―――― 泣くな、友よ。

 

 

Ogre Battle Saga 第13章「西風を待つ」より−

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、何とかなると思っていた。たとえ最悪のシナリオとなっても。

黒の無人艦隊を率いて戦って。軍規違反で刑務所に入れられて。懲役3〜5年のブタ箱暮らし。

それでも皇国が無事なら、それで良かろう。お務め3年ご苦労さんだ。

それが、2人の思い描いていた『最悪』であった。

 

―――― 甘かった。

最悪とは、そんな生易しいものでは決してなかったのだ。

 

 

 

「7隻だと!? 足りない!」

 

レスターの声は、ほとんど悲鳴に近いものであった。

衛星通信を使い、ノアに無人艦生産の進捗状況を尋ねようとしたのだが、連絡がつかない。

シャトヤーンに問い合わせたところ、白き月深部のドッグに篭もり、生産作業の真っ最中であるらしい。ノアが動いてくれている事に2人は安堵し、頼もしく思った。

だが、何の気なしに「それで、現時点で何隻くらい出来上がっているんでしょう?」と尋ねた所――――

シャトヤーンの返事は、「7隻」であった。

「何をしているんだノア……! まだオレ達の話を信じてくれていないのか!?」

最低でも2倍の戦力比が欲しいと言っておいたのに、2倍どころか6分の1である。話にもならない。

危機感が無さすぎる。まさか、シヴァに続いてノアまで目を曇らせたわけではあるまいに。

 

2人は取る物も取らず、すぐさま白き月へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

シャトヤーンに先導されて、2人はエレベーターで白き月の深部へと向かっていた。

2人とも苛立っていた。タクトはさっきから何度も踵を踏み鳴らし、レスターは腕を組んで、指で肘をトントンと叩き続けている。

沈黙に気まずそうにしながら、シャトヤーンは口を開いた。

「お2人とも……あまりノアを責めないであげて下さい。あの子は、頑張っています」

「オレ達だって、そうだと信じたいですよ。でも、それなら7隻ってのはどういう事なんですか」

タクトが言い返す。

仮にも相手は月の聖母である。無礼な口の利き方になっているのは自分でも分かっていたが、苛立ちは抑えようもないほど膨らんでいた。

いつもならばタクトを戒めるはずのレスターも、この時ばかりは違っていた。

「敵はもう、2週間余りで襲来してくるのです。このままでは到底、間に合わない」

吐き捨てるように言い、またむっつりと黙り込む。

重苦しい空気に包まれたまま、エレベーターは降りて行き、やがて深部に到着する。

エレベーターを降りると、2人の眼前には巨大な扉があった。

「ここが、天使長の間です。エルシオールが格納されていた、第1の封印の間で――――

シャトヤーンが説明しようとするが、2人はそんな話に興味は無かった。

「ここにノアが居るんですね」

「開けてもらえないでしょうか。時間が無いのです」

ささくれ立った2人の剣幕に、哀しそうに口をつぐむ。

扉が開かれた。

そこは、部屋と呼ぶには余りにも広大な空間だった。

海を思わせるような無限の広がり。

天井は先が見えず、黒い無人艦が数隻、虚ろに浮かんでいる。

見忘れるはずもない、その禍々しい艦影。2人の脳裏に、2年前の凄惨な戦いが思い出される。間違いなくそれは、かのエオニア戦役で天使達を率いて戦った、悪魔の艦たちだった。

そして目をフロアに戻せば、そこには更に異様な光景が展開されていた。

長い階段の祭壇が設けられている。

まるで神に挑む塔のように伸びる階段の先に、赤い輝きがある。黒き月のコア――――緋色のクリスタルだった。

そして小さなクリスタルから、巨大な艦の船首がひり出ていた。

 

