「なぜ出てきた……英雄よ」

落ち延びたラグナロクを遙か彼方に眺めながら、オーウェンは呟いた。

皇国の英雄と呼ばれた男が、なぜこのような無謀な戦いに挑む事となったのか。

殺すには惜しい。痛切にそう思う。

ヴァル=ファスクとトランスバールとEDEN、三国が真に共存繁栄を望むのであれば、彼のような男こそ必要な人材のはずだ。

「全軍に通達。可能な限りで良い、敵旗艦を破壊せずその機動力だけを奪え」

発せられた命令に、副官が目をむく。

「総司令、それは余りに無茶な……」

「だから可能な限りで良いと言っている。各艦、最大限努力せよ」

元・ヴァル=ファスク特機旅団長、オーウェン。

かつて幼少のEDENライブラリ管理者と、未来の特機師団長を引き合わせ。2人がたびたび脱走してスカイパレスへと遊びに行くのを黙認していた人物。あまつさえ記念写真まで撮ってやった事もあった。

彼は国家の未来に必要なものは、何よりも人。そして人を育てる事であると知っていた。

「人は石垣、人は城……。あの男を、殺してはならぬ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いいか?」

タクトの脇腹に手を添えて、レスターは尋ねる。

「ああ。やってくれ」

タクトはうなずき、歯を食いしばる。

レスターは彼の脇腹に突き刺さっていた破片を、思いきり中へ押し込んだ。

「グウウウッ……!!!」

苦悶のうめきを上げるタクト。

構わずにレスターは押し込めるだけ押し込むと、その上からタクトのマントでぐるぐる巻きにした。

下手に引き抜けば出血がひどくなり、そのまま死んでしまう。仕方がなかったとは言え、親友の肉を裂く感触に、レスターは顔をしかめていた。

手当とも呼べない手当が終わり、荒い呼吸を吐くタクト。

敵は追撃して来なかった。悠々と陣形を立て直し、こちらを待ち受けている。

なぜ攻めて来ないのか。こちらに塩でも送っているのか。それは分からない。

何にせよ時間がある。タクトは床に大の字で倒れ、レスターはその傍らに座り込んでいた。

ブリッジも惨々たる有様だった。メインパネルはあちこち損傷し、亀裂から時折、青白い電流が迸っている。メインモニターも大きく割れ、いびつな戦闘宙域を映し出している。

『自動修……復機能……コショウ。セービ員を……派遣……してください。自動修……』

オペレーティングシステムが、虚ろな機械音声で警告を発している。

「ああ、くやしいなぁ……」

タクトが呟いた。

「くやしいなぁ、レスター。負けるって、こんなにくやしいものだったんだなぁ……!」

天井を見上げたまま、泣き笑いの表情でそう言った。

レスターはうなずく。

「そうだな。鍛え鍛えし我が武……物量に及ばず、か」

 

 

その時、通信が開いた。

いびつに割れたメインモニターに映し出されたのは、シヴァの顔であった。

2人の有様に一瞬息を飲み―――― 恐る恐る、口を開く。

『マイヤーズ……クールダラスよ……』

その隣には、恩師の姿もあった。

口を真一文字に引き結び、こちらを見つめている。その表情がわずかに苦しげに見えるのは、きっとモニターの乱反射のせいに違いない。

「………………」

「………………」

2人は無言で、無気力で彼らを見つめ返す。

やがてシヴァは、耐えきれなくなったように叫んだ。

『もういい、もう充分だっ!』

「………………」

「………………」

2人は表情を変えない。

シヴァは、あるいは泣き叫んでいたと形容しても良かったかも知れない。

『退けマイヤーズ、クールダラス! 死んではならぬ、この場は退き、体勢を立て直すのだ!』

必死の思いで、そう叫ぶ。

2人はのろのろと顔を見合わせ―――― フッと、苦笑のような笑みを洩らした。

タクトが寝そべったまま、静かに首を横に振る。

「……ご乱心されましたか? シヴァ陛下。体勢を立て直している間に、皇国がどれほどの損害を被り、どれほどの人命が失われるとお思いなのですか」

「おいタクト、口調が戻ってるぞ」

横からレスターに指摘され、しまったという顔を浮かべる。

「やべ。オレ達、反乱起こしてたんだっけ」

「バカ」

レスターは呆れたように言う。

しかし、それで諦めがついたらしい。親友の言葉を継いで、シヴァに向かって親愛の微笑みを浮かべて続けた。

「シヴァ陛下。いま敵の数を減らさねば意味が無いのです。いま我らがもう1隻沈めさえすれば、もう100名の人命が救われるのです。……お分かりか、今こそやるべき時なのです。一時の情に流されて、大局を見誤ってはなりません」

