『第3話    目覚める猟犬』

 

 

 

 

 

 

 

 

青年は一人、闇の中にいた。

自分の手は見えるのに、周囲は何も見えない。

体には若干の浮遊感があり、まるで水の中にいるような感覚があった。

 

ふと顔を上げると、一緒に戦った仲間たちの姿があった。

でも、その顔に表情はなく、瞳にも光が宿っていなかった。

どうしたんだ、そう思い彼らに手を伸ばそうとする。

 

 

手が届く瞬間、彼らの姿が消えた。

 

 

また、闇の中に独りになった青年。

今まで、彼は孤独感など感じたことは一度もなかった。

それは、いつも傍に仲間がいたからだ。

自分と性格も、故郷も、年齢も違う4人の仲間がいたからだ。

いつも騒がしかったり、無愛想だったり、余裕綽々だったり、機械に熱中していたり。

自分とあまりにも違っていたので、慣れるまでに時間がかかった。

それでも、彼らと一緒にいた時間は、楽しかった。

 

 

 

でも、今は一人ぼっち。

 

周りは闇。

 

先が見えない暗黒。

 

何も見えない。

 

何も聞こえない。

 

まさに自分ひとり存在しない、“孤独”という名の空間。

 

 

 

青年の頬を、透明の雫が伝う。

それを手で拭うこともせず、青年は哀しみに暮れる。

いっそ消えてしまいたい。

孤独感を味わうよりも、そのほうがずっと良い。

青年の涙は止まらなかった。

 

ふと、青年は自分の頭上を見上げた。

 

 

 

―――――――――光が見えた。

 

 

 

闇が支配する暗黒の世界に照らされる、たった一条の光。

青年が、その光が自分に向けられたものだと理解するのに数秒を要した。

その光は暖かく、彼を包み込むように照らされている。

 

ふと横を見れば、先ほど闇に消えていったはずの仲間が、自分と同じように上を見上げていた。

 

手を、光の元に伸ばしている。

 

まるで助けを請うように、希望を求めるように、光を掴もうとするように…。

 

 

 

 

 

自分も、手を伸ばす。

 

光の元にだんだん近づいていく。

 

光の中に、何かが見えた。

 

何だろう?

 

もっと腕を伸ばしてみる。

 

もうすぐ届く。

 

“自分は何をしているのだろう”、自我が一瞬戻った。

 

でも、その感情はすぐ頭からかき消された。

 

 

 

大きく開いた手が、光を掴んだ。

 

 

仲間も、同じように光を掴んだ。

 

 

 

その瞬間、闇の世界は光に満ち溢れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァ…ハァ…よかったぁ。まだ、あいつは来ていないみたいね」

息を切らし、額から汗を大量に流しながら、リリスは病室の前で立ち止まった。

まだ怪物は来ていないようで、周囲は静けさに包まれていた。

物音ひとつなく、逆に不気味な雰囲気をかもし出している。

 

これが、嵐の前の静けさとでも言うのだろうか…。

 

病室に入ると、いつも見ている光景が目の前に広がる。

光が反射する眩しい白い壁。

それと同じように真っ白な、けれどもさらに光沢のある床。

シンプルだが、正確に刻を刻み続ける時計。

そして、ベッドで眠る五人の姿が、そこにあった。

「急がなきゃ。あいつが来る前に」

リリスはベッドの傍にある心拍計の電源を切り、コードを彼らの体から抜く。

それを投げ捨てると、今度は点滴に手をかけた。

「これを抜いても、大丈夫なはず……よし!」

慎重に針を引き抜き、その部分にガーゼを当てる。

予備のものを持ってきただけなので変えはないが、当分はこれで心配はない。

「早くこの人達を移動させ……な…きゃ…」

彼らを運び出そうと、病室の入り口に目を向けた瞬間―――目が合った。

 

《グルルルルルルルルルルル……》

 

