『第2話     癒しの力』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗い………暗い……何も見えない…。

 

 

ここは…どこなんだ……。

 

 

僕は…死んだのか? ここは天国、それとも地獄なのか……?

 

 

でもなんだ…この感覚は………。

 

 

まだ生きているような感じがする………。

 

 

……ここは…どこなんだ………。

 

 

誰か…この空間から僕を出してくれ……誰か……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

謁見の間。

それは、『白き月』で最も美しく、最も神聖な場所である。

白い壁が輝き、ステンドグラスの七色の淡い光が照らす空間。

この場所に足を踏み入れたヴァル・ファスクの2人は、訪れたその目的も忘れて、見入っていた。

ルジルはステンドグラスの光に心奪われ、リーラは空間が醸し出す神秘的な空気に圧倒されていた。

「それでは、しばらくお待ちを」

そう言うと、侍女の女性は奥の部屋へと姿を消した。

赤い絨毯の真ん中で、ルジルとリーラは跪き、緊張した面持ちでその時を待つ。

彼女達の後ろでは、ルフトが心配そうに様子を見ていた。

 

今から現れるであろう、EDENとトランスバール皇国の代表たち。

中でも特に名が知れているのは、『白き月』月の聖母シャトヤーンと、皇国の女皇陛下であるシヴァ・トランスバール。

その二人を含めた代表達が、今から自分達の前に姿を現す。

今から何を言われても、自分が耐えられるかどうか、不安でいっぱいだった。

リーラは冷や汗をかき、体を僅かに震えさせていた。

ルジルはリーラの様に見て解る反応はしていないが、内心でリーラ以上に緊張していた。

 

一体、月の聖母シャトヤーン様とはどのような御方なのだろう。

シヴァ・トランスバールは、銀河を滅ぼそうとした者と同族の我々を、果たして受け入れてくれるだろうか。

頭の中でぐるぐると、思考が渦を巻き、他は何も考えられない。

いつもは早く感じる時間の流れも、今はとても遅く感じる。

一秒が一分に、一分が十分に。

 

「お待たせいたしました。シャトヤーン様とシヴァ陛下、およびEDENの代表の方をお連れいたしました」

その瞬間、ルジルとリーラの体が一気に硬直し、指一本動かすことが出来なくなってしまった。

ルジルの額から、冷や汗が滴り始める。

リーラの体の振るえが、全身に広がっていく。

足音は二人の目の前で止まり、次の瞬間、上から声が響いた。

「顔を上げよ、ヴァル・ファスクの使者よ」

ゆっくりと、顔と視線を上げる二人。

まず最初に視界に入ったのは、自分たちを真っ直ぐな蒼い瞳で見つめる少女―――シヴァ・トランスバール。

「そう硬くならなくとも、我らは貴公らに危害を加えるつもりは無い。楽にするがよい」

「シヴァ陛下のおっしゃるとおり、何の心配もありません。どうか、安心してください」

その傍で優しく語り掛けてくるのは、白いヴェールのドレスに身を包んだ、月の聖母シャトヤーン

安心しろ、そう言われても体が硬直したままだ。

「シヴァ陛下、シャトヤーン様、そのような御言葉は我々には勿体無うございます」

「いえ、どうか楽にしてください。そんなに硬くならなくとも良いですよ。それとも、私が姿勢を低くしたほうがよろしいでしょうか?」

「もっ、申し訳ありません! 聊か緊張しておりまして……えぇっと……」

「ルジルさま! 落ち着いてください! 」

混乱のあまり行動がおかしくなっているルジルを見て、シャトヤーンは笑みを漏らした。

彼女は、エンジェル隊のメンバーに似たような人物がいることを思い出していた。

 

エンジェル隊の隊員で、一撃で敵を射抜く優れた射撃の腕を持った、黒髪の少女。

彼女もこの場所に初めて来たときには、今のルジルのように緊張して言動が少しおかしくなっていた。

なんでも、エルシオールでシヴァと初めて会った時には気絶までしたというから驚きである。

彼女を乗せたエルシオールは、今どこに居るのだろう……。

 

「――――ヤーン様、シャトヤーン様?」

「あっ…すみません。少し、考え事をしておりました」

思いにふけっていたシャトヤーンに声をかけたのは、白の生地に青いラインが入ったドレスを着た少女だった。

ルジルは、この少女に見覚えがあった。

確か、惑星ジュノー首都にある「ライブラリ」の管理者で、名はルシャーティ。

ヴァル・ファスクのデータベースに記載されていたので、間違いない。

「遅くなっちゃったわね。ふわぁ〜……徹夜で仕事をするもんじゃないわ」

眠たそうに入ってきたのは、紫の服に身を包んだ『黒き月』の管理者、ノア。

見た目は幼女そのものだが、言動や堂々とした立ち回りから、只者でないことが伺える。

彼女は出そうになった欠伸を、口を手で覆って口内でとどめる。

それだけ見れば、本当にただの幼い少女である。

「これで、全員ですな」

謁見の間に、各星系国家の代表が集まった。

トランスバール、EDEN、そしてヴァル・ファスク。

3ヶ国、総勢7人の代表が集まった。

少しは気が楽になっていたルジルとリーラの表情が、一気に強張った。

 