『見誤ってなどおらぬ! お前たちが死んでは、艦隊を再編成したところで誰が指揮をするのだ!』

「異なことを。皇国の指揮官は、我等2人だけではありません。優秀な将官が、他にもいらっしゃるではありませんか。国防とは1人2人で可能なものではありません。みんなが、力を合わせて初めて可能となるものです。英雄も竜も、本当は無用の長物なのです」

シヴァは激しく頭を振る。

こんな馬鹿な話は無い。あってたまるか。

銀河にその名を轟かせた英雄が、不敗神話をもって鳴る2人が、こんな小競り合いで命を落とすなど。

死んではならぬ。死なないでくれ。

ただそれだけを願い、なおも叫ぶ。

『私が間違っていた、天使達を封印したのは過りであった! 間違いは正す、しかしお前たちが死んでは、呼び戻したエンジェル隊を誰が指揮するのだ!』

しかし、2人は変わらず穏やかに笑うばかりであった。

レスターが首を振って、それに答える。

「陛下は何も間違ってなどおりません。そもそも、100%正解などという事は有り得ないんです。しかし、たとえ半分間違っていたとしても、もう半分努力すれば良い。たとえ1%しか正しくなかったとしても、99%努力すれば、それが正解となるのです。決断するのが陛下のお役目。陛下のご決断を正解に導くのが、我らの役目。恐れずに、どうかこれからも、ご自分が正しいと思う事をなさって下さい。……そうすれば、今日ここで我らが命をかけた甲斐もあるというものです」

『クールダラス……』

タクトが苦痛に顔を歪めながら、補足するように言う。

「もしも……それでもいつか、エンジェル隊の皆を必要とする時が来たとしても。彼女たちなら、きっと大丈夫です。彼女たちは今や、立派に成長しました。もうオレなんて必要ありません」

ついにシヴァの目から、涙がこぼれ落ちた。

『マイヤーズ、クールダラス、私の命令が聞けぬのか!? 退け、これは勅命であるぞっ!!』

だが、女皇の涙をもってしても、男達を止めるには能わず。

「……お忘れか? 陛下。我らは叛徒なのです。勅命など無意味です」

下手くそな、下手くそな大根芝居。

それでも本人達が続ける限り、彼らは叛徒。

それは、この世で最も滑稽な真理であった。

「さて、と」

タクトは立ち上がろうとする。

ヨロヨロとしながら、レスターの手を借りて立ち上がる。

そして、正面に展開するヴァル=ファスク艦隊に目を向ける。

「行くか、レスター」

「おう」

穏やかに、まるで昼食にでも行くかのように何気なく。

「ブレイブハート」

「ああ。ブレイブハート、だ」

笑い合い、うなずき合う。

『マイヤーズ! クールダラスッ!?』

シヴァの必死の呼びかけも、もう聞こえない。

 

 

 

 

 

……さあ、もう行こう。

 

優しくないこの世界で、手をつないでくれた彼女のために。

 

帰れぬ道と知りながら、共に歩んできてくれた友のために。

 

戦おう。

 

顔を上げて。

 

胸を張って。

 

肩を並べて、最期まで。

 

 

タクト。偉大なる友よ――――

 

レスター。オレの、生涯無二の親友――――

 

 

 

 

―――― お前と共に戦えた事を、誇りに思う ――――  

 

 

 

 

「目標、敵旗艦……」

 

そしてタクトの、最後の命令が下る。

 

「突撃ぃっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正面から。背後から。右から。左から。天頂から。下方から。