敵を見つけての威嚇か、それとも獲物を見つけての嘲笑か。

怪物はリリスをまっすぐ見つめながら、深く低い唸り声を上げていた。

「な、なによ! あっちに行きなさい!」

恐怖を必死に抑えて出したはずその言葉は、震えていた。

 

《グルルルルルルルルル……グォォ!》

 

「えっ…?」

怪物の意識が、リリスとは別に向いた。

少し顔を上げた怪物は、リリスの後ろ―――――ヘルハウンズの姿を眺める。

そして、ゆっくりと足を持ち上げ、前進した。

「っ…! ダメ!」

リリスは飛び出し、怪物の右足に抱きついて止める。

怪物は足を止め、首を曲げてリリスを見た。

「この人達に手は出さないで!」

リリスは必死にしがみついて、怪物の足を止めようと体重をかける。

 

《グアァァァ!!!》

 

「きゃああぁ!」

怪物はうざったいとばかりに足を振り回し、強引にリリスを跳ね飛ばした。

リリスの体は、まるで人形のように宙を舞った。

真横に飛ばされ、彼女は背中から壁に激しく体を打ち付けられた。

「がっ! ご、ほっ……」

衝撃で肺が強く圧迫され、一瞬呼吸が止まる。

「え…ぁ……っふ……!」

痛みが全身を電撃のように駆け巡り、骨は軋み、傷が彼女の体に刻まれる。

リリスはその場にうずくまり、うめき声を上げながら体中の激しい痛みに必死に耐えていた。

 

《グオオォォォォオオォォォォン!!》

 

怪物は甲高い咆哮を上げた。

自分より弱い者を見下すような、自分がすべての頂点にいるかのような、勝ち誇った声だった。

怪物は再びヘルハウンズに顔を向け、今度こそ彼らに近づこうと足を進める。

「うぁ…っく! 行かせない!」

痛む体を無理やり動かし、怪物の前に立ちはだかった。

怪物は長い首を曲げ、顔をリリスに近づけ、彼女をまじまじと見つめ、睨みつける。

彼女は恐怖という感情を頭から完全に振り払い、怪物に言った。

「あの人達には、絶対に手出しさせない! どうしても、誰かを殺したいと、そういうのなら……」

言葉を止め、振り返ると、すぐ後ろにヘルハウンズがいた。

リリスは鋭い眼光で怪物を睨みつけ、大声で言い放った。

 

「私を殺しなさい!」

 

揺ぎ無い本心だった。

たとえ自分が殺されようとも、この人達が助かりさえすればそれでよい。

5人の命と1人の命、自分という少ない犠牲で5人もの命が救えるのなら、本望である。

彼女は、既に自分の死を覚悟していた。

 

《グアァァァァァァァァアアァ!!!》

 

怪物が腕を振り上げ、鋭い爪をリリスに向かって振り下ろした。

両手を大きく開いたまま、リリスは目を見開いてその爪を見つめる。

テレビのスローモーションのようにゆっくりと流れる光景。

それは、リリスに最期の時を告げてるかのようだった。

 

もうこれで、自分の人生も終わるんだ。

自分はここで生涯を終えるんだ。

でも、あの人達はどうか、どうかこれからも……。

 

 

リリスはゆっくりと目を閉じる。

 

 

頭の中に、過去の思い出が、鮮やかに映し出される。

嬉しいこと、哀しいこと、楽しいこと、怒ったこと、寂しかったこと。

走馬灯、人はそれをそう呼ぶ。

 

 

 

 

 

怪物の爪が、リリスに突き刺さる、刹那。

 

 

 

 

 

 

ぐいっ――――――――――――――――――ダァァァァン!

