―――― 弱き者よ、審判の刻だ。

 

 

なぜに忘れてしまったのだ。

己が翼も無く、地に這いつくばるだけの存在であることを。

 

なぜに忘れてしまったのだ。

己が牙も持たぬ、地上で最も弱き存在であることを。

 

止まない雨は無いなどと。

なぜに愚かしくも信じてしまったのだ。

 

其は強靱なる意志あっての事か。

其は死をも辞さぬ覚悟あっての事か。

 

見よ、天上より紫紺の災厄が訪れる。

 

汝らは、自ら天使の守護を封じた。

汝らは、自ら鎧を脱ぎ、剣を捨てた。

 

弱き者よ。

 

されば耐えてみよ。

 

翼も牙も無い、その脆弱なる人の身で。

 

耐えてみよ。

 

されば汝らの選びし道を、愚とは笑うまいぞ。

 

 

 

 

                −Ogre Battle Saga 「黙示序文」より−

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トランスバール中央議会 緊急招集会議

 

 

「まったく信じられません! 私達が平和的に話し合いの場を持とうとしているのに、武装艦隊はこちらの呼びかけに応答もしないのです。こんな無礼が許されるのでしょうか? いいえ許されはしません。まったく不実の極みであり、呆れてものも言えません! これだから軍隊などという野蛮なものは……!」

 

女性議員はヒステリックに叫んでいた。

必死に呼びかけ、同意を求めて周囲を見回すが。

彼女に向けられているのは、満場一致で冷め切った視線ばかりであった。

 

不意に、議席を立つ青年の姿があった。

ツカツカと発言台に歩み寄る。誰もそれを止めようとしない。

やがて青年議員は女性議員の目の前までやってきた。

発言台に手をつき、顔を寄せて女性議員を睨みつける。

 

「あなたの言い訳など、どうでもいいんです。対策は」

 

ことさらに静かな口調で言った。

いま必要なのは、事態に即応した対策である。この女のヒステリーに構っている場合ではないのだ。

 

「た、対策。対策は……」

 

女性議員は口ごもった。

1時間前、彼女は対策として会談を提案し、ジーダマイヤの威光をもってそれは中央議会の対策として可決された。

そして現在までの1時間、こともあろうに彼女は「ここに花瓶を」「お弁当の手配はどうなっているの?」などと、呑気に会談の準備を進めていたのである。

会談が実現しなかった場合の第2案など、考えもしていなかった。つまりこの女は、ただでさえ貴重なこの1時間を、まったく無駄に浪費してしまったのである。

ここへきて、内部権力に虐げられてきた他の議員達の怒りは頂点に達していた。

 

「どう責任を取るつもりなのです。防衛艦隊を武装解除させ、本星の守りを空にした責任を、どう取るつもりなのです」

 

女性議員は顔を青ざめさせた。

狼狽したように目を泳がせる。

やがて言った事が。

 

「ぎ、議員には免責特権があります! 議会内での発言には……」

 

免責特権。議員は議会内における発言ならば責任を負う必要が無いという、議員の自由な発言を促進するために定められた特権である。

青年議員は顔をゆがめた。

 

「よくもそんな事が言えたものですね。今さら責任逃れですか」

 

そんなもので逃れようと言うのか。

あれほど好き勝手をやっておきながら。

かの武神達が血みどろになって築き上げてきたものを、己の独善と自己満足のためにメチャクチャにしておきながら。

 

「責任逃れじゃありません! 私は正当な権利のもと、自由な発言を実行しただけです、そのための免責特権じゃありませんか!」

「ええい黙れ!」

 

一喝。

女性議員はビクリと身を震わせる。

 

「あなたは自分が何をしたのか分かっているのか! これまで散々、自分のわがまま放題にしておきながら、結果が悪ければ『免責特権』の一言で逃げようというのか!」

「でも免責特権が定めるには」

「黙れと言っているだろう! それがすべての免罪符になるとでも思っていたのか!」

「で、ですから免責特権というのは」

「いい加減にしろ! さっきから免責特権免責特権、バカの1つ覚えのように!」 

 

目もくらむような怒りだった。

もはや相手が女である事も関係なく、ガッと胸倉を掴み上げる。

 

「ふざけるな! おまえ議員失格だ、この議会の面汚しめ! やめろやめろ! 今すぐ議員バッジ外せ、このクズがっ!!」

 