雨あられと降り注ぐ、凄まじい弾幕。

かつて大型戦艦の主砲さえ完璧に防ぎきっていたラグナロクのシールドは、今や駆逐艦の砲撃さえ受け止めきれない。

ノアが思いの丈を込めて鍛え上げた装甲も、今や苦痛を長引かせるだけの残酷な代物に成り果てていた。

巡航ミサイルが直撃し、ブリッジ内を火柱が突き抜ける。

『ーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!』

人ならざる絶叫が響く。

軍服に炎が燃え移り、火だるまとなったタクトが床を転がっていた。

『タクト……っ!』

レスターは部屋の隅に走り、備え付けの消火器に飛び付く。

のた打ち回り、踊り狂うタクトを床に押し倒し、自身が焼けるのにも構わず馬乗りになる。

消化剤が爆発したように広がった。

もうもうと立ち込める白い粉塵がモニターを覆い、テレビで見守っていた人々の視界を奪う。

ジヨリ、と身じろぎする人影。

『ああぁ……』

テレビの前の人々は息を飲む。

髪は焦げ。皮膚はただれ。

朦朧とした声を上げるタクト。

『しっかりしろ、気を張れ! 意識を手放したらそこで死ぬぞ!』

消化剤まみれで真っ白のレスターが、必死に呼びかけている。

 

 

 

 

 

「ひ、ひぃ……」

凄惨な光景に、ジーダマイヤは小さな悲鳴を洩らした。

違う。こんなじゃない……。

彼のイメージする『戦い』とは、もっとエレガントなものだった。

万軍を颯爽と操り、鮮やかな戦略を駆使して敵を撃退する。勇気と武勲に輝き、人々の畏怖と賞賛を浴びる。それがジーダマイヤのイメージする『戦い』であった。

こんな汗まみれで歯をギリギリ食いしばるような烈しさなど。

血まみれのぬるぬるで、肉片の飛び散った床に這いつくばるような、吐き気をもよおす生々しさなど、想像すらしていなかった。

彼にとって強き人間は、イコール「悪」であった。

自分には出来ないから、軍人に嫉妬した。

反戦平和を掲げ、軍人達を糾弾し、彼らに勝った気で居た。

自分は、戦っているつもりだった。

だが本当の戦いとは、まるで次元の違うものであった。

現実の烈しさ、生々しさを突きつけられ、彼は怯えていた。

妄想の中でしか戦ったことがなく、そのくせ、いっぱしの闘士を気取っていた人間。

平和なのが当然であり、安全はタダだと思い込んでいた人間の精神は、あまりに幼稚であった。

 

 

 

 

今度は戦艦の主砲が命中した。

激しく揺れるブリッジ。

 

ゴンッ!

 

カメラに何かがぶつかったらしい。一瞬画面が真っ暗になる。

 

ズル……

 

ぶつかった「何か」がズレ落ちる。

画面に、赤い液体の筋が何本も垂れていた。

そして視界の戻ったモニターには、レスターの背中が映っている。

『………………』

テレビの前の人々は、その後ろ姿に違和感を覚えた。何かが変だった。

『………………ぐぁ……』

苦痛に満ちた呻きを上げ、レスターがガクリと床に膝をつく。

そこでようやく、人々は違和感の正体に気が付いた。

 

――――右腕が、肩の付け根から吹き飛んで、無くなっていたのである。

 

 

 

 

 

 

「ひいいいいぃぃぃっ!」

ジーダマイヤの幼稚な精神は、あっさりと崩壊した。

椅子から転げ落ち、無様に這いずりながら大扉へ向かって逃げようとする。

「貴様ぁ、逃げるな!」

シヴァは激昂し、走って行って自らジーダマイヤを取り押さえた。

「さあ、よく見ていろ! 貴様が貶めた男たちの最期を!」

「ひいいいい、ひいいいいいいっ!」

暴れる肥満体の襟首を掴み、床に叩きつける。

「ひばぁ……」

ジーダマイヤは意味不明な声を上げ、ようやく大人しくなった。

恐怖に強ばり、涙と鼻水でグシャグシャになった顔。無様に腰を抜かし、小便まで洩らしていたらしい。彼が這った後に、水を垂らした後が残っていた。その醜悪さに、シヴァは表情を歪める。

「貴様、あの2人に言っていたな……低俗な野蛮人だと。軽挙妄動の愚か者だと! 言ってみろっ! 今この場で、もう一度、あの2人に向かって、同じ事を言ってみろっ!」

ジーダマイヤは頭を振る。

反戦平和も、信頼も友好も、愛も寛容も何も無い。

今この男の頭にあるのは、恐い、逃げたい、それだけであった。

「せ、戦争反対! ピース! ピースッ!」

「そうやって念仏のように平和平和と言っていれば、平和になるとでも思っていたのか!」

シヴァが怒髪天を突いた。

こんな男のために。

自分は今まで、こんな男の言うことを真に受け、言いなりになっていたのか。

そのために忠義を尽くしてくれたタクトとレスターを退け、こんな事態を招いてしまったのか。

両手でジーダマイヤの頭を掴んで、無理矢理にテレビ画面を見せる。

そして、叫んだ。

 

