約束をしよう。
俺達が最期まで人であるために。
いつか悪魔に理性を喰われたなら。
この約束を果たす事だけを考えよう。
−Ogre Battle Saga 第16章「遙けき思い」より−
翌朝。
2人はスカイパレスの遊歩道を歩いていた。
今日は、晴れていた。
清々しい早朝の空気が満ちる中を、ゆったりとしたペースで歩く。
濡れた木々の葉が、陽光を反射して輝いている。2人の姿に、道を飛び跳ねていた小鳥達が飛び立つ。
2人とも、ひどい顔だった。タクトはチラリと隣を見る。
自分のパンチが当たった記憶は無かったが、レスターも顔を腫らし、青あざをつくっていた。
「……すまなかったな」
それが、タクトの今日初めての言葉であった。レスターは前を向いたまま答える。
「いいさ」
一晩経って、気持ちは不思議なほどに落ち着いていた。
それは諦めとは違う、初めて味わう感覚だった。
心が澄んでいる。この青空よりも澄み渡り、この朝風よりも清々しい。
並木道を抜け、広場に出る。
タクトは目を細めた。そこは1年前、ミルフィーユと踊った場所であった。
「…………」
瞳を閉じれば、あの時の彼女の笑顔が鮮明に蘇る。
幸せだった。暮れなずむ夕陽の中、2人、手を取って。聞こえるはずのないワルツの調べを、確かに聞いた。
本当に幸せだった。まさか1年後、同じ場所にこんな気持ちで立っているなんて。
―――― でも。
「戦おう、レスター」
それは小さな、勇気の発露。
人は死を目前にした時、自分を偽れはしない。自分自身でさえ知らなかった本性を、そのとき初めて知る。
「戦って……そして、勝とう」
恐れるまい。決して逃げるまい。
何者をも恨むまい。
祈りをこめて。
この命、天に捧げよう。
もしも英雄に素質が必要なのだとしたら。
その小さな勇気こそが、タクト・マイヤーズを英雄たらしめているものであった。
レスターは、ただうなずく。
どちらからともなく、笑みがこぼれる。
「勝とうな、絶対に」
「ああ」
ごく自然な動作で、握手を交わした。
その時だった。
「タクト……さん?」
背後から声をかけられた。
鈴が鳴るような、美しいその響き。それは、待ち焦がれていたはずの声だった。
タクトは瞑目し、天を仰ぐ。
ああ―――― 。
運命とは、何と残酷なのだろう。
あと1日。
あと、たったの1日が、何とかならなかったのか。
そして今になって、引き合わせるのか。
様々な思いが、胸をよぎった。
やがてタクトは振り返り、そこに立つ1人の女性に目を向ける。
軽やかな金髪に、夏空のように澄み切った青い瞳。
芸術家たちが生涯をかけて追究する美の黄金律を、そのまま具現化したような端麗な容姿。
「やあ、ルシャーティ」
限りない親愛を込めて、タクトはその名を呼ぶ。
一抹の憂いも無く、一切の無念を滲ませず、ただ穏やかな微笑みを浮かべて。
「久しぶりだね」
不思議な微笑み……。
ルシャーティの目には、そう映った。
「どうしてここに? クールダラス副司令まで。いつこちらへ?」
「いや、うん、何となくね」
曖昧に言葉を濁すタクト。
隣のレスターも、穏やかに微笑んだ。
「元気そうで何よりだ。安心したぞ」
「え、はい、どうも……。あの、何となくEDENに来られたのですか?」
「その通りだ。たまには良かろうと思ってな」
レスターは堂々と肯定して見せる。
ルシャーティは困惑したように、2人の顔を交互に見比べた。
何となくで遙かトランスバールからEDENまでの道のりを旅して来るなんて、そんな事があるのだろうか?
だが事実、2人はこうして自分の目の前に居る。
「ルシャーティこそ、こんな朝早くに散歩かい?」
「はい。本当は昨日行こうと思ってたんですけど、雨が降っていて」
そう答えると、なぜか2人は苦笑を浮かべる。
「なるほど。昨日は来られなかったから、それで今日は朝早く」
「はい、お仕事前にちょっと行ってみようと思い立って。そしたら」
目の前の2人を見つめる。
2人とも、穏やかすぎるほどに穏やかな雰囲気を纏っていた。
ルシャーティも、何か変だとは感じていた。だが、何が変なのかが分からなかった。
「頑張ってるんだね、ルシャーティも」
「いえそんな。あの、せっかくですし家に寄って行かれませんか? 突然ですから大したおもてなしは出来ませんが」
「ありがたいけど遠慮しておくよ。ルシャーティも忙しいだろうし」
「でも」
「野郎同士のブラリ旅なんだから、気にしなくてもいいって。それに、シャトルの時間があるんだ」
「エンジェル隊の皆さんは、ご一緒ではないのですか?」
「ああ。こいつも言うように、男同士の気まぐれで来ただけだ」
2人の全身から滲み出るような、清々しさ。
耐え難い苦渋と恐怖を乗り越え、覚悟を決めた者のみが纏うことのできる、清明の気。
それが分かるには、英知の女神と言えども、まだ若すぎたのである。
優しいそよ風が吹いた。
暖かな日の匂いがする。
スカイパレス。ルシャーティにとって、最も尊い場所。彼女にとっては平穏、安らぎといった言葉と同義である大切な場所。
「ルシャーティ、1つ聞いてもいいかな」
「はい。何でしょう?」
「ヴァインに、会いたくなったりはしないかい?」
「え……?」
ルシャーティは目を見開いた。無意識に、持参していた手提げに目を落とす。
手提げの中には、写真立てに収まったヴァインの写真が入っていたのだ。