今から、我々ヴァル・ファスクの未来が決まる。

それを決めるのは、目の前にいる人間達だ。

未来を掴み取るのは、今ここにいる私達だ。

怯えていては何も前に進まない。

 

ルジルはゆっくりと、静かに言葉を発した。

 

 

「それでは、我々が今日この『白き月』に参上いたしました理由、そして我々の意思を伝えます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひゃぁ! やっぱり遅くなっちゃった!」

『白き月』の医療施設の食堂に、息を切らして少女――リリス・フェンネルが駆け込んできた。

赤い髪に汗がつき、光が反射して輝いていた。

「あるかなぁ…シェフの一押し日替わりランチ」

食堂は、既に同僚達の列が出来ていた。

「はぁ〜、あの人達の顔を見てると、どうしても時間を忘れちゃうのよね」

だって、今にも起きそうなんだもん。

最後の言葉を心の中で呟きつつ、リリスは列で順番を待っていた。

やはり人数が多い分、人の流れは遅く、傍から見れば止まっているように見える。

自分の料理をこれほどの人間が待ち焦がれているのだから、シェフは鼻が高いだろう。

そんなことを考えていて時間が過ぎても、リリスの順番は全然回ってこない。

1時間近く経って、やっとリリスの順番に近づく。

自分の分があるのかドキドキしながら、リリスは歩みを進める。

そしてついに、リリスがカウンターにたどり着く。

目の前に目的のランチは……あった。

シェフが、お前さんで最後だよ、と言った。

体の奥から込み上げてくる何かを必死に抑えながら、リリスはランチのトレイを持ち上げようとした。

刹那。

 

 

 

―――――――――ドッガアアァァァァァアン!!

 

 

 

「きゃあああああああぁぁぁあぁぁ!!」

横から、轟音とともに爆風が襲い掛かった。

リリスの体は簡単に宙を舞い、床にたたきつけられる。

全身を激しい痛みが襲い、電撃のようにすばやく脳へ伝達される。

薄れ掛ける意識を何とか戻し、彼女は周囲を見渡そうと体を起こした。

「うっ……な、何が……!っ」

顔を上げたリリスは、息を呑んだ。

 

目の前の床が、一面真っ赤な液体で染まっていた。

 

視線を進めると、同僚達が皆倒れていた。

ピクリともその体は動いておらず、その白い制服は床と同じように真っ赤になっていた。

「酷い……どうして、こんなっ!」

ふと、彼女の横で倒れていた同僚の手が、かすかに動いた。

リリスはその同僚の下に駆け寄り、その体を抱き起こす。

「だ、大丈夫!? ねぇ!」

リリスは大声で呼びかける。

すると、うぅ、と言う弱々しい声が発せられた。

まだ息があるようだが、かなり危険な状態だった。

わき腹から大量の出血があり、さらに頭も強く打ったようで意識が朦朧としていた。

「このままじゃ危ない。早く治療しないと……」

リリスは胸に両手を当て、目を瞑る。

深く深呼吸をし、顔を天に向けた。

 

「ふぅ……は〜……」

 

すると、彼女の体から淡い緑色の光が現れ、その体を包み込んだ。

神秘的な緑の光は、リリスの頭上で雲のように滞空、まるく形作る。

それらは小さい粒子となり、怪我を負った巫女に降り注ぐ。

すると、巫女の傷が徐々に薄れて、最後には完全に消えてしまった。

表面の切り傷などは完全に治り、そのほかの部分も治療されていた。

瞳を開いたリリスは、彼女の様子を見てほっとした。

「これで大丈夫のはずだけど……でも、今の爆発は………!」

爆発のあった方向を向いたリリスの瞳に、それは映った。

 

 

 

 

《グルルルルルルルル……》

 

 

 

 

破壊された壁から覗き込むように自分を見つめる、異形の物体がそこにいた。

太くて長い尻尾、背中に生えた翼、長い首、耳まで裂けた大きな口。

まるで旧神話に登場する“ドラゴン”の様な姿のそれは、まっすぐリリスを見つめていた。

大きな金属製の体に、生々しい血管のようなものが浮き上がり、不気味に波打ち、蠢く。

鋭い牙が生えそろった口からは、吐き気がするほど生々しい涎が垂れ、床を濡らしていた。

リリスは、恐怖からか物体から目を逸らすことができなかった。

 

