幸せとは何だろう?
そんなことを毎日考えていた。知りたかったから、たくさんの人々に会い、各々聞いて回った。
ある人は、愛しい人が傍にいるだけでいいと。またある人は、好きなことができればいいと。
皆がそれぞれ違う幸せを持ち、願っていた。
だが、その願いをかなえられるのはほんの一握り。大抵の人が諦めたり、挫折したり、裏切られたりする。
だから創った。
この世に生きる全ての人々が、平等に幸せになれるように………。
第五話「素直な気持ち」
部屋に戻ると、ちとせは明かりも点けずに倒れるように横になった。
心の中はぐちゃぐちゃで、やりきれない気持ちでいっぱいだった。
思い出すのは彼の顔。はっきりと自分を拒絶したあの辛そうな表情。
そうさせたのは他でもない自分。決して求めてはいけなかった、しかし求めずにはいられなかった、どうしようもない感情。
自分の勝手な感情のために、傷つけ惑わせてしまった彼女。彼女は何も悪くない。悪いのは自分。いつまでも、ずるずると未練がましく引きずり続ける愚かな自分。
鏡を見ると、ひどい顔をした自分ではない自分が映っていた。
比喩ではない。今鏡に映っているのは、自分の姿をした勝手な感情。
「どうして、あんなことしたの……?」
ほとんど睨めつけている状態に近かった。
対照的に、虚像の方は落ち着いた表情をしていた。
「あんなことって?」
不思議そうに聞いてくる。
(気づいてるくせに)
さっきより鋭く睨みつける。
「どうして、ヴァニラ先輩を傷つけたの!?どうして、タクトさんに想いを伝えたの!?」
思い切り叫んだ。
外に聞こえてしまっているかもしれないが、そんなこと知ったことではない。
ただ、今欲していることは、理由と行き場のない憤りのはけ口だ。
虚像は静かに答える。
「それはあなたが望んでいたから。そしてもどかしく見えたから」
「そんなこと誰も頼んでない!」
涙が溢れた。
止めたくても、止めることは出来なかった。
分かっていた。
今までしてきた行動は全て心のどこかで望んできたことだ。
ずっと隠し、胸の奥底にしまっていた、醜く、暗い感情。
それでも、二人に辛い思いはさせたくなかった。
「私が何もしなくても、どの道同じことになっていたわ」
「じゃあ、私はどうすればよかったの……?」
答を求めた。
しかし、
「それは分からない。だって私はあなた。だから、あなたが分からないことは私にも分からない」
そう、と絞り出すように言うのがやっとだった。
「答は自分で見つけて。これからどうすればいいのか、どうしたいのか。全てあなたが持っている」
最後に、さようなら、と呟いて、まるで幻だったかのように消えてしまった。
鏡には自分の姿が映っていた。
「自分が……どう…したいのか……」
少し考えた。
真っ先に思いついたのは――――
「うう……うあぁぁぁぁ……!!」
思い切り泣くことだった。
ふう、とため息をついて、タクトは椅子にもたれかかった。
ランファが倉庫で突進してきた後のことは覚えていない。目が覚めたときにはヴァニラに膝枕をされていた。
その女性独特の柔らかさと甘い香りが名残惜しく、またヴァニラの希望もあり、しばらく膝を借りることにした。
そして帰ってきたのが今。本音を言えばもっと一緒にいたかったのだが、まだ片付けなければならない問題が残っている。
ちとせと今回の一連事件の発端。
後者の方は事件と呼ぶにはまったく根拠がない。
だが、そういった疑念を抱かせたのはあの時。倉庫でのヴァニラとの出来事。声が聞こえ、光に包まれたかと思うと、頭の中にイメージが流れ込んできたのだ。
それはヴァニラの心だった。
だからこそ、ヴァニラの不安や悩みの理由が分かった。
このことを、ヴァニラには言いそびれてしまったが、事態が落ち着いてからにしておこう。
とりあえず今解決しなければならないのは前者の方だ。
ヴァニラにはああ言ったものの、正直まだ明確な答は出ていない。出来ることなら泣かせたくはないが、そんな綺麗事を言える状況でもない。決断しなければならないのだ。
