―――― トランスバール皇立総合病院。

 

 

秘書官は病室に入り、驚きに目を見張ってその場に立ちすくんだ。

先の一件以来、いよいよ立ち上がる事も叶わなくなっていたはずのルフトが。

端正に軍服を着込み。宰相のマントを羽織り。綺麗に身支度を調えて、平然とそこに立っていたのである。

「しょ、将軍……」

呆然と呟く秘書官。

ルフトは鏡を見て髪を点検しながら、独り言のように言った。

「ぬかったわ」

「え?」

「ワシとしたことが、己の死に場所をみすみす逃すとは……。武神ヴァイツェンも、本当にもうろくしたものじゃ」

彼の言う死に場所とは、愛弟子2人を引き連れて直訴に向かった、あの時の事だった。

倒れるべきではなかった。

血反吐を吐こうと。たとえ命尽きようと。あそこで倒れるべきではなかったのだ。

ひたすらに、ただひたすらに鍛え続けた己の半生を顧みる。

あの一瞬こそが、その成果を見せる時ではなかったのか。

あの一瞬こそが、武神ヴァイツェンの、生涯ただ1度の死に場所ではなかったのか。

それを逃してしまった。後は朽ち果てるのを待つばかりの余生があるのみだ。

「じゃが……ワシは、まだ死ねん」

まだ、心に残したものがある。

これからを生きる若者達に、伝えていないものがある。

それを伝えるまでは。

「死ねん」

ルフトは歩き出す。秘書官は息を飲んだ。

命が燃えている。

人1人が、その命をかけて、何かを成そうとしている。

ならば、自分が為すべき事は何か――――

「すぐに車を回します!」

直立不動で敬礼をして。

秘書官は車の準備に走って行った。

 

 

 

 

 

 

 