「見よ、我が皇国の英雄タクト・マイヤーズの最期を! 見よ、独眼竜レスター・クールダラスの散り様を! これが貴様らがほざいた、非武装平和主義とやらの正体だ! 3度にわたり皇国を救った彼らが、あのヴァル・ファスクさえ退け、クロノ・クェイクまでも防いでみせた彼らがなぜ負ける!? なぜ彼らが死なねばならぬ!? 白き月の天使たちさえ健在ならば、あの程度の敵など脅威ともなり得なかったのだぞ!」

 

許せなかった。

恥ずかしかった。

あの2人に対して、死んで詫びたいほどに申し訳なかった。

 

「彼らと天使たちを引き裂いたのは誰だ? 我が生涯の友を死地へと追いやったのは誰だ!? 彼らが血を流し、死に物狂いで勝ち取った平和を、まるで歴史の必然であったかのように言いふらし! 泰平を貪り有事に備えることを忘れ! 平和ボケの挙句に天使たちから翼を奪い堕としめてっ! それでも己の命を捨てて守ろうとしてくれているあの2人に向かって唾を吐きかけ、あろうことか蛮賊の汚名を被せる偽善者どもめ! 貴様らは狂っている! 妄想じみた反戦平和とやらの狂信者だ!」

 

『時代が変わったのだから考えも変えなければならない』などと、なぜに思ってしまったのだろう。

何も変わりはしない。何も変えなくて良かった。

彼らと共に戦い、共に育て上げたあの時の志を、ずっと信じていれば良かったのだ。

 

「何が無抵抗主義だ、何が平和主義だ! そんなものはただの言い訳だ! 貴様らは自分が傷つくのを恐れているだけではないか! 他の誰かが何とかしてくれるのを待っているだけではないか! 貴様らは無力なのではない! 自分が血を流すのが嫌だから、責任を負うのが嫌だから、何もせず不平ばかりを言っていた方が楽だから、無力を装っているだけなのだ! 誠実なる強き者が犠牲になり、ずる賢い弱き者が安穏と長らえる、私が望んだのはこんな世界ではないっ!」

 

シヴァは泣いていた。

熱い、熱い思いが、狂おしいばかりに胸を焦がす。

時を戻したい。

あの2人と、天使達と心を重ね、笑い合ったあの頃に戻りたい。

そうすれば今度は間違えない。

今度こそ、何一つ間違えず、この胸にある理想を実現して見せるのに。

 

 

 

テレビから、さらに爆音。

「ひぎゃあああああぁぁぁっ!」

ジーダマイヤは恐慌の悲鳴を上げた。

シヴァを突き飛ばして起き上がり、大扉を開けて一目散に逃げ出す。

「ひいいいぃぃ……」

悲鳴が遠ざかって行った。

「おのれ逃げるか!」

激昂し、後を追おうとするシヴァ。

それを制止したのは、ルフトの鋭い声だった。

「陛下、放っておきなされ! あのような愚物に構っている場合ではありませぬ!」

若き女皇の前に跪き、テレビ画面を指差す。

「その目にしかと焼き付けなされ、友が今際(いまわ)の刻ですぞ! どうぞご覧なされ、看取ってやって下され! 2人の天晴れな散り様を、一瞬たりとも見逃してはなりませぬ!」 

もはや隠しようもなく、声が震えていた。

深く垂れた頭の下で、彼もまた、泣いている。

シヴァは唇を噛み締めてうなずいた。

「分かっている」

画面に目を向けながら。

「分かっている……。私だ、私が挫けたせいだ……。私が、あの2人を死地へと追いやったのだ。他の誰でもない、この私が、あの2人を殺すのだ……!」

一生忘れることは無いだろう。

この後悔と罪悪感を。

むしろそれらを身に刻み込むように、シヴァは画面を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

ついに、ラグナロクの足が止まった。

第1陣さえ突破すること叶わずに。

残骸も同然の姿と成り果て、宙空を虚ろに漂う巨体。

力尽きたその様に、天使達も、エルシオールのクルー達も、皇国民たちも、誰もが涙した。

 

 