例え、泣かせることになったとしても、彼女のためにも、自分達のためにも。
ふと、公園でのちとせの表情が思い出される。
あまりにも真摯で、目を逸らすことの許されない、悲しみに満ちた顔。
「やっぱり……辛いよな」
そう呟く。
だが、躊躇うつもりはない。
約束したのだ。一緒に幸せになると。
そのために逃げるわけにはいかない。逃げてはいけない。
「大丈夫。俺は迷わない」
自分に言い聞かせる。
ピピッと、通信を知らせるアラームが鳴った。
誰なのかは、何となくわかった。
「へえ……、そんなことがねぇ……」
フォルテ・シュトーレンは少し考えると、少しぬるくなった紅茶を口に運んだ。
現在、このティーラウンジには、ちとせを除く全てのエンジェル隊が揃っている。理由はただ一つ。
ほとんど習慣化しているお茶会である。
ヴァニラはこのお茶会が丁度いい機会だと思い、ここ数日のことを話した。反応はそれぞれであり、おおむね予想通りであった。
「それであの時元気がなかった、と」
ミントはようやく合点がいったという感じだった。
ヴァニラの様子がおかしいと、初めに気がついたのは彼女であり、今までずっとそのことを考えていたのだろう。
そう思うととても申し訳なくなる。
「それにしてもヴァニラ。あんたも水臭いわね」
「そうだよ。私たち仲間なんだし、一言相談してくれれば良かったのに……」
とても残念そうに言った。
二人とも本当に心から心配してくれている。
まったくその通りだ。
もしちゃんと相談していれば、あんなに悩む必要もなかったかもしれない。
本当にいい人たちばかりだ。
だから、そんな最高の仲間たちにちゃんと言わなければならない。
「すみません。でも私は大丈夫です。もう迷いはありません。どんなことがあろうと立ち向かっていけます。誰にもタクトさんを渡したりしません」
そうだ、もう恐れない。
約束したのだ。一緒に幸せになる、と。
そのためなら、どんなことにだって正面から挑んでみせる。
今の自分は、確かな、強い、揺らぐことのない、想いと誓いがあるのだから。
「ヴァニラも言うようになったねぇ……」
「これも誰かさんのおかげですわね」
「何ていうか、幸せ指数全開って感じ」
「でもヴァニラとってもいい顔してるよ」
口々に言う彼女達にヴァニラは、
「はい、全部タクトさんと皆さんのおかげです」
最高の笑顔で答えた。
思えばこの銀河展望公園では色んなことがあった。
タクトの新任司令官歓迎会、ミルフィーユの提案による花見、ルシャーティたちの歓迎会。
そのほか、タクト個人でいえば、ヴァニラとウギウギを追いかけ、彼女に花冠を作ってやり、恋人となった。そして、永遠の誓いを交わした特別な場所。
全てはここから始まったと言っていい。
そして、終わりもここなのかもしれない。
「でも、終わりじゃない。ここからまた、始めるんだ」
決意を胸に、宅とは公園の奥へと進む。
その先で待つ少女と、共に歩むと決めた少女のために。
「やあ、ちとせ」
「タクトさん……」
呼ばれた少女は長い髪をなびかせながら振り向いた。
その表情は柔らかく穏やかで、しかし悲しみ憂いを孕んでいた。
しばらく二人の間に沈黙が流れる。
やがてちとせが決心したように、重い口を開いた。
「ずっと考えていました。わたしのこの想いに対する答えを……」
「答えは見つかったかい?」
いいえ、と首を振った。
「どんな考えても、明確な答えはありませんでした。でも、今までしてきたことは、この想いのために望んだことなんです。ヴァニラ先輩を傷つけた暗い感情、タクトさんに迫った真摯な眼差し。全部私が望んだことなんです……」
「そう、なんだ……」
それだけ言って、深いため息をつく。
ここ最近の彼女を思い浮かべ、やめた。
ちとせがどんなことをしてきたのであれ、それは全部彼女なのだ。
