誰かが幸せであれば、その影で不幸である者がいる。

 普段人は、それを無意識のうちに思考から除外している。

 だが、自覚してしまえば、幸せを掴んだ者は、その影の者の思いも背負わなければならない。

 心優しき癒し手は、そのことを知ってしまった。

 

 

 

 

   第三話「彼女の惑い」

 

 

 

 

 

 私は今幸せだ。

 忘れていた感情を、笑うこと、泣くことをまた表現できるようになった。命の尊さを知ることが出来た。

 それは、彼に出会えたから。全部彼が教えてくれた。気づかせてくれた。

 そして、愛することを。

 彼を見つけて、私は幸福になれた。

 だけど、私は知ってしまった。

 彼女の想いを。一途に想い続けていたその感情は、恐ろしくもあり、悲しくもあった。

 彼を愛することで、彼女が苦しんでしまう。そんな彼女に、私は何も答えることが出来ず、ただその想いを聞くことだけしか出来なかった。

 私は………

「どうすれば……いいんですか…?タクトさん……教えてください……」

 

 

 

 

 

 エルシオールがドライブアウトしてから数時間。再びクロノドライブに入るためのポイントに向かっている最中、タクトは書類の山と格闘戦を繰り広げていた。枚数が多すぎて、デスクが見えなくなっていた。

「まずったな……。書類が溜まっていることをすっかり忘れていた」

 言ったところで後の祭りだ。

 レスターに溜まっている書類のことを指摘されたのが、ドライブアウト直前。慌てて司令室に戻り、溜まっている書類の多さに絶望。

 だが、やらないわけにはいかないので、渋々ながら格闘を開始した。戦況は圧倒的に不利だった。

 内容的には、書類に目を通したり、判子を押したりの繰り返し。地味な作業ではあるが、司令官として大事なことである。

 しばらくして、一息入れようとコーヒーを準備していると、通信が入っていることを告げるアラームが鳴り始めた。

「はい、こちら司令室……ってノア!?」

 画面に映っている人物は、『黒き月』の管理者、ノアだった。

 ノアはブスッとした顔つきで、

「何よ、その驚き方は」

「いや、ごめん。まさかノアからだとは思わなくて」

 あはは、と笑うタクトに、はあ、とため息をつき、一転して険しい表情となった。

 それにつられ、自然にタクトの表情も引き締まる。

 ノアがわざわざブリッジではなく、直接こちらに通信を入れてきたと言うことは、極めて重要な内容であるということだ。そして、まだ内密にしておかなければならない、ということだろう。

「タクト、この前回収したロストテクノロジーについて、少し分かったことがあるの」

「分かったこと?」

「そう。まだ憶測の域を出ていないけど、あんたが重要な位置にいるということだけは確かよ。そして………」

 端末をいじりながら、次の言葉を探す。

 タクトもノアの言葉を待った。

「確実に選択を迫られる。いつものようにあいまいな答えじゃだめ。明確で、はっきりとした答えが必要なの」

「それってどういう意味?」

「言葉通りよ。詳しくはまだ話せないけど、今言ったこと、覚えておいて」

 どうにも彼女の意図が分からないが、その真剣さに冗談を言っているようには見えず、何かしら考えがあるのだろう、と思った。

 憎まれ口を叩きながらも、何だかんだ言って、自分たちのことを考えてくれているのがノアという少女の本質だ。

「分かった。こっちでも何か分かったら連絡するよ」

「頼むわよ。私も今そっちに向かっているから。多分、EDENに到着する辺りで合流できると思うから………それと」

「何?」

「あんた、仕事溜め過ぎ」

「……放っておいてくれ」

 何だか急に現実に戻されたような気分だ。

 ノアはフフッと表情を和らげ、通信を切った。

「……何か大変なことになりそうだな」

 書類との戦いを再開しながら、ぼんやりと呟いた。

 

 

 

 

 

「紅茶の葉とお菓子は揃いましたから後は………」

 袋を片手に、ミント・ブラマンシュはそう呟きながらティーラウンジへと向かっていた。

 耳がしきりに上下しており、彼女がご機嫌なことを伺わせる。おまけに、キャンディを舐めている姿は、もはや外見どおり無邪気な子供だ。

「とても良いはが手に入りましたから、皆さん喜んでいただければいいのですけど………、あれは……ヴァニラさん?」

 向かい側から、ヴァニラがとぼとぼと歩いていきた。

 その後を追うナノマシンペットも心なしか元気がない。

 声を掛け難かった。しかし、仲間として、友人として放っておくことが出来るわけもなく、

「ヴァニラさん、どうされましたか?」

 と、なるべく優しく声を掛けた。

「ミントさん………」

「少し元気がないようですが、何かありましたか?」

 その問いかけにヴァニラは口を渋らせた。

「……特に何も。ただの寝不足だと思います。昨日は……あまり眠れなかったので……」

 たどたどしい答え。

(うそ、ですわね)