 

 

 

 

 

 

 

怪物の爪は、床のブロックを粉砕し、深くめり込んでいた。

だが、本来の目標であるリリスの体には、触れてさえいなかった。

最初は目を瞑っていたリリスは、いつまでも自分の体に衝撃が来ないので、ゆっくりと目を開けた。

怪物の爪は、倒れている彼女の足先数十センチの場所に突き刺さっていた。

 

リリスは疑問に思った。

 

先ほどまで自分は目を瞑っていたし、体を移動させた感覚もない。

なのになぜ、自分は爪を避けられたのだろう。

反射的に避けたというのは、まず考えられない。

ではなぜ…。

 

 

ふにふに。

 

 

もうひとつ、リリスは気付く。

 

先ほどから、自分の腰の辺りに違和感を感じている。

目を向けると、そこには自分の腰を掴んだ「手」があった。

その手は大きくて、暖かかった。

 

リリスはゆっくりと、顔を後ろへと向けた。

 

 

 

 

 

「やぁ、怪我は無いかい?」

 

 

 

 

青い髪の青年が、微笑みながら言った。

彼の笑顔はまるで絵画のように美しく、すべての女性を虜に出来そうなほど、輝いていた。

リリスは一瞬頬を赤らめ、また一瞬で我に帰って大声で彼の名前を叫んだ。

「あなたは……か、カミュさん!?」

「おや、僕の名前を知っているのかい? 光栄だね。君のような可憐な子に名前を呼んでもらえるなんて」

「そ、そんな……可憐だなんて……いきなり何を言うんですか!」

リリスは途端に恥ずかしくなり、カミュから顔を逸らす。

その顔は真っ赤に上気しており、かなりの熱を帯びていた。

 

《グオォオォォォォォォォォォ!》

 

怪物が咆哮し、カミュとリリス目掛けて突っ込んでくる。

「おっと、まずはこっちを何とかしなきゃならないね。しっかり掴まっていてくれ!」

「えっ? うひゃ!?」

カミュはリリスを両腕で抱えると、軽く跳躍した。

本人は軽く飛んだつもりなのだが、天井スレスレの大ジャンプだった。

 

すたっ。

 

怪物を飛び越え、その後ろに見事着地した。

もちろん、リリスをしっかりとだ抱えたまま。

 

《グオォォォォォォォォォォォォォォォォン!》

 

怪物は瞬時に体を後ろへと振り向かせた。

振り向く勢いのまま、怪物は拳を握り、カミュに殴りかかる。

その拳は早く、いくらカミュでも避けるのは不可能だった。

だが、彼に焦った様子は無く、笑っており余裕に満ち溢れていた。

 

なぜなら―――――

 

 

 

 

 

 

「うおぉぉおぉおおぉ!  爆裂千年龍王パーンチっ!」

 

 

 

 

 

 

―――――――彼には幾多の戦いを共に乗り越えてきた、心強い仲間がいるのだから。

 

 

 

《グギャァァァァァァァ!》

 

 

 

加速をつけたパンチを顔面に受けた怪物は、そのままの勢いで床を滑り、壁に激突。

壁は衝撃で粉々に砕け、破片が怪物に積もった。

「くああぁぁあ、やっぱ寝起きは運動に限るぜえええぇ!」

「やっと起きたかギネス。遅いぞ」

カミュがリリスを抱いたまま、ギネスに言った。

「おお、カミュ! お前はいつも早起きだなああぁ!」

「当然だ」

ちょっとズレた突っ込みをするギネス。

しかしカミュは、長年彼と共に過ごしてきたため、彼の言動には慣れていた。

そのため、彼の発言を冷静に流した。

 

《グオオオォォォオオォォォォン!!》

 

瓦礫の中から、怪物が体を起き上がらせ、咆哮した。

口を大きく開け、牙を向いてカミュとギネスを睨みつける。

「さて…と、君は下がっていてくれ。危険だからね」

カミュはリリスを下ろし、ゆっくりと立ち上がった。

「あ、あなた達は大丈夫なんですか!? 体だってまだ……」

「心配ないぜお嬢ちゃん!! このとおり元気ハツラツよおぉ!」

元気よく腕をぶんぶん振り回すギネス。

体を動かしたくてしょうがない、という彼の感情がそれに表れていた。

リリスもそれを読み取ったのか、呆れたようにため息をついて、こう言った。

「ハァ……わかりました……。でも、無理はしないでくださいね! まだあなた達は患者なんですから!」

その言葉に、カミュは手を挙げて、ギネスは腕を振り回して答えた。

「ご忠告感謝するよ。それでは、行こうかギネス?」

「おうカミュ!! 久々に暴れるぜえぇぇ!」

 