ノアが居た。祭壇で、クリスタルを前にしていた。

加持祈祷を行う巫女のように身を震わせ、両手を天にかざす。

船首がグイッと進み、ねじれがほどけるようにして前部の主砲の位置までがひり出される。

まるで小さな人間の腹を破って、巨大な怪物が生まれ出でているかのような光景だった。

ノアが更に手をかざす。またグイッと艦が進み、2番主砲塔、さらに艦橋が姿を見せ始める。どうやら重巡洋艦らしい。

思わず喉を鳴らし、その吐き気さえもよおしそうな光景を見守る。ノアはもう一度、両手を天にかざそうとして。

「…………ぅ……」

小さなうめきが聞こえた。ガクリと床に膝をつく。

「ノアっ!?」

2人は階段を駆け上がった。ずいぶん階数を上がり、ようやく少女のもとにたどり着く。

「来ないでっ!」

祭壇にたどり着く寸前で、ノアの鋭い声が飛んだ。

2人は思わず足を止める。

ノアは床にへたり込み、全身で荒い呼吸をしていた。

「……何しに……来たのよ、あんた達……」

ゼイゼイとあえぎながら、背中越しに言ってくる。

「大丈夫なのか、ノア」

タクトが尋ねる。

「平気よ、これくらい。気が散るから、あっち行っててよ」

犬でも追い払うように、手をひらひらさせる。―――― 背中越しに。

「おい……?」

様子が変だった。

レスターが首を傾げ、問いかける。

「こっちを向け」

「……何よ。邪魔だって言ってんのよ」

「いいからこっちを向け」

「うっさいわね。仕事の邪魔だって言ってんのが聞こえないの!?」

語気を荒げるが、それでもこちらを見ようとしない。

タクトも異変に気が付いたらしい。ノアに駆け寄り、その肩を掴む。

「ちょっ、やめっ……! 離してよっ!」

「ノアっ!」

無理やりにこちらを向かせる。そして。

「―――――――――っ!!」

2人、同時に息を呑んだ。

「……何よ、その顔。化け物にでも会ったみたいに。失礼ね……」

不服そうにノアは言う。

その顔には電子の流れが浮き出ており、まるでメロンのように顔中を覆っていた。瞳は瞳孔が開き切り、そこに得体の知れない文字列の明滅が見て取れる。そして、その両目からは冗談のような量の血涙がしたたり落ちていた。

「ノ、ノア、その顔は……」

「これ? 別に驚く事じゃないわ。管理者は“作業中”はこうなるのよ。まあもっとも、初めて見たら驚くかも知れないけど」

当然という風にして、ノアは立ち上がる。

「おい、本当に大丈夫なのか?」

「だから、これが普通なんだってば。邪魔だからさっさと降りなさいよ」

そして“作業”を再開する。

両手を振り上げると、艦が進んで艦橋が完全に姿を見せる。

ギギギ、と耳障りな音がした。

「くっ……!」

苦しげなノアのうめき。見れば両手がブルブルと震えている。両足もだ。まるで重い荷物を必死に支えているような。

見るだに凄惨な光景だった。これが普通の作業状態だと言うのだろうか?

もはや彼女に対する苛立ちなど、綺麗に無くなっていた。息を飲んで、その光景を見守る。

ノアの両目から流れる血涙が、ブシュッと噴き出した。タクトにはそれが、ノアの体が訴える悲鳴に感じられた。

「ぎ……がっ……!」

耐え切れなくなったように、また膝をつく。

「ゼエッ、ゼエエッ……!」

尋常でない汗と呼吸。

もう間違いなかった。

これが普通だなんて嘘だ。この少女は、明らかに無理をしている!