ついに堪え切れなくなったのか。

女性議員は恐慌状態に陥り、半狂乱になってわめき散らした。

 

「どうして私を責めるの! 私、なんにも悪くないのに!」

 

まるで幼児退行したかのような、その稚拙な発言。

分かっていなかった。

この女は、本当に分かっていなかったのだ。

議員であるという事を。責任というものの重みを。

未熟――――

あまりにも未熟すぎる大人であった。

 

「お前が悪いんだろうが! うまく行けば自分の手柄で、うまく行かなければ誰かのせいか! 子供だって自分のケツくらい自分で拭くぞ!」

 

 

 

ただ1つだけ、はっきりしている事があった。

つまり、中央議会はこの危機に対して、何らの対策も取れていないという事であった。

それも仕方のない事だったのかも知れない。

現在、本星に駐留する護衛艦、ただの1隻も無し。

もともと対策など、立てようも無かったのだから――――

 

 

 

 

 

 

 

 

首都は大恐慌に陥っていた。

街を脱出しようと車が長蛇の列をなす。あちらこちらで交通事故が起こる。それが更に渋滞を引き起こし、人々の焦燥を更に煽る。

 

「くそっ、皇国軍は何やってんだよ! 国民の税金吸い取ってやがるくせに、肝心な時に役に立ちゃしねえ!」

 

公園で、若い男が叫んだ。

顔を青ざめさせ、悪態をつくその男を嘲笑する浮浪者が居た。

 

「なんだい学生さん、そんな事も知らねぇのかい。防衛艦隊は今、親善儀礼だとかでヴァル=ファスクに向けて出払っちまってるのさ」

 

若い男はギョッとして、浮浪者を睨みつける。

 

「出払ってる!? なんでそんな馬鹿な事を!」

「何言ってるんだい。あんたが先進的だとか言ってた政党の議員が、中央議会で好き勝手やった結果じゃないか。何日も前から新聞に載ってたよ。あんた世間の事は何も知らないんだねぇ。せっかく親のスネかじって偉い大学に行ってるのに、こんな浮浪者に負けて恥ずかしくないのかい?」

 

浮浪者は布団代わりにしていた古新聞をヒラヒラさせながら、黄色く汚れた歯を見せて笑う。

若い男は顔を真っ赤にして、癇癪を起こす。

 

「うるさい! この社会のゴミが、偉そうな口をきくな!」

 

浮浪者は愉快そうに大笑いした。

 

「ああそうさ、オレはゴミみてえなもんだ。しかしオレがゴミなら、てめえは何なんだ。偉そうに皇国軍に文句たれてやがるが、税金払ってるのはてめえじゃなくて、てめえの親だろうが。オレはゴミだが恥というものを知っている。義務を果たさねえで権利ばかりを主張して、しかもゴミに負けてるてめえは何なんだよ」

 

絶句する男に、浮浪者は皮肉を込めて言い放つのだった。

 

「女のケツ追い回すだけの、盛りのついたサルがよ。人間様にキーキーわめくんじゃねえよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴァル=ファスク艦隊は、残り1000kmにまで迫ってきていた。

テレビカメラにとらえられ、その姿は本星の地上波に映像として映し出されていた。

 

『ヴァル=ファスクです……本当にヴァル=ファスクです。首都の皆さん、逃げて下さい。少しでも遠くへ、どうか逃げ延びて下さい。皆さんに神のご加護があらんことを……』

 

ニュースキャスターは悲痛な声で繰り返していた。

 

『逃げて下さい、皆さん逃げて下さい……』

 

 

 

 

 

 

 

―――― 星が、流れた。

 

 

 

 

 

白き月の衛星軌道上に、複数のドライブアウト反応。

 

 

緋色の粒子をまき散らしながら。

 

 

漆黒の艦隊が5隻、姿を現した。

 

 

『ようこそ、ヴァル=ファスクの諸君……。待っていたよ』

 

 

全回線、全方位に向けての無差別な映像通信が発信される。

 

 

敵の通信を、そしてトランスバール全土のテレビをジャックして、1人の青年の姿が映し出された。

 

 

『オレの名はタクト・マイヤーズ……。ヴァル=ファスクなら、忘れたくても忘れられない名前だろう?』

 

 

 

 

 

 

 

