゴゴゴゴ……』とオーラの音でも聞こえてきそうな勢いだ。

「乙女の純情を、どうしたんですって? 口で言わないんなら、体に訊いてもいいんですよ?」

「待ちな蘭花。ここじゃ人目がありすぎる。ちょいとその辺の、薄暗い倉庫にでも」

「そうですねぇ。じゃあ副司令、顔かしてもらいましょうか?」

人目って何だ、人目って。ここには俺達以外、誰も居ないだろうが。

……とツッコんでくれる者もおらず。

「俺は無実だーーーーっ!!!」

「ほらっ、きりきり歩く!」

 

レスターは両腕を固められ、ズルズルと引きずられて行く。

「ああ、オレもあんな感じだったんだな……」

その哀れな親友の姿に、かつての自分の姿を重ね。

タクトは無言で合掌するのだった。