 すぐに分かった。テレパスだからというわけではない。そんな能力に頼らなくても、彼女と過ごす手来た時間と積み重ねてきた友情、そして絆がある。友人の心を探るような無粋な真似はしない。

「そうですか。でしたらこれからお茶などいかがですか?寝不足や疲労に効くお茶を用意しますわ」

「いえ、せっかくですがご遠慮します。これからケーラ先生のお手伝いがありますので……」

「残念ですわ。ご無理はなさらないでくださいね」

「はい、では失礼します……」

 そう言って、またとぼとぼと歩き出した。

 ミントはその背中を無言で見送るしかなかった。本音を言えば、理由を聞かせて欲しかった。悩んでいるなら自分に相談して欲しかった。

 だが、それを彼女が望んでいないのなら、強制することは出来ない。彼女が自分から離してくれるまで待つしかない。

「もどかしいですわね………」

 一言そう呟くと、当初の目的通りティーラウンジに向かった。

「ごめんなさい………ミントさん………」

 

 

 

 

 

「お、終わった……」

 絞り出すような声で、タクトはベッドに倒れ込んだ。

 結局、あれから徹夜する羽目になり、途中休憩を挟みながら作業を進めた。別に何日かに分けてしてもよかったのだが、それは定期的にしていることが前提であり、期日が今日、明日中のものばかりではそうするわけにはいかなかった。

「あー……そろそろクロノドライブに入る時間だな……」

 襲い掛かる眠気を振り払い、パンッと両頬を叩いた。

 流石に眠そうな顔でブリッジに行くわけにはいかない。行けば、レスターに何を言われるか分かったものではない。

 気休め程度に、カップに残った冷めたコーヒーを飲み干しブリッジに向かった。

「眠そうだな」

 ブリッジに入って第一声がこれだった。

「ああ、徹夜さ……」

 欠伸を噛み殺しつつ、力なく答える。

 自業自得だ、と言いたげな表情を向けると、

「アルモ、クロノドライブまで後どのくらいだ?」

「約十分後です」

「だ、そうだ。ここはいいから、さっさと寝てこい」

「そうさせてもらう……」

 重い足取りでブリッジを出ようとする。

 だが、

「待て、タクト。ノアから連絡があった。EDEN辺りで合流するとのことだ。何を考えているのか知らんが、里帰りらしい」

 一応、ブリッジの方にも連絡を入れておいたらしい。しかし、やはりロストテクノロジーの件は伏せておいたみたいだ。説明する手間が省けたから、後でノアに感謝しておこう。

「ん、分かった」

 適当な返事をすると、今度こそブリッジを出た。

 後ろで、アルモがガッツポーズを取っていたことは気にしないでおく。

 今日は一日中寝るぞ、などという司令官らしくないことを考えつつ、タクトは歩き出した。

「タクトさん、少しお時間よろしいでしょうか?」

「ん?ちとせ……」

 そして変化は、確実に迫っていた。

 

 

 

 

 

「私は……どうしたら……」

 力なくそう呟いた。

 ミントと別れて後、予定通りケーラの手伝いを終え、何をするわけでもなく、艦内をさまよっていた。一つの場所に留まっていると、余計に考え込んでしまいそうだったからだ。

 結局、さまよい続けた末、この銀河展望公園に辿り着いた。一番落ち着ける場所であり、彼との思い出が一番詰まっている場所だから。

 途中、誰かに声を掛けられたような気がするが、よく覚えていない。

 あれから頭の中を占めているものは、彼女のことばかり。思考すればするほど、頭の中がぐちゃぐちゃになり、分からなくなる。

 彼女を苦しめたのは私。私が彼女を苦しめた。

 私が彼を好きになり、彼も私を愛したから。

 私はこれからも彼を愛し、彼も私を愛し続けるだろう。

 だが、そうしたら、彼女の想いはどうなってしまうのだろう?

 そこに彼女の想いはない。成就することはないのだ。

 それはあまりにも悲しすぎる。

 しかし、私は彼を愛することを止めることは出来ない。

「タクトさん……私は……どうすれば……」

 答えは出ない。

 

 

 

 

 

「どうしたんだい、こんなところに連れてきて」

 ブリッジを出た後、ちとせに呼び止められて半ば強引に公園につれてこられた。

「深い意味はありません。ただ、タクトさんと散歩がしたかったんです」

 にこやかに答える。

 その笑顔は可愛いと言えるものであるが、タクトは何かが引っかかったような感じがして、素直にそう思えなかった。

(気のせい、だよな)