「敵艦につなげ」

オーウェンは通信士に命じた。降伏勧告を述べる為である。

通信士は無言でうなずき、パネルを操作する。

やがてつながった通信の向こうへ、彼は静かに語りかけた。

「英雄よ。貴殿はよく――――

貴殿はよく戦った。もう充分であろう。貴殿はここで死んではならぬ、降伏せよ。

……そう続けるつもりだった。

だが、画面の向こうの光景に、彼は言葉を無くしていた。

皇国の地上波にも、ラグナロクのブリッジの様子が映し出される。

誰もが息を飲んだ。

 

 

火の海と化したブリッジ。

レスターがタクトに肩を貸し、彼を引きずるようにして、ヨロヨロと歩いていた。

ちぎれた右腕の傷口から、血が絶え間なく流れ続けている。

タクトは力無くうなだれ、引きずられるままになっている。焼け焦げた皮膚がひび割れている。

やがて艦長席にたどり着く。レスターはタクトをそこに座らせ、自分は正面に屈み込んだ。

「タクト……しっかりしろ……」

タクトは答えない。瞳は閉じられ、もうすでに死んでいるのかと思うほどだ。

「返事をしろタクトッ! ダメなら俺が代わるぞっ!!」

レスターの怒声。左手でタクトの肩を掴み、ガクガクと揺さぶる。自身も気を失うほどの激痛に晒されているはずなのに、どこからそんな声が出せるのか。

タクトの目が、うっすらと開かれた。

今にも消え去ってしまいそうな、弱々しい眼光がレスターに向けられる。

だが果たして、今の彼に親友の顔は見えているのか。

「……ノア……」

震える唇が、言葉を紡ぐ。

「……ノアは……まだか……」

レスターは、こみ上げてくるものを堪えるように、グッと唇を噛み締めた。

こくこくと何度もうなずき、声を張り上げる。

「ああ……ああ! もうすぐだ! もうすぐ来てくれるぞ! だから頑張れ、まだ死ぬなっ!」

そして、周囲を見回しながら叫ぶ。

「ノア! 聞こえているだろうノアっ! 約束だ、やってくれっ!」

 

 

 

 

白き月・深部――――

 

その光景を見ながら、ノアは泣きじゃくっていた。

「ヒック……う……ぐしっ……」

しゃくり上げる少女を、シャトヤーンが後ろから優しく抱きしめる。

「ノア」

「無理よっ! できない!」

そもそも、黒の艦隊は人工知能制御である。普通に戦うだけなら、人が乗り込む必要は無い。

当然、ラグナロクも然りだ。なのになぜ、タクトとレスターはわざわざ乗り込んでいたのか。

それは黒き月の、黒きテクノロジーの、真の力を発動させるためである。

すなわち――――かつてヘルハウンズ隊で実践した、黒き翼の発動のために。

『ノア、頼む! 戦わせてくれ! タクトを、俺を、犬死にさせないでくれっ!』

レスターの悲痛な叫び。

シャトヤーンは優しくノアの頭を撫でる。

「ノア……ご覧なさい。お2人があなたを呼んでいます。偉大なる魂が、あなたの力を必要としています。望みを叶えておあげなさい。それが出来るのは、あなただけなんです」

ノアは泣き濡れた瞳を上げる。

必死に叫ぶレスターの眼差しと、今にも消え入りそうな命の灯火を宿すタクトの瞳を見つめる。

「タクト……」

「苦しそうでしょう? それでも、あなたを待っているんですよ? もう、楽にしておあげなさい」

「………………」

ノアはまだしゃくり上げていたが、ごしごしと涙を拭い、立ち上がった。

両手を胸の前にかざす。その両手の間に、漆黒の光球が生まれる。

「忘れない……」

そっと呟く。

「あんた達のこと……ぜったいに忘れない……」

笑いかけてくれた、あの顔を。

頭を撫でてくれた、大きな手を。

私を人間にしてくれた、その優しさを。

忘れない。

ぜったいに忘れないから……っ!