皇宮の会議室に姿を現したルフトに、誰もが目を見張った。

「ル、ルフト……」

上座にはシヴァの姿もあった。ルフトはまず女皇に一礼し、そして会議室の面々を見回す。

「ジーダマイヤはどうした」

あの男の姿が無かったので尋ねると、側近の1人が気まずそうに答える。

「は、閣下……いえ、ジーダマイヤ大臣は講演に行っておられまして、現在こちらに戻って来られているところです」

「講演。どこへ講演に行ったのだ? 戻るのはいつだ」

「さ、さあ……私どもには」

ルフトは心の中で嘆息した。

大臣の行く先を、なぜ部下が知らない。プライベートならともかく、公務で出て行った先の行動予定を、なぜ誰も掌握していない。

本当に知らないのか、あるいは隠しているのか。隠しているのならば、なぜ隠す必要があるのか。

こうなると、本当に講演に行ったのかという事すら疑わしくなってくる。

「そうか」

まあいい。この際、あの男の事などどうでも良いのだ。

「ルフトよ、タクトが……タクトが、我らに謀反を」

シヴァが焦った様子で、そう呼びかけてきた。

うろたえ、助けを請うような目でこちらを見ている。

「本気なのか? タクトは本気で、我らに弓引こうとしているのか? 私はタクトに見捨てられたのか……?」

ルフトの胸に、悲哀の念が沸き起こった。

おいたわしや、シヴァ陛下。かつてはあれほど素晴らしかったのに。

誇りも、信念も、王としての尊厳も根こそぎ奪われ、ただの怯えた小娘に成り下がってしまっておられる。

魂を抜かれた、老人どもの操り人形だ。

年若い女皇を守り切れなかった己の無力に、歯がみする。

だが、今はそれを嘆いている場合ではない。

いま必要なのは決断、進むべき道を示す強い意志なのだ。

ルフトは奥歯をグッと噛み締め。敢えて厳しい表情を取り繕い、女皇に向かい口を開いた。

「恐れながら、陛下……。何という情けなきお言葉を」

それではいけないのです、陛下。

王たる者が、そんなお顔をなされてはいけないのです。

「陛下はタクトと共に戦われた日々をお忘れか。陛下の盾となり、矛となり、陰日向なく陛下に尽くし戦った、あの2人の姿をお忘れか」

「しかし、彼らは現にああ言っておるのだ。あれが嘘だと言うのなら、なぜそのような嘘を?」

「お分かりになりませぬのか。それではあんまりです。主君に真意を察してもらえぬとは、あの2人が余りに哀れでございます」

ルフトは懇願するようにそう言うが。

シヴァはますます狼狽し、今にも泣き出しそうにしながら首を横に振るばかりだった。

「分からぬ。なぜだ、なぜなのだ。教えてくれ、ルフト」

ルフトは嘆息する。

そして近くの者に指示を出し、テレビをつけさせた。

 

 

テレビには、またタクトと敵の総司令が会話している模様が映し出されていた。

 

『祖国に反旗を翻すとは……何を企んでいる、英雄よ』

『そう言うお前は、なぜここへ来た。ヴァル=ファスクの国意は、トランスバールやEDENとの共存だったはずだ』

『知れた事……。今のヴァル=ファスクは戦士の誇りを忘れ、強き者に尻尾を振るだけの飼い犬に成り下がった。そんな祖国が出した国意など、誰が認めるものか……』

 

タクトは口元だけを歪めて笑う。

 

『オレだってそうだ。もしかしたら、いい友達になれたのかも知れないな、オレ達は』

『……共闘でも申し入れているつもりか』

『バカ言うな。誰がヴァル=ファスクと手を組むか。まずはお前達を倒して、その後でオレ自らの手で皇国を滅ぼす』

『なるほど……確かに、我らは良き友になれたのかも知れぬな……』

 

敵の総司令もまた、そう言って皮肉な笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

「お分かりか、陛下」

ルフトはシヴァを振り返って言った。

「敵の行動はヴァル=ファスク本国の意思にあらず。ほんの一部の者の暴走に過ぎないのです。それに対し、タクトもまた自らの行動をトランスバール本国から切り離しました。つまりお互いに、暴走した者同士がぶつかったという形を作り上げたのです」

「それは、つまり」

「両者の激突は、両国の意思にあらず。タクトは、いま皇国とヴァル=ファスクとの間で結ばれようとしている、平和条約を守ろうとしておるのです」

はみだし者同士の、単なる場外乱闘。

確かにそういう形にすれば、平和条約の進展にも大きな差し障りは出ないだろう。

だが。

歴史は彼らを認めないだろう。

記録にはきっとこう残る、『無謀な反乱を起こし、名誉をドブに捨てた愚者』と。

電撃に撃たれたように、シヴァの体が震えた。

「そんな不名誉を甘受してまで……命をかけて……」

それも覚悟の上と言うのなら。

なんと哀しき反旗だろう。

なんという茶番劇だろう。

 

両艦隊が、再び動き出す。

「やめろーーーっ!」

シヴァの絶叫が響き渡った。

 

 

 

 

 