ヴァニラは廊下を走っていた。

息が切れるのにも構わず、何度も足をもつれさせながら。

転がり込むようにして、ある1室にたどりつく。

 

『我は、ヴァル=ファスク遊撃艦隊司令、オーウェン……。タクト・マイヤーズ、貴殿が我らの王ゲルンを討ち果たした、名高き皇国の英雄か……』

 

エンジェル隊の仲間達は、すでにそこに居た。

全員で取り囲むようにして、テレビに注目している。

「タクトさん……なんてお姿を……」

ミントの呟き。

 

『警告する。去れ』

 

ヴァニラは仲間達の背後に近づいて行って、自分も画面をのぞき込む。

「…………!!」

そして無言のまま、声なき悲鳴を上げた。

画面に映るタクトの衣装。

黒の生地に赤の刺繍が施された長衣。その上から羽織られた、濃紺のマント。

かつて廃太子エオニアが身に纏っていたのと、寸分違わぬ衣装だったのである。

 

 

さらに画面が切り替わる。

テレビカメラが、タクトの率いる黒の無人艦隊を映し出す。

 

「えっ……?」

 

ミルフィーユが呆けた声を上げた。

彼女だけではない。それを見た全員が絶句し、息を飲む。

震える声で、ちとせが呟いた。

 

「黒い……エルシオール……?」

 

 

 

 

 

 

 

シャトヤーンは冷たい床に座ったまま、画面を見上げていた。

 

「戦艦ラグナロク……」

 

黒き月の最高傑作。

火力、装甲、機動力。まさしく戦う事に特化された艦の、黄金律を極めた奇跡。

 

「よく頑張りましたね、ノア」

 

そして月の聖母に包まれるように優しく抱かれ。

ノアもまた、その映像を見上げていた。

痩せこけた頬。落ちくぼんだ瞳。憔悴し切り、脱力しきった体。

幼い少女の面影は無く、見るも無惨にやつれ果てていたが。

 

「私には……これくらいしか、してあげられないから……」

 

まるで新しい命を生み落とし、その産声を聞く母親のように、満ち足りた微笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『たった5隻で我らを止めようというのか。見くびられたものよ』

『だったらどうする。オレと戦うつもりか? 悪い事は言わない、去れ』

『………………』

 

 

ヴァル=ファスク艦隊のうち、前衛の5隻が動いた。様子見の先遣である。

それを見て、タクトも手を振り上げる。こちらは総勢5隻。5対5であった。

互いの距離が近づく。距離が5千を切ったところで、敵艦隊の砲が先に火を吹いた。10時方向から接近する黒の艦隊めがけて一斉射撃を開始する。

黒の艦隊はまだ撃たない。不意に、先頭のタクト艦が取り舵を切った。全速力で敵の進行方向に割り込むように真横に流れて来る。

T字戦法だった。艦隊戦を知る者の間では、伝説として語り継がれる戦術である。

敵の進行方向に対して、直角に進路を取る。上から見れば丁度アルファベットの『T』に見えることから、この名前がつけられた。わざわざ敵に横腹を見せつつ接近していくという、的にして下さいと言わんばかりの、いっけん自殺行為に見える動きだが。

危険な時間帯を過ぎ、T字が完成してしまえば、形勢は逆転する。敵が艦前部の主砲しか使えないのに対して、こちらは横向きのため全ての主砲と副砲の半分までもが使えるのだ。火力に圧倒的な優劣が出る。

黒の艦隊はシールドを全開にして砲撃を凌ぎつつ、一直線に突き進んでくる。

先遣隊の長官も、当然それは見抜いていた。

直ちにこちらも取り舵を切り、すれ違い様の砲撃戦に持ち込もうとする。

 

タクトが、ニヤリと笑った。

「今だレスター!」

 

先遣隊の天頂方向に、再びドライブアウト反応。

戦艦と、3隻の突撃艦が姿を現した。

「おおおおおおおぉぉぉーーー!」

翔け下るように、先遣隊へと殺到する。

先遣隊は驚きが動きに出た。慌てて頭上の新手に対処しようと、統制を乱したところへ。

 

 

「撃てーーーーっ!」

 