《グオオオォォォォォォォ!》

 

怪物が前傾姿勢のまま2人に猛突進してくる。

だが、2人はあせる事無く、互いに目配せをする。

そして、静かに頷くと、左右に別れ、怪物の側面へ回り込んだ。

 

《グ、グォォォオオ!?》

 

怪物が目標を視界から見失った瞬間、右に回ったギネスが拳を突き出す。

怪物は身をよじってなんとかそれを回避し、ギネスを尾で攻撃する。

「うっ…ぬうぅぅ!!」

ギネスは横殴りに振られたその尾を、がしっ、と掴むと、それを力強く引っ張った。

怪物の体が若干浮いたのを見計らい、今度は腕の力を横に思いっきりかける。

「ふんっ……ぬぅうああぁぁあぁぁぁぁ!」

そのまま遠心力を利用して、身体を回転させ、怪物を振り回していた。

ジャイアントスイングである。

 

超高速のジャイアントスイングは、怪物の目を回し、さらに速度を増す。

そして、数十回転かした後、ギネスは怪物を廊下の窓へ放り投げた。

「おりゃあああぁぁあああああぁ!」

 

 

 

《グアアアアアアァァァァァァァ……》

 

 

 

ガラスを突き破り窓から飛び出した怪物は、背中に生えている翼で飛翔することも出来ず、重力に引かれた。

猛速度で地面に激突し、その衝撃が施設全体を揺らす。

「おおっ、アレは痛そうだね」

窓から下を見下ろすカミュの後ろで、ギネスは肩をコキコキと鳴らしていた。

「久しぶりなだけに、感覚が鈍ってるぜぇ。こりゃあ慣らすのに時間かかるな」

「ちょっと見せてください」

「えっ……お、おう…」

ギネスはその場にしゃがんで、リリスに肩を見せた。

リリスはその場所をさわったり揉んだりして、その部分を調べている。

「あ〜あ、やっぱり。植物状態からいきなり起きて戦闘なんてするから、筋肉が疲労しまくりじゃないですか」

「そ、そうなのか?」

「そうですよ〜。動かないでください。マッサージしますから」

ギネスの肩を優しく撫で、硬くなった部分を揉む。

よほどそれが気持ちいいのか、ギネスの顔が少し緩んだ。

それを見ていたカミュは、ちょっとだけうらやましく感じた。

 

 

《グギャアアァァァァァァァァァ!》

 

 

下から、苦しそうな咆哮が聞こえた。

カミュが再び下を覗くと、怪物はゆっくりと立ち上がっていた。

傷だらけで、背中にガラスの破片が突き刺さり、体中から赤黒い血を噴出しているにもかかわらず、カミュ達を睨んでいた。

「おや? まだ死んでいなかったのか。意外とタフだね」

「でも、それも空前のともし火、って所じゃねぇの?」

「……アレは危険な存在だ。確実に息の根を止めなければならない」

カミュの瞳が、鋭く光った。

「あの……行くんですか?」

不安げに、リリスが言った。

「ああ、アレを野放しにしておくと厄介なことになる。だから、確実に沈黙させてくるよ」

そう言うと、カミュは彼女に背を向け、階段へと向かっていった。

マッサージを受けていたギネスも立ち上がり、あとに続く。

「じゃあな嬢ちゃん! また後でな!」

ギネスはそう言って駆けていった。

一人残されたリリスは、2人の背中をただ見つめ、祈っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――どうか、勇敢なる戦士達に武運を。

 

 

 

 

 

 

 

 

……カチャン

 

 

 

 

 

リリスがそれを想うのと、病室内で音が響いたのは、ほぼ同時だった。

音に気付き、ゆっくりと、後ろを振り返る。

そして、彼女の目に映ったのは――――――。

 

 

 

 

「あっ!」