第2回戦が始まっていた。

ヴァル=ファスク艦隊は空母艦を前面に押し出し、20機規模の戦闘機による攻撃を仕掛けてきていた。

敵が艦船ばかりで構成されているのを見れば、誰でもそうするだろう。鈍重で砲撃を主体とする艦船に対して有効な攻撃手段は、小振りで動きの速い航空機による攻撃である。

総司令オーウェンはラグナロクの様子を見守る。戦闘機に群がられ、空しく巨砲を振りかざしながら逃げまどっている。

だが彼が注意を払っているのは、目の前の戦闘よりも、その周辺を索敵するレーダーの方であった。

敵は9隻。だが、それが敵の全戦力のはずは無かった。皇国きっての英雄が、まさかたったの9隻で挑んでくるわけがない。

となれば、警戒すべきは伏兵である。先程の傷手もある、慎重に敵の策略を見極めるつもりであった。

「………………」

味方の戦闘機部隊は編隊を組み、得意のヒットアンドアウェイを波状攻撃で仕掛けている。

対して、敵が何か仕掛ける様子は全く無い。相手が戦闘機では自慢の主砲も役に立たず、ひたすら対空機銃で撃ち返しているだけだ。

ここから見ている限り、ただ単に戦闘機相手に苦戦しているようにしか見えない。

「何をしている……何を企んでいるのか知らぬが、いい加減にせねば戦闘機相手に沈むぞ……」

呟いてから、自分のセリフの滑稽さに気付く。

まるで敵の身を心配しているようなセリフではないか。自分が言うべきセリフではない。

全艦に突撃命令を下したい衝動に駆られる。数に任せて包囲してしまえば、あっという間に決着がつく。今なら、英雄タクト・マイヤーズの首を簡単に取れるのだ。

はやる気持ちを抑える。そんなはずは無い。これは罠だ、必ず何かがあるに違いないのだ。

『くっ……ダメだレスター、ポイント500まで退がるぞ。体勢を立て直すんだ』

傍受している通信から、悔しげなタクトの声が聞こえてくる。

騙されるな、これは誘いだ。こちらが動かないので、業を煮やしてこんなわざとらしいセリフを。

黒の艦隊は総崩れの様相を呈しながら、白き月の裏側へと逃げ延びて行く。

「総司令、追撃しますか」

尋ねてくる副官に、彼は首を横に振った。

「いや……深追い無用だ。こちらも退がらせろ。今のうちに補給だ」

戦闘機全機を帰還させる。

白き月の裏側から、黒の艦隊が様子を伺うようにチラチラと見え隠れしていた。

見ろ、体勢を立て直すなどと言っておきながら、もうこちらの様子を伺っている。やはり陽動だったのだ。

オーウェンは、そう確信するのだった。

 

 

 

「……追ってこないな」

敵には知れない守秘回線で、レスターはタクトと話していた。

「ふう、敵の司令官が用心深くて助かったよ。追って来られてたら本当にヤバかった」

「退却に見せかけた陽動―――― に見せかけた、退却か。しかし、こんなペテンがいつまで通用するか」

レスターは苦笑を浮かべる。

何の事は無い。2人は戦闘機相手に、本当に苦戦していたのだった。

総勢9隻。ノアが頑張ってくれたおかげで、ラグナロクを含め先の一件より更に2隻の戦力を手に入れていたものの。

それが黒の艦隊の、全戦力であった。

「だから、バレないうちに仕掛けるのさ。この戦いは電撃戦だ、速さが全てを決める」

バレたら終わりの、張り子の虎。

英雄の名が功を奏している、今のうちに――――

「了解だ」

2人はうなずき合う。やるべき事は、お互いに分かっていた。

今のところ、全ては作戦通りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ノアの髪を撫でていたシャトヤーンの手が、ピクリと震えて止まった。

「……来たの?」

目は画面を見上げたまま、ノアは尋ねる。

シャトヤーンはうなずいた。

「ええ。走ってこちらに向かってきています」

白き月のセキュリティはマザーコンピューターが一手に担っているが、同時にH...Oシステムによりシャトヤーン自身ともリンクしている。白き月内部であれば、本人さえその気になれば、誰がどこで何をしているのかすぐに分かるのである。

今、シャトヤーンには謁見の間を目指して走っている天使達の姿が克明に「感じ」取られていた。

「来るのは5人……いえ、やっぱり6人ですね。フォルテだけは歩いて来ているみたいです」

「ったく、おとなしく見ていられないのかしらね、あいつら」

それが無茶な注文であることを分かっていながら、ノアは悪態をついてみせる。

シャトヤーンは微笑みながら立ち上がった。

「行ってきます、ノア」

「ん。行ってらっしゃい」

何気ないやりとり。

―――― まるで本物の家族のよう。

口にこそしなかったが、シャトヤーンは一瞬、そんな事を思った。

  

 

 