タクトはたまらなくなって、背後から少女を抱きすくめた。

「もういい! もうやめろノアっ!」

「は、離しなさいっ……! なにがやめろよ、あんた達がやれって言ったんでしょ!? お望み通りにやってあげてるんじゃない!」

こんなに無理を強いる事だったとは思わなかったんだ――――そんな言い訳が通用するはずもない。

「もう充分だよ、もう充分だから……もういいから……」

「バカ言わないで、まだたったの7隻じゃない! これだけでヴァル=ファスク艦隊を4個も相手にできるわけないでしょ!」

ノアは激しく暴れる。

タクトは絶対に離すまいと、両腕にさらに力を込める。

「足りないわよ、全然足りないわよっ! もっと造んないと、もっともっと造んないとダメよ! でないとアンタ達が……っ!」

いつしか、ノアは泣き叫んでいた。

駄々をこねる子供のように首を振り、悲痛な声で叫んでいた。

「こんなんじゃ負けちゃうわ! アンタ達死んでもいいの!? 私のせいでアンタ達が死ぬなんて真っ平よ!」

いや。子供のように、ではない。

ノアは子供なのだ。正真正銘、姿形の通り、こんなに小さな女の子なのだ。

レスターが静かに歩み寄る。

「すまん。俺達は、最低の大人だ……」

こんな年端も行かない少女に、こんな無理を強いて。

俺達は……最低だ。

「タクト」

レスターはタクトと目でうなずき合う。

タクトは軽々と、ノアの体を抱え上げた。

「ちょっ、降ろして! 降ろしてったら! 私はまだやれる! 私は黒き月の管理者よ、もっとたくさん造れるんだから!」

「ああ、ノアは凄いな。でも、もう充分だよ。ありがとう」

「私は、仕事はやるわ! きっちりやってやるんだから! 一人ひとりが精一杯の仕事をしなきゃダメだって、言ってたのはアンタ達でしょっ!」

「ああ……本当にな。政府の高級官僚どもが、お前くらいの責任感を持っていたなら、こんな事にはならなかったのにな」

2人でなだめつつ、階段を降りる。

下で待っていたシャトヤーンと言葉を交わし、4人で天使長の間を後にする。

クリスタルからひり出ている重巡洋艦が、まるで羽化できなかったサナギのように、憐れな姿を晒していた――――。

 

 

 

 

 

 

ノアを部屋まで送り届けた後、2人は謁見の間で待っていた。

間もなく姿を現したシャトヤーンに、タクトは慌てて詰め寄った。

「シャトヤーン様、ノアは」

「やはり、相当無理をしていたようです。申し訳ありません、私がついていながら……」

「シャトヤーン様のせいではありません。オレが、オレ達が……。オレ達は、ひどい頼み事をしてしまいました。エオニア戦役の時のイメージが焼きついていたんです。黒き月から湯水のように溢れ出てくる無人艦隊の光景が……」

レスターもうつむき、同じように言葉を絞り出す。

「コアの1欠片しか無い今のノアには、とんでもない苦行だったのですね。あいつ、そんな事は一言も」

シャトヤーンはうなずいた。

「そうですね。血の涙が溢れ出るなんて症状は、私も体験したことがありません。おそらく、私も限界を超えて白き月のテクノロジーを使用すれば、同じような目にあうのでしょうね」

タクトとレスターは沈黙して唇を噛みしめる。

そんな2人に、シャトヤーンは微笑んだ。

「お2人とも、そんな顔をなさらないで。ノアは、喜んでいました」

「喜んでた?」

「ええ。お2人が無人艦の生産を頼みに来られた時、あの子は喜んでいました。お2人が、自分を頼ってくれたと。自分がお2人の役に立てるのだと」

「………………」

「もちろん口に出して言っていたわけではありませんが、あの目の輝きと背中を見ていれば分かります。あの子は、この白き月で生活する中で、ずっと負い目を感じていたんだと思います」

「負い目?」

「自分はここに住む人達の敵だったんだと。ここに住む人達を殺そうとしていたんだと」

「それは……そうだったかも知れません。でも今は」

「きっと心の中では、誰も自分を許してくれていないのではないかと、不安だったんですよ。でも、実際に戦火を交えたお2人が頼みに来てくれました。かつて敵対した自分の忌まわしい力を、あなた方が必要としてくれました。……嬉しかったんだと思います。あの子は言っ