 寝不足で思考力が鈍っており、あまり深く考えられなかった。

「タクトさん、これからデートしませんか?」

「はあ!?」

 ちとせの意外な提案に、眠気が一気に吹っ飛んだ。

 鈍っていた思考力も徐々に活性化してくる。

 前言撤回。気のせいではない。

「ちょっと、ちとせ………」

「暇なんですよね?だったらいいじゃないですか」

「でも、俺は……」

「タクトさん……私とではつまらないのですか?」

 少し上目遣いになる。

 普段見せることのない表情に、少し困惑する。

「そういうわけじゃないけど……」

「ならいいですよね」

「いや、だから………」

 完全にちとせのペースに巻き込まれてしまっている。

 今まで彼女がここまでしつこく誘ってきたのは初めてだ。やはり今日の彼女はどこかおかしい。

「ちとせ、冗談もほどほどに……」

「冗談なんかじゃありません!!」

「っ!?」

 驚くしかなかった。

 彼女の表情はとても真摯なもので、そして悲しみに満ちていた。それは冗談と言うには程遠く、自分の軽はずみな言葉に罪悪感を覚える。

「私は本気です。タクトさんと一緒にいたいんです」

「ちとせ……」

「私はタクトさんにだったら全てを委ねてもいいです。何をされても許します。だから……」

 ちとせが、お互いの吐息がかかる距離まで詰め寄る。

「だからお願いです……」

 少し濡れた唇が迫る。

 タクトはようやく気づいた。彼女がどれだけ本気なのかを。

 だが、彼女の気持ちに応えることはできない。どんなに彼女が本気だろうと絶対に。

 きっと、自分は彼女を泣かせてしまうだろう。

 それでも自分は………

『明確で、はっきりとした答えが必要なの』

 ノアの言葉が思い出される。

 そう、これだけは絶対に譲れないのだ。

「ちとせ、俺は……」

 答えようとして、パキンと小枝が折れる音がした。

「誰だ?」

 音がした方に視線を向ける。

 その先には………

「ヴァ、ヴァニラ……」

「先輩……」

 いたずらをして、見つかった子供のような、そんな感じで立っていた。

 今にも泣き出しそうだった。

「タクトさん……私……」

 何かを言いかけ、逃げるように走っていった。

 いや、実際に逃げたのだ。

「ヴァニラ!」

 タクトもすぐに追いかけようとする。

 しかし………

「待ってください。タクトさん……私は……」

「ちとせ……ごめん!」

 彼女の制止を振り切り、そのままヴァニラを追いかけた。

「タクトさん………」

 

 

 

 

 

 分からない。

 もう何もかも分からなくなってしまった。

 頭の中はぐちゃぐちゃで、まともな思考が出来ない。

 彼を愛している私。

 彼女を傷つけたくない私。

 どちらも本気で、でも決して両立することのない、矛盾する気持ち。

 彼女が彼に迫ったとき、嫉妬した。

 分からない。

 同時にこの方がいいと思った。

 分からない。

 私は、何をどうすれば………

 

 

 

 

 

 冷静に考えれば、エルシオール艦内でのヴァニラの行動範囲は限られている。

 それに自分は彼女の想い人なのだ。彼女の行きそうな場所ぐらい、簡単に見つけられる。そうでなければ恋人失格だ。

「ヴァニラ……」

 恋人の名前を呼び、大勢を低くし、速度を上げた。

 辿り着いた場所は、ロストテクノロジーを保管しておく倉庫だった。

 なるほど、ここなら滅多なことがない限り、あまり人が近寄ることはない。一人になるには最適な場所だ。

 辺りを見回すと、すぐに見つけられた。

 瞳は虚ろで、焦点が合っていない。足元のナノマシンペットも、力なくうなだれている。

「ヴァニラ」

「タクトさん……」

 恐る恐る振り向く。

 見つけられたことに驚きはないようだ。

 そしてそのまま、タクトに抱きついた。

「タクトさん………私……私…ううっ……」

 止めることは出来なかった。

 あふれ出る涙は頬を濡らした。

「もう、分からなく……なって……しまいました……」

「何がだい?」

 タクトは優しく声を掛ける。

「私はタクトさんを愛しています。でも、ちとせさんもタクトさんを愛しています。私はちとせさんが苦しんでいることを知りました。私がタクトさんを愛することで苦しんでいるんです」

「………」

「私はタクトさんを愛し続けます。でも、ちとせさんを苦しめてくないんです……ううっ……」

 これだけ悩み、悲しんだ彼女をいったいどれくらいぶりに見ただろうか?

 自分はそのことに気づいてやれずにいた。

 情けなさと、申し訳なさが込み上げてくる。

「教えてください。私は……どうしたらいいんですか……?」

「………」

 応えてやることはできなかった。

 今はただ、泣きじゃくる彼女を抱きしめてやることしか出来なかった。

 

 

 

――――――なら、私が示しましょう

 

 

 

「っ!?」

「誰だ!」

 

 

――――――そこに答えはあります

 

 

 

 瞬間、光に包まれた。

 浮遊感に囚われ、そこで意識が途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

 

 どうも、ソウヤです。

 物語も中盤に差し掛かりました。

 次は、助っ人参上ということになります。

 皆さんの期待を裏切らないよう、努力したいと思います。

 それでは、ありがとうございました。