「………………」
しばし考え、ゆっくりとうなずく。
「会いたいです。もちろん今でも、会いたくなります」
タクトは尋ねる。
「そんな時は、どうしてるのかな」
「さあ……。自分でもよく分かりません。ただ『会いたいなぁ』って、考えてるだけです」
「考えてるだけ?」
「そうです。昔はその思いに負けて泣いたりもしてましたけど、今ではそんな事はありません」
「もう悲しくなくなったって事かい?」
そう尋ねると、ルシャーティは薄く笑い、上目遣いに軽く睨んできた。
「……怒りますよ?」
「ゴメン。それってどんな感覚なのか、よく分からなくってさ」
「悲しいのは同じです。ヴァインがいなくなってしまった事は、きっと一生、悲しいままです。ただ、私の心がその悲しさに耐えられるようになったってだけの話です」
ルシャーティは天を仰ぐ。
そして周辺の木々を見回す。
「そして私は、この心の移ろいが間違ってるとは思いません。あの子に叱られないように、毎日頑張ってお仕事できるようになりましたから……」
すべての風景に彼の面影を重ねるように。
すべてを慈しむように眺めながら。
「私は、薄情な姉でしょうか?」
ルシャーティは微笑んだ。
タクトも微笑みを返す。
「ん。そっか」
そして隣のレスターを見やる。レスターもまたうなずき、
「ルシャーティ、君を見込んで頼みがある」
「私にですか? 何でしょう?」
「君の仕事が落ち着いてからでいい。エンジェル隊の皆に、会いに行ってやってくれないだろうか? 君のその経験を、彼女たちに語ってやって欲しいのだ」
ルシャーティは目を瞬かせ、首を傾げる。
「どういう事ですか?」
「君のその経験が、必ず彼女たちの助けになると思うからだ」
「あの、お話がよく見えないんですが」
「いずれ分かる。約束してくれないか?」
顔には微笑みを浮かべながら、声は真剣だった。
ルシャーティは戸惑いながらも、唯々諾々とうなずく。
「ええ、それはお約束するまでもなく、いずれは会いに行こうと思っていましたけど……」
「そうか。助かる、頼んだぞ」
2人とも、とても嬉しそうだった。ルシャーティ1人が、わけが分からず戸惑うばかりだ。
「安心した所で、そろそろ時間だぞタクト」
「ああ、けど待てよ。せっかく会ったんだ、最後に乾杯でもしようじゃないか」
タクトは広場の向かいにある自販機を指して言う。
レスターは腕時計を見て。
「まあ、それくらいなら構わんがな」
「よし行くぞ。ルシャーティもおいで。おごってあげるよ」
「は、はあ……」
3人で連れ立って自販機の前まで歩く。
タクトがサイダー、レスターがコーヒー、ルシャーティがアップルティーを、それぞれ購入する。
「さて、それじゃ乾杯しようか」
「再会を祝して、ですか?」
そう尋ねるルシャーティに、タクトはニヤリとして静かに首を横に振った。
「いいや違う。オレ達の人生にさ」
「人生?」
「そう、人生。さあ……乾杯だ。この、何一つうまく行かない、ままならぬ人生に……」
ゴツッ、とスチールの缶が無粋な音を立てて合わされた。
/
―――― ある日、ある部屋で、こんな会話がなされたという。
「できた! できたぞレスター!」
騒々しい音を立てながら、タクトが部屋に駆け込んできた。
手には丸めて棒状にした模造紙を握り締めている。
「……うるさいぞタクト。何が出来たんだ?」
「作戦名さ! ずっと(仮)のまんまだったろ? ついにピッタリなのを思いついたんだ!」
「ああ……やっと出来たのか」
レスターは椅子を回して、相手に向き直る。
タクトは壁に画鋲で模造紙の端をとめながら、小躍りしそうな声でうなずく。
どうでもいいが、勝手に人の部屋の壁に画鋲を刺すなと言いたい。
「できたんだよ! なんつーか、ジャストフィット? もーこれしか無い!って感じでさ」
まるで、出来上がった宿題を見せに来た小学生だ。
レスターは適当にあしらう様にしてうなずく。
「分かった分かった。で、どんなだ」
「むー、ノリ悪いぞレスター。この冷血人間」
「冷血でも熱血でもいいから、見せてみろ」
「ちぇっ……。まあいいか、しょせんレスターだし」
「おい」
タクトは壁に模造紙を広げた。
『 BRAVE HEART 』
「ブレイブハート……勇敢なる心、か。悪くないな、お前にしては考えたじゃないか」
レスターもまんざらではない様だった。わずかに顔をほころばせてうなずく。
しかし、タクトはチッチッチ、と人差し指を振るのだった。
「甘いな。これは当て字なんだ」
「当て字?」
「こうスペルを書いて、実は似て非なる意味があるんだよ」
「……妙なところでこだわりを持つんじゃない」
どうせ他の誰に教えるでもない作戦なのだし、呼び方など「例のやつ」でも良いのに。
しかしタクトはノリノリだ。
「バカ言え。俺達の、タクト・マイヤーズとレスター・クールダラスの、最後の大作戦だぞ? 凝りに凝って、凝りまくらなきゃ!」
「分かった分かった、俺が悪かった。で、似て非なる意味とやらは何だ」
「うむ。ジ・オペレーション・ブレイブハート、その真の意味は――――」
微笑んだままの顔で。
タクトは自らの手による作戦名を見つめ。
思いを込めるように言った。
「……最期まで戦士たれ、さ」
死ぬまで戦う。
敵を全滅させるか、でなければ自分達が死ぬまで戦う。
それが、タクトいわく英雄と竜の『最後の大作戦』とやらの全てだった。