ていました、『死んでもやってやる』と」

先ほどの、泣き叫ぶノアが思い出される。

タクトは両の拳を握り締めた。

腕にまだ、抱きしめた少女の感触が残っている。「ぜんぜん足りない」と泣いていた。抱きしめた体の何と、か細く儚かったことか。

「それで、艦隊の編成の方はどうでしょう? 何とかなりそうですか?」

シャトヤーンの問いに、レスターは目を伏せる。

「……厳しいことは確かです……」

「そうですか……やはり」

会話が途切れた。

謁見の間が静まり返る。

「まあ、何とかして見せますよ」

タクトが努めて明るく言うが、この時ばかりは虚ろにしか響かなかった。

沈黙。

その時だった。

「……やっぱり……ダメなんだ……」

か細い声が、妙に大きく響いた。ハッとして振り返る3人。

謁見の間の入り口に、ノアがポツンと佇んでいた。

「ノア、寝てたんじゃ」

「横になってただけ。眠ってはいないわ」

少女はうつむき加減に歩を進め、3人のもとへ来る。

「もう少し休んでいた方が良い。血涙が溢れるような症状など見たことも無いと、シャトヤーン様もおっしゃっている」

レスターも言うが、ノアは聞こえていないかのように小さく呟いた。

「やっぱり……全然足りないんじゃない。だから言ったのに。何がもう充分よ……うそつき……」

ジッと床を見つめたまま、絞り出すような声。

タクトはフッと微笑んだ。

「嘘じゃないさ。もう充分だよ」

「………………」

「他の奴らなら無理かも知れないけど、このオレとレスターだよ? 少数精鋭で烏合の衆を蹴散らすのがカッコいいんじゃないか。なあレスター?」

急に話を振られてレスターは少々面食らうも。

ぎこちなく、彼にしては精一杯であろう優しい微笑みを浮かべた。

「無論だ。まあ見ておけノア、これぞ男の晴れ舞台というものだ。大船に乗ったつもりでいろ」

「………………」

ノアはしばし、2人を見上げていた。2人は笑顔でうなずいてやる。

不意に、少女の瞳が大きく揺らいだ。

再び床に目を落として。

「……ごめん……」

ぽたり、ぽたりと。

大粒の涙が床に落ちる。

「ごめん……。がんばったけど……一生懸命がんばったけど……」

スカートの丈を、小さな手でギュッと握りしめて。

「ダメだった……ごめん……っ!」

「ノア……」

シャトヤーンの声。

立ち尽くしたまま、ノアはしゃくり上げるようにして泣き出してしまった。

かつて威容を誇ったはずの、黒き月のノア。

今は見る影も無い、自分の不甲斐なさが悔しくて。2人の期待に応えられなかった事が悲しくて。

タクトとレスターはしばし呆然として、初めて見る少女の泣き顔を見守っていた。

やがて2人は互いに顔を見合わせ、フッと笑みを交わすと少女の前にかがみ込む。目線を合わせて、優しく語りかけた。

「優しいな、ノアは」

「え……?」

思いもよらない言葉だったのだろう。ノアは濡れた瞳をしばたたかせる。

「な、何よそれ? なんでそういう話に」

「さあ。今、何となくそう思っただけさ」

「初めて会った時は、生意気な小娘だと思ったものだったが。こんなに気立ての優しい娘だったとはな。すまん、お前を誤解していた。ここに詫びさせてもらう」

レスターの言葉に、いたたまれない様子で目をそらす。

「やめてよ……。私は、あの黒き月の管理者なのよ。優しくなんか、ない……」

「ああ、確かに初めて会った時はそんな感じだった」

タクトは笑ってうなずくのだった。

「でも今は、だいぶ人間らしくなった。いいや、それだけじゃない。だいぶ女の子っぽくなったよ」

「お、女の子? 私が?」

「ノアは女の子じゃないか。どっから見ても、正真正銘」

狼狽して目を泳がせるノア。

ふと、シャトヤーンと目が合う。

シャトヤーンもニッコリと微笑んで肯いた。

「私もそう思いますよ。あなたは、とても優しい、女の子だと」

ノアの頬に、うっすらと赤みがさした。

「や、やめてったら。私は優しくなんかないんだから……。優しくするってどうすればいいのか、分からないんだから……」

その言葉にうなずいたのは、レスターだった。

「気持ちは分かるぞ。俺も優しくするとはどうする事なのか、分からなかった。今でもよく分からん」

振り向いたノアの瞳を受けとめて、ゆっくりとうなずく。

「だが、こんな俺のことを優しいと言ってくれる者がいた。不器用だけど、とても優しいと。俺はこう思ったものだ。分からないなりに、せめてそいつのために、優しくなりたい……とな」