「……おやすみなさい……」

万感の想いを込めて。

ノアは漆黒の光球を、その小さな胸に抱きしめる。

光が、弾けた。

涙が、弾けた。

 

 

 

 

「……ミルフィー……」

 

最期の瞬間。

最期の吐息と共に、タクトがそう呟いたような気がした――――

 

 

 

 

 

ザシュッ……

 

 

 

 

艦長席の背もたれから、タクトの喉を突き破り。

無機質な緋色の根が飛び生えた。

禍々しいその根は、あっという間にブリッジを覆い、ラグナロクの機能と一体化を始める。

レスターはその様子を呆然と眺めていた。

絶望が全てを覆い尽くす、その光景。

「っ…………!」

レスターは頭上を仰ぎ、絶叫した。

 

 

「天よ! 俺達は弱くして敗れたのではないっ!!!」

 

 

隻眼から、一筋の涙が伝わり落ちた。

 

 

 

ザシュッ……

 

 

 

背後から伸びてきた根が、その胸を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

「ミルフィー、見ちゃダメ!」

蘭花がミルフィーユの頭を背後から抱きすくめる。

「……っ! 見るな、ちとせ!」

フォルテが慌ててちとせの頭を抱きすくめ、画面から目をそらさせる。

 

メキメキメキッ

 

2人の体が持ち上がり、関節が人体の構造上ありえない方向に折れ曲がる。

巨大なエネルギーが荒れ狂い、ラグナロクが根底から再構築を始めている。

「………………」

「………………」

ポンポン、と2人の少女は、自分を抱きすくめている相手の腕を叩いた。

「ダメよっ! 絶対に見ちゃダメっ!」

「ちとせ、見るんじゃない……見ちゃいけない……!」

蘭花もフォルテも、なお一層強く、2人を抱きしめるが。

 

ポンポン、ポンポン

 

ミルフィーユもちとせも、再度軽く相手の腕を叩く。

蘭花とフォルテは、泣きながら腕の力を緩めた。

「………………」

「………………」

ミルフィーユとちとせは、ひどく落ち着いていた。

大丈夫だから、と相手に微笑み、拘束から逃れる。

そして、ゆっくりと画面に目を戻す。

丁度その時、タクトとレスターが顔を上げた。

妖しく光る紫色の瞳。口元に浮かぶ、禍々しい笑み。

『……コーゲキ……カイシ……』

そこに居たのは、かつてタクトであったモノ。かつてレスターであったモノ。

 

 

 

 

「て、敵旗艦の出力が上昇を始めました! 1万……2万……信じられない!」

オペレーターの悲鳴のような報告に、オーウェンは目をむいた。

かつて報告を受けたことがある。

EDENが我らヴァル=ファスクに対抗するため作り出した、2つのテクノロジー。

人の精神を力と変える白と、人の命を力と変える黒。

では、あれが……。

 

ドガドガドガドガドガドガドガドガッ!!!

 

通信を通して、落雷のような轟音が響いてくる。

呆然と見守るヴァル=ファスク艦隊の目の前で、ラグナロクが見るも禍々しい紫紺の翼を広げた。

「死してもなお、戦うか……。己が身を兵器と変えてでも、我を討ちに来るか……」

一瞬、目を閉じる。

その目をカッと見開いて。

「見事なり英雄! 見事なり独眼竜! ヴァル=ファスクよりもヴァル=ファスクらしき者達よっ!」

突撃を開始したラグナロクを見つめ、微笑みながら。

「旗艦、前進」

副官が振り返る。

「危険です」

「分かっている。しかしな、あの者達と直に戦いたいとは思わないか」

オーウェンは副官に振り返った。

「見よ、あの気高さを。自分は後方に控えて、大勢の部下を使って彼の者達を叩き潰すなど、武人としてあまりに失礼だとは思わぬか。こんな時代だ……これくらいの夢があっても良いのではないか?」

悠然と語るオーウェンの弁に、副官は苦笑をもって応えるのだった。

思えば我らは、ヴァル=ファスクにおいて心を持ってしまった、はみ出し者ばかりであった。

戦いに熱き魂を焦がすことだけが、我らの生き甲斐だった。

だが、戦争は終わった。

安穏とした平和の時代に、武の心も、士の魂も、腐敗し朽ちて行くものとばかり思っていた。

死に場所を求めて、トランスバール本星へと特攻をかけた。

そして出会った。

自分達以上に、高尚な魂に。

面白き ことも無き世を 面白く……か」

「はい。いざ参りましょう、総司令」

大勢の味方艦をかき分け、総旗艦が自ら前に出る。

オーウェンは全軍に呼びかけた。

「親愛なる我が艦隊の戦士達よ。見よ、かの者こそは武人の誉れなり。かの者にはこのオーウェンが、直々に槍をつけてくれようぞ。見ているがいい、これぞ戦人(いくさびと)の晴れ舞台である。我が武、しかと見届けよ。そして同じく武に生きた諸君自身の人生を、誇るがいい」