シャトヤーンが謁見の間に到着するのと、大扉が開かれるのはほとんど同時であった。

「シャトヤーン様っ!」

「騒々しいですよ、皆さん。心静かに、穏やかに」

彼女達が来ることなど、最初から分かり切っていた。

そして、彼女達が次に何を言い出すのかも。

「紋章機の封印を解いて下さい! タクトさんと副司令を助けに行くんです!」

「なりません」

だから、迷うことなく即答する。

その鮮やかな即答ぶりは、丁度カウンターの効果をもたらした。

一瞬、言葉を失う天使達に、さらに命令する。

「紋章機の封印は解きません。ここから先は私が通しません。帰りなさい」

毅然と言い放ち、彼女達の前に立ち塞がる。

我に返ったようにして、ミルフィーユが叫んだ。

「なぜですかシャトヤーン様! 早くしないとタクトさんが……タクトさんが!」

たかがあの程度の小競り合いに勝ったからと言って、それが何の気休めになろう。

戦力の差は歴然としている。このままでは、あの2人は負ける。

「私はあのお2人に頼まれました、決して紋章機を出撃させないようにと」

ヴァニラが驚いた様子で尋ねる。

「タクトさんが……そうおっしゃったのですか……?」

だって、約束したのに。

準備して待っていると。一緒に戦おうと。

彼が自分達を置いて行くなど、自分達に嘘をついたなど、信じられなかった。

だがシャトヤーンは、それが現実だと言わんばかりに、きっぱりとうなずく。

「そうです。真摯に、切に願われました。今はヴァル=ファスクとの和平を結ぶ重要な時です。今の関係が崩れれば、次に両国の友好関係を築くために百年の時がかかるでしょう。お2人は命をかけて、両国の平和を守ろうとしているのです」

「そんなことは分かっておりますわ」

ミントが割り込むようにして口を開いてきた。

「お2人が何を志してあのような暴挙に出たのかという事くらい、重々承知しております。でもシャトヤーン様、理屈ではないんです。私達は彼らと、運命を共にして戦って来たんです。どうして私達がお2人を見殺しになど出来ましょう? 私達にとっては百年の平和よりも、あのお2人の命の方が大事なんです!」

シャトヤーンは目を細めた。

そうだろう。先の大戦において、ずっと白き月に留まり彼らの戦いを見守るだけであった自分ですら、こんなにも辛いのだ。

まして運命を共にした彼女達にとっては、それこそ身を切られる思いであるに違いないのだ。

 

(ジェラール陛下……)

 

なぜだろう? 期せずしてシャトヤーンの脳裏に、1人の男性の面影が浮かんだ。

ジェラール・トランスバール。彼女がこの世でただ一人愛した、先代トランスバール皇帝。

彼は愚帝と呼ばれている。発展を忘れ、今日の繁栄しか見ていない凡庸な皇帝であったと。

シャトヤーンとてそれを否定はしない。そう、彼は愚かであった。本当に―――― 愚かなまでに凡庸を願った人だった。

白き月を侵略され、皇国直轄地とされてしまった時は、もちろん怒りに震え、彼を憎んだ。

だが、その暴挙ですら彼の頭にあった壮大な平和維持の布石であった事を知った時、憎しみは羨望へと昇華した。

彼は「外敵」という言葉を使っていた。

 

『そのうち外敵が現れる。それは銀河の存亡を賭けた戦いとなるであろう。私と手を組め、シャトヤーン。全ての人類のため、本来の役目に立ち返れ。天恵の時代は終わった。残された時は少ない。白き月はもはや、不可侵の聖地であってはならんのだ――――

 

その時は、外敵とは黒き月のことを言っているのだと思っていた。もちろんEDENの系譜でもない彼が黒き月の存在を知っていた事自体、驚くべき事であったのだが……今にして思う。彼が外敵と呼んでいたのは、ヴァル=ファスクのことではなかったのか。そうでなければ「本来の役目に立ち返れ」との言葉に説明がつかない。

彼がどこまで知っていたのか、今となっては分からない。だが彼は、誰も気付かなかった脅威に気付き、ありとあらゆる布石を打とうとしていたのだ。一切の野心も抱かず、すべては銀河に住まう民のために。