彼にそう言ったのは誰なのか、おそらく考えるまでも無いのだろう。

そんな相手は、あの黒髪の少女をおいて他に考えられない。

ノアは意固地のように首を横に振る。

「あんたの理屈そのものが、理解できないわよ……」

「そうか」

レスターは苦笑を浮かべ、フゥと一息ついた。

そしてノアの鼻先に、人差し指をつきつける。

「勉強不足」

「なっ……!?」

思わず大声を上げる彼女に、タクトが追い討ちをかけるようにうなずく。

「そうだな。ノアは勉強不足だ。もっと勉強して、人の心を学ばなきゃダメだ」

「あ、あんた達に言われたくないわよ。何よ、あんた達なんて時空転移の基礎理論も良く分かってないくせに」

「そんなもの知ったことか」

レスターはにべも無い。

「子供は勉強するものと、昔から相場が決まっているのだ。勉強しろ、ノア。たくさん勉強して……優しい心を育め」

「勉強と心と、何の関係があるっていうのよ」

「関係大ありだ。いいか? 確かに人は、学ばなくても生きて行ける。しかし、学べばもっと豊かに生きられる。そもそも学問とは、人生を豊かにするためにあるのだ」

「まあ、このカタブツの言う事はどうでもいいとして、だよ」

レスターを押しのけてタクトは言う。

「むぅ……」

不満げなうなり声が聞こえるが、例によって気にしない。

「ノアくらいの子はみんな、親とか先生とか大人達から、勉強しろってうるさく言われるものさ。これが普通なんだよ」

「………………」

「そう悪い物でもないよ? 勉強ってやつも。新しい事を知るのは楽しいし、心に栄養を与えてるって感じがする。だからノアにも勉強してほしいな。学ぶ楽しさを知ってほしい。そして、もっともっと優しい娘になってほしいな」

ノアは黙って、タクトとレスターの顔を見つめる。

その顔は、いつしか泣き笑いの表情になっていた。

「……この私に勉強しろなんて言ったの、アンタ達が初めてよ。そんな事、初めて言われた……」

「ま、子供にうるさく言うのが大人の務めってとこかな」

「勉強したら、私も優しくなれる? 優しくするってどういう事か、分かるようになる?」

「本を読み、人と話し、あらゆるものから学ぼうとする姿勢を忘れなければ、な」

「難しそうね」

「だけど、ノアなら出来る」

タクトの断言。レスターの力強いうなずき。

「……うん」

ノアは少しためらった後、目の前に屈んでいる2人の首に、恐る恐る手を回した。

その小さな体では、大人の男2人を抱きしめることは出来ないが。

精一杯、腕を伸ばして。

ギュッと、強く。

「分かったわよ……。勉強、する……」

それは彼女が生まれて初めて行った、他者への愛情表現だった。

「たくさん勉強して、もうアンタ達なんて話にならないくらい、頭良くなってやるんだから。今度は私がアンタ達に、ちょっとは勉強したら? って言ってやるんだから」

2人は笑って、一緒に彼女を抱きしめ返してやる。

「ああ。その時は平身低頭、お前に師事するさ」

「ノア先生の授業、楽しみにしてるよ」

シャトヤーンが、そんな3人を見守っていた。

微笑んで、そっと彼らに祝福の祈りを捧げる。

「がんばってくれてありがとう、ノア」

「……どういたしまして」

 

そして2人は立ち上がった。

「さて、と。これで準備はほとんど整ったわけだ。レスター、飯でも食いに行くか」

「そうだな。ではシャトヤーン様、ノア。我々はこれで失礼させていただきます」

きびすを返して謁見の間を後にする。

歩きながら、2人で何やらジャンケンなどしている。昼食の奢りでも賭けているのだろう。

遠ざかる背中を見送りながら、シャトヤーンはノアに語りかけた。

「なんて素敵な男性(ひと)たちなんでしょうね、あのお2人は」

「ん……」

ノアはしばらく躊躇した後で、コクリとうなずく。

そして照れ隠しのように、ぶっきらぼうに言った。

「そう思うんなら、あの2人のどっちかと結婚でもしたら?」

シャトヤーンは驚いた顔でノアに振り向き。

「この子ったら」

穏やかな苦笑を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

謁見の間を後にし、2人は白き月の施設内にあるカフェに入っていた。

1番奥の、窓際のテーブルに陣取る。他に客はおらず、貸し切り状態だ。

店には無口な髭面のマスターが1人。

ブリキの置物や大きな木彫りの古時計が飾られた、アンティークな装いの店内。

流れる音楽はバロック調のクラシックだった。

「……どうする……?」

訪れる客の心を穏やかにする、そんな落ち着いた雰囲気の店内にあって、2人の周囲は暗かった。

「格好つけたはいいけど、どうするよオイ……」

「………………」

うつろな笑みを貼り付けてタクトが呟く。レスターに話しかけていると言うより、独り言に近い。

レスターも答えない。2人の間にあるのは、ひたすら重苦しい沈黙だった。

 

―――― 何だ? この状況は。

 

改めて今の状況を整理してみて、タクトは愕然とする。

皇国軍は機能していない。エンジェル隊も使えない。自分達だけで、たった7隻の無人艦で、40隻のヴァル=ファスク艦隊を迎撃しなければならない。

何だ? この状況は。どうしてこんな事になった?

トランスバールは、今や銀河一を誇る国家ではなかったのか?