ラグナロクの巨砲が初めて火を吹いた。

シールドを紙のように突き破り、先遣隊の旗艦に一撃で大穴が開く。旗艦が粉々に吹き飛ぶのを皮切りに、真横と天頂から怒濤の一斉射撃が浴びせかけられた。

十字砲火(クロスファイヤー)。

先遣隊はひとたまりも無かった。ろくに反撃らしい反撃も出来ぬまま、5隻全艦がものの10分と経たずに全滅したのであった。

『………………』

ヴァル=ファスク艦隊総司令―――― オーウェンは、表情1つ変えずにその模様を見守る。

『なるほど……聞きしに勝る見事な手並み。さすがは英雄よ……』

落ち着いた態度で、深々とうなずく。

通信画面に、銀髪隻眼の青年が割り込んできた。

『ヴァル=ファスク。もう一度だけ警告してやる。去れ』

『独眼竜か……』

『お前は、俺達には勝てん』

『………………』

返答は無かった。

無言のまま、通信は切られた。

 

 

 

 

 

 

 

「副司令……」

ちとせが、呆然と呟く。

蘭花は顔をゆがませ、窓に駆け寄った。

カーテンを開け放つ。

「明かり消して!」

鋭い怒声に、弾かれたようにミントが壁際の駆け寄って、室内の照明を消す。

室内が闇に包まれ、テレビの画面が青白い光を放って浮かび上がる。

蘭花は窓の外に目をこらした。無限に広がる無数の星々。その中で、わずかに明滅するいくつかの光点が見て取れた。

あれだ。

あちらの多い方がヴァル=ファスク艦隊で―――― こちらの少ない方が、あの2人の率いる艦隊だ。

「あのバカ2人……っ!」

 

ガンッ

 

拳が叩きつけられた。強化ガラスは、その程度の打撃ではビクともしないが。

『なんと! タクト・マイヤーズですっ! 皇国の英雄が来てくれました! 私達を守るため、再び立ち上がってくれたのです!』

ニュースキャスターが熱狂している。

ふざけるな。

何をアホ面さげて喜んでいるのか、ふざけるな。

『あっと? ここで皇宮と中継が繋がった模様です。え……? 女皇陛下が……? なんと! 皇国の皆さん、シヴァ女皇陛下がタクト・マイヤーズにお言葉を授けられる模様です』

画面が切り替わる。

エンジェル隊の面々は、実に半年ぶりにシヴァの顔を見た。

画面に映るシヴァは、王としての尊厳を保とうとしているのだろうが。

堪えようもなく、感激に打ち震えているのが手に取るように分かった。

『タクト……よくぞ……』

声も震えている。今にも泣いてしまいそうなのを、必死に耐えながら言葉を紡ぐ。

『よくぞ、駆けつけてくれた……。本当に、よく……』

皇帝が人目を憚らずに見せる、感謝の念。

この人柄こそが、シヴァ=トランスバールが年若くありながら民衆から絶大な支持を得る理由であった。

だが――――

『………………』

タクトは無感動な目で、無言のままシヴァの呼びかけに応じていた。

様子が変だった。

奇妙な間が空き、沈黙が広がる。

シヴァも異変を感じ取り、問いかけるように再び口を開こうとする。

その時だった。タクトはとぼけた様子で、レスターに向かって呼びかけた。

『なあ、レスター』

『何だ、タクト』

『こいつ誰だ?』

あろうことか、シヴァを指差して、そう言ったのである。

レスターは芝居がかった仕草で溜め息をつき、それに答える。

『馬鹿。こいつがシヴァだ。トランスバールの女皇……俺達の、敵の親玉だ』

『ああ、こいつが』

エンジェル隊の皆が、息を飲む。

おそらくテレビを見ていた全皇国民が、同様に息を飲んだに違いない。

『タ、タクト……? 何を……』

凍り付いた表情のシヴァ。

そんな女皇に向けて。

『邪魔が入ってタイミング外しちゃったけど。それじゃ、改めて宣戦布告と行こうかな』

 

タクトは凄惨な笑みを浮かべ、言い放った。

 

『シヴァ=トランスバールよ。皇国に巣食う、弱き者たちよ……。これより裁きを下す。オレは力ある者に寄生し、皇国を腐敗させる害虫を駆除するために来た。滅びろ。淘汰の時だ』

 

狂気の表情で、高らかに。

 

『我が名はタクト・マイヤーズ! 弱き国トランスバールに、宣戦を布告する者だ!』