凡庸? とんでもない。誰よりも聡く、誰よりも烈しい人だった。そして誰よりも平和を愛する人だった。現に彼は白き月を直轄地とした後でも、それ以上の事をしようとしなかった。直轄地にはしても、植民地にはしなかった。関係はそれまでと変わらず「協調関係」のままだった。

 

―――― 似ているのである。

 

タクトとレスターの瞳が。

何の野心も抱かず、百年後の平和を見つめるその瞳が、あの人とあまりにも似ているのである。

「……他ならぬ、お2人が望んだ事なのです。ミント、あなたの気持ちは分かりますが……お2人の事を思うのなら、黙って見守っておあげなさい」

「シャトヤーン様……っ!」

悲鳴のような声を上げたのは、ミントではなく蘭花だった。

その横をすり抜けて、スッと前に進み出る者がいた。

ちとせである。目に涙をいっぱいに溜めた目で、シャトヤーンを睨みつける。

「シャトヤーン様……あなた様のことは、心から敬愛いたしております……」

震える声で、言葉を紡ぐ。

「でも……っ! それでも言わせて頂きます! あなたに私達の気持ちは分かりませんっ!」

さすがにギョッとして、他の面々が思わず注視する中、ちとせは叫んだ。

「しょせんシャトヤーン様にとっても、他人事なんです。だから平気な顔で平和のため、なんて事が言えるんです。自分の愛する人が危険なのに、死の瀬戸際に立って戦っているのに、黙って見ていろだなんてよくもそんな事が言えますね! 私達の気持ちも分からないくせに、したり顔で偉そうな事を言わないで下さい! あなたが紋章機の封印を解いてさえくれれば、お2人を助けに行けるんです、邪魔をしないで下さいっ!」

「………………」

シャトヤーンは、グッと唇を噛み締めた。

本来、ちとせはこんな事を言う少女ではない。それだけ冷静さを失っているのだ。

可哀想だとは思う。しかし。

『あなたに私達の気持ちは分からない』

その言葉に、心の中で何かが燃え上がった。

「今すぐ封印を解いて下さい、さもなくば……っ!」

いきり立つ少女に。

「……さもなくば? どうするのです」

シャトヤーンは静かに問うた。

月の聖母が浮かべるには、あまりにもふさわしくない怜悧な微笑みを浮かべて。

突然の変貌に気圧される天使達。

「さ、さもなくば、例えシャトヤーン様と言えども……っ!」

それでもちとせは気丈に言葉を続けようとするが。

「私と言えども、何です? 私を討つとでも? たいへん愉快な冗談です。やってごらんなさい、ちとせ」

シャトヤーンは悠然とした態度で、自ら壇上から降り始めた。

短い階段を降り、ゆっくりと天使達へと近づく。

「助けに行くのですか。明日の平和への礎とならんとする、お2人のお志を無に返すつもりですか……」

月の聖母の逆鱗に触れた。

背信的な罪の意識が胸に沸き起こり、天使達は動けない。

シャトヤーンはゆっくりと歩を進める。

1歩1歩、陽炎のように怒りを揺らめかせながら。

「シ、シャトヤーン様……」

「……どうしたのです? 私を討つのではなかったのですか? 私が倒れれば、自動的に封印は解けます。あのお2人を助けに行けますよ……? お2人のお志を、汚しに行けますよ……?」

許せなかった。

タクトとレスターの思いを、ひいてはジェラールの思いまでをも冒涜された気持ちだった。

やがて、ちとせの目の前まで来る。

呆然と立ちすくむ彼女に向かって。

「気持ちが分からない? 例え私でも、邪魔をするなら許さない? その言葉……そっくりあなた達にお返しします! お2人の志を汚す者は、お2人の邪魔をする者は、この私が許しません! 例えあなた達であっても!」