その存亡を賭けた戦いに挑むのが、現場の若造の士官2人だけだなんて、そんな事が有り得るのか?

なぜだ? なぜこんな事になった? まるで悪い夢でも見ているかのようだった。

「……死ぬ、な」

ポツリとレスターが言った。

小さな呟きだったが、その言葉はタクトの耳朶を強烈に打った。

そうだ、これは夢などではない。空想の話ではなく、現実だ。

 

戦えば、負ける。

戦えば、死ぬ。

 

まったくもってシンプルな結論だった。シンプル過ぎて笑えてくる。

どう転んだって7隻が40隻に勝てるわけが無いではないか。

もちろん逃げるという選択肢もある。「2人だけではどうにもならない」と言って、見て見ぬふりをすれば良い。

だが、それはダメだ。何の因果か、自分達はこうして、今そこにある危機を知ってしまった。

知った以上、逃げるわけには行かない。自分達が逃げれば、トランスバールの王都は1時間で壊滅だ。見て見ぬふりなど出来ない。

ズウンと、周囲の空気が鉛の塊となって肩にのしかかってきたような錯覚に陥る。

それは、命の重みだった。今や自分達の双肩に、トランスバール本星の民数十億の命が懸かっているのだ。

「死ぬもんか……。勝つぞ、レスター」

それでも、そう言ってしまう自分が嫌になる。

バカか、オレは。一体どんな勝算があって、そんな無責任な事が言えるのか。

レスターが冷めた目で問いかける。

「どうやって勝つんだ?」

「そんなこと知るか」

「何か策でもあるのか?」

「うるさいな、とにかく勝つんだ!」

まるで子供だった。聞き分けのない子供の癇癪も同然だ。

ああ、ちくしょう、ちくしょう、どうしてオレはこうなんだ。恐くてしょうがないくせに。逃げ出したくてたまらないくせに。

それでもカッコつけて、大見得を切ってしまう。

だけど、これがオレなんだ。これがタクト・マイヤーズなんだ。ガキっぽくてもこれだけは譲れない。この一線を譲ってしまったら、オレはオレでなくなってしまう。

「………………」

レスターはしばし、無言でタクトを眺めていたが。

やがてフッと肩の力を抜き、穏やかに微笑んだ。

「勝つぞ……か。お前くらいだろうな、この状況でそんな事が言えるのは」

「悪かったな、どうせオレはバカだよ」

「そうだな、バカだ。本当に―――― これだから、お前の副官はやめられない」

「え?」

思いがけない言葉に、タクトは思わず顔を上げる。

レスターは悠然とコーヒーをすすりながら、窓の外を眺めていた。どことなく芝居がかっていたが、そのキザな仕草がひどく様になっている。

「俺にはとても、そんな楽観的な言葉は言えない。それが嘘でも、口だけの虚勢であっても、言えるだけ大したものだ。お前という刺激がないと、人生は退屈だ」

まるで計算していたかのように絶妙なタイミングで、レスターはこちらに目を向ける。

いつもの、芝居がかった皮肉屋の笑みを浮かべて、うなずいた。

「勝つぞ、タクト」

「……っ」

とっさに、言葉が出なかった。

この男はいつも。

いつも、こうしてオレと共に戦ってくれる。

劣等生であった自分と違い、士官学校を首席で卒業した男。洋々たる前途であったはずだ。

ある時は出世街道を蹴って。またある時は3度の大戦争の渦中に飛び込んで。そして今、絶望的な戦いに直面して。

後悔した事は無いのか? お前にとっちゃ、オレなんて疫病神みたいなものじゃないのか? 恐くは……ないのか?

言いたい事は、1つだけだった。

 

―――― ありがとう、よろしく。

 

だけど、それを言うのは照れくさいから。

「……いい副官だな、お前……」

これが、精一杯。

レスターは、フンと鼻を鳴らす。

「今ごろ気付いたのか。さあ、そんな事よりたまには働け。今こそ、お前の頭脳が一働きする時だ。ルフト先生はもう頼れない。女皇陛下もダメだ。ノアにも最早、無理は言えん。さあ、次はどうする? タクト・マイヤーズ大佐。次の作戦の指示を願う」

まるで、エルシオールに乗っていた時のような言葉だった。

戦況が不利になって行く事など、俺達にとっては初めてでも何でもない。そうだろう?