「私は許されないことをしました。どんなに謝っても許してもらえるものではありません。でも、これだけは言わないと、伝えさせてください」
「………」
「好きです。一人の男性として」
放たれた言葉に暗さはなかった。
ただどこまでも純粋で、まっすぐだった。
迷いなど、どこにもなかった。
そして、タクトもまた迷わなかった。
「ごめん」
その一言が、やけに響いた気がした。
「君の想いに、応えることはできない」
そう、これこそが選んだ道。
幾多ある道、取り得るであろう数多の可能性から選んでしまった選択。
以前、ノアから聞いたことがあった。
この世にはパラレルワールドという『もしも』の世界があるらしい。
そこでは違う可能性があり、ヴァニラではなくちとせを選んでいたかもしれない。もしかしたら、ミルフィーユやランファ、ミント、フォルテ、もしくはそれ以外の女性と結ばれている未来があるかもしれない。
だが、自分は他の誰でもない、ヴァニラを愛したのだ。
だからその未来のために、もう終わらせなければならない。
そうしてどれだけの時間が経ったのだろうか。
ちとせはやがて、
「その答えを待っていました」
と、輝いた笑顔で言った。
意外だった。しかし、不思議と違和感はなく、安心できた。
「もし受け入れられていたら、思い切りひっぱたくところでした」
うんうん、とこれがあるべくところなのだと。
「ちとせ、ごめん」
「謝らないでください。それがタクトさんの本心ならいいじゃないですか」
「そう、だね……」
「だから、絶対にヴァニラ先輩を幸せにしてください」
「うん、絶対に幸せにするよ」
力強く頷くタクトに満足したちとせは、
「では、これで失礼しますね。これ以上ここにいると何を言ってしまうか分かりませんから」
うん、とタクトも答える。
「最後に一つだけ。ちとせが俺が迫ったりしたのにもきっかけがあったはずた。そのきっかけっていうのは……」
「はい。タクトさんが考えている通りだと思います」
「そうか」
胸に確信めいたものが宿る。
これで、今回の一連の出来事を繋げるファクターが揃った。
「ではタクトさん、今度こそ……」
そう言って、足早に立ち去った。
すれ違うとき、光る雫が舞った。
瞬間、胸を締めつけられる様な感覚に襲われたが、何とか我慢する。
それが自分に出来る唯一のことだから、と。
ちとせが去り、一人その場に残されたタクトは、不意に映像の空を見上げた。
自分が選んだ道に後悔はない。
全て自分が望んだ結果である。
ただ、今回は思い知らされてしまった。
一人を愛するということの意味を。
今まで分からなかった、いや、分かろうとせず、無意識のうちに逃げていた。
一人を愛するということは、同時にその他から向けられる愛を拒絶するということでもあるのだ。
「もっと早く分かるべきだったな」
そう、自嘲気味に呟いた。
だがいつまでもそんなことは言ってられない。
前へ進むと決めたのだから。
それに、まだ全てが終わったわけではない。
「そろそろ黒幕にもご登場願わないとね。まずはレスターだな」
親友の名を口にすると、クロノクリスタルを手に取る。
「レスター、俺だ。明日エンジェル隊の皆を集めてくれないかな。………ああ、例のロストテクノロジーを保管してある場所だ。ちょっと種明かしでもしようと思ってね。頼んだよ」
用件だけ伝え、一方的に通信を切った。
切るときにレスターが何か抗議していたが、軽くスルーしてやった。
「さてさて、何が出てくるのやら………」
少し笑って、また空を見上げた。
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あとがき
どうも、ソウヤです。
前回からまた日にちが空きましたが、五話目をお送りしました。
物語もそろそろクライマックス。次はようやく種明かしとなります。ロストテクノロジーの正体と、その目的。どんな結末が待っているのか。
次にご期待ください。
では、これにて。
ありがとうございました。