どこからか雷撃が迸り、天使達の足下を打った。

侵入者を撃退するための、放射式スタンガンである。

「きゃあっ!」

悲鳴を上げて天使達は後すざる。

追い打ちの様に更なる電撃を落としながら、シャトヤーンは叫んだ。

「退がりなさい! この私を討ってでも行く覚悟がないのなら、おとなしく退がりなさい!」

裁きの雷が猛威を振るう。

脅しではない。シャトヤーンは本気で、天使達と戦う覚悟であった。

「だって……だって……!」

逃げ惑いながら、泣きながら、ミルフィーユはシャトヤーンに目を向ける。

そして、気付いた。

「愛しているのなら見守ってあげなさい! 目を背けずに、最後まで見守ってあげなさい! 愛する人を、志半ばで倒れた人を看取ってあげることも出来ず、別れの言葉を交わすことさえ出来なかった女だって、この世には居るのですっ!」

シャトヤーンもまた、泣いていた。

泣きながら雷を振るっていた。

自分達が月の聖母の、何か大切なものを汚してしまったのだと、ようやく気が付いた。

両者の間が20メートルも離れたところで、ようやく雷撃は止む。

「はぁっ、はぁっ……」

シャトヤーンは荒い息をつく。

誰もがそんな月の聖母の様子を、遠巻きに見守る。

静寂が訪れた、そんな時だった。

 

キィ……

 

大扉が軋みを上げて開いた。

わずかに開いた隙間からヒョッコリと首だけ出して、中の様子を探ろうとキョロキョロするのは、フォルテだった。

マヌケな格好のまま、シャトヤーンと目が合うと、彼女はバツが悪そうに苦笑を浮かべて言う。

「え〜と。終わりましたか?」

彼女は冷静だ。

表情でそれを読み取ったシャトヤーンは、袖で目頭を拭うと、表情を取り繕ってうなずいた。

「ええ。終わりましたよフォルテ」

「すみません、いちおう止めたんですけど。どうもお騒がせしました」

エンジェル隊のリーダーとして謝罪し、部屋に入って仲間達に呼びかける。

「ほらな、だからやめとけって言っただろう? ほら、シャトヤーン様に謝んな」

後始末役のように彼女たちを叱り、頭を下げさせる。

蘭花やミント、ヴァニラの3人は、もはや完全に毒気を抜かれていた。

言われるまま、素直に頭を下げる。

「ほら、ミルフィーにちとせも」

だが、後の2人は違っていた。

フォルテに言われても従おうとせず、何かに耐えるように拳を握りしめてうつむいている。

「ミルフィー?」

「ちとせさん?」

「………………」

「………………」

蘭花やミントの呼びかけにも答えない。

やがて。

「やっぱり……やっぱり嫌です! 見てるだけなんて出来ません!」

ミルフィーユは叫ぶと、身を翻した。

同時にちとせも叫ぶ。

「私もです! あの人と死に別れるくらいなら……っ!」

制止する間もなく、2人は謁見の間を飛び出して行ってしまう。

「お2人とも……どこへ……」

呟くヴァニラ。

シャトヤーンはしばし沈黙し、それに答えた。

「第3格納庫の方へ向かっているようです。恐らくは……マイヤーズ司令とクールダラス副司令の元へ行こうとしているのかと」

「ええっ!?」

蘭花が声を上げる。

「外の状況も見ないで、あのバカ2人……! 止めて下さいシャトヤーン様!」

「止める? なぜです?」

シャトヤーンは心底不思議そうに、蘭花に向かって首を傾げた。

「なぜって、危ないじゃないですか!」

「それが何だと言うのです。あなただったら諦めるのですか? 愛する人と永遠の別れになるかも知れないのに、危険だったら諦めるのですか?」

沈黙する蘭花。

「愛する者と添い遂げたいと願うのは、当然の事。それを止める術など、私は知りません。私だって……出来る事なら、そうしたかった……」

シャトヤーンの独り言のような呟きに、天使達は唖然とする。

そんな彼女達に振り返り。

「私も、女ですから」

わずかに頬を染めて、シャトヤーンは微笑んだのだった。