次の作戦を。次の指示を。

忙しく小突かれる感覚が、ひどく懐かしく、心地よかった。

「そうだなぁ」

その時、マスターがコーヒーを運んできた。注文してからずいぶんと時間が経っている。特製だと言っていたブレンドが、ようやく出来たらしい。

芳しい香りが立ち込める。タクトは苦笑を洩らし、言った。

「とりあえず、一服するか」

「了解だ」

レスターも笑って、それに応じるのだった。

カップを手に取り、2人同時に口をつける。

「ふむ、これは……」

「美味いな」

煮詰まったインスタントですら平気で飲んでしまうくらい、コーヒーに疎い2人でも、その味と香りが分かった。

自然と気持ちが落ち着く。

ようやく2人ともが安堵の息をついた、その時だった。

 

『ここで、TURニュース速報をお伝えします』

 

クラシックの音楽が終わり、ニュースが始まった。

CDだと思っていたが、有線だったらしい。

 

『本日、EDENライブラリ管理事務局がロストテクノロジー95893の解析結果を発表しました。発表によると、当該品は亜空間を利用した装着式の携行袋であることが判明。実用性の高い日用品であると思われ、事務局は原理を民間の研究所に提供し、商品化する意向であるとの事です。なお、商品名は現在のところ「4次元ポケット」と――――』

 

何気なく聞いていたタクトは微笑む。

「EDENライブラリか……懐かしいな。ルシャーティ、頑張ってるみたいだな」

「なぜ管理者は1人だけなんだろうな。もっとたくさん居れば、研究も早く進むだろうに」

「複数になれば、中にはロクでもない事を考える奴も出てくるからだろ」

「しかし一子相伝もいいが、逆に言えばその1人が野心を持ってしまったら……」

とりとめなく話していた、レスターの言葉が途切れた。

ハッとした表情で、タクトの顔を呆然と見つめている。

タクトも同じ表情だった。カップを口に運びかけた、その姿勢のまま固まっている。

「タクト……」

「ああ……」

2人、うなずき合う。

盲点だった。いや、あるいは気付くべき事だったかも知れない。どうして今まで気付かなかったのか。

「ルシャーティ……!」

「ルシャーティ! そうだ、ルシャーティがいるじゃないか!」

EDENライブラリの管理者。

シヴァとはまた別の意味で銀河を統べる、英知の女神。

彼女が2人の話を聞いて、両政府に働きかけてくれれば、あるいは……!

「EDENまではどれくらいかかる? たった今から行動を起こして!」

「いったん本星に降りて、空港から直接EDEN行きのシャトルを取って……待て、シャトルを確認する」

レスターは携帯の端末を取り出し、シャトル便とその出発時刻を照会する。

「15時の便がある。いや待て、こっちの便にしよう。BT社が実験的に小型クロノストリングエンジンを搭載した、最新型だ。紋章機ほどでは無いにしろ、こちらの方が早い」

「その最新型で、どれくらいかかるんだ?」

「およそ1週間」

1週間。第8次軍縮計画が決定する3日前だ。

また、往復すれば2週間。ヴァル=ファスク艦隊の襲来とほぼ同時期だ。

「金は?」

「カードがある。ヴィンセント氏から預かった金がそっくり残っている」

「よし。つまり、行けるんだな?」

タクトは相手を睨みつけ、言った。

レスターは端末を見つめたまま、渋面を作る。

「だが、ギリギリだ……。時間的に、極めて厳しい」

「行けるんだな!? 可能なんだな!? イエス・オア・ノー!!」

叩きつけるような怒声。

確率など訊いてはいない。可能なのか不可能なのか、それだけだ。

レスターは、少し呆気に取られたようにタクトを見つめ――――

フッと苦笑を浮かべ、まるで儀式のように背筋を伸ばして、敬礼する。

「……イエス・サー。可能であります、マイヤーズ大佐」

タクトは大きくうなずく。生き返ったように、その目には生気が漲っていた。

希望は、あった。

おそらく最後の希望。これがラストチャンス。

だが、すがる希望が、まだあったのだ。

2人は同時に、椅子を蹴倒して立ち上がる。

 

「行くぞレスター!」

「おうっ!」

 

2人はレジに伝票と1万ギャラ札を叩きつけ、お釣りも待たずに店を飛び出す。

店のマスターはやはり表情を変えず2人を見送った。そして淡々と清算をし、お釣りを現金書留の封筒に入れて郵送の準備をするの

だった。