すぐにいくつもの通信が返答を返してきた。

『見ていろなどとは無慈悲な! 総司令、我が艦も戦いたいであります!』

『我が艦もです! 是が非とも、かの軍神に一手ご指南頂きたいであります!』

『参戦の許可を! ここで戦火を交えぬは武人の恥、末代までの恥でありますっ!』

燃え上がるような士気の旺盛さに、総旗艦のブリッジが苦笑に包まれる。

タクトとレスター。そしてヴァル=ファスクの軍人達。

もしかしたら、彼らは本当に良き友となれたのかも知れない。

「……分かった。諸君らの願い、しかと聞き届けた。このオーウェン最後の命令である、心して聞けい!」

万感の思いを胸に。

生涯最大の気迫を込めて、オーウェンは叫んだ。

「総攻撃! 全軍、我に続けーーーーっ!」

我らの死に場所は、ここしか無い。

ヴァル=ファスク艦隊は喊声―――― いや、歓声を上げて、ラグナロクに襲いかかって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               −Ogre Battle Saga  最終章「伝説のオウガバトル」より−

 

 

 

 

 

 

                強き人よ――――  

 

                報われず 群にはぐれ 時代の贄(にえ)となりし者よ

 

                抗え 血を流せ 大地に紅き華と咲け

 

                何も恨んではならぬ

 

                何も悔いてはならぬ

 

                ただひたすらに強くあれ

 

                弱き者に血路を開け

 

 

 

 

 

 

ミルフィーユはソファーに座り、両手を膝の上で握りしめ、見守っていた。

ちとせは床に正座し、祈りのように両手を組んで見守っていた。

2人の背後で、エンジェル隊が見守っていた。

エルシオールの皆が。シャトヤーンとノアが。シヴァとルフトが。

 

翼を広げ、敵の真っ直中に突撃していくラグナロクを見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

                強き人よ――――  

 

                踏み止まり 立ち向かい 最後の砦となりし者よ

 

                熱くなれ 見事に散れ 天に流るる星となれ

 

                決して退いてはならぬ                      

 

                決して泣いてはならぬ

 

                死して護国の鬼となれ

 

                届かぬ明日への礎となれ

 

 

 

 

 

 

 

ラグナロクの兵装は死んでいる。

攻撃手段は、一つしかない。

30隻以上からなる艦隊を蹴散らし、敵旗艦めがけて一直線に。

乱れ飛ぶ砲撃と、はためく紫紺の翼。

漆黒の宇宙空間に、男達の魂が火花を散らす。

その光景は、背徳的なまでに美しく。

 

 

 

 

 

 

 

 

                 強き人よ

 

                 気高き勇気よ

 

                 天に捧げし命よ ――――

 

                

 

                                

 

 

 

 

まるで引かれ合うように、総旗艦とラグナロクが接近する。

一騎打ち。

物量をもって潰し合う、この現代戦の時代に、戦人の晴れ舞台。

砲身も焼き付けとばかりに撃ちまくる総旗艦。

きらめく残光の線を引きながら、突っ込んでいくラグナロク。

 

両者の距離は見る間に縮まり―――― やがて、ゼロとなる。

 

 

 

カッ……

 

 

 

銀河の片隅に、命の華が大きく咲いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   最期まで戦士たれ――――                     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

アナウンサーが何か言っている。

しかし、そんなものは誰も聞いていない。

 

 

フォルテは帽子を目深に被り直し、右手を伸ばして敬礼をする。

 

ヴァニラは静かに両手を組み、天を仰いで祈りを捧げる。

 

両手で顔を覆い、声もなく肩を震わせるミント。

 

そんなミントを、蘭花が優しく胸に抱きしめる。

 

 

「やりましたね……タクトさん」

ミルフィーユは静かに呟いた。

笑ってみる。

あの人が、好きだと言ってくれた笑顔で。

「タクトさんは、世界一の恋人です」

 

 

 

ちとせは組んでいた両手をほどき、その手を床についた。

「副司令……」

深く、深く頭を垂れる。

「おつとめ、ご苦労さまでした……」

 

 

 

 

 

揺れていた時代。

吹きすさぶ熱い風に、立ち向かう男達がいた。

命を燃やし、まばゆい光を放ちながら、駆け抜けて行った男達がいた。

これは、そんな男達の物語。

後に百年の伝説として語り継がれる、英雄と竜の物語――――