逸らしたら殺される。

 

今にも自分を食い殺そうと向かってきそうな怪物が、目の前に居る。

リリスの体は完全に硬直しており、指一本すら動かすことが出来ない。

 

《グルゥ……ルルル…》

 

奇怪な唸りを上げ、怪物の方が先にリリスから目を逸らし、その巨体を動かして歩み始めた。

ゆっくりと、腹を引きずりながら歩く怪物の後姿は、とても不気味に感じられた。

リリスは恐怖で震える体を両腕で抱え、必死に耐えていた。

物体の姿が完全に見えなくなるまで、彼女の体の震えは止まらなかった。

「うぅ……ぁっ……」

「いたぁ……」

食道の所々で、小さくはあるが声が聞こえた。

リリスが気付いて見渡すと、周囲の人々が目を覚まし始めていた。

体を起こし、自らの傷の痛みに顔を歪ませる。

でも、その怪我のほとんどが軽傷のようで、リリスはほっと胸を撫で下ろした。

体が動いていなかったのは、気絶していたからなのだろう。

どうやら、彼らは爆発の原因であるあの物体のことは、見てないらしい

あんなに恐ろしい姿の怪物を、この人たちが見なくて幸いだった、とリリスは思った。

 

そのとき、ドォン、と爆発音がした。

聞こえた音は小さかったが、かなり激しい爆発だったのか、揺れが施設全体を襲う。

破片がパラパラと天井から落ち、壁はミシッと不吉な音を立てる。

「ねぇ、さっきの爆発……B棟の方向からじゃなかった!?」

「そうみたいね。患者の方々がうまく逃げてくれればいいんだけど…」

巫女の会話のやり取りを聞いていて、リリスは考えていた。

B棟の患者のほとんどは、既に怪我が完治して退院を待つのみという人が多い。

それに、怪我をしているとはいえ軍人である彼らが、パニックを起こすとも考えにくい。

あの怪物から、ほとんどの患者は逃げ延びることができるだろうと思う。

……“一部の患者”を除いては……。

「いけない! このままじゃ!」

リリスは思い出したようにすばやく立ち上がり、弾ける様に走り出す。

「ちょ!? リリス、どこ行くの!」

同僚の女性は叫んだが、既にリリスは声の届かない距離まで離れていた。

 

 

 

 

リリスは、自分が持てる力をすべて出して全速力で走る。

その表情は焦っており、額には汗が滲んでいた。

廊下はコンクリートの残骸やガラスの破片が散らばっており、その中を走るのは危険だと自覚していた。

しかし、リリスはそれに構わず、走るスピードを落とす事無く、破片を避けて進む。

だが、避けているうちに身体のバランスが取り辛くなって、足が右へ左へとふらつく。

「ハァ……ハァ……っきゃ!」

大きなコンクリートの塊に躓き、前のめりに倒れる。

彼女が倒れた場所には、ガラスの破片が散乱していた。

「あうぅっ!!!」

グサッ、という音とともに、右手に激痛が走る。

見れば、大きなガラスの破片が、深く突き刺さっていた。

血が止め処無く流れ出て、手を真っ赤に染める。

痛みに顔を歪ませながら、彼女はもう片方の手でガラスを握る。

「ふっく……アァ―――――――――――――――ッ!」

力任せに、リリスは手のガラスを引き抜いた。

そのガラスを床に投げ捨て、ゆっくりと立ち上がる。

手からは、止め処なく真紅の鮮血が流れ出ていた。

痛みに顔を歪ませながら、リリスは足を進める。

歩きから早足へ、早足から徒へ。

リリスは先ほどよりももっと早く、走り出す。

「ぅ……ァ……行か……なきゃ、私が行かなきゃあの人達が……っ!」

脳裏に浮かぶ、五人の青年達。

まだ目覚めてすらいない彼らは、まだあそこに居る。

もし、彼らの病室にあの怪物が現れたら……。

そう思うと、背筋が凍る。

「怖い……でも行かないとっ!」

先ほど見た怪物の姿が、頭に浮かぶ。

鋭い牙、巨大な体、無機質なのに生々しい瞳。

その恐怖を何とか振り切って、リリスはひた走る。

自分が助けなければ、彼らが危ない。

それは責任感からなのか、それとも何か別の感情が働きかけるのか。

自分がなぜ彼等にそこまで固執するのか、彼等を救いたいと思うのか。

リリス自身、それはよくわからない。

彼女は考えることをやめ、破片が散らばる廊下を駆け抜ける。

眠り続けたままの、彼らの元へ。